林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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新語新知識付常識辞典

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『新語新知識付常識辞典』(大日本雄弁会講談社、一九三四年一月一日)キング新年号別冊付録。質問・回答形式で新しい言葉を説明している辞典。問答のない用語解説欄も充実している。某氏より恵投いただいた。深謝。

八十年以上を経ていまだに生きつづけている言葉もあれば、意味が変った言葉もあり、とっくに死語となっているものもある。言葉すなわち歴史である。

生きている言葉は多いので省略して死語について。たとえば【フーピー】、馬鹿騒ぎ・乱痴気騒ぎのことで《近頃盛んに使われる》としているが(米国映画「フーピー」に由来)、さすがにもう使われていないだろう。もうひとつ「パリ」というのも聞き慣れない。

《【パリ】素晴らしい。『パリだ』、『パリなスタイル』という風に。花の都パリから出た言葉。》

ひょっとして「パリッとしている」のパリって擬音語かと勝手に思い込んでいたのだが(ヤフー知恵袋では擬態語説)、このパリからかも?

【O・S】古臭い姿、オールド・スタイルから。『あいつと来たら、ちつともゆうづうが利かないんだ』『O・S人種だからね』というふうに使うのだとか。「OB」はまだ使われるかもしれないが「O・S」というのは知らなかった。

【山猫会社】これも初耳。インチキ会社のこと。かつてアメリカに《山猫の会社を起こしたい。山猫の皮は使ひ道が多い。山猫を飼ふには鼠を飼へばよい。鼠は矢鱈に殖える。その鼠の食物には猫の皮を剥いだ後の臓腑をやればよい》というような広告を出した会社があったらしい。実際にはそううまく行く筈はないというところから。

【適齢期】、これは兵役や学業に適する年齢をいうものだったが、この時代には「結婚適齢期」という表現が使われ始めている。

【アップする】隠語で、強奪すること。……ホールド・アップですな。ブログをアップするというのとは少し違う。

【ルビつき】ルビとは振仮名のこと。転じて子供を背負うた女。

【ヌーボー式】つかみ處のない不得要領の人。……「ヌーボーとした」というような表現は聞いたことがあるが「式」がついていたのか。

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変らない(いや、もっとヒドくなっている)のはこちら。

《【問】日本で公債及び社債はどの位発行されて居りますか
【答】一口に公債と申します中には、国債と道府県市町村債の所謂地方債とがありますが、国債は昭和八年九月末現在で、外国債即ち外国で発行したものが十四億二千百二十一万一千円、内国債即ち内地で発行したものが五十九億八千四百四十九万一千円、合計して国債が七十四億五百七十万二千円》

《近年歳入不足の為政府は公債を増発するし、事業会社も事業拡張の為社債を相当繁く発行してゐますから、公債も社債も増加する一方です。》

昭和八年度の国家財政は二十二〜三億円規模のようだ。

2014年(平成26年)3月末の国債等残高は998兆円となっており、保有者の内訳は、金融仲介機関587兆円(構成比58.8 %)、一般政府・公的金融機関88兆円(8.9 %)、中央銀行201兆円(20.1 %)、国外84兆円(8.4 %)、家計21兆円(2.1 %)、その他17兆円(1.7 %)となっている。2014年(平成26年)3月末時点の日銀の日本国債保有残高は201兆円で、過去最高を更新しており、保有者に占める日銀の割合は20.1 %で最大の保有者となった》(ウィキ「日本国債」より)

今、日本の国家予算はおよそ100兆円(税収40兆円)。昭和八年などとは比較にならない借金地獄ではないのかな……。

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by sumus2013 | 2017-01-10 20:56 | 古書日録 | Comments(0)

詩集 瓔珞

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金田弘『詩集[瓔珞]』(書肆季節社、一九九四年一月一日、装画=坪田政彦、編輯=堀越洋一郎、装訂=政田岑生)を頂戴した。やはりひと味もふた味も違う。

