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河原温のロフト![]() 宮内勝典『グリニッジの光りを離れて』(河出書房新社、一九八二年一月七日四版、装幀=横尾忠則)を頂戴した。同封の手紙に以下のように説明されていた。 《同封の宮内勝典さんの本は、河原温さんの素顔を知るうえでは一級の資料と思います。温さんの身近におられたかたが言うには、「ほぼこの本のとうりの印象だった」とのことです。 同封のコピーは丁度50年前の「美術手帖」のものです。この翌年一月より日付絵画が開始されますので、まさにその前夜のものと云えるでしょう。これ以降、取材や写真は一切出なくなります。》 『グリニッジの光りを離れて』は河出文庫で読んで河原温の生活をリアルに描いてあることに感銘を受けた。その文庫も手放して永くなる。有難く久しぶりに単行本で読み直した。やはり河原温の描写が傑出している。これはたしかに貴重だ。 《ニューヨークの十四番街は、バスと地下鉄が通る大通りだが、その一つ南の十三番街は裏通りといった感じである。それを縦につらぬいている一番大通りから、ちょっと入ったところの番地を探しながら、河原温を訪ねたのは、六月の終りごろの夜も八時半過ぎであった。》 《予想したように彼の住まいはロフトである。ニューヨークには、ダウンタウンを中心に、工場や倉庫に使うだだっぴろい何層ものロフトという古い建物がある。この巨大なコンクリートの箱の中に、人は住めないことになっているが、美術家たちはこれに目をつけ、改装してスタジオとして使っている。》 《河原温のロフトには、逆に透き通るようなクリーンな感銘があった。彼のロフトは三つに仕切ってある。ギャラリーで、展示を準備しているときのように、作品を壁にとめたり、たてかけたり、床の上に置いたりしてあった。》 《話しこんで、だいぶ夜もふけてきたのに、彼のロフトの上からジャズが聞えてくる。なんだと聞いたらポップ・アートのオルデンバーグだという。そこで気がついたが、彼のロフトの階を半分に仕切って、十三番街のほうに彼が口をあけ、十四番のほうに口をあけて草間弥生が借りていた。オルデンバーグは、ワン・ブロックにわたる上層部全部を借りているわけで、先日、草間弥生を訪ねて、オルデンバーグにも会ったばかりである。主義も生活もまったく違ったこの二人は、しかし完全にロフトを遮断しているようにみえた。》 『グリニッジの光りを離れて』の方には住所が記されている。 340E. 13th St.(Apt 12)New York Apt は Apartment だろう。《イースト・ヴィレッジの西端、ちょうどグリニッジ・ヴィレッジとの境になる区域である》 《手帳にひかえた住所に辿り着くと、郵便受けにその名前があった。煉瓦造りの古いアパートで、仄暗い廊下には黒人の体臭の残り香めいた饐えた空気がこもっていた。私は階段を昇り、ドアを叩いた。》 《入口は台所だった。通りに面した部屋が、仕事部屋と居間を兼ねていた。銹びついた非常階段が窓の片隅を斜めによぎり、鉢のゴムの葉が光っていた。台所の反対側が寝室らしかった。 「どうぞ」 と椅子をすすめただけで、河名温は黙っている。円いテーブルの上に描きかけのキャンバスがあり、今日の日付が濡れて光っている。地球がぐるりと自転しただけの、無名の一日だった。そのかたわらにプッシュ・ボタン式の電話があった。》 《漆喰の壁に、日付を記したキャンバスが墓碑銘のように並んでいた。台所との境の壁には米粒ほどの小さな数字がぎっしりつめ込まれているカレンダーが貼りつけてあった。百年の暦だった。》 《部屋の片隅にはタイプ・ライターがあり、その隣に白い用紙が山積されていた。その紙片にも、小さな数字が四段組でびっしり打ちこまれている。》 一九六八年の晩秋か初冬のことらしい。その二年前に二人はメキシコシティで知り合って宮内は河名(河原)の住所をもらっていた。そして最初の訪問から何度目かのときに宮内は次のような光景に出くわした。 《百年の暦が、ガラス張りの額縁に入っていた。 無機的なアルファベット文字と数字の洪水の部屋のなかで、河名温はその整理に追われていた。I GOT UP AT 9.30 A.M.(私ハ九時三〇分ニ起キタ)という一連の絵葉書を、スタンプの部分を表にして、日付の順番通り、一枚、一枚、小さな額縁に収めている。 I AM STILL ALIVE(私ハマダ生キテイル)という電報も、発信日の順を追ってガラス枠に入っていた。キャンバスに記した膨大な量の日付が、ぎっしり壁ぎわに立てかけられてあった。ニューヨーク近代美術館で「概念美術の動向」という展覧会が開かれるのだという。 「それに作品を出すように招待されてね」 と河名温は言った。》 本間の言うロフトと宮内の言うアパートは同じ場所だと思うが、描き方によってかなり違った印象を受ける。それにしても草間弥生と背中合わせに住んでいたとは面白い。
by sumus2013
| 2015-12-14 20:04
| 古書日録
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