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林哲夫の文画な日々2
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「瀬山の話」

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梶井基次郎『檸檬』(武蔵野書院、一九三一年五月一五日/精選名著複刻全集近代文学館、一九七三年)、およびその下敷きになっているのは十月に実践女子大学で開催された「特別展 よみがえる身体性の記憶 「檸檬」草稿(瀬山の話)など」の展示図録。某氏が送ってくれた。深謝。

実践女子大では近代作家の自筆原稿の収集に力を入れているそうだ。「瀬山の話」は

《この原稿は、今からちょうど九十年前の大正十三年秋に書かれました。しかし、未発表のまま梶井の死後発見され、昭和八年、友人淀野隆三が仮に「瀬山の話」と名づけて雑誌掲載したものです。これは梶井の代表作「檸檬」の完成間近の下書きを含む草稿として注目されましたが、実物は未公開のまま淀野の手許に置かれ、その後長らく、行方が分らなくなっていました。
 今回出現した原稿には、淀野の友情を証しするように、熱心な編集作業の痕跡が残されています。「瀬山の話」はもと二種類の草稿を繋ぎ合わせて成ったもので、約三四〇〇字にわたる下書き部分が未紹介だったことも分ってきました。「瀬山の話」や「檸檬」を捉え直す新しい研究がここから始まります。》(ごあいさつ)

淀野が梶井の習作に手を入れた原稿が図版として出ている。赤字の訂正および欄外上部の書き込み(文字組みのための指示)が淀野によるもの。原稿に手を入れているのはここだけということだが、これは淀野の勇み足と言うべきだ。原稿をつぎはぎするのもどうかと思うが、文字を取り替えたり、削除するのには賛成できない。習作は習作のまま発表するべきだった。

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この機会にと思って「瀬山の話」をざっと読んでみた。角川文庫の一九七六年十一版(作品解説は淀野)。久しぶりに手に取るとあちらこちらに線引きがしてある。すっかり忘れていた。今なら絶対線引きなどしないのだが…。再読してみると面白い発見があった。次の《彼にある失恋があったことはそれより以前に私もきかされていた》というくだり。

《とうとうおしまいに彼の少年時代の失恋が、しかも二つも引き出されてきた。そして彼はその引きちぎって捨てられた昨日の花の花弁で新しい花を作る奇蹟をどうやらやって見せたのだ。そればかりか、そんなことには臆病な彼がその中の一人に、おそらくは最初の手紙を書こうとまじめに思い込むようにさえなったのだ。
 そのころ彼はその恋人に似ているというある芸者に出会った。私は彼にそのことをきいたのだ。そして本気になってその方へ打ち込んでいった。ーー私はいったいいつ彼が正真正銘の本気であるのか全く茫然としてしまう。》

《彼はその本気でその芸者に通い始めた。私は覚えている。彼はその金を誰々の全集を買うとか、外国へ本を註文するとか言って、彼の卒業を泳ぎつくように待ち焦がれている気の毒な母親から引き出していた。》

《その男から私はある日こんなことをきいた。
 ーーその女子はんがあてに似といやすのやそうどすえ。ーー
 ーーあてほんまにあの人のお座敷かなわんわーーその芸者がその男に瀬山の話をしたのだそうなのだ。その瞬間、私はなぜか肉体的な憎悪がその男に対して燃えあがるのを感じた。なぜか、わけのわからない昂奮が私を捕らえた。》

この逸話はほぼ事実に基づいており、そしてまず間違いなく淀野隆三がモデルである。淀野日記を通読した者として保証してもいい。淀野はそういう意味においてもこの作品にひとしお責任を感じたのかもしれない。

もうひとつ、瀬山極はポール・セザンヌを漢字に置き換えた名前だということで本文中にもセザンヌが登場している。《セザンヌの画集の中で見る、絵画商人かにかのタンギイ氏の肖像がある時出て来た》。ところが、その絵の説明はどう読んでもゴッホの「タンギー爺さん」になっているのだ。二十年くらい前の小生自身が「ゴッホ」と鉛筆で書き入れをしている(笑)。


ついでに図録から『檸檬』には次のような版があることを示すページ。

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by sumus2013 | 2014-11-05 22:11 | もよおしいろいろ | Comments(0)
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