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林哲夫の文画な日々2
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田端抄 其伍

田端抄 其伍_f0307792_19304649.jpg

矢部登さんの『田端抄 其伍』(書肆なたや、二〇一三年一一月)が届いていたのだが、あれこれ読まねばならない本、紹介しておかなければならない本に追われたため、今日になってようやく読了できた。これまでも毎号紹介してきたが、こうやって好きな作家や画家のことを調べ、その旧跡を歩き、文章につづり、冊子を作って同好の士に配る、なんともアナクロおよびアナログ。しかし、絵好き、本好きにとってこれ以上の悦楽はないとも思う。

今回は谷中安規、清宮質文、古川龍生、小杉放菴、結城信一、村山槐多、佐藤春夫、中戸川吉二らが登場。古書探索や文学散歩もあいまって彼らがじつに身近な存在として描かれている。なかでも小杉放菴にはかなり紙幅が割かれており、小生としてはこれまであまり注意してこなかった画家だけに興味深く読ませてもらった。注意していなかったと言っても、大阪の出光美術館で放菴展を見たことは印象深く記憶している。まとまって放菴に接して、端倪すべからざる作家と思ったのは間違いない。そのときに買ったのかもしれない、忘れてしまったが、上の絵葉書は出光美術館製である。「荘子」と題されている。

矢部さんは放菴の邸宅(現在は田端区民センターなどになっている)について詳しく書いておられ、そこにこのように言ってある。

《放菴邸は、南側の谷田川と北川の道路に区切られた一廓で、敷地は二百坪あった。道路側の網代垣の中央に門があって、なかにはいると、井戸があり、右手の玄関をまんなかに南側は住居、北川には画室が建つ。いずれも日本家屋の建物で、住居の一部は二階家であった。門の左手にもうひとつの入口があり、目かくしの垣根にしきられた二軒の平屋の家作が南北にある。谷田川に面した庭は敷地の三分の一ほどを占めており、石榴の木のしたに石がすえられている。放菴が男鹿半島への旅でみつけて気にいり、送ってもらった大石である。池が掘られ、ポプラの木が多く植えられていた。その庭さきから川へおりられる。川のむこうには畑がひろがっていた。》

東北本線の王子駅の近くということなのだろうか、この辺りの地理にうといのではっきりとはイメージできないが。それよりもこの「大石」である、問題は。矢部さんも

《またあるときは、石に腰かけた黒衣の《良寛》であった。
 ごぞんじ、芥が龍之介の「東京田端」に「竹の葉の垣に垂れたのは、小杉未醒の家」とある。竹が植わっている傍の大石にこしかけた旅すがたの放菴の写真が木村重夫『小杉放菴伝』のなかにあったっけ》

とこのように書いているが、どんな大石だったのか写真を見てみたい。「荘子」が座っているこの石のようなものだったのだろうか。

田端抄 其伍_f0307792_19303879.jpg

そしてもうひとつ教えられたのが谷中安規の版画「動坂」についてである。図録『谷中安規の夢』(渋谷区立松濤美術館、二〇〇三年)において瀬尾典昭氏が「動坂にショーウィンドーの剥製はあったのか」と題した「動坂」に関するエッセイを寄せておられるが、瀬尾氏は結論として《どうも、この動坂のこの場所にはなかった可能性が強いというのが調査の結果である》と書いておられる。矢部氏はその発言を踏まえつつ、弥生坂にある鳥獣剥製所に言い及ぶ。

《その日は、鳥獣剥製所の白い看板とショーウィンドーのまえにたちどまり、あらためて見入った。八十年前、谷中安規の幻視した《動坂》が眼のまえにあることに驚愕したのだった。不況からぬけだせぬ平成の時代に、谷中安規は甦り、街なかをほっつきあるく。そのすがたが、ふと、よぎる。弥生坂の鳥獣剥製所あたりで、まぼろしの安規さんと袖すりあわせていたかもしれぬ。》

この鳥獣剥製所は小生も覚えている。たしか弥生美術館を訪れたときに、この前を通り、「へ〜、こんな店があるんだなあ」と驚いたのである。それがすぐには谷中安規にはつながらなかったけれども、おそらく十年ほども隔てた今ここで矢部さんの導きによってつながった。なお、矢部さんも、弥生坂の鳥獣剥製所は戦後にできたもののようだから安規のモデルではなかっただろうと言う。
by sumus2013 | 2013-10-30 20:47 | おすすめ本棚 | Comments(4)
Commented by 某氏です。 at 2013-10-30 22:43 x
谷中安規の「動坂」、正面の月?のなかの伽藍?は
昭和32年に燃えた谷中の五重塔のような気が。
たしか大竹新助「写真文学散歩」(現代教養文庫)に
おなじような構図の写真があったような気がします。
となると、この坂は団子坂?
松本竣介の絵のように、あちこちの風景を一枚に
組み合わせたのでしょうか。
(記憶違い、勘違いだったらごめんなさい)
Commented by sumus2013 at 2013-10-31 20:15
矢部さんは「《動坂》にえがかれる構図は、動坂の東、団子坂から薮下通りをぬけて根津権現裏門坂、弥生坂の坂上からのながめとおなじであったろう。かつては、団子坂上の観潮楼址から、本郷台と上野の山のあいだにひろがる谷間に、谷中天王寺と上野寛永寺の五重塔がみえたはずである」と書いておられます。
Commented by 某氏です。 at 2013-10-31 20:54 x
ご返事ありがとうございます。しかし・・・おなじでしょうか(笑)。「田端抄」を拝見していないので申し訳ないのですが、動坂(都立駒込病院の前の坂)から谷中天王寺(谷中霊園)の焼失した五重塔、また上野寛永寺の五重塔は、かなり右に首を廻さないと(というより、ほとんど真横)見えない位置ですね(ヤフーあるいはGoogleの地図をご覧ください)。安規の版画にあるように、正面というのは、それもむしろ、坂の上から見て左側にあるというのはどうなんでしょう(笑)。しつこくするつもりはないので、これでやめます(笑)。
Commented by sumus_co at 2013-10-31 21:36
おっしゃる通りです。安規がどう絵を作ったかは別としても、ここはもっと厳密に位置関係を考えてもいいところですね。
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