林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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凶区

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『詩学』第二十巻第四号(詩学社、一九六五年四月三〇日、表紙・扉カット=宇野亜喜良)宇野表紙の詩学はやはりひと味違う。この号は凶区特集ということで巻末の四十頁を凶区同人に開放している。

凶区という雑誌があった

本誌「〈凶区〉解題 私たちはどこへ行くか?」によれば

凶区〉という誌名は、まず形態として、私たち10人の意識の領域が互に重なり合うある空間の位置に、偶然に貫かれた真空の通路を通って、浮かび上つて来た。
 そこでは細胞分裂した二つの×が、一方が閉ざされずにいるために不完全に見えるある囲われた空間に不安定に漂つている。二つの×は、また互に出会うためには、ひどく曲りくねつて複雑な経路をたどらなければならないと考え、とまどつているかに見える。》

《また、この二つの象形文字は、互に結び合され、各部分を緊密に接合した強固な力強い姿で、表紙に印された。ここでは、あるいは不吉なバリケードの形が連想される。それは私たちの世界の到るところで、境界し、隔離し、拒否し、悲惨と不幸とを囲いするものの形に似ている。》

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『詩学』内『凶区』の表紙。デザインは桑山弥三郎。タイポスという書体で一世を風靡したデザイナーである。『アンアン』『ノンノ』の本文に使われて大ヒットした。この《これが凶区だ!!!》の書体もタイポスだろう。

本誌掲載の「凶区日録」がメチャ面白い。一九六五年とはこういう時代だった。

《■2月27日 吉原幸子詩集出版記念会へ高野山本、渡辺出席。詩学の嵯峨氏より、凶区特集の依頼をうける。吉原のジャングルブギで幕切れの後、三人はコージーコーナーで彦坂に会う。高野渡辺は〈背後の人〉〈美しさと哀しみと〉の深夜興行を見る。天沢、満員のボナパルト館で〈ゴールドフィンガー〉をみる。米政府へベトナム白書で北ベトナム爆撃の正当性を主張。

天沢退二郎はパリにいたようだ。アンリ・ミシヨオ展やヴオルス展を見てジユリアン・グラツクを訪問、ゴダールの短篇映画をまとめて見たりしている。

《渡辺の部屋へ行き赤塚不二夫のマンガをたのしむ。〈まかせて長太・X1号ハツシユルしてくんろの巻〉に感動のあまり、三人にデカパンのズーズー弁がのりうつつたまま徹夜ダイスをする。ハツシユルしたが高野がわずかに勝つただけでさつぱりダミだつた。シエーツ!

■3月18日 6号ができて発送のためルオーに、山本藤田高野渡辺彦坂集る。藤田(仕事のため泣き泣き)帰つた後、四人は吉田画廊の〈井上洋介ナンセンス展〉に行く。山本、旧友吉田照子にめぐりあう。桑山が、長倉、伊藤(両人ともデザイナー)と一緒に来る。

■3月27日 〈乗合馬車〉で秋本、彦坂、藤田、高野、山本、野沢、渡辺の在京メンバー全員集る。関西から出てきた正津べん、清水昶の二少年も同席。編集の仕事をしようとしたが、向い側のラ・セーヌで唄つている弘田三枝子の魅力に抵抗できずひきよせられる。2ステージのミコちやんの迫力のなさに一同満たされぬ気分で外へ出て、仕事のことを考えたが、堀川正美の魅力にこれまた無抵抗となり堀川宅へ行く。剣玉に熱中したあと、ゾンデイ・テストなる性格分析テストを全員で試みる。(このテストの興味津々たる結果は秘中の秘として堀川宅に保管されている。

ルオーというのは喫茶店。他にも新宿フランソワ、お茶の水レモン、コペンハーゲン、ヴイレジゲイト、ジヤズヴィレツジ、ローザンヌ、お茶の水明治パーラー、ラドリオなどの名前が登場している。

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表2のコラージュ漫画。「完末附録 凶区同人編集・構成」。


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by sumus2013 | 2016-09-15 21:08 | 古書日録 | Comments(0)

