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ささありき《「ささ」は不思議な店である。 僕が「ささ」を知ってから大分たつが、いまだにそう思っている。 「ささ」に寄ろうかな、と思うと必ず今日はどんな顔ぶれだろうかと思いをめぐらしてしまう。来店する人達が「ささ」の魅力あるメニュー(失礼!!)なのだ。ママというすばらしい指揮者のもとで、今日のメニューが、いや、楽団員が、どんな音色をだすのかが楽しみなのである。》 この方の名前で検索してみると二〇一三年夏に亡くなられている。住所は杉並区下井草。ささま書店へ蔵書が処分されたのも頷ける。 挟んであった手紙(二〇〇一年一月)や年賀状(一九九七、九八、九九、〇八)はすべて「ささ」のママだった関マサから来たもの。年賀状に「九八年で八十才になります」とあるのでご存命なら九十六歳……。 常連客、寄稿者で小生が知っている名前を拾うと、山折哲雄、ワシオ・トシヒコ、鎗田清太郎、長谷川龍生、野見山暁治くらいだが、肩書きを見ると錚々たるメンバーだったということが分る。野見山はこう書いている。 《むかし、セザンヌに影響された中村彝という画家が、老婆の像を描いている。白髪をうしろで結んで細く柔らかい体に、背後の空間がのしかかった、少し淋しいあの絵が、はじめ「ささ」のおばさんだと思い込んだ。 それから一年近くたって、やはり幸人さんと店に行ってみて、そんな年のひとではないことに気付きどぎまぎした。オバァさんの店があったよと誰彼に話していたからだ。 どうしてそう思い込んていたものだろう。懐かしいような舌ざわりのものが小皿にのかって、知らぬまに置かれている。手狭な小屋のなかで、いったいどこから出てくるのだろう。あたりを取りまく暗い天空から、白い指が舞いおりてくるような塩梅なんだ。 この慕わしさは老いた母の手のようでもあるし、初恋のひとのようでもある。どうして途中がないのだろう。ともかく現(うつ)し身の匂いがないんだな。だから彝の絵のなかに閉じこめてしまっていたのだろう。》 老婆の像というのは「老母像」(一九二四)。彝の世話をしていた岡崎キイを描いた最晩年の作である。
by sumus2013
| 2014-02-16 20:55
| 古書日録
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Comments(2)
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