林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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私のダダ

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江原順『現代芸術論叢書 私のダダ 戦後芸術の座標』(弘文堂、一九五九年九月三〇日、カバー構成=河原温)を頂戴した。またまた御礼申し上げます。このシリーズは、以前にも書いたと思うが、小野二郎を伝説の編集者とした名企画である。

先日紹介した

河原温渡墨作品頒布会

の栞が挟まれていたのが『ユリイカ』一九五九年八月号だからメキシコへ出かける直前の仕事ということになろう。「あとがき」にもこのように書かれている。

この評論集でも、河原温が渡墨前の多忙な時間を裂[ママ]いて装幀してくれた。河原君どうもありがとう。

後年の河原温を思わせるミニマルな(余計な装飾のない)カバーであり表紙である。ただこの装幀はその後以下のデザインに差し替えられ(作者は分らない。下図は同時に頂戴した複写。同叢書共通)、

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さらには加納光於の印象的な作品に統一されることになる。以前取り上げた安東次男『幻視者の文学』(http://sumus.exblog.jp/12342644/)と同じである。

もう一枚複写をいただいているのがこちら。江原順『現代芸術論叢書 見者の美学 アポリネール ダダ シユルレアリスム』(弘文堂、一九五九年六月一〇日)。これも装幀者がはっきりしないが、上に引用した江原の言葉に《この評論集でも》とあるのでやはり河原温の装幀だろうか?

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『私のダダ』には「求心の絵画ーー河原温の絵ーー 付 若い画家の冒険」と題された論考も収められている(初出は『美術批評』一九五八年六月)。

「物置小屋のできごと」「浴室」などのシリーズの他に、「黒人兵」など、いわば「求心的な空間」を造型する傑作を描いてきた河原温は、ある夜突然工房をぬけだした。そして、もう工房にかえらない。完全に閉塞されている空間のなかで、腕をきりとり、足をもぎ、目をくりぬき、できるところまで自分を分解して、この壁を破るほどに強い別の自分を構成しようと考えてきたこの若い画家には、意識された自分の分解と自分の意識の支配のうちにある方法だけでは、この自己の再構成は不可能だと思えてきたのだろう。

こうして、かれは、印刷手段を、自己の表現方法として駆使することを思いついた。かつて密室のなかで思いあぐむことに没入したとおなじ熱中のしかたで、かれは印刷工場に通い、金属板のつくり方、印刷インクのねり方、印刷のしかた、原価計算、商品としての売り方の研究に、夜も昼も没頭した。こうして、「人間の絵画」(ロム・エ・リュマン)と題する印刷の絵画の第一作が誕生した。

だれにでもできる技術(コラージュの場合も、印刷の場合もだれにでもできる)によって、決して模写できない形象をつくりだす画家を、現代の芸術家と呼ぼう。河原は意識しないで、かつてロートレアモンがいった「ひとりによってではなく万人によってつくられるポエジーを」日本で最初に絵画のなかでつくりだした画家であり、ぼくは、エルンストに讃歎するように、かれに讃歎する。絵の内容についていえば、密室から這いだした虱のように、ぞろぞろとつながって歩いていく奇怪な群像は、歩きださざるをえないから歩いているのであり、歩いているから、方向を摸索せざるをえないようにみえる。方向が摸索されたとき、このシリーズは完結するだろう。そして、河原はまた新しい表現手段を摸索しはじめるだろう。

この印刷絵画がどのようなものか、たまたま下記のサイトにアップされている。参照あれ。

河原温の印刷絵画「いれずみ」

この本について検索しているとき、同年四月、江原順の紹介によって吉岡実が河原温の「浴室」シリーズの一点を購入したことを知った。『ユリイカ』に頒布会の栞が挟まれるわけだから吉岡が河原温を買っても格別不思議ではないはずなのだが、やはりちょっとした驚きというか感動である。銀座ウエストで会ったというのもしゃれている。

河原温〈浴室〉:吉岡の日記(一九五九年四月一二日)に「銀座、ウェストで江原順の紹介で河原温と会う。「浴室シリーズ」の一作品をわけてもらう」とある。また「河原温様/1959.8/吉岡實」と献呈署名した詩集《僧侶》(河原温の蔵書印 入り)が存在する。

吉岡実書誌(小林一郎 編)


