林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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小寺鳩甫と酒井七馬

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京都国際マンガミュージアムで「小寺九甫と酒井七馬 『大阪パック』から「新寶島」まで」展を見て、トークイベント「酒井七馬というマンガ家が大阪にいた。」を聴く。展示は少々見にくい感のなきにしもあらずながら、内容は素晴らしい。漫画好き(とくに大阪漫画)、古本好きなら必見である(サイトでは十一月八日までとなっているが、十三日まで会期延長するとか)。

トークイベントは中野晴行氏と柳たかを氏が登壇。柳氏は西上ハルオが中心になって大阪の若い漫画好きを集めて刊行した『ジュンマンガ』に参加した経緯から、酒井七馬との出会いを語った。『ジュンマンガ』(文進堂、一九六九年)は酒井七馬の寄稿をあおいで刊行される予定だったが、酒井の約束した漫画は結局仕上がらず、そのせいもあって、かろうじて創刊号を出しただけで終わってしまった(酒井は創刊の言葉だけ寄稿)。掲載されている幾つもの漫画論は西上がペンネームですべて執筆したという。それらの若者たち「ジュンマンガサークル」のメンバーは奈良のドリームランド(なつかしい! 小学生のときに訪れた記憶がある)や大阪万博の会場で似顔絵などのイベントを開催したのだが、その後自然解散してしまったようである。

途中で三邑会(さんゆうかい)の女性の方による紙芝居上演があった。酒井七馬(さかいしちま、ペンネーム:佐久良五郎)作「少年ローンレンジャー」、小寺九甫(こてらきゅうほ、ペンネーム:熱田十茶=あったとさ)作「孫悟空」、そして柳たかを作「THE WAY オズの魔法使いより」。それぞれ第一巻のみ。だいたい一巻十枚で十巻、十五巻という構成になっているそうだ。「この続きはまたあした!」と言われると、ええ〜と会場から失望の声が。かなり前の作品だろうと思うが、絵の保存も良く、じゅうぶん楽しめる内容だった(むろん口上があってこそ)。

中野氏には『関西の出版100』でお世話になったので終了後にご挨拶(直接お会いするのは初めて)。京都国際マンガミュージアムはその名の通り外国人の来場者でごったがえしていた。とくに売店の付近でうろうろしているのはほとんど外国の人たち。カバンがぶつかって思わず「パードン」と言ってしまった(!)。日本のマンガ力・アニメ力をあらためて実感させられた思い。




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by sumus2013 | 2016-10-23 19:57 | もよおしいろいろ | Comments(0)

荷風研究

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『荷風研究』(荷風先生を偲ぶ会)の七十二号(一九七八年三月十五日)〜一〇六号(一九八九年一二月二五日)までバラで二十四冊ほど頂戴した。ほとんどが四頁(A4二つ折)で、短い記事が二篇くらいの体裁だが、第一〇一号だけは「百号達成記念号」として二十頁もあり、岡野他家夫、磯田光一、新藤兼人、岡本文弥、山田朝一(山田書店主)ら寄稿の充実した内容である。

古書に関す話題として岡野他家夫「荷風本の思い出」から少し引用しておく。

《私は、昭和初期の六年間、姉崎嘲風先生の知遇を得て、東大司書に在職した。震災で百万巻蔵書が灰燼に帰した後の、復興時代の図書館に、荷風本などは無かったので、古書肆や、古書即売展を欠かさず廻って、入手を心掛けたものの、荷風本、夢二本の市場価額は、貧書生の私には容易に手の出せない高値だった。》

昭和五、六年頃、北沢書店の店員・新妻誠が蒐集家某氏のコレクションを一括で買って欲しいとやって来た。主人は一括三百円と言っているが、少し値引きするという。

《当時月給百円の私には大枚の金額だが、「文明」「花月」も揃っていたので、家兄から借りて買い取った。
 ところが、二、三カ月経った頃、突然に、名も知らぬ、一面識もない、折居忠八という人が来訪、あなた所蔵の荷風本の、『野心』ほか数冊を是非共譲ってくれとの申出で。勿論私は体よく断ったが、その後、月に二・三度、必ず手土産持参で来訪、私の家内や子供たちにまで愛想よく振舞って、あの本だけは是非ともと、懇願否哀これつとめて、小半日も居座って帰らない。私は、ついに根負けして、何冊かの稀覯本を割愛せざるを得なかった。

