林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
カテゴリ
全体
古書日録
もよおしいろいろ
おすすめ本棚
画家=林哲夫
装幀=林哲夫
文筆=林哲夫
喫茶店の時代
うどん県あれこれ
雲遅空想美術館
コレクション
おととこゑ
巴里アンフェール
関西の出版社
彷書月刊総目次
未分類
以前の記事
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
more...
お気に入りブログ
NabeQuest(na...
daily-sumus
Madame100gの不...
最新のコメント
そうなんですか! 初代は..
by sumus2013 at 21:05
平成になって、鹿児島では..
by swallow-dale at 20:45
彙文堂さん、今も営業され..
by sumus2013 at 07:58
しばらく忘れていた『江南..
by swallow-dale at 23:42
『江南春』はいいですねえ..
by sumus2013 at 11:27
メモ帳
最新のトラックバック
天才画家ゴッホの生涯と画..
from dezire_photo &..
検索
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


四国古書通信他

f0307792_17503991.jpg
荒木伊兵衛書店 昭和5年2月15日


戦前昭和十年代の古書目録をまとめて頂戴した。最近、この手の古い目録はほとんど見ない(あるいはけっこうな値段が付いている)から大変有難い。それらのなかに地方の古書店の目録が何冊かあった。これらがまた貴重である。ざっと表紙だけ掲げておく。大阪の荒木伊兵衛書店の目録(古書雑誌『古本屋』の付録)はこれまでも何度か取り上げたので一冊だけ。

f0307792_17504279.jpg
松本書店古書目録第二十号
昭和12年1月1日発行
名古屋市中央区南大津町一ノ四



f0307792_17504538.jpg
西塔書林 六
昭和15年12月20日発行
広島市尾道町二二



f0307792_17504895.jpg
藤本書屋 古典蒐報 第六号
昭和15年6月発行
神戸市湊区五宮町四〇



f0307792_17505132.jpg
福井図書販売組合 南越通信3
皇紀2600年9月発行
福井市日之出中町三二



f0307792_17505494.jpg
古典堂書店 古書販売目録 第三十三号
昭和17年11月20日発行
高知市帯屋町一ノ二三



そして、何より驚かされたのは讃岐高松で発行された『四国古書通信古書目録』夏季号(昭和十六年七月十二日発行)と秋季号(昭和十六年十月二十三日発行)だ。四国古書通信社(高松市丸亀町二四)の編輯兼印刷発行人は宮脇千代となっている。宮脇というからには、現在も盛業中の新刊書店・宮脇書店と関係があるのかもしれない。丸亀町だし。

f0307792_17510022.jpg
f0307792_17505754.jpg
中丸清十郎「平賀源内肖像」


裏表紙に「平賀源内肖像」の写真版が掲げてあり《高松家中所蔵の像に原き中丸清十郎氏描く》と記されている。現在は早稲田大学図書館が所蔵するようだ。

ざっと眺めていると秋季号には次のようなことが書かれていた。ビックリ。

本の通信賣買時代と弊社
今や古本の買は店頭買から通信買の時代に移行し組織を持つ地方古書肆として營業費の低率ですむ弊社は斷然高く買ひ得る時代になつて來ました。

また、菊池寛の探求書告知もある。

《今回當地に郷土の文人菊池寛先生の菊池寛文庫が設立されます。弊社は古書部門に属する同先生の御舊著を一手で納入する事となりました。◯菊池寛の著書(何でも可)但しカバー又はケース付の美本◯菊池寛の有名小説入雜誌(大正年間のものに限る)特別最高値にて申受けます。約十册宛入用につき、詳細御照會下さい。》

戦中から菊池寛文庫の計画があったとは知らなかった。現在は高松市中央図書館の建物のなかに菊池寛記念館がオープン。

f0307792_20011937.jpg
四国古書通信社の更生館陳列場
(『四国古書通信古書目録』秋季号より)


秋季号に陳列場の写真が掲載されている。そこに「更生館」と書かれていた! 予想通り、これは宮脇書店の前身である。

『香川県の古書店の歴史』




# by sumus2013 | 2019-03-24 20:46 | うどん県あれこれ | Comments(0)

関路鶯

f0307792_19433773.jpg


ここのところいい短冊に出会わなくて紹介していなかった。春らしくなってきたので一枚。これも少し前に求めたものと思う。題の「関路鶯」の「関路」は、句のなかには「大坂」(おほさか)として出ているのだが、おそらく逢坂(あふさか)の関、京から大津へ抜ける逢坂山の関所(山城と近江の国境)、であろう。署名がないことからすれば、知られた歌かとも思う。今、検索したかぎりではヒットしない。

