林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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ジョゼ・コルティ回想録

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ジョゼ・コルティ(José Corti)の『取散らかった思い出 Souvenirs désordonnés』(Éditions 10/18, 2003)読了。パリの新刊書店ジベール・ジョセフでセコハン本(オカジオン occasion)として購入したもの。元版はジョゼ・コルティ(版元の名前でもあり、書店の名前でもある)から一九八三年に出ている。

ジョゼ・コルティ(1895-1984)は一九二五年に同名の出版社を設立し、初期のダダ、シュルレアリスム関係の雑誌や単行本を刊行したことで知られる。アラゴン、ブルトン、エリュアールらの著書、ダリの『La Métamorphose de Narcisse』(1937)やジュリアン・グラック『Au château d'Argol』(1938)は代表的な出版物。ガストン・バシュラールなど学者系の著述家たちとも繋がりは深かった。

以下、今年の六月に訪れた(前を通った)ジョゼ・コルティ。難しそうな主人が帳場に座っていた。ひょっとして息子さん(?)。店頭に見切り本の函(自社の出版物がほとんどだったと思う)。これは欲しいものがいくつもあった。ドラクロアの日記が安かったけれど、広辞苑くらいの分量があったので諦めた。

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ジョゼ・コルティの文章は凝っていて読みにくかった。内容も濃厚で二大戦間のフランスの文壇事情をもう少し知っていれば興味深いのだろうが、小生のような者には消化しきれない感じ。しかし部分的には面白いと思うところもなくはなかった。

例えば、ポール・ルブー(Paul Reboux、小説家、批評家)から頼まれて装飾用に古本を買いあさった思い出話(拙訳で申し訳ない)。

《ポタン氏、フェリックスの息子、とそのひとりの友人、から数メートルの本を買い求めるように「目利き」として依頼されたルブーは、それを私に見つけてくれと言って来た。ポタン氏が手に入れたばかりのクロワッセのホテルの広大な図書室に飾り付けるためだという。私の役割に難しいことはまったくなかった、絶対ではないがかなり断固としたふたつの要求を除いては。革装の本でなければならない。そしてそれらは装飾となるものであってほしい、値段はなるべく安く。

残念ながら、河岸の古本屋を一時間も歩けば、わずかな金額で数メートルの見栄えのいい古書を買えるような時代は過ぎ去っていた。古道具屋の主人たちはそれらを長い間シガーの箱やワイン貯蔵庫に入れて標本にしていた。かなり探してようやく望む長さだけの本を見つけた。ある日、二台のタクシーに雑多な獲物を詰め込んだ。これがまだエレガントな曲線形をしていなかったかつてのタクシーで、特別に体を折り曲げたり、しなやかでなければ乗り込めないというものではなかった。ちょっと頭を下げるくらいで乗り込めたのである。この日以来、私はカルーゼルの中庭をこのときの小さな旅を印象付けた哀れにも滑稽な事件を思い出すことなしに横切ることはできないのだ。

本は梱包せずに詰め込んだ。タクシーの中いっぱいになった。すべては問題なく運んでいた、私が運転手のそばへ場所を移るその瞬間までは。ルーヴルの切符売場を出てタクシーはカーブを切った。このとき、古本の塊が激しくバランスを崩し、自動車の片方の側に集まった。ドアの鍵に力がかかり、物質の悪意は私の積荷をして遠心力の法則に従わしめたのである。ドアは開いた。すべてのものが一瞬動きを止め、次の瞬間、伝書鳩の小屋が開かれたときのように、古本は飛ぶように放り出された。何百という優雅な曲線を描きながら。そしてカルーゼル通りの舗道の上に雑多な色のモザイク模様を付けたのである。》

フェリックス・ポタンというと八〇年にパリにいたころにあちこちで見かけたスーパーマーケットである。一八四四年に創業して食料品業を近代化して発展したが、最近まったく見ないと思ったら、一九九五年に消滅したそうだ。
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# by sumus2013 | 2013-11-07 21:58 | 古書日録 | Comments(0)

