林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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木香往来

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書肆ひやねの資料をいくつか頂戴したので紹介しておく。まず『木香往来』創刊準備(書肆ひやね、一九八八年一〇月二〇日、タテ約16cm)および一九八九年年賀状、そして秋朱之介『書物游記』刊行案内

本の街、神田の一角に書肆ひやねを構えて早や十年の歳月が経過致しました。》《さて、十四号に亘ってご案内して参りました小冊子「ひやね」を、この機に終刊とし、新たに趣味の季刊誌「木香往来」を、発刊することに相成りました。今回は、その創刊準備号で、次回からは、従来の限定本、こけし、蔵書票、古書全般のご案内に加えて、楽しい本の話、こけしの話を特集してゆきたいと考えております。》(ごあいさつ)

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この九月に、秋朱之介氏の『書物游記』を刊行いたしました。本の世界から遊離して以来、今日まで沈黙の内にあった秋氏の初めての書物文集であり。戦前の限定本書肆の世界を知るためには、欠かせないものです。》(同)

【創刊準備・目次】
秋朱之介本の魅力………齋藤専一郎
香水本『香炎華』を巡って………佐々木桔梗
書痴の記念碑………荻生孝
期待するもの………高橋五郎
新刊御案内
ごあいさつ………比屋根英夫
表紙・高橋輝雄



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残念ながら創刊号はなく、これが『木香往来』第貳(書肆ひやね、一九八九年七月七日)および『木香往来』第貳附録(向って左)。

【第貳・目次】
………高橋輝雄
高橋輝雄さんのこと………荻生孝
スクラップ………呑気亭
手紙………
埋め草………高橋五郎
本物をさぐる………木犀窓
善本販売目録
表紙・カット 高橋輝雄

現在、有料会員の方が五百名近くになりました。しかし、まだまだ赤字の状態です。これが千部近く出せれば、カラー版や木版画等の貼り込みを奮発して、一層楽しい冊子になります。何とぞ、会員諸氏のご助力をお願いする次第です。》(たより)

今年は、内田百閒の生誕百年に当ります。その百年を記念して、百閒文学の真髄である『冥途』について、平山三郎氏に原稿を依頼しました。〈『冥途』の周辺〉と題して、これは、秋に創刊される「木香叢書」の第一号として出版されます。(同)

第貳号附録は「佐久間俊雄誌上入札会」「善本古書即売目録」掲載。

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『木香往来』第参號(書肆ひやね、一九九〇年二月二八日)。

【第参・目次】
谷中安規追想………平山三郎
スクラップ………ル・ポール
「作並不明」を見る………橋本正明
志田菊磨呂誌上即売………
善本販売目録………
表紙・高橋輝雄
カット・谷中安規

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4〜5頁

平山三郎「谷中安規追想」より

その時分、百閒先生は安規畫伯のことを云ふのに「風船畫伯」などとは云はず、たになか、たになか、と云つてゐた様である。
 佐藤春夫の「親子ルンペンの話」といふ小説は昭和十年一月の作で、谷中安規の生活を描いてゐる。

安規畫伯の變つた獨身生活を佐藤春夫が聞書きした小説で、親は「やすのり」と呼び、自身は他人が呼ぶのにならつて「あんき」と云つてゐたらしい。
 後年、料治熊太さんにわたしの聞いたところによると、版畫冊子「白と黒」編輯部、すなはち料治さんの家に谷中が來る時は、かならず「やなか墓地のやなかでーす」と云つて這入つてきたといふのだ。「風船畫伯」は若い頃から「いうれい」とあだ名がついた程痩せてゐたので、谷中墓地のと云つてオドカすつもりだつたに違ひない。

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挟み込まれていた内田百閒『冥途』新装版(谷中安規装画)の図版。

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そして移転の「ごあいさつ」と「正誤表」。




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平成六年年賀状。



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「又々移転のお報せ」平成五年五月二七日付け。
東京都千代田区神田淡路町2−3−12安和ビル1階



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店舗移転の案内、平成二年四月。
東京都千代田区神田三崎町三二みさきビル1F



