林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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捨身なひと

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小沢信男『捨身なひと』(晶文社、二〇一三年一二月二〇日、ブックデザイン=平野甲賀、カバー絵=ミロコマチコ)読了。

http://www.shobunsha.co.jp/?p=2955

花田清輝、中野重治、長谷川四郎、宮武外骨、菅原克己、辻征夫……いずれ劣らぬ「捨身なひと」たち。小沢信男が語り部として冥界より引き戻し、古くて新しい魅力を輝かせる。純粋に生きる、生きつづけることは、かくも困難なことなのだろうか、捨身でなければできないことなのだろうか。かつての日本ではそうだった、そしてこれからの日本でもそうならないとは限らない。

ぶれないオールド・サヨクこと小沢信男が書く、語るからこそ、その言葉は心に沁みる。例えば、長谷川四郎の小説「張徳義」のラストに対して「スターリンの軍隊が解放軍なんてナンセンス」という批判が出ることがある。しかし、

《読書会などでは、このてのステレオタイプのご意見を賢そうにおっしゃる向きが、たいていおいでです。そのさいの私の言い分を、念のため書きそえれば、広島や長崎に原爆を落とした元兇のアメリカ軍でさえ、日本軍閥を倒してひとまず解放軍だった実績はある。世界のいたるところで国境紛争は絶えねばこそ、国境がどんどんうすらぎ諸民族が陽気に交流する未来が、なおさらに人類の課題でしょう。ゆくてはるかなとはいえども、とりあえずはEUをみよ。またキューバ人民の陽気さをみよ。この回答もオールド・サヨクですか。それがどうした。》(作品集を編みながら)

あるいは花田清輝が終生こだわった芸術の「共同制作」について。

《みんなで仲良く、なぁなぁの没個性な作品をつくりましょう、というのではない。各人が懸命に自己を表現しながらしかも共同の一個の作品だ。すると、どうなるか。このさい急いで、あけすけに言ってしまえば、文芸が作家さまのお作りになる私有財産として、やたらと奉っているのを、その仕組みが近代というやつなんだが、それをワァーッと乗りこえちゃおう、ということです。
 欧米では著作権を七十年に引きのばしたとか。日本もおっつけそうなるだろうこの現代の滑稽さ。なぜ乗りこえる必要があるのか。ほんらい万人のものに豊かにひらけているはずの芸術を、私有財産に囲いこみ、文化資源というひたすら儲けの具にする、その制度が、根性が、貧しいからですよ。》(『泥棒論語』プロローグ考)

しなやかに激しい文章だ。これすなわち小沢節、小沢さんの生き方である。これらの短い引用からでも「捨身のひと」にはまず著者本人を数えなければならないことがよく分るのだ。

《辻征夫と出会い、彼の友人や、友人の友人や、詩人たちが集まって、おりおりに句会をひらいて十年になります。現代詩人が、古色蒼然たる前近代の定型俳句をつくるなんて堕落だ、という外からの批判や、自身の内なる抵抗もあったようです。それにしてはおしなべて、嬉々としてやってくるのは、なぜだろう。》(畏敬の先輩、敬愛の後輩)

《さよう、余白句会は終始遊びのグループです。ただし各位に微妙なおもいはあるだろう。なかには文学運動の一環のつもりの馬鹿も一人いて、そうです、おくびにもださないけれども私はそのつもり。これにかぎらず、することなんでもそのつもりの傾向があるけどね。》(同前)

そういう文字通りの共同制作(連句のような)を小沢さんは想定していたのかもしれないけれど、じつはいかなる文学であれ何であれ、誰にも何にも借りていない表現というものは在り得ないのではないだろうか。そう言う意味では、芸術は(人はと言い換えてもいい)単独では存在できない。

《長谷川四郎も一九八七年に死んでしまった。けれども、死んでも死んでも生きているのが、すてきな文学のすてきなところです。》(原住民の歌ーーデルス・ウザーラ)

《死んだ人は、さながら生きてたときのように死んでいる、というのが、このごろの感想ないし痛感です。》(死者とのつきあい)

そう、みごとに死んだ人たちと共同制作してるじゃないですか、小沢さん!