富岡鉄斎碑林

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情けないことながら、先日の臨川書店で買えたのはこの正宗得三郎『富岡鉄斎』(錦城出版社、一九四二年一二月一五日)だけだった。岡本政治の錦城出版社に注目しているのと、やはり富岡鉄斎ということもあって見過ごせなかった。上は口絵写真より「書斎に於ける鉄斎翁」。

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《私の宿つてゐた處は、先生も嘗て住つてゐられた事のある頼山陽の旧栖、山紫水明處の隣りで同じ東三本木であつた。そこから翁のお宅は余り遠くはない。寺町から御所の広庭を通り抜け、蛤御門をくゞつて交番のある角から中立売に出るとすぐ、黄土色の土塀、古風な門に竹の戸が閉つてゐる。それが翁のお宅である。何んでも三十年前の昔、この家の前を通つてゐると、門の處の楓が紅葉して風情が佳かつた。それが第一の縁となつて購はれたとの事だ。喫茶弁を著した小川宗匠可信の旧宅。それからそこにずつと住まつて居られた。床の広い玄関であつた。玄関に亀田窮楽の「福内鬼外」の、板に白字で彫つた木額が掛つてゐた。》

《先生のお宅は三百坪位ある。庭はさ程人工は加わつてゐないが、支那風の亭がある。その亭には先生の描かれた、黒漆塗に朱漆で風竹の額などが掛つてゐて、その前に小流が造られ水道から水が噴出する様になつてゐる。その傍、巽の隅に石の祠があつて、前に朱の鳥居がある。翁は毎朝未明に起き洗面含嗽し髪を櫛けづるて、この祠に詣で天神地祇に礼拝せられる。今一つ艮の隅大木の近くに木造りの社がある。庭の中央にあつて、そこには支那西湖の小梅を移し植ゑられたのが丈余に延びてゐる。乾の處に書籍庫が二つある。以前は木造であつたが、数年前鉄筋煉瓦に改造せられた。それが魁星閣で入口に魁星の図と、字が緑青と朱で刻してある。中には書籍、軸、謙蔵氏蒐集の古鏡が陳列してある。書籍は帙があつて中の本が出てゐるもの、箱丈になつたもの、翁が毎日こゝを漁つてゐられる事が判る。》

富岡鉄斎邸跡
http://sumus.exblog.jp/14588833/

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《其後再び先生を訪問した時、蝸牛の宿の様な画室を見せて貰つた。室は十畳敷位の粗末なもので室の中は書籍が一ぱい積まれて、翁の居られる處は畳一畳敷位空いてゐる。そこに汚れた白毛氈が敷かれて、筆洗、硯箱がある。》

《翁は自ら書癖と書いてゐられる。書籍についてはまるで書狂であつた相だ。富田渓仙君が私に話したのに、六角堂に毎月書籍の市が立つ。自分(渓仙)もその日は朝早く出かけるのだがいつも鉄斎さんは先きに来てゐる。そしてまるで書籍の上を馬の様に這つてゐる。そして本を見てはぽんぽん投げ出しててゐる。どんな本を探し索めてゐるのかと思つて見ると、何んでもない本なのだが、何か一つでも眼を惹くものがあれば買つてゐる。》

《夫人に訊くと、翁は書籍を読まれるのが実に早い相で、あの老眼で、どんどんめくつて見られる。つまり何か索めてゐられるのだらう。さうして中の必要の事は抜書するか、本に記入される。他の本と照り合せた事が本に記入されてある。又その本が函に入れてあると、その函の蓋さへ見れば中にどんな事が書いてある本か解る様になつてゐる。その函書きが仲々振るてゐる。画まで描かれある。後年は多く画に関する書物を集めてゐられたと大阪の鹿田書店の主人が話してゐたが、兎に角本は非常に好きで、老年生活の楽しみは新たな書物を得られるゝ事であつたらしい。あの蔵書庫は翁の一大事業と云へる。》

富岡家の売り立てに関しては反町茂雄『一古書肆の思い出』に《入札に付されたコレクションとしては、これまで最高最大のものでした》とあるということについてdaily-sumusのコメント欄で触れたことがあるが、とにかく大変なものだったらしい。

六角堂で古本市が毎月開かれていたとは知らなかった。旧の京都古書組合は六角堂のすぐ近くにあったからそういうことになったのだろうか? 

