林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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狂気の愛2

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『狂気の愛』で面白いと思ったのはブルトン流の「掘り出し」である(これは「ナジャ」にもあった)。ブルトンはこういう言葉を使っている。

  la trouvaille d'objet

「trouvaille」は「思いがけない発見」ということだから「掘り出し」の原義とされる「ものの真価を見出す、隠された価値を見出す」にかなり近いと考えていいだろう。

掘出しもの

ブルトンが彫刻家のジャコメッティといっしょに蚤の市を散歩していたときのこと。一九三四年の春。いろいろな品物があふれているなかにあるものを見つけた。

《ほんとうに我々を惹きつけた最初のもの、「ジャメヴュ(初めて見る)」だと思われたもの、は、どうやって使うのかまったく見当もつかないが、ガッチリした様子に驚かされた金属製のハーフ・マスクだった。すぐに考えたのは、まったくの気まぐれな思いつきにすぎないが、中世の兜の非常に進化した子孫が目の前に現れたのではないか、ということだった。》(拙訳)

それがこちら。溶接用のマスクだろうか。

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《このオブジェのはっきりと目だった特徴は、売り手の理解を超えていたように思われたとは言え、彼はそれを買うようにひつこく迫り、派手な色に塗ったらいいんだとばかりランプにかざしてみせたりした、ジャコメッティは、いつもならそんなオブジェを所有したいなどという考えを起こすようなことはないのに、後ろ髪を引かれて、次へ行く道々くよくよしているように見受けられたが、ついにそのマスクを手に入れるため、きびすを返したのだった。》(拙訳)

ブルトンの文章はだらだらしていて訳しにくい。おおよそこんな意味だと思うが、間違っていたらお許しを(いずれ海老坂訳を参照してみたいと思います)。いずれにせよ、こういう「偶然の出会い」「発見」ということがシュルレアリスムという考え方の一つの特徴なのだ。「survenir 不意に来る、突発する」という語も何度か使われているように「venir(来る)」に「sur(上に)」が付くのである。それこそ「シュール(シュル)」なのだ。

# by sumus2013 | 2019-02-15 20:35 | 古書日録 | Comments(0)

花森書林

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二月七日に開店したばかりの花森書林へ足を伸ばす。神戸元町駅、花隈駅からすぐ。少し路地を入っているが、それがかえって落ち着く感じ。トンカさん、店頭で開店祝いのお花の水切りをしておられた。もともと倉庫に使っておられた場所だそうだ。広々として見やすい。

おそらく開店直後はそうとう混雑したのではないか、もうあらかためぼしい品物はさらわれた後だろうな、まったく期待せずに棚を見て行った。それでもアレコレ目に付くモノが。懐の広い本屋さんである。今後は、花隈の古書会館も近くなったので、黒っぽい本を充実させて行きたいとトンカさん。楽しみだ。

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しばらく漁っていると、男性が風呂敷包みをいくつも抱えて入ってきた。トンカさんが紹介してくれる。椿崎和生さんであった。明日から花森書林の壁を使って「椿崎和生小品展」(〜2月28日)がはじまるため、その搬入に来られたのだ。

椿崎和生 無用商店

お会いするのは初めてだが、以前から作品のファンだったので、搬入の様子を本棚の脇から邪魔にならぬよう観察させていただく。もう手馴れたもの。壁に見当をつけると、釘をトントン、作品をサッと引っ掛けて、つぎつぎに展示して行く。位置はほとんど直さない。微妙にズレているのも妙に味になっている。三十点ほどを一時間弱で展示してしまう。まだまだ壁のスペースは空いているため、明日も追加を持ってくるそうだ。

木に彩色した作品が多かったが、布や糸、植物、金属など、なんでも使えるものは使うという作風で、シュールな作品もあれば抽象的、構成的、素朴派などなど、さまざまな要素が椿崎氏のなかを通って排出されたという感じ。それが椿崎風味に変わっているから、唸ってしまう。花森書林にもピッタリくるのである。

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展示が終了してチェックする椿崎氏



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# by sumus2013 | 2019-02-14 20:30 | 古書日録 | Comments(0)