# by sumus2013 | 2019-03-23 19:57 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

もよおしいろいろ

f0307792_11221204.jpg
古書店が開いたちっちゃな追悼 上野紀子装丁本展
2019年4月18日〜5月12日

西荻 古書モンガ堂
https://momoitori.wixsite.com/mongadou


***

f0307792_08214743.jpg
ジョゼフ・コーネル コラージュ モンタージュ
2019年3月23日〜6月16日

DIC川村美術館
http://kawamura-museum.dic.co.jp/exhibition/index.html



***


f0307792_20144235.jpg
木琴は歌う 通崎睦美コンサート
今、甦る! 木琴デイズ vol.11
2019年5月31日(金)

京都文化博物館別館ホール
http://www.bunpaku.or.jp/exhi_gallery_hall/

 通崎好み製作所
http://www.tsuuzakimutsumi.com


***


f0307792_20145165.jpg
ポルトリブレ デ・ノーヴォ コレクション展
2019年4月5日〜4月29日

ポルトリブレ デ・ノーヴォ
http://www2.tbb.t-com.ne.jp/portolibre/


***


f0307792_17251349.jpg
モダン都市大阪の記憶
2019年3月2日(土)~4月7日(日)

大阪くらしの今昔館
http://konjyakukan.com/kikakutenji.html



***


f0307792_17093563.jpg
イシサカゴロウ展
2019年3月20日(水)~31日(日)

ポートピアギャラリー
https://www.portopia.co.jp/palaisbianca/shop/gallery/





f0307792_15490352.jpg
ある編集者のユートピア 小野二郎
2019年4月27日~6月23日

世田谷美術館
https://www.setagayaartmuseum.or.jp





f0307792_20121149.jpg
岡上淑子 沈黙の奇蹟
2019年1月26日〜4月7日

東京都庭園美術館
https://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/190126-0407_okanoue.html





f0307792_17021180.png
杉本秀太郎邸

竹林の隠者と洛中生息者 
富士正晴、杉本秀太郎
2019年1月5日〜3月27日

富士正晴記念館
http://www.lib.ibaraki.osaka.jp/?page_id=181


f0307792_11211382.jpg
茨木でつながる作家
「富士正晴」と「井上靖」
2019年3月28日〜7月31日

富士正晴記念館
http://www.lib.ibaraki.osaka.jp/?page_id=181









# by sumus2013 | 2019-03-23 11:26 | もよおしいろいろ | Comments(4)

PEOPLE HAVE THE POWER

f0307792_16261619.jpg

PATTI SMITH「PEOPLE HAVE THE POWER」(Arista Recods, 1988)。パティ・スミスの12インチシングル。ジャケット写真はロバート・メープルソープ。パティの最初のアルバム「HORSES」(1975)もメープルソープの写真で飾られている。二人は一時期カップルだった。







近年、パティ・スミスと言えば、ボブ・ディランの代役で出席したノーベル賞の授賞式で「A Hard Rain’s A-Gonna Fall」歌ったのが印象に残っている。歌詞を忘れて、ごめんなさい、と言っていたところが良かった。






メープルソープと言えば、アートシーンへのメープルソープの登場はショッキングだった。彼の存在は、ギャラリー・ワタリでの展示(1983)を見て図録を買った記憶があるので、それまでには知っていたはず。『美術手帖』の追悼号(一九八九年六月)はよくできていたと思う。その少し後に買ったのが下の図録『ROBERT MAPPLETHORPE』(Bulfinch Press・Little, Brown and Company in association with Whitney Museum of American Art, 1990, 5th printing)。ホイットニー美術館での回顧展(1988)のために製作されたものでハードカバー版もあるようだ。この本は神戸に住んでいたとき、元町の丸善で買ったのではないかと思う(新刊で!)。当時は、よく丸善の洋書コーナーをぶらついては立ち読みしていたのである。

f0307792_16260849.jpg


f0307792_16260531.jpg
「Horses」のジャケットに使われた写真(右)


本書によれば、ロバートとパティが出会ったのはまったくの偶然だった。Ingrid Sischy「A SOCIETY ARTIST」より拙訳。訳しにくいところは適当にごまかしておいた、お許しを。

《詩人でミュージシャンだったパティとの初めての出会いについてメープルソープの回想は共鳴できるものである。それは魔法のようなつながりをもたらす魔法のような始まり、夢、神話そして歴史となる関係、である。その物語が具体的にどのようにして始まったかについてメープルソープはこんなふうに話してくれた。「地下のアパートメントにいたときだった。彼女は道路から僕の家にふらりと迷い込んできた。ちょうど僕は眠っていて、目を開けると、そこにいままで会ったことのない人がいたんだよ。彼女は誰か他の人を探していて、僕のところに来たんだ、ドアが開いてたから。知ってるでしょ、60年代だったんだよ、ヒッピーたちは誰も鍵なんかかけなかったんだ。》