ここで昨日の足立巻一『石の星座』を再びひもとく。「富岡鉄斎碑林」。鉄斎の墓はかつて京都四条寺町の大雲院墓地にあった。高島屋のすぐ裏手(現在は西京区大原野上里北町の是住院に移されている)。

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釈浄敬は鉄斎の四代前の祖以直で石田梅岩の高弟だったとのこと。その隣が鉄斎夫妻の墓。

《表面の碑銘は、京大教授だった東洋学者内藤湖南の筆である。裏面には「天保七年十二月十九日生」「大正十三年十二月三十日卒」と二行に彫られている。格調の高い筆跡で、墓石全体が端正で、鉄斎のそれにいかにも似つかわしい。》

《鉄斎の墓の隣りは一子謙蔵の墓である。形は同様だけれど、高さ約五〇センチ、幅約二三センチとかなり小さい。「富岡謙蔵之墓」とだけ彫り、裏面には「大正七年十二月三十日 享年四十六」とある。文字は鉄斎である。謙蔵は桃華と号し、中国学を専攻して、中国書画金石についての研究に深く、京大講師であった。鉄斎はつねに画人ではなく儒者であり、儒をもって世に裨益しようとするものだと称していた。謙蔵はその志を継いだもので、それだけ、鉄斎の鍾愛と期待とを受けていたが、父より早く早世したのである。剛毅な鉄斎にも悲嘆は大きかったと思われる。それで小ぶりながらみずから石を選び墓銘を書いたのであろう。まさしく、鉄斎の造形である。》

富岡謙三
http://sumus.exblog.jp/14728348/

足立は鉄斎が揮毫した墓銘や碑文はたくさんあるので「鉄斎碑林」となるだろう、それらを拓本にとって長く保存したいものだと締めくくっている。たしかに鉄斎の書いた看板も多い。面白い本ができるかもしれない。

富岡鉄斎揮毫碑 京都クルーズ・ブログ
http://office34.exblog.jp/17907506
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# by sumus2013 | 2013-11-06 21:04 | 古書日録 | Comments(0)

村上華岳自筆墓誌

十一月二日、JR長岡京駅前のバンビオ広場で開催された「天神さんからおでかけ一箱古本市」をのぞいた。なかなかに濃いメンバーなので、粒ぞろいのいい本が多かった。各箱をじっくり見ているとかえって迷ってしまったが、結局はみどり文庫さんから渋いのを三冊ほど頂戴した。そのなかの一冊が足立巻一『石の星座』(編集工房ノア、一九八三年四月二五日、装画=須田剋太)。

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この本に惹かれた理由は「村上華岳自筆墓誌」と題された一篇に岸百艸が登場していたからである。

《追谷墓地に村上華岳の墓をたずねた。
 岸百艸さんが案内してくれた。百艸さんは若いころは、阪妻のシナリオを書いていて『開化異相』はその作であるが、いまは市井に隠れ住んで、気ままに晩年を送る俳人・郷土史家であり、ことに近年は墓めぐりを一つのたのしみにしている。追谷墓地は家の近くなので、毎日かよっては、おびただしい墓を調べたそうである。》

《この墓地には神戸の歴史が化石になって密集しているように思われ、一つ一つ暇にまかせて洗ってみた。初代神戸市長の鳴滝幸恭から、華岳と関係の深かった四代市長鹿島房次郎、船成金の八代市長勝田銀次郎など歴代市長の墓があるし、鈴木商店の創設者岩次郎や、その大番頭金子直吉一族の墓、あるいは天下の金貸しといわれた乾新兵衛、航空機工業をおこした川西清兵衛、花隈を開発した関戸由義、生田川の流路を変えた加納宗七の墓もここにある。生田神社の社家だった後神(ごこう)家の代々の墓もならんでいる。》

《わたしも百艸さんの案内で、そうした墓を見て回っていたのであるが、とりわけ興味をそそられたのは、清朝末期の南画家胡鉄梅と悦夫人との墓である。》

《それとともに、元町に寺子屋を開いていた間人(はしうど)茶村、写真館を早く開いた市田左右太、牛肉業の先達森谷類造、最初の西洋料理屋外国亭を営んだ鬼塚仁右衛門、早くバナナを輸入した長谷川佐吉などの墓があるのも、いかにも神戸らしく開化の世相をしのばせる。》

