林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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古本道入門

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岡崎武志『古本道入門』(中公文庫、二〇一七年二月二五日、カバー画=森英二郎)と『sumus』別冊まるごと中公文庫(二〇〇三年六月一〇日、写真は裏表紙の内澤旬子さんによる似顔絵入イラスト)。文庫小僧こと岡崎武志、中公文庫のラインアップにも入ったということで、これもまた慶賀なり。以下「あとがき」より抜粋。

《この文庫版『古本道入門』は、私にとって現時点における持てる力を全て投入したつもりである。その点については、いささか自信がある。これ以上、もう「古本」や「古本屋」について、言うことは何もない。手持ちの札は使い尽くした感じだ。》

《今年、三月二十八日で、私は六十歳。還暦を迎える。どうにかここまで、よくぞ「書く仕事」でやって来られたものだと感慨がある。中公文庫は、日本文学が肌色の背で統一された時代から、ずっと憧れの文庫。仲間と作っていた雑誌『sumus』で中公文庫特集を組んだこともある。この号はよく売れて完売した。
 そんな仰ぎ見る叢書のラインナップに加えていただいたことは、もの書き稼業の途上で、多大なる誇りである。以後の励みとしたい。席を設けてくれたのは藤平歩さん。》

《なお、文庫版カバーの版画を、森英二郎さんが引き受けてくださった。これは望外の喜びであった。大阪人の私にとって、森さんの名前は、伝説の情報誌『プレイガイドジャーナル』時代から親しみを持ち、愛聴する西岡恭蔵のLP「街行き村行き」ジャケットも森さんだったし、敬愛する川本三郎さんの著作も多く森さんの手による等々と、尽きせぬ一方的な思いがある。
 そんなわけで中公文庫版『古本道入門』は、還暦を迎えるにあたって、記念すべき一冊となった。

『古本道入門』(中公新書ラクレ、二〇一一年一二月一〇日)

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by sumus2013 | 2017-02-19 20:35 | おすすめ本棚 | Comments(2)

彷書月刊1986

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1985年12月25日発行
第2巻第1号(通巻第4号)

特集/地図

世界図の発達 織田武雄
古地図醸造法 堀淳一
魔界古地図  師橋辰夫
「一枚の地図」から 井出孫六
道の興亡   布川欣一

〈連載〉
雑糅回想 木村威夫
古書展は私の大学 松本克平
『探偵文芸』総目次(1)
明治マルクス文献年表(4)

〈古書店から〉
つぶやき・1 志田三郎
忘れえぬ客  古川実

〈掘出本〉
山岳書収穫 照井康夫

うらみ・つらみ
探求書
古書即売会情報

題字 北川太一
カット 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・秋山令子
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 上毛印刷株式会社

全国古書店目録
八文字屋書店/萬葉堂書店/万世書房/近代書房/あべの古書店/永楽屋/鯨書房/日之出書房/昭和堂書店/長山書店/あき書房/タンポポ書店/山田書店/雄朋堂/天野屋書店/昔の館/伸文堂書店/高橋書店/青猫書房/北上書房/古書肆なないろ文庫




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1986年1月25日発行
第2巻第2号(通巻第5号)

特集/奧宮健之

奧宮健之の滑稽と悲惨 中島丈博
奧宮健之の妻・吉田さが 絲屋寿雄
名古屋事件と奧宮健之 長谷川昇
尾崎士郎の自画像 都築久義
奧宮健之と幸徳秋水 山泉進
『共和原理』の原著者について 阿部恒久
身辺の奧宮健之資料 大野みち代

〈連載〉
荘八師記 木村威夫
古書展は私の大学 松本克平
『探偵文芸』総目次(2)
明治マルクス文献年表(5)

〈掘出本〉
『女五人』を囲う 清水卯之助

〈古書店から〉
高橋鉄先生の肌 斎藤夜居
つぶやき・2  志多三郎

探求書・復刊紹介
古書即売会情報

題字 北川太一
カット 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・秋山令子
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 上毛印刷株式会社

全国古書店目録
北海堂/萬葉堂書店/文求堂書店/利根川古書専門店/近代書房/するが書房/三光堂/空閑文庫/宇野書店/やまだ書店/長山書店/古本あじさい屋/南海堂/若松書房通販部/吉田書店/横山書店/舒文堂河島書店/街書房/木本書店/きさらぎ文庫/正林堂書店




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1986年2月25日発行
第2巻第3号(通巻第6号)

特集/夢野久作歿後五十年

ジャーナリストと作家の間 淋しい笑いまで 松田修
あたしと夢野久作 緑魔子
犬神博士 逆照射のメッセーヂ 永末十四雄
風吹き渡る久作の掌で 山川三太
ひとりの街 夢野久作試論 北野真弓
紅赤と黒と白 中村宏
『東京人の堕落時代』のことども 成田龍一
昭和を夢の久作 西原和海

〈連載〉
『探偵文芸』総目次(3)
春琴開眼 木村威夫
古書展は私の大学 平沢計一『創作労働問題』 松本克平
明治マルクス文献年表(6)

〈掘出本〉
山本實彦『人を見よ 山を見よ』 福田久賀男

〈古書店から〉
夢野久作登場 田村治芳
つぶやき・3 志多三郎

古書即売会情報

題字 北川太一
カット 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・秋山令子
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 上毛印刷株式会社

全国古書店目録
並樹書店/萬葉堂書店/成匠堂書店/近代書房/文高堂書店/永楽屋/古書肆彦書房/山口書店/一博堂書店/文藝舎/かねこ書房/古本あじさい屋/地行書店/葦書房/古雅書店/デラシネ書房/沖縄古書センター ロマン書房本店/森井書店/草木堂書店/古書長谷川書店/松林堂書店


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1986年3月25日発行
第2巻第4号(通巻第7号)

特集/古本屋体験 

宮澤賢治との早いめぐりあい、その他
 二銭均一の古本、『形田藤太蔵書目録』のことなど 小田切秀雄
売れなかった『〓[サンズイに墨]東綺譚』 山田洋次
コッペパンと古本   朴慶植
私の古本屋初体験   山中恒
寒風         中沢けい
ハザマに揺れる    上田友治
本に個性を与える商売 橋口侯之介
古書漁りの楽しみ   小川孝太郎
祖父の旧蔵本     仲代文人
古本屋で拾った話   久松健一
神保町の想い出    伊吹映堂

