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林哲夫の文画な日々2
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蔵書印

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西島蔵書之章



暑い。家でしずかに古本整理。和本の蔵書印を少し集めてみた。前にアップしたものもあるかもしれない。読めないところはお教えを。


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名東文庫



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福田蔵書


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観水堂図書印



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青翠舎書記印



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〓野蔵書



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直大斎図書



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竹葉軒蔵本
〓[繋?]栄亭蔵書



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風詠堂図書記
〓[ドウ?]徳



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野鶴亭図書記



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好古堂図書記




# by sumus2013 | 2021-08-04 20:34 | コレクション | Comments(0)

MÉMOIRES DE L'OEIL

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GISÈLE FREUND『MÉMOIRES DE L'OEIL』(SEUIL, 1977)。しばらく前にカライモブックスで見つけた一冊。ジゼル・フロインドについては以前にもその人物写真集を紹介したことがある。


本書はやはり人物写真を中心としてジゼルの仕事を概観するような内容である。なかでは、やはりジェイムズ・ジョイスの写真とその撮影秘話に強く興味を惹かれた。ざっと訳してみる。

《ジェイムズ・ジョイスはわたしたちの世代の文学的アイドルでした。一九三六年にアドリアン・モニエの夕食会で初めて会ったのです。その骨ばった面立ちに陰と光が宿っているのが見受けられ、彼の写真を撮りたいものだと思いました。

わたしはいく度かポーズしてくれるように説得してみましたが、ジョイスにはいつも、例えば仕事で参っているとか目の調子が良くないとか、何か差支えがありました。

ようやく、一九三八年の春になって、ちょうど『フィネガンズ・ウエイク』を出版にこぎつけた頃、ジョイスは承知してくれました。彼は著作を刊行するにあたって世界中のプレスが用いる写真がどのようなものであるべきかというはっきりした考えを持っていました。

わたしはまず、女性編集者たち、アドリエンヌ・モニエとシルヴィア・ビーチ、とともにオデオン街で一緒にいるところを撮影しました。続いて、彼の自宅で家族に取り囲まれているところ。このルポルタージュは三八年の五月にいくつかの機会をとらえて行なわれました。


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ジョイスがオデオン街でタクシーから降りてくるところはこれまで見たことのない瞬間でした。

『フィネガンズ・ウエイク』の出版は遅れ、一九三九年の初めになって『タイム・マガジン』がカラーの表紙にジョイスを登場させることになり、わたしにネガを要求してきました。シルヴィア・ビーチの助言に従って(彼女はジョイスがどれほど彼の小説の人物を身近なものと感じているか、どれほど迷信深いかを知り抜いていました)私は結婚後の名前でもってジョイスに手紙を書きました。それはジョイスの登場人物の一人の名前でもありました。首尾よくジョイスは引き受けてくれました。

作家は赤いビロードの室内着を身につけ、繊細な長い指にはいくつもの指輪をはめていました。わたしのカメラに不安げな眼差しを投げました。わたしが彼のために据えた肘掛椅子の方へ手探りで移ろうとしたとき、彼は頭をランプにぶつけ、小さな悲鳴を上げました。両手で額を押さえ「血が出てる! あなたのいまいましい写真に殺されるよ」と声を荒げました。

奥さんのノラに鋏を持って来てもらって、その冷たい鋼を、ほとんど目に入らないくらい小さなその傷に圧し当てました。とっさに子供の頃を思い出した対処法でした。

落着いたところで、ジョイスは座って、いつものように、拡大鏡をもって本を読みはじめました。わたしはさっさと写真を撮ってしまって、彼の邪魔をしないように、そっと立ち去りました。

ところがわずか数分後のこと、現像所へ向かうタクシーが事故を起こしてしまったのです。わたしは血まみれの顔で、使い物にならなくなったカメラを持って家に戻りました。そして、すぐにジョイスに電話しました。
「死ぬところでした。あなたの写真はダメになっちゃいましたよ。アイルランド式の復讐を仕掛けたんですか。さぞ、ご満足でしょう」
受話器の向こうでジョイスは息を吐いて、わたしが間違っていないことを見てとって、翌日、もう一度来るように言ってくれました。

今度はすべて非常にうまくいきました。前の日のフィルムも被害を受けていないとラボで分かったときにはとても嬉しかったです。ですから、ジョイスのカラー写真を二組も撮影できたことになりました!

