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コラージュとジャズ
昨日取り出した『植草甚一自伝』(晶文社、一九七九年六月二〇日、表紙イラストレーション=和田誠)に『植草甚一スクラップ・ブック月報34』(一九七九年六月)が挟んであった。そこに「植草甚一大いに語る/コラージュとジャズ」というインタビューが載っている(聞き手=青山南)。これがコラージュとの関わりをわりと詳しく回顧していて参考になった。メモしておく。
《ーーところで、植草さんがコラージュをはじめられたきっかけはというのは何だったんでしょう? 昭和五、六年でしたか、マックス・エルンストの「百頭女」と訳されている「ファム・サン・テート」というのが、神保町の裏のフランス語専門書店の三彩社に来て、入った三日めくらいに見たんです。だいたい普段買ってるのは一円クラスの本でしたが、あれは二十円だったかな。やっと買ったんですが、感心しちゃった。その時は自分ではやっていませんでした。 この間エルンストの展覧会があって、「百頭女」の原画が出ているので見に行きましたが、切り口のつなぎ目のうまさは、さすがのものでした。あれをやったころはまだ三十前でしょう。頭がちがうんだと思いましたね。 ーーそうすると、エルンストの「百頭女」が植草さんのコラージュへのとっかかりとなったと…… それよりか前ですが、堀口大学がジャン・コクトーの紹介をしました。麻薬中毒のデッサンなんかに感心して、ぼくは建築科の学生でしたから、盛んに真似をしたもんです。それともう少し昔になると、村山知義なんです。村山知義がドイツから帰ってきてダダが始まって、それから構成主義になった。ロシアの社会主義と結びついたりしてね。 その頃、ぼくの家が両国の瓦町にありましたが、電車通りに一間の間口の古本屋があって、おじいさんが一人でやってました。店じゅうカタログだらけで、その中にたくさん機械のカタログがあった。それを切り抜いて、構成主義って流行ってたんで、大きなのを作りましたね。早稲田祭で陳列した時に、一人だけ褒めてくれたのが、力学の先生でした。これは後で、本郷のエスペロって喫茶店のカウンターの上にかけておきましたが、火事で焼けてしまいました。 そうやって構成派のころ盛んにカタログを切り抜いては、やっていたのを、いま訊かれて急に思い出しました。》 文中「三彩社」は「三才社」の誤植。
by sumus2013
| 2015-05-06 17:28
| 古書日録
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