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『捨身なひと』を読んだら、無性に花田清輝を読みたくなった。今、わが家にはこの『復興期の精神』(講談社文庫、一九七四年三刷)しかないようだ。栞がはさんである。そこを開くと、偶然にもこんな文章が目に留まった。

《生の現実性によってではなく、いわば生の可能性によってとらえられており、ポアールのあたたかい空気を見捨て、街頭を吹きすさぶつめたい風のなかに決然と身をさらす。ただ生きているところの現実は、すでにかれらにとっては非現実であり、生きることもできず、死ぬこともできない現実が、かれらにのこされた唯一の現実なのだ。これが今日の現実であり、我々の現実であると私は思う。そこでは、「現実的な」打算が無意味なものとなり、必然性の上に安住することは許されず、はたして人間にとって自己保存慾が本質的なものか、自己放棄慾が本質的なものか、容易に解決しがたい問題となる。私はこのような我々の生の可能性を、鍛えあげられたまま、まだ一度も血ぬられず、青い光をはなちながら冴え返っている、眉間尺の剣のようなものだと考える。我々はこの剣を背負って、歩きだす以外に手はないのだ。これが我々の「自由」である。》(ブリダンの驢馬)

う〜ん、やっぱりカッコいい。要するにこれは実存主義というやつであるが、この本について小沢さんはこう書いている。

《花田清輝といえば『復興期の精神』で、六十年前の、敗戦の翌年に出版された。衝撃でしたねぇ。全面戦争のまっただなかで書いていて、それが戦後のわれわれを鼓舞しました。誰もなにもあてにならない混迷のときに、めざましい人間の声をひびかせていた。》(『泥棒論語』プロローグ考)

「われわれを鼓舞し」たということ、それすなわち「共同制作」なのである。

最後に脱線。「ポアールのあたたかい空気」と花田の文中にある。このポアル(poêle)は「暖かい部屋」の意味らしい。花田はこのくだりに先だってポアールとはデカルトの書物に出ている言葉で《悠々自適、かれがその画期的な労作のペンをはしらせたのは、このポアールのあたたかい空気につつまれてであった》と書いている。検索してみると『方法序説』第二部の初めの方に出ているらしい。

 « J'étais alors en Allemagne... Je demeurais tout le jour enfermé seul dans un poêle où j'avais tout loisir de m'entretenir de mes pensées. »

ドイツでは暖かい部屋に一日中こもって思索にふける生活をおくっていた……とデカルトさんは言う。このpoêle」は「暖炉」ではなくドイツにおいては「煖房のきいている部屋」という意味だそうだ(花田はどちらでもいいと書いている)。書を捨てよ、街へ出よ、かな。戦中においてはそれは剣を負う(比喩的にも文字通りにもとれる)ことだった。こういうのを読むと小林秀雄なんか目じゃないという気がしてくるのだなあ(小沢節が染るんです!)。

いろいろ考えさせてくれる『捨身なひと』でありました。


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# by sumus2013 | 2013-12-20 21:03 | おすすめ本棚 | Comments(2)

墨場必携 増補題画詩集 森琴石編集

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しばらく前に森琴石編輯『墨場必携 増補題画詩集 五』(吉岡平助、北村宋助、吉住音吉、明治十三年九月十六日)を某氏より頂戴した。見ての通り長辺が8.2cm、短辺が5.7cmとほぼ名刺と同じくらいの大きさ、袖珍本(というより豆本に近い)である。非常に緻密な線描による銅板印刷。

森琴石については「森琴石.com」が詳しい。そこで検索すると『題画詩集』には何種類も版があるようだ。目下、上中下続の四冊本(吉岡・北村・吉住、明治十三年)、増補版・壱貳三四の四冊本(同前)、上下二冊本(山田浅治郎、明治十三年)、新編四冊本(青木恒三郎、明治二十四年)、新編四冊本(青木恒三郎)異装本、の五種類が紹介されている。

森琴石.com 調査情報
http://www.morikinseki.com/chousa/h1811.htm

ということでこの「五」は寸法が増補版四冊本(明治十三年?)とまったく同じなので、じつは増補版は五冊本だったのかも知れない(?)。しかも内容は「題画詩集附録 題跋落款小式」である。要するに、絵のなかにどういうサインを入れたらいいのか、例を挙げて示している。

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誰それが描いた、という意味だけでも、試筆○○、作於…○○、写此○○、揮毫…○○、○○絵(エガク)、○○写、写○○、弄筆○○などと色々なヴァリエーションがある。これを袖にしのばせて揮毫するときの参考にしたというわけだ。アンチョコ。

