林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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仏和会話小辞典つづき

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仏和辞典の印刷について摸索するためにラゲは一九〇一年から〇四年まで東京に居住した[アルシーヴの記載による]。一九〇五年、辞典は印刷に付され日本語を学ぼうとする人々にとっての大きな助けとなった。

鹿児島へ戻り、『佛和㑹話大辭典』の売り上げによって、ザビエルに捧げられた聖フランシスコ・ザベリオ聖堂を建立した(一九〇八年)。一九一〇年[日本語ウィキでは一九一一年二月]、ラゲは八千人の信徒を数える長崎の浦上小教区の責任者に指名され、浦上天主堂の建設を成し遂げた。二十年[着工は一八九五年、献堂式は一九一四年。高塔ドームが完成したのが一九二五年]にもわたる工事であったが、この聖堂は一九四五年八月の原爆によって破壊された


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ラゲはブルトン神父に頼まれて一九一五年にカリフォルニアへ若い女性信者を伝道の手伝いとして送り出す仕事を始めた。これは「訪問会」(聖母訪問会)と名付けられ以後長く継続されることになる。

『新約聖書』につづいてアンリ・ラッセール『ルルドの聖母』、『キリストのまねび』、『心戰』を和訳し、『小教理問答集』、『聖人伝』二巻、『公教初歩説明』三巻などを編集した。著書は他にも多数にのぼる。ラゲ訳『新訳聖書』については下記サイトでは次のように説明されている。

『聖福音書』の後も日本カトリック教会には聖書全訳の業がなく、見るべき聖書的著述も数編あるにすぎなかった。しかし、ベルギー人司祭ラゲが鹿児島県山下町教会に在任中、ヴルガタ・ラテン聖書を基にギリシャ語聖書を参照、伝道士加古義一の助けを受け新訳聖書の完訳を試み、1905(明治38)年頃脱稿した。それを当時の第七高等学校講師小野藤太、武笠三、二松学舎の山田準等が添削しようやく成稿を見たが資金がなく、直ちに出版できなかった。1908(明治41)年、ラゲは東京の築地教会に転任するが、1910(明治43)年私財と有志の寄付金により『我主イエズスキリストの新訳聖書』はようやく刊行の運びとなった。それは直ちに異版が出たが、通常これを初版としている。これは私訳と呼ぶべきものであるが、日本カトリック教会における確実な、新訳全訳の嚆矢であり、ほとんど標準訳のように長く用いられた。》

「一九〇八年に築地教会に転任する」をどう読むべきか、情報不足なのではっきり分らないが、新約の印刷出版のために再び東京に住んだということだったのかもしれない。

一九二〇年頃、健康に不安を感じるようになったため、休息を願い出た。そこで彼の司教は彼を司教館へ呼んだ。かくして著作の見直しや辞典の改訂に専念できるようになり、アカデミ・フランセーズからの賞讃やベルギー王からの勲章が彼にもたらされた。

一九二七年、教区がふたつに分割された。長崎は日本人司教に預けられ、新しい教区、福岡は外国宣教会にまかされた。ラゲはブルトン神父(福岡教区の司教)によってまとめられた日本人の信徒たちのもとから引退を望んでいた。彼らは東京郊外の大森に小さな病院を維持していたので、一九二八年にラゲはそこへ入り、二九年四月に聖職者としての金婚式を祝ったが、十一月三日、主は彼を召された。そして東京「多摩川のクリスチャン墓地」へ埋葬された[アルシーヴの言う多摩川のクリスチャン墓地(le cimetière chrétien de Tamagawa)というのもよく分らないが、カトリック府中墓地であろうという御教示をたまわった]。


『仏和会話小辞典』の内容をごく一部だが紹介しておく。書物関係の単語を選んでみた。

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小辞典と同じ年に『佛和会話大辞典』(天主公教会、一九〇五年)も刊行されている。当然ながら大辞典の簡易版が小辞典ということである。大辞典の方は目下のところ「日本の古本屋」にも何冊か出品されていて、それぞれがかなり高額である。小辞典は幸い(?)出品されていない。貴重な辞典であることに変わりはないだろう。


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by sumus2013 | 2016-08-03 17:53 | 古書日録 | Comments(3)

仏和会話小辞典

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エ、ラゲ編訳『仏和会話小辞典』(天主公教会、一九〇五年七月二二日)。扉には『仏和小辞典』とあり仏文タイトルは「Petit dictionnaire français-japonais pour la conversation」。某氏より恵投いただいた。深謝です。