〈連載〉
懐旧雑談 木村威夫
古書展は私の大学 台本『労力資力』 松本克平

〈新資料紹介〉
「狄嶺文庫」発掘(1)堺利彦・山川均の書簡 岡崎一

〈書架より〉
アララギ叢書(1)引佐細江
ポッジョとアレティーノ イタリアの二大奇書管見 谷口勇

〈掘出本〉
講談社『世界名作全集』 さやまさちこ

〈古書店から〉
わがこころの三人の師 杉浦臺紀
古本屋登場 田村治芳

〈うらみ・つらみ〉
四年の差額 九郎
熱っぽい未来論 M

『渡辺一夫小径』 鈴木勝

一人一冊探求書
古書即売会情報
編集後記

題字 北川太一
カット 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・秋山令子
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 上毛印刷株式会社

全国古書店目録
豊文堂書店/萬葉堂書店/コスモス書房/栄豊堂書店古書部/近代書房/小林書店/鯨書房/間島一雄書店/西田書店/古書籍店蝸牛/古本あじさい屋/タンポポ書店/学生書房/すかぶら堂書店/田中書店/塩山書店/大塚書店/山猫屋/横山書店/ビブリオテーク88/長山書店


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1986年4月25日発行
第2巻第5号(通巻第8号)

特集/『学問のすゝめ』

『学問のすゝめ』を読む 内山秀夫
『学問のすゝめ』 日本科学・学問史上の位置づけ 中山茂
『学問のすゝめ』と『京都学校記』 名倉英三郎
ポスト福沢世代の青年達 岡利郎
戦中派体験と『学問のすゝめ』 石坂巖
『学問のすゝめ』初編の初版本 丸山信
中津と福沢諭吉 嶋通夫

〈掘出本〉
『俳諧六指』の芭蕉記事 加藤定彦

〈連載〉
商票古影 木村威夫
古書展は私の大学 『労働世界』 松本克平

〈資料〉
『婦人文芸』総目次(1)

〈新資料紹介〉
「狄嶺文庫」発掘(2)堺利彦・大杉栄の書簡 岡崎一

〈古書店から〉
店なし 小泉耕治
玉露と英王堂 杉浦臺紀

古書即売会情報
編集後記 内山秀夫

題字 北川太一
表紙レイアウト/カット 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・秋山令子
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 上毛印刷株式会社

全国古書店目録
サッポロ堂書店/萬葉堂書店/万世書房/昔の館/近代書房/あべの古書店/三松堂/永楽屋/紙屋書肆/白亜館/清泉堂倉地書店/椿書房/平松書店/かねこ書房/信栄堂書店/リブロ書房/リブレール美古多/天野屋書店/大学堂書店/伸文堂書店/早稲田古書店街連合目録


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1986年5月25日発行
第2巻第6号(通巻第9号)

特集 キッチューー巷の芸術

はみ出した美ーーキッチュ 池田龍雄
「新人類」の幼児性    鈴木志郎康
キッチュからガジェットへ 上野昂志
革燐同のこと、ヘリコプター派のこと 松田哲夫
石子順造とキッチュ    今泉省彦
キッチュを売る店 アメノスタンプコイン社・野本孝清氏に聞く

〈紹介〉
『わが本籍は映画館』木村威夫
『小倉金之助その思想』岡部進
『古本屋春秋』志多三郎

〈掘出本〉
『日光湯本 温泉志』 大森澄雄

〈連載〉
隣国資料 木村威夫
古書展は私の大学 『黒潮』ビラ 松本克平

〈資料〉
『婦人文芸』総目次(2)大和田茂編

〈新資料紹介〉
「狄嶺文庫」発掘(3)岩佐作太郎の書簡 岡崎一

一人一冊探求書

〈古書店から〉
短信 山口省三
明治は遠くなりにけり 杉浦臺紀

古書即売会情報
編集後記 内山秀夫

題字 北川太一
表紙レイアウト/カット 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・秋山令子
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 上毛印刷株式会社

全国古書店目録
えぞ文庫/文求堂書店/近代書房/するが書房/岡本書店/松雲堂書店/鯨書房/三光堂/間島一雄書店/古雅書店/赤木書店/古本あじさい屋/大橋文庫/舒文堂河島書店/草木堂書店/早稲田古書店街連合目録(2)/古書肆なないろ文庫/日之出書房/長山書店/山猫屋/點燈夫


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1986年6月25日発行
第2巻第7号(通巻第10号)

特集 日中戦争五十周年

日中戦争の歴史的背景 依田憙家
中国人民は抗日戦争から何をえたか 兪辛焞
いくつかの研究問題を提起しよう
 蘆溝橋事変の研究の推進     呉傑
十五年戦争の序曲  石堂清倫
「満蒙開拓」の背景 井出孫六
日中戦争と少国民  山中恒

〈連載〉
美粧結髪 木村威夫
古書展は私の大学 『ローシー氏、オペラ・コミック』ビラ 松本克平

〈掘出本〉
『游牧記趣向書』 仲代文人

一人一冊探求書

〈資料〉
『婦人文芸』総目次(3)大和田茂編

〈紹介〉
『歌集 暇な時に』昆豊

〈新資料紹介〉
「狄嶺文庫」発掘(4)吉川守圀・小田頼造の書簡 岡崎一

〈古書店から〉
旧満州のふるほんや 佐野広
古本至難 横田盛夫

古書即売会情報
編集後記 田 よ

題字 北川太一
表紙レイアウト/カット 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・秋山令子
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 上毛印刷株式会社

全国古書店目録
古本亭/志鳳堂書店/成匠堂書店/近代書房/明文堂書店/永楽屋/文高堂書店/日之出書房/原本堂/ロードス書房/一博堂書店/アカデミイ書店/かねこ書房/古本あじさい屋/すかぶら堂書店/田中書店/デラシネ書房/文華堂書店/ビブリオテーク88/アルカディア書房/早稲田古書店街連合目録(3)


