林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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京都まちなか古本市

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初日には所用があってのぞくことができなかった。二日目ともなるとゆったりと見られて、それはそれでいいものだ。古書ダンデライオン(はんのきの中村氏です)とマチマチ書店(山崎書店にいた中島君が独立しました)が組合(京都府古書籍商業協同組合)加入後の初即売会ということで「どれどれ」と棚を見せてもらった。それぞれの持味を出していい感じだ。マチマチ君は山崎さんの丁稚だっただけに美術書がよかったが、それ以外の本にも欲しいものがあった。ダンデライオンでは今ちょっと調べものをしているためそれに必要な資料を発見、出かけた甲斐があった。個人的な好みでは文月書林がいい。全部買い取りたいくらい。その後、ヨゾラ舎をのぞいて馬鹿話をして帰宅。わが青春のミッシェル・ポルナレフ「シェリーに口づけ」(CBS/ソニーレコード, 1971)など。

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by sumus2013 | 2017-09-30 19:49 | 古書日録 | Comments(0)

妙好人伝二篇

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『妙好人傅 二篇巻上』。妙好人(みょうこうにん)とは浄土真宗の在俗の篤信者のこと。『妙好人傅』は全六篇十二冊が刊行され百五十七名の妙好人が紹介されているそうだ。石見国浄泉寺の仰誓が初篇を、西本願寺の僧純が二から五篇を、松前の象王が第六篇を編纂した。本書は刊記を欠いているので版元等も分らないが、見返しに観月と署名された七言絶句が掲げられ、天保十三年(1842)壬寅四月の南渓(豊後満福寺の住職)による序文がある。

第二篇上下二巻は僧純の編纂で、巻頭に天保十三年の南渓の序があり、巻末に同十四年の僧朗の跋を付している。したがって本篇は天保十四年の板行と考えられる。

 氷見の妙好人「おのよ」の伝記とその往生観

本書には跋は見えないが、巻下にあるのかもしれない。

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参考までに『妙好人傅二篇巻上』の一「筑前月女」の内容を簡単に紹介しておく。

筑前国博多津柳町薩摩屋に明月という遊女がいた。いつしか世のはかなさを悟って萬行寺の住僧正海法梁に女人往生について尋ねた。正海がねんごろに弥陀の本願のいわれを語ったところ明月はたちどころに信者となった。毎朝欠かさず萬行寺に詣でる熱心さであった。天正六年(1578)の春、明月は病に伏し、回復の見込みがないと知り、死骸は萬行寺に納めてほしいと言い残してむなしくなった。

萬行寺に葬るに数月をへずして其墓より一茎[ゐちきやう]の蓮[はちす]生じ日を経るにしたがひ花葉地中より生出しに異ならず是を聞つたへ諸方より追々参詣群集す

領主の役人がこれを怪しんで墓を暴いたところ、蓮の根は明月の口から生えていた。このことは世間の噂となって博多記や小石城志にも載せられて伝承されている。きっと普賢菩薩が室の遊君となって衆生を導引してくれたのではないだろうか。ただ、浄土真宗はこういう超常現象を云々することをよしとしないのだが、貴いこととするいわれもなきにしもあらずだ。同じようなことが過去にもあった。

因にしるす古へ讃岐の国に源太夫といふ人あり此人ハ岩の上にて西方に向ひて往生せし時その死骸の口より青蓮花生せしこと日本往生傅に載す又住蓮安楽死刑に臨む時口より蓮花を生ずと古徳傅に見えたり尚又天竺往生傅に蓮花の徴あること数多[あまた]出せる事繁けれバ爰に略す

というような伝記である。讃岐の国にもこんな伝説があったのだ。

なお蓮の実は土中で長期間発芽能力を保持することができるそうだ。千葉の落合遺跡で発掘され発芽に成功した大賀ハスは弥生時代後期のものだと推定されているし、中尊寺金色堂の須弥壇から見つかった蓮の実も八百年ぶりに発芽したという。蓮はインド原産。ヒンドゥー教や仏教においても特徴的なシンボルとなっている。

