林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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林哲夫油彩画展 comme ça

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林哲夫油彩画展 comme ça
2017年9月12日〜9月24日

ギャラリー恵風
http://g-keifu.com

浅野真一
http://asanoshinichi.web.fc2.com/index.html


二〇一五年に畠中光享さんと二人展をやらせてもらったギャラリー恵風さんで今回は個展を開催します。最近作を中心に近作も並べるつもりです。小生の会場は二階になりますが、同じ時期に一階でやはり写実の油絵を描いている旧知の浅野真一氏が個展をやるというので、ちょうどいい機会だから二人で何かしゃべりましょう、ということになりました。9月16日午後4時から「じゃあ、絵の話でもしましょう」と題して、珍しく絵の話をします。その後につづけてささやかなパーティを開く予定ですので、ぜひふるってお出かけください。

今回の個展には「コムサ」というタイトルを付けました。これはたいへん便利なフランス語です。買い物をするときに品物を指差して「コムサ」と言えば「これ」とか「それ」という意味になります。誰かに「サヴァ?」(もうかりまっか?)とたずねられたら、「コムサ」(ぼちぼちでんな)と答えます。見たまま、こんなもんだよ、というこころです。近作をそんな気持ちで並べてみたいと思いますが、「コムサ!」(こんだけ!)と言われないように……がんばってます。


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浅野真一個展 私たちのかたち

2017年9月5日〜9月17日


ギャラリー恵風
http://g-keifu.com




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# by sumus2013 | 2017-09-15 21:48 | 画家=林哲夫 | Comments(0)

「高橋麻帆書店」という古書店

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高橋麻帆『「高橋麻帆書店」という古書店』(龜鳴屋、二〇一七年六月一日)読了。タテ135ミリという掌サイズ。函入。そして本文が綴じられていない、というところがミソである。この冒険的な造本のアイデアについては図版解説のなかで触れられている。

ドイツのシュトゥルムの植物図鑑ほど、手元に置きたくなる愛らしいものが他にあるでしょうか。実は、私が今書いているこの本は、龜鳴屋さんがシュトゥルム本をもとにオマージュとして作りました。

本文は、紙が数枚ずつ折られただけの状態、図版部に一枚一枚バラバラです。驚くべきは、本文は単に折られただけなのに、ページをめくるのに苦労なくそのまま読むことが出来るのです。

詳しくは本書を直接読んでいただきたいが、たしかに開きやすく読みやすいと言えよう。ただ、バラバラになると順番通りに戻すのがちょっと難儀なんだけれど……まあ冒険に危険はつきものです。


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高橋麻帆さんがどういう方なのか、むろん本書を読んでいただければすぐに分るのだが、ここでは巻末の略歴をかいつまんで紹介しておく。

高橋麻帆 たかはし・まほ
1978年京都の田舎京北生れ(当時はヒッピーコミューン)。山国小学校、周山中学校、地元の高校を卒業し、京都府立大学へ。夏休みミュンヘンで初めて古書籍商の方(塩見文蔵氏)に出会い、その深い知識に感動。就職なんて考えたこともなく、京都大学文学部の院へ進学。

骨董屋でのアルバイトの日々、骨董商・坂田房之助との出会い、ベルリン留学、レコード蒐集家マーク・フォレストとの出会い、下鴨葵書房でバイト、竹内次男(京都工芸繊維大学美術工芸資料館)に資料整理を教わる。至成堂書店パートタイマー勤務、

本についての論文「壁の白とページの白ーウィーン分離派館と『ヴェル・サクルム』」でオーストリア学会賞受賞。学位取得。金沢人と結婚して金沢へ。夫の転勤について東京へ。神保町田村書店修行。金沢にて古書籍商として開業。

いや、なかなかの経歴です。本書の内容もこの記述に背かないしっかりしたものでいろいろな面でとくに北方に無知な小生としては教えられる事が多かった。デザイン的な部分で言うと、日本の装幀におけるパクリの元ネタが何点か指摘されていて殊に興を覚えた。