河東碧梧桐展

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河東碧梧桐展におじゃました。一昨年五月についで二回目の開催。上図の飲中八仙歌をはじめ句軸などは碧梧桐が渡欧するにあたって世話になった素封家に元にあったものだそうだ。短冊も多数並んでおり、初期から晩年まで書風の違いを一望できる貴重な機会。それらは販売もされており、そう高くもない。今、碧梧桐はなぜか評価が低いそうで、そういう意味では買い時でもあろう。よだれが出たが、かろうじてよだれで止めておいた。

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その代わり、MORIS特製の碧梧桐缶バッヂを二個求めた。どこを取ってもサマになる文字ではある。

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河東碧梧桐展
2019年2月9日(土)〜2月17日(日)
MORIS
神戸市灘区八幡町2丁目10−11メゾン六甲202


# by sumus2013 | 2019-02-14 19:55 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

狂気の愛

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アンドレ・ブルトン『L'amour fou 狂気の愛』(folio, Éditions Gallimard, 1978)をなんとかかんとか読了した。『ナジャ』ほどスリリングなところはなく、おのろけに終始する感じ。前書き(無署名ながら簡潔な文章で感心させられた)にはこう書かれている。

《『狂気の愛』の中心である、ジャクリーヌ・ランバとの出会いは、一九三四年五月二九日だった。これは同時にシュルレアリスムが国際的に認められたときでもあった。プラハへの、そしてカナリー諸島への旅(それらは第5章参照)。ブルトンとジャクリーヌの娘オーブが一九三五年末に生まれた。本書の最終章は娘に割かれている。》

ということで、ジャクリーヌとの出会い、結婚、新婚旅行、娘の誕生・・・人生最高の時をブルトンは過ごしていたのかもしれない。幸せは似通っている・・・だったっけ? まあ、不幸の方が面白い。

ナジャとお雪

松本完治著編訳『シュルレアリストのパリ・ガイド』(エディション・イレーヌ、二〇一八年一一月一〇日)によれば

狂気の愛』におけるブルトンとジャクリーヌの《向日葵[ひまわり]の夜》に歩いた道筋は、錬金道士の探求と軌を一にしていると言わざるを得ない。愛する女性、すなわち自然の再生と豊穣を表すメリュジーヌというべきジャクリーヌ(彼女は実際にナイトクラブで働く水中ショーの泳ぎ手であった!)とともに、ブルトンは偶然にも、中央市場[レ・アール]から聖イノサン墓地があったイノサン広場へ、そしてサン=ジャックの塔へと、錬金術の歴史の道筋を歩いていくのである。そうして夜が明けた頃、二人はシテ島の花市場へとたどり着く。》(松本完治「幻視のパリ散歩へーー緒言に代えて」より

ということだし、あるいは本書に訳出されているエマニュエル・ルビオ『アンドレ・ブルトンの失われた歩み」は

《1934年春の《向日葵[ひまわり]の夜》は、深夜にアンヴェール広場から始まり、二人の最初の新たな夜明けに、コルス河岸までたどり着く。この恋人たちが近づき、私たちが塔からたどり着いたこの花市場ほど、再生の象徴として、いわば秘儀伝授のような輪廻を表すのにふさわしいものはないだろう。》

と書き狂気の愛』の一節を引いている。ついでだから、ここでもそのろけぶりを引用しておこう。

《わたしたちの足もとに広がるこの豊かな宝物は、これをとおして、いやそれ以上に当然あなたをとおして、生がわたしにささやく豪華な口説き言葉として、かならず解釈されるだろう。それに、ブロンドに輝く髪のあなたは、朝の薄明のなかの肉体もすばらしく魅力的なので、あなたはこの花開く宝物と一体をなしている、いくらそんなふうに言い添えても言い足りないくらいだ。》(海老坂武訳、本書に引用されている)

これは、良し悪しは別にして、苦心の訳である。まあ、こんなおのろけとは別に、小生も興味を惹かれた部分はいくつかあった。(つづく)

# by sumus2013 | 2019-02-13 21:49 | 古書日録 | Comments(0)

TH works オープン

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TH works
https://thworks.thebase.in