ジョイスが表紙の『タイム・マガジン』が発行されたとき、彼は喜びを隠しませんでした。さらに良いことには、この顛末を彼がとりわけ気に入り、友人たちの前でこう結論したことです、わたしはアイルランド人たちよりずっと鼻息が荒かったと・・・》

多少意訳したところもあるが、だいたい、こんなところだろうと思う。ジゼルの人柄やその撮影方法がよく分る逸話である。


# by sumus2013 | 2021-08-03 21:33 | 古書日録 | Comments(0)

カストロの尼

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楽極ニュータウン病院(仮名)というそこそこ大きな病院で検査を受けた。受けたのは妻である。交通の便が悪いので自家用車で一緒に出かけた。

そうなると長い待ち時間を過ごすことになる。どんな本を持参するか、かなり悩むのである。なるべく軽いのがいいから、どうしても文庫ということになる。何か手頃なのはないかと、買ってからずっと部屋の隅に積み上げてあった岩波文庫を見直して、薄いのを一冊抜き出した。それがスタンダール『カストロの尼』(桑原武夫訳、岩波文庫、一九四六年十三刷)だった。

《この作品は作者自身古文書の翻訳と称してゐるが、実は彼の歿後国立図書館に収蔵されたその粉本とは大いに相違してゐるといふ。小説の筋は敢へて独創せず他から求め来つて、それを例の結晶作用[クリスタリザシヨン]によつて全く自己のものに化するといふ彼の創作方法はここにも用ひられてゐるのである。》(はしがき、p3)

「結晶作用」という言葉は知らなかった。芥川龍之介や澁澤龍彦の小説はまさにその系譜であろうし、そもそも古い物語は語り直しがきわめて多い。独創が尊ばれるようになったのは一体いつごろからなのだろうか。

本作の筋書きは、簡単に言えば、マフィアの若頭ジュリオと金持ちのお嬢様エーレナの悲恋である。いわばパルプ・フィクションの類いで、物語の展開にもかなり無理があるのだが、スタンダールの筆力で最後までぐいぐいと読ませてしまう。

エーレナの父親は、若い頃に高徳の僧侶から、子供は二人さずかるが、どちらも非業の死をとげるという予言を受ける。これもよくあるパターン。しかし面白いと思ったのはその高徳の僧侶についての描写である。

《この僧侶はあたかも聖パウロのやうに、その僧房で地上数尺の空中に泛び上るところをしばしば目撃されたといふ》(p17)

空中浮揚はキリスト教では珍しくないらしい。もちろんヒンドゥー教にもあるし、日本にも少し前にそういうグルがいたが(イタリアでも浮揚して空中で爆撃機を停めた神父もいたらしい)、役行者などはハンパない飛行能力を持っていた。

また、もう一カ所、ジュリオが戦場においてエーレナの兄を殺害してしまって、どうするべきか、雇い主で父代りのコロンナ公のところへ相談に行ったとき、公は絶対秘密にしろとジュリオに命じる。これはジャーナリストでもあったスタンダールならではの諧謔に違いない。

《わし並びにわしの部下に関しては、何事によらず決して真実は口にせざること。万一、どうあつても口を開かねばならぬ場合に立ち至り、どんな作り事をしても間に合はぬと見たら、その時その時に出放題をいつておくがよい。そして少しでも真実を洩らすことは無上の罪悪と心得て堅く戒めねばならぬ。言ふ迄もないが、些細な真実でも他の情報と結び付けられると、わしの計画を暴露するきつかけになる恐れがあるのだ。》(p63)

う〜ん、これはどこやらの国の首相が言いそうな(言った?)文言そのままではないか。

なお、検査の顛末はこちらのブログでどうぞ。異常なしではあったのだが、世の中何が起こるかわからないです。

死ぬかも・・と、恐怖を味わいました=・・その1

# by sumus2013 | 2021-08-02 21:15 | 古書日録 | Comments(0)

尋常小学読本

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あっという間に八月になってしまった。目下の懸念は下鴨古本まつりが開催されるかどうか、この一点にきわまる。五月のみやこめっせのように急遽取りやめにならないとも限らない。

明治の教科書類を納めた段ボール箱を整理しようと思って開いたら、こんな本もあった、あんな本もあったのか、などと時間を潰してしまった。そのなかで再発見した一冊。『尋常小学読本』(文部省編輯局、明治二十年四月二十九日版権所有)まだ紹介していなかったと思うが、念のため検索してみると、二〇〇六年八月に見返しに貼られた証紙だけは投稿していた。

