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なつかしい青山虎之助君![]() ![]() 小島政二郎を取り上げたついでに小島の自筆原稿「なつかしい青山虎之助君」を紹介しておく。どこに発表されたものかは不明。四百字詰原稿用紙五枚に鉛筆書き。 * なつかしい青山虎之助君 こじままさじらう 小島政二郎 あの頃は楽しかつた。 五年近く、私は軍部に睨まれて執筆禁止を食つてゐた。文字通り五年間私は一銭の収入もなく、貧乏のドン底にゐた。その間どうして親子四人食つてゐたのか。私は取つたか見たかに金を使つてゐたから、貯金といふものを殆んど持つてゐなかつた。ヤミなんか出来ず、私は痩せに痩せてしまつてゐた。戦争がもう半年続いたら、私達は榮養失調で死んでゐたかも知れない。 敗戦と同時に、「サンデー毎日」から小説の注文が来て、五年振りに私は原稿料といふものを貰つた。これがキツカケで、戦争前に書いて本になつた長篇小説、短篇小説を新しく出版させてくれと言つて、いろんな出版社が毎日三人も四人もやつて来た。 しかし、いづれも名を聞いた事もない、俄か作りの出版社でーーいや、「社」とは言つても、正しくは出版者と言つた方がいゝ、一人か二人で始めた出版者ばかりだつた。 そんな手合に大事な原稿を渡す事は出来ない。 で、「誰かの紹介状を貰つて来たまへ」 さう言つて帰し帰しした。中には、前金を置いて行かうとする者もあつた。 知人の紹介状を持つて来た人には、ポツポツ本を渡した。出来て来る本を見ると、仙花紙といふ薄ツペラな、うしろのページの活字が、前のページから透いて見えるやうな情けない紙に印刷されてゐた。 それでも、出せばよく売れた。一萬や二萬どころでなく、どの本も五萬十萬と版を重ねた。貧乏だつた私のところも、俄に金が入つて来た。 金にはなつても、そんな古いものの蒸し返しでは、作者としては面白くない。 そこへ現れたのが、新生社の「女性」だつた。寄稿を頼まれると同時に、編輯顧問になつてくれと頼まれた。求められた小説も、純粋の通俗小説でなく、と言つて藝術小説でもなく、あとで出来た中間小説風の小説だつたから、書き映えがあつて嬉しかつた。 私は取ツときの材料で、「六月雪(リユユエシュエ)」といふ長篇小説を連載し始めた。「六月雪」といふのは、「初夏六月の青空のもと、一夜にして枝もたわわに雪(ゆき)が積つたかと紛(まが)ふばかりに素々[ママ]たる白い花を付ける白馨花(すゞかけ)の木、それを中華の俗に『六月の雪』と言ふ」と言ふ前書きを付けて書き出した。さういふ感じの女を書くつもりだつた。 原稿料として一枚百円くれた。一枚百円の原稿料なんて、それまでどこからも貰つた事はなかつた。 顧問を承諾して、一週間に一度顔を出す事を約束したのをいゝ事にして、私は混雑する横須賀線に乗つて度々上京した。東京は盛んに復興しつつあつた。 新生社は活溌に活動してゐた。文藝春秋でさへ、まだ資金が出来ず、佐佐木茂索が東奔西走してゐた。 「おい、誰でもいゝ、十萬か二十萬でも出してくれる人はゐないか」 私の顔を見ると、佐佐木はさう言つた。私は新生社の社長の青山虎之助に頼んで見ようかと思つた。 そのくらゐ[ママ]、新生社には毎日毎日金が入つて来るやうな景気のよさだつた。実際は知らないが、そんな様子だつた。見るから活気を帯びてゐた。 雑誌ばかりでなく、新生社では出版を計画して、次々に書名を発表して予約を募集した。その方の金も振替で送られて来た。 夜になると、東京は真暗になつた。その所々に、ヤミの料理屋が灯をともしてゐた。青山虎之助は、さう言ふ家をよく知つてゐて、中でも一流の家を贔屓にして、よく私達に御馳走してくれた。 後には、寄稿家、或ひはこれから寄稿を頼まうと思ふ作家を十人ぐらゐ[ママ]づつ招待して、盛宴を張つたりした。正宗白鳥なども顔を見せた。 