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【本書図版】


上の春陽堂文庫とレクラムの類似は古書好きなら周知の事実だろうが、次のアテネ文庫の模様がインゼルから来ているとは、小生は、知らなかった。

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【本書図版】
上段左端は『ゲエテ作自傳劇作ファウスト評論』(北文館、一九五一)
上段中、右はインゼル文庫
下段左はインゼル文庫、右はアテネ文庫


なるほど! 捜し出してみると、たしかに小生が架蔵するアテネ文庫は本書に掲げられているインゼル文庫42(『タルタランのタラスコン』[引用者註;原著は『タラスコンのタルタラン Tartarin de Tarascon』])にほぼそっくり。

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これらに限らず昔は海外の書物に接する読者がきわめて少数だったためか、そのままそっくりいただきの表紙デザインというのをしばしば見かける。白水社にもフランス書から引っ張って来た図案がけっこう多い(戦前ですよ、もちろん)。以前紹介したのはアテネ文庫と同じ弘文堂書房の世界文庫。

フランソワ・ヴィヨン『大遺言書』

他にもこういった例はいくらでもあるだろう。パクリ集を本にしたら面白いかも。そうそう、ついでというか、ウィーン分離派つながりでひとつ付け加えておく。つい最近、水沢勉氏のFBで紹介されていた『青鞜』(一九一一年九月創刊)表紙の元ネタ。ウィーン分離派の画家ヨーゼフ・エンゲルハルトの図案(下の左)。デザインを担当した長沼智恵子はそれをモノクロの単純な線でうまく模倣している。表紙画としては印刷効果も含めなかなかいい仕事だとは思うが、絵柄としてはもうひと捻りしてもよかったか。

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高橋麻帆書店

龜鳴屋

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# by sumus2013 | 2017-09-15 21:41 | おすすめ本棚 | Comments(0)

遅れ時計の詩人

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涸沢純平『編集工房ノア著者追悼記 遅れ時計の詩人』(編集工房ノア、二〇一七年九月二八日、装幀=森本良成)読了。編集工房ノアの社主による随筆集なのだが、副題通りほとんどは氏と親しかった詩人たちの追悼記である。これはもう涸沢さんでなければ書けない貴重なそして見事な惜別文集であろう。

亡き東秀三さんに、「ボクちゃん」と言われた私が、東秀三さん、港野喜代子さんの六十二歳をはるか越え、児島輝正さん六十七歳、桑島玄二さん六十八歳も過ぎ、清水正一さん七十一歳、足立巻一さんの七十二歳を目前にして、不思議な気持でいます。
 実は、本書は、還暦の時、まとめたのですが、出版の決心がつかず、校正刷のままほこりをかぶっていました。この年になり、思い切ることにしました。出版には勇気のいることを知りました。略年史が二〇〇六年までなのはそのためです。》(あとがき)

ここに名前の挙がっていない黒瀬勝巳、そしてノアにとっては別格の神のごとき天野忠について書かれた文章も素晴らしい。これを十年も寝かせて置くとは何とももったいない、というかいかにも涸沢さんらしいペースである。

幾篇かは『海鳴り』誌上ですでに読んだ覚えがある。しかし、改めて単行本という形で、ひとつの流れのなかで読ませてもらうと、そこには自ずと編集工房ノアを取り巻く世界(大阪の梅田にほど近い「中津」という土地にノアの事務所はある)が彷彿とされるのである。そしてまた氏のルーツ、「海鳴り」という言葉への涸沢さんのこだわりについても腑に落ちた。他者について書くということはひっきょう角度を変えた自伝である。