《少し前に、私はメープルソープと、自信をもたせてくれた人間について話していたとき、彼はスミスについてこう言った。「僕たちは一晩中起きていた。彼女は彼女のことをし、僕は僕のことをして、そして一休みとなったとき、タバコを一服して、互いの作品を眺めたのさ。これがめっちゃ良かったよ。彼女は僕がやったことを認めてくれる一人の人間だった。》

《その頃「彼らのやっていたこと」というのはドローイング、落書き、宝石、絵やオブジェによるコラージュで、スミスは陶芸もやっていた。アイデアを生み出し、二人が通過するべき道にパンくずの印をつけ、それを見つけること。それは、アーティストとしての表現に特別な空間を作り出そうとしているとき、自分のまわりで探し出そうとしている種類のものだった。スミスとメープルソープは精神的な同志であり、アウトロー仲間だった。その後すぐに、彼らは町の新参者[new kids in town]仲間になって、インサイダーになった、アウトサイダーとしてのアイデンティティを持ちつづけながら、二人はいっしょにジョン・マッケンドリィ(John McKendry)やサム・ワグスタッフ(Sam Wagstaff)のような、彼らの人生に重要な役割を担う人々と知り合いになったのだ。》

マッケンドリィは写真家でメトロポリタン美術館の写真部門のキュレーター。ワグスタッフはキュレーターでありコレクターでメープルソープと出会ってから、それまでの絵画コレクションを処分し、写真、とくに無名写真家に注目するようになったそうだ(wiki)。出会いが全てを決めて行く。

# by sumus2013 | 2019-03-22 20:32 | おととこゑ | Comments(0)

余白の研究

f0307792_16354141.jpg
『箋註純正蒙求校本巻下』


昨日の『大燈国師語録』で思い出した。たしかこんな余白の和本、そう言えば、持っていたはず・・・書箱の底をかきまわしていくつか取り出してみたので、参考までに掲げておく。

まず、よく似ているのは『箋註純正蒙求校本巻下』胡炳文撰・近藤元粋註釈(柏原政治郎、明治十五年五月発兌)である。幸い(残念ながら)この本に書き入れはない。きれいなもの。『蒙求』というのは中国の八世紀(宋時代)に成立した人物逸話集で、教科書として日本でも長らく用いられてきた。

f0307792_16354630.jpg

当たり前ながら、このページレイアウトはウィリアム・モリスの余白ルールとは全然違う。ノドと天が広く地は極端に狭い。袋とじという構造からして木口側には余白がない。というのは、製本の際に中央の折り目がはっきり分かるように魚尾(ぎょび)というマークを印刷するからである。そのマーク以外にもタイトルや巻数またはノンブルなどをここに刷るのが通例である。この折り目の部分を版心(はんしん)または柱(はしら)と呼ぶ。

f0307792_16355083.jpg



もう一冊。『仏説無量寿経 巻上』(詳細不明)こちらはノド(綴じ目側)の部分はそう広くないが、天はかなり広くタテ寸法26.5cmのうち7cm近くが余白に当てられている。30パーセント近い。

f0307792_16360434.jpg


f0307792_16360739.jpg

本文八行! これにも驚かされる。行間が広いのも、おそらく注釈あるいはルビなどを書き入れるためだろう。要するに、本でありながらノートでもあった。それを始めから想定して組版を設計していたということになろうか。

高校時代、教科書にメモするのをひどく嫌う国語の教師がいたが(小生、当時は書き入れ派でした、今はもちろん違います)、昔の人は教科書にメモして勉強するのが当たり前だったという事実を知ってもらいたいものだ。

# by sumus2013 | 2019-03-21 17:36 | 古書日録 | Comments(0)

曜変天目と破草鞋

f0307792_17490096.jpg
『大燈国師語録』(元和元年;1621)


「大徳寺龍光院 国宝曜変天目と破草鞋」(だいとくじ りょうこういん こくほう ようへんてんもく と はそうあい」展(MIHO MUSEUM、2019年3月21日〜5月19日)のプレビューへ。信楽の山中も春近しの陽気で気持ちが良かった。

大徳寺龍光院は黒田長政が父・黒田如水の菩提のために建立した。慶長十一年(1606)のことである。初祖は春屋宗園(しゅんおくそうえん)、それを継いだのが江月宗玩(こうげつそうがん)。宗玩は堺の豪商・津田宗及(つだそうぎゅう)の二男だったということもあり、唐物名物(中国から輸入されたブランド品)が龍光院に集まった・・・とカタログの受け売り。

