林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
カテゴリ
全体
古書日録
もよおしいろいろ
おすすめ本棚
画家=林哲夫
装幀=林哲夫
文筆=林哲夫
喫茶店の時代
うどん県あれこれ
雲遅空想美術館
コレクション
おととこゑ
巴里アンフェール
関西の出版社
彷書月刊総目次
未分類
以前の記事
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
お気に入りブログ
NabeQuest(na...
daily-sumus
Madame100gの不...
最新のコメント
うちのPCも古くなってき..
by sumus2013 at 13:22
「うまやはし日記」持って..
by 大島なえ at 12:36
15周年おめでとうござい..
by sumus2013 at 08:06
吉岡実の俳句、しみじみと..
by 小林一郎 at 22:58
百人百冊、千人千冊のお宝..
by sumus2013 at 07:49
夕方、店じまい寸前に参戦..
by 牛津 at 23:51
そうでしたか! クラシッ..
by sumus2013 at 08:12
有り難うございます。在、..
by sumus2013 at 20:18
ご無沙汰しております。い..
by epokhe at 16:28
こちらこそ有り難うござい..
by sumus2013 at 15:05
メモ帳
最新のトラックバック
天才画家ゴッホの生涯と画..
from dezire_photo &..
ルーベンスの故郷、ヨーロ..
from dezire_photo &..
シャガール、ピカソ、マテ..
from dezire_photo &..
ポン=タヴァン派、総合主..
from dezire_photo &..
視聴率に関係なく選んだ2..
from dezire_photo &..
宝石のような輝をもった印..
from dezire_photo &..
ルネサンス美術の巨匠・ピ..
from dezire_photo &..
既成概念から絵画の解放に..
from dezire_photo &..
既成概念から絵画の解放に..
from dezire_photo &..
過去に来日した傑作を回顧..
from dezire_photo &..
検索
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


<   2016年 08月 ( 32 )   > この月の画像一覧

第29回下鴨納涼古本まつり

f0307792_20322088.jpg

f0307792_16235979.jpg

f0307792_16235791.jpg

午前中は暑さもまずまず。ざっと流した感じではやはり口笛文庫+サンコウあたりがいちばん混沌として、いかにも何かありそうな雰囲気だった。しかしあまり本が多すぎるのも落ち着かないもの。三つ四つのテントのぞいただけでもう昼になり、岡崎氏、生田氏、善行堂らと昼食へ。初日はパッとしないまま、一旦帰宅(途中一軒のぞいたが)。

午後六時半からのディラン・セカンドでの岡崎・山本トーク&ライブへ。木屋町通りで魚雷氏に会った。実家の三重から昼過ぎに着いて下鴨をのぞいてからやってきたそうだ。

f0307792_07571958.jpg



六時半にはほぼ満席、知った顔も多い。かなり遅れて扉野氏が、髭を生やしているので一瞬誰だかわからなかった。なつかしいフォークソングや歌謡曲を岡・山コンビと岡崎氏の弟さんで演奏。合間に古本話を。二時間。最後に抽選券によるプレゼントがあって終了。お疲れさん。

f0307792_07572108.jpg


[PR]
by sumus2013 | 2016-08-11 16:29 | もよおしいろいろ | Comments(0)

行吟古集納涼詩

f0307792_17451566.jpg

夏休みの採集品が届いた……わけではなく岩波書店のレッテルを頂戴した。深謝。寺田寅彦『万華鏡』(岩波書店、一九三九年九月三〇日六刷)に貼付されていたそうだ。

f0307792_17451073.jpg

このブログではこれまでも古書店レッテルは色々紹介してきたが、もちろん新刊書店も昔はレッテルを使用していた。おそらく外国の新刊書店が使っているのを真似したのだろうと思う。この岩波書店のレッテルはドイツ語も併記されているように、例えば下記のようなドイツ書店の模倣かもしれない。

