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昭和前期蒐書家リスト

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『昭和前期蒐書家リスト 趣味人・在野研究者・学者4500人』(編集発行:トム・リバーフイールド、2019年11月24日)を頂戴した。これはちょっと凄いリストである。

《本稿は『日本蒐書家名簿』(日本古書通信社、1938)など6種の蒐書家名簿のデータを統合し、見出し人名の五十音順に排列したものである。収録した見出し人命は延べ4,943人だが、同一人物と思われる重複も厭わず掲出した。重複を省くとおよそ4,400人となるので、副題を「趣味人・在野研究者・学者4500人」とした》(凡例)

項目は、名前(ヨミ)、居住県、住所、典拠、蒐集分野。都道府県別の人名一覧も備えている。香川県からは二十七名が挙がっているが、小生に見当がつくのは宮脇千代くらい。以前ここでも取り上げた。

四国古書通信

さらにざっとめくっていてふと目が止まったのが肥田弥一郎。住所が大阪市南区久右衛門町12となっている。出典は「1935千里」で、これは集古会会員名簿の『千里相識』(集古会、一九三五)。蒐集分野は空欄。これは肥田渓風であって肥田皓三先生の父上。いやあ、便利だ。

例えば試しに、前に取り上げた『陳書』第十四輯の目次の人物を引いてみると、黄土色にした人名が見えないだけ。十人のうち六人の基本情報が分かったし、松井佳一が有名な蒐集家だったことも判明する(重複して収録されている)。

忍頂寺静村
松井佳一
鷲尾正久
川嶋禾舟
柳田義一
増谷石上麿
杉田顕誠
鷲尾三郎
前川清二
岡部文蔵

解説として収められている書物蔵「昭和戦前期蒐書家リストの構成と活用法、そしてこれから」も人名検索について非常に参考になる。今後もまだまだ増補されて行くようなので、それも楽しみだが、まずはこのリストを活用させていただこう。

# by sumus2013 | 2019-12-09 20:48 | おすすめ本棚 | Comments(0)

ペガーナ・コレクション第2巻:芸術論

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ダンセイニ卿『ペガーナ・コレクション第2巻:芸術論』(稲垣博訳、書肆盛林堂、二〇一九年一一月二四日、表紙デザイン=小山力也)読了。

芸術論というタイトルから感じられるほど小難しいものではなく、どちらかというと単純な論理で、読みやすかった。アイルランドや英国の文学に詳しければ、なおさら面白く読めるだろう。

ダンセイニ卿が今日の文章表現について憤慨していることがふたつある。ひとつ、名詞の過剰な使用。もひとつ、カンマの濫用。後者の一部を引用してみる。

《私は王立文学協会の絵画室におり、一枚の絵画を眺めているところを想像している。その絵は協会に寄贈された一枚だ。そこで私は絵画の変質を認め、そこにハエがついていると言う。ハエなど絵画からいつでも取り除けるものだ。しかしそれは、厄介なものであり、そのいくつかは永遠にそこにとどまるのだ。私がここで比喩としてお話ししたものは、「カンマ」であることはご理解いただけるはずだ。それは印刷屋のオフィスやタイピストの間で蔓延し、そのみすぼらしい滴下物で作家の原稿を汚すのである。すべての小さくてうるさいものと同様、カンマも好みを有しているのだ。ハエが目尻や手の傷などに来るように、カンマは「多分」(perhaps)という言葉の周囲に群がって来るのだ。この有害なペスト菌は、ほかにも多くの、速攻を仕掛けるべき言葉を知っている。しかし私は、この言葉以上に害を及ぼす言葉を知らないのである。もしあなたが「私は多分明日、ロンドンへ行く。」("I am going to see London, perhaps tomorrow.")と書いたとする。あるいは、「私は明日、多分ロンドンへ行く。」("I am going to see, perhaps London tomorrow.")と書くかも知れない。このどちらを書くにせよ、世代を超えてカンマを産み、育んで来た軒先から、一対のカンマが降りてきて、「多分」(perhaps)という言葉の両側に張り付くのである。そしてそれは、鉛筆文字が書かれたノートの上に落ちたハエのように、文章を不明瞭なものとするのだ。》(廃墟のなかで)

先日引用したオーウェルも蝿を嫌っていた。英国はよほど蝿の多い国だったのか(むろん日本も昔は蝿だらけだったが)。

《アフリカの旅行者と彼の旅行目的の間には、恒に目に見えぬ虫のベールが懸かっているのである。それは通常、ただ癪に障るだけのものであるが、時に旅行計画を破綻させるものなのだ。同じように作家と読者の間にも、湿地で育ったハマダラカではなく、印刷会社の事務所で育ったカンマという微小な虫が常に存在しているのである。その虫にとって、いくつかの単語は蜜のようなものであり、例えば perhaps(多分)という単語を使う作家には、その虫が大挙して群がり来るのである。》(ドネラン講義、芸術の三つの形態 I 散文)