日本に(世界に)三箇しかない(?)という曜変天目が今春、三つ同時に公開されるそうだ。その口切がミホの大徳寺龍光院蔵のもので、来月四月十三日から静嘉堂文庫美術館(同館蔵)と奈良国立博物館(藤田美術館蔵)も公開される。かなり前になるが、後者のどちらかの(たぶん静嘉堂文庫蔵)曜変天目は見た記憶がある。ふつうに博物館の明るいショーケースの中にあるのを間近から見たと思う。しかし、今回、ミホでは真っ暗な部屋に四面がガラス張りの大きな箱の中にポツンと置かれて、スポットライトが当たっていた。暗闇のなかに観客がワサワサうごめいている。ときおり誰かがフラッシュを光らせると警備員が「ダメですよ」と警告。そのときだけお碗の周囲が明るくなって、また別の見え方をする。

色々なお宝を拝見して江月宗玩の寛永文化サロンのレベルの高さがよくわかった。しかしやっぱり小生の目を引いたのは書物、写本や版本であった。例えば江月宗玩が応仁の乱で焼失した原本を復刊したという『大燈国師語録』(元和元年;1621)。この版面、余白の取り方は尋常ではない。

しゃれたことを、と思って続きの展示へ移って行くと、少し先に『臨済録 美濃正法寺版』(延徳三年;1491)が出ていた。これはまた古格のにじむ刷りである。宋版『臨済録』(1120)の和刻(永享九年版;1437)を再刊したものというが、特芳禅傑(1419-1506)による注釈がビッシリ。なるほど、そうだったか、余白を広く取る理由は書き入れをするためなのだ(実際、後でカタログを見ると『大燈国師語録』の余白に江月和尚の書き入れのあるページが出ていた)。

f0307792_17490537.jpg
『臨済録 美濃正法寺版』


なお「破草鞋」とは『臨済録』に出ている言葉で、破れた草履、すなわち無用物という意味だとのこと。曜変天目=破草鞋をわざわざ見物に出かけるのは愚の骨頂・・・・そういう禅的なアイロニイ?

f0307792_17490865.jpg

そうそう、唐物茶壺(十四〜十六世紀)も展示されていた。先月、触れた狂言に出てくる「茶壺」がこういう種類のものだったか、どうだか。大金をつぎ込んだのだから、あるいはこのくらいの茶壺を使っていたかもしれない。

茶壺

# by sumus2013 | 2019-03-20 21:20 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

水灌論

f0307792_16551264.jpg

題簽がないが、ちょっと珍しいのではなないかと思う、服陳貞『水灌論』(西村甚介+加賀屋喜兵衛、宝暦三;1753序)巻之二を入手した。タイトルは「みつかけろん」と読み、全四冊らしい。国会図書館の書誌情報は以下のごとし。

タイトル 水灌論 4巻
著 者  服陳貞
出版地(国名コード)JP
出版地  東都
出版社  加賀屋喜兵衛
出版年月日等 宝暦3序
大きさ、容量等 4冊 (合2冊) ; 22cm
注記装丁 : 和装

f0307792_16550967.jpg

この巻之二には「茶人の論」と「遊里の論」の二篇が収められている。ここでは「茶人の論」だけやや詳しい目に紹介しておこう。

まずは茶道の起こりからざっと説いて、利休の侘茶がいつしか道具に金銀を費やす奢りとなったと続け、一人の茶人を登場させる。本来、侘茶と大名茶は表裏一体のはずなのだが、このあたりは江戸中期の茶道流行を皮肉ったものだろう。

《淵瀬杼折とや聞えし茶人。京都にて富裕なる町人なりしが。大徳寺の朴長老より茶道をつたへられしに。其身此道にかしこく。誰々とかずへらるゝ程になりぬれば。家業があつてハおもふ処へ手か届かぬと。弟の四郎三郎に家をゆづり十徳と身を転じて。明ても昏ても茶事をのみ楽しみけるが。つら〜〜思ふに京にばかり居て名をうづみはたさんもほゐなしと。名利につられて江戸へ下り。面白い所に居さいものと詮議せしが。》

淵瀬杼折や大徳寺の朴長老は、モデルはあるのかもしれないが、架空の人物のようだ。ただし、京の茶人が江戸へ下ると待遇が良かったのは本当で、実際に千宗旦の息子・宗左は長らく江戸に出張して居り、宗旦の死に目(明暦四年十二月十九日;1658)に会えなかった。

《きつと思り出し。むかし白河に住ける僧の。一休禅師にむかひて。紫野丹波に近しといひかけられしを。白河黒谷に隣[となる]と和尚の即答ありしを。権者[ごんじや]の頓智当意即妙。有りかたき事につね〜〜感しけるまゝに。是に原[もとつい]て我もまた青山赤坂に近く深川浅草に隣すと。自問自対にへし付花川戸の辺に地をしめて。三畳大目[さんでうだいもく]に籠城し。熱湯をたぎらせ。関東勢をまちうけたる折ふし。》

