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林哲夫の文画な日々2
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読書の時間

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「松本竣介 読書の時間」展(大川美術館)の図録を頂戴しました。深謝いたします。

アトリエの時間

読書の時間」では文字通り、竣介の蔵書(蔵書リストあり!)、ブックワーク(装幀、挿絵、手製カバー)、スクラップブック(初公開)などがたっぷりと紹介されており、興味の尽きない内容だ。竣介は『雑記帳』という文芸雑誌を一九三六年一〇月から三七年一二月まで十四冊発行しただけに、絵描きの蔵書とは思えない、幅広く深い興味の在りどころを示している。

下はごく一部、詩集、フランス文学を中心とした海外文学あたりの並びである。『富永太郎詩集』やプルウスト『スワン家の方』(淀野隆三訳、武蔵野書院、一九三六年)のタイトルを見つけただけで「只者じゃないな、おぬし」と言いたくなる。他にも、リルケ、グウルモン、ノヴァリス、サント・ブウヴ、ベルトラン・・・そして『シュベイク』まで。林芙美子がズラリと並んでいるのは、彼女が近所に住んでいたため、家族ぐるみの付き合いだったそうだ。これら以外にも美術書はもちろん哲学書もかなり読み込んでいた様子である。

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ときの忘れものでは昨年につづいて「松本竣介と『雑記帳』」展が開催されている(〜10月26日)。こちらは『雑記帳』をテーマに寄稿した画家たちの作品も展示されているもよう。カタログには『雑記帳』(復刻版)の全冊目次が出ているが、これがなんとも本格的な文芸雑誌のラインナップで驚かされる(『雑記帳』は一冊だけ架蔵)。創刊号の巻頭が宮澤賢治「朝に就ての童話的構図」(遺稿)というだけで「オオッ!」。

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ときの忘れものは美術商なのでカタログの作品には値段が付いている(別紙扱い)。買おうと思えば買えるのが、当たり前ながら、すごい。欲しいなと思ったのは、このデッサン。家宝にしたいものだ・・・

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没後70年 松本竣介展


# by sumus2013 | 2019-10-15 20:42 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

goreyで一箱古本市

gorey で 一箱古本市

毎月第三土曜日開催


10月19日(土)
12:00~18:00


今回は出品する予定です。お近くの方はぜひ!

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gorey で 一箱古本市

毎月第三土曜日開催


10月19日(土)
12:00~18:00





# by sumus2013 | 2019-10-15 16:39 | もよおしいろいろ | Comments(0)

詘稿

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かなり久しぶりに漢詩の草稿を入手した。巻末に

 通計十九首
 伏奉乞
 運斧

とあるので、師か詩友か、誰かに見せるためのものだったのか? 秋の詩ばかり。手慣れた作風で上手にできているが、その分やや個性に乏しい感じ。以下、全ページ。


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「詘稿」の詘(クツ)は「どもる」あるいは訥弁の訥と同じく「ことばたくみならず」の意であろう。

# by sumus2013 | 2019-10-14 17:07 | 古書日録 | Comments(0)

戦前版内容見本書影集成

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書砦梁山泊発行の『戦前版内容見本書影集成』(2019年10月8日)を入手した。内容見本の表紙が468点掲載されている。小生も少しは集めていたのだが、戦後のものも含め、引越しを機におおよそ処分してしまった。上の『新美術講座』(中央美術社)は表紙だけで中味がないため、残しておいたもの。このデザインがけっこう気に入っている。むろんこれも掲載されている。他にもう一点、筑摩書房の内容見本『ヴァレリイ全集』も持っている、いちばん下に掲げたページ写真の二段目の右端。(臼田捷治さんの『書影の森 筑摩書房の装幀1940-2014』に使用したため)。

こういうのを見ると、また集めたくなるなあ・・・しかし戦前となると、本より内容見本の方が高価だということもしばしばある。戦後でも古めのものは高額になっているし。何であれ、そのもの自体がなくなってくると、人々の注目が集まる。内容見本や古書目録がそういう絶滅危惧のオブジェクトになる時代が来るとは。新刊書店の隅に、これタダでもらっていいのかなと思うような、立派な内容見本が何種類も無造作に置かれていた時代が嘘のようだ。


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# by sumus2013 | 2019-10-13 17:52 | 古書日録 | Comments(0)

BOOK ART 2019

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BOOK ART 2019
2019年10月15日〜27日

京都パラダイス
山崎書店2F
http://www.artbooks.jp/what.html


例年通り二点搬入しました。今年もまた力作、珍作揃いです。
お近くの方、ぜひお運びください。

# by sumus2013 | 2019-10-13 17:22 | 画家=林哲夫 | Comments(0)

レッテル便り

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いつもレッテルを送ってくださる某氏のメモにこうあった。

《[日高書店]は、私ははじめて見ました。字が小さすぎますけど、早大グランド上だとすると、店名には全く心当りがありません。そもそもこの図柄は何? 鳥?》

検索してみると『早稲田大学百年史』に次のような記述があるようだ。

《印度大使官邸の斜め前に二十七年に開業した「三楽書房」の店主佐藤茂が、開業頃の様子を、「当時の早稲田古書店街といえば、早大近くに稲光堂三瓶氏、正門近くに日東堂長田氏、理工書専門の春羊堂根塚氏、早稲田終点〔都電通り〕に風雅書屋の北川氏、豊橋の向う側に集川書店、早稲田通りには洋書を専門の白欧堂佐田氏、照文堂伏黒氏、大進堂北原氏、文献堂小野氏、私の店の近くには現在の一心堂さんのところに経済と洋書専門の日高書房瀬見氏……、文学専門の伊豆書房谷村氏……、一言堂書店、また高田馬場駅前に新井書店、戸塚第二小学校前に南洋堂荒井氏等々、多士済々の諸先輩が早大の学生対象の所謂堅い本ばかり扱っていた」(「古本屋開店 其の一」『東京都古書籍商業組合新宿支部報』昭和五十六年一月発行 第三三号 二一頁)と記している》

三楽書房の住所は東京都新宿区西早稲田3-21-2、《私の店の近くには》とあるので早稲田グランド上で間違いないだろう。

デザインはたしかに鳥のように見える。線が重なっているところは本の側面だろうか。

ご教示いただきました。これはモスクワ芸術座のシンボルマークをコピーしたものでした。チェーホフの戯曲「かもめ」にちなみます。

モスクワ芸術座でЧАЙКА(チャイカ:かもめ)観劇!

