林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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裸体人像

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田近憲三『ミケルアンジェローー裸体人像 システィナ礼拝堂天井壁画の部分』(日本美術出版株式会社、一九四五年一二月二〇日)。もう一冊、嘉門安雄『レムブラントの油絵』(日本美術出版株式会社、一九四六年四月二〇日)とともに某氏より頂戴した。深謝です。とくに『ミケルアンジェロ』は敗戦後間もない時期に発行されており、中綴じで図版十六頁・解説四頁という簡単な仕立て。発行人は大下正男だから図の原版はおそらく戦前に『みづゑ』などで使ったものではないだろうか(確認はしていないが、見たような気もする)。

システィナの天井壁画では物語を区切るために描かれた柱に裸体像が多数配されており、本書はそこから七人の青年の裸体を抜き出した構成である。いきなり裸まつりという感じだ。彼等は枠内に描かれた宗教的な主題には直接関係していないようだが(あるいは関係しているのかも知れないが)、よく見るとみなマッチョなイケメンである。単純にこういう青年たちがミケランジェロの好みだったのかもしれない。

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ミケランジェロは詩人でもあった。日本語にも翻訳されている。たまたまこれも頂戴した雑誌『心』の終刊号(平凡社、一九八一年八月一日)に若桑みどり氏が「ミケランジェロの四つのソネットーー「心」の終刊に献げる訳詩」を寄稿しているのでそこから二篇引用してみる。

II

おお夜よ、おお甘美なる時よ、
たとえ夜は暗くても、すべての仕事はそこに終る。
夜はまったき知性を持つもののすみか。

おまえはすべての疲れ果てた思いを断ち
影をしめらせ、やすらぎを約束する
そしてわたしが望む
あのより高いところへと、この汚れたる世から連れてゆく。夢の中で。

ああ、死の影よ、そこにすべての
悲惨は終る。そしてこの魂を
わが敵であるこの心を、最後の病める者たちを
やさしくねぎらってくれるのだ

おまえはわれらの罪ぶかい肉を浄め
涙を拭い、すべての疲れをいやしてくれる
そして善く生きたものから、すべての怒りと愁いとをとりのぞく


III

至高の芸術家はいかなる思想ももたない
ただ大理石のみが自からの中にそれをつつむ
そして知性にしたがう手が余計なものを
とりのぞこうと手をさしのべるのみ

気高く、聖なる女よ、あなたは
わたしが恐れる悪、わたしが望む善をともに
自らのうちにかくしている。わたしはもう生きていないから。わたしの技術は、私のねがう効果をあげることができない。

愛に罪はない、その美しさ
そのむごさ、その宝、その大いなる軽蔑
そしてまたわたしの運命についても
もしもあなたの心の中に死と慈悲とが
ともにあるとしても、わたしの低い才能は慈悲に
こがれつつも、死しかひき出すことはできないのだ。


若桑女史によればIIIの第二節の「女」は「イデア」かまたは「アルテ」であろうという。第三節では「彼」とも呼んでいるので女だとは思えないと。「愛」は通常男性として扱われるとも。……

小生、システィナは一九七六年に訪問した一度きりの印象しかない。今は修復されて派手派手になっているらしいが、当時は薄暗く荘重な感じだった。ミケランジェロの彫刻で印象に残るのはミラノのピエタであり、またボローニャで見た初期の作品も良かった。栴檀は双葉より芳し、まさにそんな感じだった。

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by sumus2013 | 2017-03-22 20:39 | 古書日録 | Comments(2)

ひょうご大古本市

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サンボーホール『ひょうご大古本市』の目録が届いた。表紙を開いて目に飛び込んでくるのがこちら!

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街の草さんの出品。レアな詩集ばかりまとまって、と思ったら噂に聞いていた杉山平一さんの旧蔵書である。ついに市場へ出たということか……。詩集はとにかく珍しい雑誌なんかタンとお持ちだったんじゃないのかなあ。

ちょうど同じ郵便で地方の詩人の方から「四月九日にはサンボーホールへ出かけます!」という便りが届いた。なるほど、そういうことだったのか、とこの目録を開いて納得したしだい。

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by sumus2013 | 2017-03-21 20:50 | 古書日録 | Comments(0)

麗日

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麦僊と印のある桜の枝の下絵。ちょうど一年ほど前に安価で入手したものだが、とりあえず土田麦僊作としておきたいと思う。