《昨年の暑い夏、まだ私が『會津八一の眼光』を書きなやんで、悪戦苦闘してた時分のことだ。書肆季節社の政田岑生氏が揖保川のほとりの陋屋をたずねて来られると、いきなり私の旧著を出せ、と強要された。
 固辞したが、それでも許さぬという。押しこみ強盗が可憐な乙女を恫唱するがごとき風情である。やむなく、若い日に羊歯三郎とHALF&HALFの名で出した詩集『かるそん』を復刻していただくことにした。
 これが出来上がると、今度はさらに、旧稿をすべて差し出せと迫る。あわれ、ふたたび落花狼藉の次第となったのが、今回の詩集である。むろん凌辱のなに得もいえぬ恍惚の生じたるところも正直に告白せねばなるまい。》(後書)

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カバーの折りが一風変わっている。見返しと同じ種類の紙なのだが、ふつうはもっと厚手のものを一枚で使うところ、薄めの紙の長辺を深く折返して(ようするに厚みを倍にして)使用している。これは真似したくなる仕立てではある。

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口絵に坪田政彦のオリジナル銅版画。書肆季節社にはしばしば見られる手法。版画用紙ではなく敢えてパミスという書籍用の上質紙を使ったところもヒネリが利いている。

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扉の組み。この文字の大小の取り合わせの感覚は政田岑生ならでは。

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目次。漢数字を使っているのが珍しいかもしれない。

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本文組み。天のスペースを極端に詰めてあるのに「おお」と思う。ときおり見かけるスタイルだが、普通はもう少し下に配置するだろう。

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そして一九五〇年代の詩については上のような一風変わった組み方をしている。元の詩が横書きだったためだろうか。あえてタイトル縦組、本文横組という変則な手段に出た。これもいつか真似したい手法である。

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著書目録、奥付、そして正誤表。奥付によれば印刷は東洋紙業高速印刷株式会社による。オフセットだろうが、文字も印刷もけっこう粗い。ワープロから出力したダイレクト印刷のような風合いである。東洋紙業高速印刷は昭和二十一年に東洋紙業の謄写印刷部門として発足し昭和六十一年(一九八六)には電子組版システムの全工程を完成したとホームページの沿革に出ている。政田は必ずしも活版にこだわっていたわけではないようだ。その意味でもたいへん興味深い詩集である。

関係者の方より印字に関して以下のような情報を頂戴した。

《[瓔珞]の本文等はOASYS 30で、ノンブルはMac+Apple Personal LaserWriter 300 で印字したものを東洋高速で面付して使っています。》


書肆季節社の註文はがき

鶴岡善久詩集『小詩篇』

政田岑生から竹村晃太郎に宛てた葉書

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by sumus2013 | 2017-01-09 20:40 | 古書日録 | Comments(0)

ほとゝきす

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昨今、かるた取りに人気があるというのを聞いた。ちょうど遊びに来ていた知人の娘さんも競技かるたに熱を入れているという。昨日、近江神宮で
競技かるた名人位・クィーン決定戦が行われ、名人は防衛、クィーンは交替した。娘さんは高校生なので明日九日に試合があるそうだ。がんばれ。

この和歌のマクリは昨年末に入手したもの。小生の読解力では部分的にしか判読できないが、幸いなことに読み下しのメモが付いていた。

 ほとゝきす
  雲のうへより
   かたらひて
 とはぬになのる
  明ほのゝ

後徳大寺左大臣実定こと徳大寺実定(さねさだ、1139-1192)の歌である。百人一首(八十一番)にはやはりほととぎすが選ばれている。『千載和歌集』夏一六一。

 ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる

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実定は、叔父が藤原俊成(百人一首八十三番・世の中よ)、だから定家(百人一首の撰者と言われる、九十七番・来ぬ人を)は従兄弟になる。待賢門院堀河(八十番・長からむ)が仕えていた待賢門院は祖父の妹で、西行(八十六番・歎けとて)はその祖父に仕えていたため親しくしていたそうだ。百人一首のオールスターに囲まれて育ったということになろう。

このマクリがいつ頃のものか正確には分らない。こういう地模様は「打雲」(天地打雲)と呼ぶらしいが、おおよそ幕末あたりのようである。


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by sumus2013 | 2017-01-08 21:32 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

僕は小さな黄金の手を探す

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アサヒビール大山崎山荘美術館へ。かなり久しぶり。阪急大山崎駅(最寄はJR山崎駅)から歩いて十分、門からさらに山荘入口までも十分近くかかったか。上り坂で汗ばむくらい。風は冷たいが雲ひとつない晴天である。