劇場の緞帳に使われていたモスクワ芸術座のシンボル「かもめ」

「モスクワ芸術座」の劇《かもめ》とロシア・バレエ団の《火の鳥》

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『チエーホフの手帖』神西清譯、昭和9年、芝書店、より
[KYO氏提供]




# by sumus2013 | 2019-10-12 16:44 | 古書日録 | Comments(5)

もよおしいろいろ

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須賀川出身の作家 水野仙子

菅野俊之氏講演会
2019年11月30日
ふくしまと文豪たち https://sumus.exblog.jp/20105131/

有我すずな氏イラスト展
2019年11月30日・12月1日

須賀川市中央図書館
http://www.city.sukagawa.fukushima.jp/1568.htm







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松本竣介と『雑記帳』展

2019年10月8日〜26日

ときの忘れもの
http://www.tokinowasuremono.com/index_j.html







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高須賀優作品展
笑う道化師

2019年10月17日〜26日

ART SPACE MAYU
https://www.artspace-mayu.com





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名古屋・モダニズム詩展

2019年10月10日〜11月10日

文化のみち二葉館
https://www.futabakan.jp






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「旅の調べ」
Katsuhisa Toda

2019年10月26日〜11月4日

叙友舎
http://www.joyusha.com








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今、蘇る 木琴デイズ vol.12
2019年11月13日

通崎好み製作所
https://www.tsuuzakimutsumi.com








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「個人名のついた研究会会誌の世界」展
2019年12月2日〜22日

西荻モンガ堂


# by sumus2013 | 2019-10-11 19:35 | もよおしいろいろ | Comments(6)

一九三〇年代モダニズム詩集―矢向季子・隼橋登美子・冬澤弦

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二刷出来上がりました!




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『毎日新聞』2019年10月8日号(兵庫面)に季村敏夫さんのインタビュー記事が大きく出た。まず、矢向季子、隼橋登美子との出会いを語り、その次に《最初は2人の詩を別々に紹介するつもりでしたが、本の装丁をしてくれた林哲夫さんから「もう一人、(まとめるのに)誰かいないの」と提案され、冬澤弦が思い浮かびました。》とあってちょっとビックリ。たしかに、最初に相談されたとき、季村さんは、薄い冊子体を想定しておられたようで、しかし中綴じではなく、背を出したいとおっしゃった(図書館で背が読める方がいいと)。

しかし、例えば32ページくらいで背を出してもどうかな、と思ったわけである。その後、みやこめっせの春の古書即売会会場で季村さんと立ち話をしたときに、もう一人加えて、三人ならちょうどいい厚みになるんじゃないですか、誰かいませんか、というような話をした。すると季村さんは即座に「迅くんが見つけた『新領土』の詩人がいるんやわ、冬澤弦。そうや、それがええわ、三人集にしよう」というようなことで『一九三〇年代モダニズム詩集』の骨子ができたというわけである。

《ーー3人の詩は「しなやかさ・切実さ」という共通点はあるものの、かなり違いますね。隼橋は鋭く、矢向には女性性を感じます。冬澤のカタカナ詩には現実社会の緊張感がひそんでいます。

「ーー」は記者(岸桂子)氏の発言。いい感想だ。全体としてよくまとまった記事になっているのもうなずける。

《◆本当に鋭い。なのに、今までなぜ語られてこなかったのか。3人の共通点は(戦前の)総力戦体制を全身で浴びたところです。
 ーー全体を読むと、1930年代を現代に重ね合わせていますよね。
 ◆第一次世界大戦後に西欧で起こった「ダダ」などの1920年代思想が日本に入り、若者の心に食い込みましたが、30年代につながらなかった。そして日本は総力戦体制に突き進みました。この流れは、2年前に成立した共謀罪(の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法)とつながると思うんです。この夏問題化したあいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」をめぐる件も同様です。確かに、執筆の根っこにあるのは現実への危機感ですね。

《ーー大きな声を上げない人、こぼれ落ちる事象に目を向けるという姿勢が、今回の3人につながっていそうですね。
 ◆詩とは絶えずそういうものなんです。僕が強調したいのは文化の多層性。神戸の文化を「モダニズム=おしゃれ」といった面だけで読み解くことはできない。多層性を体感したら、国境や宗教の違いも受け入れられるようになるのでは。

結局、背を出すと言いながら、コデックス装にしてしまったので、背には何も印刷できなかった。これは帯を広くしてなんとか対応したけれども・・・。





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鈴木創士さんが『神戸新聞』2019年9月29日号「もぐら草子 古今東西文学雑記」に『一九三〇年代モダニズム詩集―矢向季子・隼橋登美子・冬澤弦』を紹介してくださいました。

《これらの詩人たちは出来事としての「神戸詩人事件」が醸成されつつあった空気のなかに生息し、息をひそめ、息を吐き、息を吸い込み、詩を書いて、それから姿を消した。編者の季村さんは「消えてしまった、たもしいをよびよせる」と序文に書いているが、彼らは一冊の詩集も残さなかったのだ。3人の詩人の生涯の詳細は本書にあたっていただくとして、私はここでこれらの詩について賢しらに書評めいたことを書く気になれなかった。全編を引用できないことがいかにも残念であるが、最後に矢向季子の詩の断片を一つだけ。

私はあたしから離れよう
ピアノをぬけだすミユウズのやうに
時刻といつしよに地球の外へ滑り落ちる
そして燦めく青い絨氈のなかにゐる
あたしの下髪は
蠟のやうに消えるであらうに》

引用は「青い貝殻」より


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好評につき増刷決定!

