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林哲夫の文画な日々2
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ブーローという職業

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ジャック・ドラリュ『死刑執行人という職業』(JACQUES DELARUE『LE MÉTIER DE BOURREAU』Fayar, 1979)、これは昨年の一月頃から読み出して多少時間はかかったが面白く読了。いずれ紹介しようと思いながら果たしていなかった一冊。ジャック・ドラリュ(1919-2014)はレジスタンスの闘士、元警官で歴史家。本書は邦訳されていないようだが別の著書『ゲシュタポ・狂気の歴史』は講談社学術文庫他で読める。

フランスにおける死刑執行人の系譜、待遇、社会的地位などを丹念に追った労作である。例によってアンダーラインを引いたところだけかいつまんで紹介しておく。

著者は死刑執行人(bourreau ブーロー)の起源については不明としている。ギリシャ時代には今日われわれが考えるようなブーローはいなかった。ローマ時代には処刑は警士(licteur)が行った。ヘブライでは刑罰は犠牲者の親族または集まった民衆、あるいは首長によって指名された人物によって執行された。中世ヨーロッパでは処刑は村の有力者が兵士に執行させたかあるいは有力者自身によって行われた。

フランスの大都市においては十三、十四世紀頃にはすでにブーローが存在していた。パリではシャトレ広場(現在のオテル・ド・ヴィル広場=パリ市庁舎の前)でパリ市長によって裁判や処刑が行われていた。国王や大都市だけでなく大貴族や中位の権力者たちも私的にブーローを雇うようになっていった。

絞首台(gibet)を、普通の貴族は一つあるいは二つしか持てなかったが、男爵となれば四つ、伯爵は六つ、公爵は八つ持てた。国王は望むだけいつくでも。パリのモンフォーコンには十二あった。それらは非常に背が高く、横木が二段になっており、巨大な四辺形をなしていた。たいてい五十から六十体の屍が吊るされており、かなり離れたところまで異臭が届いた。モンフォーコンの丘をドイツへ向かって歩く旅人たちはその「眺め」と「臭気」という二重の警告を感じた。

初期においては肉屋(boucher)がブーローを兼ねており、しばしばブーレル(bourel)と呼ばれている。十五世紀、パリでもっとも有名なブーローはメストル・カプリューシュ(Maistre Capeluche)だったが、彼も牢獄と裁判所のすぐそばにあった大きな肉屋の屠殺人であった。

ブーローは大衆から蔑まれ、さまざまな綽名がつけられた。そのなかに「腕砕きのシャルロ Charlot-casse-bras」というのがあるが「シャルロ」という呼び名はその名前が代々シャルル(Charles)だった有名な死刑執行人サンソン(Sanson)一族からきている。一九五〇年代においてさえギロチンの隠語のなかに「シャルロの計量台 bascule à Carlot」というのがあった。実際には一七九五年以降、死刑執行人の主任(exécuteur en chef)にシャルルという名前をもつ人物は一人もいなかったにもかかわらず。

本書ではその「シャルロ」ことサンソン一族の家系が丹念にたどられていて驚かざるを得ない。一六八八年、ルイ十四世治下のパリでブーローになり、革命時代もその職を着実に受け継いで一八四七年までサンソン一族が長子相続をきっちり守りつつ百五十九年間にわたって処刑を続けてきたのである。さしずめイギリスならジャック・ケッチャム、日本なら山田浅右衛門というところか。……と書いて、例の「シャルリ・エブド」が頭に浮かんだ。「シャルリ」は喜劇王チャーリー・チャップリン(フランスではシャルロと呼ばれた)を連想させつつ、死刑執行人シャルロにも通じている? 

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もうひとつギロチンについて付け加える。フランスでギロチンを使った初めての処刑は一七九二年八月二一日に行われた。そもそもギロチンは著名な医師であったギロチン博士によって提唱されたため「ギロチンの娘」などと呼ばれるようになり、ついにはギロチンとして定着してしまったらしい。ギロチン博士は一七八九年の国民議会で演説し《簡単なメカニズムによって》死刑囚の首を斬ることを提案した。《皆様、小生の機械によって、一瞬のうちに、わずかな苦もなく、その首を刎ねてみせましょう》。議会にはドッと笑いが上がったそうだ。なおギロチンに類する斬首刑具はギロチン博士が初めて考案したわけではなく、古くペルシャに現れたとも言われており、スコットランドには十四世紀頃から存在していた。

こういう歴史書はあまり読まないので知らない単語ばかりで読み進めるのに骨が折れた。新しい単語を覚えられるという効用ももちろんある(覚えた端から忘れてしまうが)。例えばこんな単語。挿絵は本書および『ジャック・カロ版画展』(伊丹市美術館、二〇〇五年)図録より。

ビュシェー bûcher 火あぶりの刑にする
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ルエー rouer 刑車にかける
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デカピテ décapiter 首を斬る

シュプリース supplice 拷問

エシャフォー échafaud 死刑台
(映画「死刑台のエレベーター」の原題は「Ascenseur pour l'échafaud」)

ジベ gibet 絞首台(大掛かりな)

ポタンス potence 絞首台

パンデゾン pendaison 絞首刑
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ビヨ billot 首切り台

ピロリ piroli 晒し台
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by sumus2013 | 2016-01-11 21:00 | 古書日録 | Comments(0)
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