《そうして村上華岳の墓の前に立ったのである。村上家の墓は、第十九区という、かなり奥まった高所にあった。雨後の神戸港がよく見えた。突堤には、外国船が並んでいる。》

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《この「村上華岳之墓」の文字は、華岳みずから書き残していたものである。没後に遺作・遺稿を整理していると、この揮毫があらわれたので、そのまま墓に用いたと、長男常一朗さんはいわれる。》

《わたしが墓のスケッチをしていると、百艸さんがぼそぼそとした口調で語った。
「三ノ宮の"ブラジレイロ"に、よくコーヒーを飲みに来ていた。日本人ばなれがしていたな。ヨーロッパ人というんではなく、インド人、あるいは南方の外人といった感じだった。顔色は浅黒くて、くすりのせいか、色つやはわるかった。一度も話しかけたことはなかったが……」》

《花隈の華岳邸には、おびただしい蔵書があった。常一朗さんが『神戸新聞』(昭和四十九年一月二十五日)に書かれた文章によると、地理・宗教の本が最も多く、アメリカの東洋学者グリフィスや、ドイツの東洋学者ル・コックの大著述もあり、イタリア中世の宗教画家ジォットーやアンジェリコ、イギリスの詩人・画家ブレークの画集を座右にしていたという。日本人の詩集も多く川路柳虹・千家元麿・日夏耿之介・萩原朔太郎・竹内勝太郎・宮澤賢治などの詩集が目立ち、そのかわり小説類はほとんどなく、あってもほとんど開いてなかったそうである。》

宮澤賢治の詩集があったというのは気になる。華岳の歿年が昭和十四年、賢治は昭和八年歿、生前の詩集は『春と修羅』(一九二四年)だけだから、ほとんど売れなかったというこの詩集を華岳は持っていたのか?

《制作・読書・思索に疲れると、華岳は散歩に出る。花隈の坂を元町のほうへくだって、洋書などを輸入し寿岳文章『ブレイク書誌』などを出版した"ぐろりあ・そさいて"[ママ]に必ず立ち寄り、ロゴス書店や骨董屋をのぞき、画集・宗教書やインド・中近東の工芸品をしきりに買った。そのとき一服するのが元町一丁目に近いコーヒー店"ブラジレイロ"で、常一朗さんもよくつれていってもらったという。百艸さんはそんな日の華岳を見かけたわけである。》

華岳の暮らし振りは理想的ではないか。


岸百艸『百艸句稿 朱泥』
http://sumus.exblog.jp/11588991/

『書彩』第九号(百艸書屋、一九六〇年五月)
http://sumus.exblog.jp/6368808/

『書彩』3
http://sumus.exblog.jp/11652790/
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# by sumus2013 | 2013-11-05 20:40 | 関西の出版社 | Comments(2)

平野甲賀の仕事 1964-2013 展

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『平野甲賀の仕事 1964-2013 展』(武蔵野美術大学美術館・図書館、二〇一三年一〇月二一日)を頂戴した。深謝です。十二月二十一日まで武蔵野美術大学美術館展示室3で開催中の平野甲賀展の図録。

二〇一一年に平野の装幀本四〇〇冊およびスケッチブック、ポスター原画、未発表資料が同館に寄贈された。それを記念した展覧のようである。掲載の図版で珍しいと思ったのはムサビ時代の様子を映し出したスナップ写真、そして津野海太郎、長田弘と始めた劇団「六月劇場」の舞台装置のスケッチ。これは平野が絵描きとして優れた感性の持ち主だということを証明している。色の使い方もシックだ。巻末にはムサビの学生たち(女子ばかり)十数人に取り囲まれている平野さん。ゆるキャラに見えてくる。

『平野甲賀装幀の本』(リブローポート、一九八五年)については『sumus 13』に書いたので参照されたし。もちろん本書にはそれ以降の平野装幀本も収録されている。さすがに石神井さんの『古本の時間』は出ていないが、坂崎重盛さん、中川六平さん、山田稔さん、石田千さん、内澤旬子さん、唐澤平吉さん等個人的に存じ上げている名前を見つけると嬉しくなる。

