林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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かけうどん

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# by sumus2013 | 2014-05-14 11:11 | うどん県あれこれ | Comments(0)

岡田半江 樹々皆秋色

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岡田半江ということで求めた山水画の軸物、文字は「樹々皆秋色山々只落暉/半江田粛写」(季節外れもいいところでスミマセン)、印は「岡田粛印」「半江」。半江はいろいろな作風で描いているため、にわか愛好者にはこれが本物なのかどうか判断できない。緻密な作品も多いが、これはザッと仕上げたタッチではある。そのためさほど高価ではなく小生でも入手できたと言える。


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半江と言えば、先日取り上げながらその釈文をかかげられなかった「新園雨足更幽恬」の漢詩。某氏の御教示を頂戴して、おおよそなんとか読むことができた。まだ多少おぼつかないところもなきにしもあらずながら、まずはだいたいこんなところかとも思う。乞御叱正。


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新園雨足更幽恬

苕帚筠箕迹尚霑

渫井浚泉点茶榻

洗篁得月読書巌

車停紅葉非追牡

門橦青松異讃

啻願員従緑堂歩

一盃濁酒與吾拈

緑堂介川員和拙詩見示再用前韻
茶亭寄時後園秋栄落成
            半江田粛

新しい庭にじゅうぶんな雨が降ったあとはいっそう静かだ
葦の穂の箒、竹の箕はまだ濡れている
井戸をさらい、泉をさらい、茶をたてる椅子
雨に濡れた竹林、月が出る、読書の岩
車停めの紅葉は牛には届かない
門の板に青松が変った讃をつける
ただ願う、しばしば緑堂の歩にしたがって
一杯の濁り酒を吾とともに手にすることを

浚」としたところ本文では手ヘンになっている。読書岩(巖とは少し崩し方が違うようではあるが?)はひょっとしたら以前紹介した小杉放菴の絵のような岩かもしれないと思うしだい。「非追牡」と「押(?)異讃」のところはよく分らないのでとりあえず。「員」もほんとうは打ち込みのノがあるべきだろうが、他に思いつかないので員(しばしばの意か)とした。




所用のためしばらくブログを休みます。



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# by sumus2013 | 2014-05-07 20:48 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

ぽかん4号の感想

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『ぽかん』4号(ぽかん編集室二〇一四年四月二一日)読了。本誌の充実ぶりこれはもう理想的な布陣ではないだろうか。と書きつつも、じつは真治さんには書き手を二人か三人減らして一人の分量をもっと増やした方がいい、というような感想をメールした。しかし、今また読み直してみると、これはこれでベストバランスを持った編集振りであり、小沢信男、山田稔、涸沢純平、木村浩之、外村彰、田中美穂、扉野良人、鹿角優邦、内堀弘…の並びのどこをどう削るかなどと考えるのは烏滸のさただと反省した。

  兵児帯もほどけば長し麦の秋   小沢信男

山田さんのエッセイは小沢信男さんの『捨身なひと』に関連して長谷川四郎からもらった葉書を探し出す話。涸沢さんは「わが出版記」や内堀さんの『彷書月刊』の記録も出版史においても大切な文章だ…と内容紹介するより読んでもらった方が早い。個人的には「父のチェーホフ」と題して扉野氏が湯浅芳子について書いているのがいいと思った。この話は直接その一部分を扉野氏の口から聞いたような気もするが、六波羅蜜寺あたりの坂を上がったり降りたりあのへんの露地を右へ曲がったり左折れたりするような書きぶりがひとつの新たな文体を仕上げつつあるような気がする。次号が待ち遠しい。

この雑誌を始めるずっと以前だったが、ちょうちょぼっこで真治さんから雑誌の作り方について問われたことを覚えている。とにかくページ数を増やさないこと。小生からのアドヴァイスはそれだけ。調子づいてくるといろんな人に頼んでしまって収拾がつかなくなる。ページが増えればコストも手間も増えるが、だからといって内容が充実するわけではない。マイペースをつづけるにはページ数制限という足かせを自らに課すべきだと思う。

