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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


戦後発展全国工業博覧会

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『大正十年写真通信』NO.90(大正通信社、一九二一年九月一日)より「京都岡崎公園の工業博覧会==鳥瞰全景」。

これが現在のどの場所に相当するのか? あれこれ調べてみるとどうやら「みやこめっせ」に当るようだ。以前このブログで引用した岡崎公園の写真にこれと同じ双子の三角塔が写っていた。

三條廣道辺り「都ホテルから岡崎公園方面を眺めた風景」

大正十年の工業博覧会とは「戦後発展全国工業博覧会」(1921年07月05日~年09月05日)である。

《会場の京都岡崎公園には、第1会場から第2会場までつくられ、場内にエレベーター付き約36メートルの納涼高搭が聳え、観客は会場内外を展望することができた。建物は本館ほか第1、第2、第3の工業館や工業別館もでき、南洋館、特許館、参考館、衛生館、演芸館などが建ち、台湾喫茶店もつくられた。余興として演芸館では南洋土人の曲芸や活動写真があって、打ち上げ花火や仕掛け花火は会場に興趣を盛り上げた。そのほか高空放射砲や戦車なども展示された。》(乃村工藝社 博覧会資料COLLECTION

上の俯瞰図は三十六メートルの高塔から撮影されたのだろう。

《明治・大正・昭和(戦前)にかけて、岡崎では数多くの博覧会が催されてきました。明治28(1895)年の第四回内国勧業博覧会と平安遷都千百年紀念祭を皮切りに、主だったものだけでも、大正4(1915)年・大典記念京都博覧会、大正10(1921)年・戦後発展全国工業博覧会、大正13(1924)年・万国博覧会参加五十年記念博覧会、大正14(1926)年・皇孫御誕生記念 こども博覧会(京都)、昭和3(1928)年・大礼記念京都大博覧会などなど。こうした博覧会や祭典が繰り返し開催されるなかで、岡崎は京都を代表するハレの場として発展していき、今もさまざまなハレのイベントが開催される場所となっています。》(【府大コラボ】博覧会時代の痕跡をさがせ!コース

『大正十年写真通信』NO.90には皇室、軍事関係の報道が多い。あとは労働争議もいくつか。そんななかでバートランド・ラッセル来日の写真があった。

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学者思想家と会見したと書かれているが、そのメンツはどんなものだったのか。検索してみると東京朝日新聞(1921年7月27日付)にその様子が報道されていることが分った。

吉江狐雁、石川三四郎、大杉榮、堺利彦、昇曙夢、桑木厳翼、姉崎正治、上田貞次郎、阿部次郎、和辻哲郎、北澤新次郎、鈴木文次、杉村楚人冠、新居格、与謝野晶子、福田徳三

なかなかのメンツ。『写真通信』では与謝野晶子とのツーショットに切り取られている。編集者の苦心がうかがえようか(朝日掲載写真は大杉と差し向かいの写真!)。詳しくは下記参照。

バートランド・ラッセルのホームページ



by sumus2013 | 2016-03-18 21:02 | 古書日録 | Comments(0)
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