「ロベール・クートラス 僕は小さな黄金の手を探す」展を見る。クートラスの渋いマチエールはこのイギリス風の別荘に似合っているとも言えるし、絵画作品の展示室としてはとても最善とは言い難い空間でかなり損をしているとも言える。さっぱりした白い壁だけの別棟第二展示室が絵そのものを見るには最適だったが、そこはそこでスペースとしてはかなり手狭である。

近年、日本では作品集などが何冊も刊行されているので(遺作管理人が日本人ということもあっておそらくフランス本国よりも日本での方がよく知られているのではないだろうか)おおよその作品は見知っていたのだが、実作に接するのは初めて。思ったよりずっと良かった。フランスでは素朴派画家として寓されているような感じも見受けられるものの、クートラスの本質はポップアートであろう。

ユトリロ風と言われるようだがユトリロとはほど遠い(いい意味で)「クロワ=ルース通り」という初期作品(一九五七)が山荘の第一展示室に掛かっていた。これがひどく照明の悪い場所で、いい絵なのにちょっとかわいそうだった。ちょうど雑誌か何かの取材記者がノートをもって学芸員の女性の話を聞いていた。
「これはクートラスが生涯身近に置いていた作品でして、引っ越しのたびに裏面にその住所を書き込んであります」
なるほど……たしかに思入れの深そうな作品だった。

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上はエントランスから山荘を眺めたところ。山荘を建てた加賀正太郎がみずから設計し、二十年かけて完成させたという。なるほど細かいところまで工夫の見える建物であり、庭である。庭の歩道の作り方には感心した。加賀夫妻の歿後は荒れるに任されてマンション建設の話まであったとか。しかし地元民が保存運動に奔走しアサヒビールの初代社長山本為三郎(加賀はニッカウヰスキーの創業に参画しており後にニッカの持株を山本に譲ったという因縁があった)が資金援助をして美術館として再生させた。

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安藤忠雄設計の地下展示室(モネ、ユトリロ、ビュッフェが展示されていた)へつづく通路から山荘を眺める。山荘の内部は撮影禁止なのでせめてもと。

ちょっとした小旅行気分が満喫できていい一日だった。一月末日から展示替えだそうだが(後期展示)、もう一度見に来るかどうかはそのときの気分しだいだなあ……。春先の庭園も悪くないとは思うのだが。



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by sumus2013 | 2017-01-07 20:59 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

茶話抄

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薄田泣菫『茶話抄』(創元社、一九二八年一一月三日)。大正五年の春から長きにわたって大坂毎日新聞その他の媒体に連載された「茶話」は大正十三年に『随筆茶話』上下(大坂毎日新聞社)として刊行された他にも数多くの版が出ている。全八百十一篇。大正昭和にかけてきわめて人気の高かったエッセイだ。

本書は『随筆茶話』上下四百四十七篇(本書では『茶話全集』としている)から一百五十四篇を選んで著者みずから校正したもの(後書きおよびウィキによる)。かなり前に創元文庫で読んだ記憶があるが、和・英・米(本書には中国の話は少ない)の人物伝から逸話のようなこぼれ話のような内容を博捜してウィットの効いたサゲをつけている。それぞれの一篇も短く、ちょいと読めてクスリとかニヤリとかできる仕掛けである。出典も記されていないしどこまで本当なのか眉唾なところがまたいいのかもしれない。

青空文庫でも読めるので引用は最小限にしておく。水戸藩士・藤田東湖の酒好きなどについて語った「食べ方」。

《藤田東湖は貧乏だつたから、酒の好いのが何よりも好物であつた。(内證で言つておくが、すべて富豪といふものは、貧乏人とは反対に、酒のよくないのを好くものなのだ。)で、その良い酒を飲みたいばかりに、頼まれると、蕎麦屋の看板だの石塔だのを平気で書いた。書の相場は酒を標準に、一本一升といふ事に極めていた。
 東湖は酒徳利を座敷の本箱の中へこつそり忍ばせておいて、箱の蓋には生真面目に李白集と書いておいた。実際李白集があつたら、質に入れて酒に替へ兼ねない男だつた。》