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この下絵と似た枝振りの白い花が描かれている本画はこちら「麗日」(昭和五年頃、『土田麦僊展』図録、一九九七年より)。

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花見のつづき。

『漱石研究年表』(集英社、一九八四年六月二〇日)をめくっていると、ロンドンでの花見の記述を見つけた。漱石自身はChesnut(栗の木)の花の咲く頃、花見に出かける人が多いことに驚いたということしか書いていないようだが(明治三十四年?五月)、その補注に次のような引用が添えられている。

「一寸断つておくが、栗の花見といふと、例の汚ない臭い長い花房を思ひ出すが、英吉利には、赤い栗の花があつて、之が何百何千本と列んだ青い鹿爪らしい栗の木の葉の間から見えるのは、一寸綺麗である。」(原文総振り仮名)(杉村楚人冠『大英遊記』)

杉村楚人冠がここで栗の木と言っているのは horse chesnut (すなわちマロニエ=セイヨウトチノキ、Aesculus属)ではなかろうか。赤い花と白い花があり、花房が上向きに咲く。日本の栗(シバグリ)はクリームかかった白い雄花が下向きに垂れる。chesnut のみなら日本の栗と同属(Castanea)で花も似通っている。どちらでもよろしい。イギリスにも花見はあった。

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by sumus2013 | 2017-03-21 20:40 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

詩集風来坊ふたたび

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詩集風来坊ふたたび
著者;岡崎武志
装幀/写真;林哲夫

二〇一七年三月二八日発行
発行所;古書善行堂 
定価;1000円+税

182×105mm

本文用紙;アラベール・ホワイト四六Y110kg
表紙;ハイマッキンレー マットポスト 菊111kg
カバー;ヴァンヌーボF-FSホワイト四六Y110kg


どうせ一人だもの 風来坊11
雨に濡れた地図 風来坊12
河口に近づく 風来坊13
黒いオートバイ 風来坊14
どこから来たのかと問いかけられた 風来坊15
腹が減ると見る夢は 風来坊16
尾の短い犬をともづれに 風来坊17
ベンチの上の堀辰雄 風来坊18
海に沈んだ仏 風来坊19
二つの山の六月 風来坊20
純白の天使 風来坊21
歩く人 風来坊22
海が見える窓 風来坊23
とにかく遠くまで 風来坊24
神が来る市(まち) 風来坊25
美しい町 風来坊26
「かつみかつみ」と尋ね歩きて 風来坊27
コスモス 風来坊28
猫またぎ 風来坊29



どうせ一人だもの 風来坊11

行き着くところまでの旅だと
自分に言い聞かせて歩き出したものの
果てない旅路に腰が痛むばかりだ

大きな木(ブナか?)の根っこに
ちょうど一人分 すっぽり腰が収まる場所があって
すっぽりと腰を落としている

地に生えた草や足下の石が
こうして視線を低くすることで
よく見えてくるのだ
こういうこと いつかもあったな

あれ、おれ、右から来たんだっけ?
それとも左……
へん! わかっているくせに
おどけてみたのだ

いいじゃないか
笑うなよ 木よ風よ石よ
そして友よ

いいじゃないか
どうせ 一人だもの

次の風が首筋をなでたら
それを合図に歩き出そう
まず起ちあがることだ
尻の砂を払って
どっこらしょと声に出してみるか

どうせ
誰も聞いちゃいないんだから
どうせ一人なんだから


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岡崎氏との連名サイン本、善行堂にて販売中。

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by sumus2013 | 2017-03-20 17:45 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

おばあさんのアルバム

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富士正晴作・うらたじゅん画『富士正晴資料整理報告書第22集 おばあさんのアルバム』(富士正晴記念館、二〇一七年二月二八日)が届いた。昨年は『初期絵画とペン画』でお世話になった。今年はうらたじゅんさんの絵に富士正晴の放送台本である。朝日放送の朗読番組「掌小説」ために書かれた。

昭和二十九年、東京で鶴見俊輔から聞いた話をもとにした小品だ。鶴見が昭和二十一年に信州で通訳を務めた白系ロシア人、とくにそのおばあさんが『ライフ』誌を切り抜いて失われた家族たちのアルバムを造り上げたという話に焦点が当てられている。彼女はロシアの公爵の娘であり、やがてポーランドの伯爵の夫人となったが、革命ですべてを失い日本へたどり着いたのだという……。贋のアルバムが本当のアルバムに老女のなかですりかわっていく。それは長篇小説にでもまとめられそうなテーマなのが、切抜きという点で興味をもったのは、書き出し、富士が自分の書斎を描写しているくだり。