そういうことを知ってみると、表紙に蓮華がエンボス(浮彫状)であしらわれているのもいっそう意味深く感じられる。


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by sumus2013 | 2017-09-29 21:24 | 古書日録 | Comments(0)

FORMES

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福島繁太郎が発行していた『FORMES(フォルム)』の第一号と第十一号。これはもう三十年ほども前に買ったもの。よく覚えていないが、状態が悪いのでそれぞれ五百円くらいだったと思う。造形美術の国際雑誌、年十回発行、英仏二カ国語で出版とうたっている。

第1号 1929年12月発行 英語版

EDITORIAL OFFICE
42, RUE PASQUIER, PARIS

BUSINESS OFFICE
18, RUE GODOT-DE-MAUROY, PARIS

DIRECTOR S. FUKUSHIMA

ART DIRECTOR WALDEMAR GEORGE

SECRETARY MARCEL ZAHAR

EDITIONS DES QUATRE CHEMINS
18, RUE GODOT-DE-MAUROY, PARIS


第11号 1931年1月発行 フランス語版。フランス側のスタッフは第一号と同じだが、アメリカ版の記載が増えている。

AMERICAN STAFF A. HYATT-MAYOR

CIRCULATION MANAGER SHIRLEY O. WOLF

NEW-YORK OFFICE
DEMOTTE, inc. 25 East, 78th Street, NEW-YORK

『戦後洋画と福島繁太郎 昭和美術の一側面』(山口県立美術館、一九九一年)によればこの雑誌は一九二九年一二月に創刊され、一九三三年までの四年にわたって一年十回(夏の二ヶ月は休む)全三十三号が発行された。ルネ・ユイグ、ウーデ、ルイ・ヴォークセル、エリー・フォールらの他多彩な寄稿家が誌面を賑わした。

編集主任のワルドマール・ジョルジュ(Waldemar-George, 1893-1970、本名 Jerzy Waldemar Jarocinski)はポーランド(当時ロシア)生れ。第一次世界大戦でフランス軍に志願したことによりフランスへ帰化した。戦後パリに住み着いて美術評論家、ジャーナリストとして活躍。スラブ系の若き画家たち、シャガールやスーチンの紹介に努めた。『フォルム』の他に『L'Amour de l'art』(1920-1926)という雑誌の編集もしていた。編集長のマルセル・ザール(MARCEL ZAHAR, 1898-1989)は歴史家、美術評論家。

EDITIONS DES QUATRE CHEMINS(四ツ辻出版?)は福島の企画を請け負っただけなのかもしれないが(同名の出版社が現存する)、詳しくは不明。

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第1号のカラー口絵・ルオー


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ポール・ギョームの広告



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フォートリエのサロン・ドートンヌ出品作


記事によれば、この年(1929)のサロン・ドートンヌ(秋の展覧会)には6000作品の応募があり、その内の500点が入選したとのことである。フォートリエ(1898-1964)のこういう作品は珍しいような気がする。


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広告ページで興味を引かれたのは「LE BOEUF SUR LE TOIT(屋根の上の牡牛)」。一九二二年一月一〇日にルイ・モワゼ(Louis Moysès)がオープンしたパリ八区のキャバレーである。ジャン・コクトーの根城として二大戦間(l’entre-deux-guerres)にはよく知られていた。

ブラジルから戻ったダリウス・ミヨーがコクトーにブラジルの流行歌のメロディーを紹介し、彼らのグループ「Les six 六人組」でその曲を使ったバレー・コメディを計画した。それは「屋根の上の牡牛」(ブラジルの歌のタイトルから)と名付けられルイ・モワゼのバーで公演され評判を呼んだ。そこでルイ・モワゼは店を移転して「屋根の上の牡牛」と名付けたというのだ。それは二〇年代のパリのキャバレーを代表する店となった。あらゆるジャンルのアーティストたちを惹き付けた。ピカビアの「L’Œil cacodylate」は長らくここに掛けられていた。とここまでウィキを訳していて前にも紹介していたことを思い出した。

