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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


えむえむ第七号

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『えむえむ[熊田司個人誌]』第七号(二〇一四年五月三一日)、留守をしていたためようやく拝見できた(郵便、メール便ともに取り置きを依頼)。今号もヴァラエティに富みながら発行者の趣味に貫かれており、頁を繰るたびに「う〜む」と唸らされる。

青春伝「一九六八年前後・神戸月見山界隈」には加藤一雄が登場。友人が編集者として働いていたD社(同朋舎であることは図版から分る)に熊田氏は畏敬する大学の恩師・加藤一雄の著作集の企画を持ちかける。

《加藤先生ご自身には無断で、このような企みをするとは不躾千萬、今考えると冷や汗ものであるが、加藤一雄の何たるかを知って貰おうと、三彩社が出していた新版『無名の南画家』をYm君に貸すと、早速感銘を受けた旨の連絡があった。》

加藤に出版社が打診すると、いきなり著作集ではなく、まずPR誌に連載でもしましょうという返事があった。

《こうして、かすかに希望がふくらむ昂揚した気分で、その夜は過ぎていったが、たしかその翌日である、今度は大学の研究室から電話が入った。加藤一雄先生の急逝を伝える一報である。まともな返事もできぬほど驚いて言葉を失ったが、それは急ぎ用件を伝えたYm君の反応でもあった。何となく殺伐として、息苦しく生きにくい世間の空気の中に、窃かに得たと思った「暖」のぬくもりが、秋の冷たい現実にさらされて突如喪われてしまった感を強くした。この「暖」は、私とYm君の共通感覚のみならず、加藤一雄先生にも共有されていたのではないか、と思えるのが唯一の救いであり、また痛恨事でもある。その夜先生は殊のほか上機嫌で、いつもの御酒をすこし過ごされたと伝え聞いた記憶がある。


小特集は「鉄路・車両・架線」。この着眼には予想以上の広がりがあるようだ。

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その図版のなかに教科書出版書肆「集英堂」の絵があった。住所は東京市日本橋区通旅籠町十一番地、小林八郎が発兌人である。店の表中程に「書肆 小林八郎」という看板が上げられているのが見える。

国会図書館のデジタルライブラリーで調べると明治初期に栃木で山中八郎がやっていた版元に同じ名前の「集英堂」があり、また小林集英堂で修業した内山港三郎は宇都宮支店を任されていたが、明治二十三年の支店廃止にともなってそれを譲り受けて集英堂として営業を続けていた。こちらはおそらく本家より後まで残ったと思われる。

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他にも堀尾貞治、坂本繁二郎、小出楢重の作品などが登場。隅々まで楽しめる稀有な個人誌である。


by sumus2013 | 2014-07-04 21:20 | おすすめ本棚 | Comments(0)
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