BASE というネットショップに「TH works」というショップをオープンしました。画家=林哲夫のオブジェ、コラージュ、水彩小品、版画などがお求めいただけます。今後、徐々にアイテム数を増やして行きたいと思っております。管理人は art-tsuma ですので、どうぞよろしくお願いいたします。

絵を売るオンナ



***



◉善行堂のブログはハテナブログへ移りました。



# by sumus2013 | 2019-02-12 17:22 | 画家=林哲夫 | Comments(0)

TOSHIKO AT TOP OF THE GATE

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TAKT JAZZ シリーズの秋吉敏子クインテット「"トップ・オブ・ザ・ゲイト"の秋吉敏子」(日本コロムビア、2012. 元盤は1969年発売)を聴く。カバー・イラストは和田誠。

秋吉は一九五三年に来日したオスカー・ピーターソンに認められ、五六年にバークリー音楽院に入学してアメリカでの活躍を開始した。

《秋吉さんのピアノ・スタイルは、日本にいた頃、たまたま駐留軍兵士としてやってきていたハンプトン・ホーズに学び、開眼したものとされていますが、ハンプトン・ホーズという人は、バッド・パウエル、チャーリー・パーカー直系の有能なバップ・ピアニストでした。つまり彼女はホーズを通じて、バッド・パウエルを学び、そこから彼女自身のオリジナルなスタイルを創り出したといえます。大体モダン・ジャズの時代になってから輩出したピアニストの数は決して少なくありませんが、女性ピアニストは皆無に近い状態でした。そこにキモノ姿(ジョージ・ウィーンの演出もあったことであろう)の日本女性が、女性とはおもえないような強じんなタッチで、本格的なバップ・ピアノを披露したものですから、アメリカのミュージシャンもファンもアッといったのは当然でした。》(解説:野口久光)

このアルバムの一曲目、「イントロダクション」がどこかで聞いたようなメロディなんだなあと思って口ずさんでいると「ルパン三世のテーマ」? と思い当たった。そちらの作曲者は大野雄二、バップのジャズ・ピアニストだからテイストが似通っていても不思議ではないと納得。なんとなくなつかしい感じがしたのもそんなところからかも。

***

グラミー賞、ほとんど興味ないが、今回はツッペリンの再来と話題になっていたグレタ・ヴァン・フリート(GRETA VAN FLEET)が受賞するかどうか、ちょっと気になった。四部門ノミネートのうち結局「FROM THE FIRES」で最優秀アルバム賞を受賞したようだ。ツッペリンには程遠いけどね・・・




# by sumus2013 | 2019-02-11 19:45 | おととこゑ | Comments(0)

暁別恋

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これは少々傷んではいるが、素性の知れた短冊である。この短冊が貼られた台紙には「園 従一位基福公」と但し書きがある。

園 基福(その もとよし)は、江戸時代前期の公卿。権大納言・園基音の子。霊元天皇の外伯父。主に明正天皇(109代)から東山天皇(113代)までの五帝にわたり仕えた廷臣で、官位は従一位准大臣まで昇った。園家14代当主。

寛永3年(1626年)叙任。以降累進し、侍従・左近衛少将・左近衛中将・蔵人頭を経て、慶安2年(1649年)に参議となり公卿に列する。その後踏歌節会外弁・権中納言を経て、万治3年(1660年)に権大納言となる。寛文9年(1669年)に権大納言を辞すと、貞享3年(1686年)には従一位に昇叙。霊元天皇の外伯父にあたる事から、権中納言を極官とする園家としては異例の准大臣宣下を蒙った。》(ウィキ)

折口信夫は「鶏鳴と神楽」で「暁別恋」と言えば鶏を引き合いに出すのは明治大正にいたるまで和歌のクリシェにすぎないが、じつは昔はもっと大事な役割があったと述べている。なるほど型通り、この短冊にも「鳥の音」という言葉が見えている。

# by sumus2013 | 2019-02-10 20:47 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

菱 矢部公章追悼号

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鳥取市の手皮氏よりいつも頂戴している詩誌『菱』(詩誌「菱」の会)の204号(二〇一九年一月)が届いた。矢部公章追悼号となっている。本誌に掲載されている矢部氏の略歴は以下の通り。