屋根の上の牛

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by sumus2013 | 2017-09-28 21:56 | 巴里アンフェール | Comments(0)

鑛物標本

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『鑛物標本』(大日本レトロ図版研Q所、二〇一七年二月二七日)が届く。昭和十年代末に作られた木箱入り鉱物五十種集合標本の鉱物をひとつひとつ同時期の鉱物図鑑の図版とともに紹介する、という凝った造りの図録である。鉱物好きにはたまらん。小生、さほど理科は得意というわけではなかったが、岩石や植物の美しさには魅了されてきた。この五十種集合標本は見事だ。思わずジョゼフ・コーネルを連想するほど。

《本書に掲載した標本及び図版出典文献は、すべて大日本レトロ図版研Q所の所蔵資料です。またその撮影も当研Q所で行いました。また参考資料につきましても、古い書籍に関しては当研Q所架蔵のものがいくつもあります。当研Q所では、主として西暦一八六〇年代後半から一九二〇年代前半に日本国内で刊行された、自然科学・医学・薬学・地理学・女子教育・名所案内・商業デザインなどの分野の魅力ある図版を含む書籍・雑誌類や器械カタログ類、新語流行語を含む日本語の字書辞典類などを中心に、独自の視点で資料を蒐集しております。》

今後もさまざまなテーマのヴィジュアル資料を編纂するとともに資料公開も予定しているそうだ。大日本レトロ図版研Q所の活動に注目すべし。販売などについての問い合わせは下記へ。

大日本レトロ図版研Q所Lab4RetroImageJP

大日本レトロ図版研【きゅー】所




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一昨年から構想していた、昭和初期から明治期まで、化学実験に使う器械類の図版をひとつひとつ眺めてみよう、という「図鑑」の第1冊。  紙の焼け色や染み・汚れなども含め、なるべく再現して古い印刷物の雰囲気を味わっていただくべく、相変わらず全ページフルカラーで作っていく。  まずはシンプルなガラス類から、と思って取り掛かってみたところ、思いの外色々と調べることが出てきてなかなか先に進まないが、マイペースでじわじわやっていく積もり。  前回の既刊『鑛物標本』は、「なるべく早めにとにかく1冊拵える」というコンセプトだったが、今回はできるだけ制約を設けずに思うさま作りたいので全体の構成や総ページ数なども敢えて決めていない。  取り敢えず、だいたいできたところまで暫定公開。


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by sumus2013 | 2017-09-28 08:11 | おすすめ本棚 | Comments(0)

怪人ジキル

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波野次郎『長編少年探偵小説 怪人ジキル』(書肆盛林堂、二〇一七年九月二九日、表紙デザイン=小山力也)。小野純一「あとがきにかえて」にはこう書かれている。

『怪人ジキル』の存在を知ったのは、古書山たかし『怪書探訪』でだった。仙花紙本好きとしては、見逃せない一冊であり、内容はカミの翻案。一度は手にしたい、店で取扱いたいと思っていた。自身が手にする機会に恵まれたのは、今年二〇一七年四月四日から四月十五日まで東京古書会館で開催された《怪書探訪「ある怪書好き会社員の軌跡」展》という展示においてであった。

そこからトントン拍子で復刊が成ったという。オリジナルは昭和二十三年に清華書房から刊行されている。荒唐無稽のハチメチャなストーリーはフランスのユーモア作家カミ(Pierre Henri Cami)の「処女華受難」(衣裳箪笥の秘密)からパクっているそうだ。

ルーフォック・オルメスの冒険 Les Aventures de Loufock Holmès

作者・波野次郎については不詳。また表紙絵および挿絵の画家も不明。サインは「T.KAY」である。表紙もそうだが、数多く挿入された挿絵がなかなかいい味を出している。

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裏表紙のサイン


長編少年探偵小説『怪人ジキル』
著者:波野次郎
表紙イラスト:不明
表紙デザイン:小山力也

   (乾坤グラフィック)