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# by sumus2013 | 2017-03-26 21:14 | 古書日録 | Comments(2)

野田宇太郎

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『開館10周年記念 野田宇太郎 散歩の愉しみーー〈パンの会〉から文学散歩まで』図録(町田市民文学館、二〇一七年一月二一日、表紙=北谷しげひさ画「野田宇太郎肖像」)。これもまた頂き物。深謝のほかない。

もちろん角川文庫の『新東京文学散歩』や雑誌『文学散歩』は知っていたが、その他の著作や事蹟についてはほとんど無知だった。本書はたいへん分りやすい「野田宇太郎」の人物見取り図になっている。略歴から小生の興味を引く事柄だけを引き写しておく。

明治四十二年(一九〇九)十月二十八日、福岡県生まれ。昭和四年に第一早稲田高等学院英文科に入学するも病のため学業を断念。帰郷して療養生活に入る。丸山豊らと同人誌を発行し、詩集を次々に刊行。久留米市役所に職を得たが、昭和十五年、小山久二郎に見込まれて小山書店に入社、編集者としての人生を始める。下村湖人『次郎物語』を企画してベストセラーを生む。昭和十八年、第一書房へ入社。雑誌『新文化』を編集。昭和十九年、河出書房へ入社。堀口大學訳『闘ふ操縦士』を担当、雑誌『文藝』の責任編集者となる。木下杢太郎を知る。昭和二十一年、東京出版に入社。出版編集の責任者となる。『芸林閒歩』創刊。二十二年退社。詩作と近代文学研究の生活に入る。二十五年「文学散歩」を開始。二十七年、著書『新東京文学散歩』(増訂版、角川文庫)がベストセラーとなる。二十九年十月、第二次『芸林閒歩』創刊(〜三十年三月)。三十六年『文学散歩』創刊(〜四十一年)。三十七年、日本近代文学館の設立発起人。名著複刻に尽力。博物館明治村の設立に携わる。文学者の旧居移築に尽力。四十四年、文芸誌『人間連邦』創刊。四十五年『明治村通信』の編集を担当。四十八年『方寸』復刻。昭和五十九年七月二十日心筋梗塞のため死去。享年七十四。

派手さはないかもしれないが(そこそこ派手か)、いくつもベストセラーを手がけ「文学散歩」という概念を打ち立てたことは編集者として著述家としての非凡さを証明していよう。谷中安規や谷口吉郎と親しかったというのだからその美術に対するすぐれた趣味を想像するに足る。巻頭に山田俊幸氏が「野田宇太郎・詩人散歩者の思考」で以下のようなエピソードを披露しているのもなるほどと頷ける。

戦争末期から戦後にかけての河出書房。そこでの野田の編集者としての姿勢もぶれない。戦時中に野田は、三島由紀夫の原稿売り込みに出会っている。三島由紀夫は詩人を自認していた。だが、詩人野田の感性とは合わなかった。売り込みは編集者として容認するが、その不愉快さは物書きとしての三島由紀夫を否定する。野田はその時期に河出書房の雑誌の協力者でもあった川端康成に三島を紹介し、以後、交流を絶つ。三島は川端の推薦で有名作家になっていく。

これが「見識」というものであろう。

本書に資生堂パーラーの挿絵(織田一麿)を見つけた。『新東京文学散歩』の挿絵のひとつだが、これは見逃していた。【喫茶店の時代】

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# by sumus2013 | 2017-03-25 20:53 | もよおしいろいろ | Comments(2)

近江八幡散歩

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近江八幡まで足を伸ばしてヴォーリズの遺作などをいくつか見学した。上は二月に『四番茶』を取り上げたときに紹介したが、そこに収録されていた「近江八幡 近江の兄弟の住宅」写真である。その現状が下の写真になる。

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向って左手の建物は吉田悦蔵の住宅だった。以前と較べるとかなり増築されているようだが、全体の雰囲気は残っている。風趣のある煉瓦塀も往事を偲ばせる。ただこの説明の看板はなんとかして欲しい。もう少し目立たないシックなつくりを希望する。大きすぎるし。ここはまだましな方で、町中いたるところ無粋な看板や幟がはためいている。目障りこの上なし。景観保存というか、観光の町なのだからもっと細かな気配りが必要だろう。