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『玻璃』遅刊行の詫び状、一九八四年八月

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『玻璃』(
玻璃舎
)創刊号は限定三百部、一九八二年発行。第二号は一九八三年発行。第三号は八四年発行である。いずれも表紙に深澤幸雄の銅版画貼付け、萩原英雄版画付き。第三号に普通本あり。この関川文から発行に苦心している様子が読み取れる。

同人一同、原稿執筆には馴れていても、発行や販売の実務には全く無知の素人仕事のため、頒布方法一つを取りましても、関係者が各自で購読申込みを受付けた結果、申込過剰となり、一部の方がたには一旦受付けた申込みを取消すような事態を生じてしまい、まことに申訳けなく思っております。
 また、二号で値上げしたにもかかわらずふたたび赤字となり、編集同人は勿論、装画、制作、販売等の部門まで私費持出しで労力奉仕をする結果に終りました。
 これはいかにも不合理でありますし、またこのままでは継続刊行不可能と思われますため、原価、諸経費等につきまして種々合議の上、第三号から定価を一部五千円に改定し、また以後の販売は一括して書肆「ひやね」が取扱うことに改め、後続雑誌刊行の安定をはかることに致しました。また、読者から、ナイフを入れるにしのびないため、内容を読むことができないとの声が多くあり、それでは当舎の趣旨にも反しますので、三号より、洋紙に印刷した並製本を添付いたします。

丘書房と書肆ひやね連名のもう一枚の手紙には第三号からは会員制にして三百人で受付を締め切ると書かれている。『玻璃』第四号は平成十年発行のようである。それ以後は不明。

【関連記事ブログ】
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by sumus2013 | 2017-08-31 21:02 | 古書日録 | Comments(0)

招待状

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パリ中心部の某古書店にて。店名は不明。屋号が出ていないのだ。ここの表の均一台が凄い。0.5〜2ユーロくらいの雑本ばかりを放出しているなかに馬鹿にならない掘り出しものがまじっている。ラテン区なので学生も多いのかもしれないが、皆、それを知っているんだねえ、通りすがりに眺めて買って行く。だから入れ替えも頻繁(さすがに神保町の田村書店ほどではないけど)。絵葉書も常時何百枚と出ているが、一昨年と較べると、今年は見劣りした。「チェッ」という感じ。ただ、それでもかろうじてこの二点の招待状を確保した。

手前の白いのが第五回サロン・デュ・リーヴルの招待状。一九八五年五月二二日から二七日までグラン・パレで開催された。二一日の内覧会への招待である。サロン・デュ・リーヴルは現在も継続されており、フランスでは最も格式の高い古書市となっている(現在の会場はポルト・ド・ヴェルサイユ、毎年五月なので、まだ訪れたことはない)。

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招待の文面。M. ___のところに名前が入るはずなので、これは未使用ということ。一番上のジャック・リゴー(Jacques Rigaud)は文化畑の高級官僚。パリ、サロン・デュ・リーヴル創設のときの幹事の一人で(当時の大統領はミッテラン、文化相はジャック・ラング)、「書物読書協会 l’Association pour le livre et la lecture」の会長も務めていた。二人目のジャン・マニュエル・ブールゴワ(Jean-Manuel Bourgois)は出版人、兄のクリスチャン・ブルゴア(Christian Bourgois)の方がよく知られているだろう(というか小生でも知っている)。自分の名前の版元を一九六六年に設立して「10/18」のポケットブックを刊行した。またファッション・ブランドであるアニェス・ベーの「b」は元夫のクリスチャンの姓 Bourgois からきている。アニェスの本名はトゥルーブレ(Troublé)。

奧のもう一枚は一九九三年九月から九四年一月までオランジュリー美術館で開催された「Les Arts à Paris chez Paul Guillaume 1918-1935」。ポール・ギョームはモディリアニの画商としてあまりにも有名。映画に登場していたのも印象深い。しかし彼はフランスにアフリカ美術を初めて紹介したディーラーの一人としても高く評価されている(一九一九年に最初の黒人美術とオセアニア美術の展覧会を組織した)。彼がたまたま飾っていたアフリカ彫刻がアポリネールの目に留まり、アポリネールを通じて当時の若き作家たちと知合いになったという。そのなかにモディリアニ、マティス、ピカソなどがいたわけである。ギョームの持っていた二十世紀絵画の一部は現在オランジュリ美術館に所蔵されているが、この展覧会は『Les Arts à Paris』というギョームの発行していた雑誌の紹介のようである。招待状にその何冊かが印刷されている。こういうのをブラッサンス公園で見つけたいもの……。