涸沢さんとは、もう隨分前からの付き合いで、どういう具合に知り合ったのかは忘れてしまったが、装幀に拙作の油絵を使いたいと申し出てくれたあたりが最初の親しい交わりではなかったかと思う。それが澤井繁男『旅道』(一九九三年二月一日発行)だから、話があったのはその前年あたりのことになるのだろう。その後も次々と装幀を任せてもらった時期もあったが、初期は粟津謙太郎氏、近年はほとんど森本良成氏が担当されている(久々に依頼があったのが山田稔『天野さんの傘』)。また『ARE』に連載していた喫茶店の抜書きを「面白い」と言って単行本にまとめることを提案してくれたのも氏であった。なかなか難産ではあったが(その理由が本書を読んでいて分った)、それが『喫茶店の時代』となって結実したのは何より有り難いことであった(賞まで頂戴したし)。

本書が公にされて個人的に特別嬉しいのは桑島玄二の回想が収められていることである。これで桑島も忘れられない詩人として残るであろう。その詩碑を訪れる物好きな人たちが現れることを期待している。

純粋に面白いと思って唸ったのは「移転顛末記」である。編集工房ノアは、一九八六年末、創業時に入ったビルから立ち退きを迫られた。地上げの波に呑まれたかっこうである。仕方なく中津の路地に一軒家を見つけて移転した。ところが、そこにはとんでもない状況が待ち受けていた……ぜひ読んでいただきたい。

本書はいずれ続編も期待できると思う。涸沢さんのことだから米寿あたりかもしれないが。

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# by sumus2013 | 2017-09-14 08:44 | おすすめ本棚 | Comments(0)

林哲夫油彩画展 comme ça 初日

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本日九月十二日個展初日でした。午前中、どしゃぶりの雨。どうなるのかと心配しましたが、昼ごろから晴れて、午後は日も射してきたのでひと安心。一時過ぎ頃からつぎつぎと来場者ありました。

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# by sumus2013 | 2017-09-12 20:29 | 画家=林哲夫 | Comments(2)

をみなへし

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どうにかこうにか、個展の準備を終えました。明日搬入。少し大きめの作品も含めて近作を中心に旧作も少しまぜて二十点ほど並べる予定です。十二日(火)より二十四日(日)まで(十八日休み)。ぜひご来場を。初日、土日祝、最終日は必ず会場に居るつもりです。それ以外の日もそのときの都合しだいで出かけます(メールなりコメントなりをいただければ対応しますので、どうぞお気軽にお問い合わせください)。

ということで、本日は短冊箱から秋らしいものを拾い上げて掲げる。まだまだ、すらすらとは読めないので、解る所だけを検索してみると、有名な歌だった。古今集二三〇、作者は藤原時平。醍醐天皇の下で左大臣をつとめた。そのとき右大臣は菅原道真だったが、政治的に対立、道真を失脚させた。時平は三十九で歿したため道真の怨霊にたたられたとも噂された。時平は有能な改革派だったようなので怨みを買う事も多かったのかもしれない。

  をみなへし秋の風にうちなひき
    心ひとつをたれによすらむ

この短冊、紙を見るとそこそこ時代があるように思える。


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# by sumus2013 | 2017-09-10 20:00 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

書彩2

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『ふるほんやのざつし 書彩』第二号(葵書房内書彩発行所、一九四九年一〇月一日)。

彩ノート………百艸菴主
古物明細帖 その二………後藤和平
憎まれ漫談………中村蕪生
書物よもやま話[座談会]………中村智丸(葵書房)、沢田恵介(沢田書店)、松村辰之助(松村書店)、鉢木信夫(元町美術の店)、玉田一郎(百艸書屋
茂九六九
編輯後記………百艸記
印刷所 三光堂神戸店 神戸市須磨区大黒町三丁目四九


後藤和平(後藤書店)の「古物明細帖 その二」から明治末頃の神戸の古本屋事情を簡単にまとめておく。古本屋が増え出したのは日露戦争前後からであった。後藤はトーアロードの踏切近くで生れ、明治四十一年尋常高等小学校卒業(ということは明治二十八年頃の生れ)、パルモア英学院に通学。その頃から二銭、三銭、五銭の均一本を漁るようになった。