ところがどうだろう。真治さんの発想はそんな頭の固い、古臭いものではなかった。1号2号はともかく、3号からご覧のような楽しい附録をたくさんつけてしまうという、とんでもない発展ぶりなのである。印刷コストはこちらが心配するほどかかっていないそうだ。子供の頃にとっていた『少年』だとかそういう月刊雑誌の附録が持っていたたまらない魅力を思い出させてくれた。


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「のんしゃらん通信」なんか、これだけで十分独立した冊子として通用するだろう。本誌とはまた違った意味で粒ぞろいの書き手がそろっている。さらに「こないだ」は3号の感想文集、読者カード、そして手作りの検印紙。もう、好きなようにやりなさい、という感じである。


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4号編集中の真治さんからメールをもらった。エッセイの開始ページを偶数に揃えるべきか否かというような問いだった。執筆者それぞれのエッセイの長さによってピッタリ同じように収まらないから、流し込みだとどうしても全員偶数からスタートというわけにはいかなくなる。『spin』では奇数始まりを基本にしていた。けれども成り行きで偶数から始まっても問題ない。そのように答えたと思う。今、本誌を見ると、どうしても揃わないところは一頁まるごと写真で埋めてある。この写真がなかなかいい。

もうひとつ質問があった。エッセイの文末が広く空いたときにはどうしますか? 空いたままは好きじゃないという。だったら埋め草を考えれば。そこが編集者の腕のみせどころだよ。よって今回は「シネマのある風景」(これ山田稔さんの本のタイトル)という囲み記事が三篇挿入された。

ポスター附録「ぼくの百」は福田和美さん。原稿をもらってからコラージュを制作したのだけれど、その本の選択が小生の趣味に近いので驚かされた。だって一回り以上年下なのに…。3号の秋葉氏の選択は、本に精通した若い人のもの、という感じがありありだったが、福田さんのは感覚的に近いものがあったのだ。しかしコラージュそのものはあまり原稿とは関係ないものになってしまった。カフカとかグロッスとか少しは入れるには入れておいたけれども。あとロシア文字は真治さんの指定によります。

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『海鳴り』26号(編集工房ノア、二〇一四年五月一日)が『ぽかん』より数日後に届いた。山田稔さんの「ある〈アンダスン馬鹿〉のこと」は『ぽかん』4号とほとんど同じような展開(昔、縁のあった人の葉書を探し出す)だが、枚数が多いだけに存分に筆を揮った感じがする。じつにいい話だった。








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# by sumus2013 | 2014-05-06 21:04 | おすすめ本棚 | Comments(2)

DACITE

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こどもの日記念、でもないが、本日の一冊は『DACITE』(LIESMA, 1969)。ラトビアのリーガ(Rīga)で発行されたカレル・チャペック『ダーシェンカ』。チェコ語だろうとラトビア語だろうとどっちにしても読めません。しかし表紙に一目惚れ。

チェコへ行った方が日本語版の『ダーシェンカ』をお土産に持参したところ、まさか日本語版があるとは思っていなかった現地の人に大変喜ばれたという話を聞いた。たとえは古いが『のらくろ』のラトビア語版をお土産にもらったら、小生も嬉しい。

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# by sumus2013 | 2014-05-05 19:28 | 古書日録 | Comments(0)

Books Herring

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【あちこち古本ツアー】ギャラリートーク終了後、参加されておられた何人かの方々と平安神宮の東側に最近できた「Books Herring」へ繰り込んだ(一月に偵察したときには閉まっていた)。民家に少し手を入れて古書店にしている。玄関先のやや雑然とした見かけを裏切るかのように店内の品揃えはアート系中心に文学、思想なども充実しているのにビックリ。それもそのはず、店主氏は古本まつりで必ずお見かけする、お見かけするだけでなく、小生としばしば人違いされる御仁であった(背丈、髭、帽子や洋服がどことなく似ているのでした)。

これ以前には本をたくさん置いてある飲屋をやっておられたそうだ。ここは本が主人公ながら、カウンターがしつらえてあり、軽く一杯お酒なども飲めるようになっている。Herring はニシン。自分は古本屋のニシンだという謙譲の意味を込めていると聞いた。現在は一階だけの営業ながら今後はさらに二階にもスペースをもうけて、いろいろな催しも開けるようにしようという意欲をもっておられるとか。