《わたしはこの夏、ある哲学者にあった。そしてつぎのような話をきいたのだった。
 なんのこともなく聞きながしたその話が、田舎のさびしいわが家へ帰ってきてからの明け暮れ、どうかするとふと思いだされてならない。
 そのわが家の書斎の天井は、ひどくすきまが多く、塵のおちてくるのをふせぐために、アメリカの雑誌「ライフ」をバラバラにほどき、その紙をはりつけてある。「ライフ」は写真の多い雑誌だから、書斎の天井は、ウイスキーの広告写真や風景写真、またいわゆる「時の人」の写真、ニュース写真、そのようなものがいっぱいである。わたしは仕事につかれたとき、畳にころがって、その写真をぼんやりながめていることがあるのだ。》

富士記念館に再現されている書斎にはそんなコラージュはなかったように思うが……あったかな? それはそうとこのとき朝日放送には庄野潤三と阪田寛夫が勤めていたそうだ。阪田の同僚の鬼内仙次[きないせんじ]から求められて阪田が富士に依頼した作品だったという。


富士正晴記念館所蔵 初期絵画とペン画

『仮想VIKING50号記念祝賀講演会に於ける演説』



同人誌大好き!ーー「川崎彰彦、富士正晴」展
2017年3月30日〜7月26日
茨木市立中央図書館富士正晴記念館

《川崎彰彦、1949年、15歳、『ヴ・ナロード』創刊。2010年、『黄色い潜水艦』同人として没、享年76歳。
 富士正晴、1932年、18歳、『三人』創刊。1987年、『VIKING』同人として没、享年73歳。
 二人とも、十代で同人誌創刊、亡くなるまで同人誌活動を持続。二人にとって同人誌とは何だったのだろう。そんなことを思いながら今回の展示を構成してみました。》

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by sumus2013 | 2017-03-18 20:50 | おすすめ本棚 | Comments(0)

和ガラスの美を求めて

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MIHO MUSEUM で「和ガラスの美を求めてーー瓶泥舎コレクション」展を見た。信楽山中、春の気配はいまだしながら日差しは和らいでいた。風は少々冷たかった。

瓶泥舎は二〇一一年に開館した伊予松山の私設美術館。大藤範典[だいとうのりさと]氏が五十年にわたって蒐集してきた和ガラスを収蔵・展示するスペースである。そのコレクションを代表する逸品がミホに並べられている。

瓶泥舎 びいどろ・ぎやまん・ガラス美術館

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ガラスというのは世界中でさまざまに造型されてきたものだ。その国国によって時代時代によって技術も趣味もかなり極端に異なっているのが面白い。

ガラスと言えば、かつてヴェネチアのムラーノ島にあるガラス博物館(Museo del Vetro murano)を訪れたときのことは忘れられない(今、その博物館のサイトを見ると、四十年前からは想像できないほど小綺麗になっているのにビックリ! そのときは小生の他には誰も観覧者はいなかった、シーズンオフだったし、たまたまのことかもしれないけれど)。ガラスの素晴らしさを改めて感じたものだ。

今展の和ガラスもそれらとはまた別の意味で息をのむ美しさである。ほとんどが江戸時代に作られた作品だという。細かく述べる余裕はないが、江戸の工芸の奧深さ、趣味の多様性(ひねりにひねっている感じか)を思い知らされた。ガラスの加工技術そのものは、そう高いレベルではない、と言うのだが、細密・精巧に作るばかりが能ではない。多少厚ぼったくてもムラがあっても(だからこそ)曰く言い難い味わいをかもしているし、大方の器にはグー(趣味)の良さを感じる。今にも壊れそうな、スリルというか、はかなさが、またよろしい。

和ガラスの美を求めてーー瓶泥舎コレクション

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by sumus2013 | 2017-03-17 20:19 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

林園月令

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柳湾先生纂輯『林園月令』(万笈堂、天保二[一八三一]年序)の一。都合八冊あるらしいが、むろん均一で拾ったのはこの一冊のみ。