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1986年7月25日発行
第2巻第8号(通巻第11号)

特集 鎌倉文庫

鎌倉文庫の足跡 巖谷大四
「脱出」を書いたころ 駒田信二
『人間』編集長として 木村徳三氏にきく
婦人文庫の周囲 沢庸子

〈資料〉
『文芸往来』総目次(1)

一人一冊探求書

〈掘出本〉
『詞海余瀝』 大屋幸世

〈連載〉
驟雨拝受 木村威夫
古書展は私の大学 『日本一』 松本克平

〈新資料紹介〉
「狄嶺文庫」発掘(5)小田頼造の書簡 岡崎一

〈古書店から〉
内山老板のこと 宇坪伊次雄
優雅党 横田盛夫

古書即売会情報
編集後記 麻生

題字 北川太一
表紙レイアウト/カット 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・高川ナギサ・松下圭子
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 上毛印刷株式会社

全国古書店目録
夢書房/北海堂/コスモス書房/鯨書房/三進堂書店/やまだ書店/街の草/長山書店/文藝舎/山田書店/古書ふえろう書房/塩山書店/緑林堂書店/栄豊堂書店古書部/近代書房/山猫屋/街書房/點燈夫/松林堂書店/七月堂書林/早稲田古書店街連合目録(4)


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1986年8月25日発行
第2巻第9号(通巻第12号)

特集 日本のシュルレアリスム

日本のシュルレアリスムと瀧口修造 鶴岡善久
日本のシュルレアリスム 稲垣足穂をめぐって 中野嘉一
北園克衛のブックデザイン それでも彼は詩人だった 諏訪優
シュルレアリスム絵画をコトバにした場合 白石かずこ
蝙蝠傘の失跡 ジョン・ソルト
美術のシュルレアリスム 五つの問題点 針生一郎

〈連載〉
先考追想 木村威夫
古書展は私の大学 『印刷された村山知義と久保栄の手記』 松本克平

〈資料〉
『文芸往来』総目次(2)岡野幸江

〈新資料紹介〉
「狄嶺文庫」発掘(6)石川三四郎・加藤一夫の書簡 岡崎一

〈掘出本〉
『河上肇博士と宗教』 柏木隆法

〈古書店から〉
B・R ザ・ブック・リバイバル 横田盛夫

古書即売会情報
編集後記 内 田

題字 北川太一
表紙 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・高川ナギサ・松下圭子
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 上毛印刷株式会社

全国古書店目録
道書店/青倫堂書店/成匠堂書店/西田書店/あべの古書店/真理書房/こもれび書房/永楽屋/原本堂/古書籍店蝸牛/長山書店/椿書房/赤木書店/若松書房通販部/雄朋堂/田中書店/天野屋書店/近代書房/古書長谷川書店/青猫書房/早稲田古書店街連合目録(5)

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通巻12号に挟み込みまれている挨拶状



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1986年9月25日発行
第2巻第10号(通巻第13号)

特集 中野重治

中野重治の『WE SHALL OVERCOME SOMEDAY』 小田切秀雄
五十すぎた私自身よ 澤地久枝
電話のはなし 石堂清倫
〈対談〉「あの頃」 原泉 松本克平
希望とヒロイズム 中野重治の詩を読んで 鈴木志郎康
中野重治の詩と音楽 林光
内方新之丞"遺稿集"への夢 「死んだ一人」をめぐって 杉野要吉
細部への目 「大道の人びと」について 西杉夫
退くことのない意志のあらわれ
 「わたしは嘆かずにはいられない」 藤森節子
若きの中野鈴子 大牧冨士夫

〈連載〉
彷書漫筆 木村威夫
古書展は私の大学 シンクレア『二階の男』 松本克平

〈古書店から〉
古書肆革命 河島一夫
本玩寺 横田盛夫

〈書架より〉
丹いね子『男読むべからず』 大和田茂

〈掘出本〉
清水三男の一冊 西原和海

一人一冊探求書
古書即売会情報
編集後記 横手一彦

題字 北川太一
表紙レイアウト 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・高川ナギサ・松下圭子
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 松澤印刷株式会社

全国古書店目録
サッポロ堂書店/帯広春陽堂書店/コスモス書房/するが書房/鯨書房/神無月書店/赤井文庫/京都書院美術古書サロン/狩野書店/長山書店/かねこ書店/大学堂書店/古本あじさい屋/古雅書店/舒文堂河島書店/古書長谷川書店/ギャラリー雲/近代書房/ビブリオテーク88/山猫屋/早稲田古書店街連合目録(6)/山口書店/渥美書房/東城書店/自游書院


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1986年10月25日発行
第2巻第11号(通巻第14号)

特集 明治の地方官

地方の時代と明治の地方官 御厨貴
明治地方経営と内海忠勝 笠原英彦
三島式の可能性 井上章一
良二千石関口隆吉 村瀬信一
辣腕の行政官僚・岩村通俊 松尾正人
琉球処分官松田道之のひと陰 我部政男
籠手田安定の統治観 坂本一登
〈資料〉明治の地方官リスト 栗田直樹編

『閑居漫筆』岡茂雄著

〈連載〉
慈恵合掌 木村威夫
近代文学閑談 坪内逍遥の『小説三派』 西田勝

〈書架より〉
藤井樹郎の童謡集『喇叭と枇杷』 宇野光雄

〈古書店から〉
「隙間産業」と「ハイエナ産業」の共時的考察 柴田勝紀
沖縄から 武石和美

〈新資料紹介〉
「狄嶺文庫」発掘(7)加藤一夫・長谷川如是閑の書簡 岡崎一

〈掘出本〉
ニコニコ写真画報 松田哲夫

一人一冊探求書
古書即売会情報
編集後記 御厨貴

題字 北川太一
表紙レイアウト 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・高川ナギサ・松下圭子
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 松澤印刷株式会社

全国古書店目録
五稜郭浪月堂/古本亭/明文堂書店/文求堂書店/真理書房/永楽屋/三松堂/文高堂書店/間島一雄書店/紫陽書院/清泉堂倉地書店/平松書店/あき書房/雄朋堂/すかぶら堂書店/デラシネ書房/緑林堂/近代書房/七月堂書林/山猫屋/なないろ文庫/石神井書林/アルカディア書房/ビブリオテーク88