紫野丹波/白河黒谷という京の地名と色をかけたダジャレが江戸では青山赤坂となり、深川浅草の対句となっている。説明するのも馬鹿馬鹿しいが。まあ、その侘び住居に空呑屋治部右衛門という男が酒樽を引っ提げてやってくる。そして、茶ばっかり飲んで陰気に暮らしてないで、酒でもくらってパーッとご陽気にやりましょうと言い募る。

《空呑屋治部右衛門[うつのみやじぶえもん]といふ男。案内もなくつつと這入て。これはえたり。けふはよもやと存じて参たれは。やつはり相かはらぬ蓼酢[たでず]をめしあげるゝか。それたゝまいらふよりは鮎の石焼にうちかけて。隅田川諸白[もろはく]下されたらむや面々のもの好とはいひながらいかなる過去の悪因にて。さばかり窮屈に生まれつき給ひしものやらん。それでよふは存[なが]らへて居らるゝ事ぞ。其やうにしてくず〜〜と死んでしまうといふも夏の蝉の春秋をしらぬにひとしひものぞや。ひらに酒をのみ習ひたまへかし。今日は否応いはせぬつもりで持参致したと。五升樽とり出してはやせめかゝる。》

淵瀬杼折も負けてはいない。茶の利点を主張する。

《杼折ハ柄杓[ひしやく]をしやにかまへて。焙烙売か両替屋をわらふたやうに。めつたに茶道[さどう]をこなさるれと。茶の徳ある事御存じないからの事。總じて茶の湯ハ礼義を第一として器物をあつかひ。手前のたしなみ身がまへ規矩をはづさず此やうなせまひ所て態[わさ]を鍛錬するゆへに。いかなる貴人の前法礼[はれ]の座鋪[さしき]といへともあはてつまづく事なく。事ゞつゞまやかにしかも其身賎[いや]しけれど高貴の人にもまじはりたり脇目からはきうくつなと見ゆれど。鬱をひらき眠りをさまし娯しきこと俗のしる處にあらず そも〜〜酒を好む輩[ともがら]を見るに。大かたは酔狂して度をわすれ。泣やら笑ふやら礼を乱し義にたがひ。信をうしなう。或は喧嘩ずきすつはぬき。人をそこなひ身を亡し浅ましき事のみ多く》

「すつはぬき=すっぱぬき」は【刀などを出し抜けに抜くこと】だそうだ。英語の「スクープ scoop」に「すくう、えぐる、掘る」という意味があることと似ている。

《文盲至極の底ぬけ上戸いまた宿酔[しゆくしゆ]の熱が醒ずは一ッふくまいりて心みたまへ調へてしん上仕ふかと持たる柄杓を竹輪にかゝれば。》

f0307792_16550463.jpg

・・・そう言われて引き下がる酒飲みではない。漢詩を引用して知識のあるところ見せつつ説得にかかる。

《空呑屋[そらのみや]天窓[あたま]をふつて申候これ〜〜いや哉〜〜醒て物かあらうかい。つがもない事えふて【酔うて】いふのではないが。貴公の茶の湯。礼儀第一ちとのみ込にくひ。一ッふくの茶を五人三人のみかけては人に飲せ。ずんと末座なわろは。惣様[さうふう]のあまりをのむが。あれは呑方が礼義か。》

《せばい処てばかり仕習ふた態[わざ]は広ひ所へ出したらば。土龍子[むぐらもち]を日向へ出したやうに場うての仕そふなもの。しやそや。酒の徳と申は心ひろく体[てい]ゆたかにして。千畳敷てもひあはいでも飲に二ッなく。上となく下となく酒をいて礼義の第一とし。喜怒哀楽酒をはなるゝ事なし。》

《夜前は大酒ゆへ無礼のだん高免[かうめん]下されたきなどゝ申には。貴人も笑はせられて事済し例[ためし]はあれど。茶が過て申をこなひ致したはいはゞ。人か尤[もつとも]と申さふや鸚鵡返しなれど。貴人に親ふなるも酒の徳李白過采石酒狂入水捉月而死[さいせきをすぎて しゆきようして つきとつて みつにいる  しす]とあるも。太白を称する語とかや。李白はたはけじやといふ者もなし。》

《身代をのみつぶすは酒も茶も同じ事ぞ程を知らぬ茶好がむせうに道具を買集め。参会づき合にいれ上る處は茶にゑふたとやいふへき。醒て驚くには詮もなく。前方買集めたる器物ともを見世にならべ立て。売喰の唐物屋となる人もすくなからず。》

《酒を飲てゑひまぎれに浮世の有さまを見れは。浮萍のごとく赤とんぼうの如しと。酒徳頌にも見えれは。酒ものんたり茶も飲だり。徳もとるたり損もしたり天命にまかせて行着次第にしたまへとすゝめられて。そうもせいといひそうな處を。にかそうな顔してやみぬ》