《印刷屋の見えざる手が意味を歪めてしまうのは無論であるが、このように一定の単語の前後にカンマを打つことは破壊的な行為なのである。》(同)

《印刷工にとってニュアンスや意味などは皆、同じものであり、それはパチンコを持った悪童にとっての窓ガラス同様、尊いものではないのである。》(同)

《多分印刷工は文章を最後まで読まないのであろう。そして今のように印刷工との共同作業が続く限りはこのような意味破綻はなくならないであろう。》(同)

印刷工は毛嫌いされたものだ。誤植読本に増補したい文章である。また、シェイクスピアについて次のように書いているのが印象に残る。

《かつて私は彼の正体を覗き見たと思えた時があった。それは『テンペスト』が彼の遺作であると知った時である。その作品では嵐を呼ぶ魔術師のことが語られる。その魔術師は自分の娘の恐慌を鎮めるために嵐を和らげるのだ。そして作者は遺作の最後の頁で魔術師みずからの杖を大地のなか、何尋もの深さに埋める準備をさせる。魔術師は錘も届かぬ海中深くに沈めるのだ。そこに私はシェイクスピア自身の隠れた一面を見たように感じたのである。それは少なくとも彼自身の内なる感情であり、彼は休息を渇望しており、そこにはもう二度と戯曲を書かないという決意が込められているのである。》(ドネラン講義 II 詩)

もうひとつ「ウェントワース婦人の詩 時代に見過ごされたもの」の末尾に【参考掲載】としてウェントワース婦人のチェスの詩が挿入されている(下記)。レイディ・ウェントワースは16代ウェントワース男爵夫人で詩人、アラブ馬のブリーダーでテニスプレーヤーだったそうだ。彼女はバイロンの曽孫にあたり、父のウィルフリット・ブラントも詩人、作家であった。ダンセイニはこの文章でその忘れられた詩人を《彼女の詩は、まわり一面何もない砂漠の真中に屹立しているのである》と激賞している。


 LIFE AND TIME

Life is a game of chess we play with Time,
Who cannot err. Our Royal pawns begin.

But overset in turn by craft sublime
There is no gambit known by which we win.
Our Knights of love, our castles in the air,
Time takes them every one, for all our skill.
Entrapped or forced to some more dangerous square,
Our pieces fail us, play them as we will.

The game goes on. Awhile there is a word
Of check and counter check in brave display;
A moment our defences hold the board,
A moment yet and they are swept away;
Till over-matched, in desperate case we wait
Alone upon the board the last Checkmate!

人生を人と時の対局とみたてた内容だが、チェス用語がたくみに用いられているところが注目すべき点だろう。じつは、ダンセイニ卿はそうとうなチェスの腕前を持っていた。ウィキによれば、なんとカパブランカと対局して引き分けたというではないか。チェスでは勝敗より引き分けの結末の方が圧倒的に多いが、それでも天才カパブランカと対等に渡り合ったのは立派なものである。ということで、この詩はダンセイニ卿をいたく喜ばせたことだろう。

最後にこんなことも書いている。

《すべての芸術は理解されるものではなく、感じられるものなのである。》(ドネラン講義、芸術の三つの形態 I 散文)

# by sumus2013 | 2019-12-08 17:46 | おすすめ本棚 | Comments(0)

豊貞の短冊

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上部がかなり傷んでいるが、少しばかり古そうな短冊を求めた。署名は豊貞。どなたでしょうか。そして、問題は、出だしのところをどう読むか・・・す(須)?



# by sumus2013 | 2019-12-06 20:38 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

一九三〇年代モダニズム詩集―矢向季子・隼橋登美子・冬澤弦

季村敏夫さんより『1930年代モダニズム詩集』194頁6~7行に誤記ありという指摘があったという知らせがありました。参考のためメモしておきます。

季村氏の記述
神戸高等商業学校(現、神戸商科大学)

正しくは
兵庫県立神戸高等商業学校(現、兵庫県立大学)

ウィキで調べても、なんだかややこしいが、とにかく別の学校である。

《旧制神戸商業大学(きゅうせいこうべしょうぎょうだいがく)は、1929年(昭和4年)に設立された旧制官立大学。略称は「神戸商大」。国立神戸大学の前身校である。なお、新制公立大学である兵庫県立神戸商科大学(略称は神戸商大・現兵庫県立大学)とは別大学である。》

《兵庫県立神戸高等商業学校(ひょうごけんりつ こうべこうとうしょうぎょうがっこう)は、1929年(昭和4年)に設立された旧制専門学校。略称は (県立)神戸高商。同年に神戸商業大学に昇格した官立の神戸高等商業学校とは別の学校である。》






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杉本真維子氏が東京新聞(二〇一九年一一月二日)「あくまで、詩」に一九三〇年代モダニズム詩集―矢向季子・隼橋登美子・冬澤弦』を紹介してくださいました。