解説:古書山たかし
価格:1,000円
判型:文庫版、152頁
発行日:2017年9月23日(土・祝)

400部


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by sumus2013 | 2017-09-27 20:20 | おすすめ本棚 | Comments(2)

巴里の藝術家たち

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福島慶子『巴里の藝術家たち』(三笠文庫、一九五二年一一月一五日)。面白く読了。とくにルオー、マチスとの親しい交遊は読みどころが多い。

明治三十三年東京に生まる。九段精華高女卒業。大正八年渡欧し、イギリスに二年、つづいてフランスに十数年滞在し昭和八年帰国した。マチス、ルオーはじめ現代フランスの芸術家との交遊深く、美術評論その他エッセイに健筆をふるっている。福島コレクションで著名な福島繁太郎氏夫人。夫君と共に画廊フォルムを銀座に経営している。著書に「巴里と東京」「少年少女のためのフランスの話」「巴里アルバム」「巴里たべある記」等がある。》(著者紹介)

歿したのは昭和五十八年九月七日。兵庫県出身。父は荘清次郎。

荘清次郎 しょう せいじろう
1862-1926 明治-大正時代の実業家。
文久2年1月20日生まれ。荘清彦,福島慶子の父。岩崎久弥の家庭教師となり,渡米に同行。三菱社にはいり,明治26年三菱合資を設立して社長となった久弥の信任を得,大正5年専務理事兼管事となる。三菱製紙所,東京倉庫などの役員も兼務した。昭和元年12月25日死去。65歳。肥前大村(長崎県)出身。東京大学卒。》(コトバンク)

福島繁太郎、ウィキにもその出自が書かれていないが、明治二十八年生れ。大正十年に東京帝大法学部政治学科を卒業して英国留学。大正十二年にパリに移り、一九二九年パリで『FORMES』という美術雑誌を創刊している。福島慶子が初めてマチスに会ったのは一九二五年七月五日。その二、三年後にニースで再会した。

マチスは私たちが何時何處で彼のこの様な作品を見たとか、あの作品を見たとかいうと一々それに使用した衣裳や道具、椅子や布などを見せ、さらに家中の部屋々に私たちを案内して彼の持つているクールベーやセザンヌ、その他の美術品、参考品を見せてくれた。モデルに使う衣裳や首飾りは彼自身でニースのギャラリー・ラファイエットに行つて、小布を見立てて來て自分で縫い、髪や、手足につける飾物も安物を買つて來て自分で糸で繋ぐのだということである。

部屋々の壁には自作の畫、ドイツ製四色版のマチスのオダリスク、カルナバルのマスク、雜誌の切抜きの寫真、色紙、ボナールのパレット、貝殻、東洋製の腕環、木炭や鉛筆で描かれた下畫、サラサの切つ端、等々、思い思いの場所に、或は釘に掛けられ、或はピンで止められ、こんなものが何の参考になるのかと不思議に思える物等もあつて、私たちは非常に興味深く眺められた。

ドランの家も訪問している。パリのモンスリ公園の近くにジョルジュ・ブラックと並んで住んでいたそうだ。

応接間の入口の両側の壁にコローの小品が二點掛けてあるのも彼らしく、なるほどとおもつた。又ホールの處々に置かれたネグロ、オセアニアの彫刻も、彼のフォーヴ時代の記念品のような氣がして親しく眺められたが、これ等の観賞すべき物も決して必要以上に並べ立ててはおらず、至極簡素に充實されて氣持よかつた。

肝心の福島コレクションについても簡単な言及が見える。

私は何時もお客にするように家中を案内し壁一ぱいに掛けられた現代畫のコレクシォンを一々見せて廻つたのである。それ等はピカソ、マチス、ドラン、ルオー、ユトリロ、モディリアニ、パスキン、フリエッフ、ブラマンク、シャガール、アンリ・ルッソー、ド・ラ・フレネイ、テレスコヴィッチ、ベラール、エルンストといつた案排で凡そ官展派の敵のような群りだつたのでシモン氏はガゼン沈黙してしまつた。僅かにルノアールとコローの前だけでは立ち止つて暫くじつと眺めていたが何も云わない。