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またもう一軒、保存修復が充分行われておらず(二階の床板はボコボコだった)、いかにも危なっかしい旧八幡郵便局もそれはそれでなかなか見所のある建物だった。

近江八幡の旧八幡郵便局

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少年時代のヴォーリズ(二階展示室)


半日歩いただけで、くまなく見て回ったわけではないが、ヴォーリズとは直接関係のない八幡小学校が素晴らしかった。

近江八幡市立 八幡小学校


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# by sumus2013 | 2017-03-24 17:52 | 雲遅空想美術館 | Comments(3)

詩のある風景

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鍵谷幸信『詩のある風景』(鍵谷泰子、一九九〇年一月一六日)。鍵谷は一九八九年一月一六日に歿しているからいわゆる饅頭本である。本書も頂き物。有り難し。八五年から八六年にかけて『世界日報』紙上に連載された短いエッセイをまとめた内容。これはかなり微妙な時期であるが、まあそれはあまり穿鑿しないでおこう。見開きで一篇の形になっており(九百字前後)詩や詩人、本の好きな者には楽しい読み物だ。

中村書店(http://sumus2013.exblog.jp/24121714/)が登場する。

学生時代、渋谷の宮益坂上に詩書を専門とする中村書店というのがあった。店主はなかなかの硬骨漢で、ただ本を売っている商人ではなかった。詩が好きで詩書を愛しているのが肌で感じられた。気に入らない客だと売らなかった。ぼくはここで珍しい詩集や詩誌を手に入れたものである。堀口大学の「月下の一群」の第一書房の初版本、佐藤春夫の「我が一九二二年」萩原朔太郎の「青猫」西脇順三郎の「アムバルワリア」安西冬衛の「軍艦茉莉」北川冬彦の「戦争」三好達治の「測量船」などを買ったときには、嬉しさいっぱいで体が震えた。

中村氏は貧乏学生のぼくに随分本を安く売ってくれた。中村書店で買った本は今も大切に本棚で詩の光を放っている。珍しい雑誌もここで入手した。「詩と詩論」「詩法」「新領土」などモダニズム系の雑誌も揃えた。ガラス張りのケースに稀覯書が並んで壮観だった。あそこでは詩の光輪がいつも輝いていたと思う。中村氏はじっと坐ってタバコをふかし、奧から珍しい詩集をもってきてみせてくれた。》(詩書の指南役との出会い)

植草甚一も登場している。

今は亡き植草甚一氏が神田の本屋めぐりをするとき、まだ都電が走っていて、市ヶ谷やら九段上にさしかかると、ああ、今日はいい本が三冊はあるなあ、という予感がし、それがピタリと当たったという。長年の勘が働いたのだろう。
 七月末の太陽がアルベール・カミュ的にカンカン照る日に神田に出た。地下鉄九段下でおりて、専修大学脇を通り神保町めざしてトボトボと歩いている。ぼくも以前は植草氏ほどではないが、今日は二冊位かなという勘が働いて、事実その通りになってカバンのなかに詩集一冊や画集一冊がおさまったことがある。》(本から離れる)

八年前の三月上旬、美術出版社からムック形式の本を植草甚一で出すことになり、一日写真撮影のロケーションに出かけたことを思い出した。植草さん、写真家高梨豊氏、助手のなんとかさん、編集部の宮沢壮佳氏とぼくの五人。

神保町へ出て古本屋をぶらつき、植草さんがお気に入りのコーヒー店へ入り、神保町ではこのコーヒーが一番好ですね、といって、ゆっくりコーヒーを啜るのだった。それから新宿めざして車が九段上を通過し、市ヶ谷駅を四ッ谷の方へ向ったとき「デュシャンとエルンストのどちらがお好きですか」とぼく。「エルンストです。彼のコラージュは実にスバラシイ。少しもズレがない」とごく当り前のことに心底感心し、「ぼくにはデュシャンはワカラないんです。ぼくは未来派からいきなりシュルレアリスムに入ったのでダダぬきだったんです。」》(植草さんと歩いた)

このムックというのは『植草甚一主義』(美術出版社、一九七八年)である。ここで言う植草の好きな喫茶店は「きゃんどる」だろう。他にも西脇順三郎、北園克衛、瀧口修造、森谷均らの項を面白く読んだ。