《一九五六年七月 鳥取県八頭郡丹比村(現・八頭町)に生まれる。鳥取大学文芸部に属し、部誌「砂丘街」「多島海」にて詩作。同大四年生より「菱」に参加。鳥取県現代詩人協会・中四国詩人会会員。二〇一八年八月逝く。詩集「七つめの疑問詞」(二〇〇五年 菱の会)「にわたずみ」(二〇一八年 土曜美術社)「えがお」(二〇一八年 菱の会)

昨年、『にわたずみ』も『えがお』も頂戴していた。小生と同世代で(『菱』のなかではもっとも若いとのこと)共感する作品も少なくなかった。なかでは「台秤」はまさに小生のことではないかとビックリした。にわたずみ』より、「台秤」全文。

 きょう台秤を捨てた
 柿の木は残らず切ってしまったし
 田んぼはとうから人に任せきりだ
 最後に何を載せたのか
 最後に量ったのはいつなのか
 台秤の思い出を尋ねるには
 母は体も心も軽くなり過ぎた

 収集場から立ち去るまえ
 ふと台を手にとった
 別れの挨拶をするかのように
 台が頼りなげに揺れていたから
 裏返すと
 そこには父の名があり
 昭和三十八年吉日購入と記されていた
 マジックインキの父の筆跡は
 怖いくらいに几帳面でそして新しい

 米俵を載せ
 まるい分銅を何枚か吊るす
 棹は浮遊するように上下動を始める
 少しずつ米を加減してやると
 やがて棹は水平に鎮まる

 五十年前
 父にとって高い買い物をしたはずのその日は
 どんな良き日だったのだろうか
 小学生の私には
 父が営む生活の重さを量りかねたし
 父は私の振舞いを量りかねていた

 父よ 台秤の棹のように
 あなたと私が釣り合うことが
 一度でもあっただろうか
 あの頃交わした言葉も記憶も
 もう台秤には載せられない
 だから五十年後のきょう
 あなたがずっと捨てられないでいたものを
 私は捨てる


我が家にも台秤があった、ひょっとしたらまだあるかもしれない、今度探してみよう。矢部氏は収集場へ持ち込んだわけで、小生もかなり多くのものを同じような場所へ運んだが、昨年末の「父の仕事場」展では、どうしても捨てられなかった道具類を、もっとずっと広く拡散できたのではないかと自己満足している。

にわたずみ』の「あとがき」にはこうある。

《ところがこの二〇一八年初旬に、胆管癌ステージIV、平均余命一二か月という告知を受けることになった。このあまりに過酷で絶望的な状況が誰でもない他ならぬ自分自身に降りかかってきたことを受け入れざるを得ないと悟ったとき、第二詩集の編集を直ちに始めようと決意した。私という一人の人間が確かに存在したということを詩集の出版によって証しておく。それこそが残されたあまりに少ない時間のなかで私にできる仕事だと考えたからだ。

そしてこの後すぐに第三詩集『えがお』も上梓する。その「あとがき」より。

《わずかに二十編というささやかな詩集となったが、これが今の私に残されている力のすべてである。この詩集を編むことで私は自分の生を支えようとした。その意味で私に見切りをつけないで最後まで寄り添ってくれた詩というものに対し何より感謝しなければならない。》

自分のこととして考えたとき、こんなふうな「あとがき」が書けるだろうか、そもそも本など出せるだろうか、あるいは絵を描けるだろうか。手皮小四郎氏の友情をも思う。


****

うらたじゅんさんが亡くなられたと善行堂の日記を読んで知る。ショックだ・・・。

うらたじゅん twitter

うらたじゅんの道草日記



# by sumus2013 | 2019-02-09 20:02 | おすすめ本棚 | Comments(0)

萬職圖考

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京都の古書会館で本日から始まった古本まつりをのぞいてきた。けっこうな人出だった。オタさんにもお会いした。

第5回古書会館de古本まつり
http://koshoken.seesaa.net/category/23649937-1.html

あまり期待はしていなかったが(いい本が多いのですが、お値段もちゃんとしています)思いのほか、五冊も買ってしまった。そのなかにの一冊を紹介しておく。『萬職圖考』(河内屋茂兵衛)初編。ボロボロなのにカゴに入れたのにはわけがある。それは、二篇を持っているから。