文中「フリエッフ」とあるのは「フリエス Friesz」の誤植か。また益田義信は本書の解説に以下のように書いている。宮田重雄に連れられて十六区ヴィオン・ウィコンブ街のアパルトマンに福島夫妻を初めて訪ねた。昭和二年か三年らしい。

はいつて直ぐの廊下から、サロン、食堂、書齋、寝室の壁に到るまでぎつしりと掛けられたエコール・ド・パリの巨匠達の作品に壓倒されて、當時廿四歳の青年は亢奮してしまつた。ピカソの青の時代の母子像、新古典時代の女の顔、ブラックの女と静物、數えきれぬマチス、落ちつきはらつたドランの数々、更に壓倒的なルオーを一時に見せられたのだから、亢奮しない方がどうかしている。

當時はフランが安く、對日本の爲替も安定していたので巴里は日本人の洪水だつた。だが福島一家の様に、フランスで本當の家庭を持ち、運轉手や女中を雇つて生活した人は極めて稀である。又、彼等程直接に現代フランス畫壇の巨匠達と直接交遊を持つた一家は他に無い。

朝日新聞一九六六年四月二八日号によれば福島が帰国時に持ち帰った作品は八十五点だったそうだ。それもすべて散逸し(画商を始めるとコレクションは保持できない道理である)、同年ブリヂストン美術館で開催された「旧福島コレクション展」では四十九点が展示されたらしい(ウィキより)。

『日仏文化協定発効記念 ルオー展』(東京国立博物館、一九五三年)図録

宮田重雄『竹頭帖』(文藝春秋新社、一九五九年)


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by sumus2013 | 2017-09-26 21:15 | 巴里アンフェール | Comments(0)

朱欒

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『朱欒』(朱欒プロジェクト実行委員会編、愛媛新聞社、二〇一七年九月一一日、書容設計=羽多良平吉@EDiX)。本書については下記に詳しいので参照のこと。久万美術館による翻刻の力作である。

『座朱欒』(ザシュラン)プロジェクトのお知らせ

《朱欒》翻刻本と自主企画展記録集の通信販売について

『朱欒(しゅらん)』とは旧制松山中学の卒業生たちが東京で作った回覧雑誌。大正十四年十月頃から十五年五月にかけてほぼ毎月一冊のペースで刊行された。全九冊。原稿用紙を綴じて厚表紙を付けたスタイルである。同人は池内義豊伊丹万作、二十五歳)、中村清一郎中村草田男二十四歳、本書に収められている『朱欒』は草田男旧蔵、この度久万美術館に寄贈された)、重松鶴之助二十二歳、画家)、渡部昌二十二歳、後、明治大学教授)、中村明(洋画家)、山内千太郎二十三歳、後、法政大学教授)、八束清二十四歳、松山商業学校出身)、長嶋操(不詳)。以上は中島小巻「『朱欒』同人略歴」による。

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第一号の表紙図版および本書の帯


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第二号


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第五号裏表紙(重松鶴之助)部分


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第四号口絵(池内義豊)部分


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本書の裏表紙、全九冊の表紙



表紙画や挿絵について言えば重松鶴之助と池内義豊がもっとも多く手がけているし、二人の岸田劉生ばりの絵柄が生き生きとして目立っている。池内(伊丹万作)は映画監督になる前には挿絵画家としてかなり名を売っていたそうである、さもありなん。重松鶴之助という名前は洲之内徹の『絵のなかの散歩』や『気まぐれ美術館』で初めて知った。劉生に心酔し大正十三年に第二回春陽会展に初入選。昭和五年、共産党に入党し左翼活動を行う。昭和八年に逮捕され堺市の大阪刑務所に収監された。十三年同所内で死亡(この死については洲之内の文章に詳しい)。享年三十五。