コレクターおそるべし。また山田珠樹も荷風本の愛蔵家だったという。そこに妙な本があった。

《私は度々山田家へ行き、自分の有たない荷風本を自由に書架から取り出して、ゆっくりと読むなどした。山田さんの愛蔵した荷風本の中に、四六判、四〇頁、紙装仮綴の一本、荷風著の『祝盃』を私は見つけた。これは題名の作一篇だけの内容の本であったが、譲り受けた折居旧蔵書中にも見ない本。私は玄誠堂主人芥川氏、そのほか知合いの古書肆の誰彼に、幾度か聞き質したが、そういう本は見たことも、聞いたこともない、との異口同音しか聴けずにしまった。

この『祝盃』がどんなものなのか気になるのだが《この事について、私の憶測することがあるが、紙幅が尽きたので省略》とは……残念。


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by sumus2013 | 2016-10-22 18:11 | 古書日録 | Comments(0)

盛林堂の本棚

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『盛林堂の本棚 2016年10月号 盛林堂書房古書目録第3号』届く。ミステリアス文庫、ではなくて、古書目録! これがまた凄い。図版はフルカラーである。古書業界でも目録販売がめっきり下火となった昨今、瞠目すべき一冊である。

《今回有難いことに、とあるコレクターの方より昭和20年代の探偵・冒険・SF小説の仙花紙本を中心にお譲り頂き、販売してしまう前に資料としてもまとめておきたいという気持ちもあり、一念発起し4年振りの目録作成に至りました。》(ごあいさつ)

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尾崎翠『第七官界彷徨』(啓松堂、一九三三年)ってこんな表紙だったのだ!





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by sumus2013 | 2016-10-21 20:02 | 古書日録 | Comments(0)

河口から II

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季村敏夫さんより個人誌『河口から II』(二〇一六年十月念[二〇日]、表紙・装画=倉本修)が届いた。河口から I』が三月末だったからいい感じのペースである。以来半年間のできごとを中心に構成されている。まずは四月に岩成達也氏の詩集『森へ』(思潮社)が刊行され、岩成氏を囲む会がもたれ、記念冊子『森へ』を作成することとなった。季村氏と倉本修氏がその編集に当った。《荒れ狂う波が互いの境界線を壊してしま》うほどの激論のすえ、氏らは『月映』を目指したのだとか…。十月には高橋睦郎氏が来神。女流の仕事について話した。家へ戻った季村氏はさっそく『コルボウ詩集・一九五四年版』などを取り出し片瀬博子の作品を読み進めた。翌週、徳正寺で「百年のわたくし」が行われた。そこで氏が朗読した「古刹に招かれ」が収められている。

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今回は三十五部制作。《興味を持たれた方ご一報下さい。後日お送りいたします》とある。お問い合わせは下記へ。
kioku-tk(アットマーク)kxa.biglobe.ne.jp


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by sumus2013 | 2016-10-20 15:48 | おすすめ本棚 | Comments(2)

みやこうつしえ

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「みやこうつしえ」の端切れ。うつし絵は少し前にも取り上げたことがある。

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この「みやこうつしえ」についてはこれ以上とくにコメントすることもないので、そこでもう一つ、明治前期の出版広告をアップしておこう。

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京都御幸町姉小路上ルの書肆五車楼による『元明史略』のビラ。

《右は従来蔵スル所ノ元明史略ニ今般更ニ高木先生ノ註解奥野先生ノ校定を分註トシ従来ノ標記ヲ増補セシモノナリ是ヲ以テ一字一句ト雖モ解シ難キハ註解ニ於テ之ヲ明カサゞレハ必ス標記ニ於テ之ヲ詳カニス故に苟モ漢字ヲ読ム事ヲ得レハ三尺ノ童子ト雖モ一索スレハ明瞭ナリ実ニ深切ニシテ善美ノ大佳書ナリ今刻成ル因テ其概略ヲ記シ江湖ノ諸君ニ告ク冀クハ一覧シテ予カ詐リナラサルヲ諒シ玉ヘ
        京都御幸町姉小路上ル
明治十七年二月 書肆 五車楼主人白

五車楼は藤井孫兵衛である。どおりで『習文録』に挟んであった。




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by sumus2013 | 2016-10-19 20:19 | 古書日録 | Comments(0)

