林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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文藝と共に

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中島健蔵『文藝と共に』(青木書店、一九四二年九月一五日、装幀=草狗舐骨)。渡邊一夫の装幀本である。あとがきによれば編集も渡邊が行った。

《中島健蔵君が今日出海君の後を追ふやうにして、公事の為南溟へ旅立つた。われらの仲間[ルビ=ノートル・エキープ]の調整と舵手とを一時に失つたやうな気持であるが、雄叫びの声も勇ましく伸び行くわが国の為に、われらの仲間[ルビ=ノートル・エキープ]の者がお役に立つことこそわれ[繰返記号]本来の念願である以上、両君の門出はむしろわれ[繰返記号]の名誉と心得る。》(編輯後記)

編輯はもちろん本書の標題も渡邊が付けた。フランス文学に関する評論、絵画批評、一般の文学問題に関する小論の三つの章立てになっている。ざっと見たところ絵画批評が案外面白い。美術専門の評論家とは違った視点で展覧会などについての感想を述べている。健全な見方だと思う。一例を挙げる。「絵画と共に」の五、紀元二千六百年奉祝美術展覧会のくだり。

《嘗てオリンピック大会が東京で催されるはずであつた時、深田久弥の発言で、その中の一部門であつた芸術競技を拡充し、盛大な芸術祭を行ひたいといふ話があつた。勿論オリンピックと共に流れたが、二千六百年記念の様々の催しの中、芸能際といふものが行はれてゐる。私は心ひそかに、何故それを芸術祭としないかと、不審に思つた一人であつた。》

《第一部は、大きさの制限もあり、いかにもそろつた感じであるが、見ながら私は自分が素人であることをいよいよ深く感じた次第である。といふわけは、何の成心もなく見ながら、結局、安井、梅原両氏の作が一番足を弾きとめたからである。此の二人の画家に感心するといふことは、いはば定跡である。私は、その定跡が破れるか否かを考へながら会場を二巡した。しかし結局、それに屈服するほかなかつた。》

《第二部の日本画と工芸は、その公開初日に見た。何ともいへぬ困惑である。》

《第一部を見た時以上に、私は憂鬱になつて来た。日本画の方は大きさの制限がない。かなり大きな作品がある。然り、驚くべき大きな作品がある。
 横山大観の芸術に対しては私も決して盲目ではないつもりでいる。もつとも大観のものもそれほど多くを見てゐるわけではない。》

《しかし「日出處日本」の前へ来て、私は呆気に取られた。之は何であらう。奉祝の意気は十分過ぎるほど明らかである。しかし、之が絵画であらうか。私は素人として聞きたい。富士の日の出のこの大作は絵画以上の何物かでないとすれば、驚くべき愚作ではないか。これが絵として通用するのか。》

中島は自らの富士山体験を思い出しながら、大観のこの絵のような卑俗な富士の姿はそこには一つもないと断言している。

《これはどういふ間違ひであらうか。奉祝展は、正に此の大作によつて奉祝展らしくなつてゐる。多くの芸術家の祝意を一人で代表して、絵画以上、或は絵画以下のものを作り上げたとでもいふべきであらうか。さうとすれば私の妄評は、失言として取り消さなければなるまい。》

ということでそれはこの絵だったようだ。

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《急につのつて来た歯痛を忍びつつ、薄暮の銀座に出て、個展や小展覧会を三つばかり見た。小品にせよ売り絵にせよ、そこには見馴れた絵画のなつかしさが漂つてゐた。奉祝展に対して、不当にも新しい芸術的探求の成果を求めた私は、はからずも此処で描く喜びのなつかしさを求めてゐたのである。(昭和十五年十二月)》

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by sumus2013 | 2017-01-21 20:47 | 古書日録 | Comments(0)

青山二郎像

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『中川一政生誕120年記念展「中川一政芸術の黎明」』図録(白山市立松任中川一政記念美術館、二〇一三年九月一四日)より「青山二郎像」。均一箱にて。中川一政かあ……と思いつつめくってみるとこの肖像画に目を射られた。こんな絵を描いていたんだ! 当時、青山は二十一歳、中川は二十九歳である。大正十一年五月の制作となっているが『純正美術』第二巻第三号(純正美術社、一九二二年三月)にこの絵はすでに掲載されていた。