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巻末の書店一覧、「発兌書肆」はおそらく「取り扱い書店」くらいの意味と考えていいのだろう(?)。奥付に「出版」とあるのが今日の「発行」に近い。「発行」は明治六年の新聞紙条例に初めて現れ、明治二十年の出版条例に用いられたが、明治三十二年の著作権法ではっきり「発行」の語が明定された(『出版事典』出版ニュース社)。

大阪は別として、岡山、和歌山の取り扱い書肆が多いのが徳川時代以来の文化的な背景を感じさせる。讃岐高松は一軒だけか…。

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# by sumus2013 | 2013-12-19 20:24 | 関西の出版社 | Comments(0)

短冊三枚


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最近求めた古短冊。まず俳句で「山端を誘ひに来るや時鳥」。署名は「喜明?」

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こちら「水鳥」の和歌は「浪たてハ阿さり争ふかたはらに/うちとけてぬる鶴ハも……」。署名は「千野?」

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「三良」とあるからは酒井三良かととびついたわけだが、ネット上で見る「三良」とはどうも筆跡が違うようだ。ただし「米代(よねだい)」が会津の地名だとすれば、河沼郡柳津町出身の三良であってよいはずである。筆跡は時代によっても違ってくるので難しい。




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# by sumus2013 | 2013-12-18 21:16 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

山之口貘その他


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『山之口貘 猫 ねずみ りんね』(ヒロイヨミ社、二〇一三年一二月七日、編集・制作=山元伸子、http://hiroiyomu.blogspot.jp)を頂戴した。深謝です。

山之口貘の詩三篇にそれぞれ秋葉直哉、宮浦杏一、永岡大輔の三氏によるエッセイを付してある。活版刷り。表紙と詩篇はマーメイド、本文は薄手の上質紙、見返しに遊紙にチリ入りの用紙を用い、その色目の取り合わせもシブイ。二百部。


横田順彌『ナイト・スケッチ』(盛林堂ミステリアス文庫、二〇一三年一二月一五日、http://d.hatena.ne.jp/seirindou_syobou/)も届く。稲垣足穂が星新一になったような、しかしもっと軽やかな掌編集。

《まちはづれの細い露地に、アセチレンランプの燈が見えたので、近寄つてみると、露天の古本屋が店を出してゐた。そこで、黒い表紙のぶ厚い本を手にとると、居眠りしてゐた店番の老人が目をさまして、
「その本がほしいのかね。それは、とつてもいい本ぢやよ」
 といつて、ニッと笑つた。
 本をぱらぱらとめくつてみると、ぼくの知らない文字がキラキラチラチラとネオンみたいに輝いててゐた。
「これは、どこの國の本なの?」
 ぼくがたづねると、老人は、
「ふむ、おほかたプラネタリウム共和國のものぢやらう」
 といつた。
 ポケットから十圓玉を五つだして、
「これで買へる?」
 とたづねると、老人は、
「まあ、いいぢやらう。古い本だから、氣をつけて讀むんだよ」
 と注意してくれた。》

この「プラネタリウム共和國」はあと五行で終り。例によって巻末に解説と「横田順彌著作目録」も掲載されている。


『雲遊天下』115号(ビレッジプレス、二〇一三年一二月一五日、http://www.village-press.net)。「江東フォークフェスティバル」スタッフ座談会が冒頭。「吉上恭太インタビュー」もあるぞ! 興味深く読んだのは岸川真「ナシの話・エルモア・レナードを想って」のなかの「西村賢太に会って驚く」。

《僕は「怖い作家だ」「中上健次みたいだ」と仄聞していたので新潮社でお会いするまでビビりまくっていた。殴られたら、反撃していいだろうかと自問自答していた。ところが、現れた西村賢太は腰の低い、本が好きなアニキ的な人だった。》

《こうしたら面白いって提案されても、編集者より私小説を読んでいるから面白さや方法論の蓄積はこっちに分がある。だから書き直しはしません。ただこうしたら売れるって言われたら直しちゃうかもしれないな(笑)」

 僕はそこで、「文學界」に求められて書いた原稿百枚がボツになったことをぼやいてしまったのだ。すると右の返事がきた。書き直しを否定するという断固とした姿勢の表明にハッとしてしまった。》