平野甲賀の仕事 1964-2013 ちらし
http://chirashcol.exblog.jp/18744774/
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# by sumus2013 | 2013-11-04 17:34 | おすすめ本棚 | Comments(2)

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『クリップ』(杜陵高速印刷株式会社出版部)の創刊号(一九八一年八月一日)および2号(一九八一年一〇月一日)を某氏より頂戴した。杜陵高速印刷株式会社出版部が刊行していた文芸誌(と呼んでいいだろう、この二冊に限ってはPR的な記事は見られない。強いて言えばカラー口絵や本文の印刷が見本代わりになるのかも知れない)。発行人の西野利夫は二〇一〇年の時点で同社の会長である。岩手県立図書館は十七号(一九八六年一一月)まで所蔵している。

創刊号の表紙は松本竣介のデッサンで、巻中にも竣介のデッサンが特集されている。カラー口絵「少女」も竣介の作品(とされているが、竣介らしくない筆致のようにも思える)。二号は表紙・口絵ともに原精一である。どちらも岩手県にゆかりの画家である。執筆者もおおむね岩手県の出身者か関係のあった人達だ。深澤紅子、高橋中彌、太田俊穂、石上玄一郎、佐伯郁郎、三好京三、柏葉幸子。長岡輝子、儀府成一、岩垂弘、須知徳平、儀村方夫、森三紗、原精一、森口多里。

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森荘已池(もりそういち)宛の宮澤賢治の手紙も掲載。森の解説がなかなか楽しいもの。
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HPによると杜陵高速印刷は昭和三十四年創業だから、宮澤賢治の『注文の多い料理店』を出版した「杜陵出版部・東京光原社」との関係はないだろう。賢治が親友と設立した杜陵出版部(光原社)は民芸品店・光原社として現在も営業している。

また盛岡には杜陵印刷という会社もあり、そちらは大正十一年創業で、少々ややこしい。要するに「杜陵(とりょう)」は盛岡の書き換え(森=杜、岡=陵)だから、盛岡印刷と盛岡高速印刷と盛岡出版部が互いにまったく無関係であっても不思議はないようだ。
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# by sumus2013 | 2013-11-03 21:37 | 古書日録 | Comments(2)

石目

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時里二郎『石目』(書肆山田、二〇一三年一〇月三〇日、装画=柄澤齊)読了。巻末の記載によれば時里さんはこれまで六冊詩集を出しておられ、最初の二冊『胚種譚』(一九八三年)『採訪記』(一九八八年)は湯川書房、そして『ジパング』(一九九五年)は思潮社、『星痕を巡る七つの異文』(一九九一年)『翅の伝記』(二〇〇三年)および本書が書肆山田。

書肆山田も思潮社も現代詩の版元としては知らぬ者はいない。ただ、先日、ギャラリー島田で湯川書房の『夢の口』を頒布しているときに詩人で評論も書かれる方が「湯川書房といえば、湯川書房から詩集を出している詩人で、ほら、加西の方に住んでいる人、誰だったかしら、最近物忘れがばっかりで…」とおっしゃる。もちろん時里さんのことを指しているわけだが、よほどその方にとっては湯川書房の詩集として印象が強かったのだろう。湯川さんは名のある詩人の詩集を相当数出しているにもかかわらず。

『石目』はそれらの作品群からも決して遠く離れたところにあるわけではない。ただ、しかし明らかにより深く身に迫ってくる文章の力のようなものを感じた。力というと誤解を招くかもしれない。このリアリティがあるのかないのか、ありそうでなさそうな、意味ありげで無意味な文字の集積が、まるで沼ででもあるかのように読む者を知らず知らずに柔らかい土の溜まった沼の底へ引き込んでゆくのだ。

散文詩というより綺譚というか説話風な構成の作品が目立つ。つい物語に寄りかかりそうになるのだが、そうするとスッと肩すかしを食わされる。虚実のあわいでプカプカ漂うような読書感だ。ほんのさわりだけ、表題作の冒頭二頁をスキャンしておくので、確かめていただきたい。

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その作風について末尾に置かれた自作解説ふうの一篇「シイド・バンク」にこう書かれている。