他日偶晴

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割り合いと最近手に入れた掛軸。田能村竹田というふれこみだったが、もちろん在りえない、そんな馬鹿なという贋モノである。だから安かった。竹田にはほど遠いけれども、ちょっと面白いところもある。「憲」というサインに「竹田」印は余計なことだ。

六人の髭の老人が茶で盛り上がっているようす。本箱に肘をついたり、巻物を手にしたり、書画談義に楽しいひとときを過ごしているのだろう。


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上部の賛(?)は備忘録のようなもの。


 此月偶晴和助病而到洗竹庵
 冨上子間暇及干共淡話数回終執化筆作此
 図冨上子歓喜不斜干共采
 酒杯日暮至干夜鷄鳴不制晨


和助、洗竹庵、冨上子など固有名詞もどうもはっきりしない。この文からすれば洗竹庵の冨上子は医師でもあろうか。画を無心してやっと染筆してもらうことができ、画家とともに朝まで飲み明かした……のんきすぎて羨ましい。

なお、この軸、表具も悪くないし、何より立派な二重箱に入っている。外箱は漆塗り。絵よりも立派なので驚いたしだい。

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by sumus2013 | 2016-09-14 20:46 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

童蒙画引単語篇巻之二。

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松川半山『童蒙画引単語篇』巻之二。某氏コレクション、これで三冊揃って紹介できた。

松川半山『童蒙画引単語篇』巻之三

松川半山『童蒙画引単語篇巻一』

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「身体」の項の内臓にはビックリ。絵はまるで鉱物みたいに見える。肝と心の説明文を引いておく。

《肝ハ胸の下にあり上背骨の九の推[ずい]の下に付左三葉右四葉すべて七葉なり則ち酸を好む》

《心ハ肺管の下肋膜の上にあつて背骨第五の推[ずい]に付其形ち円くして蓮蕋[れんずい]のごとし四の穴ありて四臓に通ずるを主とす

これを読んでもほとんど何も分らないと思うのだが……とにかく子供たちが絵で内臓をイメージする時代が到来していた。明治七年発市(珍しい表記?)だから、これも明治維新による劇的変化のひとつというふうに考えていいのかもしれない。

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by sumus2013 | 2016-09-13 20:33 | 古書日録 | Comments(0)

ルオー展

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『日仏文化協定発効記念 ルオー展』(東京国立博物館、読売新聞社、一九五三年一〇月一日〜一一月一〇日)図録。タテ十八センチ、本文二十四頁、カラーは表紙と本文に二点のみ。出品目録はあるが、解説等もないシンプルな構成で、昨今の分厚いばかりで内容の薄いカタログとは対照的。表紙に文字を一切入れていない、誰がデザインしたか知らないが、これはひとつの見識であろう。

ルオーが初めて大掛かりに日本で紹介された展覧会である。日本人好みの画家なのかと思っていたが、案外と戦前には紹介が少ない。福島繁太郎が熱心にコレクションしていたのが例外的だったようだ。その証拠になるかどうか、『国立西洋美術館名作選』(西洋美術振興財団、二〇一三年)のベースになっている松方コレクションにはルオー作品が見当たらない。西洋美術館といえば、まだ一九五三年にはできていなかった。よって本展覧会は国立博物館の表慶館で開催されている。

金澤清恵
日本におけるジョルジュ・ルオーの紹介、あるいはその受容について

本文巻頭の図版は「郊外のキリスト」。福島コレクションの一枚で、現在はブリヂストン美術館が所蔵する。ブリヂストンが購入したのは一九五五年だから、このルオー展の二年ほど後である。

表紙が気に入って買ったものだが、この絵をじっと見つめていて、ふと思った。浮世絵……じゃないか。というのもちょうどこんな浮世絵の絵葉書を貰ったばかりだったから。

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春頂斎北松「三代目中村歌右衛門」文政八(1825)