明治四十三年父が死んで、月給七円ではどうにもならず、勤めも嫌になつて我楽多の蔵書を石油箱に一箱を元に、古本屋開業と決め、相談に出かけたのが前記の久保昌栄館であつた。月一回河合書店で市があるからと教へられ、御共した。当時の市は十人位の集りで、帝国百科全書とか、蘇峰の日曜論談とか、紙表紙の浪六や紅葉や風葉その他の小説とか、イーストレーキの会話等等、明治三十年代の出版物に、大阪の赤本が出品された。

私が、英語の本を逆さに見ない程度であつたが、当時では新進で、表題位がおぼろに解るので相当重宝がられた。旧ロゴス書店の下角で二坪位の小店を手に入れ、毎日夕方から開店した。開店第一日は、六拾銭余り売れた。

私の小店は、場所柄洋書や英語の参考書等が多く売れたが、何分品物が少く加ふるに家賃が十八円もするので引合はず、当時神戸の古本屋街であつた北長狭通りへ移転した。この店は家賃が七円でほつとした。片側は書棚で片側は襖に桟を打ちつけ、書棚を平面に立てかけて置いた。こうする事に依り、少い商品で陳列し得るからで、当時は一流の四五軒以外はかうした陳列の店が多かつた。
 市会も月一二回で、其の量も少く、多くは「よせや」で探し出してくるのだが、よせ屋廻りをする事を嫌つて一度も出かけなかつた私の店は、いつまでも商品が詰まらず、棚の一部も平面にならべられる事が多かつた。

初め二三円でしかなかつた此の店の売上も、四十四年頃から七八円前後売れる様になり古本の知識も少し解り出し、商品も少しづつ増加して行つた。

大阪の淡路町に長谷川文々堂といふ古本の卸屋があると松浦氏の先考に教へられ文々堂へ始めて行つた。でつぷりと肥満した五拾才を出たであらうと思はれる此の店の主人は、うづ高く積み上げられた内から、神戸ではこんな本が売れる、こんな本も売れると気前よく薄利で売つてくれるのであつた。

そこで杉山氏や高尾氏と知合いになり、鳥居書店の二階で開かれる市へも出席するようになった。それが大阪古典会の市の前身であろう。西宮で仕入れた写本や俳書や錦絵類をこの市で売りさばいた。

当時私の店へ顔の青白い青年が風呂敷包に古本を背負ひ店に這入つて来て、話し込んだり集めて来た商品を見せたり、そんな高く買はなくても「よせ屋」廻りをせよと、しきりに進[ママ]めるのであつた。事実、古本等は大部分「てんや」に拂下げられる事の多かつた当時のよせ屋には、相当な本がよく出たのである。この青年は野村尚友堂先考で、野村氏の店は県病院の下手に雑誌や小説等をうづ高く集めて居られた。

神戸の古本力』(みずのわ出版、二〇〇六年)を作っているときにこの文章を知っていればなあ……と思っても後の祭りである。『書彩』については触れているのだが、創刊号、二号は未見であった。

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# by sumus2013 | 2017-09-09 20:59 | 関西の出版社 | Comments(0)

書彩創刊号

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『ふるほんやのざつし 書彩』創刊号(百艸書屋内書彩発行所、一九四九年七月一〇日)。『書彩』については何度か言及したことがある。神戸の古書店が集って作っていた古書目録であり書物雑誌である。百艸書屋の岸百艸こと玉田一郎が中心になって発行していた。第九号まで確認できている。

ふるほんや渡世も、所謂、猫の手でも借りたいといふ機なら、おそらく、こんな、くだらない刊行物は、出なかつたことだらう。何うにも閑で、退屈で、といつて、酒に走るほどの御威勢もなく、さりとて、清元を地でゆく柄行などさらさらなしときては、所詮、甲羅に合せた穴を掘るより、他に藝のないのが蟹どもの常である。
 何か・・・・と誰か一人が、口火を切つたのが始まりで、てんやわんやの小田原評定の結果が、依如件かたちとなつたのである。
 将して、克く、書を彩り得るや、否やは、かかつて同人一同の、今後の情熱に俟つばかりである。》(岸百艸「創刊片言」)