《同封の一冊、このような状態で、なんともはやなんですが、明石町にあった頃の立教が発行にからんでいるようなので(私は練馬で、池袋の立教には近いので、それだけの理由で(笑)、入手しました。》

という某氏のメモの通り扉の裏に《Imprimerie RIKKYO GAKUIN PRESS/60.Akashicho Kyobashi-ku》とあり(奥付にも明記されている)、また序文の最後、編訳者ラゲの住所が《Tōkyō, Kyōbashi-ku Akashichō, 35.》となっているので、当時ラゲが住んでいたのは明石町(旧築地居留地)の立教大学の隣、築地聖路加病院の北側あたりだったと分る。印刷を監督する意味でも印刷所の近くに滞在したのであろうか。なお、立教は米国聖公会、ラゲはフランス(ベルギー)のカトリックである。

《築地居留地の35・36番は、カトリック築地教会》との御教示をいただいたので検索してみると一八七四年にパリ外国宣教会が建てた教会で、東京のカトリックの中心拠点だった。以下に述べるように同会から派遣されていたラゲが滞在するのに不思議はない。


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公教宣教師ラゲとはどんな人物か。日本語のウィキにも立項されている。日本に長らく滞在し、歿したのも東京である。パリ外国宣教会(Missions Étrangères de Paris)のアルシーヴに略歴が出ているので主にそちらを参照しながら簡単に紹介しておく。

エミール・ラゲ Émile Raguet(1854-1929)
ベルギーのトゥールネー(Tournai)教区内ブレーヌ・ル・コント(Braine-le-Comte)に一八五四年一〇月二四日に生まれた。ボンヌ・エスペランス中等神学校で優秀な成績を修め、トゥールネー高等神学校へ進み、一八七七年五月には副助祭に任命された。同じ年の九月、パリ外国宣教会に入会を認められ、七八年九月には助祭に任命された。七九年三月聖職者塗油(l'onction sacerdotale)を受け、同年四月、日本での宣教へと出発した。

長崎に到着してすぐに長崎湾の島々に派遣された。古い殉教者たちの子孫からなるキリスト教徒たちがいた(隠れキリシタンのこと)。ラゲ神父はおよそ十五年間、彼らの間に留まった(ということは二十五歳から四十歳頃まで)。次に司教からキリスト教化していない地域を調査するように求められ、福岡、大分、宮崎、そして最後に鹿児島へと移った(一八九六年)。そこは聖フランソワ・サビエ(ザビエル)が一五四九年に上陸した地である。

すでに鹿児島では五島の隠れキリシタン出身の島田喜蔵が旅館の一室で布教活動を始めていた。島田は香港のパリ外国宣教会へ一時身を寄せたことがあり、そこで髷を落としたという。その後、横浜、長崎の神学校で学び、一八八七年に司祭に叙階された。その島田の後継者として、九六年にラゲが着任した。鹿児島での彼の仕事で特筆されるのは、石造りのザビエル聖堂の建設(一九〇八年)と小野藤太らの協力で実現した仏和辞典の編集、『新訳聖書』の翻訳である。

ラゲは十四年間鹿児島に居たそうだが、布教するだけでなく、若い神父たちの宣教活動の手助けをする仕事も行った。そこで彼は「仏和辞典」を作ることを企て、小野藤太(1870-1916)の協力を得ることになった。小野は数学者で当時は第七高等学校講師だったらしい。数学問題集や数学に関する著書、また仏教(真言宗)に関する著述も多いが、アルシーヴによれば死の床で洗礼を受けてカトリック信者になったという。

[つづく]

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by sumus2013 | 2016-08-02 20:36 | 古書日録 | Comments(3)

アンドレ・ブルトン没後50年


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アンドレ・ブルトン没後50年記念イベントへのパスポート


アンドレ・ブルトン没後50年記念展
2016年9月3日 - 10月23日
シス書店
http://www.librairie6.com


アニー・ル・ブラン来日講演

第 I 部 アンドレ・ブルトンを語る
2016年9月18日
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第 II 部 アンドレ・ブルトンの遺志と現代へのメッセージ
2016年9月21日
アンスティチュ・フランセ東京
エスパス・イマージュ
http://www.institutfrancais.jp/tokyo/


アンドレ・ブルトン没後50年記念出版

I ブレッソン+ブルトン『太陽王アンドレ・ブルトン』
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II ラドヴァン・イヴシック
『あの日々のすべてを想い起こせ
アンドレ・ブルトン最後の夏』

III アニー・ル・ブラン『換気口』

IV アンドレ・ブルトン『等角投像』


エディション・イレーヌ
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by sumus2013 | 2016-08-01 14:58 | おすすめ本棚 | Comments(0)