画面一杯に納めた顔、くっきりとしたその眉・目・口(髭)など、明らかに類似している。もちろんルオーが手にしたのは写楽のような大首絵かも知れない。これは『版元揃上方繪殷賑[はんもとぞろゑ かみがたゑのにぎわひ]』(中尾書店、二〇一六年七月二七日)六枚セットのうちの一枚。橋爪先生の企画のようだ。

《海外ではその名もずばり「OSAKA PRINTS」。大英博物館はじめ世界の美術館が収蔵する「上方絵」である。
 江戸から明治に刊行され、芝居が盛んな大阪の文化を象徴して、芝居や歌舞伎俳優の似顔を描いた役者絵が多い。人間味あふれるリアリズムと、「粋[すい]」で「はんなり」した雰囲気は、江戸の浮世絵とは異なる大阪の味わいである。
 絵師では流光斎如圭、松好斎半兵衛、春頂斎北洲、芦国、芦ゆき、歌川派の国広、貞升、国員、芳梅、芳瀧や長谷川貞信などが活躍した。
 そして「上方絵」を出版していた版元(板元)が集っていたのが心斎橋周辺だ。本コレクションも、心斎橋周辺の版元の作品を選び、店の証である版元印も掲載した。》(はしづめ・せつや)

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案外とシブイ色彩感覚である。現在の上方のイメージとは少し離れているのかもしれない。


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by sumus2013 | 2016-09-12 19:56 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

わたしの小さな古本屋

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田中美穂『わたしの小さな古本屋』(ちくま文庫、二〇一六年九月一〇日、装画=平岡瞳)読了。単行本が出てからもう四年半にもなるとは……。

田中美穂『わたしの小さな古本屋 倉敷「蟲文庫」に流れるやさしい時間』

上の投稿で蟲さんはまだ独身と書いてあるが、今は既婚者(向井くんはまだだと思うけど)。本書には単行本に収められていないエッセイも八篇追加。そして早川義夫氏の「解説」がまたいい。

再読してみてあらためて上手い書き手だなあと感心した。ご本人も書いておられるが、自然科学の本ばかり読んで青春時代を過ごし、その上に広い文学的な経験を重ねたようだ。そのことが正確で読みやすく、それでいて深みもある文体を生んだのだろうか。今回、印象に残った作品は「聖書の赤いおじさん」。最初に開いた店でのできごと。まだ郵便局でアルバイトもしていた。アルバイトの日は早めに店仕舞をする。そこへ常連の職方風の小柄なおじさんがやってくる。

《仕事あがりに駅前の立ち呑み屋でいっぱいひっかけての帰り道ということらしく、いつも赤ら顔。
「わりぃな、酒くさくてよ」などと言いながらも、買っていかれる本は、たいてい『それでも聖母は信じた』というような、キリスト教系のさまざまな教団から出されている、少々マニアックで硬めの本。
 『聖書』は何種類も揃えているようで、「こりゃあウチにねえ(無い)な」という、ぼそっとしたつぶやきが聞こえてくるときもありました。
『本やこう(なんか)買うてけえったら(帰ったら)、酒呑んでしょんべんになったほうが、なんぼかマシじゃ言うて、嬶[かかあ]にケチつけられるんじゃけどな」と笑いながら、それでも来るたびに、一冊、二冊と作業着のポケットにねじ込んである、くしゃくしゃのお札を出して買っていってくれました。

おじさんも凄いが、聖書やキリスト教関係の本がそんなに在庫しているという蟲文庫もすごい。ところがある日、郵便局での仕事開始まであと四十分というときに、赤いおじさんが入って来た。通勤に二十分はかかる。いつもゆっくり本を見るおじさん……時間は迫る。さて、どうなるでしょう。本書でお楽しみください。