「誰か一人」とはむろん岸のことであろう。目次を掲げておく。

"西洋書誌学"の思ひ出………蘆呉須生
覚え書………中村蕪生
古本屋風土記(其一)………廣重堂
旧元町一丁目の角のおもひで[口絵]………小松益喜
百艸旧記(俳句)
古物明細帖 明治の巻………後藤和平
浮世絵くさぐさ………岸百艸
毛九六九
探求書
編輯後記………百艸記


"西洋書誌学"の思ひ出」はロゴス書店の前田梅太郎執筆。ぐろりあ・そさえての伊藤長蔵の旧蔵書について書かれている。非常に興味深いので一部を引用しておく。

数ケ月前、東京在住のロサンジエルス古本屋の主人、タツトル氏が下神来店の節、東洋学関係の書誌関係書を十数冊買つて行かれたが、其の書物が殆んどグロリア文庫伊藤長蔵氏の旧蔵せられたものであつたので、今更ながら、伊藤氏蒐集の書誌学書の立派だつたことが思ひ起こされた。伊藤氏は自身、欧洲各地を遊歴された際、その努力と経費とを省ずして、数百種の稀覯書を購入の上、それ等を舶載された程の愛書家であつた。

伊藤長蔵が神戸を去った後、その蒐集書が入札に付された。昭和十年七月酷暑の時期。来場の同業者も少なく、特殊な書物ばかりだったので、目録に掲載された二百程の欧文稀覯書も嘘のような安値で落札された。落札総額は《今の平凡社百科一組の値段と略ゝ同額位》だと記憶している。筆者はそれらの一部を列挙する。言及されているすべてのタイトルを掲げておく。

デイブダン「愛書狂」一八四二年初版本
「書誌学的デカメロン」三冊本
「北英吉利スコツトランド古書探訪記」
「フランス、ドイツ古書探訪記」
英吉利古刊本沿革史」四冊揃
エスリング「十五六世紀のベニス版とその書誌」七冊本
ホジキン「ラリオラ」私家版三冊本
ポルトガル王マニユエル「王室所蔵初頭ポルトガル関係書誌」
モリソン「大英博物館所蔵のインキユナブラーの研究」
ロバート・ペデイ「インキユナブラー書誌」
紐育書誌学会「欧洲文学珍本古梓籍貼込帖」
バルセロナ版「ビブリオグラフイア・カタラーナ」七冊揃
シラム「独逸古刻書誌」十三冊本
ワツト「英吉利書誌

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「旧元町一丁目の角のおもひで」小松益喜


「古本屋風土記」も面白い。

終戦の半年程前のことだが、思想犯として留置せられてゐる友人に本の差し入れをしてゐたことで一週間ブタ箱へほうり込まれて、県の特高係りにいぢめられた時に「バイブルて何んだ!」といふから「バイルブルて聖書だ!」「聖書て何んだ!」「ヤソの教へだ!」「ヤソの教へて何んだ!」とくる始末だ。其時に私蔵のマルクス主義文献数百種を押収された中に西鶴全集が入つてゐた。「ニシヅルニシヅル」としきりに云ふからこちらも「ニシヅルぢやないヒガシヅルだらう」と云つてやつたら真面目な顔で「いやニシヅルに違ひない、本屋のくせに常識のない奴だ」とくるから嬉しくなつてきた。コンナ人に営業もーー思想も取締られていたのだから、古本屋稼業も並たいていのことぢやない。

五、一五事件で家宅捜索をやられた時には吉野作造の「文化生活」まで引きあげられて取調べの種にせられたものだ。まだマルクスとマルサスを取違へる位は優秀な方だ。

署長室の本棚一杯に江戸文芸の図書が這入つてゐた。検束者を貰ひに行つて、一九三馬の話ばかりして美事に目的を達したことがあるが、こんなのは警察官としては全く型はづれの部類に属する。