茶人が「苦そうな顔」をしたとサゲてこの論は終わり。

なるほど、「茶人の論」と題していながらも、これは酒と茶の優劣を論じた、いわゆる「酒茶論」の一種である。「酒茶論」とは、妙心寺五十三世・蘭叔玄秀が天正四年(1576)に著したとされる戯文。青木正児『抱樽酒話』(アテネ文庫、昭和二三年三月二五日)によれば

《やたらに故事を列べたまでで、一向名論奇想も無いものである。》《この書を焼直したものに江戸末期の「酒茶問答」一巻が有る。前の蘭叔の著は漢文で書かれてあつたが、是は其れを和文に翻譯し、更に日本の故事を増益したまでの細工で、著者は平安三五園月麿と有るが、誰か分らない。刊行の年月も未詳で、「寺町通蛸薬師下ル蓍屋幸助梓行」と有り、井上和雄氏の「書賈集覧」によると、此の店は天保頃からの本屋であるから、略ぼ其頃の著らしい。》

江戸時代には、この「酒茶論」と同類のものに「酒飯論」や「酒餅論」などもあり、また安楽庵策伝『醒睡笑』(十七世紀初め)五之巻「上戸」も蘭叔「酒茶論」にならったもの、ということで、人気のあったテーマらしい。馬琴等の編になる『兎園小説』のなかの「大酒大食の會」によれば、実際に、酒組、菓子組、飯連、蕎麦連が互いに大食い自慢を競うイベントまであったそうだ。

青木先生の専門である中国の「酒茶論」はというと、中国では酒は太古からあるが、茶は新参者なので、初めは勝負にならなかった。それが陸羽の『茶経』などが現れ、飲茶が流行しはじめるとようやく「酒茶論」のようなものが戯作されるようになった。敦煌から発見された古写本に郷貢進士王敖撰「茶酒論」一巻が存在する。原本は宋の太祖の時に成った(西暦九七二年頃)そうで中国四千年からすれば、たしかに新参である。

《其の結構は「茶」と「酒」とが出て来て各々其の勲功を誇り、優劣を争うて譲らないところに、「水」が側から仲裁すると云ふ単純なもので、概ね現実に即した談論を討はして故事を博引することなく、俗語まじりの質素な文である。》

この本もまた僧侶の手写だから、この本または類似の本が唐土の寺院に行われているうちに、留学僧が日本へ伝えて、それが蘭叔の著述のヒントになったものか、と青木先生は推測しておられる。

さらに中国では、上戸と下戸の争いは、古く漢の揚雄「酒賦」に現れているとか。降って晋の劉伶「酒徳頌」になると

《まるで下戸を黙殺して取合はぬのである。これこそ上戸の取るべき態度で、所謂「大人先生」は作者自身である。そしてその傍若無人なる態度は下戸を威圧して之に不言の反撃を加へてをり、揚雄の賦の遊戯的なると異り相当真剣である。》

この「酒徳頌」は上記『水灌論』にも言及されているから、我国でもよく知られていたか。また晋末の陶淵明「飲酒」にも上戸下戸の対立を描いた一首がある。和訳は青木先生による。

有客常同止(陶淵明:飲酒其十三)

  有客常同止  
  取舍獏異境  
  一士常獨醉 
  一夫終年醒 
  醒醉還相笑 
  發言各不領 
  規規一何愚  
  兀傲差若穎 
  寄言酣中客 
  日沒燭當秉 

相住みの男同志、趣味はまるきり懸離れて、
一人はいつも酔うてをり、一人は年中醒めてゐる。
醒めたのと酔うたのと笑ひあひ、話しあつてもお互ひに分らない。
諌めてゐる方は馬鹿の骨頂、頑張つてゐる方が少し利口らしい。
酔ぱらひ殿に申上げる、暮れたら火をともして飲[や]るべしだ。

青木先生のこの詩に対する見立ては《下戸と上戸と話し合つても分らない、彼は彼たり我は我たり、道同じからざれば愛相謀らず。是は劉伶より一段進んでゐる。》である。『水灌論』も茶人と酒好きは最後まで融和しないと結論しているところは同じだろう。要するに〈みずかけ論〉である。

# by sumus2013 | 2019-03-19 17:17 | 喫茶店の時代 | Comments(8)

再見なにわ文化

f0307792_17044449.jpg

肥田皓三【皓はツクリが日】『再見なにわ文化』(和泉書院、2019年2月27日)読了。口述筆記ということで、じつに読みやすい。「大阪のもんやったら、何でも好きです」とおっしゃる肥田せんせいが自ら体験した大阪の娯楽シーン(落語、歌舞伎、歌劇、奇術、ジャズ、文学、出版、古書、人形、絵本、などなど)あるいはそのルーツ、および代表的な趣味人たち(木村蒹葭堂、耳鳥斎、生田南水、南木芳太郎)について喋り倒しておられる。聞き手であり原稿にまとめたのは読売新聞の滝北岳氏。同紙上で三年余り連載されたものが一冊になった。楽しくてスイスイと読み終わってしまった。これまでの肥田せんせいのご本にも書かれているおなじみのテーマも多く、なんというか、集大成のような感じである。

