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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


カサットの読む人

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『MARY CASSATT』(Flammarion, 1989)。これはフランス語の本だが日本で買った(ブです)。メアリー・カサットは一八四四年生まれ。日本の年号で言えば弘化元年。「あさがきた」のモデル広岡浅子が生まれたのが嘉永二年(一八四九)だから五つ年上ということになる。浅子と同様に株取引や銀行を業とするアッパーミドル・クラスの家に育っているが、進取の気性の女性としてそれ相当な苦労をしたようだ。

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「音楽の催し」1874


カサットの仕事をざっと眺めるとその画風には印象派前夜から印象派そしてより装飾的なナビ派へと移っていく時代の流れがそのまま反映しているように思われる。

版画の仕事は一八九〇年に始めたようだが、そのきっかけは同年エコール・デ・ボザールで開催された浮世絵展(exposition d'estamps japonaise)をドガと連れ立って見に行ったことだったらしい。カサットはドガの友人であり弟子であった。

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「本を読む女性」1878


それはゴッホが浮世絵を買ったことでも知られる「ビングの店 La Maison Bing」のサミュエル・ビングが企画した展覧会だった。

《ビングが1890年に開催したエコール・デ・ボザールでの展覧会で浮世絵を見た美術愛好家のレイモン・ケクランは、その衝撃を「何という驚きだったろう。2時間にわたって私は、その鮮やかな色彩に熱狂していた。花魁、母親の姿、風景、役者、すべてに見とれた。展覧会で売られているカタログと参考書を鞄の中に詰めこみ、その夜私はむさぼるように読んだ」と記した。また、同展覧会の組織委員の一人だったエドモン・ド・ゴンクールの友人ジェルベール夫人のもとで働いていたマドレーヌ・ヴィオネも浮世絵に衝撃を受け、浮世絵の収集を始めた。ヴィオネは後に、“バイアス・カット”という画期的な裁断法を発見するが、このアイデアを組み立てていく際の土台になった一つが着物の直線的な裁断であった》(ウィキ「サミュエル・ビング」)

カサットも同じように昂奮して刺戟を受けたに違いない。油彩画やパステルで親子像や家庭の情景を数多く描いているわけだが、穏やかなそれらの作品も悪くはないにしても、独自性という意味では浮世絵にインスパイアされた版画作品群がもっとも輝いているように思う。

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「物思わしげに本を読む女性」1894


by sumus2013 | 2016-03-03 21:19 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)
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