「一九三〇年代モダニズム詩集―矢向季子・隼橋登美子・冬澤弦」発売中

この背をむき出しにしたコデックス装が詩人の人たちには新鮮だったようだ。詩集ではまだ珍しいのかもしれない。初めて見ましたという感想もいくつかいただいた。最近ではそう目新しい造本というわけでもなく、ときどき見かける。本ブログでもいくつか紹介してきた。あ、何より『書影でたどる関西の出版100』がコデックスというか「特殊クルミ装」(というらしい)でした。

コデックスは巻物に対しての冊子本という意味なので「コデックス装」という呼び名はどうかと思うが、もうこの意味で定着しているようだ。

様々なスタイルのコデックス装 製本事例
http://www.watanabeseihon.com/article/15472691.html


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8月19日、届いた。予想通りというか、予想以上に、表紙タイトル空押しが効いている。光を当て浮かび上がる詩人たち。

本文もカラー図版多数、詩も、論考も、年譜もいい感じ。しおりがまた充実している。しおりの表紙の挿絵は、扉野良人氏がしおりに書いている腕木通信の文字より取った。みずのわ出版、入魂の一冊。

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一九三〇年代モダニズム詩集—矢向季子・隼橋登美子・冬澤弦


編=季村敏夫

発行=みずのわ出版

装幀=林哲夫

プリンティングディレクション=黒田典孝((株)山田写真製版所)

印刷=(株)山田写真製版所

製本=(株)渋谷文泉閣

四六判(天地188mm×左右127mm) コデックス装 240頁(ノンブル239頁)

表紙 あらじま 白 四六判Y目180kg 表1凹エンボス 表4 K/1°

オビ あらじま 雪 四六判Y目80kg DIC435/1°

本文 b7バルキー 四六判Y目 64.5kg 表版4°/裏版1°

栞 A6変型判(天地148mm×左右100mm)16頁

ファーストヴィンテージ ベージュ 四六判Y目56kg K/1°



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8月の新刊「一九三〇年代モダニズム詩集―矢向季子・隼橋登美子・冬澤弦」

各位
今年の夏も異常に暑い日が続きますが、お変りありませんでしょうか。
今年二点目の新刊「一九三〇年代モダニズム詩集―矢向季子・隼橋登美子・冬澤弦」(季村敏夫編)を刊行します。

小社が関わった神戸モダニズム詩史としては、「永田助太郎と戦争と音楽」(編集=季村敏夫・扉野良人、発行=震災・まちのアーカイブ、製作=みずのわ出版、2009年6月)、「山上の蜘蛛―神戸モダニズムと海港都市ノート」(季村敏夫著、2009年9月)、「窓の微風―モダニズム詩断層」(同、2010年8月)の続編に位置付けられます。

戦時下の神戸と姫路に生き、一冊の詩集も遺すことなく消えた三人の詩人の原石といえる詩篇を収録。かれらの関わった同人誌の人脈から総力戦体制下の文芸活動を検証し、治安維持法違反容疑で詩人17名が一斉検挙された神戸詩人事件(1940年3月3日払暁)の背景と今日的課題を明らかにすべく、今回刊行の運びとなりました。刊行の趣旨につきましては、本書「はじめに」全文を転載しますのでご一読願います。

なお、本書は600部の少部数限定出版、いわゆる自費出版物です。高額なれど本書を必要不可欠とする読者の求めやすい価格という編者の要望もあり、仮に全部数を定価で販売しても制作費全額は回収できない、そういった価格設定となっております。編者著者が肚を括らなければまともな本を遺すことができない、そんな時世でもあります。

8月15~25日頃出来予定、です。ご購読のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

フェイスブックとブログに、本文の刷取り画像を掲載しています。
2019年8月5日
みずのわ出版 代表 柳原一徳 拝

一九三〇年代モダニズム詩集―矢向季子・隼橋登美子・冬澤弦
四六判コデックス装 239頁 図版64点(ほぼ全点カラー)+栞16頁
8%税込2,916円(本体2,700円)ISBN978-4-86426-038-1 C0095
初版第一刷2019年8月15日発行
編=季村敏夫
発行=みずのわ出版
装幀=林哲夫
プリンティングディレクション=黒田典孝((株)山田写真製版所)
印刷=(株)山田写真製版所
製本=(株)渋谷文泉閣

はじめに(本書3~4頁収録)
 かつてあったことは、後に繰り返される。殺戮、破壊、錯誤、懺悔、その重なりのなかで、身体の刻む詩的行為の火、花、火力は現在である。

 上梓のきっかけは、一冊の同人誌と映画との出会いだった。小林武雄編集の『噩神(がくしん)』創刊号で矢向季子を知った。身震いした。映画は、日本統治下の台南の詩人を描く『日曜日の散歩者』(黄亞歴監督)。台湾を襲った地震の映像のあと、同人誌『神戸詩人』が迫ってきた。西脇順三郎らの『馥郁タル火夫ヨ』から引用があり、明るさの戻った部屋で茫然としていた。「現実の世界は脳髄にすぎない」「詩は脳髄を燃焼せしむるものである。こゝに火花として又は火力としての詩がある」、わたしはあらためて、戦時下の詩をたどりはじめていた。

 同人誌と映画との遭遇が、次から次へと出会いを導いてくれた。平坦ではなかったが、みえない数珠のつながる道のり、促されるまま従った。

 かつてあったことは、後に繰り返される。一九三〇年代後半、シュルレアリスムに関わった青年は治安維持法違反容疑で次々と獄舎に送られた。神戸詩人事件はそのひとつだが、現在である。今回編集した矢向季子、隼橋登美子、冬澤弦、初めて知る詩人だが、このラインにも、シュルレアリスムへの目覚め、総力戦、同人誌活動の終焉、モダニストの戦争詩という歴史がある。しかも三人は番外の詩人、一冊の詩集もないまま消えた。

 あるとき、ある場所で、確かに生きていたひと。詩は、息のひびき。声を出して読めば、ひとはよみがえる。生きていた場所、場所の記憶、青空に染まる歓声まで戻ってくる。

 消えてしまった、たましいをよびよせる、この集を編みながら念じていた。

(「がく神」の「がく」の漢字は環境依存文字ゆえ、パソコンによっては正しく表示されない場合があります)