洲之内徹は東京美術学校の入試のために上京し、松山中学の先輩だった山本勝巳の下宿へ滞在した。そのときそこにあった重松の絵「閑々亭肖像」を見、本人とも何度か会ったという。

私は、伝説の主の鶴さんその人にもそこで会うことになった。朝、目を覚ますと、昨夜はいなかったはずの、いがぐり坊主の、異様に背の低い、だが、いかにも精悍そのものといった感じの男が同じ部屋に寝ていることがあり、山本さんがその男をツルさん、ツルさんと呼ぶので、それが重松鶴之助だと私に察しがついたのである。あとで知ったが、鶴さんの兄さんと山本(勝巳)さんの兄さんとが中学で同級なのであった。》(ある青春伝説

重松とはこの後にも因縁があるのだが、それは洲之内の文章で読んでいただくとして、四十五年後になって「閑々亭肖像」に再会した洲之内の感慨を引用しておく。

しかし、四十五年前、初めてこの絵を見たとき、白状すると、私はこの絵が欲しくてたまらず、こっそり持ち出して、どこかへ隠しておきたいような衝動に駆られたのだったが、そのときの気持はいまもそのまま思い出すことができる。いまはもう、まさか持ち逃げしようとまでは思わないが、それにしても、私をそんな気持にさせたこの絵の魅力はいったい何であったろうか。この一枚の作品に罩められた若い重松鶴之助の、芸術に対する無垢な信仰と、ひたすらな没入、それらがそのまま私のものとして、私の理想として、私を捉えたのだ。》(同上)

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この絵のモデルは松山の湊町の、ある下駄屋の主人だそうだ。湊町(みなとまち)は重松の生まれた町である。




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by sumus2013 | 2017-09-25 21:28 | おすすめ本棚 | Comments(0)

林哲夫油彩画展 comme ça 終了しました。

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林哲夫油彩画展 comme ça
2017年9月12日〜9月24日

ギャラリー恵風
http://g-keifu.com


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by sumus2013 | 2017-09-24 20:26 | 画家=林哲夫 | Comments(0)

検印紙二題

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きだみのる『氣違ひ部落周游紀行』(吾妻書房、一九四八年一二月二五日四刷)の画像を makino 氏より頂戴した。装幀のクレディットはないそう。また、検印紙の印文がきだみのる(本名山田吉彦)と結びつかないようなのだ。「英久」と読めるが、如何に?

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市立図書館へ行って、嵐山光三郎『漂流怪人・きだみのる』(小学館,2016年2月)など、二三の伝記をざっと見ましたが、雅号などの記載は見つかりませんでした。職員は、県立図書館とも連絡をとって調査して、何かわかったら、後日連絡する、と云っていました。好意謝するに余あれども、「検印」とは何かの説明に一汗かかされるようでは、期待薄です。

さもありなん。若い人たちが、たとえ図書館スタッフでも、検印紙の貼付されている本なんて見た事がない、としても不思議ではないだろう。


もうひとつは少し前に買った矢野朗『肉體の秋』(京北書房、一九四七年一月一八日)。表紙および扉絵のサインは「泰」とだけ。佐藤泰治かとも思ったが、画風が違うようだ。

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この本、問題は表紙画ではなく検印紙。どこかで見たぞ、この図柄! そう南北書園とまったく同じなのである。

堀井梁歩訳『ルバイヤット異本留盃耶土』(南北書園、一九四七年)

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南北書園とまったく同じなのは検印紙だけではない。版元の住所そして電話番号もまったく同じである。発行者は早田眞朗。さすがに会員番号は違っている。そして疑わしいというか、まぎらわしいのはその社名と発行者名がどことなく似ている事。南北書園京北書房、瀧眞次郎と早田眞朗。この一冊だけでは判断できないが、実態は同じ会社なのではないだろうか。

国会図書館で南北書園検索すると昭和十六年から二十四年まで四十九件(同一書を含む、一件は参考文献なので除外)、京北書房の発行物は昭和十七年から二十八年まで二十八件ヒットする。前者は純文学系、後者はエンタテインメイントおよび実用書という大雑把な出版傾向があるように思う。はっきりしたことは何も言えないが、名前を使い分けていた可能性もある。ただ本書はどちらかと言うと純文学に近いように思う。