林園月令. [初編] / 館枢卿 纂輯 ; 伊沢信厚 参校

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詩を作る人のための袖珍(小型)アンソロジーである。巻一は春。昨日のつづきで花見はどうなのか、という話になるのだが、例えば『開元天宝遺事』(王仁裕が後唐の荘宗のとき長安にあって民間の故事を採集した書)から以下のような例文が引かれている。

《学士許慎選放曠不拘小節多與親友結宴于花圃中未嘗具帷幄設坐具使童僕輩聚落花鋪于坐下曰吾自有花裀何消坐具》

許慎は友人たちと花見に行って落花を集めさせて蒲団代わりにした。

《長安士女遊春野歩遇名花則設席藉草以紅裾逓相挿桂以為宴帷

長安の士女たちは春の野にピクニックに出てすばらしい花に出会うとそこで真赤なスカートで四方を囲み宴会の幕にする。

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要するに、桜の花とは限らないが、中国では古くから春になるとみんな酒や食べ物をもって野に出て、花や新緑を楽しみながらすごしたのである。もうひとつ例を引く。「江南春」の詩で知られる杜牧に「春日茶山、病不飲酒、因呈賓客」という五言律詩がある。『杜牧詩選』(岩波文庫、二〇〇四年)より。

 笙歌登畫船
 十日清明前
 山秀白雲膩
 渓光紅粉鮮
 欲開未開花
 半陰半晴天
 誰知病大守
 猶得作茶仙

大中五年(八五一)、茶山を仕事(製茶の監督)で訪れた杜牧は船の上で宴を張った。それが清明節の十日前……大中五年の清明節は二月二十八日(西暦四月七日)だというから、その十日前、日本ならちょうど花見頃になるだろう。しかしながら、どうやら杜牧は糖尿病だったらしく皆が酒を飲んでいるのに一人お茶で我慢している。花(桃の花か)は咲きそうでまだ咲いていない。

『陶庵夢憶』より「揚州の清明節」

清明節がどうやら日本流花見のルーツかもしれない。

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by sumus2013 | 2017-03-16 20:56 | 古書日録 | Comments(0)

覚えある

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今日は急に冷え込んだが、どうしたわけか近所のソメイヨシノがもう開き始めている。少し早いと思いつつも桜にちなんだ短冊をかかげる。

 覚えある山路や花に又ことし  霞丈

霞丈(でいいと思うのですが)は名古屋橦木町に住まった鈴木霞丈であろう。井上士朗のまわりに集ったグループの一人のようだ。(あくがれありく「47 山吹俳壇2」

ところで、昨秋、ツルニャンスキーのところでこのように報告した。

セルビアでは果樹の花というのは愛でるものではなかった。桜といえばさくらんぼであってそれは赤い実のイメージが第一に浮かぶ。これはロシアでも同じと沼野氏が後半の鼎談のときに補足しておられた。チェホフの「桜の園」はじつは「さくらんぼう畑」という訳の方が近いかもしれないと。

ヨーロッパやロシアには花見はないという見解である。ただし山崎佳代子さんが補足しておられたところによればセルビアに住むトルコ系の人々は花そのものを愛でる習慣をもつそうである。なるほどなあ、アジア的な価値観なのかなあとぼんやりと考えていたのだが、プルースト『失われた時を求めて5 第三篇「ゲルマントのほう I」』につぎのようにあるのを見つけて、おやおやと思った。

春がはじまっていたのにもかかわらず大通りの木々はまだほとんど芽吹いていないパリを離れて、環状線[サンチュール]の汽車がサン・ルーの愛人の住む郊外の村で私たちを下ろしたとき、どの小庭も白い大きな仮祭壇のような花盛りの果樹で一様に飾られているのを見て、思わず目を見張った。決まった時期になると、かなり遠方からでもわざわざ見物客がやって来る特別の、詩情豊かな、短期間の、自然が催す地域の祭りのひとつと言ってよかった。桜の花は白い鞘さながらにびっしりと枝に密着して咲いているので、遠くから見ると、ほとんど花も葉もつけていない木々の間にあって、日は差してもまだすこぶる寒いこの日、ほかでは融けてしまったのに低い桜の木の枝に残っている雪のように見えた。他方、大きな梨の木は、もっと広範囲にわたってまばゆいほどの白一色で家々やつましい庭を取り囲んでいたが、そのさまは、村のすべての家や地所が同じ日に、最初の聖体拝領をしている最中であるかのようだった。》(p353-354)。