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中島俊郎氏が神戸新聞(二〇一九年一一月三日)「ひょうご選書」に一九三〇年代モダニズム詩集―矢向季子・隼橋登美子・冬澤弦』を熱い筆致で紹介してくださいました。見出しは「現実との軋轢から生まれた詩群」です。




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平田俊子氏の書評が出ました。共同通信の配信記事です。「詩はいま/呼び寄せられた詩人の魂 30年代のモダニズム詩集」。






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『現代詩手帖』二〇一九年一一月号に内堀弘さんが紹介してくださいました。「影などない」。

《季村が彼らを見つけたのか、彼らが季村を見つけたのか。一冊を読み終わった後に不思議な余韻があった。》

《北村太郎が「空白はあったか」で書いていたように、三十年代のモダニズム詩人たちも(いや、彼らこそ)、影に見える時代を肉体を持って生きた。たとえば、隼橋登美子の作品は、戦争の不穏を眼前にしながら、その颯爽とした息づかいにほれぼれする。こんな女性詩人がいたのかと思う。確かにいたのだと、季村は彼らを追うが、彼女も、いやこの三人は痕跡を嫌うように消えている。》




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二刷出来上がりました!




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『毎日新聞』2019年10月8日号(兵庫面)に季村敏夫さんのインタビュー記事が大きく出た。まず、矢向季子、隼橋登美子との出会いを語り、その次に《最初は2人の詩を別々に紹介するつもりでしたが、本の装丁をしてくれた林哲夫さんから「もう一人、(まとめるのに)誰かいないの」と提案され、冬澤弦が思い浮かびました。》とあってちょっとビックリ。たしかに、最初に相談されたとき、季村さんは、薄い冊子体を想定しておられたようで、しかし中綴じではなく、背を出したいとおっしゃった(図書館で背が読める方がいいと)。

しかし、例えば32ページくらいで背を出してもどうかな、と思ったわけである。その後、みやこめっせの春の古書即売会会場で季村さんと立ち話をしたときに、もう一人加えて、三人ならちょうどいい厚みになるんじゃないですか、誰かいませんか、というような話をした。すると季村さんは即座に「迅くんが見つけた『新領土』の詩人がいるんやわ、冬澤弦。そうや、それがええわ、三人集にしよう」というようなことで『一九三〇年代モダニズム詩集』の骨子ができたというわけである。

《ーー3人の詩は「しなやかさ・切実さ」という共通点はあるものの、かなり違いますね。隼橋は鋭く、矢向には女性性を感じます。冬澤のカタカナ詩には現実社会の緊張感がひそんでいます。

「ーー」は記者(岸桂子)氏の発言。いい感想だ。全体としてよくまとまった記事になっているのもうなずける。

《◆本当に鋭い。なのに、今までなぜ語られてこなかったのか。3人の共通点は(戦前の)総力戦体制を全身で浴びたところです。
 ーー全体を読むと、1930年代を現代に重ね合わせていますよね。
 ◆第一次世界大戦後に西欧で起こった「ダダ」などの1920年代思想が日本に入り、若者の心に食い込みましたが、30年代につながらなかった。そして日本は総力戦体制に突き進みました。この流れは、2年前に成立した共謀罪(の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法)とつながると思うんです。この夏問題化したあいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」をめぐる件も同様です。確かに、執筆の根っこにあるのは現実への危機感ですね。

《ーー大きな声を上げない人、こぼれ落ちる事象に目を向けるという姿勢が、今回の3人につながっていそうですね。
 ◆詩とは絶えずそういうものなんです。僕が強調したいのは文化の多層性。神戸の文化を「モダニズム=おしゃれ」といった面だけで読み解くことはできない。多層性を体感したら、国境や宗教の違いも受け入れられるようになるのでは。

結局、背を出すと言いながら、コデックス装にしてしまったので、背には何も印刷できなかった。これは帯を広くしてなんとか対応したけれども・・・。




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鈴木創士さんが『神戸新聞』2019年9月29日号「もぐら草子 古今東西文学雑記」に『一九三〇年代モダニズム詩集―矢向季子・隼橋登美子・冬澤弦』を紹介してくださいました。

《これらの詩人たちは出来事としての「神戸詩人事件」が醸成されつつあった空気のなかに生息し、息をひそめ、息を吐き、息を吸い込み、詩を書いて、それから姿を消した。編者の季村さんは「消えてしまった、たもしいをよびよせる」と序文に書いているが、彼らは一冊の詩集も残さなかったのだ。3人の詩人の生涯の詳細は本書にあたっていただくとして、私はここでこれらの詩について賢しらに書評めいたことを書く気になれなかった。全編を引用できないことがいかにも残念であるが、最後に矢向季子の詩の断片を一つだけ。

私はあたしから離れよう
ピアノをぬけだすミユウズのやうに
時刻といつしよに地球の外へ滑り落ちる
そして燦めく青い絨氈のなかにゐる
あたしの下髪は
蠟のやうに消えるであらうに》

引用は「青い貝殻」より


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好評につき増刷決定!