泣菫の皮肉な口調がよく分る文章だと思う。蛇足ながら昔の本箱は縦長の木箱で前面に蓋が付いていた。よって徳利が入っていても外見では分らない。それにしても李白集とはさすが東湖。しゃれている。李白は稀代の酒飲みだった。

《年二十五、出遊して大江を下り、金陵(南京)揚州あたりを飲み歩き、一年とたたぬ中に三十余万金を散じて郷里に帰つた。後十年、再び出でて山西山東を遊歴し、任城(今の山東省済寧県)に家を寓し、孔巣父等六人と徂徠山に会して酒に耽り、竹渓六逸と称せられた》(青木正児『中華飲酒詩選』「李太白詩鈔」より)

これに一言も触れないのは泣菫の上手の手から酒がもれたかな……。

本書の組で「おやッ」と思ったのはノンブルの位置。天のノドに集めてある。そしてもうひとつ中黒の大きさ。下の頁ではベンヂヤミン・フランクリンの「・」が妙にでかい。

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こういうのを見ると古本て面白いと思うのである。

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by sumus2013 | 2017-01-06 21:10 | 古書日録 | Comments(0)

第八回東京国際版画ビエンナーレ展

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『第八回東京国際版画ビエンナーレ展』(東京国立近代美術館、一九七二年、デザイン=杉浦康平+辻修平ほか)の図録。学生時代、この展覧会のポスターを下宿に飾っていた。会期は一九七二年一一月から一二月にかけて東京で、京都展が翌年の二月から三月である。ということは展示期間中またはその前に入手したものではないようだ。どういう経緯だったか忘れてしまったが、とにかくムサビ一年のときに鷹ノ台の玉川上水に近い四畳半の下宿にこの表紙と同じ図柄のポスターがあったのは記憶に残っている。銀紙に蛍光色が非常に印象深く、こういう感覚のデザインも世の中には存在するんだなあ……というような驚きの目で毎日見ていた。その後引っ越しなどもあってポスターは田舎に持ち帰った。

郷里の本棚

昨年だったか、このポスターを郷里から取り出してきた。さすがに学生時代からなので状態がイマイチ(綺麗ならそれなりの値段になっているらしい)。

カタログの方は年末に神戸で開催されたトンカ書店と口笛文庫による冬の古本市で手に入れたもの(いい古書市だったなあ、来年もやって欲しい)。背や天地が少々すり切れている(いたみやすいカバー用紙なのだ)。だから安かった。見つけたときには「おお、これだ!」と声が出た。

掲載されている出品作家、日本人はまずまず知った名前が多いが、外国人作家となるとほとんど知らない。ざっと見ただけだが、ハミルトンとニーヴェルスンくらいか。世界と冠しているだけあってほぼ各国を網羅しているが、アフリカからは誰も選ばれておらずアラブ諸国も手薄だ。作風もいかにもヴァリエーションがあるようでいながら、どの作家にも共通する時代の色というものが感じられるように思われる。

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by sumus2013 | 2017-01-05 21:20 | 古書日録 | Comments(0)

金沢文圃閣セット

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金沢文圃閣よりずっしりとした封筒が届いた。開いてみると『文献継承』第29号(二〇一六年一〇月)、古書目録『年ふりた……』第20号、および「「うたごえ」運動資料集」「図書館用品カタログ集成ー戦前編」「『国際女性』占領期女性雑誌メディア」「『満州國語』ー「満州国」の言語編制」「戦前新聞社・ジャーナリスト事典」の刊行案内が入っていた。いつもながらシブイ資料集ばかり出す版元である。



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by sumus2013 | 2017-01-05 20:44 | おすすめ本棚 | Comments(0)

若草

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『若草』第四巻第三号(寶文館、一九二八年三月一日、表紙=竹久夢二)。昨年、善行堂で求めた一冊。巻頭に【喫茶店の時代】に関する興味深い写真が出ていた。まずは《パリにありし日の足立源一郎氏夫妻/記者一日美術論をきく……》。足立源一郎は画家で「キャバレ・ヅ・パノン」を大坂道頓堀にオープンした人物。以前も紹介したことがある。

