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林哲夫の文画な日々2
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木山捷平研究〈増刊号〉

木山捷平研究〈増刊号〉_f0307792_19422893.jpg


個展初日、『木山捷平研究』増刊号(木山捷平文学研究会、二〇一四年四月三〇日)がユニテへ送られて来た。初め『sumus』の奥付住所へお送りいただいたそうで、転居先不明で返送され、このブログの個展告知からユニテへ届いたのである。お手数をおかけしたようでお詫びとお礼を申し上げます。

内海宏隆「表現者・大西重利の人と生涯 木山捷平との交流について」。本冊はすべてこの論文にあてられている。大西重利とはいかなる人物か? 木山捷平の第一詩集『野』(一九二七年)に収められた「秋」という詩は大西に捧げられているのだ。


   秋

 ーー 大西重利に ーー
僕等にとつて
秋はしづかなよろこびだ。
僕が五銭がせんべいを買つて
ひよこ ひよこ と
この土地でたつた一人の友を訪ねると
友は
口のこはれた湯呑で
あつい番茶をのませてくれた。

ああ 友!
秋!
貧しい暮しもなつかしく。


ということで、ここから内海氏の大西重利探求が始まるわけである。その探求の過程を詳細に記したのが本誌の内容であり、知的興奮を誘う文学研究のお手本のようなストーリーに仕上がっていると思う。ストーリーとはもちろん事実の積み重ねということである。

木山捷平研究〈増刊号〉_f0307792_19422499.jpg

それをここで簡単に要約することは不可能ながら、大西が編集に加わった雑誌『教育文芸』を調査して木山作品の初出を確認し、また最終的には次男の妻女とコンタクトを取ることによってかなり充実した大西重利年譜をまとめておられる。

木山捷平研究〈増刊号〉_f0307792_19422625.jpg

以上の詳細は読んでいただくのがいちばんだが、せっかくだからどうして木山捷平は「秋」を大西重利に捧げたのか、その結論めいた部分だけ引用しておく。

捷平はどうして「秋」を「大西重利に」捧げたのだろうか。彼は昭和四年三月をもって兵庫県飾磨郡菅生尋常高等小学校を辞して、東京府に出向というかたちをとり、計四年あまりを過ごした兵庫県を後にしている。大西は前々年暮れ、体調を崩したことが元で、昭和二年三月に芦屋児童の村小学校を退職、同年四月からは城南村立城陽尋常小学校に勤務している。城陽尋常小学校の住所は「姫路市北条九三二一」。同年、捷平が勤務していた荒川尋常高等小学校の住所は「姫路市井ノ口四九一」(いずれも現在の住所表示名)。両校の距離は三キロほどだ。

《いずれにせよ、二人の勤務先と、捷平の二つの下宿先、「野人」発行所は、姫路駅を中心に半径三キロ以内に収まる距離に点在している。
 昭和四年の東京府への出向は「たつた一人の友」との別離を意味した。お別れに際して、「たつた一人の友」が「自分の仕事に価値を認めてくれ」たこと、「口のこはれた湯呑で/あつい番茶をのませてくれた」ことへの感謝の気持ちが「ーー大西重利にーー」という献辞として表わされた、そんなふうに著者は想像する。

ひとつ感想を付け加えれば、たしかに木山捷平との関係は大事かもしれないが、仮にそこから切り離して考えても、大西重利という教育者の生き方は尊敬に値するもののように思う。その人物像を掘り起こし、磨き上げた内海氏の労を多としたい。

木山捷平文学研究会
東京都府中市本宿町3−23−3 滝田淳一方

***

なお最新版『木山捷平資料集』にも『教育文芸』についてはかなり詳しく紹介されていることを付記しておく。

木山捷平資料集


by sumus2013 | 2014-09-12 20:59 | おすすめ本棚 | Comments(0)
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