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モディリアニ「ポール・ギュヨーム」1915


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by sumus2013 | 2017-08-30 21:29 | 巴里アンフェール | Comments(0)

埴原一亟 古本小説集

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山本善行撰『埴原一亟 古本小説集』(夏葉社、二〇一七年八月三〇日)読了。とにかく面白い(文字通り素直に面白い)小説集だった。

私小説のようにも読もうと思えば読めるが、小生の受けた感じでは私小説ではない。作者自身が古本屋をやっていたこともあり(昭和十一年、武蔵野線東長崎駅前通りに古本屋「一千社」開店)、屑屋の世界にも精通していたわけだが、それはあくまで熟知した素材であって、物語そのものはほぼフィクションではないだろうか。

本書のなかで完成度の高いのは「翌檜(あすなろう)」である。ハラハラさせられるのは「生活の出発」で、これは高利貸しの風俗記録としても意義ある作品かと思う。個人的には「かまきりの歌」を興味深く読んだ。一膳めし屋で顔をあわせる浪人中の中学生と初老の男性が仲良くなり、その謎めいた男性の過去が暴かれて行く……と、もうすこし具体的に紹介したいけれど、面白味が半減してしまってもいけないのでここでは詳しく述べない(ぜひ本書で一読を)。そういう意味で「かまきりの歌」はある種の文学ミステリーと呼んでもいいかもしれない。

芥川賞の候補に三度なっていずれも受賞を逃したという。どうして三度も受賞を逃したのか。山本氏の解説によればこういう選評があった。「店員」(デパート勤めから題材を取った作品、本書には収められていない)について。

佐藤春夫が、決して凡作ではないが一抹の自然主義的臭味のなごりがあるという意味のことを述べ、宇野浩二は、面白い所を摑んでいて巧みなところはあるが調子が低いと書いている。私は、その自然主義的臭味が良いと思ったのだが。調子が低いと言われると、一亟の小説全体の特徴かも知れず、さすがに宇野浩二らしい見方だと感心するが、調子が低い小説がすべて悪いということもないだろう。

撰者の気持ちはよく分るが、さすがに宇野浩二だ。洲之内徹の小説を「自分だけを大切にしすぎる」と評しただけのことはある。「調子が低い」というのは芥川賞には向かないというような意味だろうかとも思える。作風というか作柄の方はかなり調子が高いように思う、だから読者は面白く読まされるのである。登場人物などの描き方がときおりつげ義春の漫画を連想させる。ひょっとして、つげは埴原を読んでいた?

ところで作者の名前は「はにはら・いちじょう」と読むそうだが、「亟」の読みは手許の辞書には「キョク、ケキ」(職の去声)か「キ」(寘の入声)としか記されていない。意味は「すみやかに、すみやか、いそがしい」あるいは「度を重ねる、たびたび、しばしば」である。文字としては古く『詩経』や『論語』にも出ているようだ。

ただし『字統』によると、金文まで遡れば「亟」に「速やか」の意味はなく《二は上下の間が狭く、迫窄する空間であることを示し、そこに人を押し入れて、その前には祝禱の器をおき、後ろから手を加えてこれを殴ちこらしめる意》、殛(キョク、ころす)とも呼ばれる処刑法であったそうだ。これは「局」(身を屈している形、屈肢葬)にも通じている。また遠方へ追放することもあって、その地を極という。それが極限であり、そこから「最上」の意に用いられることとなり「速やか」へと発展する。