《書き直しというのは編集者の〈神性〉を示すもので、自分もよく分るのだが、書き手を封じる魔力がある。それでは駄目だ、掲載できないと具体的に言わないでも恐ろしい力がある。掲載してもらいたいので僕なら言う。いや、これまで言ってきた。
「はい、直します」
 という一言をいつも口にした。
 だが、掲載されなくても自分の書いたものを守るため、嫌だと言い、理由も述べる勇気。これはなかなか持てないものだ。僕はそういう対立を辞さない姿勢が大切であると思っていたが、実際にそうしている人物と初めて会った。
 これには衝撃を受けた。》

そういう作家が西村賢太しかいない? というのは、さすがに嘆かわしいぞ。







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# by sumus2013 | 2013-12-18 20:31 | おすすめ本棚 | Comments(0)

2013年極狭私的見聞録

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先日コメントいただいたように「2013年極狭私的見聞録」を考える時期となったので、ブログを見直してみた。古本と映画だけだがリストアップしておこう。

◎岡鹿之助の手紙(和泉克雄宛)

◎『三惜書屋初稿』(藤澤黄坡先生華甲祝賀会、一九三六年四月三日)

◎ローラン・トポールの『アントロジィ』(J=J・ポヴェール、一九六一年)

◎天野大虹(隆一)の自筆短冊

◎アルフレッド・ジャリ『ユビュ王 Ubu roi』(Fasquelle, 1921)

◎VOU ANNUAIRE 1954

◎第1回デモクラート美術展目録

◎銅脈先生『太平樂府』(書肆長才房/只見屋調助、大井屋左平次)

◎『ビート詩集』(国文社、一九七〇年七月一五日二版)上の写真

今年は和本や漢詩集をけっこう(といってもたかが知れていますが)買った。自筆ものにも積極的に手を伸ばした。岡鹿之助の手紙はわれながらよく買えたと思うほどいいもので、しかも値段はしごく安価だった、ラッキー。天野大虹の短冊も嬉しかった。このなかで一番高額なのは『VOU ANNUAIRE 1954』(それでも千円単位、ユニクロのツィードジャケットより安いよん)。

読んで面白かったものもほとんどすべてブログに書いているが、ブルース・チャトウィン『ウッツ男爵』、青柳正規『トリマルキオの饗宴』、柳宗悦『蒐集物語』、川崎彰彦『夜がらすの記』、富士川英郎『鴟鵂庵閑話』などが思い浮かぶ。新刊では頂戴したものばかりでどれがどうと陳列するのははばかられるものの、内堀弘『古本の時間』、時里二郎『石目』など今年はいい本が多かった。改めて御礼申し上げます。

映画は100本以上見た(DVDと録画のみ)。映画ノートに「✭✭✭」を付けたのは以下の11作品。

◉トイレット 荻上直子 2010
◉ハロルドとモード ハル・アシュビー 1971
◉96時間 ピエール・モレル 2009
◉舞台よりすてきな生活 マイケル・カレスニコ 2000
◉ル・アーヴルの靴みがき アキ・カウリスマキ 2011
◉最強のふたり トレダノ、ナカシュ 2011
◉幻影師アイゼンハイム ニール・バーガー 2006
◉ラルジャン ロベール・ブレッソン 1986
◉ザ・タウン ベン・アフレック 2010
◉あなたになら言える秘密のこと イザベル・コイシェ 2005
◉バンテージ・ポイント ピート・トラヴィス 2008

96時間」は非常に面白いが「96時間リベンジ」は作らない方がよかった。「バンテージ・ポイント」はややこしい画面展開ながらそれに慣れてきたらあとは結末まで息をつかせない(「桐島、部活やめるってよ」朝井リョウ、2010、と同じ手法だ)。「ハロルドとモード」はカルト的人気らしい。たしかにオススメです。「ラルジャン」はかなり久し振りに見たけれど、やっぱりゾクッとする。「幻影師アイゼンハイム」が拾いもの。

2012年極狭私的見聞録


yfさんの「2013年極狭私的見聞録」も届いたので掲げておく。

* 『吉田秀和追悼ー音楽を心の友と』ontomo mook音楽之友社
* ワルター・バリリ『ウィーンフィルとともに』岡本和子訳、音楽之友社
* 『落語は聴かなくても人生は生きられる』松本尚久編、ちくま文庫
* 江理健輔『長寿社会を生き抜くために』みずのわ出版
* 中井久夫『昭和を送る』みすず書房
* 河野隆『名印百話』芸術新聞社 
* ヘルマンヘッセ『シッダールタへの旅』新潮新書
  高橋健二訳・竹田武史、構成写真
* 富岡多恵子・安藤礼二『折口信夫の青春』ぷねうま舎
* 石井宏『ベートーヴェンとベートホーフェン』七つ森書館
* 長谷川晶一『夏を赦す』廣済堂出版