H.MAUER、書籍・美術商店

推測に過ぎないが、レッテルの使用は丸善あたりが最初か。そして紀伊國屋書店にもレッテルがあったし、戦前はたいていの大店は独自の書店標をもっていた。出版点数があまりに多くなると、こんなレッテル貼って売ってる場合じゃなくなったものと思う。これまで紹介した新刊書店のレッテルをリンクしておく。

f0307792_19394147.jpg

東京堂書店のレッテル

南天堂書房のレッテル

海文堂書店


明日は下鴨納涼古本まつりの初日。最近はあまりガツガツ本を探し求めるということはなくなった。ぶらりぶらりと珍しいレッテルに出会わないかな、というくらいの軽い気分で歩いてみたい。

 ふしてはしんとりんすゐのしやうをみ
 ゆきてはこしふなふりやうのしをぎんず
 臥見新図臨水障
 行吟古集納涼詩

       題納涼之画 菅原道真(倭漢朗詠集より)

[PR]
by sumus2013 | 2016-08-10 20:29 | 古書日録 | Comments(0)

ANIMALS

f0307792_20381530.jpg

ボブ・ディラン「Animals (Man Gave Names To All The Animals) / Trouble In Mind」(CBS, 1979)。フランスのCBSからリリースされたシングル盤。

f0307792_20381945.jpg

ジャケット裏面はアルバム「Slow Train Coming」(CBS, 1979)の広告になっている。久しぶりにエンゲルスガールに立ち寄って求めた一枚。まったくもってジャケット買いである。ところが、不思議なことに、これもまた、このところ連続して取り上げているキリスト教がらみの一品だった。

すなわち、このシングルおよびアルバムはユダヤ教で育ったボブ・ディランがキリスト教へ回心した画期的なものなのだ。「Man Gave Names To All The Animals」もタイトル通り聖書(創世記)から取られている。それまでのディラン・ファンをがっかりさせた反面、全米チャート二位になったようにクリスチャンの新しいファン層を獲得したともいう。

シングル盤「Man Gave Names To All The Animals」は西ヨーロッパ各国で発売され、とくにフランス(ベルギー)でもっとも売れたようである。米国と日本ではプロモ盤のみ。邦題は「世界のはじめに/ウェン・ヒー・リターンズ」(1979年10月、CBSソニー)。ディラン節によるレゲー。

f0307792_20382466.jpg

Bob Dylan ‎– Man Gave Names To All The Animals


f0307792_20405565.jpg



アンテナ「エンゲスルガール」 

[PR]
by sumus2013 | 2016-08-09 21:23 | おととこゑ | Comments(0)

針の穴から

f0307792_18545266.jpg


牧野虎次『針の穴から』(牧野虎次先生米寿記念会、一九五八年一一月三〇日)。牧野は同志社英学校出身でエール大学神学部を卒業。巻末年譜を見ると、じつにさまざまな仕事をこなしているが、軍国主義下の昭和十三年から同志社に戻り、十六年から総長に就任、二十二年まで務めた。本書はその回顧録である。

いろいろ興味深いことが書かれているが、本日のヴィデオ・レターに関係する記事があるのでそこだけ引用しておこう。大正十年、牧野が内務省に勤務していたときのこと、床次内相から皇太子(すなわち昭和天皇)の渡英に関して、向うで何を学べばいいかという質問を受けた。それに対してこう答えたという。

《恐れながら他日、皇位をつがれる殿下で在らせられるから、外の者では到底、成し遂げることの能[でき]ないことを、特に殿下に願い度い。夫は英皇室が現に御取扱いになりつつある対民衆福祉事業の在り方である。》

《英皇室の対民衆福祉事業には独特の長所があると称せられるが、その長所をスッカリ御体得の同皇太后と、朝夕起居を倶になさるるわが皇太子であるから、私がひそかに念願することは、直々に慈善事業[チャリチー・ワーク](英国では今にこの用語を使ってある)に対する御心懸の程を伺って貰い度い。》