「一九三〇年代モダニズム詩集―矢向季子・隼橋登美子・冬澤弦」発売中

この背をむき出しにしたコデックス装が詩人の人たちには新鮮だったようだ。詩集ではまだ珍しいのかもしれない。初めて見ましたという感想もいくつかいただいた。最近ではそう目新しい造本というわけでもなく、ときどき見かける。本ブログでもいくつか紹介してきた。あ、何より『書影でたどる関西の出版100』がコデックスというか「特殊クルミ装」(というらしい)でした。

コデックスは巻物に対しての冊子本という意味なので「コデックス装」という呼び名はどうかと思うが、もうこの意味で定着しているようだ。

様々なスタイルのコデックス装 製本事例
http://www.watanabeseihon.com/article/15472691.html


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8月19日、届いた。予想通りというか、予想以上に、表紙タイトル空押しが効いている。光を当て浮かび上がる詩人たち。

本文もカラー図版多数、詩も、論考も、年譜もいい感じ。しおりがまた充実している。しおりの表紙の挿絵は、扉野良人氏がしおりに書いている腕木通信の文字より取った。みずのわ出版、入魂の一冊。

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一九三〇年代モダニズム詩集—矢向季子・隼橋登美子・冬澤弦


編=季村敏夫

発行=みずのわ出版

装幀=林哲夫

プリンティングディレクション=黒田典孝((株)山田写真製版所)

印刷=(株)山田写真製版所

製本=(株)渋谷文泉閣

四六判(天地188mm×左右127mm) コデックス装 240頁(ノンブル239頁)

表紙 あらじま 白 四六判Y目180kg 表1凹エンボス 表4 K/1°

オビ あらじま 雪 四六判Y目80kg DIC435/1°

本文 b7バルキー 四六判Y目 64.5kg 表版4°/裏版1°

栞 A6変型判(天地148mm×左右100mm)16頁

ファーストヴィンテージ ベージュ 四六判Y目56kg K/1°



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8月の新刊「一九三〇年代モダニズム詩集―矢向季子・隼橋登美子・冬澤弦」

各位
今年の夏も異常に暑い日が続きますが、お変りありませんでしょうか。
今年二点目の新刊「一九三〇年代モダニズム詩集―矢向季子・隼橋登美子・冬澤弦」(季村敏夫編)を刊行します。

小社が関わった神戸モダニズム詩史としては、「永田助太郎と戦争と音楽」(編集=季村敏夫・扉野良人、発行=震災・まちのアーカイブ、製作=みずのわ出版、2009年6月)、「山上の蜘蛛―神戸モダニズムと海港都市ノート」(季村敏夫著、2009年9月)、「窓の微風―モダニズム詩断層」(同、2010年8月)の続編に位置付けられます。

戦時下の神戸と姫路に生き、一冊の詩集も遺すことなく消えた三人の詩人の原石といえる詩篇を収録。かれらの関わった同人誌の人脈から総力戦体制下の文芸活動を検証し、治安維持法違反容疑で詩人17名が一斉検挙された神戸詩人事件(1940年3月3日払暁)の背景と今日的課題を明らかにすべく、今回刊行の運びとなりました。刊行の趣旨につきましては、本書「はじめに」全文を転載しますのでご一読願います。

なお、本書は600部の少部数限定出版、いわゆる自費出版物です。高額なれど本書を必要不可欠とする読者の求めやすい価格という編者の要望もあり、仮に全部数を定価で販売しても制作費全額は回収できない、そういった価格設定となっております。編者著者が肚を括らなければまともな本を遺すことができない、そんな時世でもあります。

8月15~25日頃出来予定、です。ご購読のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

フェイスブックとブログに、本文の刷取り画像を掲載しています。
2019年8月5日
みずのわ出版 代表 柳原一徳 拝

一九三〇年代モダニズム詩集―矢向季子・隼橋登美子・冬澤弦
四六判コデックス装 239頁 図版64点(ほぼ全点カラー)+栞16頁
8%税込2,916円(本体2,700円)ISBN978-4-86426-038-1 C0095
初版第一刷2019年8月15日発行
編=季村敏夫
発行=みずのわ出版
装幀=林哲夫
プリンティングディレクション=黒田典孝((株)山田写真製版所)
印刷=(株)山田写真製版所
製本=(株)渋谷文泉閣

はじめに(本書3~4頁収録)
 かつてあったことは、後に繰り返される。殺戮、破壊、錯誤、懺悔、その重なりのなかで、身体の刻む詩的行為の火、花、火力は現在である。

 上梓のきっかけは、一冊の同人誌と映画との出会いだった。小林武雄編集の『噩神(がくしん)』創刊号で矢向季子を知った。身震いした。映画は、日本統治下の台南の詩人を描く『日曜日の散歩者』(黄亞歴監督)。台湾を襲った地震の映像のあと、同人誌『神戸詩人』が迫ってきた。西脇順三郎らの『馥郁タル火夫ヨ』から引用があり、明るさの戻った部屋で茫然としていた。「現実の世界は脳髄にすぎない」「詩は脳髄を燃焼せしむるものである。こゝに火花として又は火力としての詩がある」、わたしはあらためて、戦時下の詩をたどりはじめていた。