あるいは神戸の名物古書店主・福岡梅次のくだりも凄い。大正末期頃の話のようである。

氏は神戸といふ風土の特色を最もよく発揮した古本屋で又東京、大阪等の同業者から「神戸の荒神様」で愛称された程無邪気な無鉄砲さをもつて居た。どんな種類の本でも驚かない。外国語は「デンデン知らん」と本人は云つて居るがサンスクリツトだらうがスカンジナビヤだらうがおかまひなしにーー内容のわからない位は問題にしないでーー買ひ込んでくる。そのかわり店勢は応接に暇のない程盛衰常なく店外迄溢れ出た程の本が数日の中にガラン洞の書棚ばかり残して消え去ることもさしてめづらしくない。ソレ一たびツムジが曲れば最后の一冊迄も呑んでしまはなければ気のすまない愉快な気性の人であつた。

いやあ、そんな古本屋があったのだ……一度見てみたかった。なお、明記されていないが、表紙に「知黙菴」と出ているのが表紙画の作者かなと思う(岸百艸その人か?)

『書彩』3(葵書房、一九五〇年三月二〇日)

『書彩』第九号(百艸書屋、一九六〇年五月)

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裏表紙



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# by sumus2013 | 2017-09-08 21:21 | 関西の出版社 | Comments(0)

冝園百家詩

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双白銅文庫(拙蔵の均一和書群をこう名付ける)に『冝園百家詩初編』巻四、五、八の三冊を加えた。広瀬淡窓の家塾「咸冝園」の門下生らの漢詩を集めたアンソロジーである。検索してみると初編は全八巻、編纂者は矢上行子生快雨とも号した。天保十二年(一八一四)刊。版元は群玉堂、鴻寶堂など(全八巻ながら版元によって冊数が異なるらしい)。二編、三編は嘉永六年(一八五三)刊。


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三冊とも巻首に「観鷺臺文庫」の蔵書印が捺されている。この旧蔵者、さて誰なのか? 蔵書印データベースでもヒットしない。同じ印記が国会図書館蔵の『新續列女傅 巻之中』に見られる。

以下は巻之八の末尾にある広瀬旭荘(淡窓の弟)の跋。《詩人固多不遇之士。而不遇中又有不遇。》というところに目がとまる。いつの時代も……。

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この巻之八の奥付に刊記はない。『遠思楼詩鈔』の刊行案内のみ。

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# by sumus2013 | 2017-09-07 20:29 | 古書日録 | Comments(0)

放香堂

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『KOBEの本棚』第86号(神戸市立中央図書館、二〇一七年七月二〇日)を恵投いただいた。その巻頭に載っているのがこの「放香堂」の記事である。

『豪商神兵湊の魁(ごうしょうしんぺいみなとのさきがけ)』より「放香堂」の店頭の様子/「宇治製銘茶」と「印度産珈琲」の看板が掲げられている》(図版キャプション)

「魁」というのは明治初期に各都市がこぞって(だと思う)発行していた商店案内の冊子(持ち歩きできる横長小型サイズが多い)。銅版印刷の細かい絵柄が特徴(新時代の感覚だろう)。「〜の魁」と題するのが通例で、それらをひとまとめに魁本(さきがけぼん)と呼ぶ。『豪商神兵湊の魁』は明治十五年発行。元町・栄町など雑居地(外国人と日本人が共に居住できる地域)の商店を紹介している。

神戸で最初にコーヒーを販売したのは、元町三丁目の茶商「放香堂」です。放香堂は明治七年(一八七四)開業で主に宇治茶の販売をおこなっていましたが、明治十一年(一八七八)よりコーヒーの販売も始めました。同年十二月二十六日付の読売新聞に、広告を出しています。そこには、「焦製[しょうせい]飲料コフィー 弊店にて御飲用或ハ粉にて御求共に御自由」と書かれており、コーヒーを飲用と粉で販売していたことがわかります。》(神戸とコーヒー)