《実はこの点に就き我皇室と英皇室とは取扱い振りが全然違ってある。此方では念に念を入れて、公平を主とすると共に、洩れたり、間違ったりしてはならぬと、慎重を期するが故に往々にして間が抜けることになる。彼方では適切と迅速とを尚び、不慮の災害には即坐に飛んで行き、応急の所置を講ぜらると云う次第だ。曽てロンドン市内に大火が起り、消防夫が殉職したことがあった。余燼なお消えない内に、皇室から御名代が市長公館を見舞われ、殉職者の未亡人を御呼び出しになり、慰めの言葉と共に顧みて市長に対し、適当な年金[ペンシヨン]を給与する様に仰せ出された。温かい情味溢れた取扱いがどれ程、全国民を感動せしめたか図られないのである。我皇太子殿下が斯かる方面に見聞を御広め遊ばされることを御願い申上げたいのである。》

この建言は採用された。あわてて書類を作成し英国大使館へ送付した。英王室にそのような配慮を求めるためであった。

《以上は大正時代の晩年の出来事だ。昭和時代となってから我宮内庁の御取扱いは非常にかわった。草〓[新字源6877]の微臣、平素の念願が雲上にまで直通する様になったことを、私は心ひそかに感謝に溢れて居る。果たせるかな我が茅屋の軒先から仰げば、天上の月はすぐそこに懸かってあるでないか。然り、針の穴からでも天を仰ぐことができるのだ。》

牧野虎次の建言が今にいたる皇室チャリティーワークのスタート地点だったようである。

f0307792_18545172.jpg


[PR]
by sumus2013 | 2016-08-08 19:49 | 古書日録 | Comments(0)

モディリアニ

f0307792_21042424.jpg


ちょっと悲しいできごと。ある古書目録に J・モディリアニ『モディリアニ』(矢内原伊作訳、みすず書房、一九七九年新装二刷)が二百円で出ていた。ちょうどモディの画を眺めたい気分だったので、これは安いと思って注文した。さすがに二百円の本一冊というわけにもいかず、もう少し値の張るものも抱き合わせて(むろんそちらもいずれ必要な本ではあった)。

何日かして二冊の本が届いた。開いてみると『モデイリアニ』は裸本である(カバーがない)。そんなことどこにも書いていなかった。

f0307792_21043271.jpg


f0307792_21040741.jpg


f0307792_21044232.jpg


それだけなら、残念ではあるが、とにかくも二百円だから許せる。ところが、本文をめくって、この画集(というより評伝か)の後半にある図版ぺージを開いて、ビックリ、ガックリ。カットされた色刷り図版がバラバラっと落ちてきた。

f0307792_21044590.jpg

うっそー! と思ってよく見たら、これらのカットアウトはこの本からではなく、美術雑誌か何かから取ったのだということが分った。ひと安心……もつかのま、切抜きを脇にやってみると、なんと図版1の次が図版4になっていた。やはり2と3の頁が切り取られていたのである。埋め合わせに雑誌の図版をはさんでおいた、わけでもあるまいが、これは悲し過ぎる。もし百円均一にこの本が出ていても、絶対に買わないだろう。

目録買いではときおりこんなとんでもない品物が届くことがある。返品したりはしないけれど、もう二度とこの目録からは注文しないと思う(たぶん)。どうも担当者が変ったようでここ一年くらいあまりいい本が出ていない。それまでは毎号たいてい何かヒットする貴重な目録だったのに。注文したい本がめっきり減り、ときにこんなカスをつかむ。まさに目録は人なり。ブログのネタにして溜飲を下げたと言いたいところだが、いよいよムカムカしてきた。