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タイトルは「肖像」だった。ただし上の写真と比較してみれば分るように図版として掲載された後でかなり手を入れたようだ。顕著なのは髪型。洋服もかなり変えたか。

モデルになる約束をした直後の青山から中川に宛てた葉書も掲載されている。その文面を引き写しておく。大正十年十一月十日付。青山は句読点を使っていない。

《昨夜は失禮致しました 餘り僕が小供だつたので失望なされたでせう来月モデルになること非常に楽しみにして待つて居ります
今日流逸荘の帰り清泉堂に寄つてお話した筆未だあるか見ましたところ皆テンの筆は賣切れになつてゐて残念しました併し二度目に著いた方の荷の中に細いものでしたがテンがあつたので中で一番太いのが一本ありましたから取つて置きました文房堂に行つてみましたがそれより細いもの許りでした三越にいつて見る心算ですーーそんなわけで清泉堂へ無駄足なさらぬうち一寸申し上げて置きます
 また来月お目にかゝれるのを楽しみにしております いづれ》

後年の諧謔に満ちた青山節は微塵も感じさせない素直な文面にまず驚かされる。中川一政への傾倒というか尊敬の念も伝わってくる。またこの当時から青山は絵を描くことへの情熱を持っていたのだということもよく分る(中川のためかもしれないが貂の画筆を探して画材店の梯子をするというのはやはり同じ情熱を分かち合いたかったのであろう)。晩年の青山の油絵がどことなく草土社風なのはこういう青年時代を経ていたからなのであろう。肖像画にそのナイーフさがまっすぐに表れている。目がキラキラ輝いている。

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by sumus2013 | 2017-01-20 20:51 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

和讃

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いつものぞく均一に古そうな和讃の冊子が何冊かあった。おおよそ四六判くらいのサイズ(ふつうの単行本と同じ)。かなり前に『正信念仏偈』を買って以来さほど気持ちが動くものはなかったのだが、今回はそこそこ古そうだし(幕末あたりか?)、表紙が傷んでいるわりに本文がきれいだったので求めることにした。わが家の宗旨は真言宗であって浄土真宗ではないが、そういった宗教的意味合いはゼロだということを断っておく。


上の写真、左から『正信念仏偈』が二冊、中央は『高僧和讃』二冊、右が『浄土和讃』。浄土真宗では僧俗の間で朝暮の勤行として読誦するために三帖和讃(さんじょうわさん=浄土和讃、高僧和讃、正像末和讃)と『正信念仏偈』が編まれている。教義のダイジェストである。最近の『正信念仏偈』(正信偈とも)は縦長の判でオレンジ色の表紙なのが一般的のようだ。

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これらは『高僧和讃』より。写真では分りづらいかもしれないが本文紙はキラ引き(雲母による表面加工)なのでキラキラ輝いている。このカタカナが独特だと思う。おそらく親鸞の筆蹟を模しているのだろう。柳宗悦もこれに似た字をたくさん書き残している。

柳宗悦『蒐集物語』

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それぞれ別の『正信念仏偈』。初めのは冒頭で二枚目は末尾。『正信念仏偈』は漢字だけから成っている。書体が違うと雰囲気も変ってくるのが当たり前ながら興味深い。


昨年末、がん予防センターで検診を受けたと書いた。昨日その結果が届いた。大きな封筒だったのでちょっとビビッたが、とりあえず異常なしだった。巻末にこう印刷されていた。

《しかしながら、がん検診は決して万能ではなく、全てのがんを発見することは困難です。何らか、自覚症状や気になることがあれば、必ずかかりつけの医師にご相談ください。》



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by sumus2013 | 2017-01-19 20:33 | 古書日録 | Comments(0)

贋食物誌

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吉行淳之介『贋食物誌』(中公文庫、二〇一〇年一一月二五日)。吉田健一『私の食物誌』を下さった方より重ねて恵投にあずかった。深謝です。吉行淳之介の小説はほとんど読んだ記憶がないけれど随筆は何冊も読んでいる。エッセイの名手である。ただ『贋食物誌』(新潮文庫、一九七八年、が中公版の底本)はしばしば見かけた文庫でありながら手に取ったことはなかった。食味エッセイはどちらかと言えば好きな方なのだが。

