林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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大隈伯肖像および印刷機あれこれ

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最近入手した石版の肖像画「立憲改進党代議会長/大隈伯肖像」(静岡民友新聞第六百八号付録 発行静岡民友新聞社 明治二十六年十一月一日 発行印刷人多々良藤右衛門 編輯人横山是 東京京橋区元数寄屋町泰錦堂印刷)。静岡民友新聞は昭和十六年に静岡新報と企業統合され現在の静岡新聞となる。サイズが大きすぎて全紙面をスキャンできなかったが、この画像がA4大で周囲にかなりの余白を残す。

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絵の作者だが、右下隅に「繁」のサインがある。誰なのか専門外にて見当もつかないけれど、便利な時代、いろいろ条件を変えて検索してみると、おそらく「波々伯部繁」ではないかと推定できた。「芸妓競」(改進新聞、明治二十六年、郡山市立美術館)あるいは「衆議院議員肖像」(改進新聞、明治二十三年、東京大学・近代日本法政史料センター)などの作品が残っているようだ。

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印刷機についてのコメントをいただいたので『写真技術講座6 写真製版術』(共立出版、一九五六年一月三〇日)からいくつか図版を引用しておく。まずは手引石版印刷機。こういうものはそう進歩はないように思うので明治時代もおそらく上のような機械を使ったのではないだろうか(?)。

以下、手製コロタイプ印刷機、四六全判金属平版枚葉印刷機、そしてオプセット(誤植? すべてオプセットになっている)の校正機(中西鉄工所製)、輪転オフセット機、四六全判2色オフセット輪転機(日本タイプライター製)の図版。他にいろいろあるも省略。


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コメントいただいた二条通の印刷所は「十分屋」であろう。

ハイデルベルグ プラテンT型 1960年製(二条通寺町東入・十分屋)
http://juppunya.com/kappaninsatsu.htm

プラテン機の稼働状態のヴィデオがこちらで見られる。

ドイツ ハイデルベルグ社製 T型プラテン印刷機(和歌山・藤井印刷)

小気味好い機械音である。仕事してるなあ〜という感じがする。ただ思うのは、活版印刷が廃れて、編集や印刷工程などがコンピュータに頼り切っている今日では、いわゆる職人技が廃れてしまったたかのような錯覚があるかもしれない。しかし実際、仕事をしてみると、オペレータの技術によってかなりなクオリティの差が出て来るのも事実だ。例えば色合いの微妙なテイストが機械任せにはできないように。まだまだ当分の間は機械を使うのは人間だと思っていいようである。


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# by sumus2013 | 2014-02-02 21:42 | 古書日録 | Comments(4)

年画造酒仙翁

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昨日が旧暦の元日だった。ということでおめでたい造酒仙翁の年画を掲げる。

中国年画造酒仙翁
http://www.microfotos.com/?p=home_imgv2&picid=1518960


造酒仙翁だけでなくさまざまな神様たちが祀られるようだ。漢代からあるとも言われる民間信仰らしい。

青苗之神/造酒仙翁/火德星君/張仙之神/和合二聖/五道之神

青木正兒『抱樽酒話』(アテネ文庫、一九四八年三月二五日)によれば、中国には大別して二種の酒がある。黄酒と焼酒。黄酒は日本の清酒にあたる。焼酒は焼酎である。焼酒は元代に南方から伝来したものらしく、中国本来の酒は黄酒であったろうという。

黄酒は浙江省紹興の酒が有名で、その名は黄酒だが実際には茶褐色をしている。ただ「竹葉清」と呼ぶ酒は日本酒に似ているそうだが《私は未だ曾て嘗めたことは無い》。昔の酒は日本酒のように琥珀色なのが普通であったらしい。それは有名な李白の「客中行」の詩に

 蘭寮ノ美酒ハ鬱金色 玉椀ニ盛リ来タル琥珀光

とあるので分る。唐以来の酒は淡黄色なのが普通だったが、他に特殊な酒として緑・紅・白の三種があった。白と紅はきわめて古く『周礼』に出ている。緑の酒は遅れて『文選』所載の晋の左思の「呉都賦」に出るそうだし、陶淵明の詩に「緑酒、芳顔ヲ開ク」ともある。