********

先日、エミール・ラゲの墓所が「多摩川のクリスチャン墓地」だとパリ外国宣教会のアルシーヴに書いてあり、それはカトリック府中墓地だという御教示をいただいたが、実際にラゲが府中墓地の「東京大司教区司祭の墓」(歴代の司祭が葬られている)に埋葬されていることが分った。たぶん下記サイトに出ている写真の司祭墓だろうと思う。

東京教区ニュース第271号
ペトロ白柳誠一枢機卿の追悼ミサ・納骨式

ただし合同墓なのか、その一画に別にある墓なのかは、確かめられなかった。ヨーロッパなどでは教会に聖者の遺骸が麗々しく納められていることがあるが(教会そのものが墓である)、もし合同墓に眠っているのなら、ラゲも火葬だったということだろうか。パリのペール・ラシェーズにも火葬による遺灰を納める引き出しのような墓所があるのをふと思い出した。

マックス・エルンストの墓 
モディリアーニの墓




[PR]
by sumus2013 | 2016-08-07 21:54 | 古書日録 | Comments(0)

湯川成一氏をはげます会

f0307792_20310817.jpg



珍しい出版資料を拝見する機会があった。「湯川書房 湯川成一氏をはげます会」の案内一式である。まず封筒(実際には宛名があるが、念のために消しておいた)。裏面は印刷なし。消印は昭和四十八年九月八日。

f0307792_20310631.jpg

発起人 大阪 本の会
事ム所 東住吉区田辺東ノ町六丁目(水上方)
連絡先 大阪市北区宗是町 大ビル
〒530 いづみ書店
TEL(441)四三一二

「いづみ書店」は大阪ビル(ダイビル)にあった書店で経営者の泉啓一は愛書家の集り「大阪本の会」の世話役だったそうだ。また肥田皓三や谷沢永一らとも親しくし、谷沢の『執筆論 私はこうして本を書いてきた』(東洋経済新報社、二〇〇六年)にはいづみ書店で「内藤湖南著書展」が開かれたことについての記述が見える(……この辺りのことはいつもコメントをくださるFさんにお聞きするのがいちばんなのだが、今春に亡くなられたと聞いてショックを受けているところである)

大ビルと言えば、小生も九年ほども前にプラトン社のトークショーに参加したことがあったのを思い出した。渋いビルだったが、取り壊されてしまった。

プラトン社 大大阪モダニズム出版社

封筒のなかには和紙にガリ版というシブい案内状と返信用葉書がそれぞれ一枚。案内状はA4より少し大きめなので全体をスキャンできないため左右に分けて取り込んだ。ご覧のように朱と緑は手彩色である。

《彗星の如く突如として出現した湯川書房は、その處女出版 辻邦生 小説「北の岬」を開板以来区々数年を経ずして次々と珠玉の作品を限定上梓し忽ちにして出版界内外のひとしく瞠目するところなりました。》

辻邦生『北の岬』(湯川書房、一九六九年二月二八日)

『季刊銀花』で紹介されたのを機に小川国夫、塚本邦雄、庄司浅水らを招いて九月二十二日に中ノ島グランドホテルで催されたということのようだ。会費四八〇〇円。記念写真代金含むとあるから、記念写真を撮影したわけだ。これは見て見たいものだ。

『季刊銀花』湯川の限定本


f0307792_20310584.jpg
f0307792_20310349.jpg


見ておきたかったと言えば、二十二日〜二十七日にかけて湯川書房の全作品をいづみ書店で展示したそうなので、これも見ておきたかった展示である。もちろん小生は讃岐高松の高校へ通っているころなので、在り得ようもないことなのではあるが。

f0307792_20305672.jpg

透かしかと思ったら、版画のようである。向かって左に「本」、右に「鳥の絵と正の字」が刷られている。

[PR]
by sumus2013 | 2016-08-06 21:17 | 古書日録 | Comments(0)