「祖父母」も好きだ。店の表で写真を撮っていると見慣れない犬が二匹連れ立って歩いて来た。

《前を歩くのが、中型の雑種然とした犬で、その後ろにぴったりとついているのが、小型でグレーの巻き毛の洋犬。その組み合わせだけでもなんだか面白いので、これはシャッターチャンスとばかりパチリとやっていたら、なんと、そのまますんなりと店のなかに入って行ってしまいました。
 どちらも首輪をしていて、人にも慣れているふうですが、しかしリードも飼い主も見当たりません。実は少し犬が苦手ということもあり、いったいどうしたものかと遠巻きにおろおろしている私を気に留めるふうもなく、店の床にねそべり、ごろごろとくつろいだりじゃれあったりして、そして小一時間くらいがたってから、また二匹連れ立って、ふいと去ってゆきました。
 そんな話を友人にすると、
「それ、誰か知り合いよ、きっと。おじいちゃんとおばあちゃんあたりじゃないの?」と言うのです。》

二匹の犬はそれ以来二度と姿を見せなかったそうである。




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by sumus2013 | 2016-09-11 18:52 | おすすめ本棚 | Comments(0)

どろの流れ

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『VIKING』第七八九号(VIKING CLUB、二〇一六年九月一五日、表紙=富士伸子)、中尾務さんより頂戴した。中尾氏の「「どろの流れ」、『文学界』に載らず 富士正晴調査余滴」が掲載されている。一九六五年七月、富士は小説「どろの流れ」を『文学界』編集部へ送付した。それは《読みづらいけれど、おもしろいので読みさすわけにはいかないこまった作品》と中尾氏の評する、対話が作品の大半を占めておりながら発話者が明記されていない、さらに会話を示す「 」も略されているという(まるで源氏物語のような)作品らしい。

この原稿はいつまでたっても『文学界』には掲載されなかった。しびれを切らした富士が返却を求めてようやく原稿が戻って来たのが一九六七年五月。富士はそれを原稿を頼まれていた岩波書店の『世界』へ回す。しかし、それもなかなか掲載されず、なんとか一九六八年二月号に載った。

どうして『文学界』に掲載されなかったのか? それは中尾氏の追求をお読みいただきたいが、中尾氏は「どろの流れ」初出の半年前に発表された藤枝静雄「空気頭」が絶賛されたことと対比させて富士作品が店ざらしにされたことの不運を見つつ次のように書いておられる。

《〈型ヤブリ〉と脱稿直後に記した富士正晴。〈変な小説〉と評した大洞正典。このふたりが、「どろの流れ」の新しさを意識していたかどうかは分らないが、ふたりの評価は、作品の新しさにつながるものではある。》

《読みづらさか。新しさか。
 依頼原稿「どろの流れ」が長いあいだ雑誌に載らなかった理由をあれこれさぐるも、結局のところ分らない。

「どろの流れ」というタイトル、主格を明示しない手法を考えると、ひょっとしてジョイスらの「意識の流れ Stream of consciousness」と関係あるのか……も? 読んでみないと分らない。 

***


内田魯庵『蠹魚之自傳』には丸善が焼けた話が二篇納められている。一は「丸善炎上の記」(明治四十一年十二月の火災についての記)で、もうひとつは関東大震災による焼亡を記した「丸善再度の典籍禍」である。後者にはこうある。

《私が丸善の焦土の前に立つたのは災後二週目であつた。飴のやうに曲つた鉄骨が焼け崩れた煉瓦や石材の山の上に覆ひ被さつた光景は重なり合つた巨獣の残骸を見るやうな感があつた。三日三晩此の焼け爛れた鐵や石の大きな火の塊まりから新古典籍の青い焔や赤い炎をチロチロと吐いてゐた悲愴の惨状は想像するに余りがあらう。》

河野通勢「丸善跡」

「丸善再度の典籍禍」は失われた書物についての記述がほとんどなのだが「丸善炎上の記」の方はいきいきとした火事場の描写が主になっていて魯庵の筆力をうかがわせるに足る作品。なにしろ火事の翌日駆けつけた、その日に書いたのだそうだ。

《呉服橋で電車を降りて店の近くへ来ると、ポンプの水が幾筋も流れてる中に、ホースが蛇のやうに蜒[のた]くつてゐた。其の水溜の中に呑気な顔をした見物人が山のやうに集[たか]つてゐた。處がらとて伊達巻の寝巻姿にハデなお召の羽織を引掛けた寝白粉[ねおしろい]の處斑[ところまば]らな夫者[それしや]らしい女がベチヤクチヤ喋つてゐた。煤だらけな顔をした耄碌頭巾の好い若い衆が気が抜けたやうに茫然[ぼんやり]立つてゐた。刺子姿の消火夫[しごとし]が忙しさうに雑沓を縫つて往つたり来たりしてゐた。》

