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林哲夫の文画な日々2
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七世竹本住大夫

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竹本住大夫『七世竹本住大夫 私が歩んだ90年』聞き手=高遠弘美+福田逸(講談社、二〇一五年一一月二八日)。高遠先生の住大夫本ふたたび、である。

高遠弘美『七世竹本住大夫 限りなき藝の道』

竹本住大夫自身が高遠・福田の二氏による質問に答えるかたちで幼少期から引退後までの来し方や心境を吐露した好著。文楽というジャンルにこだわらなくとも時代の証言としてもきわめて興味深い。大阪の北新地で育った幼少期の回想はとくに貴重だと思う。と書いておきながら引用はせずに、青春時代の喫茶店のくだりを引いておく。「喫茶店入り浸りの日々」、昭和十五年ごろ。

《当時は心斎橋なんかは、南署というて、そこの刑事がいつもうろうろしてましてね。それから、学校の先生の方には教護連盟というのがあって、心斎橋とかで喫茶店に入ってたら、学校に通知があってね。心斎橋に不二家というレストランがあって。そこに毎日、学校の行き帰りに往復で二度、行ってました。別に雰囲気がよかったとか、女給さんがきれいやったゆうことはないんですけど、十銭とか二十銭でいろんなものを持ってきてくれまんねん。サービスがいいんです。純喫茶と違うのに、うるさいんですわ。僕が毎日行くもんやから、店の女の子が「岸本さん、今日は南署から刑事が来るから、あかんよ。早よ帰んなさい」と言うてくれて、調理場から出ていったこともありました。
 もう一軒は「蘭」というて、今でも名前も覚えてますわ。周防町の、御堂筋をちょっと渡ったところに、今でいう三菱東京UFJ銀行があって、その横手に「蘭」という喫茶店があったんです。そこが学生の巣、溜まり場やったのです。何もなくて、出てくるのはせいぜいゼリーと薄いコーヒーぐらいですけど、いつも、そこで友達と待ち合わて、近大に行ってたんですわ。もっとも、近大に行っても野球しかしませんで、授業のほうは「今日はやめとこか」とやっぱりサボってましたけど。
 あるとき、いつものように学校サボって友だちと浜寺へ海水浴に行って、また帰りに喫茶店でコーヒーを飲んだりして、前にも言うたように美容院の女の子とぐだぐだ言うて、「もう三時前やな。練習に行くか」と言うて、野球の練習に出て行こうとしたら、「おい、待て」と言われたんです。南署の刑事ですわ。「戦時下に朝から浜寺へ行って水泳して、喫茶店でとぐろを巻いて、何してんねん」と、えらい怒られました。あとをつけられてたんですわ。》

刑事が学生に神経をとがらせていた時期の様子がよく分る。朝からずっと尾行するとは……

住大夫師匠の話ももちろん面白いが、当然ながら視点は一方向だ。そこへ身近な別の人すなわち光子夫人が登場すると面白さが格段にアップする。貧乏時代の思い出もさすが芸人と納得させられるものがあるが、やはり次のようなところは格別だろう。

ーー 奥様が、住大夫師匠がなさった演目の中で一番いいな、好きだなというのは何でしょうか。
光子夫人 思うたこともないですね。
ーー あるいは、前におっしゃった水準に達している、そういうぐらいのものは何かありますか。
光子夫人 別に、この人の何を聞きたいとか、そんなこと思うたこともないです。
住大夫 魅力がおまへんねん(笑)。
光子夫人 私はただ、舞台に出てはるから、無事にやってるかなと思うて聞いているだけで、芸を堪能するということはないですね。心配のほうばかりが先に立って。
ーー では、お聞きになってて涙が流れたなんていうことは。
光子夫人 そんなことはないです。涙を流したことはないですけど、何でこんなことが言われへんのかなと思ったことはあります(笑)。だいぶ前ですけど……。そうしたら、自分でも悩んでるんですよね。私は、ただ聞いているだけですけど、たまらんようになったらときどき尋ねにくるんです。「この音はどこの音や」と。私、浄瑠璃は稽古してもらったことないけども、いつも聞いてましたから、そこはこの音と違いますかと細棹の三味線で音を出して言ってあげたら、「なるほど」と。
ーー それはご自宅での話ですか。
光子夫人 そうです。よそではそんなこと言いません。
住大夫 「すしや」(『義経千本桜』「すしやの段」)で、維盛の憂いというところがあって、「落つる涙のいたはしや」というんです。その音[おん]が、うちのおやっさん、文楽系統の人は、「落つーるー涙のーいたーはしや」と、言うんです。それがうちの師匠になると、「落つーる涙の、いたぁーはしや」と、ほんまに「いたはしや」と、三味線を使わんと、音で浮かして言いはりまんねん。その声がどうも僕はわからんので、この人に「ちょっと細の三味線でいっぺん弾いてくれ」と頼んだんですわ。「音はそこか。そんなら声はここから出すねんな」と言うて、嫁はんの三味線で音を聞かせてもろうて会得しました。
ーー それは夫婦共同作業で会得したわざですね。

心配のほうばかりが先に立って》……夫婦というのはこういうものだろうか。

ところでカバー写真で住大夫師匠の前にあるのが床本(ゆかほん)。義太夫節のテキスト。五行九字が基本。小生も何冊か持っているが、割合と最近手に入れたものがこちら。むろん肉筆。

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これを買ってどうする、間違っても義太夫を唸るはずもなし、と思いながらその文字面にひかれて求めてしまったが、ここでこうやって陽の目を見たのは幸甚なり。「菅原伝授手習鑑」四段目の切(「寺子屋」などと呼ばれる)。登山と書いてあるがこれは持ち主の名前だとお教えいただきました。末尾に署名がある。

 明治十三年辰十月一日
  当□(?)
   野沢吉兵衛
    門葉
    四代目 住正

野沢吉兵》は御教示たまわりました。


by sumus2013 | 2015-12-11 21:53 | 喫茶店の時代 | Comments(4)
Commented at 2015-12-12 21:02 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by sumus2013 at 2015-12-13 09:13
御教示に深謝です。ご意見ごもっともと思います。
Commented by romitak at 2015-12-22 21:55
林哲夫様。けふになつて気がつきました。遅ればせながら心より御礼を申し上げます。
仰せのとほり、奥様がお話に加はつてくださいました。師匠ご自身、「集大成やな」と仰つてゐました。貴重な機会を頂きました。
Commented by sumus2013 at 2015-12-23 08:44
本当に師匠のお話は値打ちがありますね。奥様の参加がピリッと効いております!
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