
【喫茶店】小冊子『ブルーバード』(河野保雄、一九六三年六月二〇日、表紙画=高橋忠弥)。福島市にあった喫茶店ブルーバード。福島市上町五一番地に一九四八年八月開業、一九六二年閉店。店主は鈴木庸子。
《昭和二十一年の夏、満州から引揚げて参りまして、虚脱感を切りぬけるため、何かにとりつかなくてはならないという心理状態にあったのでしょう。取りあえず昭和二十三年の夏、父の持家の片隅で喫茶店をやってみようという気持ちになったのです。世間も知らず、対人間関係の苦労も味わったことのない私が、ひとりで商売をはじめたという事は、相当大胆なことでありました。》(「美しい時の流れに」鈴木庸子)

《土蔵の一部を改造してうまれたこの店は、コーヒーの看板がなければとても喫茶店とはわからないほど時代ばなれした感じをあたえます。田舎の駅に捨てられたようにおいてある古い車両を思わせるといった感じなのです。店内は冷房装置とか、ステレオとか、テレビとか、電気冷蔵庫とかいうめぼしいものは何ひとつありません。六つの机と十四の椅子、せまい台所、非衛生的なトイレ、茶房としては最低の設備をそなえているだけです。こうしたなかで豪華な感じをあたえているものは、マダムの庸子さんと、壁にかけられている二、三の絵と、時折思い出したようにいけられる花などです。》(「汽車は止った」河野保雄)

下は開店二日目、ロッパ(右から三人目)と鈴木庸子(同二人目)。

ブルーバードに掛かっている《二、三の絵》が凄かったらしい。河野氏はこうも書いている。
《鳥海青児については面白いエピソードがあります。鳥海がバードを訪れたときバードの壁には本ものの鳥海の絵が遇然にもかけられていたのです。これはバードの常連客がこの店の雰囲気に鳥海の絵がぴったりと合うということから持参したらしいのです。自己の絵をバードでみつけた鳥海は、(この町の一喫茶店にもわたくしの絵がかけられているなんて夢にも考えられませんでした)といいました。同行していた班目秀雄か高畠達四郎はこの絵のサインをみて(先生、この絵は滞欧中に書かれたものですね)といったということです。》(同前)
文中《バードの常連客》とはもちろん河野氏自身のことであろう。そう、かつて喫茶店は画廊でもあった。同じく河野氏はこういう光景を回想している。
《それはある青年が一枚のカンバスをもち、それをこの店に飾ってほしいとたのんでいたのです。その時わたくしはふと自分の感情にもこの青年と何か共通しているものがあることを知りました。文学が好きだった、わたくしは何か作品を書くと、この店に持参し誰かに読んでもらいたいような気持がありました。わたくしも絵をもってきた青年も自己がとりくんでいるものを理解してくれるような空気をこの店から感じていたのでしょう。庸子さんとそこに集まっていた客にはたしかに若いものたちを魅了するだけのなにかがあったのです。》
そうなのだ、画廊喫茶については小生も『帰らざる風景』(みずのわ出版、二〇〇五年)に「画廊喫茶遍歴」という赤裸裸な文章を書いたことがあるが、独特な空間だった。最近ではほとんど聞かない。画廊喫茶で個展をするということも長らくやっていないかな、と思ったら渋谷のウィリアムモリスさんで二度やらせてもらっていた(書店ではよくやってます)。画廊喫茶の歴史を調べれば面白いかもしれないな、とふと思う。
また、ブルーバードの時代は歌声の全盛でもあったようだ。
《昔の高校の寮歌、応援歌、幼い頃の小学唱歌、各国の民謡等々果ては軍歌、君が代まで、うたいつくす頃は、時間は十二時をはるかにまわり、帰りの車がない、下宿に帰れないという人達は、イスを並べダブルベッドをつくって、三人五人と一泊を共にすることもありました。 そんな時の歌の中に、いつもうたい出されるのが「古い顔」という歌でした。それは三年頃でしたか、河北の大平さんが、みんなに教えて下さったので、いい歌だとばかり集りのある度によくうたったものでした。 そして、この歌をブルーバードの歌にしようなどと、勝手にきめてしまいました。》(同前、鈴木庸子)
「古い顔」はラムの詩をかつて西條八十が翻訳し発表したものに東北大学文学部の学生だった松島道也(一九四九年卒)が曲をつけた。
古い顔http://www.youtube.com/watch?v=Fiyqh2YXb2Y

歌詞の上の建物がブルーバードの外観である。チャールズ・ラムの原詩を参考までに掲げておく。
The Old Familiar FacesBY CHARLES LAMB
I have had playmates, I have had companions,In my days of childhood, in my joyful school-days,All, all are gone, the old familiar faces.
I have been laughing, I have been carousing,Drinking late, sitting late, with my bosom cronies,All, all are gone, the old familiar faces.
I loved a love once, fairest among women;Closed are her doors on me, I must not see her —All, all are gone, the old familiar faces.
I have a friend, a kinder friend has no man;Like an ingrate, I left my friend abruptly;Left him, to muse on the old familiar faces.
Ghost-like, I paced round the haunts of my childhood.Earth seemed a desert I was bound to traverse,Seeking to find the old familiar faces.
Friend of my bosom, thou more than a brother,Why wert not thou born in my father's dwelling?So might we talk of the old familiar faces —
How some they have died, and some they have left me,And some are taken from me; all are departed;All, all are gone, the old familiar faces.
敗戦後しばらくした頃の感傷的な気分にぴったりだったのだろうか。あまりに救いの無い内容ではある。ウィキによれば、以下のような一連もあったらしいが、一八一八年刊の選詩集では作者みずから削除したそうだ。
I had a mother, but she died, and left me,
Died prematurely in a day of horrors -
All, all are gone, the old familiar faces.
ブルーバードではその他さまざまな催しが開催されたようだし、雑誌や出版も行われたという。まさに綜合文化施設だったわけだ。後に河野氏は自ら喫茶店を経営しはじめるのだから、よほどブルーバードは忘れがたい空間だったのだろうと思われる。