例えば本書83「烏賊」に丸谷才一「食通知ったかぶり」連載の話が出ている。そこで丸谷が選んだ《食べ物の本の戦後三大傑作》を引用してあるが、それは

一、吉田健一『私の食物誌』
二、邱永漢『食は広州に在り』
三、檀一雄『檀流クッキング』

であり、《吉田健一さんの本で感心したのは、食べ物と人間との関係を正確に掴んでいるので、通ぶった感じを受けないところである。》と吉行は書いている。その理由も吉田の「東京の握り鮨」を挙げて述べられているが略する。小生思うに『私の食物誌』を読む限り吉田は通とはほど遠い。自分の感覚に正直なだけである。

51「ラムネ(3)」も面白い。これは坂口安吾のエッセイ「ラムネ氏のこと」の紹介になっている。昭和十年代(だろう)安吾が小林秀雄と島木健作と三好達治といっしょに飲んでいるときにラムネの玉を誰が発明したのかという話題が出た。三好達治がこう言い張った。

《ラムネは一般にレモネードの訛だと言われているが、そうじゃない。ラムネはラムネー氏なる人物が発明に及んだからラムネと言う。これはフランスの辞書にもちゃんと載っている事実なのだ、と自信満々たる断言なのである。》

ところが安吾が探してみるとラルースにも出ていない。ラムネーという哲学者の名前を見い出すのみ。安吾の論理はそこから飛躍する。吉行はその思考法について考えを巡らしているわけだが、小生はこの三好達治の強情ぶりの方に興味を引かれる。

拙著『古本屋を怒らせる方法』(白水社、電子書籍化されてます!)を繙くと、レモネード(レモン水)は昔からあるので誰が発明したということは断言できないように書いてある。ただ炭酸ガスが発見されたのははっきりしており一七七二年英国でのことである。ラムネの玉罎を発明したのはやはりイギリス人のコッドという人物で一八四三年のことらしい。それ以前はコルク栓だった。その後一八九二年にアメリカ人のペインターが王冠栓を発明した。日本では玉びんに入っているのを「ラムネ」と呼び王冠栓を「サイダー」と呼び慣らわしている。内容物にさしたる違いはない。

もうひとつ87「アルコール(1)」に佐野繁次郎のことが出てくる。新聞記事が面白かったので切り抜いておいたとしてそれを引用してある。

《『十二日午後三時二十分ころ、東京都港区高輪三丁目で、何某さん(住所と姓名は私が省略)がタクシーに乗ったところ、後ろの座席に分厚い白封筒が落ちており、真新しい一万円札で百万円が入っていた。驚いた何某さんは、タクシーの運転手(姓名省略)と一緒に高輪署へ。
 同署で封筒に印刷してあった銀座の画廊に問い合わせたところ、落とし主は(住所省略)洋画家で、二紀会名誉会員の佐野繁次郎さん(七三)とわかった。しかし、自宅へ電話したところ、佐野さんはアトリエで油絵を創作中、百万円を落としたことには全く気付いておらず「そういえばありませんなァ」
 佐野さんは昼過ぎ、画廊から絵の代金など百万円を受け取ったあと、近くのレストランで好物のブドウ酒を飲んで、ホロ酔いきげんでタクシーに乗り、百万円を置き忘れたらしい。何某さんと何某運転手には、お礼にそれぞれ十万円が贈られた(以下三行略)』》

この事件は一九七三年のことで『佐野繁次郎展』図録の年譜にも記されている。結局面白いのは食べ物の話ではなく人間の行状なのだ、という結論になるようである。

ついでながらカバー装幀装画は『夕刊フジ』連載時から挿絵も担当していた山藤章二。雁と貝。合わせると「贋」になる。

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by sumus2013 | 2017-01-18 21:05 | 古書日録 | Comments(0)

特集・練馬区関町

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『石神井書林古書目録』100号(石神井書林、二〇一七年一月、題字=武藤良子)届く。武藤さんの題字にビックリ。というか、あれどこの目録だろう? などといぶかってしまった。いや、しかし佐野繁次郎にもひけをとらない書きっぷりだ。

《昨年の初夏に出した99号の古書目録に、私事でしたが老父が入院したことを記しました。店を急に休む日があるかもしれません、とお伝えしたかったのですが、本のご注文の末尾にお見舞いの言葉を添えていただいたり、お手紙やお電話までいただいたのは、思いがけないことでした。しばらくしてその父が亡くなりました。
 石神井書林は一九八〇年に開業して、99号の古書目録を出してきました。その中で、何十周年記念とか何十号記念を作ったことがありません。淡々と次へ行きたいという小さな矜持があったのかもしれませんが、しかし、この夏の経験は、ここが誰に支えられてきたのかを改めて知ることでした。》