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by sumus2013 | 2017-09-23 21:15 | 古書日録 | Comments(2)

大人の時間 子どもの時間

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今江祥智『大人の時間 子どもの時間』(理論社、一九七〇年二月、そうてい=宇野亜喜良)。やはり均一台にて。見返しのあそび紙のところに献呈署名がある。《上野瞭学兄 恵存 今江祥智》。どうしてこれが均一に?

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と思ったら、線引きにドッグイヤーが二ヶ所ほどあったのだった。けれども、考えてみれば、これは当然上野瞭が書き入れ、そして角を折ったと考えていいだろう。それなら別段マイナス評価にはならないのじゃないのかな? 上野瞭には児童文学として『ひげよ、さらば』、小説に『砂の上のロビンソン』『アリスの穴の中で』がある。

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エーリヒ・ケストナーについて書かれた文章がなかなか熱い。「人と作品=A」の「a 
エーリヒ・ケストナー」より。

みなさんの子どものころを決して忘れないように、とケストナーはいう。忘れるものかとぼくは思う。
 ぼくが子どもだったころ、日本はいくさ[三字傍点]のさなかにあった。子守唄のかわりに軍歌が鳴りひびき、兄はぼくとキャッチボールをするのを止して戦場に行かねばならなかった。

ドイツの作家、『ヨーゼフは自由を求める』の著者ヘルマン・ケステンは、その友人ケストナーについて書いた文のなかでこう言う。
 成人してから私はケストナーの子どもの本を読んだ。『エミールと探偵たち』から『動物会議』『二人のロッテ』に至るまで。

ケステンは子どものころ、子どもの本など一冊も読まなかった。そのかわりに、聖書、シラー、シェイクスピアなどからすぐに始めた。
 ぼくは子どものころ、子どもの本など読めなかった。そのかわりに山中峯太郎、高垣眸、南洋一郎などの戦争スパイ小説、チャンバラや冒険活劇の本をあきるほど読んだ。同じころに読んだ本で今まではっきり感動をおぼえているのは、わずかに「ファーブル昆虫記」だけである。
 しかし大人になってからケストナーを読み、感心したのは、おそらく二人とも同じだろう。それでここに書きたいのはそのことなのだ。つまり、「八歳から八十歳の読者のために」本を意図し、書きつづけ、成功したと思われるケストナーの秘密はどこにあるかということだ。その間に、戦争と知識人の問題、転向と亡命の問題、詩人と金銭の問題、子どもと親の問題、等々が出るにちがいない。

『エミールと探偵たち』は、その後のケストナーの児童文学の原型だといえる。その根底にあるのは正義感、少年の心にはびっしりつまっていて、大人になるにつれてボロボロ抜けおちる正義感である。それを支えるものとして「男らしさ」の精神、それに、「純金の心」そのままの鋭さを備えた眼。

その彼の秘密の一つはまた、彼が『エミールと探偵たち』で主張した正義と勇気の大切さを身をもって実証したところにある。彼はうそつきではなかったのだ。だから子どもたちはこの「おじさん」を信用したのだった……。

引用最後の《身をもって実証した》は、ケストナーがナチ政権下で、焚書に処せられ、執筆禁止を命じられながらも、亡命をせずドイツに留まり続けたことを指す。小生も子供の頃にケストナーを読んだ記憶はまったくない。しかしこれまでにも彼の本は何冊も取り上げている。

『雪の中の三人男』(白水社、一九五四年)

『ケストナー少年文学全集6』(高橋健二訳、岩波書店、一九六二年五月一六日)

『飛ぶ教室』(高橋健二訳、一九五〇年四月一七日)

『どうぶつ会議』(岩波書店、一九五四年一二月一〇日)

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by sumus2013 | 2017-09-22 21:00 | 古書日録 | Comments(0)