撰者解説」にも一亟が本名かどうかということについては言及されていないが、言及されていないなら本名と考えていいのだろう。明治四十年十月五日山梨県北巨摩郡白州町に生まれている(現在はウィスキー「白州」の蒸留所がある町として知られる)。父は代書人であったらしい。漢学の先生などだと、難読の漢字を息子の名前に使うという例はしばしばあることだ(読めない文字を名前に使うというのは呪詛を避けるための手段)。「じょう」という読みの典拠があるのか、ないのか、気になるところ。

さっそく読者の方より御教示いただいた。「」の異体字である、と。検索してみると「亟(=丞)」は戸籍統一文字になっている。深謝です。丞は坎中にある人を、左右から引き上げて拯[すく]う形》(字統)。

u4e1e (国際符号化文字集合・ユニコード統合漢字 U+4E1E「丞」) (@2)

撰者はこう書く。

評価の定まった古典ともいうべき作品を読む楽しみはもちろん大きいのだけれど、あまり知られていない作家の良さを発見し、次々と作品を読んでいくのもまた楽しいものだ。埴原一亟は、私にとってまさしくそのような作家で、何作か読み進むうちに、これはもっとたくさんの人に読んでもらいたい書き手だと思うようになった。

まったく同感である。

『埴原一亟 古本小説集』夏葉社

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by sumus2013 | 2017-08-28 21:54 | おすすめ本棚 | Comments(0)

そら豆の宝

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すでに報告したシャロンヌ教会の古本市での一冊、CHARLES NODIER『TRÉSOR DES FÈVES FLEUR DES POIS』(BIBLIOTHÈQUE BLANCHE, HACHETTE, 1925)。シャルル・ノディエ(1780-1844)の『そら豆の宝と豆の花』と題されたおとぎ話集。挿絵は Tony Johannot(1803-1852)。オリジナルは一八三三年に刊行されている。ノデェエはブザンソンの生れ。おもにパリで活動したが、図書館の司書や雑誌の編集などをしながら数多くの記事を執筆した。

一八三三年というのはノディエがアカデミー・フランセーズの会員に選ばれた年でもあり、波乱の多かった彼の人生のなかではもっとも平安な時期だった。一八三四年、ノディエはテシュネ書店(Le librairie Techenet)とともに『愛書家公報 Bulletin du bibliophile』を刊行し一八四三年にいたるまで定期的にそこへ寄稿した。その当時彼はアルスナル図書館に勤めていたため数多くの稀覯本や珍書に接する機会があったのでそれらが様々な主題について研究するための糧となっていた。

ということで、このおとぎ話も豆から生まれた小さな少年が子供のいない老夫婦に育てられ、旅に出ていろいろな出来事をのりこえながら成長し(文字通り)、「豆の花」という王女と結ばれる、という日本人ならあららと思うようなストーリーなのである。

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そら豆の宝を育てる老夫婦
「子供がほしいのお…」


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そら豆から生まれた宝物
「あれま、こんなところに男の子が!」


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そら豆エキスを街でお金に換えるため旅に出る、と……
いろいろな獣と出会う。


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豆の花の宮殿に泊まる。
そこには
美術ギャラリーもあれば
アンティーク・ギャラリーもあれば
昆虫、貝、鳥などの博物室もある。
(ノディエの趣味らしい)
そして

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なんといっても素晴らしい書斎(sa bibliothèque)があった。ドンキホーテ、ウドー夫人の著名な青色文庫(la Bibliothèque bleue 十七世紀の初めにフランスで出版された大衆向け読み物)、あらゆる種類のおとぎ話、銅版画の美しい挿絵が入っている、最良のロビンソンやガリヴァーを含む奇妙で面白い旅行書コレクション、素晴らしい年鑑類、農業や庭園について書かれた無数の論文……人間にとって必要なもの、読みたいと思うものが全て揃っていた。しかしそれ以外の不要不急の学者、哲学者、詩人のものは一切置かれていない。

ヴィクトール・ユゴー、アフルレッド・ド・ミュッセ、サント・ブーヴらもノディエの影響を蒙っているという、その文学観がこのくだりによく現れているように思われる。

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めでたし、めでたし


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by sumus2013 | 2017-08-26 21:33 | 巴里アンフェール | Comments(0)