《マダ工事中の建築の角を廻つて、半出来の事務所の一隅に仮に設けた受付へ行くと、狭い入口が見舞人で一杯になつてゐた。盆の上には名刺が堆かく山をなしてゐた。ソワソワする店員と眼や頤で会釈しつゝ奥へ行くと、思ひ思ひに火鉢を央[なか]に陣取つてる群が其處にも此處にも環を作つてゐたが、火鉢は何處からか借りて来たらしく看馴れないものばかりだつた。小汚ない古椅子が五六脚あるきりで、思ひ思ひに麦酒の箱や普請小屋の踏台に腰掛けてゐたが、誰の顔を見ても殺気立つて、一人も沈着いてゐなかつた。中には始終腰を浮かして立つたり座つたりしてゐるものもあつた。誰も皆ワサワサしてゐた。誰も皆ガチガチしてゐた。誰も皆付け元気でハシヤイデゐたが誰も皆沈鬱な淋しい顔をしてゐた。

白い髯で通る社長老人は眼鏡越しに眼をパチパチさせながら恰も一里も先に火事があったかのように悠々としていたそうだ。

《濛々と白い煙の立罩めた中に柱や棟木が重なつて倒れ、真黒或は半焦げになつた材木の下に積み重なつたまゝの書籍が黒焦げとなつてゐて、風に煽られる度に焼け残りの頁をヒラヒラと飛ばしてゐた。其處此處の焼灰の中からはマダ折々余燼がチラチラと焔を上げて、彼方此方に眼を配る消火夫が水を掛けると忽ちチウチウと音がして白い煙を渦立たして噴き出した。満目唯惨憺として猛火[みやうくわ]の暴虐を語つてゐた。

……。

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by sumus2013 | 2016-09-10 20:11 | 古書日録 | Comments(0)

文化的損失

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『シグナレス』第二十二号(蒼幻舎、二〇一六年七月三一日、表紙・デザイン=irori)。表紙とも十六頁でカルチャー批評の詰まったなかなかに濃い内容。西田宣善「映画製作者としての新たな歩み(2)」を面白く読む。文章量は本誌最長の一頁なのだが、このエッセイなどまだまだエピソードがありそうで、もっと読みたいと思わせる。せめて三頁くらいあれば……読者の勝手な欲望なのだが。

SIGNALESS

***


内田魯庵『蠹魚之自傳』より「永遠に償はれない文化的損失」。関東大震災の文化的な損害について。図書関係の部分から引いてみる。

《帝大図書館の滅亡は今度の震災の最大禍であつた。若干冊は焼け残つたといふが、特に貴重書を択んで搬出したわけでなく、各々手近のものを手あたりまかせに持出したので、その中には水濡れもあり破損もあり零冊もあり、焼け残つたと云つても実は焼けたも同様で、七十何万冊の殆んど全部が皆滅亡したのだ。》

なかでも特に魯庵が惜しむのは切支丹関係である。

《耶蘇会版の破天連の通信といふは此の日本の文化史の秘密を解く根本資料であつて、帝大図書館は三十年来苦辛して之を蒐集した。此の通信は總計何百冊あるか目録の徴すべきものがないからハツキリ解らないが、帝大図書館の蒐集は恐らく百冊を越えてゐたらう。其中には僅か数ページで時価数百金に値ひするものもあり、数百金を賭するも今後再び得る事の出来ないものもある。京大図書館にもサトーの集めた著名なコレクションがあるし、東洋文庫其他個人の数冊乃至数十冊を所有するものもあるが、帝大の多年の精苦を尽した大蒐集が一炬に焼かれて了つたのは日本に於ける耶蘇会版の最も貴重な一半を失つたわけである。