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# by sumus2013 | 2017-03-23 17:21 | 古書日録 | Comments(0)

裸体人像

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田近憲三『ミケルアンジェローー裸体人像 システィナ礼拝堂天井壁画の部分』(日本美術出版株式会社、一九四五年一二月二〇日)。もう一冊、嘉門安雄『レムブラントの油絵』(日本美術出版株式会社、一九四六年四月二〇日)とともに某氏より頂戴した。深謝です。とくに『ミケルアンジェロ』は敗戦後間もない時期に発行されており、中綴じで図版十六頁・解説四頁という簡単な仕立て。発行人は大下正男だから図の原版はおそらく戦前に『みづゑ』などで使ったものではないだろうか(確認はしていないが、見たような気もする)。

システィナの天井壁画では物語を区切るために描かれた柱に裸体像が多数配されており、本書はそこから七人の青年の裸体を抜き出した構成である。いきなり裸まつりという感じだ。彼等は枠内に描かれた宗教的な主題には直接関係していないようだが(あるいは関係しているのかも知れないが)、よく見るとみなマッチョなイケメンである。単純にこういう青年たちがミケランジェロの好みだったのかもしれない。

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ミケランジェロは詩人でもあった。日本語にも翻訳されている。たまたまこれも頂戴した雑誌『心』の終刊号(平凡社、一九八一年八月一日)に若桑みどり氏が「ミケランジェロの四つのソネットーー「心」の終刊に献げる訳詩」を寄稿しているのでそこから二篇引用してみる。

II

おお夜よ、おお甘美なる時よ、
たとえ夜は暗くても、すべての仕事はそこに終る。
夜はまったき知性を持つもののすみか。

おまえはすべての疲れ果てた思いを断ち
影をしめらせ、やすらぎを約束する
そしてわたしが望む
あのより高いところへと、この汚れたる世から連れてゆく。夢の中で。

ああ、死の影よ、そこにすべての
悲惨は終る。そしてこの魂を
わが敵であるこの心を、最後の病める者たちを
やさしくねぎらってくれるのだ

おまえはわれらの罪ぶかい肉を浄め
涙を拭い、すべての疲れをいやしてくれる
そして善く生きたものから、すべての怒りと愁いとをとりのぞく


III

至高の芸術家はいかなる思想ももたない
ただ大理石のみが自からの中にそれをつつむ
そして知性にしたがう手が余計なものを
とりのぞこうと手をさしのべるのみ

気高く、聖なる女よ、あなたは
わたしが恐れる悪、わたしが望む善をともに
自らのうちにかくしている。わたしはもう生きていないから。わたしの技術は、私のねがう効果をあげることができない。

愛に罪はない、その美しさ
そのむごさ、その宝、その大いなる軽蔑
そしてまたわたしの運命についても
もしもあなたの心の中に死と慈悲とが
ともにあるとしても、わたしの低い才能は慈悲に
こがれつつも、死しかひき出すことはできないのだ。


若桑女史によればIIIの第二節の「女」は「イデア」かまたは「アルテ」であろうという。第三節では「彼」とも呼んでいるので女だとは思えないと。「愛」は通常男性として扱われるとも。……

小生、システィナは一九七六年に訪問した一度きりの印象しかない。今は修復されて派手派手になっているらしいが、当時は薄暗く荘重な感じだった。ミケランジェロの彫刻で印象に残るのはミラノのピエタであり、またボローニャで見た初期の作品も良かった。栴檀は双葉より芳し、まさにそんな感じだった。

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# by sumus2013 | 2017-03-22 20:39 | 古書日録 | Comments(2)

ひょうご大古本市

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サンボーホール『ひょうご大古本市』の目録が届いた。表紙を開いて目に飛び込んでくるのがこちら!