■目次
矢向季子詩集抄/隼橋登美子詩集抄/冬澤弦詩集抄
「夜の声」読後感(矢向季子)/詩をよみはじめた頃(内田豊清)
内田豊清のこと/矢向季子のこと―シュルレアリスムの目覚め/隼橋登美子のこと―神戸詩人事件について/冬澤弦のこと/『神戸詩人』と台南の風車詩社について―石ほどには沈黙を知らず
初出一覧/関連年譜

■栞(16頁)
天使は肉声でうたう 藤原安紀子
遠くに書く―モダニズム詩所感 扉野良人
「しんぼるの森林」に分け入る 高木 彬

■編者
季村敏夫 きむら・としお
一九四八年京都市生まれ。神戸市長田区で育つ。古物古書籍商を経て現在アルミ材料商を営む。著書に詩集『木端微塵』(二〇〇四年、書肆山田、山本健吉文学賞)、『ノミトビヒヨシマルの独言』(二〇一一年、書肆山田、現代詩花椿賞)、共編『生者と死者のほとり――阪神大震災・記憶のための試み』(一九九七年、人文書院)、共著『記憶表現論』(二〇〇九年、昭和堂)、『山上の蜘蛛――神戸モダニズムと海港都市ノート』(二〇〇九年、みずのわ出版、小野十三郎特別賞)、編著『神戸のモダニズムⅡ』(二〇一三年、都市モダニズム詩誌、第二七巻、ゆまに書房)など。


# by sumus2013 | 2019-10-11 19:23 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

「キネマ旬報」創刊より廃刊まで

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田村幸彦(左)とクララボウ(四百号より)


『キネマ旬報』(第七百三十五号)終刊号掲載のキネマ旬報の年表がじつに貴重である。以下、小生が適当に抜き出した略年譜を掲げておく。

「キネマ旬報」創刊より廃刊まで
大正八年七月〜昭和十五年十二月

大正八年
七月 キネマ旬報創刊、毎月三回一の日発行、四六倍判アートペーパー二枚折四頁定価金五銭、東京市本郷区丸山新町四番地黒甕社より発行、編輯同人は田中三郎、田村幸彦、増戸敬止郎、日浦武雄の四名、編輯部を浅草区蔵前片町二一和歌山方に設置、第一号発行部数五百部(十一日)

大正九年
四月 編輯部を赤坂溜池町三〇番地葵館内へ移転

大正十年
三月 本社の組織を変更し、黒甕社より分離して茲に始めてキネマ旬報社独立す。
七月 本社を麻布区今井町三五番地へ移転

大正十一年
十二月 田村幸彦ユニヴァーサル社を退社し、業界視察研究の為め八日横浜出帆太洋丸にて渡米。
本社を赤坂区田町六丁目五番地へ移転

大正十二年
九月 関東大震災、本社屋亦類焼の厄に遭ひたるも幸ひ重要書類其他大半の所蔵品を搬出、麻布区今井町田中三郎宅へ避難、臨時事務所を設置す。
十月 田村幸彦大震災の報に急遽帰朝
十一月 本社を兵庫県武庫郡西宮町川尻二六一一へ設置、田中、田村、山路、平尾の四名同所へ転居、其他の社員同人は東京に残留、東京支社を麻布区今井町三五番地に設置。

大正十三年
五月 京都支部を設置、山本緑葉担当。
七月 本社直営売店東京映画堂を神田区神保町東洋キネマ隣に、神戸映画堂を神戸市湊川新開地千代之座横に開店。
十月 京都支部を京都市七条大宮下小島龍昇堂内へ移転。
十二月 月刊雑誌「映画往来」創刊、佐藤雪夫編輯を担任。

大正十四年
四月 京都支部を京都支社と改め京都市上京区北野白梅町一番地に事務所新設、山本緑葉支社責任者となる。

大正十五年
三月 本社事務所を西宮市川尻二六二六へ移転(六日)

昭和二年
五月 株式会社キネマ旬報社創立事務所を東京市麻布区今井町三五に設置 堤友次郎、中曽根丈衛、根岸耕一、角間啓二、中谷義一郎、佐藤正威、矢野目源一、近藤経一、田尻種経、田中三郎、田村幸彦発起人となり一般より株式を公募す。
九月 株式会社キネマ旬報社創立総会開催
十二月 本社事務所を東京市麹町区内幸町一ノ三、太平ビルへ移転、同時に大阪支社を大阪市北区梅田新道太平ビルに新設、清水千代太大阪支社詰となる。

昭和十三年
九月 本社京都支部移転(京都市上京区大将軍一条町四七)

昭和十五年
十二月 本誌一日号(第七百三十五号)を終刊特別号として発行と共に、大正八年七月十一日創刊以来二十一年五ヶ月を以て本誌を廃刊、映画雑誌新体制へ参加。
廃刊時の本社員は左の通りである。社長田中三郎、編輯部、清水千代太、内田三岐雄、飯田心美、池田照勝、水町青磁、友田純一郎、滋野辰彦、松村武夫、松木英太郎、企画部松田益蔵、米澤五郎、会計部村田長太郎、調査部、津田時雄、安田素子、営業部、平尾四郎、宇賀神武之助、森田昌宏、石川良介、合田慶三、大橋作次郎、繁田力。関西支局、山本幸太郎、村上忠久、山本利雄。満州支局、鈴木重三郎。
尚編輯部同人、田村幸彦、飯島正、岩崎昶、岡村章、奥村隆三、岡崎真雄、古川緑波、木村千依男、北川冬彦、岸松雄
社友、石川俊重、森岩雄、渡辺恒茂


年譜と重複するところもあるが、田村幸彦「二十年以前」という記事の梗概もメモしておこう。

大正八年春、東京高等工業学校の応用科の三年生。大戦後の好景気に湧いていた。同級生の田中三郎、増戸敬止郎、日浦武雄らと黒甕社を作り、神田の上方屋から絵葉書楽譜を売り出す。四年生になって、女優マートル・ゴンザレスにファンレターを出したところサイン入の写真が送られて来て病みつきになった。つぎつぎアメリカのスターたちにファンレターを送った。これらを上方屋からブロマイドとして売り出し、つづいて二色刷の絵葉書にしたところよく売れた。