            * * *

* 2012、12『詩情の風景 大正・昭和の木版画家 川瀬巴水展』京阪百貨店
* 6月『柄沢齊展・銅版画連作「夏の鏡」』ギャルリプチボワ
* 9月『望月通陽展』 阪急百貨店
* 11月『小沢信男 富士正晴の戦争小説を読み返す』講演会
     於、大阪茨木市、富士正晴記念館。
* 11月 『戸田勝久展』ギャルリ プチボワ
* 11月『二見彰一展』県立静岡美術館 23日二見彰一自作を語る。
* 11月 裂絵による『蒼穹譚』絵・柄澤齊/裂・志村洋子
     京都、GALLERY FUKUMI SHIMURA

            * * *

* 4月 さだまさしコンサート フェスティバルホール
* 9 月 映画『風立ちぬ』宮崎駿監督 スタジオ・ジブリ作品
* 10月 NHKHDD録画『東北楽天・被災地に誓った優勝』 
* 11月 NHK HDD録画
  『アスリートの魂、日本一への3419球、楽天 田中将大 』

* * *

* CD『バッハケージ』フランチェスコ・トリスターノ(ピアノ)
  ドイツグラモフォンUCCG-1537
* バーバラ・ボニー『オペレッタを歌う』(DECCA-UCCD-1090)
* 外山みずえ(S)つのだたかし(Lute)『柳の歌』(Paldon TM-6429)
* ファン・エイク『笛の楽園』花岡和生(Recorder)(DCI-17391)
* 『ベートーヴェン 弦楽四重奏曲OP131・135
  バリリ四重奏団(ウエンスミンスター・MVCW-19061モノラル)
* シューベルト『冬の旅』ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Bs)
  マウリツィオ・ポリーニ(P)(ORFEO-C884131B)
   1978年8月ザルツブルグ音楽祭ライブ録音
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# by sumus2013 | 2013-12-17 20:56 | 古書日録 | Comments(0)

屠殺屋入門/墓に唾をかけろ

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ボリス・ヴィアン『屠殺屋入門 L’Équarrissage pour tous』(生田耕作訳、奢灞都館、一九七九年一〇月)を頂戴した。有り難うございます。

ヴィアンの戯曲のひとつ。一九四七年四月一五日に完成(ノエル・アルノー『ボリス・ヴィアン』)していたが、あまりにふざけきった内容だったため、手をつけようとする劇団が見つからず、アンドレ・レバーズによってノクタンビュル座舞で上演されたのは一九五〇年四月になってからだった。

連合軍が上陸するアロマンシュにある屠殺屋で、入れ替わり登場する(屠殺屋の主人だけが出ずっぱり)屠殺屋ファミリー、隣の男、ドイツ兵、アメリカ兵、フランス兵、その他の人々の間で繰り広げられるウルトラ・ナンセンスなドタバタ劇。一応中心には娘のひとりをドイツ兵と結婚させるという主題が設定されているが、はっきり言ってむちゃくちゃ。生田耕作は「訳者あとがき」でヴィアンの言葉を引用している(週刊誌『オペラ』インタビュー)。

《戦争、このばかばかしい代物が、(とりわけ)変っている点は、侵略的で押しつけがましいことであり、一般に、それを楽しむ連中は、それを楽しまない連中にまで、それを拡げる根拠が己にあると思い込んでいることだ。これは不寛容主義のあらわれの一つ、それもいちばん破壊的なものである。文字による、しかも人工的形式が効果を持ちうる限られた範囲で、私が反撃に出ようと試みたのはそのためである。》

《しかしそれらの意図は(そうあらんことを作者は願っているが)あまりはっきり表面に押し出されているわけではない。それどころか芝居はむしろふざけた形をとっている。戦争をだしにして笑わせるほうが意義があるように思えたからだ。そのほうが戦争を攻撃するいっそう陰険な、だがいっそう効果的な方法であるーーもっとも効果なんかくそくらえだが……。この創作はただ一つの目的を追っている。あまりおかしくもないしろものを使って人を笑わせること、つまり戦争を使って。》