これまでも初期の号を幾度か紹介してはきたが、一九八四年以降のもので、それ以前はどんなものだったのか、興味深い。いつか出会えるだろうか。

『石神井書林在庫速報』臨時号

『石神井書林古書目録』


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小山清の献呈署名本がずらり……から始まって太宰治、井伏鱒二、小沼丹、木山捷平、上林暁、尾崎一雄……と大きな名前が並んでいる。ため息をつきながら見ていると目が釘付けになった。『河田誠一詩集』(昭森社、一九四〇年)と文芸雑誌『櫻』河田誠一追悼号(中西政一編、一九三四年)の図版が並んでいるではないか。河田は讃岐出身の小説家。以前言及したことがあったので名前を覚えていたのである。

『河田誠一詩集』(昭森社、一九四〇年)

河田誠一「浪の雪」

100号記念に注文しちゃえ…というわけにはいかないのが何とも情けないが。書影を確認できただけでも有り難いことである。

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by sumus2013 | 2017-01-17 20:57 | 古書日録 | Comments(0)

さよなら、フランク・ロイド・ライト

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「サイモン&ガーファンクル LIVE 1969」(Sony Music Japan International Inc. 2009)を年末年始ずっと聞いていた。S&Gのシングル盤「明日に架ける橋」が初めた買ったレコード(正確には何枚かのうちの一枚)。もちろん一九七〇年の大ヒット曲だが(ということは高校一年生か)、英語の歌詞も暗記したりして個人的にも思い出深い。

ところが、それ以来四十六年以上が過ぎ去ったにもかかわらず、どうしたわけかS&GのレコードはもちろんCDすら買ったことはなかった。とくに意識したわけではない。不思議と言えば不思議。エンゲルスガールの段ボール箱で見つけ「これ聴きたい」という感じで購入。

一九六九年のライヴは、アルバム「明日に架ける橋」が完成しながらも未だリリースされていない時期に行われた。リリースは一九七〇年一月。前年の十月から十一月にかけてデトロイト、トレド、カーボンデイル、セントルイス、ロングビーチ・アリーナ、カーネギー・ホールとツアーし、そこから選ばれた十七曲が収められている。

《当事者たちにはもう解散の気持ちは決まっていたのだろうが、レコーディング中のフラストレーションはひとまず収まり、二人の仲は落ち着いたものになっていた。客観的にはキャリアのピークにあっただけに、『サイモン&ガーファンクル LIVE 1969』は、アートの美しい声も最高であるし、ポールのギターも力強さと繊細さの際立ったところを聴かせている。》(鈴木道子)

このライヴ盤はアルバム「明日に架ける橋」に続いて発売される予定だったそうだ。しかし結局二〇〇九年までお蔵入りしてしまった。最初聴いたときにはS&Gの曲調に対して聴衆の歓声や拍手がどうもうるさく感じられてあまり感心しなかったが、それでも繰り返し聴いているとそれなりの臨場感が伝わってくるようになった。とくに「未発表です」と紹介しながら「明日に架ける橋」を絶唱するくだりは最後の大拍手が翌年のスマッシュヒットを予感させて実に印象深い。

またアーティの朴訥なMCもときには曲順を間違えたりしつつなかなかに心地よいものだ。曲順を間違えたのは「フランク・ロイド・ライトに捧げる歌 SO LONG, FRANK LLOYD WRIGHT」で、これはアーティが建築家を目指していた頃もっとも好きだった建築家ライトについて「何か曲ができないかな?」とサイモンにもちかけたのだという。だが、サイモンが書いたのはライトについての歌ではなかった。

So long, Frank Lloyd Wright.
I can't believe your song is gone so soon.
I barely learned the tune
So soon
So soon.
I'll remember Frank Lloyd Wright.
All of the nights we'd harmonize till dawn.
I never laughed so long
So long
So long.

Architects may come and
Architects may go and
Never change your point of view.
When I run dry
I stop awhile and think of you.

Architects may come and
Architects may go and
Never change your point of view.