白酒はどぶろく。原始的な酒ながら、優良品もあったらしく蘇軾はとくに白酒を好んだ。緑酒は唐から六朝に流行し、紅酒は宋代に盛行したもののようである。

わが国では古くは黒酒(くろき)・白酒(しろき)といった濁酒が作られていたが、奈良朝になって唐から清酒の製法が伝わったようだ(引用者註;文献的には諸説あってはっきりしていないが『延喜式』[九二七年]には清酒の製法が記されている)。そのころから日本酒は琥珀色を輝かしていたに違いないと述べ、

《ところが近年琥珀は段々色が薄くなつて来た。聞けばわざわざ薬品で色を抜くとのことだが、何と云ふ手間のかかつた馬鹿な事をするのだらう。》

としめている。現代の人間には日本酒が琥珀色というイメージはないだろう。しかしながら以前 daily-sumus でも紹介した元禄時代の酒はまさに琥珀色だった。

 
『抱樽酒話』では触れられていないが、同じく青木先生の『中華飲酒詩選』(筑摩叢書、一九八七年九刷)には琥珀と紅の酒が出ているものが挙がっている。前半のみ引用する。


   将進酒   李賀

 瑠璃鐘 琥珀濃 グラスの盃には琥珀色が濃く
 小槽酒滴真珠紅 小さな酒船に滴る酒は真珠(ルビー)のやうに紅い
 烹龍炮鳳玉脂泣 龍を煮たり鳳を焼いたり脂がぢうぢう
 羅幃繍幕圍香風 薄絹の幃や刺繍の幕で香風を囲む


李賀についてはやはり以前少し触れた事がある。ご覧のように龍や鳳凰がポンポン飛び出してくる派手な作風だ。

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# by sumus2013 | 2014-02-01 21:22 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

製図器具その2 Technikerzirkel

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先日のロットリング製品に加えてさらに定規とコンパス・セットを頂戴した。定規はつまみ(?)のような山のついているタイプで、珍しいもの。写真中央は小生が使っているロットリング・ペン。最近はお蔵入り状態だったので取り出してコンパスに接続してみた。

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他社のサインペンでもセットできるようなので、これはいくらでも使い道がある。深謝です。むろん金具を交換すればふつうの鉛筆芯のコンパスとしても使えるようになっている。

物差しも好きな道具のひとつ。実際に使うために買ったものもかなりたまっている。というのは定規はどうしてもカッターを使ったりするので、デコボコになってしまう、すると使えなくなるが、それでも捨てられないからだ。さらに古道具でも買ってしまう。

使うのはやはり手軽なプラスチックになる。むろんスチール製の尺も持っているが、竹や木製の方が手に馴染むし、古色がつくと美しい。ただしプラスチックでも古い物にはトロリとした味がでているのもあって捨て難いのである。

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そうそう、ロットリングというのは製図用具の社名だとしか思っていなかったのだが、
ドイツ語で「赤い輪」という意味だと、今頃はじめて気付いた。



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# by sumus2013 | 2014-01-31 20:40 | コレクション | Comments(3)

我思古人その2

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二十四日に取り上げた架蔵コピー『我思古人』は八顆だけだったが、じつは十二顆収録されていることを御教示いただいた。ばかりか、そのコピーを頂戴したので、さっそくすでに紹介した三顆以外の印章すべてをかかげておきたい。

コピーの原本は百部本(先日のは三十部本)。

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収録順に、まず文彭(三橋, 1498-1573)の「二酉山人」

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次が徐渭(文長, 1511-1593)の「我思古人」。そして次が奚岡(銕生, 1746-1803)の「呉師光印」。

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陳鴻壽(曼生, 1768-1822)の「一琴一硯之齋」。側款がこちら。

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次が柳澥(龍石、清)の「且父」。

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同じく「生春仙館」。

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そして趙之琛(次閑、清)の「痩虎」。

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呉煕載(譲之, 1799-1870)の「巽夫」。

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翁大年(叔均、清)の「蕘圃手校」。

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王雲(石香、清)の「破衲子」。

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この次に徐三庚(辛穀、清)の「「淡烟疎雨暗漁(?)蓑」がきて、最後に作者不詳でしかも印文も不明の印でおしまい。「雅[?]」

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どの印章もなかなかに優れたものと思う。

《甲鳥書林から何だか分厚い小包が届いた。何だと思つたら、一束の検印紙だつた。ひどく凝つた検印用紙で、一枚々々丁寧い印を捺さなければならないやうな代物なので、やれやれと思つた。その上、これまでの本には大抵それですませてゐた「辰雄」といふ無趣味な印ではすこし検印紙の方がかはいさうな気がするので、ふいと妻の亡父が所蔵してゐた支那の古い印のことを思ひ出して、その中で私の好きな印を二つ三つ東京の家から送つて貰ふことにした。