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1986年11月25日発行
第2巻第12号(通巻第15号)

特集 かぶく

かぶくということ 郡司正勝
非体制の精神 神保五彌
男伊達・六法者 松島榮一
「かぶく」の終焉 小笠原恭子
寛永期の芝居小屋 服部幸雄
寛永の出版事情 宗政五十緒
後水尾院の宮廷サロン 立川洋

〈掘出本〉
同士討ち 山口静一

〈連載〉
親鸞合掌 木村威夫
近代文学閑談 二葉亭四迷の『小説総論』 西田勝

〈新資料紹介〉
「狄嶺文庫」発掘(8)長谷川如是閑・柏木義円の書簡 岡崎一

〈書架より〉
有賀連の童謡集『風と林檎』 宇野光雄
四神私考 動植物専門店のつぶやき 浅尾宏

〈古書店から〉
M・エンデの恩返し 柴田勝紀
資本主義下の古本屋 田村治芳

一人一冊探求書
古書即売会情報
編集後記 A

題字 北川太一
表紙レイアウト/カット 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・高川ナギサ
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 松澤印刷株式会社

全国古書店目録
八文字屋書店/万世書房/秀峰堂/岡本書店/栄豊堂書店古書部/斜陽館/三光堂/児島書店/かねこ書房/古本あじさい屋/田中書店/リブロ書房/すかぶら堂書店/塩山書店/あすなろ文庫/近代書房/ビブリオテーク88/街書房/点燈夫/一博堂書店/七月堂書林/大塚書店/文学堂書店/松林堂書店/古書現世

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by sumus2013 | 2017-02-19 20:03 | 彷書月刊総目次 | Comments(0)

驕子綺唱

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平井功『爐邊子随筆抄』(書肆盛林堂、二〇一四年一〇月二六日、表紙デザイン=小山力也)にひきつづいて『詩集 驕子綺唱』(書肆盛林堂、二〇一七年二月一九日、表紙・タトウデザイン=小山力也)が上梓された。ひとまず慶賀なり。

   Lopez, the Untamed

 野に棲む小獣のやうに
 私は誰にも馴されなかつたものだ
 私を馴さうとした人も幾人[いくたり]かありはしたが

 吾妹子よ お前が現れた時
 私は進んでお前に馴されたものだ
 幾代も 家畜として飼はれてゐたかのやうに

 氣にはしないでお呉れ
 野に棲んだころの荒々しいこゝろが
 飼はれて後もふと甦つて來るやうに
 今も時折は 折にふれて
 荒々しい情[こころ]が
 昔の儘に湧き立つこともあるがーー
 吾妹子よ 今も時折は
    折にふれて


栞としてタトウに収められている長山靖生「解説・あとがき」によれば、第二詩集になるはずだった『詩集 驕子綺唱』には平井功自身が用意した原稿が残っていた。しかしながら《幾人もの優れた出版人が熱を上げたにもかかわらず、生前に平井功が意図した造本装釘を実現しようとの理想を追うあまり、今日まで印刷刊行されるには至らなかった》ということである。たしかに松本八郎さんにもそんな話をうかがった覚えがある。松本さんも平井功の遺志を継ごうと努力しておられた一人だったが。

《昭和末期までは確かに、平井家に原稿が残っていたようだ。しかし功の子息で翻訳家の平井以作が亡くなった後、某氏が平井家にお願いして生原稿を探して頂いたところ、どこに仕舞い込まれたのか判然とせず、所在が確認できなくなっていた。とうとう本当に幻となってしまったのかと思われた時、原稿のコピーが書肆関係者の手元にあることが分った。
 平成二十五年四月二十七日、知人から『驕子綺唱』を出版するので手伝わないかとの誘いを受けた。私にとっては唐突な話だったが、御遺族の御理解、許諾も受けているという。その場でいきなり手書きの原稿のコピーとデータを渡された。もはや遁れようのない悪魔の誘惑だった。》

小生もこのコピーなるものを見せてもらった記憶がある。あれはいつどこでだったか……。

小出昌洋「随読随記」に平井功のことが書かれている

《その後、平成二十五年六月にパイロット版として八十部を限定して非賣品として刊行。平井功、日夏耿之介の研究者、関係者を中心に、詩歌に詳しい方々に読んで頂き、御教示を仰ぐことにした。》

《本来なら、今回の「第二次パイロット版」では、それらの指摘を受け入れ、少なくとも明らかな誤記と判断できるものは訂正した上で刊行すべきだと私個人は考え、そのように書肆側に伝えたが、今回はあくまでパイロット版をより広い読者に読んでもらうのが趣旨とのことで、訂正無しでの刊行となった。近い将来、より完璧を期した「正規版」の刊行を別に考えているとのことである。》

なるほど、いろいろな考えがあるものだが、たしかに完璧を求めすぎては出るものも出せなくなる。ただし平井功の造本意匠へのこだわりはテキストよりも(よりもは言い過ぎか、同じくらい)重いはず。詩集という存在(書物と言い換えてもいい)の意味を平井功は見抜いていた。本を愛する誰もが完璧を期したくなる所以である。

詩集 驕子綺唱 書肆盛林堂

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by sumus2013 | 2017-02-18 21:07 | おすすめ本棚 | Comments(0)

装幀・装釘・装本

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26日(日)午後二時より伊丹のみつづみ書房さんで『花森安治装釘集成』についてのトークをやらせてもらう。昨年末、ギャラリー島田で行ったトークと基本的な流れは同じだが、新資料なども画像としてお見せするつもりである。それについてはまた後日触れる。本日は『花森安治装釘集成』の巻頭に唐澤さんが書いておられる「おぼえがき」の、そのまた最初のところに「装釘」という用語についての説明があるので、すこしそこに注目してみたい。