梨の花と言えば、早春のイタリア、ボローニャを訪れたときに、梨の花がまるで日本の花霞のように見えたことを思い出す。桜よりもたしかに白いけれど景色としては花見にもってこいであった。

またゴッホが「花咲くアーモンドの木」だとか「モーヴの想い出」(桃の花)を描いていることも忘れてはならないだろう。浮世絵の影響ということもあったに違いないが(プルーストの頭にもそんなイメージがよぎったか)、十九世紀のヨーロッパ人も花見はしたのである。

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by sumus2013 | 2017-03-15 18:36 | 古書日録 | Comments(0)

田中啓介モダニズム作品全集

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田中啓介『造園学のリボンをつけた家――田中啓介モダニズム作品全集』(善渡爾宗衛 校訂、東都 我刊我書房、二〇一七年三月一三日、表紙・扉デザイン=夏目ふみ)が届く。表紙がマーメイドの黒というのは小生好みだが、田中啓介というのはどんな人だろうと開いてみるとこれがまたタルホそのまま、いやタルホよりいくぶんか甘ったるい、しかしなかなか見所のある小品ばかりで、ほほうと思った。

巻末に付された沼田とり氏の「田中啓介メモーーアタマのひびから入り込んだのは虹ではなく空虚だった」によればその経歴などはほとんど分っていないようだ。

《田中少年は、同じ中山手通りもずっと西寄りの弁護士の書生でシナ人のような滑らかな青白い肌を持って、カドのない丸い身体付きをしていた。ある夜、中山手通りに平行した北長狭通りの小さな喫茶店の文学的会合に彼は顔を出し、会が終わってもわれわれグループに随いてきたことから、とうとう準仲間になってしまった。》(稲垣足穂「カフェの開く途端に月が昇った」)

これは大正九年か十年のことだという。その後、昭和二年頃には上京しており、昭和六年から七年初めまでの間に江古田の東京市療養所において息を引き取った。田中の詩文集『モル氏の酒場』は足穂に預けられたままアパートに放置され焼失してしまったと回想されている。

どんな作品なのか、とりあえず短いパッセージを引用してみる。

《だが彼は、自由と耽美の南京小路にむかってくねくねハガネのように変色しながらいそいでいる。
 小路は暗々の快楽。
 豚屋で透麗なヂキタリスの夢を抱き鷄の足一本五銭は安いもんだ。
 こゝでは青物屋のヂストマも小便する。
 高い赤いペンキの広告塔の地下室は、酒場とダンスホール。
 彼はそこで、五尺五寸のあらあらしい支那娘のダンサアに飛びついて、リラリラリラと月の破片の白い毒をあおり、製鉄場のものくるおしいヂャズバンドのでたらめなリズムに沈んで行く。
 交錯した足と足と足のあいだに発生したゴムマリのようにこわれかかったコルセットの空間。
 電気マッチの抱擁がが[ママ]すむと、だまって支那娘のひだにしなだれかゝり、彼女の心臓にリトマス液を注いで飛び出した。》(「かなしきドン・ヂュアン」より、初出『文芸耽美』一九二七年一二月)

喫茶店の登場している作品からも少々。

《その頃、習慣のように、おそい昼をすませてから、あてもなく、そのくせむやみに待遠しい夜になるまでの退屈な時間を、草色のフランス製の香水瓶にドアをつけたとしか思われない喫茶店ローンの可愛らしいサロンで、やけにバットの煙をふかしながらすごしました。
 その日も、サロンの中に泡だったかん高い季節の匂いを感じながら、椅子を窓ぎわにもち出してむやみに退屈していたのです。
 窓の外は、くしゃくしゃにおしつまった雑然たる屋根がキュビイズムの画面になり、高い青空をひきさいたビイルヂングの窓にはマグネシュウムの光沢が煌き、白い街路にレールがひきずり出された腸のように乱れ、電車は白い夏服の坊ちゃんのオモチャになってしまうし、波止場あたりに眼を転じると、赤や黒の腹ばかりしかみえない碇泊船のマストは鉛筆だし、おしつまって幕のように黒いマストと煙突の間に色紙の赤青白などの万国旗がひるがえり、ランチにひきさかれた波頭は、ウラボウ、ウラボウと白く光っているのです。》