青山虎之助が、佐佐木茂索のやうにもう少し経理に丈(た)けてゐたら、新生社の仕事はあのまま元気に今日まで続いたのではあるまいか。私は時々あの頃の盛んだつた新生社の編輯室の活気を思ひ出して、懐かしさに堪へない。 * (読めなかった文字は「帰し帰し」でした。ご教示に深謝いたします) 青山虎之助について永井荷風の『罹災日録』(扶桑書房、一九四七年)にはこう書かれている。昭和二十年。 《十月十五日 朝九時新生社社長青山虎之助氏刺を通じて面会を求む。 新刊の雑誌新生の原稿を請はる。 言ふ所の稿料鯵鯖と同じく物価騰貴の例に漏れず。 貧文士の胆を奪ふ。 笑ふべきなり。 此の日五叟子好晴に乗じ歩みて根府川辺に至り蜜柑を購ひかへる。 一貫目十五円なりと。》 「笑ふべきなり」は高笑いということだったようである。その証拠に荷風は翌月発行の『新生』第一巻第二号に「亞米利加の思ひ出」を出して、以後毎月のように寄稿しているし、『女性』にも創刊号(一九四六年四月)から寄稿し始める。青山は学生時代からの荷風ファンだったようだから、その得意満面を思いやるべし、というところだろう。 福島鋳郎『雑誌で見る戦後史』(大月書店、一九八七年)によれば、青山は実際に文藝春秋社に対して社員丸抱えのまま引き受けることを申し入れたようである。それに対する佐佐木茂索の返書が図版として掲載されている(内容ははっきり読めないが、まんざらでもない書きぶり)。また福島は新生社の没落の原因について次のように書いている。 《青山虎之助は、三一歳の若さであった。出版活動の他、野坂参三の帰国歓迎大会や、民間憲法研究会等の資金を援助、このあとも多岐に渡っていろいろな会のスポンサーとなったが、このことが新生社の経営に危機を招く結果となった。》 おそらく出版だけやっていても存続は容易ではなかったろう。ただ、青山にとっては思う存分に好きなことができた数年間だった。それ以上望むべくもないかもしれない。 新生社の代表青山虎之助について 神保町系オタオタ日記 http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20100710 女性 創刊号 花森安治の装釘世界 http://sotei-sekai.blogspot.jp/2011/01/blog-post_16.html 『女性』第二卷第九号 http://sumus.exblog.jp/7000962/ 『東京』第四卷第七号 http://sumus.exblog.jp/15095669/ 女性 スタイルブック http://sumus.exblog.jp/17662446/
by sumus2013
| 2013-11-30 21:52
| 古書日録
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Comments(6)
「帰し帰し」のように見えますが。
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終戦直後の出版界がうかがえる面白い文章ですね。
小島といえば、かなり高齢まで生きて、週刊誌のグラビアにも よく登場していました。腰を抜かすような美人のお奥さん、芥川 からもらったというアナトール・フランスのメダルなどがすぐに 思い出されます。
Katさま 有り難うございます。帰し帰しですね、たしかに。
牛津さま 百歳以上生きながらえた方のようですね。
小島正二郎氏の年の離れた細君が、万引き事件を起こして、うなだれて釈明・お詫びをしていたテレビニュースを思い出しました。生理が始まると見境が無くなるという様な釈明内容だったと思います。年を取っても苦労する人が居るのだなぁと印象深く残っています。
柳さま 有名タレントなみですね。その奥さんに最期まで看取ってもらったようですよ。
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