そのころ、同人が集まっている時、映画雑誌を出してはどうかという話になった。当時『キネマレコード』が潰れ、『活動雑誌』『活動写真雑誌』『活動画報』『活動倶楽部』があったが、いずれも日本映画に力を入れていた。初めは時間が取られるから尻込みした。しかしやると決めると度胸がすわり、月三回発行の『キネマ旬報』(命名は田中三郎)が誕生した。

雑誌名ロゴは増戸が書いた。大正八年七月十一日に第一号を発行。黒甕社、発行名義人は増戸敬止郎、資本は田中三郎が出資(百二十円)。印刷は葵館の宣伝媒体を引受けていた英文通信社印刷部。アート紙を買って印刷所に持ち込んだ。第一号は四頁、五百部、定価五銭。上方屋から全国の絵葉書屋へ配布してもらった。八掛け。創刊号は二百何部かが売れ残り、第二号は三百部に減らした。三号から売れ始めた。四号から九号まで五百部に戻し、十号は八百部、定価十五銭とした。十二月十日発行十六号から六頁、定価十銭とした。二十号の特別号(十二頁、二十銭)に初めて日活、ユニヴァーサルから広告をもらった。

当時、外国映画を輸入していたのは、日活、ユニヴァーサル日本支社、国際活映株式会社の三社だけだった。大正十一年にユナイテッド・アーチスツ社とパラマウント社の支社ができた。いずれも宣伝部というものがまだなく、宣伝写真はフィルムのコマを切ってもらって使った。内容の紹介も外国雑誌から翻訳し(『モーション・ピクチャー・ニュース』と『モーション・ピクチャー・ワールド』など)、配役やスタッフなどの名前は映画を見て手帖に書き留めた。

大正九年三月十一日号から六頁になった。ユニヴァーサルが二頁広告を掲載してくれたためである。ユ社のトム・コクラン氏と親しくなった。同年三月に卒業し、四月から東京の藤倉電線株式会社の研究室に就職した。四月末頃に溜池の葵館の二階を事務所として借りた。昼間は勤めて、夜、旬報の編集をしたが、年末に体調を崩し、会社を辞め、松竹キネマ蒲田撮影所内の外国部へ翻訳係として入社した。田中三郎も同社に入った(後、大阪の芝川商会へ)。葵館は日活の代表館で浅草の電気館が封切館、葵館が二番館で西洋映画専門であった。説明者は徳川夢声が主席で名声を維持していた。

もうひとつ、田村幸彦「震災の頃」より。

ファン雑誌として発足、トレイド・マガジンの形をそなえ出したのは大正十二年の震災を境として。当時アメリカにいた。十月六日に帰国。香櫨園に小さな家を借りて事務所とした。十一月二十一日号から復活。神戸の大阪商船ビルにあったパラマウント社が七頁の広告を註文してくれた。同社には《当時未だ宣伝部が無く、広告の図案は私が勝手に作り、日本題名も、殆んど私が極めたものである、宣伝部のあつたのは、ユニヴァーサルとユナイテッド・アーチスツの二社だけであつた》。旬報独特の折込広告を創案したのは当時イリス商会にいた須田鐘太だった。ドイツ映画「ジークフリード」が輸入されたとき初めて二色刷の折込広告を作って旬報へ持ち込んで来た。二頁を二十円で引受けたが、これは安過ぎたが、この折込のおかげでメキメキと発行部数が増えた。

戦前の『キネマ旬報』はこんな雑誌だったのである。目からウロコが落ちた。

# by sumus2013 | 2019-10-08 19:34 | 古書日録 | Comments(0)

キネマ旬報

古いところの『キネマ旬報』を大日本レトロ図版研Q所より借覧中である。映画はほとんど知らない作品ばかり。まあ、それも面白い。アメリカ映画がドッと押し寄せている感じがひしひし伝わる。また、数多く掲載されている映画広告に、大正末から昭和にかけて流行した「キネマ文字」が踊っているのも見どころである。順次増やして行く。

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ヴァージニア・チェリル

400号 昭和6年5月11日
キネマ旬報社:東京市麹町区内幸町一ノ三
大阪支社:大阪市北区梅田新道太平ビル
発行人 田中三郎
編集人 田村幸彦
印刷所 中村福昌堂
印刷人 中村文一郎
製本所 小高製本所


渡米中の田村幸彦がクララ・ボウについて書いている。

《紐育滞在中、多くの人たちから、クララ・ボウと云ふ女は、如何に酒飲みで、如何に博奕が好きで、如何に浮気ものであるか、等々の噂を聞かされて来た僕は、だからクララに逢ふことに非常な興味を抱いて居た。然し、眼の前に彼女を眺め、彼女の手を握つて初対面の挨拶を交わした時、僕はクララが矢張り普通の女と少しも変つたところのない一女性であることを認めない訳には行かなかつた。
(中略)
彼女は女中が一人付き切りで身の廻りの世話をする外に、髪の色や身長の同一なダブルが一人雇つてあつて、同じ衣裳をつけ、焦点を合す際などにはこの替玉嬢が現れる事になつて居た。この替玉の娘は容貌もクララに似て居るし、全然同一のメイクアップをして居るために、一寸見ると御本尊と間違える位である。
(中略)
 クララは度々僕に日本の話を聞かせてくれと強請んだ。桜の花や、フジ・ヤマやキモノの美しいことは話に聞いて知つて居た。監督のウォーレス氏と僕とクララの三人で或日昼飯の卓を囲んだ時、日本の酒が話題に上つた。ウォーレス氏が
 「日本のお酒は温めて、小さい盃で一口つゞ飲むんだよ。味はとても甘いぜ」と通を振り廻したら、「あたしも一遍飲みたいわ」と彼女が云ふので、日本街へ来れば、いつでも御馳走すると僕は答えた。それを聞くとクララは小供のやうに手を打つて
 「本当?まあ嬉しい!」と、大変な喜びやうではあつたが、然しこの約束は、連日夜間撮影があつた為、到頭実現することが出来なかつた。せめて僕があと二週間滞在する事が出来たならクララの飲み振りを拝見する事が出来たのに》






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メリー・アスター

397号 昭和6年4月11日
キネマ旬報社:東京市麹町区内幸町一ノ三
大阪支社:大阪市北区梅田新道太平ビル
発行人 田中三郎
編集人 田村幸彦
印刷所 中村福昌堂
印刷人 中村文一郎
製本所 小高製本所