《退屈にねばりついた侘しさをプレイン・ソーダに沈ませた赤いチェリイの実とつぶしているとーー》

《それが、ある日いつになく、頭の上の緑色のセイドのついた電燈のつゝましい光が、ながれるまでしゃべり込んでいたのです。
 私は街に灯がついたのをみると、いつものように立ちあがって、自慢のフランスの飛行将校の使っていたと云う皮チョッキ姿でカウンタアにぼんやり頬杖をついているそこのマネヂャアにほゝえみかけながら、口をすべらせて、こう云ったのです。
 ーーさあこれからコーモリの活動が始まるんだ。》(「彼等と私たちーー彼等は虚を把もうとしているーー」より、初出『文芸耽美』一九二七年七月)

………。

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夭折の少年ダダイストの作品集成 (かなり危険な日記帳。)


田中啓介について参考になるテキストはないかなと思って検索していると、下記の論文を見つけた。稲垣足穂の登場とその文壇的な影響について手際良くまとめられている。

「稲垣足穂の〈文壇〉時代ーー〈登記〉と〈オリジナリティ〉」高橋孝次

ここから田中啓介に関係すると思われる部分だけを引き写してみる。

《例えば足穂も執筆した玉村善之助の雑誌「GGPG」には石野重道、平岩混児、近藤正治、高木春夫、田中啓介ら、足穂の神戸人脈の人々がこぞって参加し、同時期のライバル誌でもある村山知義の前衛雑誌「マヴォ」は、同誌について「結局、イナガキタルホをボール紙製の試験官で化学的色揚げをやつただけのことさ。一種の新感覚派さ」と「ギムゲム達」を十把一絡げにして「さあ、早くお月様とシルクハットの結婚式へ行き給へ。急がないと遅刻するよ」と締めくくっている。これは、「GGPG」の執筆者をタルホのエピゴーネンとして、くさしているのである。》

《石野は「GGPG」や「文芸耽美」、「薔薇・魔術・学説」などにも作品を発表しており、タルホ式の活動写真的スラップスティックは薄く、より審美的な色合いが濃いが、神戸的でエキゾティックな世界を分かち持っていた。》

《石野、猪原[猪原一郎]以外にも、高木春夫や近藤正治、田中啓介といった「GGPG」周辺の人々による、足穂とよく似たエキゾティックな神戸の雰囲気と「月星ガス体式材料」を用いた作品が現れること、つまり、足穂の発明による「技術」(=類型)によって模倣可能とみなされることは、極端に消費され、「新しさ」の価値も低下するばかりであることを意味していた。》

《青木重雄は『青春と冒険 神戸の生んだモダニストたち』(昭和三十四年四月、中外書房)で当時[大正末頃]の足穂の人気を振り返り、「稲垣はすでに中央でも新人中の新人として認められていたから、彼の廻りにはタルホ熱にうなされた文学青少年が数多く集ってきていた。また、彼の刺激を受けた亜流文学作品が、前に述べたいろいろな同人文学誌にも無数に掲載されていた。まったく当時、イナガキ・タルホの名は神戸文学の代名詞だった」と述べている。》

そのマヴォと「GGPG」の違いについて北園克衛はこういうふうに書いている。

《私たちは「ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム」」という文芸雑誌を発行した。すでに私たち未来派、表現派、立体派については精通していたし、構成派やダダ、についても知っていた。高橋新吉らのダダはどうも汚くて面白くなかった。村山知義をリイダアとする意識的構成主義はその頃のジャーナリズムをよろこばせた。三科の造形運動は、ダダと構成主義の狂暴な突風となって強烈なスキャンダルを矢つぎばやに生みだした。かれらは、地震のために到るところに捨てられた鉄骨や廃品で、芸術のスキャンダルをつくったが、そこは政治、経済、社会に対する鋭い抵抗が諷刺が露骨にあらわれていた。この三科の一群のなかからMAVOという雑誌が創刊された。しかしその詩作品はまだ文学運動以前のものといってよかった。私たちは、MAVOとは全くちがった角度で詩を考えはじめていた。何よりも先ずその態度が知的で自由であることだ。私たちはそれをロシア語やフランス語やイギリス語でなく、ドイツ語でインテリギブレ・フライトハイトと呼んでいた。》(北園克衛「昭和史の前衛運動」昭和三十二(一九五七)年三月)

