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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


大遺言書

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フランソワ・ヴィヨン『大遺言書』(佐藤輝夫訳、弘文堂書房、一九四〇年三月一日)。もう大分前にアスタルテ書房で求めたもの。

FBで扉野良人氏がこんなことを書いていた。

《檀一雄の『小説 太宰治』に太宰の蔵書について語ったくだりがあるのだが、「青い何処かの文庫本で読んでゐた、フランソワ・ヴィヨンの「大盗伝」が、尤も納得のいつた面白いものだったらう。」とある。青い何処かの文庫本って何文庫だろう。山本文庫にヴィヨンは入っていたかしら。》

その檀一雄の文章が写真で出ているのを読むと

《東大の仏文科に在籍したといつても、フランス語は目に一丁字もなかつたから、マラルメ、ランボーなどと口ばしつても、なに、その解説に胸をときめかすだけで、納得のゆく読書にはなつてゐなかつた。ただ、青い何処かの文庫本で読んでゐた、フランソワ・ヴィヨンの「大盗伝」が、尤も納得のいつた面白いものだつたらう。それからエドモンド・ロスタンだ。》

とのこと。太宰が《フランス語は目に一丁字もなかつた》というのは本当か! 仏文に入れるのだろうか、そんなので。

青い文庫本で思い出したのが上の弘文堂の世界文庫。カバーは紙の色だが、表紙は青い。国会で検索するとやはり本書がヴィヨン訳書では最も古いようだ(アンソロジーへの選入はあり)。ただタイトルが違っているし、檀一雄のこの文章だけでは何とも言えないが、可能性は大であろう。

『大遺言書』から「本」のでてくるくだりを引いてみる。「二重のバラード」の八六〜八九。


一つ うつそみの肉身[にくじん]は
われらの御母、偉大なる大地に与ふ。
飢餓のためうんと虐げられたから
蛆虫どもも美味しいと思はなからう。
解脱解放を与へ給へ!
大地から出たものゆえ大地に還る、
われの誤解でないなれば、
ものは皆元の場所へと帰るものなり。

一つ わがために父にも勝り、
乳母を離れたみどりごに
その母親のありしより慈しかつた
ギョーム・ド・ヴィヨンに、
この人が、いくたびかわが艱難を救うてくれたが、
いまもつてそれを甚だ苦にしてゐるゆえ、
われはいま、小膝を曲げて願ひあぐ、
わが悪戯の喜びをすべて返へさせ給へよと。

この人にわれは与へる、わが文庫と
《ペ・トオ・ディアブルの物語》を。
抑々これはギィ・タヴァリーが
(此奴ぬけぬけ一切を漏したる男なり)
浄書したもの。仮り綴じのまま机の下に置いてある。
雑作な言葉で綴つてあれど、題目は
いとも名高いものだから、言葉の綾の
未熟さは、みな補つてあまりある。

一つ わがために数々の悲嘆と苦悩を忍ばれた
(こは神様も御存知だ、)
わが母者には、一篇の聖母に祈る
バラードをわれは遺贈す。
世のまがごとがわが上に降りかかる時、
貧れなるこの女人たるわが母を除いて、
わが身わが心隠すべき
城もなく、また砦もなし。



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本書巻末の世界文庫目録。昭和十五年、まだこんなラインナップでも問題なかったようだ。


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面白いのは表紙のデザイン。エディション・ド・クリュニィのパクリである。上はバルザックの『ウジェニー・グランデ』(Éditions de Cluny, 1937)。
寸法もタテ175ミリ、ヨコ107ミリとほとんどクリュニィ文庫と同じ。世界文庫の方が少しだけ小さい。

by sumus2013 | 2015-05-19 21:26 | 古書日録 | Comments(0)
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