習文録

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皆川淇園・編次『習文録』(藤井孫兵衛、一八七六年五月一八日版権免許)バラで四冊。国会図書館で見ると藤井孫兵衛からは一〜四篇それぞれ上下があっての八冊、加えて甲乙判というものが上下二冊刊行されているようだ。読書や作文を学ぶために役立つ文章を集めて並べたアンソロジーである。皆川淇園はこのような人。

[1734~1807]江戸中期の儒学者。京都の人。名は愿(げん)。字(あざな)は伯恭。漢字の字義と易学を研究し、開物学を提唱。また、漢詩文・書画をよくした。晩年、私塾弘道館をおこした。著「名疇」「易学開物」「易原」など。》(デジタル大辞泉

1735*-1807 江戸時代中期-後期の儒者。
享保(きょうほう)19年12月8日生まれ。「易経」をもとに字義,音声,文脈の関連を研究する「開物(かいぶつ)学」を独創し,門人に教授。晩年に私学弘道館をひらく。詩文,書画にもすぐれた。弟に富士谷成章(なりあきら)。子に皆川篁斎(こうさい)。文化4年5月16日死去。74歳。京都出身。名は愿(げん)。字(あざな)は伯恭。通称は文蔵。別号に有斐斎など。著作に「名疇(めいちゅう)」「淇園詩話」など。》(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)

淇園の生年だが、享保十九年十二月八日はグレゴリオ暦では一七三五年一月一日、ユリウス暦では一七三四年一二月二一日となるため見解の相違が生じているようだ。グレゴリオ暦は一年を365.2425日としユリウス暦は365.25日とするので現在では狂いの少ないグレゴリオ暦が太陽暦として用いられている。厳密に言えば一七三五年が正しい生年ということになろうか。

初篇下の巻頭に「習文録題言」として葛西欽が本書の由来を書き付けている。

《安永甲午ノ秋、欽再タヒ京師ニ来候淇園先生ノ塾ニ寓スルニ塾課ニ近コロマタ射復文ト云フモノヲ作ス、其事甚タ文ヲ習フニ便ナルヲ以テ、諸生競テコレヲ為ス、其法、漢人ノ記事百言上下ノ文ヲトリテ、コレヲ読ミテ、其読声ヲ片仮名ヲ用テ写シテ数紙トシテ、人々ニコレヲ与テ、コレニ依リテ其原文ノ字ヲ射復セシム、射復略就リテ、原文ノ字数ニ合セテ、字ヲ増減シ、増減定マリテ後、原文ニ此按シテ、其文字ノ中否ヲ校シ、中ル事多キヲ上第トシ、失スル事多キヲ下第トス

安永甲午は安永三年(一七七四)。序文の記年も同じ安永三年である。読み上げられた漢文を聞いただけで筆記する勉強法……ディクテすなわちディクテーションが淇園塾では採用されていた。その例題を集めたものを「習文録」と名づけたようである。

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皆川淇園と言えば、これも真贋については不明というか、疑わしい「葡萄図」一軸を所蔵する。署名は

 倣瑪瑙寺温日観
 筆意
  皆川節斎写 [皆川印][伯恭]

瑪瑙寺温日観は南宋から元初に活動した僧侶・画家で水墨で葡萄を描くことを得意としたそうだ。温日観の筆致を真似たという意味である。大徳寺に伝日観の葡萄図が伝わっている。

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伝日観子筆「葡萄図」二幅(明時代、大徳寺蔵)


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by sumus2013 | 2016-10-18 21:25 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

ダンナさまマーケットに行く

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瀧澤敬一『ダンナさまマーケットに行く』(暮しの手帖社、一九五九年七月二〇日二刷、装本=花森安治)。花森の装幀本のなかでも最も好きなデザインのひとつ。最初はこれを『花森安治装釘集成』の表紙にアレンジしようかと思っていたのだが、ラフを試みてみたところB5判サイズとなると文字の扱いがなかなか難しい。結局は断念した。

瀧澤敬一はこんな人。

1884-1965 大正-昭和時代の随筆家。
明治17年3月23日生まれ。横浜正金銀行にはいりフランスのリヨン支店勤務となる。着任以来数年間のアジア勤務をのぞいてリヨンに滞在,退職後も同地にとどまって,フランスの世相や文化に関するエッセイを日本におくりつづけた。昭和40年2月26日死去。80歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「フランス通信」「シャンパンの微酔」など。》(コトバンク)