新約全書 遠い声 

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うかつなことながら、古河力作が監獄で読んだ新約と同じ系統の『新約全書 詩篇附』を架蔵していた。本日、ある別の資料を捜していて本棚の隅で見つけたのである。上の写真のように掌に納まるサイズだ。そういえば、思い出した。表紙の革がもうボロボロ、手を触れれば指が茶色くなるくらい、だったのでニスを塗ってコーティングした。光沢はそのため。

大正三年(1914)一月八日発行。本書は大正五年四月(二千部)である(刷数は記載されていない)。発行者は《神奈川県横浜市山手町二百廿二番地/米国人/エッチ、ダブルユー、スワールツ》、発行所は米国聖書会社(神奈川県横浜市山下町五十三番地)。印刷所は福音印刷合資会社、印刷者は村岡平吉。

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水上勉が引用しているルカ伝第十九章と訳文を較べてみると、多少の文字の違いはあるが、ほぼ同じ文章だと思える。

また、もう一冊力作関連の書籍を恵投いただいたので紹介しておく。瀬戸内晴美『遠い声』(新潮社、一九七〇年三月五日、装幀=駒井哲郎)。管野須賀子(瀬戸内は「管野」で通している)を主人公とした「遠い声」と古河力作の監獄での心境を力作の語りで描いた「*付 いってまいります さようなら」。

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実名小説である。その分、よく調べて書いている。ただ、力作の語り出しのこういうところはどうなのだろう?

今日は明治四十四年一月二十四日だ。晴れ。寒気厳しけれど、二、三日前に比べてややしのぎよしというところか。独房の鉄窓からつくづく青空を仰ぐ。ここに入った当座は、毎日首が痛くなるほど見上げていた四角い小さな空だけれど、人間という動物は狎れるという恩寵だか劫罰だかしらないものを与えられているとみえて、いつのまにか、一度も空を仰がない日さえあったようだ。
 しかし、今日は、格別に空の青さが目にしみわたる。今年一月の元旦に、あの小さな空に、ふわっと凧があがってきた時の感動を思いだす。粗末な赤い凧は二本の紙の細い尻っぽをつけて、ふらふらと頼りない恰好で舞い上り、しばらく僕の鉄窓の枠の中で遊んでいた。

これはあり得ないだろう。水上勉は東京監獄の立地、仕様を次のように描いている。

明治三十九年発行の「風俗画報」の四谷牛込図を繙くと、この監獄は林の中の高台に位置しており、通りに接した方に、四つの寺院がある。

東京監獄の独房は、四監八監の二監房ありまして、一監は二十四室、したがって四十八室です。

みな独房であったから、本人には、連座した他の主義者が、同じ廊下つづきにいることなどわかっていたわけではない。一人ずつ収容され、一人ずつ個室で裸にされ、身体検査をうけた。個室には、水道、便器があるほかは、何もない板の間で、窓といっても、背のとどかない高いところに、二尺四方くらいの金網を張った穴ひとつ。二十六人の収容者に、二十六人の看守がつき、それらの看守は交代制だから、一人が二人をうけもつことになる。

監房の窓は天窓ではなく壁側にうがたれていたものと思われる。市ヶ谷の高台で凧など見えようはずもないし、もし見えるとすれば、それは監視する側にとって大問題ではなかろうか。瀬戸内がどこからこんなイメージを思いついたのか、ひょっとして誰かがそんな回想でも書いているのか、すぐには分らないにせよ、ここを読んだだけではなはだ興を削がれたことは白状しておこう。


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by sumus2013 | 2017-08-25 21:42 | 古書日録 | Comments(0)

珈琲文献

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珈琲文献を二点、相次いで頂戴した。御礼申し上げます。まず『珈琲の歴史 日本における珈琲文献』(喫茶萬里、一九七四年八月一日)。編集は「宝塚・清荒神駅前/喫茶萬里内/世界の珈琲を飲む会」。序文は横山純二。これは刊行された時期を考えるとかなり本格的な内容である。徳川時代以降の珈琲文献を引用で列挙した資料集。「はじめに」に文献の系統が分類されていて、それも参考になる。