「万職圖考ニ編」

二篇を手に入れてから初編に出会うまで四十年近い歳月が流れた。五篇まであるので全部揃えるには後何年かかることやら・・・て、べつに揃えるつもりはないけれど。念のために調べてみると目下「日本の古本屋」に河内屋版の三・四篇、群玉堂の五篇が出ている。これら三冊を注文すれば四万円以上にはなるものの揃えることは可能なのだ(今日買った初編が八十冊買えます)。

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帰途、京都文化博物館に立ち寄って「小牧源太郎」展を見た。これは見ておきたかった。京都(京丹後)生まれのシュルレアリストとして知られる小牧源太郎(1906-1989)、この作家には一度、京都の画廊でお会いしたことがある(アートスペース虹だったはず)。一九八九年に亡くなられているからその何年か前だろう。「この人があのキテレツな絵を描くのか!」と驚いたほど静かなごく普通の風体をしたご老体であった。好印象を受けたと言える。今展では、シュルレアリスムの作品も嫌いではないが、初期の「城崎風景」(一九三五)や独立美術京都研究所時代の裸婦像などが好きだ。寄稿雑誌などの資料類も多く並べられており、よくまとまった展覧会だと思う。三月三日まで。

小牧源太郎展


# by sumus2013 | 2019-02-08 21:12 | 古書日録 | Comments(0)

山上宗二記

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『山上宗二記 付 茶話指月集』(岩波文庫、二〇〇八年版)を先日の「茶壺」のところで少し引用したが、これは非常に面白い本だった。千利休の生き方と美学を、弟子の山上宗二(やまのうえそうじ)が書き留めた内容で、後継者たちのための秘伝書という性質も持っている。宗二も秀吉に睨まれて逃げ出し、北条を頼ったが小田原の陣の最中に耳と鼻をそがれて死んだという。利休が切腹させられる一年前(天正十八)のことである。

長らく読もうと思っていて、通読できないでいた。利休にあまり共感できなかったからだ。しかし読んでみると、「美」に憑かれた人間というのは、いつの時代も変わらない、どうしようもない奴らなんだ、ということがよく分かる。

「一期一会」という言葉は『山上宗二記』から出たようだ。利休は「一期一度」と言ったらしい。

《一期ニ一度之参会之様ニ亭主ヲしつして可威ト也》(又十体之事)

これを井伊直弼が『茶湯一会集』で一期一会と改めた。

「目聞き」という言葉もたびたび出てくる。『茶話指月集』では「目剣(めつるぎ)」ともある。目利きの鋭さが剣のようだ・・・これは注意深くものの微妙な違いを見分ける、という意味らしい。目利きに関係して「掘り出す」という言葉も使われている。名物の茶壺を数え上げた「大壺の次第」に出ている。

《一 兵庫壺 御本所様ニ在、
 此壺荒木摂津守掘出壺也》

どうすれば「目聞き」になれるかというと

《惣別茶湯ニハ昔ヨリ以来無書物、唯古唐物ヲ多ク見テ上手之茶湯者と節々為参会、作分出シ、昼夜茶湯ニ数寄覚語(悟)、之師匠也》

実践あるのみ。古い唐物、唐物は中国から輸入された様々な美術品のことだが、いいものたくさん見て(使って)学べ、ということで、昼も夜も没頭するのが上達の早道であると。結局これも今もって変わらない美術修行の道ではある。

ただ一番のキモになるフレーズはこれ。

《山ヲ谷西ヲ東ト茶湯ノ破法度物ヲ自由ニス》

山を谷とし、西を東とする。ようするに「さかしまに」、決まりごとを無視する、常識を破る、ということである。利休は、宗二もまた、秀吉から死へと追いやられたわけだが、その根本の原因はこの思想(美学)そのもに宿っていたわけだろう。

宗二は、利休という天才だからできること、凡人が同じことをすればそれは「邪道」におちる、と付け加えることを忘れていない。自分のことは棚に上げて。

# by sumus2013 | 2019-02-07 21:15 | 古書日録 | Comments(0)