フランス事情を生活者の目線で描いており、やや常識人の感想というきらいはなきにしもあらずなれど、それゆえに記録という意味ではいろいろと興味深い。

《エール・フランスの航空路で北極経由ならば東京からパリまで丁度三十時間でつく。横浜からマルセイユ港まで四十日近くかかつて辿りついた昔を思えばほんとうに夢のようだ。日仏の文化交流がしきりに称えられ色々な社会層の人々が手つ取りばやく往復するようになつたが、その代り、途中熱帯の旅の面白味は見られなくなつてしまつた。フランスの話にしても表玄関から客間に通されたようなもので、茶の間や台所を見学する機会にはあまり恵まれていない。そこが私の付け目で、いつでもくだらない事ばかり書くことになつてしまう。》

昭和三十四年(初版は六月一日)でもまだ「つ」を小さくしていないのが暮しの手帖らしい(?)。三十時間はつらいなあ、しかもプロペラ機だろうし(世界初のジェット旅客機が飛んだのが一九五二年、ボーイング707の初飛行は一九五七年末)。距離の話をもうひとつ。

《[昭和七年]天下泰平の当時東京、パリ間のメールはシベリヤ便で二週間、アメリカ経由は一カ月、海路スエズの運河だと四十日近くかかつた。》《現在の普通便は早くて二十五、六日のこともあるが三十五日から四十日かかるのが常で時候のあいさつでなくても気が抜けてしまうので九割までは航空便になつた。》《エーヤメールは早くて便利、東京、パリ間早いのは三日目、地方のリヨンでも一日遅れでくる。但し新聞一枚に二百五、六十円、単行本だと目方にもよるが千五、六百円はかかり新刊小説に定価の数倍する切手を貼ることになる。パリ一流の服飾雑誌「オフィシエル」を東京まで送るのにいくらかかるか計算してみたことがある。その号は目方が千五百五十グラムで切手代は四千一百フラン、定価の一千二百フランと合わせてかなり高いものにつくが、五千や一万のはした金を屁とも思わない大流行の洋裁学校では常々こんなふうにして取寄せ同業者の鼻をあかせようと競つているものであろう。》

《シベリヤ便は昭和十六年(千九百四十一年)六月二十二日独ソ開戦でぴたりと止まり、十二月八日のパール・ハーバーからアメリカも通れず、東京の新聞は五月ごろから一枚も着かなくなつた。二年後フランスが八方ふさがりになり外国郵便事務が停止されたとき敵国人である私の海外に送れる唯一の音便はジュネーブで捕虜通信の世話をやいていた万国赤十字社本部の厄介になるよりほかはなかつた。》《アメリカに住む日本人の友だちへ宛て「どこにいるのか、お大事に、われわれ一家はリヨンで健在、第六巻執筆中、皆さんへ宜しく」とかき送つた。これの発信が千九百四十三年十二月二十一日、ジュネーブ受付一月六日、シカゴ到着五月九日、返信を見たのがなんと十一月四日であつたから今ならば往復一週間のところに十一カ月もかかつたことになる。》

銀行勤めだけに数字に明るいのがそのエッセイの価値を高めているようにも思われる。文学的な記事はほとんど出て来ないが、サガンが登場しているので引用しておこう。

《日本でもほんやくの出ている『ボンジュール・ツリステス』(悲しみよ今日は)の著者フランソアーズ・サガンは当時十八才の女学生であつた。堅気の過程ならば若い娘にそんな小説は決して見せられないというその年頃で、よむどころか本人がさつさと立ちいつた小説をかいてしまい、時代の移り変わりを四、五十からの婦人に見せつけた。
 サガンは世界の紙価を高くし印税で買つた高級車を乗りまわしているが、ひきつづいて出した小説『ある一つの微笑』で新進作家としての手腕を認められ、すつかり売れつ子になつて活動している。戦後、若い女流作家はまずイギリスに現われ、フランスにも及んで、数もだんだん増してくる。
 なぜ若い女がこんなに達者にかきまくるようになつたのか、その理由の一つを、アカデミー・フランセーズのアンドレ・モーロアが「自分の室が持てるようになつたから」だとしている。》《しかし「一室を持つ娘」の女としての幸福が母や祖母の時代よりも大きいかどうかは別問題であろう。》

『ある一つの微笑』(Une certain sourire)は一九五六年発表、邦訳は『ある微笑』(朝吹登水子訳、新潮社、一九五六年)。発表の年に邦訳が出ているのが注目度を示している。『悲しみよ今日は』(一九五四年)も五四年に邦訳(安東次男)されている。