So long, Frank Lloyd Wright.
All of the nights we'd harmonize till dawn.
I never laughed so long
So long
So long.

どうやらサイモンからアーティに対する別れの挨拶になっているようだ。

これを年末からくりかえし聴いていて、正月早々ブックオフのCD半額セールをのぞいたところ、S&G最初のアルバム「WEDNESDAY MORNING, 3PM」と映画「卒業」のサウンドトラック盤が目に飛び込んできた。買うしかないでしょ。前者は「サウンド・オブ・サイレンス」やボブ・ディランのカヴァー「時代は変る」が入っている。ただし全体にはいまひとつぱっとしない。古臭いというのとは違うかもしれないがS&Gの良さが出切っていない(実際にセールスは低調でS&Gは一時解散したという)。サウンドトラックの方も映像といっしょならともかくアルバムとしては雑駁。ということで結局「LIVE 1969」に戻り、まだ飽きずに繰り返し聴いている。

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by sumus2013 | 2017-01-16 20:43 | おととこゑ | Comments(0)

黄いろにうるむ雪ぞらに

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 黄いろにうるむ雪ぞらに
 縄がいつぽん投げあげられる

  バンス! ガンス! アガンス!
  ちょよろちよろしたこどもらをかり集めて 
  制服を着せて
  何か教へるまねをする
  やくざなはなしだ

 でんしんばしらの斉唱と
 風の向ふで更に白々饑ゑるもの


『宮澤賢治全集』第二巻(文圃堂書店、一九三五年九月二〇日、装幀=高村光太郎)より「(黄いろにうるむ雪ぞらに)」全文。( )は仮タイトル。『春と修羅』第四集に収められている。そう言えば以前十字屋書店版を紹介したことがあった。

『宮澤賢治全集』(十字屋書店、一九四〇年、装幀=高村光太郎)

本日は京都市内にもかなりの雪が積もった。じゃあ雪の詩でも引用しようかと思って『宮澤賢治全集』第二巻をひもといたのであったが、意外と雪の詩は上のくらいしかなくて、しかしその代わり「丸善階上喫茶室小景」と題する作品を見つけてうれしくなった。「東京」七篇のうち。喫茶室の様子が巧妙に描写されているので全文引用しておく【喫茶店の時代】。


 ほとんど初期の春信みたいな色どりで
 またわざと古びた青磁のいろの窓かけと
 ごく落ついた陰影を飾つたこの室に
 わたくしはひとつの疑問をもつ
 壁をめぐつてソーフアと椅子がめぐらされ
 そいつがみんな共いろで
 たいへん品よくできてはゐるが
 どういふわけかどの壁も
 ちやうどそれらの椅子やソーフアのすぐ上で
 椅子では一つソーフアは四つ
 団子のやうににじんでゐる
  ……高い椅子には高いところで
    低いソーフアは低いところで
    壁がふしぎににじんでゐる……
       そらにはうかぶ鯖の雲
       築地の上にはひかつてかゝる雲の峯
 たちまちひとり
 青じろい眼とこけた頬との持主が
 奇蹟のやうにソーフアにすわる
 それから頭が機械のやうに
 うしろの壁によりかゝる
    なるほどなるほどかう云ふわけだ
    二十世紀の日本では
    学校といふ特殊な機関がたくさんあつて
    その高級な種類のなかの青年たちは
    あんまりじぶんの勉強が
    永くかゝつてどうやら
    若さもなくなりさうで
    とてもこらえてゐられないので
    大てい椿か鰯の油を頭につける
    そして十分女や酒や登山のことを考へたうへ
    ドイツ或は英語の本も読まねばならぬ
    それがあすこの壁に残つて次の世紀へ送られる
      向ふはちやうど建築中
      ごつしん ふう と湯気をふきだす蒸気槌
      のぼつてざあつとコンクリートをそゝぐ函
 そこで隅にはどこかの沼か
 陰気な町の植木店から
 伐りとつて来た東洋趣味の蘆もそよぐといふわけだ
    風が吹き
    電車がきしり
    煙突のさきはまはるまはる
 またはいつてくる
 仕立の見本をつけた
 まだうら若いひとりの紳士
 その人はいまごくつゝましく煙草をだして
    電車がきしり
    自動車が鳴り
    自動車が鳴り
 ごくつゝましくマツチをすれば
    コンクリートの函はのぼつて
    青ぞらの青ぞらひかる鯖ぐも
 ほう何たる驚異
 マツチがみんな爆発をして
 ひとはあわてゝ白金製の指環をはめた手をこする
   ……その白金が
     大ばくはつの原因ですよ……
       ビルデングの黄の煉瓦
       波のやうにひかり
       ひるの銀杏も
       ぼろぼろになつた電線もゆれ
       コツカのいろの窿穹[ドーム]の上で
       避雷針のさきも鋭くひかる