《花森安治は〈装釘〉の字をつかった。
 いま、本の見返しや目次ウラ、奥付などには、もっぱら装幀や装丁の字がつかわれている。釘の字に違和を感じるひとも多いのではないだろうか。
 「文章はことばの建築だ。だから本は釘でしっかりとめなくてはならない」
ーーこれが花森の本作りの考えであった。
 だからといって、装釘は花森がつくりだした造語ではない。中国明代からあるれっきとした熟字のようだが、日本では明治以後、洋装本が多くなってから本を綴じることをソウテイとよぶようになり、それに漢字をあてたらしい。ところがテイには、釘、訂、幀、丁、綴の五つの字があてられ、その根拠として諸説あるが、どれが正しく、どれが誤りというほどの大問題でもなく、それぞれの思い入れで自由につかっているのが現状なのだそうだ。意外かもしれないが、五字のなかでは釘が古くから使われており、いまも釘の支持派がいないわけではない。》

このブログではいろいろな本を紹介するときに、できるかぎり装幀者の名前を挙げるようにしている。ところが、そのときどきで表記が違っていることにお気づきの読書もおられるかもしれない。基本的にそれはその本が使っている用字をそのまま引き写すようにしているからである。装幀がいちばん多く、装丁が次にくるだろう。他にはブックデザインという言葉あるいはその他の横文字にこだわるデザイナーあるいは編集者もいるようだ。

個人的には特段の理由がないかぎり「装幀」を使う。幀は《張りたる絵絹なり》(『類篇』)とあって竹の枠などに絵を描いた絹を張ったもの、それを軸物のように装幀することがあったようだ。今の装幀という作業にぴったりしているように思う。(以下、漢字の解釈は白川静『字統』による)

丁は釘の初文である。丁はクギの頭を象っている。「頂」というのもクギの頭と人間の頭の類似からきている。釘は『説文』によれば《練鉼[レンヘイ]の黄金なり》すなわち金ののべ板の義であって、のべ板の形がクギの頭に似た(どちらも楕円形)ところからきているという。丁がおとうさんで釘は子供というわけだ。とすれば釘をクギの意味で用いるのはまったくの逆転ということになる。

訂を使うのは明らかな誤用である。訂は文章を正す意味(有名な書誌学者が提唱したのでこれをよしとする人も少なくないが)。綴というのは余り見かけないが、悪くない。ただどちらかというとブックバインディングを連想させる。

唐澤氏が挙げている他に「装本」という用語もある。これは記憶が正しければ恩地孝四郎がブックデザインを漢字に置き換えて提唱したものだったと思う。

どれをとってもいいと小生も思う。よく見ると、よく見るまでもなく、いずれの文字も頭に「装」がついている。装は《つつむなり》である。衣装・装飾を意味する。『字統』の解説にこうある。

《装束とは行李を整えること、すなわち旅支度をいう。表具のことを装潢[そうこう]、書物には装釘という。いまは装幀という字を用いる。》

白川先生も「装釘」を装幀の古い形として取り上げておられた!

では花森安治はほんとうにいつも「装釘」を使ったのか? というと、そうではなかった。手元にある花森本を調べてみると以下のようになっている。

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くらしの工夫 昭和17年6月20日
(この本を編集したのは花森安治である)


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煙管 昭和21年4月15日


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戯曲姉妹 昭和22年10月10日


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文学会議第四輯 昭和23年5月15日


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田村泰次郎選集第一巻 昭和23年7月15日


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石川達三選集 愛の嵐 昭和24年6月30日


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伊藤整作品集第五巻 昭和28年1月30日


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青列車殺人事件 昭和29年4月5日


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雑誌記者 昭和33年10月6日


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ダンナさまマーケットに行く 昭和34年7月20日2刷


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巴里の空の下オムレツのにおいは流れる
昭和38年3月12日初版
平成23年4月29日48刷


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一戔五厘の旗 昭和46年10月10日


以上花森装釘本の総数からすればごくわずかの例ではあるが、ご覧のように花森は一貫して「装釘」を使っていたわけではなかった(むろん他社の本では用字に注文をつけなかった、ということも考えられる)。昭和三十年代以降はもっぱら「装本」である(恩地孝四郎に同感したのではないかと憶測する)。花森が釘にこだわったのは、最も切実に「再建」が望まれた時代、昭和二十一年から二十年代中頃までだったのではないだろうか。敗戦日本で何をなすべきか。花森の決意が釘の字に込められていた。

と、まあ、都合よく解釈してみたが、唐澤氏より以下のようなご意見をいただいた。

小生が在籍した昭和47年から53年にかけて、暮しの手帖社から出した本に、沢村貞子『私の浅草』『貝のうた』、湯木貞一『吉兆味ばなし』などがありますが、花森はそれらに装釘をつかっています。その時期、ソウテイについて花森が部員にきかせた講釈が、たまたま小生の記憶に刻まれてしまったのだろうとおもいます。仰せの通り、装本も多くつかっており、花森の気持がまだゆらいでいたのかもしれませんね。

上記3冊のなかでは、沢村さんの『私の浅草』でいちばん先です。よく売れた本で、あるいは読者から「疑義」が呈されたのかもしれません。花森は負けず嫌いですから、そこで装釘について講釈をしたのだとおもいます。要するに、じぶんは間違っていない、と言いたがりの性分ですから。いずれにしろ最晩年の本です。装釘に「回帰」したような印象もあります。

回帰とは意味深いものがある。どんな心境だったのだろうか。

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by sumus2013 | 2017-02-17 21:35 | 古書日録 | Comments(2)

鉱物標本

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海月文庫さんで求めたのがこちら。『鑛物標本 尋四、五、六學年用』(鈴木慶蔵案、東京鉱物研究所=東京市中野区野方町一ノ七六三)。製造年は記載されていない。横書きがすべて左から右になっているので昭和十年前後だろうか。尋常小学校は十六年三月まで(四月から国民学校になる)。

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開いてみると、この通り。蓋の裏面に升目に対応して鉱物の名前と出土地が記載されている。おおよそ移動はないように思うが、素人なので判断できないところもある。一箇所、何も入っていない区画があるのは、小さな石が他の区画へ紛れていたため(持ち帰った道中の振動で)。説明では磁鉄鉱なのだが、どうもそうとは思えない。

下記サイトもご参照あれ。



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by sumus2013 | 2017-02-16 20:11 | コレクション | Comments(0)