土壌は同じでも咲く花はそれぞれ。「さまざまな意匠」というのか、いや「蓼食う虫も好き好き」という方がいいかも……。この引用は野川隆の評伝サイトからいただいたのだが、このサイトの情熱にも驚かされる。

變電叢書刊行準備【野川隆評伝:前期】Gの震動—1901〜1927  第三章 疾走期【関東大震災と「Gの發音の震動數と波形」たる『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』・橋本健吉・稲垣足穂・暴れる玉村善之助】


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by sumus2013 | 2017-03-14 17:53 | おすすめ本棚 | Comments(0)

あゝ無情

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ヴィクトル・ユーゴー『Les Misérables TOME1』(LIBRAIRIE GENERALE FRANÇAISE, 2009)、なんと982頁という厚さ。一年かかってしまったが、なんとか全頁をめくり終えた。読むには読んだが、単語をていねいに調べて理解したわけではないので、まあ、めくったという程度である。もちろん粗筋は子供のころからなじんでいるし、映画やドラマも見た記憶がある。原作も新潮文庫(佐藤朔訳、全五巻)を読了している。ただし三十年近く前なので改めて読み直すとほとんど断片的にしか覚えていなかったことが分った。水汲みのシーンだけはくっきりと記憶にあったのが不思議なくらい。

フランス語そのものはそう難しくはないが、とにかく饒舌文なのでむやみやたらに知らない単語が目の前を通り過ぎて行く。非常に念入りな(ようするに退屈な)描写もえんえんと続く。とくにナポレオンの戦い方などはやたらに詳しく叙述されている。そうでなければ、この四分の一くらいの分量でまとめられると思う。プロローグから神父の燭台を盗んで許されるまでがまた長い。神父の人格の説明というか前置きがこんなに長いとは邦訳で読んでいるはずなのに想像すらしていなかった。それでも読ませる。筆の力はさすが。

パリに隠れ住んでからもうまく山場をつくっている。ジャヴェールに追跡されるくだりもスリル満点。銃撃戦などがなくてもこんなに面白く書けるのだ。ジャン・ヴァルジャンが棺桶にもぐりこみヴォージラル墓地に埋葬され、マリウスがコゼットに出会うのがリュクサンブール公園ということで『Les Misérables』はパリの小説とも言える。で、千頁近く読んでやっとマリウスの前からコゼットとヴァルジャンが煙のように消えてしまうところまでたどりついた。まだまだ道のりは長い。とはいうものの第一巻のみ百円で入手したため、第二巻(TOME2)はまだ手に入れていないのである。さて、続きは読めるのだろうか。

フランス語で読んでいる間に子供向けの日本語版を二冊求めた。森田思軒『哀史』そして黒岩涙香の『噫無情』(『萬朝報』明治三十五〜三十六年連載、単行本は扶桑堂から三十九年に前後篇二冊刊)をはじめとして数多くの邦訳が出ているので蒐集アイテムとしてはかなり魅力のあるタイトルだろう。小生が求めたその一冊は

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ヴイクトル・ユーゴー『あゝ無情』(諸星洪 編、玉川出版部、一九四八年三月五日)。この本は一九七七年に『レ・ミゼラブル あゝ無情』(玉川こども図書館)として再刊されているようだ。ユーゴーの肖像口絵、他に「天使にかこまれるユーゴー」というカラー図版も巻頭に配されるなど時代を考えるとなかなかの豪華版。本文にも挿絵が随所にある(作者不明)。

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もう一冊はこちら

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ユーゴー原作・山田継雄著『新月少年世界文学 ジャン・ヴァルジャン物語』(新月社、一九四九年八月五日、装幀・挿絵=黒木実)。水汲みシーンが表紙になっている。山田継雄著とあるように翻案である

ついでにどんな訳本があるのか国会図書館で検索してみると、気になる著者名をいくつか見つけた。吉田絃二郎『ああ無情』(光洋社、一九五一年)だとか富沢有為男『あゝ無情』(少年少女新選世界名作選集、一九五八年)だとか伊藤佐喜雄『児童世界文学全集 あヽ無情』(偕成社、一九六〇年)である。プルーストの井上究一郎も『レ・ミゼラブル』(河出書房新社、グリーン版世界文学全集)を訳していた。フランス文学のドル箱(フラン箱?)だったようである。

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by sumus2013 | 2017-03-13 21:19 | 古書日録 | Comments(0)