他にはマックス・ミュラー文庫のアジア関係書、館長和田萬吉(在任1897-1924)の徳川時代の小説など雑籍のコレクションもふたたび償うことのできないものだという。

被服廠(避難民三万八千人が犠牲になった場所)に隣接した安田邸にあった松廼舎文庫(安田善次郎による能や劇に関する稀覯書、自筆本などのコレクション)も失われてしまった。

《善次郎氏は十六七歳のころから蒐書に興味を持つてゐた。其頃薬研掘に京常といふ珍本屋があつて、青年善次郎氏は自邸に近かつたので此の京常に早くから出入してゐた。京常は小さな店だつたが、親仁が捻つた物が好きで折々案外な掘出し物があつたので、珍本好きが能く出入したもんだ。だが、余り目が利く方でなくてイツの間にか店を閉ぢて了つたから、京常の名を知るものは今では同じ珍本屋仲間でも浅倉屋か文行堂ぐらゐなもの、蒐書家では淡嶋寒月以外一人も無からう。善次郎氏が此の京常の顧客であつたといふは以てその古本道楽の昨日や今日の駈け出しでないのを知るべく、随つて三十年来の善次郎氏の文庫が選択[ゑりすぐ]つた珍本稀籍の大蒐集である事が誰にも容易に想像されやう。

善次郎はさらに短冊の蒐集にも力を入れていたという。

《此の方面に志ざしてマダ数年にしかならないが、富力の向ふところ百川大海に注ぐが如く、著名なる彌富氏の大蒐集を初め多くの好事家が苦辛した蒐集は大抵皆松廼舎文庫に収められた。

それらがすべて烏有に帰した。何であれ、あまりにひとところに集中するというのは危険なようである。


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by sumus2013 | 2016-09-09 17:40 | 古書日録 | Comments(0)

あの時みんな熱かった!

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星野画廊で開かれている「現代美術の先駆者たち・関西」(〜9月10日)を見る。一九五〇年代から六〇年代にかけてフランスなどのアンフォルメル運動に刺戟された日本の作家たちの作品、星野コレクションから選り抜き、が展示されていて当時を直接知らない者としては非常に興味深かった。例えば上の作品は須田剋太「宇宙時代の記号」(一九五九年)。須田剋太といえば司馬遼太郎とのコンビで大衆的な人気を得たのだと思うのだが、アンフォルメル時代にはこんな絵を描いていた。かなり前だが須田の大作で非常にいい抽象画を見たことがあって、もっと数を見てみたいなと思っていた。ちょうど今回の展示で七〜八点ほど並んでいた。どれも佳作だった。星野さんによると、何年か前にこの抽象のシリーズで大量の贋作が出回ったことがあったのだそうだ。贋作が登場するくらい人気があったという証拠ではあったが、そのために現在では須田のアンフォルメル作品は安くなってしまったそうだ。ということは買い時だとも言える(ただし目利きが必要)。須田以外も注目すべき作品ばかりだったのだが、やはり三上誠が抜けている。とくにここに掛かっていたのはいずれも名品だった。

星野さんから近代美術館へ移動。「あの時みんな、熱かった! アンフォルメルと日本の美術」(〜9月11日)を見る。手際よくアンフォルメルの流れを並べてみせていた。熱かった! というわりには、展示はクールだった。総花的で教科書的だったかも。もう少しマニアックに熱くてもよかったように思う。それは星野画廊に任せるということでもないだろうが、ふたつを同時に見るのがよろしい。井上有一と東松照明(「ワックスマンの胸」他)が印象に残った。三上誠も数点展示されていたものの星野画廊にあったものの方が数段良かった。

同時開催、京都のマネキン製作会社に焦点を当てた「七彩に集った作家たち」は画期的な企画だと思うが、もっとちゃんとした大きな展示にすべきだった。こじんまりとまとめてこの会社の面白さが伝わり切っていない。個人的に七彩に勤めていた人を知っているが、ユニークな人ばかりだった。せっかくの機会、そのへんもっと掘り下げてほしかった。

