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悲しいことなどないけれど安久昭男『悲しいことなどないけれどさもしいことならどっこいあるさ』(龜鳴屋、二〇一五年一月三一日、カバー絵=鈴木翁二、造本設計=龜鳴屋)。またまた龜鳴屋さんの予想だにできない作品集が刊行された。 龜鳴屋 著者の安久昭男(あんきゅうあきお)氏は一九五七年新潟県生まれ。早稲田大学卒業。表題作で第一回早稲田文学新人賞受賞(一九八五年)。現在は公民館に勤務しながら小説を発表している。 表題作がまた小説とは思えない長篇の散文詩のような饒舌体で成り立っている。敢えて言えばジョイスの「フィネガンズウェイク」を意識したようなダジャレ連発、意識の流れ的な意味のありそうでなさそうな会話、独白がえんえんと続く作品。論より証拠。表題のセリフが連発される部分を抜いてみる。 「北風ブンブン北からブンブンいちもにもなくブンブンブン」 「恋をして詩人になったのだね」 「いらかの波と雲の波ずっと向うにあの子の家が……徒らに昔を思い出さすなよ」 「思い出されるだけが昔の取柄さ」 「夢は今もめぐりて、夢みられるだけが夢の取柄」 「悲しまれるのだけが悲しみの取柄」 「悲しいことなどないけれど」 「さもしいことならどっこいあるさ」 「寂しいことなどないけれど」 「わびしいことならどっこいあるさ」 「悲しいことなどないけれど さもしいことならどっさりあるさ」 「どっさりでない! どっこいだ」 「悲しいことなどないけれど さもしいことならどっこいあるさ」 「寂しいことなどないけれど」 「わびしいことならどっこいあるさ」 「悲しいことなどないけれど さもしいことならどっさりあるさ」 「どっこいじゃないのかい」 「どっさりになる場合もある」 「さもしいというのはどれくらいの意味だい」 「そんなことを訊くなそんなことを訊いて耳学問をつけるつもりかい」 「すいません」 「そんな態度が大変さもしい」 「すいません」 ……というような調子である。ジョイスというより坂口安吾か中村正常、いや杉浦茂かな、赤塚不二夫? とにかくポップでキッチュでどこか物寂しい情感のこもった作品である。表題作の他に二篇の短篇「んー My Sweet Lord」(『早稲田文学』一九八三年二月号)と「飯豊山行備忘録」(書き下ろし)も収録されている。完成度では「んー My Sweet Lord」がもっとも高い。 面白いのは表紙(カバーではなく)に「早稲田文学新人賞選考座談会」の抜粋が刷られていること。参加者は三田誠広、山川健一、鈴木貞美、立松和平、平岡篤頼。欠席選評が荒川洋治、中上健次。鈴木氏が《彼の持ち味というのは昭和初期のナンセンスとかペーソスに似ていると思うんですが》というのは正しい。日本でもジョイスが流行した時代だ(かなりこじつけてます)。他には平岡が妥当な批評をしているが、中上は全否定。荒川氏の短評がいちばん正直なところか。 《安久昭男氏の作は、才気が感じられてたのしめた。会話のことばは妙につくりものめいていて感心しない。小説らしさというものをはねのけているところはいいが、これは体力[二字傍点]のわざ。あまり伸びる人ではない。》 「妙につくりものめいていて」という評言だが、むろん意識的にやっているので、その意図は「んー My Sweet Lord」の結末においてはっきり分る。この仕掛けは見事に成功している。
by sumus2013
| 2015-04-03 19:56
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