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林哲夫の文画な日々2
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富岡鉄斎碑林

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情けないことながら、先日の臨川書店で買えたのはこの正宗得三郎『富岡鉄斎』(錦城出版社、一九四二年一二月一五日)だけだった。岡本政治の錦城出版社に注目しているのと、やはり富岡鉄斎ということもあって見過ごせなかった。上は口絵写真より「書斎に於ける鉄斎翁」。

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《私の宿つてゐた處は、先生も嘗て住つてゐられた事のある頼山陽の旧栖、山紫水明處の隣りで同じ東三本木であつた。そこから翁のお宅は余り遠くはない。寺町から御所の広庭を通り抜け、蛤御門をくゞつて交番のある角から中立売に出るとすぐ、黄土色の土塀、古風な門に竹の戸が閉つてゐる。それが翁のお宅である。何んでも三十年前の昔、この家の前を通つてゐると、門の處の楓が紅葉して風情が佳かつた。それが第一の縁となつて購はれたとの事だ。喫茶弁を著した小川宗匠可信の旧宅。それからそこにずつと住まつて居られた。床の広い玄関であつた。玄関に亀田窮楽の「福内鬼外」の、板に白字で彫つた木額が掛つてゐた。》

《先生のお宅は三百坪位ある。庭はさ程人工は加わつてゐないが、支那風の亭がある。その亭には先生の描かれた、黒漆塗に朱漆で風竹の額などが掛つてゐて、その前に小流が造られ水道から水が噴出する様になつてゐる。その傍、巽の隅に石の祠があつて、前に朱の鳥居がある。翁は毎朝未明に起き洗面含嗽し髪を櫛けづるて、この祠に詣で天神地祇に礼拝せられる。今一つ艮の隅大木の近くに木造りの社がある。庭の中央にあつて、そこには支那西湖の小梅を移し植ゑられたのが丈余に延びてゐる。乾の處に書籍庫が二つある。以前は木造であつたが、数年前鉄筋煉瓦に改造せられた。それが魁星閣で入口に魁星の図と、字が緑青と朱で刻してある。中には書籍、軸、謙蔵氏蒐集の古鏡が陳列してある。書籍は帙があつて中の本が出てゐるもの、箱丈になつたもの、翁が毎日こゝを漁つてゐられる事が判る。》

富岡鉄斎邸跡
http://sumus.exblog.jp/14588833/

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《其後再び先生を訪問した時、蝸牛の宿の様な画室を見せて貰つた。室は十畳敷位の粗末なもので室の中は書籍が一ぱい積まれて、翁の居られる處は畳一畳敷位空いてゐる。そこに汚れた白毛氈が敷かれて、筆洗、硯箱がある。》

《翁は自ら書癖と書いてゐられる。書籍についてはまるで書狂であつた相だ。富田渓仙君が私に話したのに、六角堂に毎月書籍の市が立つ。自分(渓仙)もその日は朝早く出かけるのだがいつも鉄斎さんは先きに来てゐる。そしてまるで書籍の上を馬の様に這つてゐる。そして本を見てはぽんぽん投げ出しててゐる。どんな本を探し索めてゐるのかと思つて見ると、何んでもない本なのだが、何か一つでも眼を惹くものがあれば買つてゐる。》

《夫人に訊くと、翁は書籍を読まれるのが実に早い相で、あの老眼で、どんどんめくつて見られる。つまり何か索めてゐられるのだらう。さうして中の必要の事は抜書するか、本に記入される。他の本と照り合せた事が本に記入されてある。又その本が函に入れてあると、その函の蓋さへ見れば中にどんな事が書いてある本か解る様になつてゐる。その函書きが仲々振るてゐる。画まで描かれある。後年は多く画に関する書物を集めてゐられたと大阪の鹿田書店の主人が話してゐたが、兎に角本は非常に好きで、老年生活の楽しみは新たな書物を得られるゝ事であつたらしい。あの蔵書庫は翁の一大事業と云へる。》

富岡家の売り立てに関しては反町茂雄『一古書肆の思い出』に《入札に付されたコレクションとしては、これまで最高最大のものでした》とあるということについてdaily-sumusのコメント欄で触れたことがあるが、とにかく大変なものだったらしい。

六角堂で古本市が毎月開かれていたとは知らなかった。旧の京都古書組合は六角堂のすぐ近くにあったからそういうことになったのだろうか? 

ここで昨日の足立巻一『石の星座』を再びひもとく。「富岡鉄斎碑林」。鉄斎の墓はかつて京都四条寺町の大雲院墓地にあった。高島屋のすぐ裏手(現在は西京区大原野上里北町の是住院に移されている)。

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釈浄敬は鉄斎の四代前の祖以直で石田梅岩の高弟だったとのこと。その隣が鉄斎夫妻の墓。

《表面の碑銘は、京大教授だった東洋学者内藤湖南の筆である。裏面には「天保七年十二月十九日生」「大正十三年十二月三十日卒」と二行に彫られている。格調の高い筆跡で、墓石全体が端正で、鉄斎のそれにいかにも似つかわしい。》

《鉄斎の墓の隣りは一子謙蔵の墓である。形は同様だけれど、高さ約五〇センチ、幅約二三センチとかなり小さい。「富岡謙蔵之墓」とだけ彫り、裏面には「大正七年十二月三十日 享年四十六」とある。文字は鉄斎である。謙蔵は桃華と号し、中国学を専攻して、中国書画金石についての研究に深く、京大講師であった。鉄斎はつねに画人ではなく儒者であり、儒をもって世に裨益しようとするものだと称していた。謙蔵はその志を継いだもので、それだけ、鉄斎の鍾愛と期待とを受けていたが、父より早く早世したのである。剛毅な鉄斎にも悲嘆は大きかったと思われる。それで小ぶりながらみずから石を選び墓銘を書いたのであろう。まさしく、鉄斎の造形である。》

富岡謙三
http://sumus.exblog.jp/14728348/

足立は鉄斎が揮毫した墓銘や碑文はたくさんあるので「鉄斎碑林」となるだろう、それらを拓本にとって長く保存したいものだと締めくくっている。たしかに鉄斎の書いた看板も多い。面白い本ができるかもしれない。

富岡鉄斎揮毫碑 京都クルーズ・ブログ
http://office34.exblog.jp/17907506
by sumus2013 | 2013-11-06 21:04 | 古書日録 | Comments(0)
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