一、仏蘭対訳『フランソワ・ハルマ』の辞書の流れをくむ、「江戸ハルマ」「ドゥハルマ」の系統。
二、同じく仏蘭対訳『ノエル・ショーメル』辞典から出た「紅毛本草」、「厚生新篇」の系統。
三、長崎蘭通詞等が、オランダ人からの見聞或は蘭書からの翻訳等の日本文献。
四、日本人漂流者の外国における見聞記。
五、幕末から明治へかけての遣外使節、留学生、旅行者の見聞記。
六、在留外国人の日記等

ただ、ここに引用されている文章をどこまで信用(誤植等も含め)できるか、少々こころもとない。出典について大雑把にしか記されていない、もしくは明記されていないというのも、残念なところである。テキストが何であるか正確に記してもらえれば、その引用についても信頼度が増すわけである。要するにこの編集では「孫引き」はできないということだ。参考程度にしかならないが、ただガイドとしてはかなり有益なものと思う。検索してみると「喫茶萬里」は現在も営業しているようである。

もう一冊は星田宏司『黎明期における 日本珈琲店史』(いなほ書房、二〇〇三年九月二〇日)。拙著『喫茶店の時代』では星田氏が『日本古書通信』七〇三号に執筆された「日本最初の珈琲店(可否茶館)ーーその記述をめぐる問題点」を引用させてもらっている。本書もその可否茶館の他、ダイヤモンド珈琲店、メイゾン鴻の巣、カフェー・ライオン、カフェー・プランタン、カフェー・パウリスタについて書かれている。よくまとまっているが、ただやはり引用出典がほとんど記載されておらず、とくにかなり詳しく叙述されている可否茶館の鄭永慶の伝についてはいったいどこからそういう話が出たのかまったく分らない。これは非常に残念である。

喫茶店やカフェについては二十一世紀に入って次々に重要な論考が発表され資料が発掘され研究が進んでいるようだ。要するにそういうテーマが大学での研究対象になる時代になったということである。ここに挙げた二冊のような(拙著もむろんそうだ)個人の趣味でアマチュアが集めた(そういう人たちしか興味をもたなかった)時代の文献はもう時代遅れになってしまったようだ。なお拙著では出典はすべて明記してある、掲載ページまで。

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by sumus2013 | 2017-08-23 21:19 | 喫茶店の時代 | Comments(0)

TEXNH MAKPA

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『テクネ・マクラ(芸術は永し)女子美術大学歴史資料室ニュースレター』一号(二〇一〇年六月一日)〜十号(二〇一六年一〇月一日)を頂戴した。女子美は明治三十三年(一九〇〇)に設立認可を受け三十四年に開校している。創立百十年を記念して創刊されたもの。ざっと目を通して女子美の歴史がよく分った。女子美術学校というのは現在でも世界に二校しかないのだそうだ。女子美の他にはアメリカで一八四八年に女性の職業訓練のために設立された Philadelphia School of Design for Women のみ。

第六号の表紙に「女子美術学校西洋画科授業風景 大正三年(1914)頃」という写真が出ていて興味深く眺めた。

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裸体モデルを使っている。これについてはかなり前に取り上げた。

茂りたる古書分くる日の靴そろへ

『婦人画報』に出ている写真を見て黒岩比佐子さんが《写真が鮮明ではないのでよく見えないが、どうもステテコ一丁になっているらしい》と書いたのを引用しているが、実際そんな写真も「写真にみる女子美の歩み」展ちらしに掲載されている。「西洋画科の授業風景 大正3年(1914) 本郷菊坂」。たしかにステテコ一丁である。

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毎号「女子美列伝」という女子美の関係者を取り上げる記事がある。第十号ではそこに亀高文子(かめたかふみこ)が登場している。彼女も女子美出身だった。文子についても以前紹介したことがある。


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文子の肖像写真も載っている。『特別展 神戸の美術家 亀高文子とその周辺』(神戸市立小磯記念美術館、二〇〇九年)より転載されたものだが、この展覧会を見逃してしまったのが残念でならない。

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by sumus2013 | 2017-08-22 21:10 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

