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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


夢二画集 図版の異同

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そうなんだ、同じ構成ではなかったのか! 教えられて、改めて、初版の復刻版(これは昔から持ってました)と三版とを比較してみると、十八箇所にわたって図版の相違が見られた。単純にページの位置が変わっただけもあれば、削除、追加もある。そしてMさんが所蔵しておられる七版も初版とも三版とも違っている。例えば、上の写真の「夜店」の図は同じだが、対面の図は初版(女)、三版(男女)、七版(橋)それぞれ異なっている。文章の刷り色も緑と赤というふうに違えてある。これはやはり夢二のこだわりと考えた方がいいのだろうか? 版元にとっては、何もそんな面倒なことをしなくても、同じ組版で増刷した方が手間がなくていいはず。

としたら、全版揃えなきゃいけませんね、これは。

# by sumus2013 | 2022-08-24 16:35 | 古書日録 | Comments(0)

夢二画集 春の巻

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『夢二画集 春の巻』(洛陽堂、明治四十三年二月十五日訂正三版)。再版でカバーがなくて、少し書き入れもあって、紙も変色しているが、夢二のスタートを飾るベストセラーなので一冊手元に置きたかった。五百円くらいで見つけたら喜ぶだろう。残念ながらもう少し高額だった(とはいえそう大金ではありません)。前書きに夢二はこう書いている。

《私は詩人になりたいと思つた。
けれど、私の詩稿はパンの代りにはなりませぬのでした。
ある時、私は、文学の代りに絵の形式で詩を画いて見た。それが意外にもある雑誌に発表せらることになつたので、臆病な私の心は驚喜した。》

《この集を出すに際し、曾て、わが自由画に力を添へられたる、中澤弘光氏、西村渚山氏、故浦上正二郎氏、島村抱月氏に感謝し、出版に際して力を尽されたる坪谷水哉氏、河岡湖風氏とおよびこれ等の絵を掲載したる雑誌女学世界、太陽、中学世界、少女世界、秀才文壇、女子文壇、少女、笑、無名通信、家庭、の編輯者諸子に謝す。》

西村渚山は博文館『中学世界』などの編集者、小説家。坪谷水哉は博文館編集主幹、『太陽』初代主筆。浦上正二郎と河岡湖風についてはググっただけでは不詳です。

まだまだ夢二に成り切っておらず、デッサンも弱いし線描も雑である。基礎修行ということではヨヘイの方が上だろう。ただ、カッチリと小さくまとまっていないところに、伸び代を感じさせる。ヨヘイがもっと長生きしていたらどうなっていたか、知りたかった。

ヨヘイ画集

# by sumus2013 | 2022-08-23 20:42 | 古書日録 | Comments(0)

歌集しがらみ

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中村憲吉『歌集しがらみ』(岩波書店、大正十三年七月十五日、表紙画=平福百穂)。昨日、午睡出店にて。第三歌集。大正十一年に斎藤茂吉や島木赤彦らの督促で歌集を編み始めた。しかし当時、大阪毎日新聞の経済部記者だったためその仕事は遅々として進まなかった。長文の「編輯雑記」が巻末に付されている。

《すると昨年の春[大正十二年]ごろから再び赤彦君の頻繁な督励に会ひだした。それで出版所もいよいよ岩波書店にきめて、予は再び『しがらみ』の編輯を進めることにした。八月には大部分の原稿の浄写も出来て、恰度これから予に順番が廻つてくる、十日の交代夏季休暇のうちには、一切の原稿を整理して岩波書店へ渡さうと思つた時である。その時に昨年の大震災が突発した。》(p239-240)

新聞社も頗る繁忙になり、歌集の出版などはすっ飛んでしまった。

《然るに年末ごろであつたか、突然岩波氏から元気のよい『しがらみ』刊行の督促が来た。そこで予は震災直後で最も重大な第一年末を、経済界が無事に経過したのを見た後、本年になつてから三度『しがらみ』の残部の編輯を続けることにした。漸く原稿を東京に送つたのは二月の末頃である。しかしその後印刷所に原稿が廻つてから其処での手違ひや、校正の出るころの予の旅行または事故から、それに新にこの編輯後記の追加などで、この歌集が世に出る日はいよいよ延びて遂に初夏の候となつた。》(p240-241)

震災からの立ち直りは驚くほど早かったのだ。他に、アララギ同人の小川政治が最初の原稿浄書をした、島木赤彦が出版社へ渡す前に通読し、出版の全般にわたって面倒を見てくれた、高田浪吉の尽力があった(高田は島木の弟子)、などの謝辞が連ねてあり、出版の経緯がよくわかるのは有り難い。

例によって、書物に関する歌を探したのだが、前半は郷里の広島県三次での生活を詠んだ作品ばかり、後半は京都を含む各地での詠草だが、ブッキッシュなテーマは見当たらない。一首だけ、「梅雨ぐもり」連作五首のうちに次の作がある。改行はママ。