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《邦文字幕の反響
 パ社に倣ふ外国映画会社
  フォックス社は日本語
  版も製作するか?
 パラマウント日本支社がトーキーの不評に対する妥協策として同社映画に邦文字幕を挿入する方法は「モロッコ」においてはじめて試写され意外なる好評を博したためパ社本年度映画は悉く邦文字幕を挿入することは既報の通りだが、パ社 新方法は外国映画界に一センセーションを起し各支社とも類似の方法を研究中でオール・トーキーは早晩日本版を作ることになるものゝやうである。即ちフォックス社は日本支社代表クラレンス・フォン・ヘイク氏が四月廿日頃帰米するので目下具体案を協議中 映画中の会話を在米邦人によつて日本語とするかパ社同様邦文字幕挿入とするかの何れかへ帰著するものらしくメトロ社では現在ワーナー、F・N映画等に用ゐられてゐる「エックスヴァージョン」採用説が盛んである。以上の各社ともまだ態度は決定してゐないが、パ社映画との対抗上秋のシーズンまでには具体的な結果を見るに至るであらう。》

《八銭と十五銭の入場料で
  大東京開館
    洋画専門上映
 東京市内に一番安いといふ外国映画上映館が、四月一日から開館した。それは、いままで色物を出してゐた浅草の大東京で、入場料は八銭に十五銭、尤も八銭は子供と老人であるが、割引から大人八銭子供四銭になつてしまふ訳である。
 上は一円二十銭から下は金十銭まで、浅草映画街の十余館が値下げ競争の中に、この均一料金は大勉強といはねばなるまい。
 これまで、十銭均一、所謂「テンセンス・ショウ」で遊楽館があるが、これはチャンバラ日本映画専門で、十銭の看板を上げた当時はセンセーションを起したが、今度は洋画館だけに驚ろかされた。
 開館番組はMGM映画「コサック」に「ロイドの危険大歓迎」》

寄贈雑誌紹介欄が初めて出ている(手元にある号のうちで)。いろいろな映画雑誌があったことが分かる。一般誌と思われるものは略して引用しておく。

映画往来 麹町区内幸町一ノ六商興ビル 往来社
映画時代 麹町区有楽町三柏ビル 其社
蒲田 麹町区三年二[ママ] 其雑誌社
日活映画 麹町区三年町二 映画世界社
松竹 小石川区小日向水道町五三 豊国社
映画と演芸 麹町有楽町[ママ] 東京朝日新聞社
サンデー・キネマ 大阪市西成区粉浜中ノ町一ノ一六 其社
映画女王 小石川区白山前町五七 其社
キネマ新聞 京橋区銀座七丁目五ノ十二号 其合名会社
活動新聞 芝区西久保八幡町十一 其社
日刊帝通映画部通信 京橋区銀座西五ノ二 帝国新聞社
キネマ週報 京橋区木挽町二ノ四 其社
キネマ・ニュース 京橋区銀座西八丁目九ノ六 影絵社東京支社
帝都プロ集 市外高田町雑司ヶ谷一一四六 東京キネマ週報社 





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ライラ・リー

384号 昭和5年11月21日
キネマ旬報社:東京市麹町区内幸町一ノ三
大阪支社:大阪市北区梅田新道太平ビル
発行人 田中三郎
編集人 田村幸彦
印刷所 中村福昌堂
印刷人 中村文一郎
製本所 小高製本所


《俄然厳重を極める
  大阪府のメートル制限
   「京へ上つた退屈男」の難
 東京に於いては、映画のメートル数制限に関して、これが延長運動が行はれつゝある際、大阪府に於いては突如その制限に厳重を加へることとなり、去る十一月十日より、道頓堀朝日座に封切と決定した右太プロ映画「京へ上つた退屈男」は、僅か三十米の制限超過のため、遂ひに上映不能の憂目に遭ひ、常設館方面へ非常なる脅威と迷惑を与へた。(中略)
 元来、大阪府のメートル数は他府県に比して非常に短く、常に番組上の困難を感じてゐることであつた。東京では五千五百米四時間以内、大阪では四千六百米で、近頃のやうな不況の際は尚更困つてゐた際である由。斯く厳重になるた裏側には、当該警察署と府との感情上の問題らしいと噂されてゐる。》

《今日の問題
 映画館争議の実際
      池田壽夫
 まへおきーー吾が映画界も御多分[ママ]に洩れず、今や不景気風が吹きまくつて、大松竹は辛くも配当を据置いたが、日活は二分減と俳優俸給引下を敢行し始めざるを得なくなつた。興行界も外見だけは派手にやつてゐるが、内部では火の車だ。あちでもこちでも給料引下、給料不払、写真料滞納等々のいまわしい噂を聞かぬ日とてもない。殊に最近に入つて小屋を閉鎖せざるを得ないほどに経営難に陥り、従業員が路頭に迷つた揚句、とう〜〜「争議」の形態をとつて、積極的に経営者と争ふやうな現象がポツ〜〜と現れ始めてきた。けれども常設館の争議ほど、複雑してゐて面倒くさいものはなく、ーーその癖腰が弱く、他愛ない争議も、他には見られまい。
(中略)
 兎に角、常設館経営もこれから益々楽ではない。一方澎湃と押し寄せ来る不景気の波と、他方内部的に結束し行く階級力と。争議の頻発は瞭然だ。それを予想して双方共、今から準備にかゝることは遅過ぎても早過ぎるといふことはない。
 常設館よ、何処へ行く?
 争議の勝利は孰れに在るか?》






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アリス・ホワイト

372号 昭和5年7月21日
キネマ旬報社:東京市麹町区内幸町一ノ三
大阪支社:大阪市北区梅田新道太平ビル
発行人 田中三郎
編集人 田村幸彦
印刷所 中村福昌堂
印刷人 中村文一郎
製本所 小高製本所

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関屋敏子主演「子守唄」四ページ連続二色広告
1930年、不況の影響か、頁数(74)も広告もかなり減っている。