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by sumus2013 | 2016-10-17 21:39 | 古書日録 | Comments(0)

百年のわたくし

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昨夕は徳正寺で「百年のわたくし」と題された朗読会に参加した。出演は、ぱくきょんみ、扉野良人、山崎佳代子、季村敏夫、藤原安紀子、荒木みどり+吉田省念、そして『きりん』の詩を扉野良人と宮田あずみが読み、「太陽のこども」と題して扉野と山崎佳代子の対談があった。(上の写真のリーフレットはメリーゴーランド京都で販売されている)

ベオグラードに住んでおられる山崎さんとは、偶然にも二月ほど前にあるところで一緒にお酒を飲んでいた。とは言っても飲んでしゃべっただけ、というか主に山崎さんがセルビアについて滔々と語るのに耳を傾けていただけなのだが、そのときはお名前も存じ上げなかった。たまたまテーブルをはさんで目の前に座った女性だった。しかしながら、セルビアで戦禍を経験したということを別にしても只者ではない雰囲気を発しておらられた。昨夕のお話ではひさびさに半年という長期間、日本に滞在して新鮮な日々を過ごしておられるとか。先日のバウルの日本女性といい「わたしは女性しか信じない」と誰かが宣言していたが、まさに小生もそう思う。

『ベオグラード日誌』 山崎佳代子


会場の本堂は五十人ほどの熱心な来場者で満たされていた。見知った顔も何人か。当たり前ながら朗読は印刷された文字を読むのとはまったく違った印象だった。さすがに場数を踏んだ方々ばかりでいずれも聞き惚れた。若住職だけ、よくつっかえていた、もっと練習しときなはれ。

それはいいとして、会場では出演者に関わる新刊書の他に、古書の販売も行われていてここにいい本があった。どっさり抱えた方も。こちらはこれだけ『机』第八巻第九号(一九五七年九月一日発行)。表紙デザインは北園克衛。「机」の文字は伊藤憲治。

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特集はパイプ。あまり興味ないなと思いつつページを繰っていると「洋書短信」に「リットレのフランス語辞典」の紹介が出ていた。エミール・リットレ(1801-1881)のフランス語辞典の改版がポーヴェール社とエディシオンス・デュ・カップ社の二社同時に行われているという紹介である。初版はアシェット社から一八六三〜七二年にかけて四巻本として刊行されたもの。


《ポーヴェール社版は全七巻で予約価一万九千フラン。既刊三巻、今年十二月中に全巻完結する。次のように広告している。「リットレが三十年の生涯を捧げたこのフランス語辞典の改版を企てたものは今までにない。また恐らく今後これと匹敵する辞書を作ろうと思ってもできないだろう。》

《われわれは小説のようにリットレを読む。リットレはフランス語の小説だ。しかしこの十年来リットレは本屋になくなった。古本だと二万五千フラン位投じなければならない。しかも再版の声をきかなかった。百トンの鉛、百五十トンの紙、布二十キロメートル、七千五百万の活字がいるのだ。われわれは断行した。単なる再版でなく旧版よりいいものを作ろうと思った。》

《六ケ月間に一万五千人の予約者が出来た。成功は模倣を招く。類似品が出たがわれわれとは関係がない。完全に原典と符合するリットレはわれわれの新版だけだ。リットレとは名のみの修正され一変された贋物の再版リットレに注意されたい。》

ポヴェールがリットレを完結したのは一九五九年なのでここに言う《今年十二月中に全巻完結する》は実現しなかった。また《エディシオンス・デュ・カップ》とあるのはエディション・デュ・カプ(Éditions du Cap)でこれはフランス・ブッククラブ(Club français du livre)の別会社。一九五六年から五八年にかけてリットレの四巻本を刊行している。

この後、ガリマール/アシェット社からも再刊され、他にも何種類かのヴァージョンが出ている。今世紀になってからもル・フィガロ社が出している。読める辞書というだけあって人気は衰えないようだ。ただし現在ではインターネットで簡単に参照できる。むろんbnf(フランス国立図書館)では元版の画像公開もなされている。

Dictionnaire de la langue française, par É. Littré

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by sumus2013 | 2016-10-16 21:51 | もよおしいろいろ | Comments(0)