《予(かね)て、私の歌のなかのどこを探しても私が見つからないことを難ずる批評がある。歌のなかに私がゐないことのみを歌の瑕瑾としてあげつらふのは承服しがたいが、歌のなかの私がどこに隠れてゐるのかといふ点については、実は私自身にもわからない。》

ところが著者は「シイド・バンク」という言葉を知り、発芽をじっと待つ土壌を自作の詩歌に当てはめてみるとなるほどと合点するという。

たしかに、そういうこともあるかもしれない。しかし小生などは、シイド・バンクと聞いたら美術家・河口龍夫の鉛に包み込まれた種子の作品しか連想できない狭量ぶりのため、言葉という繭のような鉛でくるまれた時里種子は放射線すら遮るうろのなかで半永久に発芽しないかもしれない、などという妄想にとらわれてしまったりする。発芽すればいいのか? そういうものでもあるまい。永遠の不毛にも意味がある。

とにもかくにも、ここ最近読んだ散文作品(詩とは限らない)のなかでは、当方はだいたいいつも大袈裟に褒めるくせがあるのだが、本書に関しては正真正銘「傑作」と呼び得る連作だと思う。小生が傑作だと連呼しても何の説得力も影響力もないだろうが、ここに一ファンがいるということである。
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# by sumus2013 | 2013-11-02 21:23 | おすすめ本棚 | Comments(4)

第37回秋の古本まつり写真2

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# by sumus2013 | 2013-11-01 20:14 | 古書日録 | Comments(2)

第3回「ユニテのセレクト古本市」

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知恩寺から出て百万遍の交差点よりバスで東山二条下車。水明洞まで歩く。さらに「ユニテのセレクト古本市」へ。これがゆったり見られてよかった。小生が入ったときにはほぼ独占状態。初日だけにいい本ありましたよ。

写真集と詩集を中心に並べた「books+コトバノイエ」のコーナーはちょっとしたものだった。欲しい本は多かったが一冊だけにしておく。「ロシナンテ」も値ごろ感のある渋い本が出ていた。わざわざ立ち寄ってよかった。朝っぱらから大仕事した感じでどっと疲れが出る。コーヒーを注文。ご主人としばし歓談。ほっこりしたところで帰途に着いた。
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# by sumus2013 | 2013-10-31 20:10 | 古書日録 | Comments(0)

第37回秋の古本まつり

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暑くも寒くもないちょうどいい古本日和だった。三十年前から通っているが、当時はガタガタ震えるくらい寒い日もあった。バイトもしたこともある。夜なんか凍えそうだった。それを思うと、温暖化、たしかに進行している。

百円均一テントが取り払われてもう何年にもなる。それでも「あ、今年もないのか」と気付くとやっぱり拍子抜けする。一部店舗に百円均一の台が出ているくらい。多くは三冊500円、一冊200円がバーゲン本の価格である。

和本三冊500円のところにひと山五十冊くらいを独占してチェックしている青年がいた。おじさんが「それ、あんた、見てんの?」と質問(というか詰問かな)すると「あ、あ、すみません」と片言。「買うんかいな?」と畳み掛けると、「これ、かう」と両手でひと山抱え込むしぐさ。おじさん苦笑い。中国の青年のようであったが、購買力は衰えていないようだ。

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昼食は少し早めに善行堂やMさん、デコさんらと進々堂へ。鹿児島買い取り旅行の話、京都新聞連載の苦労話など面白く聞く。

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こちらはまだ知恩寺が開いていない時間帯の臨川書店の店頭である。明らかに通行が妨げられるくらいの黒山の人だかり。古本猛者の皆さん勢ぞろいの感あり。Uさん軽い脳梗塞やったらしい。「死ぬときは死ぬんや」と達観した様子。

むろんみんなとびきり安かったけれども、個人的には今年は意外と買いたい本がなかった。一冊のみ。後で知恩寺の会場で聞いたところによると『辻馬車』が紛れていたとか。へえ〜と思う。
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# by sumus2013 | 2013-10-31 19:57 | 古書日録 | Comments(6)