芳恵のモデル、その他

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美術論を聞いたのだから記事が出ているのかと思いきや、特段に何もそういったものはない。その代わり石川寅治の「不同舎時代」という回想があった。ついでだから少し引用しておく。不同舎は洋画家小山正太郎の画塾。

石川は明治二十四年の春、土佐から上京して入門した。初めは親戚の家に居たが、すぐに小山宅に起居するようになったという。研究生は三十人ほどで、ほとんどが学校の教師などであった。なかで一人だけ芸術で身を立てようと精進していたのが中村不折だった。

日清戦争が起こり、新聞や雑誌にはたくさんの挿絵が用いられるようになり、画家の仕事も非常に多くなってきた。そのおかげで親からの学資を断って自活できるようになった。それが上京五年目だそうだ。

《私が始めて、自分の絵によつて金を得たことは、展覧会で絵が売れたことは別として、リーダーの教科書の挿絵を描[か]きました。これは西洋木版の下絵であつて、度々書き直しをさせられて閉口したものです。それから、戦争が始つてからは戦争の絵など沢山描きまして可なりに収入を得ることが出来ました。この時代に最も痛快に感じたことは、満谷君と二人で京都へパノラマを描きに行つたことです。そのパノラマは絵の高さが六間、幅が五十三間と云ふ大物でしたが、それを一ヶ月で描上げる約束で若し一日でも延びたれば、延びた日数だけの罪金[ばつきん=ママ]をこちらから出すと云ふことであつたのですが私共二人は此の絵を二十五日で仕上げました。》

《当時天丼が五銭であつたのですが、そのパノラマの揮毫料として二千円、一人が千円つづを得た時、旅舎のランプの下で互に顔を見合はして悦に入つたものです。》

なかなか貴重な思い出話であろう。もう一枚はこちら《辻潤氏送別会/読売新聞海外文藝特置員として渡欧す。》言うまでもなく×印が辻潤である。

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こちらもとくに記事はないが、拙著『喫茶店の時代』によれば辻潤が辻一を伴ってパリへ出かけるにあたって歓送会が開かれたのは昭和三年、カフエ・ライオンにおいてであった。


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by sumus2013 | 2017-01-04 21:06 | 古書日録 | Comments(0)

彷書月刊1985

『彷書月刊』をぼちぼち集めているなどと書いていたら、昨年末、某氏が欠号を教えて欲しいとおっしゃるので知らせたところ、すべて揃えてくださった。いや、驚かせられた。ということで、せっかく三百号が揃ったのだから総目次の入力に取りかかろうかと言う壮大な計画を立てた。もちろんすでに二九九号と三〇〇号が総目次に当てられており、今更屋上に屋を重ねる気もするが、PCで検索できた方が便利なことは言うまでもなかろう。仮に順調に毎週一冊ずつアップしたとしても六年かかってしまう。二冊ずつでも三年か。挫折しそうな気もするが、とにかくスタートしてみる。入力ミスなどあればお知らせを。



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1985年9月25日発行
第1巻第1号(通巻第1号)

特集 伝記文学
伝記文学の魅力 松本健一
中野好夫と伝記文学 由良君美
随想「宇野浩二伝」 熊王徳平
私の一冊 田里修・江刺昭子・北川太一・荻野富士夫・矢川澄子・秋山清

愛書傷心 木村威夫
『雑談』総目次
明治マルクス文献年表 岡崎一編

〈古書店から〉
ききめ 出久根達郎
五十銭の油絵 松石純郎
復刊案内・古書展情報

題字 北川太一
カット 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・秋山令子
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 上毛印刷株式会社

[目録]緑林堂書店/浪月堂書店/萬葉堂書店/文求堂書店/舒文堂河島書店/古雅書店/書誌幻邑堂/田中書店/古書遊眠舎/古本あじさい屋/あき書房/長山書店/間島一雄書店/日之出書房/三進堂書店/するが書房/近代書房/風光書房


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1985年10月25日発行
第1巻第2号(通巻第2号)