***

内田魯庵『蠹魚之自傳』より焚書の話をもう少し。

《昔の咄は本に限らず何でも大きいから余程割引して聞かにやアならねエ。ヂスレリー伯父さんの『文献異聞』(Curiosities of Literature)にコテコテに列べ立てた各国の焚書も丸々ウソぢやアあるめエが、四千軒の風呂屋が半年燃料[たきつけ]にして湯を沸かしても焚き尽せなかつたといふアレキサンドリヤの焚書なぞは嘘月村の鉄砲矢八の洞喝咄[ほらばなし]よりもうまく出来てる。が、五度や六度ぐれエは書物で沸かした風呂で兵隊に汗を流さしたかも知れねエ。

参考までにエル=アバディ『古代アレクサンドリア図書館』(中公新書、一九九一年)によれば、アレクサンドリア図書館には少なくとも五十万冊はあったようである(書籍と巻物を含む)。また当時の書籍の表紙は板だった可能性もあるから風呂の焚き付けにはもってこいだったかもしれない。

《何も千年二千年前の大昔の話を持出さねエだつて、ツイ先年[こねいだ]の日清日露の戦争の時にだつて本で焚火をしたり湯を沸かしたりした咄はある。宋槧本や元槧本で沸かした瓶風呂で垢を落した罰当りの中に金鵄勲章を貰つた奴があるかも知れねエ。西洋でも日本でも戦争の為め或は政治や宗教の迫害の為め亡びた書物はドレほどあるか計られ無エ。書物の破壊者として俺達よりも罪の深エのは人間の無知だが、一番暴虐な大破壊者は政治や宗教の迫害で、夫から比べると俺達のはホンのチヨツケイを出すぐれエな悪戯で罪は無エのさ。

『陶庵夢憶』のすでに紹介した三代の蔵書でも兵火で本が焼かれる話が出ていた。

《あとに残った分は、邸を占拠した方(方国安)の兵が、毎日ひき裂いては煙にし、また銭塘江の岸に舁いで行って、鎧のなかに敷いたり、矢玉を防ぐしろにしたりして、四十年間に積んだものが、これまた一日にしてことごとく失われた。》

魯庵は、いや、シミ君は、日本において政治的に抹殺された書物の代表的なものとして切支丹本を挙げてそのお門違いな弾圧をこう形容している。

《版式から云つても特異で、整板活字總括[つゝくる]めて日本の古版の王だつて家の大将なんかは褒めちぎつてる。さういふものを焼いて了うつてのは国家の為めに悪魔の使者を斬つたツモリだらうが、丁度臆病者が幻覚の為め錯迷して刀を指廻して罪もねエものに怪我させたやうなものだ。》

古版の王と言っているのは『こんてむつす・むんぢ』のことである。

こんてむつすむん地

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by sumus2013 | 2016-09-08 19:49 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

蠹魚之自伝

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内田魯庵『蠹魚之自傳』(春秋社、一九二九年一〇月一〇日)を借覧中。この函は旧蔵者による手製だろう。ほんとうの函がどんな図案なのか画像検索してもヒットしなかったが[と書いたところMさんが画像を提供してくださった。深謝です]、装幀は子息の内田巌。巌についてはこれまでも何度か触れて来た(下記にまとめてある)。

早稲田をめぐる画家たちの物語


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《表紙の画は父の唯一の遺愛品である秘魯鳴壺を図案化したもの見返しの蠹魚喰はれた古本の写真も父の生前左右にあつたものを其儘用ひました。》(巌記)

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何回かに分けて本書から気になったところを引用してみる。まずは表題作「蠹魚の自伝」(しみのじでん)より。このエッセイは蠹魚の立場から人間と書物の関係を痛烈に批判した内容である。おそらく「吾輩は猫である」(「猫伝」というタイトルになるはずだった)に倣ったものと思われる。ベランメエの口調が心地いい。江戸歌舞伎の助六を連想させもする。