じつに興味深い。それにしても詩人は丸善へ入ると何か爆発させたくなるもののようだ……。



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by sumus2013 | 2017-01-15 21:05 | 古書日録 | Comments(0)

同心草第十号

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『同心草』第十号(同心草舎、一九二六年一一月一七日)。編輯並発行者=代道夏二/大阪市住吉区天王寺町六一二 高羽貞夫。執筆者を挙げておく。木水彌三郎、北富三郎、坂梨旅人、寺澤文子、馬淵さち子、島田とし、杜人、佐々木ウタコ、代道夏二、梶田末子、尾形渓二郎、音見昌夫。そして版画が高羽貞敏、鷲尾吾一、凸版が北富三郎。

発行者の高羽貞夫は歌人のようだ。以下の著書がある。

『昼の月』(同心草舎 1929)
『新選現代短歌抄』(裕文館書店 1942
『御歴代御製謹抄』(裕文館書店 1943)
『同心草 第1』(同心艸舎 1953)
『月下 歌集』(同心艸舎 1953)

木水は生田耕作による再発見で知られるが、下記のような詩人。

木水彌三郎さんがいた

北富三郎は挿絵画家として活躍していたようである。版画の作者二人のうち鷲尾吾一はこんな絵本も描いていた。

絵本「ヒカウキ」鷲尾吾一画/綱島草夫文 綱島書店 昭和16年

高羽貞敏の版画がなかなかいい。名前からして高羽貞夫の兄弟か一族だろうが、何もヒットしないところを見ると早世したのか?

「後記」に『同心草』を置いてくれている所として下記の店舗が挙がっている。

 柳屋
 新生堂
 三木書店
 波屋
 北村書店
 今井書店

また《わが友音見昌夫、奥田俊郎、児玉笛麿、加藤雄也の四人が同人となつて文芸雑誌『椎の木』を十一月初旬に出す。》ともある。これは第一次『椎の木』である。

なお雑誌名「同心草」は唐詩からとったと思われる。薛濤(せつとう)「春望詞四首 其三」。

 風花日將老
 佳期猶渺渺
 不結同心人
 空結同心草

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高羽貞敏


この雑誌は今年の古本買い初め。ひいきにしている某店にて。資料を熱心に見ていると、七十代くらいの男性が声をかけてきた。
「建築やインテリアの本はどの辺りです?」
小生、誰が見ても客にしか見えないと思うのだが、まあ、いいや。
「あちらで訊いてください」
と答えるとご主人がレジから出てきて「このへんとこのへんですかねえ」などと説明しはじめた。男性はそれだけかというような軽い落胆の様子だったが、おやッという感じで一冊の古い函入の本を引き抜いてこう言った。
「これ、僕が出版したんですよ」
「へえ、そうなんですか!」
と驚いてみせる店主。値段を確かめた男性は
「余所の店では一万五千円くらいはついてるけどなあ……」
ちょっとだけ心外そうな声で。
「それなら一万五千円にしときましょか」
とぼけた店主の答えに聞き耳を立てているこちらは内心苦笑。
「ネットではもっとしているときもあるんだけどねえ」
などとブツブツつぶやきながら男性はたち去った。

入れ違いに二十代前半と思われるカップルが入って来た。男性が誘ったようだった。その彼氏は入ってくるなり
「いい匂いだなあ」
とつぶやいて、女子の方に同意を求めた。
「そうだろ?」
女子は納得したような表情ではなかったが、かるくうなずいたようにも見えた。二人は中央の棚をぐるっと回り、古書の匂いを嗅いだだけ、ものの三分と居らずに出て行った。

「いろんなお客さんが来ますね…」
支払いをしながら話しかけると、店主は軽く微笑んだ。


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by sumus2013 | 2017-01-14 21:19 | 古書日録 | Comments(0)

