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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


神とおれとのあいだの問題だ

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昨年末に『宇治拾遺物語』から盗跖と孔子の問答を取り上げた。自らの思うままにふるまって天道をも恐れぬふるまいに孔子の正論もまったく歯が立たない。そのときすぐに連想したのがモリエールの喜劇『ドン・ジュアン』。ドン・ジュアンの次のセリフは何十年も前に読んだきりだったが忘れ難く脳裏に刻まれている。欲しいとなったら手段を選ばず次々と女性をわがものにしてゆく貴族の子弟ドン・ジュアン。見かねた従者のスガナレルがこういさめる。

スガナレル 仰せのとおり、しごく愉快、しごく面白いものだと、わたくしも心得ております。それが悪いことでさえなかったら、わたくしも遠慮なくやりたいところでございます。が、だんなさま、神さまのおとりきめをあまりないがしろになさいますと……
ドン・ジュアン よし、よし、神とおれとのあいだの問題だ、おまえの世話にならずとも、ふたりだけで話をつけてみせるさ。》

鈴木力衛訳岩波文庫版(一九八八年四〇刷)。初めて読んだとき、この「神とおれとのあいだの問題だ」というような過激な考え方がこの時代(初演は一六五五年)にまかり通ったのかと驚いた。一応、まかり通らないラストシーンにはなっているのだが、それはどうも取って付けたようなお定まりの手続きであって劇中のドン・ジュアンのセルフィッシュな振る舞いは盗跖にもひけをとらない。盗跖は手下を大勢従えた大集団だが、ドン・ジュアンは従僕と二人、いやほとんど独りでの行動で、ある意味で盗跖よりもあっぱれだろう。

で、このドン・ジュアンのセリフ、原文ではどうなっているのか、前から気になっていたので、この機会にと、モリエール戯曲全集を取り出してみた(なおこの本については拙著『古本デッサン帳』参照されたし)。開いてみたら旧蔵者の書き込みがびっしり。ただし「ドン・ジュアン」のところだけ。あとは読んだ形跡なし。本そのものはボロボロで表紙も取れている。それもそのはず下鴨納涼古本まつりで百円だった。『THÉATRE COMPLET DE MOLIÈRE』(ÉDITIONS GARNIER FRÈRES, 1960)。二巻本のうちの第一巻。

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ドン・ジュアンはこう言っている。

《Va, va, c'est une affaire entre le Ciel et moi, et nous la démêlerons bien ensemble; sans que tu t'en mettes en peine.》

「神さま」はすべて「le Ciel」(ciel は空、天、天国、神などの意)だったのが意外だったが、なるほど、鈴木訳はよくこなれた日本語で正確に訳している。もう一箇所、スガナレルが主人の悪態を吐くところも印象に残るのだが、それはこういう表現である。

《おれの主人のドン・ジュアンさまは、世にも稀なる大悪党、気違いの犬畜生、悪魔、トルコ人、異端者、天国も地獄もお化けおおかみも信じないようなおかたなんだ、けだもの同然にこの世を渡るエピクロスの豚、放蕩無頼の殿さま(ルビ=サルダナパール)さ。どんな忠告も馬耳東風と聞き流し、おれたちの信じるものはみな根も葉もないとお取りあげにならぬ。》

《tu vois en Don Juan, mon maître, le plus grand scélérat que la terre ait jamais porté, un enragé, un chien, un diable, un Turc, un hérétique, qui ne croit ni Ciel, ni Enfer, loup-garou, qui passe cette vie en véritable bête brute, un pourceau d'Épicure, un vrai Sardanapale, qui ferme l'oreille à toutes les remontrance [chrétiennes] qu'on lui peut faire, et traite de billevesées tout ce que nous croyons.》

ここの Ciel は「天国」と訳されている。サルダナパール(アッシリアの専制君主)を「放蕩無頼の殿さま」は軽くてうまい。ただ loup-garou を「お化けおおかみ」(おおかみに傍点あり)としたのがキズと言えば、言えないことはないかもしれない。というのは、この全集の解説(Robert Jouanny)ではこの単語に

《Homme qui chaque nuit se change en loup pour surprendre les passants attardés.》

毎夜遅く通行人を襲うために狼に変身する人間…という註がついているからである。これに拠るなら「狼男」とでもすべきだった。

神も天国も地獄も目じゃない男は、では、いったい何を信じているのか?

《おれが信じるのは、な、スガナレル、二に二を足せば四になる、四に四を足せば八になる、これさ。》

《Je crois que(deux et deux sont quatre,)Sganarelle, et que quatre et quatre sont huit. 》

合理主義というのか実証主義というのか、現前の事実しか信じない、というわけだ。註釈によればこの言葉はオランジュ公(ルイ十四世によってフランスに併合された南仏の公主)が死の床で司祭に向かって吐いたセリフだそうだ。モリエールの時代には盗跖が何人もいたようである。

***

日中、自家用車で買物に出かけた。京都女子駅伝の日だから遠出はせず、近いところだけ。ユニクロに寄って、つぎのドラッグストアに向っていた。信号が赤に変る。ギリギリで通り過ぎ、すぐそばのドラッグストアに駐車した。

何気なく交差点を見ていると、その信号機がずっと赤のままである。反対側の信号は順次、赤、青(緑)、黄、赤、青、黄と点滅するのに、こちら側はずっと赤。おお、これは信号機の故障だ! と少しうれしくなって、ひょっとして交通が混乱するんじゃないか、といらぬ心配をした。

ところが、一瞬、車の列はひるんだが、すぐに平常通りに動き出した。まさにいらぬ心配だった。関西人、赤なんか赤とは思っていない、ということがこれで実証されたように感じた。最近はそうでもないかもしれないが、近畿圏では京都がいちばん信号無視がはなはだしい(一説にはタクシーの数が多いせいだとも言われているものの理由は定かではない)。盗跖まがいが多い、わけでもないでしょうね。





by sumus2013 | 2014-01-12 21:43 | 古書日録 | Comments(0)
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