はっぴーあいらんど祝島通信Vol.4

f0307792_16532802.jpg

2016年8月8日発行

著者 優子☆
写真 國弘秀人
装幀 林 哲夫
発行 柳原一徳

発行所 みずのわ出版
http://www.mizunowa.com

188×128mm


はっぴーあいらんど祝島通信FB
https://www.facebook.com/happy.iwaishima/

[PR]
by sumus2013 | 2016-08-06 17:00 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

龍彦忌

f0307792_20165242.jpg


澁澤龍彦は一九八七年八月五日に歿したので今年三十回忌に当る。法要は三十三回忌に行うのが通例だが、去る七月十五日に「澁澤龍彦没後30年を迎える会」が山の上ホテルで催され、錚々たる同時代人が集まったということである。検索するといろいろな人たちがその様子を報告している。一例をリンクしておく。

七夕そして澁澤龍彦没して30年 - 漁書日誌ver.β

以前にも書いたように澁澤龍彦の本はもうほとんど処分してしまい、サド関係のわずかな文庫と『さかしま』と全集の別巻2(年譜、書誌他)くらいで、一昨年読み返したくなって求めたり頂戴したりした本は郷里の本棚行きだから、相変わらず、常備は十冊もない。『さかしま』を久々に読み直そうかな、と本を取り出して思うていど。真価は分らないが、われわれの世代にとってもやはり澁澤龍彦はその名前の漢字とともにカッコよく輝いていた。全集の年譜より臨終までの半月ほどを引用して回向に換えたい。

《七月二十日、〈食道破れる〉(同前)。いっさい食事ができなくなり、高カロリーの点滴を開始。二十二日、新潮社の小島喜久江と伊藤貴和子。二十三日、小山、内藤(憲)。
 七月二十八日、堀内夫人が見舞いに来て、夫君・堀内誠一の咽頭癌が肺に転移し、虎ノ門病院に再入院することになったと伝える。この長年の友人は、おなじ病のため、澁澤龍彦の死の十二日後の八月十七日に死去する。
 七月三十日、『新編ビブリオテカ』の三冊目『唐草物語』(二十五日刊)ができ、鶴ヶ谷がとどけにくる。三十一日、矢川。
 八月一日、澁澤幸子が丸山ワクチンをもって見舞いにくる。石井。二日、出口。
 八月三日、頸動脈瘤ができ、一週間以内といわれる。〈でもとても元気で仕事したり本読んだりしている〉(龍子夫人のノート)。平凡社の岡、文藝春秋の加藤。
 八月四日、再々手術の予定があったが、延期されることになる。出口、種村。
 八月五日、午後三時三十五分、読書中、頸動脈が破裂して、死去。》

まだ六十に達していなかった。それにしても読書中の死去というのはいかにも似つかわしい。この後、車で亡骸は自宅に戻ったが、夜、稲妻とはげしい雷鳴があったという。

[PR]
by sumus2013 | 2016-08-05 20:59 | 古書日録 | Comments(0)

田端人/大和通信

f0307792_19493554.jpg


矢部登さんより『田端人』第一輯(二〇一六年八月)が届いた。『田端抄』が一冊にまとまって、このあと、どうなるのかなあといらぬ心配をしていたが、『田端人』と名前を変えて続刊されるようだ。うれしい。

『田端抄』(龜鳴屋、二〇一六年二月一日)

まず冒頭は「いにしえの田端の里をおもえば砂場があった」。砂場は蕎麦屋。田端と蕎麦にまつわるあれこれがつるつるとたぐり寄せられる。

《昭和四十年ころのはなしとして、山本氏は浅草に古くからある寿司屋の親方から「そばっ喰いとは言うけど、そばは食うとかすするとは言わない、たぐるものだ」と教えられ、「美味しいものを食べるのではなく、ものを美味しく食べることの大切さ」をはじめて学んだという。たぐるとは、辞書の新解さんをひらくと「両手をかわるがわる動かして、手許へ繰り寄せる」とあり、明治生まれであろう親方の口からかたられる、そばっ喰いの作法に瞠目し魅せられた。
 ほれぼれとする親方の姿が浮かびあがり、心にくし。
 その日を境にあらためて蕎麦はたぐる。》