 同人誌と映画との遭遇が、次から次へと出会いを導いてくれた。平坦ではなかったが、みえない数珠のつながる道のり、促されるまま従った。

 かつてあったことは、後に繰り返される。一九三〇年代後半、シュルレアリスムに関わった青年は治安維持法違反容疑で次々と獄舎に送られた。神戸詩人事件はそのひとつだが、現在である。今回編集した矢向季子、隼橋登美子、冬澤弦、初めて知る詩人だが、このラインにも、シュルレアリスムへの目覚め、総力戦、同人誌活動の終焉、モダニストの戦争詩という歴史がある。しかも三人は番外の詩人、一冊の詩集もないまま消えた。

 あるとき、ある場所で、確かに生きていたひと。詩は、息のひびき。声を出して読めば、ひとはよみがえる。生きていた場所、場所の記憶、青空に染まる歓声まで戻ってくる。

 消えてしまった、たましいをよびよせる、この集を編みながら念じていた。

(「がく神」の「がく」の漢字は環境依存文字ゆえ、パソコンによっては正しく表示されない場合があります)

■目次
矢向季子詩集抄/隼橋登美子詩集抄/冬澤弦詩集抄
「夜の声」読後感(矢向季子)/詩をよみはじめた頃(内田豊清)
内田豊清のこと/矢向季子のこと―シュルレアリスムの目覚め/隼橋登美子のこと―神戸詩人事件について/冬澤弦のこと/『神戸詩人』と台南の風車詩社について―石ほどには沈黙を知らず
初出一覧/関連年譜

■栞(16頁)
天使は肉声でうたう 藤原安紀子
遠くに書く―モダニズム詩所感 扉野良人
「しんぼるの森林」に分け入る 高木 彬

■編者
季村敏夫 きむら・としお
一九四八年京都市生まれ。神戸市長田区で育つ。古物古書籍商を経て現在アルミ材料商を営む。著書に詩集『木端微塵』(二〇〇四年、書肆山田、山本健吉文学賞)、『ノミトビヒヨシマルの独言』(二〇一一年、書肆山田、現代詩花椿賞)、共編『生者と死者のほとり――阪神大震災・記憶のための試み』(一九九七年、人文書院)、共著『記憶表現論』(二〇〇九年、昭和堂)、『山上の蜘蛛――神戸モダニズムと海港都市ノート』(二〇〇九年、みずのわ出版、小野十三郎特別賞)、編著『神戸のモダニズムⅡ』(二〇一三年、都市モダニズム詩誌、第二七巻、ゆまに書房)など。


# by sumus2013 | 2019-12-06 17:52 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

眩暈祈禱書

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塚本邦雄『眩暈祈禱書』(審美社、昭和四十八年七月十一日)。審美社発行ではあるが、編纂装釘は政田岑生。なるほど政田好みの艶っぽいところと厳密なところが渾然とした意匠になっている。本体はコーネル装でヒラの綾織が眩く光る。

《「水葬物語」より「星餐圖」までの七歌集から、イエスもしくはキリスト、さらにはキリスト教的世界を主題とした作品二百五十首を年順に選出綜合して、ここに「眩暈祈禱書[げんうんきたうしよ]」と題する選集を編んだ。》(跋)

《私の座右にある數冊の聖書の中、幼い頃から片時も離したことのない一册は、その奥附に昭和四年六月第二十三版刷とあり、初版は大正八年六月の英國聖書協會刊、神戸市江戸町F・パロット發行と記されてゐる。朧な記憶をたどると、その二十三版を何らかの記念に牧師であつた叔父から贈られたものと覺しい。摩耗破損した表紙をみづから格子ギンガムの布装に補修し、ルオーの筆になる聖家族の複製畫で再装釘してゐるが、それも既に手垢に汚れ、愛誦頻りであつたルカ傳のあたりは汚點[しみ]いちじるしい。ほとんど完璧と思はれる邦譯韻文體のバイブルは、私にとつてこの上なくうつくしい異國の繪巻物であつた。》(麥芽昏睡あるひは受肉の倫理について)

聖書のとくに旧約「雅歌」に魅せられながらも、徹底して瀆聖のモチーフでつらぬかれている。目についたものをいくつか引いておく。原文はすべて旧漢字。


 聖母像ばかりならべてある美術館の出口につづく火薬庫

 鳥貝やチーズが好きな僧正のソファのねぢくぎたびたび弛み

 蚤の市に黒き両脚ひらきたる釘抜き得たり はや聖四月

 母は知らねども地獄より熱烈にわれ誘ふ聖土耳古温泉

 神聖受胎悼むごとしも少年がドーナッツの孔指もてまはし

 天に墜ちゆく揚雲雀わがたましいひは日もすがら肉のうちにうかぶ

 憑かるる前に憑け繪のマリア青桃[せいたう]のかたち乳房をイエスに乞[あた]ふ


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毎ページ、天使の画像が薄く印刷されている(同じ絵の繰り返し)。それなりの効果が出ているように思う。写真に写っていないが、薄い紫色の帯がある。