というような戦争が終わって間もない時期に被害者も加害者も逆撫でするようなおちゃらけ劇を書いて上演するとは、ボリス・ヴィアンを見直した。戦争というばかばかしい代物に対して喜劇という限りなくばかばかしい代物で対抗する(ヴィアン自身が求めた解毒剤のような気がしないでもないが)。案の定《左右両陣営から囂々たる非難と迫害がこの軽喜劇に向かって浴びせられた》。お見事。痛いところを衝かれたから激怒する、これはいつの時代も変らぬ真実であろう。

原題の「équarrissage」はより正確には「皮・骨などを取るため食用にならない動物の死体を解体すること」。生田訳の苦心はそれとして、敢えて意訳してみれば「みんなバラバラ」くらいか、「みんなぐちゃぐちゃ」の方が感じが出るか。

ジャン・コクトーふうの表紙画を描いたジャン・ブーレ(Jean Boulet, 1921-70)はパリ生まれの漫画家、映画評論家。ヴィアンの『サン=ジェルマン=デ=プレ案内』にもイラストを提供しているし、『墓に唾をかけろ』(一九四六年)特装版や詩集『バーナムズ・ダイジェスト』(一九四八年)の挿絵を担当している。一九四八年四月にヴェルレーヌ座で上演された「墓に唾をかけろ」では衣裳と舞台装置を担当した。

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こちらはヴィアンがヴァーノン・サリヴァンの筆名で英語から仏訳したというふれこみで出版した『墓に唾をかけろ J'irai cracher sur vos tombes』(éditions du Scorpion, 1946)。架蔵のエディション・オリジナル。






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# by sumus2013 | 2013-12-16 20:57 | 古書日録 | Comments(2)

書斎の宇宙

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高橋輝次編『書斎の宇宙 文学者の愛した机と文具たち』(ちくま文庫、二〇一三年一二月一〇日、装幀=間村俊一、装画=林哲夫)読了した。さすがに楽しい読物だった。このところアンソロジーを頂戴する機会が多く、アンソロジーの安易さについて少々不満をもらしていたが、その気持ちは変らないにしても、やはりアンソロジーでしか出会えないだろう作品がこの世界にはゴロゴロ転がっていることを改めて思い知らされた。

書斎というテーマは小生もずっと興味を抱いてきた。書斎をテーマにした書物を求めたり、書斎特集の雑誌が目につけば買っておいたり、あるいは切り抜きをしたり、抜き書きをしたり……。洋の東西を問わず、多くの人々が書斎について語り、写真を撮っている。だからこのテーマなら切り口次第で何冊でも本が作れるような気もするのだ。

そこは高橋さんである。近代から現代の文学者、漫画家などに執筆者を絞り、さらに「机」および机の周辺に置かれた文具にスポットライトを当てたため、一冊を通してひとつの世界を描き出すことに成功しているように思う。

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上は石川近代文学館の葉書より。《唐金の手焙り、朱更紗の座布團、原稿用紙、ペン皿、こより。在りし日を語る机辺。ーー犀星》と説明がある。本書の巻頭に置かれているのがその室生犀星のエッセイ「机」。そこにはこの机とおぼしき描写も出ている。

《僕は女机の朱塗りのした抽出のついたのと、古手習机のつやの持ったのと、その外に一脚の支那の小机、少し大振りの紫檀の彫付きの机を持っているが、時々、それらの机を取りかえて物を書きたい気になる。飽性であるよりもそれらの机で嘗てどういう作品を書いたかという、妙に精神的な思い出が深々とこもっていて、そういう作品の回顧というものが非常に懐かしまれて来るのである。》

少し大振りの紫檀の彫付きの机」が上の写真の机に該当するのだと思う。このように作品を生み出してきた机に愛着をもつ作家は多いようだ。多くの人がその机を買ったときの値段を書き留めている。戦前のことで二円から四円くらいもしたらしい。あるいはただでもらったり、あつらえてもらったりした人もいるが、とにかくどうやって机を手に入れたかということに誰もが第一のこだわりをもっているのも面白いと思った。

原稿用紙に対するこだわりもかなり強いものがある。銘柄が同じでないと書けないという作家が少なくない。既製品が気に入らないから、特注を作らせる作家がいるかと思えば、特注を作らせるなどイヤミだと感じてあえて市販品を使う作家もいたりする。井伏鱒二は市販派である。