特集 探偵小説
あの頃、この頃 渡辺啓助
戦後推理小説の転機 山前譲
夢野久作の父の探偵小説 西原和海
若さま侍捕物手帖 縄田一男
わが小栗虫太郎 松山俊太郎氏に聞く ききて山口勝也
対談 探偵小説を売る 大場啓志・福田英夫
明治マルクス文献年表(2)

古書展は私の大学 松本克平
敗戦虚日 木村威夫

〈古書店から〉
六時閉店 松村久
神かくし 出久根達郎

題字 北川太一
カット 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・秋山令子
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 上毛印刷株式会社

[目録]萬葉堂書店/成匠堂書店/近代書房/文高堂書店/小林書店/蝸牛/西田書店/長山書店/学生書房/古本あじさい屋/すかぶら堂書店/古書ふえろう書房/古雅書店/草木堂書店/岸書店/龍生書林/自遊書院/五十嵐書店



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1985年11月25日発行
第1巻第3号(通巻第3号)

特集 60年代短歌
六十年代短歌の軌跡 田島邦彦
六十年代短歌の旗手
 岸上大作 藤田武
 岡井隆 道浦母都子
 塚本邦雄 沢口芙美
 寺山修司 福島泰樹
回想の六十年代 冨士田元彦
私にとっての六十年代短歌
 阿木津英・楠かつのり・仙波龍英・高柳蕗子
らいなあ・のおと

『矛盾』総目次
明治マルクス文献年表(3)
古書展は私の大学 松本克平
断片雑集 木村威夫

〈古書店から〉
最後の晩餐 出久根達郎
同業者諸君 助広信雄
〈掘出本〉 二十六年ぶり 松尾章一

題字 北川太一
カット 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・秋山令子
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 上毛印刷株式会社

[目録]塩山書店/あしび文庫/リブロ書店/未来書房/すかぶら堂書店/古本あじさい屋/アカデミイ書店/長山書店/ロードス書房/古書肆彦書房/日之出書房/こもれび書房/永楽屋/栄豊堂書店古書部/近代書房/コスモス書房/萬葉堂書店/稲野書店/街書房/鶴本書店/石神井書林






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by sumus2013 | 2017-01-03 20:26 | 彷書月刊総目次 | Comments(0)

東京のおせち

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吉田健一『私の食物誌』(中央公論社、一九七三年四版)。最近頂戴したのだが、たしか中公文庫で読んだ覚えがある。読売新聞連載に加筆、さらに未発表の食物随筆を加えた内容。あらためてあちらこちらを拾い読みしてみるとほろ酔いの吉田節が聞こえるようである。本はかなり凝った造りだ。残念ながら装幀者が誰なのか明記されていない。

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時節柄、「東京のおせち」から少し引用してみる。東京のおせちしか知らないと前置きがあってこう続ける。

《又それだけでもなくて東京の澄し汁で餅と菜っ葉だけの雑煮が餅の味を生かすのに最も適している感じがするならばそれと食べるおせちも芋と人参と牛蒡[ごぼう]と蒟蒻[こんにやく]と焼き豆腐しか入れない東京のが一番合っていると今でも思っている。》

《それに入れても入れなくても構わないものは凡て省き、その代りに入れたものの味はどれも生かすことを心掛けてその総和であるとともにそれだけに止らない何か一つのものを作り出すということで、その例に挙げられるのが東京風のおせちである。》

どうもこじつけがましいけれど、まあ、それは生まれた土地の料理がいちばんだと思うのも人情であるから、よしとしよう。むろんそんなおせちを作るのは吉田その人ではない。

《やはり食いしんぼうが仕合せに暮す為には誰かその家に料理が出来るものが一人いることが必要のようである。》

そして結びはつぎのように落ち着く。

《兎に角、正月に他のものよりも早く起きて既に出来上ったこのおせちを肴に同じく大晦日の晩から屠蘇散の袋が浸してある酒を飲んでいる時の気分と言ったらない。それはほのぼのでも染みじみでもなくてただいいものなので、もし一年の計が元旦にあるならばこの気分で一年を過ごすことを願うのは人間である所以に適っている。その証拠にそうしているうちに又眠たくなり、それで寝るのもいい。》

正月は朝からおおっぴらに酒が呑める、それが何より……というわけなのだ。

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by sumus2013 | 2017-01-02 21:21 | 古書日録 | Comments(0)