ここでは「上方子ども絵本」についてのみ紹介しておきたい。

昭和五十五年に三重の松阪市で子ども絵本が十冊以上発見された。それは、それまで上方には子ども絵本はなかったという定説をくつがえす《児童文学史の世界では、高松塚古墳に匹敵する発見》(肥田)であったという。なぜ上方に子ども絵本がないとされていたのか? その理由は、加賀文庫(加賀豊三郎)、狩野文庫(狩野亨吉)、岩瀬文庫(岩瀬弥助)という江戸時代の書物の三大コレクションに上方の絵本がほとんど見当たらない、からではないかと肥田せんせいは推測しておられる。

近世初期上方子供絵本 10冊附195点/江戸時代(17世紀)/射和町自治会

この発見が契機となって『近世子ども絵本集』(岩波書店)の企画が生まれた。江戸篇は鈴木重三、木村八重子の担当。上方篇が肥田せんせいと中野三敏氏の担当となった。中野氏と肥田せんせいは昭和四十五年頃、せんせいが中之島図書館に居られたときに出会って、意気投合した仲だった。中野氏が肥田せんせいを指名したとのこと。

まずは本を集めることからスタートした。中野氏と氏の師匠筋にあたる中村幸彦の蔵書で六十冊、肥田せんせいが六十冊(《私は府立中之島図書館に行きだした時分の昭和四十五年くらいから、十年ほどで六十冊くらい集めました。即売会で割とよう出まして、なんとはなしに買うてました。》)、その他、信多純一(大阪大学)が十冊ほど、宗政五十緒(龍谷大学)も何冊か、神原文庫(香川大学初代学長・神原甚造のコレクション)に二十冊、国会図書館に四十数冊(これらは何冊かごとに合本になっているそうだ)。結局、上方篇だけで三百五十冊くらいになった。《私と中野三敏さんの概算ですけど、上方の子ども絵本というのは全部で千冊ぐらいやないか、と。だいたいそんなもんで間違いないと思います。

次の写真は『肥田せんせいのなにわ学』(INAX出版、2005年6月15日)の「近世子どもの遊び」の章より、享保から明和あたり(十八世紀中)の子ども絵本(肥田せんせい蔵)。

f0307792_17044182.jpg

ここに注目すべき古本談が挿入されている。江戸の書物を原本そっくりに再現して発行する「稀書複製会」が刊行した唯一の上方子ども絵本に『絵本菊重ね』(北尾雪坑斎)がある。この元本が稀覯書なのだそうだ。

《ところがね、去年(二〇一五年)です。京都の古い本屋さんで、先々代から心安うしてもらってるところがあります。そこが出してる販売目録に、人形のことばっかり描いた子ども絵本が載ったんです。私は今でも子ども絵本となると、気になります。表紙がないので題名はわからない。けど写真が載っていて、一目みただけでわかりました。『絵本菊重ね』の原本に間違いない。稀書複製会の複製で見ているんで、中身はそらで知ってます。値段は八万円。安い。えらいこっちゃ、こんなもん出てくるとは、と思て、私はすぐに申し込んだんだ。けど、手遅れでした。売れてました。これが『絵本菊重ね』の原本やと気い付くのは、よっぽどです。誰も気づかんやろと思ってた。そやけどいてまんねん、これに気づく人が。
 運のええ人です。八万円なんてただ同然でんがな。こんなもんね、最低三十万円ですわ。五十万や六十万つけてもね、売れる。この本屋はね、そんな安く売らない店なんです。表紙もない、しおたれた本でも、まあ気張って八万円の値をつけたんやろけどね。私は絶対買えると思ったんです。癪ですけど。誰が買うたんか、知りたいくらいです。まあ、古本屋は売った先は絶対に言いませんけど。》

世の中にはすごい人たちがいるものだ・・・。これは空振り三振談。しかし、もちろんホームランも飛び出す。上方子ども絵本ではなく、耳鳥斎(にちょうさい)を語った章に出てくる。耳鳥斎は「がこう絵」と同時代の書物に書かれているそうだが、その「がこう」とは何か、肥田せんせいは、その頃、鴻池雅好という粋人がものすごい長い髷をしていて大注目を浴びていたことから、その「がこう髷」を得意に描いたのが耳鳥斎だったので「がこう絵」と呼ばれるようになったのではないか、と耳鳥斎展の図録に書かれたそうだ。すると・・・