妻の亡父が所蔵して居つた十幾顆の印は彼が広東に在つた頃何かの革命の際急に所在をくらまさなければならなかつた支那の某大官が纔かな金で彼に譲つていつた品ださうで、明清二代の名家が刻したものが多いといふ證明附のものである。(堀辰雄「我思古人」)

堀多恵子の父・加藤譲次は日本郵船の広東支店長だったそうだが(堀多恵子の祖父土屋彦六)、いくら安かったとは言え、これをまとめて買い取ったとすれば、それなりの趣味人だったとみていいだろう。昭和七、八年頃に死去したという。



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# by sumus2013 | 2014-01-30 20:29 | 古書日録 | Comments(4)

桑原武夫記念コーナー

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京都市右京中央図書館へ立ち寄った。二〇〇八年にオープンしたらしいが、初めて足を踏み入れた。本を見ながら突き当たりまで歩いて行くと「桑原武夫記念コーナー」という看板があった。

窓際の片隅に、写真や年譜のパネルと遺品(筆硯、印章、ノート、コピー原稿、習字、水彩画スケッチブック、成績表、日記帳、献呈本など)の展示。遺愛のテーブルと椅子も置かれていた。

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この原稿だけはコピーだったが、ノートなどは本物。直射日光が当たるような展示ケースで決していい環境とは言えないのが残念。


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奥が富士正晴の署名入り『小詩集』(萌黄、一九五七年)、手前が伊東静雄署名入り詩集『春のいそぎ』(弘文堂、一九四三年)。どちらも古書価はそれ相応に何万円かになるもの。



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こちらは三好達治詩集『測量船』(第一書房、一九三〇年)。ごらんのようにカーテンの隙間から日光が射している。署名なしでもこの本は五万円くらいしても不思議ではない。桑原宛署名本なのだ、もっと大事に扱ってもよさそうなものだと思う。


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名刺、印章類、印影、万年筆(モンブランなど数本)。この右手に硯箱があるのだが、どうもうまく写真が撮れなかったので省略。渋い硯と水滴だった。対して机は合板でできた実利的なもので、材質にはこだわっていなかったようだ(最初の書斎写真で右端に写っている)。

どうしてここにこんなふうにコーナーが設けられているのか知らない(もとは国際交流会館にあったらしい)。せっかくなのだから誰かちゃんと手入れしてくれればと思うのだが……。せめて外光は防いでほしい。

***

死亡記事のノートにたしか桑原武夫も貼付けてあったはずと思って調べると、朝日と神戸新聞がいくつか見つかった。一九八八年四月一〇日午前九時五五分、急性肺炎のため入院先の京大胸部疾患研究所附属病院で死去、八十三歳。

多田道太郎の追悼文(神戸新聞四月一三日付)から。

《桑原先生が共同研究の部屋に入ってこられると、いっぺんに幸福感が私たちを浸すのであった。「ルソー研究」といった本題に入る前に、先生の「あれはいったい何ででっしゃろ」が始まる。時々片々、日常茶飯の中から懐疑の種を拾い出す先生の力量に私たちは驚いた。》

《イデオロギーにかかわりなく発想の自由度と強靭度(きょうじん)が問われる。好んで異をたてる、と思われかねない異能奇才の若者を先生は溺愛(できあい)された。》

朝日新聞(四月一一日付)には梅棹忠夫が追悼文を載せている。

《研究もさることながら、年末の全員コンパで、一年後を予想するゲームをします。「日本の首相はだれになっているか」「米大統領は……」といった社会科学の応用問題が多かった。オッサン(と私たちは呼んでいましたが)も含め、全員がそれを密封しておいて一年後に開封します。「人文科学者も現実的な問題に目が利かなければいけない」という桑原さんの発想でした。》

《中国文明についての深い関心と知識を持った上で、漢字の制限を国語審議会でも主張された。特に人名漢字の制限をいわれたが、「人名は社会的財産」という考えからで、他の人が読めない漢字は困るというわけです。元号廃止論者でもありましたが、それも国際的視野からの発言でした。》