《だが、夫れは夫れとして俺達の蝕つたあとを見て呉んナ。芸術的ぢやねエか、丸でレースのやうだ。故とらしい技巧の無エ自然の紋様はステキぢやねエか。所有者が権利を抛棄した廃紙が俺達のお庇で芸術化される。此の芸術味が解らねエで俺達を破壊者扱[あつけ]エする奴の野暮さ加減は話にならねエ。松浦の殿様静山侯は有繋に眼が明いてる。虫の蝕つたあとが面白エツてので帯地に織らしたて話が『甲子夜話』に見える。大[てい]したもんだ。芸術の理解がありや俺達[おれつち]の蝕つた跡の芸術味を見逃す筈は無エ。勧学院の雀は蒙求を囀るで、恁う見えて俺達は親代々[おやでいでい]芸術書も相当に噛つてる。生れながらの芸術家だ。あんまり安く扱つて貰ふめエぜ。》

本書を通して焼けた書物について文章がかなりの分量を占める。関東大震災後間もなくに書かれた随筆や論考を集めているのだから当然かもしれない。丸善の出火などは別に引用するとして「蠹魚の自伝」でも神保町の焼尽についての言及があり、シミ君はこのようにスッパリと斬り捨てる。「家の大将」というのは魯庵の本体(?)。繰返し記号は略した。

《だが、書物も時々は大掃除した方がいゝつていふ奴もあるぜ。先日[こねえだ]も旋毛[つむじ]の曲つた凸凹が家の大将[ていしやう]の許[とけ]エ来て饒舌[しやべ]つてゐた。神田から本郷一円、浅草下谷へ掛けて本屋が全滅したので、先づ古本の大掃除が出来てノウノウしたと思つたらドンドン復興してウンザリしちやつた。本なんてものは掃溜の塵同様、アトからアトからと溜るんだから、五六遍も思切つて焼いちまはねエと整理が付かねエと、凸凹め、秦の始皇帝気取りで豪勢熱を吹いてやがつた。本屋が聞いたら頭からポッポと湯気を立つて怒りさうだが、アレだけ焼いても直ぐドコからか湧く。忽ち棚が填まるんだから、此の上五遍や六遍焼けたからつて書物の饑饉が来る気遣エは無エ。俺達に取つても先づ当分は食料問題の心配が無エといふもんだ。》

おっしゃる通り。


内田魯庵『紙魚繁昌記』(書物展望社、一九三三年三版)

http://sumus.exblog.jp/9373107/

内田魯庵『読書放浪』(書物展望社、一九三三年四月三日)

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by sumus2013 | 2016-09-07 17:38 | 古書日録 | Comments(0)

僕の歌

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『短歌文学全集石川啄木篇』(石川正雄編、第一書房、一九三六年九月一七日)。もちろん均一台より。珍しい本ではないし第一書房の本だし、とは言いつつも上製函入で布装(模様はたぶん木版摺)、見返しの紙も銀で波濤を刷り出しているのは悪くないなとつい手がでてしまった。

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ランボーや中原中也もそうだが、作品もさることならが、アイドル的なルックス(というよりもアイコンとして流布されたポートレート写真)が人気の秘密ではないかと思うのである。

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《僕の今作る歌は極めて存在の理由の少ないものである。僕はその事をよく知つてゐる。言はば作つても作らなくても同じ事なのだ。君は今日記といふものを書いてゐるかどうか知らないが、僕の今の歌は殆ど全く日記を書く心持で作るのだ。日記も人によつて上手下手があらう。然し日記は上手下手によつて価値の違ふものではない。さうしてその価値は全くその日記の持主自身の外には関係のないものなのだ。「僕はかう感じた(或はかう考へた)」これ僕の今の歌の全体である、その外に意味がない、それ以上に意味がない。》(僕の歌)

日記を書く心持》および《日記は上手下手によつて価値の違ふものではない》には傍点がある。この文章は「僕の歌」と仮に題されているが、明治四十四年一月九日付瀬川深宛書簡、『一握の砂』に対して旧友の瀬川が感想を送った手紙に対する返信である。冒頭だけ引用した

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by sumus2013 | 2016-09-06 21:18 | 古書日録 | Comments(0)