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説明文の筆者(無記名)は明治二十一年開店の「可否茶館」より十年も前に、日本初の喫茶店が神戸に誕生していたということになります》と書いている。店頭で珈琲を飲めたからといって即「喫茶店」と決めつけるわけにはいかないと思うが、外国人向けというだけでなく日本人においても珈琲の需用が生まれていたと推定してもいいだろう(漢字だけの看板に注意)。郵便切手も売っていたようだ。

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# by sumus2013 | 2017-09-06 20:36 | 喫茶店の時代 | Comments(0)

それから

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夏目漱石『それから』(日本近代文学館、一九八二年二月一日六刷)読了。原本は春陽堂から明治四十三年一月一日に発行されている。四十二年の六月から十月にかけて東京・大阪朝日新聞連載。

これもずっと前に文庫本か縮刷本で読んだ記憶がある。ただ通読して覚えていたのは画家の青木繁がチラリと登場するところ、犬の名前「ヘクター」(その頃、小説や随筆に登場する犬の名前をコレクションしていた)、そして学校時代の友人が地方へ戻って地主になりだんだんと書物から離れて行く様を描いたくだり、この三ヶ所だけで、ストーリーなど全く忘却の彼方だった。

主人公はいい年をして親に金をもらって何もしないでぶらぶら暮している代助(『三四郎』の広田先生が言う新しい若者たちの一人か)。彼が東京をあちこち歩いたり電車や俥に乗ったりしてウロウロする描写にひとつ読みどころがあるかもしれない(パリ市内をむやみに歩くネルヴァル『オーレリア』を連想させる)。要するに新しいモラルや職業観を持つ"新人類"を描いたということなのだが、ただ、それ以外は何もないに等しい三文恋愛小説で、これで当時の読者は満足したのだろうか? 

連載は大逆事件のちょうど一年前である。本文中にも次のようなくだりがある。平岡は主人公・代助の親友だった男。会社勤めをしくじって新聞社に入った。

平岡はそれから、幸徳秋水と云ふ社会主義の人を、政府がどんなに恐れてゐるかと云ふ事を話した。幸徳秋水の家の前と後に巡査が二三人宛晝夜張番をしてゐる。一時は天幕[テント]を張つて、其中から覗[うかが]つてゐた。秋水が外出すると、巡査が後を付ける。萬一見失ひでもしやうものなら非常な事件になる。今本郷に現はれた、今神田へ來たと、夫[それ]から夫へと電話が掛つて東京市中大騒ぎである。新宿警察署では秋水一人の為に月々百圓使つてゐる。

当時の政府におけるこの過敏さが大逆事件の下地であることは間違いない。それはそうとして古本屋が登場しているので、そこだけ引用しておこう。父親から仕送りを止められることを覚悟した代助が金策としてまず思いついたのが洋書を売り払うことだった。

りに神田へ廻つて、買ひつけの古本屋に、賣拂ひたい書物があるから、見に來てくれろと頼んだ。

ところがそのすぐ後で嫂から小切手が送られて来た。とりあえずひと安心。

牛込見附を這入つて、飯田町を抜けて、九段下へ出て、昨日寄つた古本屋迄來て、
 「昨日不要の本を取りに來て呉れと頼んで置いたが、少し都合があつて見合せる事にしたから、其積もりで」と斷つた。歸りには、暑さが餘り酷かつたので、電車で飯田橋へ廻つて、それから揚場を筋違ひに毘沙門前に出た。

『三四郎』の次に書かれた小説のようだが、『三四郎』のノンキさは後退し、かなり自然主義的にシリアスになっている。島崎藤村の『破戒』(明治三十九年出版)から影響を受けたと思ってほぼ間違いないだろう。文中に森田草平の『煤煙』も登場しているが(「それから」の直前の朝日新聞連載小説だった)、何か意識するものがあったのかもしれない。

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# by sumus2013 | 2017-09-05 20:38 | 古書日録 | Comments(0)