書肆季節社本

政田岑生から竹村晃太郎に宛てた葉書

# by sumus2013 | 2019-12-05 21:14 | 古書日録 | Comments(0)

新編 左川ちか詩集 幻の家

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紫門あさを編『新編 左川ちか詩集 幻の家』(えでぃしょん うみのほし、東都我刊我書房、二〇一九年一二月一五日、装幀=YOUCHAN)読了。前作『前奏曲』品切れのため新たに編成し直して増刷されたとのこと。

新編 左川ちか詩集 前奏曲

《今回の『新編 左川ちか詩集 幻の家』においては、昭森社版『左川ちか詩集』や、森開社版『左川ちか全詩集』とは、いささか収録内容にちがいがある。それは極力初出での収録をめざしたということだ。なかには編者の判断によっていくつかあるヴァリアントのなかから、編者未確認をのぞいて、最適と思われるものを撰んでいるものがある。そして無辜なる新しい読者たちに届くようにと、新かなづかいによって収録することとした。詩篇であるが、昭森社版しか確認できぬものは、それによっているものがある。》(はしがき)

明治四十四年二月十二日北海道余市町生まれ、昭和十一年一月七日世田谷で死去。ちょうど二十五年の生涯である。収録されているのは昭和五年から十年までの五年間に発表された八十三篇。シュルレアルなイマージュをちりばめた黙示録的な描写がとくに初期の作品にははなはだしいが、それは短い時間に熟成して、なかほどから後半になると、表現はかえって象徴主義的な深まりを見せる。さらにあと何年か成長をみたいと思わないでもないが、左川ちかはこれでいいのだろう。

  The street fair

舗道のうえに雲が倒れている
白く馬があえぎまわっている如く。

夜が暗闇に向かって叫びわめきながら
時を殺害するためにやって来る。

光線をめっきしたマスクをつけ
窓から一列に並んでいた。

人々は夢のなかで呻き
眠りから更に深い眠りへと落ちてゆく。

そこでは血の気の失せた幹が
疲れ果てた絶望のように

高い空を支えている
道もなく星もない空虚な街

私の思考はその金属製の
真黒い家を抜けだし

ピストンのかゞやきと
燃え残った騒音を奪い去り

低い海へ退却して
突きあたりうちのめされる

(全文、『椎の木』昭和七年十月号)



  夜の散歩

 誰れも見ているわけではないのに裸になっているように
私は身慄いする。街路樹には葉がなかった。触ると網膜が
破れそうだ。今まで私をとらえていた怪物の腕はなお執拗
に強制する。信じさせようとしたり、甘やかそうとしたり
する心を。あれは無形の組立をおえたばかりの虚偽なので
あろう。いつまでも失ったものを掘りかえそうとしている
おひとよしな女への冷酷な鞭である。だから再び清麗な反
響は聴えない。成熟した日光の匂も其処にはなかったから。
内臓の内臓を曳き出してずたずたに裂いても肉体から離れ
てしまった声は醜い骸骨を残し、冬の日の中に投げ出され
ている。
 私は嵐のような自由や愛情にとりまかれていたかった。
それなのに絆は断たれた。もはや明朗なエスプリは喪失し、
大地はその上に満載した重さに耐えられぬ程疲労している。
低音を繰返し苛立たしい目付をして。ただ時々閃く一條の
光が私が見たただひとつの明日への媚態であった。

 (部分、『椎の木』昭和十年三月号)

# by sumus2013 | 2019-12-03 20:50 | おすすめ本棚 | Comments(0)

goreyで一箱古本市12月21日

gorey で 一箱古本市

毎月第三土曜日開催


12月21日(土)
12:00~18:00

今月は一箱と言わず5〜6箱出品します。
掘り出し物、きっとありますよ。
ぜひお出かけください。(林)


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# by sumus2013 | 2019-12-02 21:08 | もよおしいろいろ | Comments(0)

「個人名のついた研究会会誌の世界」展

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「個人名のついた研究会会誌の世界」展
2019年12月2日〜22日

西荻モンガ堂






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かわじもとたか氏から『え! 古本屋で展示会? 「個人名のついた研究会会誌の世界」展』目録、および同展についてかわじ氏の寄稿のある『日本近代文学館』No.292(日本近代文学館、二〇一九年一一月一五日)が届いた。

研究会会誌は古本屋が店頭にぽいっとうっちゃっておくような雑誌である。全冊揃いなら値もつくが一冊だけだと一〇〇〜五〇〇円という代物だろう。発行部数は二〇〇〜三〇〇部ほどで書店や図書館ではほとんど見ることのできない雑誌でもある。どれだけの個人名のついた研究会誌が出たのだろうか。》