同じノートによれば、桑原死去の前日一九八八年四月九日には作家田宮虎彦が北青山のマンションから飛び降り、新宿の東京女子医大病院で死去(七十六)、八日には挿絵画家の竹中英太郎が新宿区東京医科大病院で虚血性心不全のため死去(八十一)、六日には詩人フランシス・ポンジュがニース近郊の別荘で死去(八十九)している。死因は不明。

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# by sumus2013 | 2014-01-29 17:54 | 古書日録 | Comments(11)

露伴遺珠

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ラジオから幸田文の声が流れてきた。作品やその容姿から想像していたのとは、まったく違った、江戸っ子の、やや甲高い軽快なしゃべりだった。江戸っ子といっても大川の東側で自然がまだまだ豊かな時代に育ったそうで(露伴は江戸っ子と言われると否定していたそうだ)、いわゆるチャキチャキというのではなく広い意味で関東弁の響きが感じられる。こういう言い方はなんだが、とても「カワイー」のである。

上は世田谷文学館の「幸田文の栞」(二〇一三年九月一日)。法輪寺の三重塔をバックにしている。この塔を建てるために晩年の幸田文は奔走したのだという。文の言うには自分たちは露伴のなかでもよく売れた作品「五重塔」の印税で暮らしたというようなところもあって、法輪寺の塔の再建が挫折しているのがどうも他人事とは思えなかったらしい。「五重塔」の上演料を寄付したり、講演に奔走したり、当時文化庁長官の今日海出に直訴したりとさまざまに尽力し、斑鳩町に一年半住んで塔の建築を間近に見たそうだ。

世田谷文学館の栞に森まゆみと堀江敏幸の対談が載っている。そのなかで堀江氏にこういう発言がある。

《2000年でしたか、『文藝別冊』の特集で、小石川のお宅に伺って青木玉さん、奈緒さんにお話をうかがう機会がありまして、その折にあれこれ読み返したのですが、僕は結局、幸田文の作品を、書かれた言葉としてしか理解していなかった、口に出された言葉であったことが分っていなかったと大いに反省をしたんです。》

この発言は幸田文が実際にしゃべっているのを聞くとじつによく納得できるのである。あの文体は彼女のパロールのなかから生まれてくるに違いない。

幸田文と言えば、daily-sumus で湯川成一さん旧蔵の著者サイン入り『幸田文随筆集』(角川文庫、一九五四年八月一五日)を取り上げたことがあった。

http://sumus.exblog.jp/17504304/

そのとき、きっと交渉があったのだろう、などと寝ぼけたことを書いたのだが、そりゃそうだ、湯川書房は幸田露伴の本を出しているじゃないですか。

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肥田皓三編『露伴遺珠』(湯川書房、一九五三年五月一日)。肥田先生の「後記」によれば全集に洩れた佚文捜しは森銑三が先鞭をつけたようで、当時すでに肥田先生も二十年近く捜索していたのだという。その間に三十篇以上をさぐりあてた。そういった内容を『季刊湯川』創刊号に執筆したところ、湯川さんが「是非ともその本を作りましょう」と申し出てこの一冊が生まれた。

だから当然、著作権者である幸田文にもコンタクトしたであろうし、サイン入り文庫本も何らかの返礼だとすればスッと納得できる。大分前からこの本を持っていたのにまったく気付かなかったとはうかつにもほどがある。

肥田先生も書かれておられるが、短文のなかにも露伴の魅力は十分感じられる。例えば「修文談」は文章作法について語りながら理想の文学的境地を示すという点で興味深い。修文には四期あるという。

《例へば月を描くのにブンマワシを遣ひツ放しにするのは一期で、先づ雲を描いて月に見せるのが二期で、描かぬ月の影を水に見せるのが三期で、ツマリ月も畫かず、雲もあらぬ冬の夜の、何處か月の寒い心持を、或る物体に移して見せるのが四期ではないか、ブンマワシの月を、刷毛で塗り隠す位なら、誰でも出来る、が、その月を月と云はずして、月の心持を見せるのは、経営惨憺の極で無くては出来ぬ》

メタファーということなのだろうが、これはまるでステファヌ・マラルメの詩法を解説してくれているような気さえする。露伴とマラルメのコレスポンダンス! 他には細かいところで、次のような発言も印象的だ。

《漢字は我國で出来たものでないからして、我國の言語としつくり合つては居ない、恰好丸い器物に、四角な蓋をした様なものである。》(漢字の新研究法)