文部省編輯局印行之証


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今回は本文から「書物の読み方」という一篇を引用しておく。全文。

《書物ハ、決して早く読まんことを望むべ可ら須[濁点]、正しく発音して、ゆるやかに読むべし。然るに、書物ハ、早く読むを以て、上手に読むことと思ふもの阿り。是れハ、大なる誤にて、若しあまりに早く読まんと思ふ時ハ、よみおとし、或ハ、よみち可[濁点]へなど多きものなり。
又書物を読むに、一字毎の発音にのみ、心を注ぎて、それさへなし得れバ、十分なりと思ふものあり。是れも、ま多大なる誤なり。
文字ハ、もと考へを表ハ須ものなれバ、書物を読むには、能く其文字の意を解して、我の読み居ることは、何事なるかを考へざる可から須[濁点]。 如何に書物を読み多りとて、其読みしことがらを知らざれば、決して役に立たざるものなり。
故に書物ハ、己にも其意十分に分可り、又傍に聞き居る人にも、其意の分可る様に読むを以て、上手とハ寿るなり。
 書望発以誤表解》(27〜29丁)

最後の漢文は何が言いたいのか。書物は誤った理解を啓発するものだ、だろうか?【新出漢字を並べたのではないかというご教示をいただきました。なるほど!】 また、巻末には一頁大にこんな警告が印刷されている。プレミア付きで販売されるようなことがしばしば起こったと理解していいのだろう。

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《此書籍ハ売捌人ノ手ヲ離ルゝトキ何等ノ名義ヲ附スルモ定価ニ超過セル金額ヲ買手ヨリ払ハシムルコトヲ許サズ/(定価金九銭)》

小生はたぶん百円で買ったのだろうから(憶えてませんけど二百円以上ではありません)、直接数字だけを比較すれば定価をはるかに上回っていた。しかし物価を勘案すれば、定価よりはずっと安かったことにはなる。


# by sumus2013 | 2021-08-01 20:01 | 古書日録 | Comments(0)

富士正晴と開高健

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『竹林の隠者富士正晴のあしあと第2集 富士正晴と関西の作家 開高健』(茨木市立中央図書館併設富士正晴記念館、二〇二一年三月二六日)および『大和通信』第一一八号(海坊主社、二〇二一年八月一〇日)を頂戴しました。お礼申し上げます。

ちょうど十年前、茨木市立ギャラリーで「富士正晴、開高健展」が開催された。富士と開高の関係に焦点を当てた面白い展示だったことを思い出す。

富士正晴、開高健 展

その折りに並べられていた開高の富士宛書簡や富士の日記(開高への言及がある)、そして富士の開高に関するエッセイ二篇が本書に収録されている。

開高はそれまで親しくしていた谷沢永一から絶交されたために富士に急接近した。一九五二年。それから数年の間にいろいろあるのだが、とにかく上京した開高は首尾よく芥川賞を受賞するものの、受賞後の小説が書けず、しきりに富士にネタがないかとおねだりの葉書を出していたのだ。ところがどうしたわけか、富士の提供したネタで開高が書いた「日本三文オペラ」をきっかけに二人の関係はプツリと切れてしまう。その創作途中の苦しみを訴える開高の葉書にはこう書かれている。

《小説というものをいちばん素朴な形で書いてみたらと思いただし素材から表現までに三つほど大きな屈折をおいてやりだしたのですが、その屈折がのさばりはじめました。どうにも助かりません。なぜ小説は現代日本でかくも難きや?いっそ私小説派か風俗派に転向したろか。冒険も実験もやめたろか。孤独と虚無の薄青い唄だけにしようか。》(P46)

この葉書は昭和三十四年二月二十一日付け。次の二人の間のやりとりは、富士が日記に開高健の『青い月曜日』を読んでたいへん面白かったと書く昭和四十五年九月まで十一年間空白になるという。

《やはりふたりのあいだでなにかがあったとみるべきではないだろうか。》(中尾務「解説」p58)

しかも開高は「日本三文オペラ」のネタ元が富士であったことを隠した。歿後、一九九九年に開催された「開高健展」(神奈川近代文学館)で初めてこの事実が明らかにされたのだそうだ。この展示を見た坪内祐三はこう読書日記に書いた。

《デビュー直後の開高にとっての富士正晴の存在の大きさは、これから誰かがきちっと論ずるべきだ。》(p60)

誰か、って中尾さんしかいないと思うのだけど……。

# by sumus2013 | 2021-07-31 19:40 | おすすめ本棚 | Comments(0)