瓢吉庵油坊主展2

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大阪市淀川区(最寄駅は阪急の南方)の海月文庫アートスペースにて本日より開催の「瓢吉庵油坊主展2」を見る。池上博子さんの書画・ハンコなどの展覧会。バッグや洋服もキャンバスになっていた。チェッカーの赤い紙にはすべて「木」と書かれている。

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これまでに制作したハンコ(篆刻作品)を収録した印譜、七帙、勢揃い。四十年間にわたるというから、そうとうなキャリアになった。確認してみると『ARE』第十号で池上さんのハンコを紹介させてもらったのは一九九八年だ。う〜む、もう二十年になろうとしている。二十二日まで。お近くの方はぜひ。古本の品揃えもいいですよ、驚いた。また行こう。

海月文庫 Facebook

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by sumus2013 | 2017-02-16 19:52 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

劉生繪日記

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『新訂劉生繪日記』全三巻(龍星閣、一九七八年)の刊行案内葉書。某氏より頂戴した雑誌の間に挟まれていた。社主の澤田伊四郎が書いたと思われる口上が興味深い。

《『劉生絵日記』を二十五年ぶりに再刊するに当り、初版上梓の頃を振り返ってみたい。昭和二十六年、刊者が疎開先の郷里から、いささかの山林を売った金をもって上京した時、出版界は、なにもかも貧困で、粗悪仙花紙時代は去ったが、印刷紙は統制廃止のため高騰、単行本は返品の山、取次店は群小出版社締出政策の真最中に際会した。しかし刊者は、この状勢こそ、得たりとばかり突き破らなければ、再起することができなかった。刊者は先ず、永年の書物を語る唯一の知己、松方三郎さんを訪ねた。そしてそこで劉生畢生の日記原本が保管されているのを見て『劉生絵日記』刊行にとりかかることができた。松方さんが解説を書き、刊者は資料不足に困りながらも編註を記した。》

《そして今、資料の不足を補い、更に造本を吟味して再刊するのであるが、さきの初版本の古書価が三十万円(特装版)している、ときいても、松方さんは、当時の事を考えると、まだ安い、と言うにちがいない。》

文中で言及されている『劉生絵日記』特装版(一九五二〜五三年)の古書価は目下のところ二〜三万円程度である。再刊本が普及しているわりには高いなという感じもする。それはさておいて『劉生絵日記』じつに面白い本である、太鼓判を捺す。


***

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『APIED』VOL.28(アピエ社、二〇一七年一月三一日、表紙装画=山下陽子)が届いた。特集は「いま読む少女文学 『不思議の国のアリス』『モモ』他」。ガーリッシュな小説とは……興味津々なり。冒頭、千野帽子氏のページを読み始めるとこんなことが書いてあった。

《英国の文学者ルイス・キャロルの本名をチャールズ・ラトウィッジ・ドジスンと習い覚えていたけれど、『不思議の国のアリスの家』の翻訳によると Dodgson はドッドソンと読むのがもとの音に近いらしい。》(『不思議の国のアリス』の一五〇年後)

ふーむ、そうだったか。発音は難しい。とくに固有名詞は。昨日たまたま読んだ中野美代子『三蔵法師』(中公文庫)にも

《なお、玄奘の「奘」の日本漢字音は、漢音が「サウ→ソウ」、呉音が「ザウ→ゾウ」で、「ジャウ→ジョウ」音ではない。現代の中国音では zhuang と zàng の二音あり、かれの名の場合は zàng と読むべきで、それはまた大蔵経や三蔵の「蔵」の字と同音である。したがって、玄奘三蔵[ルビ=げんぞうさんぞう]と読むのが正しい。》

と書いてあった。ゲンゾウさんだったか。


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by sumus2013 | 2017-02-15 20:24 | 古書日録 | Comments(2)

安井巳之吉日記より

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安井巳之吉「蕪図」一九二六年



『劉生と京都』図録に収録されている安井巳之吉日記より、大正末頃の京都生活をほうふつとさせる描写などを引用しておきたい。「戔」としたところ実際は略字(横三本線の)になっている。

大正十四年

十月二十二日《午後岸田方へ出かけた、もう町は大そうな人出である、(時代祭行列)を見る為の人出だ。寺嶋氏が来たので、奥さんと三人して西本願寺の飛雲閣(桃山時代腱[ママ]築)を見に出かける、仲々の人出で、行列も電車の中にて見ることが出来た。飛雲閣の建築には驚ろいた、実に立派なものだ他に妙法院等行きたく思ってゐたが、時間の都合で後日にして京極の料理店にて、天丼を食す》

十一月一日《十一時頃出かけて京都座に行く、つまらぬ舞踊等多くありたり、天華はさすがにいゝと思った。大そうな人出であった。四條から電車で帰る、食後しばらくして余帰宿す、奥さんは村田氏と出られたと言ふ、余は麗子をつれて京都座に行ったわけである。》

天華は松旭斎天華、奇術師である。

十二月二日《今日家から金を送って来た、五円の金だが実に感謝すべきだ、皆懸命に働いてくれる金だから、つまらぬところあれこれ費やすことは出来ない。そう思ひながらも今日村上があまり行きたがっていゐ[ママ]るので松竹座にて活動を見、石井バク氏、石井小浪氏のダンスを見たが、どうしても自分にはわからないのか知らぬが、いゝものと思えなかった、活動は皆見るにあまり面白くもなく、力抜けのしたものであった、今日送ったき[ママ]来た金は、之と、絵具一色、(前から欲しいとねがってゐたもの)スケッチ板二枚を求めた、絵具が上がってゐるので全く平伏する》

松竹座は近年まで新京極通りにあった。石井バクは石井漠。モダンダンスの先駆者。

十二月二十日《夕頃村上と二人で散歩に行く、日頃なじみの絵具店にて村上が一度家に帰って又来るまでこゝに待つことにした、今日は此の店には客人が多い。仲々忙しくしてゐる、全くくだらなぬ絵がウインドに並べてあった、長く待ってゐたあげくもう帰ろうかと思った頃村上がやって来た、或る画商(三條通りの三角堂)の店に出てゐる絵を見てゐると、かたわらで、セキをした男があった、聞きおぼえがあるなあと思って見ると山岸兄であった、互いに驚ろく、十字屋楽器店にて楽譜を求む、画戔堂にて山岸兄絵具を求む、ビックリキツネとか言ふものを食べる、その大きいのに平[ママ]かうした、山岸兄の用事にて再びアオイヤに行く、四條にて村上に別れ自分は山岸兄と一しょに先生方に行く、もう大分おそかった、先生は床に入っておられた、明日は先生日本画を描かれるので、行くことにした、十二時頃帰る》