十年ほど前に茅場町の長寿庵でもりを食べ、店にあったPR誌『新そば』を開くと山本益博「そばをたぐる」が載っていて、そこで村瀬忠太郎『蕎麦通』(一九三〇年)を知ったというくだりである。そしてその後、山本益博『大人の作法』を読んで、この寿司屋の親方というのが弁天山美家古寿司の内田榮一だったことを知る。本のなかの蕎麦と実際に矢部さんがたぐった蕎麦がないまぜになってなんとも美味なエッセイになっている。

そして田端、結城信一、清宮質文と矢部さん偏愛のテーマがつづき「空無頌」として帖面舎と津軽一間舎、からなし・そさえてについて既発表の文章を大幅に改稿してまとめておられる。こちらも本好きにはたまらない一篇である。


『大和通信』104号(海坊主社、二〇一六年八月一〇日)は中尾務さんより。月の輪書林高橋徹が「川崎彰彦メモ二つ」を寄稿していて、オッと思う。メモ1はたなかよしゆき『詩集冬の木』(葦書房、一九七五年一月二〇日)について。メモ2は詩と評論『月刊近文』(大阪・伴勇)について。川崎、寺島珠雄、そしてそれらの珍しい資料を丁寧に保存していた長谷川修児のこと。月の輪さんらしいこだわりがうかがえる一文だ。

中野朗「川崎彰彦を探して第十八回 『川崎彰彦傑作撰』顛末」は同書が刊行一ヶ月で完売したことについての報告。善行堂と三月書房があわせて五十冊売ったという驚き(京都で五十冊売れたことになる)。三百部発行が少な過ぎたという反省も。せめて五百だったかと。たしかにそうだ。値段が安かったのもあると思う。いや、しかし、いい本だから売れた、そういうことだろう。また、当銘広子さんも「本が出来た」として『大和通信』の発行そのものが『川崎彰彦傑作撰』のためにあったということを書いておられる。

『川崎彰彦傑作撰』(中野朗・中山明展、二〇一六年四月九日)

中尾さんは「阪田寛夫、能島廉の年譜を編む」。能島廉(のしまれん)については無知だった。中尾文もかなり凄い逸話が盛りだくさんだが、ウィキの「能島廉」を読むだけでも小説になる人生だったことがよく分る。阪田寛夫がモデル小説を書いているそうで、その「よしわる伝」にこうあるという。

《最低の位置に自分を据えたお蔭で、野島〔=能島〕はただ一人無疵なのだった。その代わり、と言ってよいかどうか、同じように自分を戯画化し卑小化して相手を斬る「劣等感もの」を書いていた私の経験から言えば、そのあと、同じように長い小説が書けなくなった》

三輪正道「還暦・定年・無職以後(二)」は新著『定年記』(編集工房ノア、二〇一六年七月一五日)ができるまで。《七月八日、六回目の放射線治療をおえ、鯖江の家に帰ると長野市の亜細亜印刷から段ボールが九つ届いた。》……これは読みたいなと思う。三輪さんと同い年だし。



[PR]
by sumus2013 | 2016-08-04 20:19 | おすすめ本棚 | Comments(0)

仏和会話小辞典つづき

f0307792_17400171.jpg


仏和辞典の印刷について摸索するためにラゲは一九〇一年から〇四年まで東京に居住した[アルシーヴの記載による]。一九〇五年、辞典は印刷に付され日本語を学ぼうとする人々にとっての大きな助けとなった。