ある日の続き

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吉上恭太さんのセカンドアルバム「ある日の続き」(Shinobuphon Record, 2017)聴かせてもらった。ファーストの「On Shinobazu Book Street」(Shinobuphon Record, 2013)も久し振りに取り出して聴き較べてみた。ファーストはファーストでもあり、また東北震災後間もないこともあったのか、やや大人しいと言うか、サウダージどっぷりというのか、渋いボサノヴァ、ブルーズのトーンだった。セカンドの方はベースは変らないものの、もっとずっと肩の力が抜けて洒脱でありながら演奏の楽しさが伝わってくるアルバムになっていると感じた。バックバンドがいい(「かもつせん」が好きです)。アルバム廻りのデザインも秀逸。付録の小冊子、鶯じろ吉『ある日の続き』も洒落ている。

吉上恭太 - ぼくが生きるに必要なもの

セカンドアルバム完成のお知らせ

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by sumus2013 | 2017-08-21 19:58 | おととこゑ | Comments(0)

三四郎

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夏目漱石『三四郎』(名著複刻漱石文学館、日本近代文学館、一九八二年六刷)読了。ずっと昔、文庫本で読んだ。青木堂という喫茶店が登場することは覚えていたが、それ以外はほとんど記憶の外であった。明治四十一年、東京朝日新聞と大阪朝日新聞に連載され、四十二年五月に春陽堂から単行本として刊行された。主人公である三四郎は熊本から上京し東京帝大に入ったばかり。時代設定は明瞭ではないが、憲法発布の時(明治二十二年)に森文部大臣が暗殺されたという広田先生の回顧談のなかに《それぢや、まだ赤ん坊の時分だ》とあるから三四郎は明治二十一年頃の生れと思っていいだろう。とすれば、ほぼ連載と同じ時代を描いていることになる。

広田先生の話にはこういう分析もある。

近頃の青年は我々時代の青年と違つて自我の意識が強過ぎて不可[いけ]ない。吾々の書生をして居る頃には、する事為す事一として他[ひと]を離れた事はなかつた。凡てが。君とか、親とか、國とか、社會とか、みんな他本位であつた。それを一口にいふと教育を受けるものが悉く偽善家であつた。其偽善家が社會の變化で、とうとう張り通せなくなつた結果、漸々[ぜんぜん]自己本位を思想行為の上に輸入すると、今度は我意識が非常に発展し過て仕舞つた。昔しの偽善家に對して、今は露悪家許りの状態にある。

ここを読んでいて『古河力作の生涯』に引用されている力作が獄中で書いた「僕」という文章を連想した。

僕は無政府主義者です。然し献身的のことは実際ようやらぬ。又主義にも囚はれても居ない。ドグマのために自由を束縛されるのはいやだ。僕は人智の進歩は近き将来に於て私有財産制度を廃滅して無政府共産制となす事を確信する。
 生活難、貧困、生存競争、弱肉強食等の存する社会よりも、自由、平等、博愛、相互扶助、万人安楽の社会を欲す。戦争なく、牢獄なく、永遠の平和、四海兄弟の実現を望む。僕の理想は個人の絶対自由と社会の幸福とことごとく一致せん事である。

力作の思想の大元には広田先生の言う自我の意識の強さあるに違いない(力作は三四郎より四つほど年上)。しかも個人本位を突き詰めて世界の完全平和を目指すというのだから驚かされる。そういう意味で広田先生の造語「露悪家」という響きは何とも皮肉に聞こえる。なぜなら力作の描くユートピアは国家基盤の脆弱な明治政府にとって「極悪」に違いないと思われるからである。それはこんな世界なのだ。

僕の理想社会は、先づ金銭の必要なき社会にして、空中飛行機によつて交通自在となり、世界の人種、言語、風俗、文明の程度ことごとく同一となり、地図の上に画したる国境と称する一仮定線は除かれて、世界一国となり一家族となり、何処に至るも帰宅するの必要なく、我家なく家庭なく、親子、兄弟、姉妹、叔姪等の関係分明ならず、他人の如くにして他人ならず、他人ならずして他人なり。而して思想、容貌の美醜、賢愚の差消滅し、心欲する所を行ふて、則を超えずと言ふ様なのだ。