画材店の画箋堂は今も健在。アオイヤも画材店のようだ。

十二月二十七日《今日は割引券を持って五十戔で三等に入ることが出来た、始めの映画は全くくだらないものであった、二番のキッドは面白いところもあるが、只笑ってすませる様なものである、三番にやった、フヤバンクスのロビンフットは只見にはあれでよかる別に大して感心したところもなかった、松竹を出て寺町にて村上に別れる》

大正十五年

一月十日《朝起きてみると京都ではまれに見る大雪だった、一尺位はあったと思はれる、寒さは非常なものであった。》

一月十九日《家から金五円を送って来たのでうれしかった、全く感謝にたえない》《今日岸田奥さんとマキノキネマへ活動を見に行く約束あった為早く村上の家を切り上げて、絵具を求め直ぐ岸田方に行く、村上も今日来てゐたわけである、奥さんと二人で行ったころは大分おそくて、もう、目的のチャップリンのゴールドラツシは半ば終ってゐた、がチャップリンの骨ケイ[ママ]は仲々いゝ。近代ではチャップリンは一とう上手であらふ旧劇は面白なかった、佐竹の奥さんが来ておられた、帰りに、スシ屋に入り、味よいところを食し、十一時半頃岸田方に帰る》

京都マキノシネマ、西陣にもあったようだが、ここは新京極通りの小屋か。

一月二十五日《朝九時頃起きる、骨董屋へ行き、先生が買はれた、机とジク物を持って来た、机は古くて仲々いゝものである》

一月三十日《文房堂から送ってきた、ボールドカンパスを取りに郵便局に出かけた、見ると仲々いゝカンパスである、昨日の六号静物を描く、午后から村上を訪問した》

文房堂は神田の画材店。健在。

二月十四日《今日は春陽展出品画の最後の制作である、朝から夕頃まで腱命[ママ]にやった、夕頃運送店に行き絵を送る、冬瓜の絵を出品しようか、しまいかと大そう気にしたが意を決して出すことにした》

岸田劉生は大正十四年四月すでに春陽会は退会していたが、やはり出すとすれば春陽会ということになるのだろう。

二月二十日《朝九時頃まで眠った、午後麗子のベン當を持って行った帰りに岡崎公園を歩む、陳列館の庭から蹴上の山を見たところが、描いたらさぞ面白いと思った》《余も早く床につく、麗子に猫の話しや、雑誌苦楽に出てゐる、きみ悪い絵をみせて、こはがらせた、皆今日は早く床につく、》

二月二十三日《朝起きて京極の風景(小品油絵)を描く》《夕頃から出かける、一しょに来る、京極でチョットした鉛筆村上西角スケッチをした、祇園にて花を買って先生方へ出かける》

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安井巳之吉「京都京極夜景の図」一九二五年


二月二十六日《十時頃から、村上、西角の三人で余の宿に出かけた、三人して郊外写生をやった、水彩をやったが思はしく出来なかった、夕近くから松竹座へ活動を見に行く、つまらぬ映画ばかりだったが、面白かった、十時頃画戔堂で絵具を求む、(今日金を送って来てゐた)》

三月十六日《運送屋が早くから来てくれて萬事よくしてくれて非常によかった。皆かたづいたが、下宿で一人居るのが淋しかった》《村上を訪ふ、ちょうど帰って来て居た、西角と二人で活動へ行ってゐた、帰ってゐるから今日国へ立つことは止めにして、一晩ゆっくり最後として話し合ひ明日帰ることにした、今日彼の父と能のこと等話し合って非常に面白かった、村上と東京のこと等、展会のこと等も話し合った、 山本斯光が自分の絵をほめて居た、(東京毎夕新聞に)

晩おそくまで村上と話す、花合せをしたり、寝静った[ママ]頃、腹がすいて、茶づけのゴハンはうまかった、明日は晝中に色々歩いて晩帰ることにしてゐる。》

巳之吉としてはこのままいっしょに劉生たちと鎌倉へ行って、勉強を続けたかったようだが、親の意向で帰郷することになった。まじめで心優しい青年であった。

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by sumus2013 | 2017-02-14 21:27 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

安井巳之吉

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安井巳之吉(やすいみのきち)「自画像」(個人蔵)。『劉生と京都』図録より。経歴を引用しておく。

《一九〇五(明治三十八)年に、現在の石川県小松市打越町で生まれました。生家は造り酒屋で、石川県立工業学校図案科を卒業後、地元での洋画研究ののち、京都に居た劉生に弟子入りを希望、劉生から「鯛を二尾描いてみよ」との課題を出されたのち、入門を許されたようです。》(篠雅廣)

後に古市家に入り古市巳之吉と名乗る。その長男古市俊郎氏のもとに日記や作品、写真などが保存されていた。

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巳之吉は後列左から二番目。書生の山岸青年は後列右端。


巳之吉日記より、まずは書店、古本屋などの記述を拾ってみる。

大正十四年

八月二十二日《町へ出て材料を求めやうとしたが之とていゝものもなし、書店で女性雑誌を見る、買ひたく思った改造も欲しく思ひたり、今日は一日読書で過した ドストフエスキー[ママ]著の罪と罰だ、仲々しっかりした頭脳を持って居た人と思ふ、仲々の大作だ》