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# by sumus2013 | 2014-05-05 10:05 | 古書日録 | Comments(0)

光の時代:ギャラリートーク

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4日のギャラリートーク、盛況のうちに終了しました。遠方より(あるいは近場より)ご参集くださった皆様にお礼申し上げます。


マン・レイと余白で
http://d.hatena.ne.jp/manrayist/20140505


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# by sumus2013 | 2014-05-05 09:22 | もよおしいろいろ | Comments(0)

瀧口修造展

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TEZUKAYAMA GALLERY
http://tezukayama-g.com


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# by sumus2013 | 2014-05-05 09:13 | もよおしいろいろ | Comments(0)

大西巨人のリアル

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大西巨人さんの著書案内が朝日の日曜読書欄に出ていた。光文社文庫は小生の装画(装幀=間村俊一)です。

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# by sumus2013 | 2014-05-05 09:10 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

わらひ竹

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『わらひ竹(絵本わらひ茸)』(青玉堂)。某氏より借覧中。

『繪本わらひ茸』は表紙の有名絵師の絵で釣って中身は違う人のお作、というしょーもない本ですが、案外面白いです。

との某氏のコメント。たしかにしょーもないが、面白い。有名絵師というのは表紙に「貞芳」と署名のある歌川貞芳(生没年不詳、大阪の浮世絵師)で、天保から嘉永(一八三〇〜五三)頃に活躍した。役者絵、根本(歌舞伎の脚本)、絵本、摺物などの作例があるようだ。表紙見開きの茸の上の署名は「有楽斎長秀」、京都の浮世絵師で大阪でも活躍した。寛政十一年(一七九九)から弘化年間(一八四四〜四七)にかけて錦絵による美人画や役者絵を描いたという。


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見ての通り、表紙と見開きの渋い調子が、本文に入るなりどぎつい色調になる。こういうのを赤本と呼ぶのだろう。扉絵に「そそうつくし」とある。目出たい日、衣冠束帯姿で刀を持って、女中を叱って(粗相をした?)いる場面なのだろうか?

以下、全頁を掲げるが、ダジャレの勘違いギャク連発。

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げんくハんへ まくをはれと いわれるけれど 是大ていで はれるもの じやない
【「幕を張れ」と言われて刷毛をもって幕を糊付しようとしている】

びやうぶ ひけと いゝ付け じやが 中々 引にくい ものじや
【屏風を引くを挽き切るの挽くと勘違いしている】

丁ちんへ 火を つけと 云付けじやがかみで はつたもの じやで ぢきに やけるで あろう
どうした ものじや
【火をつけろと言われて提灯を燃やそうとしている】


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豆をはやせじやけれど とんで一こうはやしにくい
【豆まきで囃すを切るの忌詞「はやす」と勘違い】

かゞみをすへじやが 立ておこうか すへておこうか
【鏡を据えるは鏡を神仏に供えること】


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ざしきへ やきものを 引ケじやが 中々 おもしろい ものじや

おとし玉子 せいといゝ なさるが おとしたら われるであらふ どうした ものじや

鯛を三枚に をろせじやが 中々おりる ものじや ない

うづみどうふ せいといゝ付じやが どこへうづんだものであろ
【うづみ豆腐は精進料理、豆腐の上を御飯で覆う】


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水をうてと いひ付じやが はり合の ないものじや

坪の内 そうじせいと 云付じやが ねから ほこりもないが
【坪の内とは庭のこと】

はかまをはいて きゆうじせいといわ るゝがはかいでも ほこりハないが
【袴を掃く……】


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さてさて御ちそうで のどが かわくゆへ
くわんすをくびニ かけて見ても とんとのどが かわきやまぬ なんぎなものじや
【くわんすは湯を沸かす鉄瓶のこと、火にかけると首にかけるのはきちがい】

もし 去年の月見もたしか こよひで ござりましたじやござりませんか 
やみじやと いふても しよ事がないに 月夜でしあわせで ござりませんか


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旦那がざう里 をつくれといはるゝ が此くらゐ つくつて おいたれバ ふゑるであろ
【ぞうりを作れと言われ、田に植えて増やそうとしている】