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街の草さんの出品。レアな詩集ばかりまとまって、と思ったら噂に聞いていた杉山平一さんの旧蔵書である。ついに市場へ出たということか……。詩集はとにかく珍しい雑誌なんかタンとお持ちだったんじゃないのかなあ。

ちょうど同じ郵便で地方の詩人の方から「四月九日にはサンボーホールへ出かけます!」という便りが届いた。なるほど、そういうことだったのか、とこの目録を開いて納得したしだい。

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# by sumus2013 | 2017-03-21 20:50 | 古書日録 | Comments(0)

麗日

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麦僊と印のある桜の枝の下絵。ちょうど一年ほど前に安価で入手したものだが、とりあえず土田麦僊作としておきたいと思う。

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この下絵と似た枝振りの白い花が描かれている本画はこちら「麗日」(昭和五年頃、『土田麦僊展』図録、一九九七年より)。

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花見のつづき。

『漱石研究年表』(集英社、一九八四年六月二〇日)をめくっていると、ロンドンでの花見の記述を見つけた。漱石自身はChesnut(栗の木)の花の咲く頃、花見に出かける人が多いことに驚いたということしか書いていないようだが(明治三十四年?五月)、その補注に次のような引用が添えられている。

「一寸断つておくが、栗の花見といふと、例の汚ない臭い長い花房を思ひ出すが、英吉利には、赤い栗の花があつて、之が何百何千本と列んだ青い鹿爪らしい栗の木の葉の間から見えるのは、一寸綺麗である。」(原文総振り仮名)(杉村楚人冠『大英遊記』)

杉村楚人冠がここで栗の木と言っているのは horse chesnut (すなわちマロニエ=セイヨウトチノキ、Aesculus属)ではなかろうか。赤い花と白い花があり、花房が上向きに咲く。日本の栗(シバグリ)はクリームかかった白い雄花が下向きに垂れる。chesnut のみなら日本の栗と同属(Castanea)で花も似通っている。どちらでもよろしい。イギリスにも花見はあった。

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# by sumus2013 | 2017-03-21 20:40 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

詩集風来坊ふたたび

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詩集風来坊ふたたび
著者;岡崎武志
装幀/写真;林哲夫

二〇一七年三月二八日発行
発行所;古書善行堂 
定価;1000円+税

182×105mm

本文用紙;アラベール・ホワイト四六Y110kg
表紙;ハイマッキンレー マットポスト 菊111kg
カバー;ヴァンヌーボF-FSホワイト四六Y110kg


どうせ一人だもの 風来坊11
雨に濡れた地図 風来坊12
河口に近づく 風来坊13
黒いオートバイ 風来坊14
どこから来たのかと問いかけられた 風来坊15
腹が減ると見る夢は 風来坊16
尾の短い犬をともづれに 風来坊17
ベンチの上の堀辰雄 風来坊18
海に沈んだ仏 風来坊19
二つの山の六月 風来坊20
純白の天使 風来坊21
歩く人 風来坊22
海が見える窓 風来坊23
とにかく遠くまで 風来坊24
神が来る市(まち) 風来坊25
美しい町 風来坊26
「かつみかつみ」と尋ね歩きて 風来坊27
コスモス 風来坊28
猫またぎ 風来坊29



どうせ一人だもの 風来坊11

行き着くところまでの旅だと
自分に言い聞かせて歩き出したものの
果てない旅路に腰が痛むばかりだ

大きな木(ブナか?)の根っこに
ちょうど一人分 すっぽり腰が収まる場所があって
すっぽりと腰を落としている

地に生えた草や足下の石が
こうして視線を低くすることで
よく見えてくるのだ
こういうこと いつかもあったな

あれ、おれ、右から来たんだっけ?
それとも左……
へん! わかっているくせに
おどけてみたのだ

いいじゃないか
笑うなよ 木よ風よ石よ
そして友よ

いいじゃないか
どうせ 一人だもの

次の風が首筋をなでたら
それを合図に歩き出そう
まず起ちあがることだ
尻の砂を払って
どっこらしょと声に出してみるか

どうせ
誰も聞いちゃいないんだから
どうせ一人なんだから


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岡崎氏との連名サイン本、善行堂にて販売中。

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# by sumus2013 | 2017-03-20 17:45 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

おばあさんのアルバム

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富士正晴作・うらたじゅん画『富士正晴資料整理報告書第22集 おばあさんのアルバム』(富士正晴記念館、二〇一七年二月二八日)が届いた。昨年は『初期絵画とペン画』でお世話になった。今年はうらたじゅんさんの絵に富士正晴の放送台本である。朝日放送の朗読番組「掌小説」ために書かれた。