漁書小歴

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大田垣蓮月の短冊ということで求めた。傷みが激しいので安かったのだが、じつは野村美術館で開催された大田垣蓮月尼展」を見て以来どうもあやしいと思っている。蓮月尼の短冊は非常に多く出回っているところからして、もちろん多作だったことにもよるかもしれないにせよ、おそらく専門の贋作者が何人かいたに相違ない(なにしろ蓮月生前からその陶器や書画には人気があったそうだから)。だいたいこの歌もよく知られたものだし、そういうものは危ないと決まっている。

 古郷柳 

 一むらのけふかとミしハふるさとの  七十九才  
 昔のかとのやなぎなりけり     蓮月



こんな団扇もあったらしい(ネット上で発見。版画だそうだ)。
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たまたま杉本秀太郎の「漁書小歴」(『日本古書通信』746号)を読んだのでこの短冊を引っ張り出した。杉本は小林秀雄『ランボオ詩集』(創元選書、一九四八年)に刺戟され象徴派の詩集を集めはじめたのだという。

《古本屋を歩きまわっては小林秀雄、河上徹太郎の旧著を盛んに集め、詩集をあさった。》

卒論はヴァレリー論。京大を出てから伊東静雄の詩に出会いサンボリズムからしだいに解放されるようになった。

《その頃、外出すればかならず覗いた古本屋の一軒は、京都寺町通り四条下ル大雲院の門の庇を借りている店だった。一軒とかぞえるのも憚られるその店は西村書店といった。文学書だけが並べてあった。洋書もあった。
 ある日、伊東静雄の詩集『わがひとに與ふる哀歌』を棚に見つけた。生憎く、財布はからっぽ。大いそぎで帰宅し、小遣銭の前借をして取って返したが、ものの三十分ばかりのうちに売れていた。》

大雲院は以前にも触れたが富岡鉄斎の墓があったお寺(富岡鉄斎碑林)。今はたぶん高島屋の駐車場出入口(寺町側)になっているところではないかと思う。西村書店……そんな古本屋があったのだ。杉本邸は綾小路通り西洞院東入ル(四条烏丸の西、杉本家住宅)だからあわてて引き返してもたしかに半時間はかかるだろう。そんなつかの間に抜き取られるとは不運であった。

《戦後数年のうちに京都でも頻りに動いたフランス書の古書には、ヴァレリーの限定版が時折まじっていたものだが、西村書店、奥村書店などで身銭を切って買ったその種のヴァレリーも、潔ぎよく売り払った。》

奥村書店は修学院にあったようだ。杉本は三十六歳でフランスへ渡った(一九六七年)。そこで内なる日本を激しくゆさぶり覚まされた。帰国後、すすめられることがあって大田垣蓮月について本を書く約束をした。

《私はまた頻りに古本屋歩きをはじめて、蓮月尼に関する書物および尼に関連するはずだと見当をつけた書物を手当たり次第に買い集めた。興が深まるにつれて勘が冴えるのを自覚した。あそこの本屋のあの棚の見当に、しかじかの本があるにちがいない、思わぬ発見もあるにちがいないーーそう予想して行ってみると、予想どおりということがしばしば起こるのだった。あんなに楽しく愉快な月日はなかった。

蓮月尼の生前に出た歌集『海人の苅藻』が欲しいと思い竹苞楼を訪ねると

『海人の苅藻』ですか、へエ、ございます。もう故人となられた先代佐々木春隆さんは、即座に座ぶとんから尻を浮かして奥に引っ込み、しばらくして歌集を私に差し出された。蓮月さん自筆の履歴書がございまっせ。ハハア、例の鉄斎さんに示されたという履歴書ですね。拝見します。見おわってたずねた値段は些か私の分際には過ぎていた。

この履歴書はすでに知られているもので図版にもなっていた。また手許にはすでに蓮月の短冊、軸、画帖、手ひねりの花生が集っていた。《書画骨董の収集に使えるお金の余分はない身だから、履歴書は断念した。いまはどこに所蔵されているだろうか。》

佐々木竹苞楼では他にも多くの買物をしている。また《府立植物園近傍の古書店(名を失念)》で飯沼慾斎『増訂草木図説』(牧野富太郎校訂、久世通章旧蔵)を、シルヴァン書房で伊東静雄が愛蔵したのと同じ『ジョヴァンニ・セガンティーニ』画集(フォトグラフィッシェユニオン、一九一三年)を求めたそうである。『わがひとに與ふる哀歌』の詩篇はセガンティーニ画集と照応しているのだそうだ。