だから漢字をもっと研究せよ、しかるのちに採否を決定せよと主張している。大正元年に書かれているが、漢字問題については戦後だけでなくずっと言われて来たとみえる。

もうひとつ、これはさらに細かいこと。「全然」の使い方。

《私の「五重塔」は此の話をして呉れた倉と云ふ男を全然ではないが、幾分かモデルに使ひ、其れに始めに話したのツぽりの綽名を少し変へて用ひ、其の外聞いた話なども加味して直ぐ近所にあツた五重塔へもツていツて綜合したのです。》(自作の由来)

明治三十年八月発表。全然オッケー。

そうそう肥田先生と言えば、昨年十一月、第二回水木十五堂賞を受賞された。めでたし。



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# by sumus2013 | 2014-01-28 20:56 | 関西の出版社 | Comments(4)

ZAZ SANS TSU TSOU

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TSUTAYAの更新手続きをした。二枚CD無料になったのでザーズのライヴCD/DVD三枚組「ZAZ TSU TSOU」とアマリア・ロドリゲスのベスト盤を借りた。ZAZのライヴ・ヴィデオはコンサート・ツアーからプライヴェットな顔までうまくコラージュしており、上出来と言っていいだろう。

Zaz - Sans Tsu Tso
http://www.youtube.com/watch?v=bCBTqbjXTb4

三枚のうちの一枚はシングル盤「Éblouie par la nuitだった。

Éblouie par la nuit, à coup de lumières mortelles,
A frôler les bagnoles, les yeux comme des têtes d'épingles,
Je t'ai attendu cent ans, dans les rues en noir et blanc,
tu es venu(e) en sifflant,

夜に目をくらまされ、激しい光に、
車がかすめる、目はピンの頭のよう
ずっとあんた待った、黒と白の街で
口笛を吹きながらあんたはやってきた

Éblouie par la nuit, à coup de lumières mortelles,
A shooter les cannettes aussi pommée qu'un navire,
Si j'en ai perdu la tête, j't'ai aimé et même pire,
Tu es venu(e) en sifflant,

夜に目をくらまされ、激しい光に、
ばかでかくてまんまるなビンをシュート
もし、カッとしてたら、あんたを好きになっていた、やばいほど
口笛を吹きながらあんたはやってきた

Éblouie par la nuit à coup de lumières mortelles,
Faut-il aimer la vie, ou la r'garder juste passer,
De nos nuits de fumettes ,
Il ne reste presque rien,
Que des cendres au matin, 

夜に目をくらまされ、激しい光に
人生を愛するか、でなきゃ過ぎて行くのをただ見ているか
わたしたちの息づかいの夜には
何も残っていやしない
朝の灰のほかには

Ah ce métro rempli des vertiges de la vie,
A la prochaine station, petit européen,
Met ta main, descend la, en-dessous de mon cœur, 

ああ、人生のめまいで満員のこのメトロ、
次の駅で、小柄なヨーロッパ男が、
あんたの手を置いて、降ろす、わたしの心臓の下の方に、

Éblouie par la nuit, à coup de lumières mortelles,
Un dernier tour de piste avec la mort au bout,
J'ai attendu cent ans dans les rues en noir et blanc, 
Tu es venu(e) en sifflant…

夜に目をくらまされ、激しい光に、
ゴールに死が待っているトラック、最後の一周、
黒と白の街でずっと待った、
口笛を吹きながらあんたはやってきた…


以上、歌謡曲風に訳してみました。時折、和訳にいちゃもんをつけたりしているが、やっぱり翻訳は難しい(文字通りではない、俗語的な表現がちりばめられているようです!)、拙訳お許しを(目に余るところがあれば直しますので御教示を)。それにしてもこの歌の邦題が「聞かせてよ、愛の歌を」というのには驚きました。何でもいいと言えばいいのですが。

ZAZは昨年二枚目のアルバムをリリースしていた。

ZAZ Recto/Verso (2013) - Full Album
http://www.youtube.com/watch?v=eVUEWLvIISs




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# by sumus2013 | 2014-01-27 22:05 | おすすめ本棚 | Comments(4)

古本屋の窓から「愛すべき小さな街へ」


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『しんぶん赤旗』二〇一四年一月二四日号掲載、狩野俊「古本屋の窓から」に挿絵を提供しました。原画は色つき。京都の古本屋さんです。