昭和二十九年、東京で鶴見俊輔から聞いた話をもとにした小品だ。鶴見が昭和二十一年に信州で通訳を務めた白系ロシア人、とくにそのおばあさんが『ライフ』誌を切り抜いて失われた家族たちのアルバムを造り上げたという話に焦点が当てられている。彼女はロシアの公爵の娘であり、やがてポーランドの伯爵の夫人となったが、革命ですべてを失い日本へたどり着いたのだという……。贋のアルバムが本当のアルバムに老女のなかですりかわっていく。それは長篇小説にでもまとめられそうなテーマなのが、切抜きという点で興味をもったのは、書き出し、富士が自分の書斎を描写しているくだり。

《わたしはこの夏、ある哲学者にあった。そしてつぎのような話をきいたのだった。
 なんのこともなく聞きながしたその話が、田舎のさびしいわが家へ帰ってきてからの明け暮れ、どうかするとふと思いだされてならない。
 そのわが家の書斎の天井は、ひどくすきまが多く、塵のおちてくるのをふせぐために、アメリカの雑誌「ライフ」をバラバラにほどき、その紙をはりつけてある。「ライフ」は写真の多い雑誌だから、書斎の天井は、ウイスキーの広告写真や風景写真、またいわゆる「時の人」の写真、ニュース写真、そのようなものがいっぱいである。わたしは仕事につかれたとき、畳にころがって、その写真をぼんやりながめていることがあるのだ。》

富士記念館に再現されている書斎にはそんなコラージュはなかったように思うが……あったかな? それはそうとこのとき朝日放送には庄野潤三と阪田寛夫が勤めていたそうだ。阪田の同僚の鬼内仙次[きないせんじ]から求められて阪田が富士に依頼した作品だったという。


富士正晴記念館所蔵 初期絵画とペン画

『仮想VIKING50号記念祝賀講演会に於ける演説』



同人誌大好き!ーー「川崎彰彦、富士正晴」展
2017年3月30日〜7月26日
茨木市立中央図書館富士正晴記念館

《川崎彰彦、1949年、15歳、『ヴ・ナロード』創刊。2010年、『黄色い潜水艦』同人として没、享年76歳。
 富士正晴、1932年、18歳、『三人』創刊。1987年、『VIKING』同人として没、享年73歳。
 二人とも、十代で同人誌創刊、亡くなるまで同人誌活動を持続。二人にとって同人誌とは何だったのだろう。そんなことを思いながら今回の展示を構成してみました。》

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# by sumus2013 | 2017-03-18 20:50 | おすすめ本棚 | Comments(0)

和ガラスの美を求めて

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MIHO MUSEUM で「和ガラスの美を求めてーー瓶泥舎コレクション」展を見た。信楽山中、春の気配はいまだしながら日差しは和らいでいた。風は少々冷たかった。

瓶泥舎は二〇一一年に開館した伊予松山の私設美術館。大藤範典[だいとうのりさと]氏が五十年にわたって蒐集してきた和ガラスを収蔵・展示するスペースである。そのコレクションを代表する逸品がミホに並べられている。

瓶泥舎 びいどろ・ぎやまん・ガラス美術館

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ガラスというのは世界中でさまざまに造型されてきたものだ。その国国によって時代時代によって技術も趣味もかなり極端に異なっているのが面白い。

ガラスと言えば、かつてヴェネチアのムラーノ島にあるガラス博物館(Museo del Vetro murano)を訪れたときのことは忘れられない(今、その博物館のサイトを見ると、四十年前からは想像できないほど小綺麗になっているのにビックリ! そのときは小生の他には誰も観覧者はいなかった、シーズンオフだったし、たまたまのことかもしれないけれど)。ガラスの素晴らしさを改めて感じたものだ。

今展の和ガラスもそれらとはまた別の意味で息をのむ美しさである。ほとんどが江戸時代に作られた作品だという。細かく述べる余裕はないが、江戸の工芸の奧深さ、趣味の多様性(ひねりにひねっている感じか)を思い知らされた。ガラスの加工技術そのものは、そう高いレベルではない、と言うのだが、細密・精巧に作るばかりが能ではない。多少厚ぼったくてもムラがあっても(だからこそ)曰く言い難い味わいをかもしているし、大方の器にはグー(趣味)の良さを感じる。今にも壊れそうな、スリルというか、はかなさが、またよろしい。

和ガラスの美を求めてーー瓶泥舎コレクション

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# by sumus2013 | 2017-03-17 20:19 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)