 ひさしく拭布[ふきん]をかけぬ本棚のうるしがうへに
 黴吹きにけり

他には加茂川を詠んでいるので引いておく。

 加茂川の橋したにして光りゐる朝波を見れば
 我れはうれしき

 春めきし加茂川のおと朝がすみおほにかなし
 く旅に遭[あ]ふかも

 加茂川の音春めきぬこの宿に戸をとづれども
 耳ちかきおと

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賀茂川の水面


# by sumus2013 | 2022-08-22 21:51 | 古書日録 | Comments(0)

あまつちライブ・ペインティング

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毎月第三日曜日のあまつち音楽祭へ。大津市高砂町。同時開催の各種マーケット(午前10時頃〜)に午睡書架も出店。店舗より思い切ったディスカウントにしており、お買い得感あり。なんでもよく知っている書棚比良坂氏とあれこれ雑談。曇っていたが、晴れてきたと思ったら、ザーッとシャワーというようなお天気。音楽祭(14:00〜)は常連クラリネット奏者の瀬戸信行氏、ピアノ・ヴォーカルのスパン子さん、ライブ・ペインティングの natsunatsuna さんという面白い組み合わせ。ピアノに合わせて絵を描く動画を大きく壁面に投影させて見せるパフォーマンスはアニメのようで楽しめた。


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コンサート会場のあまつちホール友遊館の両袖は書庫スペースとなっている。こちらも興味深い書物がズラーッと揃っていて壮観。秋には古本市も企画しているとのことなので(また改めて告知します)、ご興味のおありの方はその折にでも。なお来月9月18日(日)のあまつち音楽祭にはタンバリンの田島隆氏が登場するそうだ。

# by sumus2013 | 2022-08-21 21:38 | おととこゑ | Comments(0)

北溟

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内田百閒『北溟』(小山書店、昭和十二年十二月二十日、装幀=谷中安規)を必要があって取り出してあちらこちら披見していると、本に関する記述が何箇所かあった。まずは「売り喰ひ」(当然ながら、旧漢字であるが、引用では改めた)。月給を貰っていながら暮らしが立たず、伝来の品物を次々と売り払ったというところから始まる。そこには愛読書も含まれていた。

《私が自分で買つた物の中で、後後まで惜しかつたと思つてゐるのは、荻生徂徠の写本「琴学大意抄」ぐらゐのものである。或は著者自身の草稿ではないかと思つたりした事もあつたが、まだよく見ない内に、お金に窮して手離してしまつた。
 自分の愛読した本の初版本を売るのもつらかつたが、初版本ばかりを高く買ひ取る古本屋があつて、いくらでも頂戴すると云ふので、差し迫つたお金に困つた時、大抵みんな売つてしまつた。》(p139)

啄木もそうだが、百閒も結局は浪費家なのである。「書物の顔」というエッセイも収められている。師である漱石が書斎で寝ているといろいろの本に見られているようで誠に煩わしいとどこかに書いていた、と始まる。漱石の書斎は実際本がいっぱい詰まっていた。

《私などは学校を出たばかりの当時で、勿論蔵書と云ふ程のものもなかつたが、それでもその有りつたけの本を自分の部屋に飾り立てて、本箱も下宿屋時代に持ち廻つた小さいのや、その後に買つた少し大きいのや、いろいろ不揃な恰好の儘、適当に部屋の隅隅に配列して、少しでも辺りを書斎らしく見える様にするため、苦心した。》(p183-184)

《本屋の店先の様に自分の蔵書をならべ立てて何になるか。その中から一冊二冊引出して来て読むとしても、読んですんだ本を飾つておくのはどう云ふつもりであるか。》(p184)

《さうして今までと違つた気持で自分の部屋を眺め廻して見ると、ろくでもない本が、馴れ馴れしく私に媚びてゐる傍に、読まうと思つても歯の立たない本は冷やかに私を見下げてゐる様な気がし出した。かう云ふ所に坐つてゐては、落ちつけない筈だと、自分の不勉強をそこいらに列べ立てた本の所為である様に考へた。
 その次に引越した家では、本箱はみんな玄関脇の小さな部屋に押し込んで、私は二階の座敷の真中に、机だけ置いて、その前に坐つてゐた。読みたい本があれば下から持つて来て、すんだらまたすぐに片づけた。》(p185)

本を読むものと考えている人たちに共通の強迫観念である。ここで百閒は郷里のドイツ帰りの医者の書斎に話を転じる。患者や来客が皆そのぎっしりとドイツ語の本が詰まった先生の書斎の偉容をガラス戸越しに診療所から見ることができる仕掛けになっていた。

《本を飾るのも、かう云ふ風にすれば役に立つであらうし、また本と云ふ物は色色の用をなすものだと思つた。》(p186)

そうは思っても、自分の家では飾り立てようという気にはなれない。

《今の家に落ちついてからは、初めの内は机のまはりに本を置かない様に気を配つてゐたが、仕事が仕事なので、さうばかりも行かない。いつの間にか三冊五冊と溜まり、特に寄贈を受けた本が畳の上にぢかに積み重なつて始末がつかなくなつた。家が狭いので外に置く所もないから、その儘にしてあるが、本棚を造つて飾り立てるのも気が進まない。漱石先生の云ふ通り、本当に本は一つづつ違つた顔をしてゐるから、一目に見えるやうな所へ置くと、こちらが気を遣ふので困る。》(p186)

こういうのもビブリオフォビアというのかどうか。

ビブリオフォビア

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# by sumus2013 | 2022-08-20 19:40 | 古書日録 | Comments(0)