無花果珍寶EACH萼秘寶展観

新春吉例、第二回
無花果珍寶EACH萼秘寶展観
いちじくちんぽういーちがくひほうてんくわん

場所:小大丸画廊(小大丸ビル3階)
  大阪市中央区心斎橋筋二丁目二ノ二十二 電話〇六・六二一一・三〇二三

日時:平成29年1月13日(金)~15日(日)
時間:午後12時~6時(最終日4時30分)


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昨夕は心斎橋へこの「イチガク展」の搬入に出かけた。大坂は久し振り。心斎橋の大丸はほとんど取り壊されていた。橋爪先生の発案で第二回目の開催。桜時のイチジク会とはまた違った新春イチガク会(数点の軸物もあり)。美術研究者や美術館関係の方々が自らのコレクションを出品しているだけあってまさに珍宝揃い。三日間だけの展示だが、心斎橋界隈へお出かけの際にはちょっとのぞいてみる価値ありです(小生も二点出しております)。

四点目の写真、壁の作品、右は下郷羊雄、中は小牧源太郎、左は逆柱いみり。なかなかでしょ。

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by sumus2013 | 2017-01-13 08:31 | もよおしいろいろ | Comments(0)

瀧口修造・岡崎和郎二人展

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冷え込んだ一日だった。空模様もやや怪しかったのだが、思い切ってマルセル・デュシャン生誕130年記念「瀧口修造・岡崎和郎二人展」(http://www.ozasahayashi.com)へ向う。堀川一条の晴明神社(https://www.seimeijinja.jp)を目標にして。ここは前にも来たことがあるので問題なく到着したのだが、しかし西陣織会館というのがすぐに分らずぐるりとその辺りをひと回りしてしまう。結局今出川通りの方から入って古いビルの南西角にようやくのことでたどり着いた。普通に考えてギャラリーがあるような場所ではなく、文字通り織物問屋の事務所や倉庫が集合している雰囲気である。商用車の出入りも繁しい。

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仰々しい看板などもなく傘立てとチラシなどを置く台がそっけなく階段の脇に置かれているだけ。根松の正月飾りが京都らしい風情。階段から見上げたところに展覧会の案内が出ていた。ここで間違いない。

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まっすぐ上がって左右に階段が分かれている。左への矢印の先にポスターと鉄の扉。右の階段の先にも岡崎和郎ポスターがあって、じつはどちらを上がっても画廊へとつづいている。

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展示の様子はマン・レイ石原さんのブログにてどうぞ。

マン・レイと余白で 瀧口修造・岡崎和郎二人展

瀧口修造は久し振りにじっくり見た。テカルコマニーのみならずデッサンやバーント・ドローイングも含めいずれもじつに繊細なテクニックを示していることに陶然とした。造型作家としての瀧口修造のレベルの高さをあらためて感じた。一点欲しいなあ……と思っていると事務所スペースではデカルコマニーの小品が何点も販売されているではないか。うーむ、絶対買えない値段ではないけれど……。ほしい。

たまたまオーナーの小笹氏のお話をうかがう機会をもてたのもよかった。氏は東野芳明を慕って多摩美の芸術学科に入ったそうで、学生時代から美術品を買い始め、とくにどこかの美術商で修業したという経験はないが、いつのまにかアートディーラーになるべくしてなっていたとか。この場所は昨年の八月からオープン。京都市内を転々とした後にこの理想的な空間を見つけたとのこと。築五十五年になるがびくともしない堅牢な建物だそうだ。天井や床を取り払ってリフォームされた豊かな空間は倉庫だったとはとても思えない。とくにむき出しのコンクリート床はもうそれ自体がアートそのもの。見惚れてしまった。下の階に倉庫ともう一つの展示スペースもある。こちらの壁や天井もコンクリートをむき出しにしてあるが(天井や壁を取り払った)、その表面が板の模様をそっくり引き写しているのも感動ものだ。昨今ではわざわざ板目模様をつけたコンクリート壁を目にしたりもするが、こちらは正真正銘の型枠としての板目でその無造作な張り合わせ具合(間に合わせの板を使った感じ)がなんともいい。

本展に関連するトークショーも予定されている。詳しくはサイトhttp://www.ozasahayashi.comにて。今後の企画も楽しみである。

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by sumus2013 | 2017-01-11 21:03 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)