《同じ年の九月に東京の古本即売会の目録にね、『鳥羽絵風雅好元髷・今様後篇紋日鬘[とばえふうがこうげんまげ・いまようこうへんもんびかづら]』というのが出ましてね。二万八千円。和本ばっかり扱ってはる本屋さんです。こんなんゆうたら怒られますけど、このお店はあんまりまともな本はおまへんねん。私しばらく考えたんです。好元髷というのは何や知らんのやけどね、髷という言葉にひっかかった。やっぱり、これは見とかなあかんやろと、見ずに買うのは危険なんですけどね。二万八千円、放[ほか]すつもりで、注文したんだ。
 そしたら、まさに「長い髷」の本でしたんや。大当たりでした。》

「風雅好元髷」がどういうものか、それは本書の図版にて確認されたし。むちゃくちゃ面白い。

以上、上方好きのみならず、古書好きにもきっと役立つ一冊であることを保証する。肥田せんせいの語り口もうまく再現されている。上方子ども絵本・・・さすがに均一では見かけたこともない。断片でもいいから転がっていないものだろうか・・・・

# by sumus2013 | 2019-03-18 20:20 | おすすめ本棚 | Comments(0)

俳人蕪村

f0307792_20332739.jpg

獺祭書屋主人『俳諧叢書第二編 俳人蕪村』(ほとゝぎす発行所、明治三十三年三月五日再版)。背が補修されており、表紙には「松岡蔵書」「吉川蔵」とふたつの印が捺されている。本文中にも鉛筆の書き入れが散見される。要するに、愛蔵され、読み込まれた一冊だということだろう。

善行堂の段ボール箱の中から(いいものあります)。これが目に止まったのは、小生、蕪村好きということもあるが、先日「喫茶輪」のブログに鈴木漠氏の論考「蕪村と若冲」が引用されており、そこに蕪村という号の由来が断定されていた、それを読んだからだった。

《号の「蕪村」は、傾倒した五世紀東晉の詩人陶淵明の『帰去来の辞』に謂う「帰りなんいざ、田園将に蕪(あ)れんとす、胡(なん)ぞ帰らざる。」の「蕪」、すなわち「蕪(あ)れた村」に因ると思われます。明治期、人々から忘れられかけていた蕪村を再発見し、世間に称揚したのは正岡子規ですが、漢籍に詳しかった筈の子規が不審なことに、蕪村と陶淵明の関係に全く気がつかず、随想「俳人蕪村」の中で「蕪村とは天王寺蕪(かぶら)の村といふ事ならん、和臭を帯びたる号なれども、字面はさすがに雅致ありて漢語としてみられぬにはあらず。」などと、およそピント外れの意見を述べています。》

喫茶 輪 コーヒーカップの耳

陶淵明『帰去来辞』はあまりにも有名。ここでは問題になる冒頭の一行だけ引用する。

 歸去來兮田園將胡不歸

この作についてはいろいろな解説がネット上にも出ているが、下記が詳しい。

詩詞世界

このサイトの解説を読むと《「蕪」、すなわち「蕪(あ)れた村」》とするには少々無理がある。まあ、それはそれとして、当然、蕪村は『帰去来辞』を知っていたはずだから、魅力的な説であることは否定できない。そして、何が言いたいかと言うと、鈴木氏が引用している正岡子規の文章は本書のなかに見られるものなのだ。本書ではこう書かれている。

《蕪村とは天王寺蕪の村といふ事ならん和臭を帯びたる號なれども字面はさすがに雅致ありて漢語としても見られぬにはあらず。俳諧には蕪村又は夜半亭の雅名を用うれど畫には寅、春星、長庚、三菓、宰鳥、碧雲洞、紫狐庵等種々の名異名ありきとぞ。》(一二六〜一二七頁)

ちょうど頭のなかにこの鈴木説が突き刺さっていたので、蕪村が呼んでくれたのかもしれない。偶然とも思いにくい偶然だった。

# by sumus2013 | 2019-03-17 21:21 | 古書日録 | Comments(4)

ココ、クックー

f0307792_20322951.jpg

goreyさんおよび呱々さんでの一箱古本市、楽しく終了。呱々さんはくらしの古道具とうたっているだけあって、手の出しやすい値段で、センスのいい古道具が並んでいた。台湾や中国から買い付けてこられたという品々も。四十代と思われる女性店主としばらく雑談しながら品物拝見。この古そうな鳩笛を求めた。鳩・・・とは思うが、いわゆる鳩笛とはかなり形が違っているし、釉の色合いも渋い。さていったいどこのものだろう。素焼きの感じは江戸時代くらいにはさかのぼれるようにも思うが・・・わからない。割れているので安価であった。

f0307792_20204326.jpg


f0307792_20202538.jpg


f0307792_20200907.jpg


f0307792_20201894.jpg


f0307792_20202937.jpg

f0307792_20194934.jpg


# by sumus2013 | 2019-03-16 20:51 | コレクション | Comments(0)