人気ブログランキング | 話題のタグを見る

林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


観楓紀行2

観楓紀行2_f0307792_20595360.jpg


開巻一頁目、明治二十三年四月十八日に明治天皇が小豆島へ一泊した、それを記念して御寄泊記念碑を建設することが決まり郡長・森遷とともに実現に奔走するところから話は始まる。明治二十九年になって二人は一緒に近畿地方の記念碑を巡覧調査して参考にしようと相談していたのではあるが、森の公務が忙しく出かける機会を失っていた。

その頃、大阪に居る友人の久保墨仙から紅葉を見に来いと再三促された。それですっかりその気になって旅支度を整えたところ、今度は寒霞渓の紅雲亭が破損して修理が成ったのが十月下旬で十一月一日に柱立式が行われたり、天長節(十一月三日)の来客に応接するのが忙しかったり、結局、出発は十一月十五日になってしまった。

寒霞渓表十二景

観楓紀行2_f0307792_17422672.jpg
寒霞渓表十二景の内 奇勝の入口紅雲亭(絵葉書「小豆島の彩色」より、戦前昭和

十一月十五日数日来打続タル好天気ニテ遊心快々タリ早起家ヲ発シ霜村楊柳[行人偏に奇]ノ東ナル東橋庵ニ至ル蓋シ二三ノ知友予ガ為メニ此楼ニテ別宴ヲ開ケルヲ以テナリ紅袖杯ヲ介シ卯酒数酌絃声吟声ニ和シ興情最モ洒落タリ

ここで知友に別れ土之荘(土庄)赤松楼に到着して三木蜻洲、岡田桂屋、森方城(遷)ら雅友らと漢詩を作り俳句を談じて盃を重ねる送別会が持たれた。高松の南無庵真海からも送別の俳句が送り届けられた。

 旅心動かすまてや小春凪  蜻洲
 
 風邪ひくな紅葉散る日の山をろし  真海

観楓紀行2_f0307792_17443875.jpg
土ノ庄港桟橋(絵葉書「小豆島寒霞渓の絶勝」より、戦前昭和期)

日が西に傾く頃、留別の漢詩を残して中桐絢海は同行者・花川新子(男性と思われる)とともに午後七時三十分発の「大陽丸」に乗船し備前に向かう。船中で親しくなった客と歓談していたが、その人は九番で下船した。

《暫時ニテ九番ニ着シ上陸セリ三番ニ着セシハ九時頃ニテ一名ノ乗客去リ三名ノ新客アリ香川県ヨリ来テ[玄玄]ニ上陸スルモノハ検診ヲ受クルコトトナレリ蓋シ西讃ニ天然痘ノ流行スルニ依ルナルベシ》

九番、三番は岡山西大寺の地名(干拓地の区域番号から)である。天然痘はデング熱どころではない恐ろしい流行病であった。



by sumus2013 | 2014-09-11 21:43 | うどん県あれこれ | Comments(0)
<< ユニテ2日目 ユニテ初日 >>