《ユ社映画撮影に
  草人突如渡米
上山草人氏は松竹キネマ、オールスターキャストで「愛よ人類と共にあれ」を撮影することに決定してゐたが十四日米国に残してゐた浦路夫人からユニヴァーサルのモンタ・ベル監督の映画に配役が決定したから至急帰米せよとの電報があつたので松竹と相談の結果、十七日午後三時エンプレス・オブ・カナダ号で横浜を出発することになつた、なほ「愛よ人類と共にあれ」の映画は九月下旬再び帰朝、完成することとなつた。

《悄然と故国を去る
  早川雪洲
早川雪洲氏は帰朝後、宝塚の国際映画に入る如く伝へられ、不調に終り、また日活入りして「天草四郎」を映画化すやうに伝へられたが、世は既に雪洲の時代を去つて、一向に人気あがらず、これも不調に終り、往年世界的名声を馳せた雪洲も孤影悄然として再び米国へ渡る事になつた、今度は十分の注意と準備を整へて来るといふ、出発は八月八日横浜出帆の秩父丸と決定してゐる。

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もうひとつ、河野鷹思、発見。
松竹キネマ特作の6本まとめて広告







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バーバラ・ケント

344号 昭和4年10月1日
キネマ旬報社:東京市麹町区内幸町一ノ三
発行人 田中三郎
編集人 田村幸彦
印刷所 中村福昌堂
印刷人 中村文一郎
製本所 小高製本所


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これは、河野鷹思だ!

と思って『青春図會 河野鷹思初期作品集』(河野鷹思デザイン資料室、二〇〇〇年)を調べて見たが、この「情熱の一夜」の広告は収録されていない(同書の初期図案はキネ旬や『国際映画新聞』から取られているとのこと)。この年(昭和四年)一月、河野は東京美術学校図案科に在籍のまま、松竹キネマ株式会社宣伝部に図案係として入社していた。以後、一九三五年五月の退職まで同社の予告ポスター、映画雑誌の折込広告、新聞広告などのデザインを多く手がける。まさに山田伸吉の「大正調」キネマ文字からの脱却が、ここからスタートしたわけである。





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リチャード・アーレン

340号 昭和4年8月21日
キネマ旬報社:東京市麹町区内幸町一ノ三太平ビル

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ハリー・ポラード監督「ショーボート」の綴じ込み型抜き広告


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ウォルター・フォード監督「サイレント・ハウス」の広告
タイトル以外は全て英文


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クララ・ボウ主演「曲線悩まし DANGEROUS CURVES」


この号はカラー広告がかなり多くなっている。時報欄には「武蔵野館の楽士減員から/本邦最初の楽士争議/警視庁の調停で円満解決/ミジュシャン協会の活動」という見出しがある。

《トーキーの出現、レコード伴奏の採用から常設館に働く楽士の失業問題が起り、それ等の楽士を会員として日本ミジュシャン協会が成立したことは既報したが、今回その第一回の争議が起つた。
 それは新宿武蔵野館で、去月卅日突然無警告で楽士十七名の内六名に手当一ケ月分を支給して解雇したところ、トーキー流行で就職難の折柄、解雇手当一ケ月では如何とも仕方がないとて、経営者市島亀三郎氏に手当二ケ月分を支給するか、解雇を十月まで延期するかして貰ひ度い、と歎願したが拒絶されたので、ミジュシャン協会に通知して応援を依頼すると共に警視庁調停課に出頭、事情を述べて調停方を依頼した。》

全国に二万人の楽士がいるとのことである。





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エステル・テイラア

299号 昭和3年6月21日
キネマ旬報社:東京市麹町区内幸町一ノ三太平ビル


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「闇より光へ」の原題が「DRESSED TO KILL」

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《映画漫談
第一人者は必ず/犠牲者となる
ーー近藤伊与吉君の/フリーランサーに就いてーー
              小笹正人
甲『近藤伊与吉君が、フリーランサーを宣言したね。君は何う批判してゐるかね。』
(中略)
乙『ウン成功さしたい。だがフリーランサーは、亜米利加のやうな処だつたら出来るかも知れない。日本のやうな処では、根本に於て実行不可能と見られる重大原因がある。』
甲『何だらう。夫れは。』
乙『日本の映画は、専属俳優でないと、絶対に売れないよ。売れないのぢやない、製作者も常設館も売らないのだ。名優松之助も日活専務のお蔭で日本一の人気者でゐられた。彼を自由の立場に置いて見たまへ。恐らく裏長屋で貧乏して死んだかも知れないよ。』
(中略)
乙『(中略)近藤君もフリーランサーとして十字架の苦を見るだらう。而して自分は犠牲者になる事があつても、必ず同君の事業を次ぐ第二人、第三人が出て来る。其人が必ず成功するよ。》






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カーメル・マイアース

274号 昭和2年9月21日
キネマ旬報社:兵庫県西宮市川尻二六二六
キネマ旬報社東京支社:東京市麻布区今井町三十五


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折り込み広告 ドロレス・デル・リオ「カルメン」フォックス映画会社


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《九月中旬帝都の
 外国映画戦景況
九月十五日よりの帝都外国映画界は、愈々秋期シーズン戦白熱の状態を呈し、ジョン・バリモアの「ドンファン」及びキートンの「大学生」が武蔵野、帝国両館に打つて出たに対しパラマウント系邦楽座、東京館及びユ社系日本館はフォックスの「栄光」及びマンジウの「夜会服」(日本館は「名馬雷電」)を以て対抗し、茲に凄じい白兵戦を現出したが、初日、第二、第三日の景況を見るに、公園に於ける帝国館は外国物館第一位を占め、武蔵野館亦市内館第一位を占めて、パ社系に比し、その上り高には格段の相違があるらしく、武帝両館共此の興行では好況の絶頂時代に於けるレコードを凌駕せんとする好成績であると伝へられる。》(時報)

《キネマ旬報社が株式会社に成る機運も愈々熟して、九月三十日には東京で創立総会が開かれる事に成つた。映画関係の方面へ株を持つて頂きたいとお願に行つたりすると、思ひも寄らない理解と同情との言葉を至るところで聞いたのは、私にとつて望外の喜びであつた、微々たる私達の出版物が立派な事業に成る事を思ふと、八箇年間苦楽を共にして来た私達は、実に感慨無量ならざるを得ない。》(編輯後記)