九月七日《今日家の用事で町に出た、書店をのぞいてアトリエ、不二、雑誌を見る、武者さんの六号雑誌をひろい読みして見たが面白いことが書いてあった》

九月二十一日《午後骨董屋、古本屋に遊ぶいゝもの一ッとしてなし、仲々歩む、とある、本屋にて古き絵本を求む、安いから買っておいた、銀壺堂で高光氏に合う

九月二十八日《朝早く岸田へ行く》《相変らず朝起きのおそい家だ、先生今東京だと言ふ、山岸君と二階にて先生のビワの静物を見る、まだ出来上がりでないと言ふ、面白い色彩だ、八号の画布に描かれたものだ、村田氏見ゆ、山岸兄と二人で、町を散歩に出る、古本屋を見たりした、美術倶楽部で多くの古本等を見る、大して欲しいと思ふものもなかった、京極、四條通り、丸山公園を通って帰った、ちょうど土屋さんが見えてゐた、まだ若い人らしい、先生の唐画等山岸兄と出して見せる、熱心にみてゐた、久しぶりで見えたので大へんよかった、晩に麗子が活動写真をやった小さいので、動く音がはげしいが、可愛ものだ

活動写真…これはパテーベビーのことだろうか。劉生宅にもあったわけだ。

十月十四日《二人で古本屋を見る、十竹斎のものを大そう欲しがり、いゝものだと言ってゐた。大分歩いた。幸いにいゝ写真版(絵巻物と思ふ)を手にいれたのでうれしい。動物園前にて別れその足で岸田方へ行く、先生留守なり、市野のこと山岸兄に話す》

十月十六日《午後市野君のところへ行く、二人で岸田方へ出かけた先生在宅。先生あまり軸物は見せてくれなかった、五六冊の本を見せたり、自分が行ったのを幸ひ先生日本画を描くと言ふ、下村氏見えたり久ぶりで合ひ、今度訪問することにした松田とか言ふ客人あり佐竹さんも、見えたり、先生達腕をふるひ、今日の間に十三枚の小品が出来た皆仲々いゝものばかりである》

昨日取り上げた巳之吉の父親へ宛てた手紙ことも出ている。大正十五年。

三月三十日《先生から手紙が来てゐると父が言ふ。》《手紙を見るに、奥さんは産のため入院中、書生は初めての人で、先生が都合が悪いため余に来てくれと言ふのであった、自分は今日はどうすると定まらず、明日は何を描かうと思ふ。》

「書生は初めての人」とあるのは帰国した山岸の代わりに犬養という青年が来ていたことを指すようだ。手紙にはそうは書かれていないけれど。

四月一日《京都から帰って画室を飾ったが、まもなく先生方へ出かけねばならないことになったのだ。しかし鎌倉の先生方へ行けることは喜だ、こんな仕幸せを二度とはないと思ふ。先生の絵は見れるし、いゝ風景の場所も描けるのだ》

そして四月三日、鎌倉に到着。巳之吉はふたたび岸田家の面々と再会して幸せを感じ、男児の誕生を喜び、鎌倉の風景も気に入った様子で《鎌倉に来て見ると大そう静かです、何だか永住して見たい、気である》と国の友達に手紙を書いている。

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by sumus2013 | 2017-02-13 21:30 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

劉生と京都

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『京都市美術館開館70周年記念特別企画展 劉生と京都 「内なる美」を求めて』(京都市美術館、二〇〇三年一〇月)図録。つい最近求めた。なぜかこの展覧会を見逃している。図録を眺めながら残念だなと思った。というのは劉生の弟子だった安井巳之吉の絵に興味を抱いたからだ。岸田劉生の絵日記はよく知られているし活字にもなっている。それとは別に京都時代の劉生の身近にいた安井巳之吉もかなり詳しい日記を残しているのである。本書に収録されている巳之吉日記はすこぶる面白い。絵に対する真面目な取り組みにも感心させられるし巳之吉がほぼ毎日のように劉生宅に出入している様子は貴重この上ない。劉生夫人や麗子とも仲良しで信頼されていた。劉生宅に泊まり込むこともしばしばだった。また劉生が日本画を描くときなどには書生だった山岸信一とともに絵具を溶くなどの手伝いをしていたようだ。

巳之吉日記は別に紹介するとして、京都から鎌倉へ引き上げた岸田劉生が巳之吉の父安井三郎右衛門(石川県能美郡打越=現・小松市打越)に宛てた書簡が資料として掲載されているので、まずそちらを読み解いてみたい。というのは、一応、読み下しの文が付されているのだが、それがどうも頼りにならないのである。七十周年記念の図録としてはいささか問題ありなのだ。ただし小生の読解力も例によって心もとなく何箇所か読めないところがある。読めたつもりのところも正確かどうか。御教示いただければ難有。

大正十五年三月二十八日付。年譜によれば鎌倉に戻って(すなわち巳之吉と別れて)二週間ほど。手紙にもあるようにこの日、長男鶴之助が生まれている。ごく簡単に言えば、こんなてんやわんやなときに書生(山岸)まで国に帰ってしまって困っている、何とか一時的にでも息子さんを寄越してくれないか、という内容である。

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  拝啓
  益々御清祥奉賀候 扨て
  御子息巳之吉殿その後如何
  御候や実ハ当方家内出産の
  ため入院、これ迄宅に居り候
  書生帰国のため絵具とき
  其他の用事ニ手不足を
  じ困却仕候2間誠ニ勝手
  かましく候へども巳之助殿し
  バらく当方ニ御ヒでを願上度候
  御貴家様の御都合にて
  永くハ御困りの様なれバ 一時
  にてもよろしく候間何卒
  至急ニ巳之助殿御来鎌
  下さる様御とり計ひ願へれバ
  幸ニ存じ候勝手なる


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  御願乍ら御承引下さる
  なれバ大ニ助かり申可く此段
  折入て御願申上候
  先ハ右御願迄匆々

    三月二十八日
          岸田劉生

    安井三郎右衛門様


12のところ図録ではどちらも「実」と読んでおり、それでいいようにも見える。だが「実」では文章として意味をなさない。おそらく「候」ではないか? のところも生とは思えない字だが、ここは生と読んでおくしかないか? なにしろ劉生という自分の名前に生が入っているので間違えるはずもないのだが、とにかく慌てて書いたのは確かのようだ。巳之吉が二度目から巳之助になっているし。【御教示従っていくつか訂正しました】

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by sumus2013 | 2017-02-12 20:36 | 古書日録 | Comments(4)