《今、これを書いている原稿用紙は荻窪の文房具屋で買った市販のものである。三十年来、その文房具屋のものを使っている。このごろのものは、灰色の罫で欄外にABC10×20のしるしがついている。》(「机上風景」)

安岡章太郎はこう書いている。

《まだ駆け出しの作家にもなっていなかった頃、先輩に注意されたことがある。
「きみ、あんまりこった原稿用紙を使っていると、その紙が品切れになったとき、原稿が書けなくて、こまることがあるよ。だから、ぼくなんか、そのへんの小学生相手の文房具屋で売っている紙を買ってるんだ」
 いま考えてみれば、これははなはだ有り難い忠告であった。》(「先輩の忠告」)

先の文章を読んでいるのでこの先輩は井伏なんじゃないかとピンとくる。こういうところがアンソロジーの醍醐味だ。原稿用紙の話で泣かせるのは小檜山博の「追っかけ」と「原稿用紙、その後」である。ずっと同じ店の同じ原稿用紙を使い続ける話だが、そこにドラマが生まれる。詳しくは本書にて。

もうひとつ興味深いのはワープロへの過渡期、ワープロを使うことについての逡巡や試行錯誤が多くの作家のなかで化学変化のように生じていたことであろう。今はPCも含めてワープロを使わない物書きのほうが圧倒的に少数派なので、読んでいると、明治時代に初めて汽車に乗った人たちの感想のように少々滑稽でもある。そんなに遠い昔ではないのだけれど。しかも編者の高橋さん自身が今もってPCを使わない手書き、ファックス派なので、その意味でもこの辺り作家の内心の機微に触れるコレクションができたのかな、などと思ったりする。





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# by sumus2013 | 2013-12-15 21:10 | 画家=林哲夫 | Comments(0)

美の風 最終号

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『文化往来 美の風』最終号(「美の風」編集室、二〇一三年一〇月二〇日)。これまでも何度か紹介してきた、姫路・森画廊の森崎氏が発行している美術雑誌である。

ここに「いちじくを求めて」というエッセイを書かせていただいた。「いちじく」すなわち軸物の絵や字を買おうとタマもないのにジタバタする話である。

じつは、この原稿はちょうど一年ほど前に書き上げて送稿していたのだが、今年の一月中頃に発行者である森崎氏よりお電話をいただき、体調不良につき発行を中止する、申し訳ない、という話があった。それは致し方ありませんね、ということで了解していたところ、二月ほど経って森崎氏の訃報が届いた。あまりに急なことで驚きを隠せなかった。その後半年余り、奥様が故人の意志を継ぎ「追悼号」という形で刊行にこぎ着けたのである。

拙文は、追悼号に載せるにはあまりにお粗末すぎるものなのだが、お電話で森崎氏が「いやあ、おもしろかったですよ、勉強になりました」と笑ってくださったので、敢えて「そのまま掲載させてください」とご無理を申し上げた。

森崎氏は画商歴四十年のベテランで、小生が知る画商のなかでもとびきり誠実で、さらにしっかりと自分のポリシーを持っておられた方である。心よりご冥福をお祈りしたい。
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# by sumus2013 | 2013-12-15 20:25 | 文筆=林哲夫 | Comments(0)

六甲あたり…口笛文庫/ブックス・カルボ

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久し振りに六甲の口笛文庫へ。ちょうどガレージを開けていたところに到着。だいたいは以前と同じ品揃えながら、圧倒的に本の数が増えている。哲学思想関係、洋書あたりは充実著しいように思えた。「みせいり」の札を載せた本の山が林立。いつもながらお宝埋蔵のニオイがプンプンしていたが、本日はゆっくり掘り出す時間がなく三十分ほどでなんとか四冊ほど確保。

最近できたという古本屋を教えてもらう。口笛さんからまっすぐ北へ踏切も越えて坂をのぼると広い道路に面した店舗が見えた。

ブックス・カルボ
http://books-carbo.jp

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急いでいるので、とにかく場所を確認したということで、まずは表の百円均一ワゴンから種村季弘の文庫本二冊を抜き出した(均一の文庫、いいです)。店内はきちんと整理されており、けっこういいものがありそうな雰囲気。ご主人に名刺をもらう。