田端抄 其伍

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矢部登さんの『田端抄 其伍』(書肆なたや、二〇一三年一一月)が届いていたのだが、あれこれ読まねばならない本、紹介しておかなければならない本に追われたため、今日になってようやく読了できた。これまでも毎号紹介してきたが、こうやって好きな作家や画家のことを調べ、その旧跡を歩き、文章につづり、冊子を作って同好の士に配る、なんともアナクロおよびアナログ。しかし、絵好き、本好きにとってこれ以上の悦楽はないとも思う。

今回は谷中安規、清宮質文、古川龍生、小杉放菴、結城信一、村山槐多、佐藤春夫、中戸川吉二らが登場。古書探索や文学散歩もあいまって彼らがじつに身近な存在として描かれている。なかでも小杉放菴にはかなり紙幅が割かれており、小生としてはこれまであまり注意してこなかった画家だけに興味深く読ませてもらった。注意していなかったと言っても、大阪の出光美術館で放菴展を見たことは印象深く記憶している。まとまって放菴に接して、端倪すべからざる作家と思ったのは間違いない。そのときに買ったのかもしれない、忘れてしまったが、上の絵葉書は出光美術館製である。「荘子」と題されている。

矢部さんは放菴の邸宅(現在は田端区民センターなどになっている)について詳しく書いておられ、そこにこのように言ってある。

《放菴邸は、南側の谷田川と北川の道路に区切られた一廓で、敷地は二百坪あった。道路側の網代垣の中央に門があって、なかにはいると、井戸があり、右手の玄関をまんなかに南側は住居、北川には画室が建つ。いずれも日本家屋の建物で、住居の一部は二階家であった。門の左手にもうひとつの入口があり、目かくしの垣根にしきられた二軒の平屋の家作が南北にある。谷田川に面した庭は敷地の三分の一ほどを占めており、石榴の木のしたに石がすえられている。放菴が男鹿半島への旅でみつけて気にいり、送ってもらった大石である。池が掘られ、ポプラの木が多く植えられていた。その庭さきから川へおりられる。川のむこうには畑がひろがっていた。》

東北本線の王子駅の近くということなのだろうか、この辺りの地理にうといのではっきりとはイメージできないが。それよりもこの「大石」である、問題は。矢部さんも

《またあるときは、石に腰かけた黒衣の《良寛》であった。
 ごぞんじ、芥が龍之介の「東京田端」に「竹の葉の垣に垂れたのは、小杉未醒の家」とある。竹が植わっている傍の大石にこしかけた旅すがたの放菴の写真が木村重夫『小杉放菴伝』のなかにあったっけ》

とこのように書いているが、どんな大石だったのか写真を見てみたい。「荘子」が座っているこの石のようなものだったのだろうか。

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そしてもうひとつ教えられたのが谷中安規の版画「動坂」についてである。図録『谷中安規の夢』(渋谷区立松濤美術館、二〇〇三年)において瀬尾典昭氏が「動坂にショーウィンドーの剥製はあったのか」と題した「動坂」に関するエッセイを寄せておられるが、瀬尾氏は結論として《どうも、この動坂のこの場所にはなかった可能性が強いというのが調査の結果である》と書いておられる。矢部氏はその発言を踏まえつつ、弥生坂にある鳥獣剥製所に言い及ぶ。

《その日は、鳥獣剥製所の白い看板とショーウィンドーのまえにたちどまり、あらためて見入った。八十年前、谷中安規の幻視した《動坂》が眼のまえにあることに驚愕したのだった。不況からぬけだせぬ平成の時代に、谷中安規は甦り、街なかをほっつきあるく。そのすがたが、ふと、よぎる。弥生坂の鳥獣剥製所あたりで、まぼろしの安規さんと袖すりあわせていたかもしれぬ。》

この鳥獣剥製所は小生も覚えている。たしか弥生美術館を訪れたときに、この前を通り、「へ〜、こんな店があるんだなあ」と驚いたのである。それがすぐには谷中安規にはつながらなかったけれども、おそらく十年ほども隔てた今ここで矢部さんの導きによってつながった。なお、矢部さんも、弥生坂の鳥獣剥製所は戦後にできたもののようだから安規のモデルではなかっただろうと言う。
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# by sumus2013 | 2013-10-30 20:47 | おすすめ本棚 | Comments(4)