《古本屋で展示会を開くなんていうのも変なのだが、出品資料は会期後に購入できるようになっている。廃業に追い込まれる古書店も多い昨今、古本屋さんを勝手に応援するというスタンスでやっている。》

《ふつう展示会では雑誌をガラス越しに見るだけだが、ここでは直接手に取って触れて貰いたいし、編集者たちの息吹を感じ取って貰いたい。》

ざっと目録をながめるだけでも、まったく知らない名前が多々あって、いったいどんな雑誌なのか、直接見たくなって困る。お近くの方はぜひともお出かけいただきたい。

桑原文明、滝田淳一、オタさん、盛厚三、吉村考人、樽見博、の各氏、そして小生も出品協力している。


「個人名のついた研究会会誌の世界」展
2019年12月2日〜22日

西荻モンガ堂

# by sumus2013 | 2019-12-01 20:27 | もよおしいろいろ | Comments(0)

生活考察 VOL.7

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『生活考察』VOL.7(タバブックス、2019年11月27日)。発行所がタバブックスとなってから二号目。今回も中堅作家たちが「生活」を中心に中身の濃い話し合いをし、また執筆している。どのページから読んでも面白い。岸本佐知子「もにょもにょ日記」には笑い転げました。小生も「好きなことだけして暮らしたい」連載第7回「ニセモノは厚化粧 美術品の真贋について」を執筆させてもらっている。ぜひご一読を。

『生活考察』VOL.7

# by sumus2013 | 2019-12-01 17:16 | 文筆=林哲夫 | Comments(0)

書店の思い出

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George Orwell: ‘Bookshop Memories’


ジョージ・オーウェルのエッセイに「本屋の思い出」というのがある。『本の虫の本』(創元社、二〇一八年)で能邨陽子さんがその文章の一部を引用していた。

《ロンドンの古書店で一時期働いていたオーウェルも、本を探すお客さんについてこんなことを書いています。「残念ながらそのご婦人は、タイトルも著者の名前もそれが何についての本だったのかも忘れていたが、その本の表紙が赤色だったことだけは覚えていた」……》(「まぼろしの本」)

お客のあれこれ。当時の古本屋や貸本屋の様子がよく分かる。日本語にはまだ翻訳されていないようなので、気になったところだけ拙訳で紹介してみる(かなりはしょった意訳です、誤解があれば叱正を願います)。

古本屋というのはそこで働いた経験のない人が想像しているようなところではない。わたしの働いていた店にはいい本があった。しかし実際、良い本を知っているのは一割ほどの客にすぎなかったろう。文学好きよりも初版本目当ての客の方がふつうで、安い教科書を値切り倒す東洋人学生の方がさらにふつうで、甥っ子のために誕生日のプレゼント本を探している一向にはっきりしないご婦人方がいちばんありきたりの客である。

どんな古本屋にも恐れられる二種類の最悪のタイプの客がいる。ひとつは、毎日、ときには日に何度もやって来て、愚にもつかない本を売りつけようとする、すえた匂いをさせた落ちぶれたやから。もうひとつは、買うつもりもない大量の本を註文するやからである。わたしの働いていた店ではツケは一切受け付けなかったが、とにかく註文された本を脇に取りのけておく。引き取りに来る者は半分もいるかいないかというところである。どうしてなのか? 最初は全然見当もつかなかった。彼らは稀覯本を註文して「絶対に取りに来るから、くれぐれも取り置きよろしく」と懇願しておきながら、二度と姿を見せない。たいていは古本病患者(paranoiac)であり、どこそこで珍本をただ同然で見つけたとか、そんなホラ話を吹きまくるような奴らである。そんな古本病患者が現れたら、それは一目で分かるが、彼の註文した本を脇に取り置き、彼が出て行ったらすぐ本棚に戻すということをわれわれはやっていた。そいつらの内には、わたしの知る限り、誰一人として即金で本を持ち帰ろうという者はいなかった。註文するだけで満足したのだ。そうすることで、かれらは実際に本を買ったような気分になれたのだろう。

多くの古本屋と同じように、わたしの働いていた店も本以外のものを扱っていた。中古のタイプライターがあった。使用済み切手もあった。切手コレクターは少々変わっている。静かで、ぬめっとした種属(fish-like breed)で、年齢はさまざま、しかし男性のみ。他には日本の地震(関東大震災)を予言したと誰かが主張する6ペンスのホロスコープも売っていた。封筒入りなのでわたしはのぞいて見たことはないけれど、買って行った客は「当っていたよ!」と報告しに戻って来る(疑いなく、ホロスコープというのは「当っている」ものなのだ、もしそれが、あなたは異性に魅かれているとか、あなたの最悪の間違いは寛大さだとかという場合は)。子供の本も大量に扱っていた。いわゆる「ゾッキ本」(remainders)である。まだまだ今時の子供向けの本はひどい代物だ。個人的には、ピーター・パンよりもペトロニウス(「サテュリコン」の作者)の方がまだしもと思うくらいだ。クリスマス前には十日間ほどの繁忙期が来る。クリスマスカードとカレンダー。うんざりする品物なのだが、その期間にはよく売れるのである。