王子公園まで一駅、阪急電車に乗る。妻と待ち合わせてトンコパンという洋食店で食事。さらにそこから歩いて灘区民ホールへ。「ミハル・カニュカ&伊藤ルミスーパーデュオ2013 13th tour」というコンサートのため。

フォーレの「エレジー」から始まる。カニュカ氏のチェロが重厚な響きでひきこまれた。チラシによれば一七四一年製アントニオ・テストーレをモデルにしてフランスの楽器製作者ベイヨンが作ったものだそうだ。伊藤女史の前に置かれたピアノは一九二五年製のスタインウエイ。「この時代のピアノがいちばんいい音がするんです」と女史。

日本歌曲のコラージュがつづき、サンサーンスの「白鳥」、同じく「チェロソナタ第一番ハ短調作品32」。休憩をはさんでフランクの「チェロソナタ イ短調(原曲ヴァイオリンソナタ)」。生のコンサートはかなり久し振りだったので音に圧倒された。二五年製のスタインウエイは凄い。アンコールにカッチーニ「アヴェ・マリア」、ショスタコヴィッチ「チェロソナタ」、カザルス「鳥の歌」。カニュカ氏のテクニックもみごと。師走の慌ただしいなか、しばし心地よい気分に浸れた。
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# by sumus2013 | 2013-12-14 21:02 | 古書日録 | Comments(0)

季刊湯川 No.6

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『季刊湯川』第六号(奥付は一九七九年八月、目次では九月になっている)を恵投いただいた。有り難いことです。これで七冊揃った。

表紙 藤田慶次
p.3―12   永田耕衣「面を横に―田荷軒追憶―」
p.13―23  シュペルヴィエル 多田智満子[訳]「ミーノータウロス」
p.24―36  ヴァレリー・ラルボー 岩崎力[訳]「女名前について」
p.37―44 有田佐市「ムッシュTについて 5」
p.45―53 一九七八年一月~十二月新刊書籍動向(有田佐市)
p.54―56 刊本広告(註:目次に記載なし、ノンブルの記載なし)

やはり巻頭の永田耕衣の文章が強烈。耕衣が自らの本作りについて回顧している。処女句集『加古』(鶏頭陣社、一九三四年)についてこのように書く。

《このさい本の立派さというのは、贅を尽した見せかけの世俗的な風姿にあるのではなく、飽くまでも著者の精神の在りどころを証してやまぬ質実剛健なものでなければならぬ、という当節私なりの本願が幾らかでも成就している立派さであった。いわば本は著者の人間に他ならないのだ。「書は人なり」というが如く、「本は人なり」である。》

第二句集は袖珍本(ミニチュアブック)『傲霜』(私家版、一九三八年)。

《私はこのあたりから、田舎者のくせに「本を作る」ということに異常な情熱を覚え初めていたのである。しかし、「本は人なり」という悟達の確信に達したのは、まさにこの冗文を書く途中である。寿岳文章先生の著書を愛読したり、近来、湯川書房の仕事、身辺ではコーベブックスにおける渡辺一考君の仕事を、本最高の醍醐味として求心的に眺め且垂涎尊敬してきたということが、今日我が悟達の地盤であることは申すまでもない。》

そしてこういうふうに締めくくる。

《本を作ろうと志す者は、先ず、既製最高の善本を永遠に見据えるべし。そして制作者自身、独自未完の願望的イメージを、この鹿の如く「面を横に」凄絶に、怨み、憎み、眺め刺し尽くす要があるかと思われる。
 簡素であれ、豪華であれ、本物の本というものは、著者、印刷者、製本者(出版者)の三者が、あらゆる諸条件を最善の友として、「出会いの絶景」的な一如ぶりを証そうとする世界からのみ現成する。それ故、本物の本は、著者を超え、印刷者を超え、製本者(出版者)を超えて、この三者一如の心身を荘厳し尽した存在となる。「本は人なり」といいうる本物の本は、そういいうる真義のうちに、三者渾一の人間的容顔がその体温ごめに馥郁と漂いやまぬ、妖しげで身心的な何物かである。》

三者というのは「?」だが、本は一人では作れない、ということは本当だろう。作れないというよりも(すべて一人で作る人もいます)、分業になっているからこそいい本ができるような気がする。
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# by sumus2013 | 2013-12-13 21:03 | 古書日録 | Comments(2)