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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


イメージとしての唯一者

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大月健『イメージとしての唯一者』(白地社、二〇一六年四月一七日)が出来上がった。亡くなって早二年になろうとしているのである。

大月健さんのことなど

本書には「辻潤覚え書き」「更科源蔵論・詩集『種薯』の世界」「虚無思想雑誌探訪」「尾形亀之助・異稿をめぐって」「イメージとしての唯一者」の五つの論考が収められ、巻末には大月さんの略年譜が編まれている。ネット上においてはまだ他に誰も引用していないようなのでここに主要な事項だけを抜いておく。執筆文献はごく一部のみ採録した。

一九四九年
二月十一日、岡山県上房郡賀陽町納地(現・加賀郡吉備中央町)に生まれる。

一九六七年 
県立賀陽高等学校卒業。

一九六八年
五月、小説「契り」(私家版)
京都、大谷大学での司書講習を受講する。

一九六九年
京都大学農学部図書室に、臨時職員として採用される。

一九七〇年
京都大学農学部に本採用となる。

一九七二年
八月、篠原静代と結婚、左京区一乗寺に住む。

一九七四年
「辻潤覚え書き」を『コンミューン今再び』(のちに『而シテ』と改題)創刊号に発表。

一九八一年
『而シテ』十一号で寺島珠雄と対談。
十二月、『虚無思想研究』創刊。

一九八二年
「唯一者辻潤」を『辻潤全集』別巻(五月書房)に執筆。

一九九〇年
「日本のダダ」を『思想の科学』十月号に発表。

一九九一年
「無能の人」を『ガロ』に発表。

一九九六年
四月、ダダイスト辻潤展。

一九九七年
四月、個人誌『唯一者』を創刊。

二〇〇四年
『日本アナキズム運動人名事典』(ぱる出版)に執筆。

二〇〇六年
「橋本傳左衛門と満州国関係資料」を『社会システム研究』十三号に掲載。

二〇〇九年
「『京大俳句』復刊に向けて」を『京大俳句』復刊準備号に執筆。

二〇一二年
七月、体調不良を訴える。
八月、食道ガンで余命一年の告知を受ける。

二〇一四年
四月、ホスピスに入院。
五月十七日、九時五十一分、永眠。

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虚無思想雑誌探訪」は日本における虚無思想の歴史が概観され具体的個別的な紹介もなされている有益かつ長大な論文。その末尾にこのようにあるのが目に付いた。

《「労働することで人間は自由になり、労働の対象のなかで人間は自由に自己を現実化する」とはマルクスの言葉である。人間の本質を労働に見出そうとする。大沢正道が着目したのは彼ではない。フリードリッヒ・シラーである。彼は「人間はまったく文字通り人間であるときだけ遊んでいるので、彼が遊んでいるところでだけ彼は真の人間なのです」と云っている。》

《"個"は余白の世界を埋める遊戯においてはじめて発現することが可能となる。自由クラブの時代に"個"を主張した彼は、志向する全体革命のなかで"個"の救抜を遊戯の復権によって果たそうと試みるのである。》(大沢正道とジェームズ・G・ヒュネカー)

そしてこの論文は次の一文で締めくくられる。

《権力と反権力と云う政治力学はどこまでころんでも無権力状態に到達することはない。ヒュネカーの創造力は容易にそれを果たすのである。芸術によって、彼は政治を無化することを志向する。》


大月健「イメージとしての唯一者」 三月書房のブログのようなもの

by sumus2013 | 2016-03-22 20:46 | おすすめ本棚 | Comments(0)
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