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by sumus2013 | 2016-10-14 20:08 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

風とともに生きる

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10日(月)、ユニテさんで催された「風とともに生きる インドの吟遊詩人バウルを聞く」に参加した。今、個展をしておられる装幀家でインド大好きの矢萩多聞氏による企画である。

パフォーマンスしたのはショッタノンド・ダス氏。演奏の前に、その奥方で日本人のホリ・ダシさんと矢萩氏のトークもあった。バウルとは何かということが中心に語られたのだが、吟遊詩人というだけで、あまりはっきりしたことは分らなかった。日本人のバウルは彼女だけだというのは印象に残った(外国人は多いそうだ)。当日のチラシにはこのように書かれている。

《現在のインド東部とバングラデシュ地方にまたがるベンガル地方には、ヒンドゥ教、イスラム教、仏教の影響を受けつつも、それらには属さず、町や村を転々として、うたい、踊ることを修行とする人たちがいます。彼らが大事にするのは、まるで恋人を愛するかのように愛する「心の人」が宿る場所としての人体。
バウルは音楽や詩だけでなく、こうした既成の習慣からの脱却という点においても賞讃を受けています。》

これを読んでもあまりよくは分らない。インドにはカーストというものがある。この説明からするとカーストから離れた集団あるいは個人なのだろうか。宗教団ではないが、各地にグル(導師)がいて、ダス夫妻もいろいろなグルに師事したそうだ。吟遊詩人と聞くとイメージがついヨーロッパ的になってしまうが、門付とか托鉢とか虚無僧とか(あるいは瞽女)などにも通じる、そういったアジアにおける道の者の一種であろう。下記のサイトが分りやすく説明してくれている。

バウルという生き方――ベンガル地方の「もうひとつのライフスタイル」
村瀬智 / 文化人類学

《バウルはカーストやカースト制度をいっさいみとめない。またバウルは、偶像崇拝や寺院礼拝をいっさいおこなわない。彼らの自由奔放で神秘主義的な思想は、世間の常識や社会通念からはずれることがあり、人びとからは常軌を逸した集団とみなされることがおおいのである。実際に、ベンガル語の「バウル」という語は、もともと「狂気」という意味である。そしてその語源は、サンスクリット語の“vâtula”(「風邪の熱気にあてられた」、「気が狂った」)、あるいは“vyâkula”(「無我夢中で」、「混乱した」)に由来するようである。》

《このような、バウルという語の語源や中世の文献での使われ方、そして現代での意味合いやイメージを考慮して、ベンガルのバウルのことを、「風狂の歌びと」とでも名づけておこう。》

世捨て人ながら托鉢のような暮しは人々に尊重され世の中には組み込まれているようだ。

ショッタノンド・ダス氏の演技は下の動画でご覧いただきたい。今回は六種類の楽器を取り替えながら演奏した。三種類を同時演奏からはじまる。下の動画で右手に持っているのがエクタラ(一弦琴、右手で持ちながら人差し指だけを使って弦をはじく)、左手で演奏するのがドゥギ(小太鼓、叩き方を変えて色々な音色を出す、ドゥ〜ンという間延びしたような特徴的な音が気に入った)そして右足先に付けた鈴(グングル)。奥さんはコロタール(小さなシンバル、おりんのような音色)をずっと鳴らしてリズムセクション。とくに聞き物だったのはアノンドホリ(太鼓の胴から出ている弦をピックで鳴らす、ギターのような音色)の早弾き。胴を左脇にかかえ左手で弦を緊張させておいて右手に持ったピックでかき鳴らすのだが、左手の力具合で音色を変化させる。もちろん歌と踊りも加わって最後は参加者みんなで踊ることに。お代は喜捨でした。
他にもバウル関連のさまざまな動画がアップされているが、次のドキュメンタリータッチの紹介は旅するバウルの雰囲気をうまく伝えていると思う。演奏も高度だ。

ユニテではギャラリースペースで演奏が行われ、隣の喫茶スペースには来場者のお子たちが五、六人。演奏中もけっこうにぎやかに騒いでいた。そんなときショッタノンド・ダス・バウルは演奏しながら目玉だけでギロリと隣を睨んだ。迫力だった。

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by sumus2013 | 2016-10-13 21:06 | おととこゑ | Comments(0)