いしや【医者】ハ名を うらねば出世できぬと きいたゆへ [菜を]うりて見よう

かまで はまぐり とれと いはれるが 中々とりにくい ものじや
【遠浅の浜では鎌で砂を切って貝を探り当てる。鎌と釜の勘違い】

以上、現代でも似たような勘違いはちょいちょいある(ないですか?)。




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# by sumus2013 | 2014-05-03 21:04 | 古書日録 | Comments(0)

山本牧彦

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『山本牧彦短歌写真作品集』(新月短歌社、一九八五年三月一日、装幀、挿画、外函意匠とも天野大虹)。これは俵青茅との関連で求めたもの。山本は大正八年に俵、木村皓花とともに『揺籃』という短歌雑誌を創刊している。実際どういうものか何冊出たかも不明ながら同年十一月に廃刊した。山本は二十六歳、俵が十七歳、木村は不明。

さらに昭和三年八月、年刊詩集『詩経』(京都詩話会)を俵が編集したときにも山本、木村ともに参加している。翌四年には『歌垣』(青樹社、一九二九年五月一五日、装幀=西桜州)が発行された。これは俵、山本、鑓星美の合同歌集である。というように山本と俵は年齢差はあるものの親しい間柄だったことが想像されるし、青樹社から本を出していることからして天野隆一とも親しかったに違いない。


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山本牧彦の略年譜を少し間引いて写しておく。

 明治26年3月1日 兵庫県豊岡市(旧城崎郡百合地)に生る。
 大正7年3月 京都にて歯科医院開業
 昭和3年 日本写真美術展覧会にて写真作品「少婦立像」が文部大臣賞を受ける。
 昭和4年 日本光画協会を興し会長となる。
 昭和10年 京都歯科医師会々長となる。
 昭和17年 市会議員に当選〜22年迄。
 昭和28年 新月短歌社主宰

本書には昭和二十五年から四十一年までの短歌が収められており、それとともに初期の代表的な写真作品も掲載されている(別に『山本牧彦写真集』一九六八年がある)。そのうちから四点ほど引用しておく。

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上から「庭の聖女」「少婦立像」(共に一九二八)、「赤絵の壺のある静物」(一九二九)、「画家たち」(一九二七)。明らかに岸田劉生の影響が感じられる絵画的作風だが(四枚目は小出楢重を連想させる。あるいはまた安井仲治のピクトリアリズムにも近い)、それはそれとしてなかなか見所のある作品だと思う。野島康三、中山岩太、木村伊兵衛らが『光画』を創刊したのは昭和七年だから、山本の「日本光画協会」は彼らより一歩先んじていたのかもしれない(?)。

《僕は別に短歌、或は詩もつくるが、歌にしても、詩にしても、又写真にしても、要するにこれ等の文学芸術は、すべて僕自身作者自身の内部衝動を表現するための手段となるべきものである。そこに表現の形式の差のみがあって、根本に於ては、自身の「心」の他にはなく、相違があるとすれば、それは写真で言えば写真術の側から観るか、作者の側から見るかの相違であろう。》(「我観写真画」)

また昭和四年の『歌垣』の序文ではこう述べている。

《僕にいたつては、たゞ歌が、形に簡素で折ふしの発想を盛るに手頃であるといふ程の考で、研究も乏しく歌格に合はぬものも多いゝ[ママ]のは恥かしい。
 だがしかし、歌が『其人の呼吸とともに』歌はるべきものであるならば、こゝに蒐めた僕らの歌は、各の環境とともに、その風貌をも、最もよく表はしてゐるかも知れない。》

山本はまた宗教映画「毛綱」(マキノ正博監督、一九三三年)の原作者でもあるそうだ。本書の製作に関しては以下のような謝辞が「後記」に見えている。

《装幀に就ては例によって天野大虹画伯を煩した。

《文童社主山前五百文氏が営業の採算をも無視した熱意を以て終始協力せられたことをここに特に銘記して置きたい。》

俵、天野、そして山前実治文童社、双林プリント)らと山本牧彦の長い友情というものを感じる。


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# by sumus2013 | 2014-05-02 20:29 | 古書日録 | Comments(0)