さらに、われわれの重要な副業は貸本であった。「2ペニー 預かり金なし」小説本、500〜600冊。これが本泥棒のつけこみどころだった。世界でもっとも簡単な犯罪。2ペンスで借りて、ラベルを剝がして余所の店へ持ち込むと、1シリングになった。にもかかわらず、本屋は、一般的に言って、本がある一定数(ひと月におよそ1ダース無くなった)盗まれたとしても、預かり金を取って客を減らすよりも、まだましだと思っていた。

店はハムステッドとカムデン・タウンの中間のはじっこにあった。准男爵からバスの車掌まで、さまざまな階級の客が出入りしていた。おそらく、わたしたちの店の購読者はロンドンの読書大衆の代表的な面を体現していただろう。店で最もよく出た作家は誰だろうか。プリーストーリー? ヘミングウェイ? ウォルポール? ワーズワース? いや、違う。デル(Ethel M. Dell)である。そしてワーウィック(Warwick)が二番でファーノル(Jeffrey Farnol)が三番。デルの小説はむろんご婦人方だけに人気があった、あらゆる階層と年齢のご婦人にわたって。男性が小説を読まないというのは間違いだが、男性が遠ざけるジャンルがあるのは本当だ。ありきたりの小説(the average novel)というものである。男性が読むのはリスペクトできる小説か、さもなければ探偵小説である。客のなかに週に四冊か五冊、毎週、何年間にもわたって探偵小説を読んだ人がいた。しかも他の店でも借りていた。驚いたことに、その人は同じ本は二度と読まない。これはとんでもない量である。彼はタイトルも著者名も憶えていないが、ちらっと表紙を見るだけで「これは読んだ」かどうかが直ぐに判断できた。

貸本業で人々の好みがよくわかる。びっくりなのはイギリス作家の古典作品はその「好み」からまったく完璧に外れていることだ。デッケンズ、サッカレー、ジェーン・オースティン、トゥロロープなど、置いても無駄だ。普通の貸本屋では誰もそんな作家を借りようとはしない。十九世紀の小説は全般に「古臭い!」と敬遠される。が、デッケンズを売るのはいつでもたやすい、シェイクスピアを売るのと同じように。デッケンズは読まれる意味があるのだ、聖書のように。他に目立った特徴と言えば、アメリカの本は人気がない。また、短篇集も不人気である。本を探している客が店の人間に言うのは「短篇集はけっこうです」あるいは「小さな物語はいらないわ」である。どうしてですかと質問したら、彼らは言うだろう、物語ごとにいちいち新しい登場人物を憶えなきゃならないから面倒くさい、と。

職業として本屋になりたいか? つまるところ、親切にしてくれた主人には申し訳なく、店員として過ごした日々は楽しかったのだが、答えはノーである。教育を受けた人間なら誰でも本屋としてつましくやっていけるだろう。稀覯本に深入りさえしなければ、それは難しい商売である。もし何らかあらかじめ本の世界に関わったことがあれば、ずっとうまく仕事を始められるだろう。また、それは極端に下品にはならない人情味のある商売である。独立した小さな本屋は、食料品店や牛乳屋がそうなるように、左前になることはない。しかし、働く時間はとてつもなく長いーー私はアルバイトをしただけだったが、主人は週に70時間働いていたーーそれは健全な暮らしではない。また、冬場の店はおそろしく寒い。なぜなら、店内が暖かいと窓ガラスが曇るからである。本屋は窓が命なのだ。また、本には不潔なホコリが、他のどんなものより、たくさん付いているし、本の天(the top of a book)は青蠅(bluebottle)たちが最も好む死に場所になっている。

しかし、わたしが本屋になりたくない本当の理由は、そこにいると、本を愛せなくなるからである。本屋は本について嘘をつく。そして本が嫌いになる。もっと悪いのは、つねに本のホコリを払い、抜き差しすることである。わたしも本当に本を愛していたときがあったーーその姿、匂い、少なくとも五十年以上経っている本に感じられるものが好きだった。田舎のオークションでそんな本をどっさり、たった1シリングで買ったときほど嬉しかったことはない。けれども、本屋で働くようになってすぐに本を買うのを止めた。大量に、一度に五千冊か一万冊も見ると、本がうっとうしく、ちょっと気分が悪くなる。今では、ときおり一冊、買うこともあるが、それは自分で読みたい本で、借りられないときに限られる。クズ本は決して買わない。古びた本の甘い匂いにはもはや何も感じなくなった。古本病患者たちと本の天で死んでいる青蠅たちが心に深く刻まれすぎたのである。

全文は下記サイトにて。

BOOKSHOP MEMORIES

# by sumus2013 | 2019-11-29 20:01 | 古書日録 | Comments(0)