この力作のユートピアに対して広田先生がどうコメントするのか想像してみるのも、ちょっと面白いが、上の発言のもう少し先で次のようなことを喋っている。

形式丈美事だつて面倒な許だから、みんな節約して木地丈で用を足してゐる。甚だ痛快である。天醜爛漫としてゐる。所が此爛漫が度を越すと、露悪家同志が御互に不便を感じて来る。其不便が段々高じて極端に達した時利他主義が又復活する。それが又形式に流れて腐敗すると又利己主義に帰参する。つまり際限はない。

広田先生の考えでは人間そう極端に振れたままでいることはできないらしい。

それにしても、力作の空想していた世界は今われわれを取り巻く世界にかなり似ているように思う。とくに、インターネット時代の仮想世界において力作のユートピアが実現されようとしているのではないだろうか? まあ、地上ではミサイルを射つとか射たないとか、明治時代とそう変らないパワーゲームが続いているわけではあるのだが……。

広田先生は森文部大臣が暗殺されたときに学生だった。二十年を経て《我意識が非常に発展し過て仕舞つた》若者たちが目立つ社会になっている。この唐突に登場するテロリズム(その葬式に並ばされたとき美しい少女を見たという話題である)と自意識過剰の組み合わせというのは漱石が「大逆事件」を予見したと考えてもいいくらい鋭い構想であったと思われる。

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by sumus2013 | 2017-08-20 21:53 | 古書日録 | Comments(0)

CUBISM

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『CUBISM』(James Goodman Gallery, 1989)。下鴨での一冊。ニューヨークのジェイムズ・グッドマン・ギャラリーは一九五八年に創業、アメリカでも最も有力な画廊のひとつのようだ。この冊子には、ル・フォーコニエ、グレーズ、クプカ、マルクーシス、メッツィンジャー、ヴァルミエ、ヴィヨンの作品図版が収められている。展覧は一九八九年二月一〇日から三月一一日まで開催された。すっきりした表紙デザインが秀逸。

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Mountaineers Attacked by Bears


この展覧会の目玉はアンリ・ル・フォーコニエ(Henri le Fauconnier)の「熊に襲われた登山家たち Mountaineers Attacked by Bears」(1910-12)。これは一九四八年に展示されたのを最後に行方不明になっていた作品だそうだ。ジェイムズ・ニール・ニューマンがカタログに書いている序文が興味深いのでかいつまんで紹介しておく。

二十世紀の初め、若きフランス人アンドレ・ルヴェル(André Level)がコレクターたちのグループを作った(アメリカ合衆国で)。月に一度、彼らは小さなレストランに集り、どんな絵を見たか、とかどれが興味深い作品だったか、などということを話し合った。そして資金を出し合ってプールし、これぞという作品が見つかると購入した。一九〇八年頃にはじまり第一次大戦前夜まで続いたそうだ。ちょうどキュビスムの発展期と重なる。彼らのグループは十八世紀新大陸におけるフランス人の心意気を見習って「熊の皮 Peau de L'Ours」と名付けられた。もっとも有名な購入品はピカソの「サルタンバンクの家族 Family of Saltimbanque」(現在はワシントンD.C.のナショナル・ギャラリー・オブ・アートが所蔵)である。

そして十年ほど前(一九八〇年頃ということか)、全米にちらばったコレクターたちのグループによって「熊の皮2」が結成されることになった。小振りな作品ばかりを収集していたのだが、四年前、運命の風によってル・フォーコニエの「熊に襲われた登山家たち」という大きな絵画を入手したのである。作品を購入したはいいものの、あまりにサイズが大き過ぎて、どのメンバーの居間にも飾れなかった。その話をメンバーの一人から聞いたジェイムズ・ニューマンは、その大作を目玉にマイナーなキュビストたちの作品と組み合わせて展覧会を構成することを思いついた、というのである。

なかなかいい話ではないかな。

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by sumus2013 | 2017-08-19 16:36 | 古書日録 | Comments(0)