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サド復活本書は澁澤の論集であるが、同時に加納光於の作品集のようにもなっているのが特徴的だ。巻頭の口絵や挿絵はほとんどが加納作品である。数えてみるとカバーの図も含めて二十一点にもなる。 《装幀および挿絵の仕事をお願いした加納光於氏とは、銀座の画廊で名乗り合ってから相識った。にこにこ笑いながら「ビュッフェは通俗的で、きらいです」などと、はっきり言うひとである。銅版画の領域で他の追随を許さぬ繊細なメチエを示す氏は、同時にサドのよき理解者でもあった。この上ない協力者を得たことを嬉しく思う。》(あとがき) 加納が瀧口修造の推薦によりタケミヤ画廊で初個展を開いたのが一九五六年(二十三歳)だそうだから、澁澤による発見もデビューからそう遠からぬものである。むろん澁澤も三十歳そこそこ。『サド復活』は訳書『悪徳の栄え』(現代思潮社、一九五九年)を補完する意味だったのだろう。ところが後者が一九六一年に猥褻文書として起訴され、結果としてその名を広く知られることになった。 たしか、澁澤はオリジナリティというものを信じないと発言をしていたように思う。その言葉通り、本書はまさに引用の織物(いやコラージュと言った方がいいかもしれない)なのだ。例えば次のような短い一節にも二重に引用がちりばめられている。 《「真の文明は決してガスの中にも蒸気の中にも在るものではない。真の文明は実に原罪の痕跡の滅却にある」というボオドレエルの寸言は、「合理的なものはすべて現実的である」というヘーゲルの有名な命題の、その観念論的傲慢への不信であり、嘲笑であって、おそらく作家の表面の意識を裏切って、自由と必然の一致する王国を歴史の究極の未来に夢みたことの結果であろう。だからこそ「進歩を当てにするのは怠け者の学説である」という言葉が、ボオドレエル個人の異様な真実をもって迫るのである。 フロイトの発見したものに革命的な意義を認めたアンドレ・ブルトンは、一九三五年にこう書いた、「夢みなければならない、とレーニンは言った。行動しなければならない、とゲーテは言った。この対立の弁証法的解決をこころざす以外、シュルレアリスムはいかなることにもその努力を向けないだろう。来るべき詩人は、行動と夢との回復しがたい離反があらわす衰弱した観念を克服するであろう……」》(文明否定から新しき神話へ) 澁澤晩年のやや紋切り型のフレーズを多用して書かれた回顧的エッセイを愛読するものとしては少々ヘキエキしないでもない、ただし、コラージュもオリジナリティを持つわけだから、矛盾するようだが、引用の巧みさそのものも独自の表現に成り得るに違いない。それにしても、この過剰さは、こういう時代であり、またそういう年齢であったのだろうと思ったりする。
by sumus2013
| 2015-07-20 20:56
| 古書日録
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