鹿児島へ戻り、『佛和㑹話大辭典』の売り上げによって、ザビエルに捧げられた聖フランシスコ・ザベリオ聖堂を建立した(一九〇八年)。一九一〇年[日本語ウィキでは一九一一年二月]、ラゲは八千人の信徒を数える長崎の浦上小教区の責任者に指名され、浦上天主堂の建設を成し遂げた。二十年[着工は一八九五年、献堂式は一九一四年。高塔ドームが完成したのが一九二五年]にもわたる工事であったが、この聖堂は一九四五年八月の原爆によって破壊された


f0307792_17400300.jpg

ラゲはブルトン神父に頼まれて一九一五年にカリフォルニアへ若い女性信者を伝道の手伝いとして送り出す仕事を始めた。これは「訪問会」(聖母訪問会)と名付けられ以後長く継続されることになる。

『新約聖書』につづいてアンリ・ラッセール『ルルドの聖母』、『キリストのまねび』、『心戰』を和訳し、『小教理問答集』、『聖人伝』二巻、『公教初歩説明』三巻などを編集した。著書は他にも多数にのぼる。ラゲ訳『新訳聖書』については下記サイトでは次のように説明されている。

『聖福音書』の後も日本カトリック教会には聖書全訳の業がなく、見るべき聖書的著述も数編あるにすぎなかった。しかし、ベルギー人司祭ラゲが鹿児島県山下町教会に在任中、ヴルガタ・ラテン聖書を基にギリシャ語聖書を参照、伝道士加古義一の助けを受け新訳聖書の完訳を試み、1905(明治38)年頃脱稿した。それを当時の第七高等学校講師小野藤太、武笠三、二松学舎の山田準等が添削しようやく成稿を見たが資金がなく、直ちに出版できなかった。1908(明治41)年、ラゲは東京の築地教会に転任するが、1910(明治43)年私財と有志の寄付金により『我主イエズスキリストの新訳聖書』はようやく刊行の運びとなった。それは直ちに異版が出たが、通常これを初版としている。これは私訳と呼ぶべきものであるが、日本カトリック教会における確実な、新訳全訳の嚆矢であり、ほとんど標準訳のように長く用いられた。》

「一九〇八年に築地教会に転任する」をどう読むべきか、情報不足なのではっきり分らないが、新約の印刷出版のために再び東京に住んだということだったのかもしれない。

一九二〇年頃、健康に不安を感じるようになったため、休息を願い出た。そこで彼の司教は彼を司教館へ呼んだ。かくして著作の見直しや辞典の改訂に専念できるようになり、アカデミ・フランセーズからの賞讃やベルギー王からの勲章が彼にもたらされた。

一九二七年、教区がふたつに分割された。長崎は日本人司教に預けられ、新しい教区、福岡は外国宣教会にまかされた。ラゲはブルトン神父(福岡教区の司教)によってまとめられた日本人の信徒たちのもとから引退を望んでいた。彼らは東京郊外の大森に小さな病院を維持していたので、一九二八年にラゲはそこへ入り、二九年四月に聖職者としての金婚式を祝ったが、十一月三日、主は彼を召された。そして東京「多摩川のクリスチャン墓地」へ埋葬された[アルシーヴの言う多摩川のクリスチャン墓地(le cimetière chrétien de Tamagawa)というのもよく分らないが、カトリック府中墓地であろうという御教示をたまわった]。


『仏和会話小辞典』の内容をごく一部だが紹介しておく。書物関係の単語を選んでみた。

f0307792_17531640.jpg
f0307792_17531892.jpg


f0307792_17532010.jpg


f0307792_17532240.jpg


小辞典と同じ年に『佛和会話大辞典』(天主公教会、一九〇五年)も刊行されている。当然ながら大辞典の簡易版が小辞典ということである。大辞典の方は目下のところ「日本の古本屋」にも何冊か出品されていて、それぞれがかなり高額である。小辞典は幸い(?)出品されていない。貴重な辞典であることに変わりはないだろう。


[PR]
by sumus2013 | 2016-08-03 17:53 | 古書日録 | Comments(3)