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# by sumus2013 | 2014-01-27 20:14 | 画家=林哲夫 | Comments(4)

前太平記

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昨年の百万遍で中国青年と争って求めた和本五冊。『前太平記』(藤元元・作、版元不詳、刊年不詳)の巻二十一、三十一、三十二、三十五、三十七。バラというだけでなくはなはだしい修理・改装が行われている。


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御覧のような紙背文書ならぬ、裏打ち紙が全冊の全頁に貼付けられている。ちょいちょいとのぞいてみると、文政九年(一八二六)という年号が古いようだ。明治六年もあった。内容はさまざまで土地関係、建築関係の書類(大工うんぬん)など反故紙を用いているようだ。

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住所が書かれている紙もある。

《越後国魚沼郡 冨實郷 元塩澤組 嶋新田

これがどこなのかは地元の方に調べて頂きたいと思う。また五冊のうち四冊に墨の印判が捺されている。屋号は? 町田氏。魚沼郡目来田(もくらいでん)は現在の塩沢町である。

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『前太平記』(詳しくは「前太平記の世界」参照)は天和元年(一六八一)頃に成立した歌舞伎のネタ本として有名なもので、もちろん活字本にもなっている。この版本(草書体で半丁十二行、タテ23cm)は案外珍しいのか、今たちまち探したところでは滋賀大学附属図書館(前太平記40巻目録1巻)にワンセットあるだけだった。

読むのは骨だが、その気になれば、ルビもあるし、そう難しいというほどでもなさそうだ。もちろん読むことはないとは思う。ただ、挿絵は面白い。大方は戦闘シーンばかり。なかに酒を飲むシーンもあった。

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巻三十一の「将軍入鳥海柵給ふ事」。

《将軍城中に入給ひ暫く此にて人馬の足をぞ休められけるしかるにある陣屋の中に醇酒(じゆんしゆ)を湛へたる甕七八十も有けるを士卒争ひ飲まんとす将軍是を制し給ひ恐くハ賊徒御方の士卒を欺かんが為毒酒を設置たる事もこそ有らんずれ率爾に不可飲之とて先試に年老たる雑人一両人に飲しめ給けるに子細なき良酒なりと申て何の害もなかりけり》

もう一箇所は家の普請をしている場面。巻三十二「家任以下降参乃事」のところに出ているが、どうやらこの図は「耳納寺新通法寺建立乃事」に対応しているようだ。


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大工や左官などの様子が細部にいたるまで描き込まれている。鑿、鋸、鉋、曲尺、墨付けの道具も一通り揃っているし、おおよその手順が子供にも分るように図解されているのだろう。見飽きない。

文字が透けて見えているのは裏打ち紙に書かれた文章である。


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# by sumus2013 | 2014-01-26 21:43 | 古書日録 | Comments(2)

製図器具

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先日白水社の本棚」を紹介したときにロットリングに話題が及んだ。それを読んだ方がかつて使っておられたという製図器具をお送りくださったので紹介しておく。

上の写真、左上のボトルはロットリングのインクとその箱。河内画材の値段レッテルが着いている。その右はロットリングのペン軸に装着する拡大鏡(いちょう形の方)、およびそのケースに無理矢理入れてあるHAFF(http://www.haff.com/index_e.htm)の同じく装着用の拡大鏡(×4)。

手前がARMの「スプリングコンパス烏口《中車》」。中央の車輪状の金具を回すとコンパスの開き加減が調整できる仕掛けになっている。ARMが社名だと思うが、検索してみても現存するかどうか分らなかった。ちなみに小生は学生時代にはタケダの製図器具セットを使っていた。


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で、驚いたのは同封されていた9Hの鉛筆だ。9Hとは! ここまでの固さはさすがに使ったことはない。ぜいぜい6Hくらい。調べてみると三菱ハイ・ユニには22硬度セットがあり、10H〜10B のレンジにわたっている!(HBとFがあるので22本になる)。ちょっと書き味を試してみた。まるで鉛の塊である。軟弱な紙だと破れてしまいそうになる。ダ・ヴィンチなどは銀筆(鉛筆が登場する以前に使われていた先端に金属を用いた筆記具, silver point)でデッサンしているのだが、きっとこんな書き味だったのかもしれない、などと思う。深謝です。

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# by sumus2013 | 2014-01-25 20:19 | コレクション | Comments(4)