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ヴィルマ・バンキー

272号 昭和2年9月1日
キネマ旬報社:兵庫県西宮市川尻二六二六
キネマ旬報社東京支社:東京市麻布区今井町卅五


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折り込み広告 ラオル・ウォルシュ「栄光」フォックス映画会社


《神戸聚楽館が
 常設館になる
神戸湊川新開地の聚楽館は最近松竹合名会社と菊水キネマ商会との共同経営で邦画専門の常設館と成る事に決定し、開館の週には妻三郎映画「砂絵呪縛」を封切る予定である。》(時報)






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オリーヴ・ボードン

248号 大正11年12月11日
キネマ旬報社:兵庫県西宮市川尻二六二六
キネマ旬報社東京支社:東京市麻布区今井町卅五


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折り込み広告 阪東妻三郎一人二役主演「乱闘の巷」


《神戸松竹劇場
 映画館に成る
神戸湊川新開地の松竹劇場は愈々来る正月興行より大阪京都両松竹座の姉妹館として、高級映画封切館に成る事に決定し、第一週にはパラマウント社の新映画を封切る予定である。》(常設館便り)

《常設館へ強盗
滋賀県彦根町の帝国館へ十二月三日午前一時頃から未明迄に賊忍び入り現金一円ばかりを窃取の上十日頃迄に来るから現金百円を用意して置け若し応じなかつたら帝国館を焼き払ふと凄文句を並べた脅迫文を書き置き逃走したとは、どこまでも映画式の盗賊振り。》(常設館便り)






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アイリーン・リッチ

234号 大正11年7月21日
キネマ旬報社:兵庫県西宮市川尻二六二六
キネマ旬報社東京支社:東京市麻布区今井町卅五

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折り込み広告 エドワード・セヂウィック監督「燃え立つ戦線」


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「時報」欄より検閲記事をば。「朝鮮と台湾の/映画検閲/八月一日実施」

《朝鮮総督府では七月五日付、台湾総督府では七月八日付をもつて、映画検閲規則を発布し、七月一日から実施する事に成つた。朝鮮の手数料は内地と同じく三メートル五銭、台湾は五メートル五銭と云ふ事に成つたが、朝鮮では常設館数五十、台湾は僅か十館に過ぎないのに、此の手数料は高すぎると、映画業者は全廃運動を開始して居ると。》

「編輯後記」より。編集部は香櫨園にあったようだ。

《東京から古川、岡崎、岩崎、高橋等の諸君が大挙遊びに来たので、急に賑かに成つた。それにめつきり暑く成つて、編輯には辛い時期と成つた。夕方浜へ出て泳ぐと、仕事の辛さもすつ飛んでしまふ程快よい。旬報社へ遊びに行きたいなどゝ愛読者の方から時々手紙を頂くが、どうか遠慮なくどなたでも遊びにいらつしやい。その代り何のお愛想もありませんよ。東京の連中は皆んな河童と馬の化身であるかの様に此の香櫨園を荒らして居る。ウマと云ふのは僕等の術[ママ]語?で社外の方には判るまいが、カードの名手を云ふのである。夏の間は月三回の発行は仲々骨が折れるーーなどと愚痴はもう云ひません。早く秋が来れば良いな。(田村生)》





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アンナ・Q・ニールスン

233号 大正11年7月11日
七周年記念号
キネマ旬報社:兵庫県西宮市川尻二六二六
キネマ旬報社東京支社:東京市麻布区今井町卅五

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キネマ文字はアールデコのレタリングの日本的な解釈ではないかと思う。誌面からアールデコが大衆化したようすがよく分かる。

この号の「時報」欄に検閲に関する記事が出ていた。「映画検閲料金が/一年間に十四万円/近く検閲所大増築」

《昨年七月一日に新設された内務省の活動写真検閲所は近く大拡張をする事に成り、二万円の予算で現在の西側宮城前芝生の中に建坪六十四坪を増築中であるが、本月末竣工を待つて大型映写機二台を購入し、同時に検閲官八名、事務員十二名を全部で三十名に増員する事に成つた。
 既往一年間のフィルム検閲数は一万三千五百三十七件で、約六万巻十二万米突に達し、そのうち四万米突が新規物、六万米突が複写物(複写物とは同一映画のセカンド・プリントを示す。映画によつては七八本自至十数本のプリントを使用する事あり)二万米突が再検閲物で、検閲料(三米につき新物五銭、複写物二銭、再検閲物一銭)は約十四万円に上り、総経費十万円を支払つても四万円の利益があつた訳で、今度の拡張費もこれで支弁するのだとある。》




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メイ・マレイ

231号 大正15年6月21日
キネマ旬報社:兵庫県西宮市川尻二六二六
キネマ旬報社東京支社:東京市麻布区今井町卅五


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折り込み広告「キートンの栃面棒」
輸入元:ヤマニ洋行


《雑誌「大衆文芸」を発行しつゝある二十一日会に於ては同人たる白井喬二氏、正木不如丘氏、本山萩舟氏、平山芦江氏、江戸川乱歩氏等の手に依り映画のプロダクションを設立せんとの議が起り目下頻りにその準備中である由。第一回作品としては白井氏の「元禄快挙」を映画化すべく予定されているが、実現の上は直木三十五氏等の聯合映画芸術家協会と対立的興味を惹く事である。》(時報)





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エスター・ラルストン

230号 大正15年6月11日
キネマ旬報社:兵庫県西宮市川尻二六二六
キネマ旬報社東京支社:東京市麻布区今井町卅五

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折り込み広告 ジェームズ・ホーガン監督「地獄極楽」







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メリー・ピックフォード

227号 大正15年5月11日
キネマ旬報社:兵庫県西宮市川尻二六二六
キネマ旬報社東京支社:東京市麻布区今井町卅五

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印刷所 内外印刷 神戸市多聞通二丁目一四三番屋敷
銅板所 阪神写真通信社銅版部 神戸市多聞通二丁目一〇八番屋敷

# by sumus2013 | 2019-10-08 19:32 | 古書日録 | Comments(5)