林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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みつづみ書房

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伊丹のみつづみ書房へ。日中は三十度を越える暑さだった。大通りから一本裏路地に入った昔ながらの風情が残る町並がいい。一軒の民家を四人でシェアし、二階がオフィス、一階を古書店と共用スペースに使っている。

みつづみ書房

みつづみご夫妻の蔵書がベースになっているが、二月に開店したということで本の量は控えめ、古本屋というよりも愛書家の顔をまだまだ保っている。ご主人はオールマイティの品揃えながら自然科学系がご専門ということでその方面の本棚が新鮮だった。ピエール・ガスカールのビュフォン伝には食指が動いた。

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店の奥に共用スペース。ちょうどオーブリー・ビアズリー関連書が展示されていた。「オーブリー・ビアズリー文庫コレクション展 vol.7」(〜6月11日まで)。ご友人がここ数年の内に蒐集されたということだが、それにしてはかなりのレベルだ。『ビアズリ装画集』(洪洋社、一九二二年)に興味を惹かれる。

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今後は買取も強化し、自宅にうなっている(?)ご主人の蔵書も放出される予定だとか。伊丹市立美術館・柿衞文庫から歩いて数分、美術館帰りにちょっと立ち寄る楽しみができた。



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by sumus2013 | 2016-06-10 20:04 | 古書日録 | Comments(0)

WAY OUT WEST

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古書善行堂へ。しばらくぶり。うらたじゅんさん作の大作を見せてもらう。善行堂はもちろん小生をはじめsumusの同人が"のすたる郡浦田町"の街角に勢揃いした情景が描かれた傑作。傑作にふさわしい上等な額縁も必見。高知での講演会などについていろいろ聞く。実り多き旅だったようだ。善行堂の奥方にも久しぶりでお会いする。帳場に二人向かい合って座る図はなかなかよろしいなあ。

『WAY OUT WEST』no.87(JAZGRA, 二〇一六年六月一日)をもらう。内容とデザインのクオリティがこれほど高いフリーペーパーはそうざらにはないだろう。表紙のイラストも手がけるデザイナーの藤岡宇央(たかお)氏がたったひとりで作っているのだそうだ。しかも赤字は一度もないとのこと。これも驚き。今号、藤岡氏による連載「DESIGNER'S NOTES vol.25」では「いいデザインって何よ?」と題して図と地の理論が展開されている。

《デザインの良し悪しの判断のひとつに、「レイアウトのバランス」がある。それこそが図と地の関係である。》

まさに同感。デザインというのはさまざまな要素を「どう並べるか」に尽きる。微妙な相互関係が「良し悪し」に響いて来るのは間違いない。そういう意味では『WAY OUT WEST』は言うことなしのバランスを保っている。

善行堂の連載「本の中の、ジャズの話」は知らないうちに63回目だそうだ。十分に一冊にまとめられる分量になっている。通しで読みたい人、少なくないはず……。


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by sumus2013 | 2016-06-09 20:49 | おすすめ本棚 | Comments(0)

読書の腕前・韓国語版

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岡崎武志『読書の腕前』(韓国語版、二〇一六年六月三〇日)が届いた。表4および扉に拙作「読む人」が使われている。表1の惹句は以下の通り(だそうです)。

「蔵書の苦しみ」の著者岡崎武志のもう一つの話題作
本を読む楽しみを教えてくれる著者の読書論
読書そのものが持つ価値に関する本


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表4は本文からの引用。

本にはそれが小説にしろノンフィクションにしろ自伝にしろエッセイ集にしろ、著者および登場する人物の生き方や性格、行動様式、考え方などが凝縮して表れている。もちろん「他人を知る」ことにおいて、読書が万能であるというわけではない。本の中身や読み手の理解力が問われるべきなのは言うまでもないだろう。しかし、本を読むことで、他人を知る手がかりは得ることができる。また本は、実生活では知り得ぬ、膨大な人間のモデルを提供してくれる。しかも、相手の忖度を気にせず、思うがまま、自由にそのモデルと触れ合うことができるのだ。

こうして本を読むことで、人間に対する理解力が深まる。世の中にはじつにいろんな人がいるんだなあ、ということが実感できるはずだ。そして、人間はときに単純で、ときにとてつもなく複雑な面を見せる。このポイントを押さえておけば、対人関係においてなにがしか役に立つことはあるだろう。


[書物を読むことで得る大切な収得のひとつは他者を知ることだと思います。](色川武大)

[読書のたのしみのひとつは私にとってこの他人の人生を生きること、他人になれる悦びかもしれない](遠藤周作)

[読書について、それを基本的にひとつの労作であるとする、ルナンを引いての林達夫の考え方(に賛成する。全集を読むことで)僕は本を読む労働のための忍耐力をつちかったのである](大江健三郎)


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表2は岡崎氏の略歴。


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by sumus2013 | 2016-06-09 20:24 | 画家=林哲夫 | Comments(2)

損をしてでも良書を出す2

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河本亀之助は国光社の印刷部門を取り仕切っていたが、金尾文淵堂が企画した『仏教大辞典』が頓挫、そのため生じた損失の責任をとって辞任したようである。負債は九千円にのぼったという。明治四十年のこと。これをきっかけとして亀之助は印刷業(出版業)を始めることを決意した。

《追悼録によれば、蔵書三千余冊を売り払って得た六百円をもとにしたという。》

もちろん六百円では資本の一部にしかならないだろう。この金策については金尾種次郎が智恵をつけたのだと宇野浩二が書いている。

《その頃(明治四十一二年頃か)築地印刷所の重役をしてゐた、河本亀之助は、金尾をあまりに信用し過ぎて、金尾に大きな穴をあけられたのが元で、築地印刷所を引いて、洛陽堂という出版屋になった。しかし又、河本が、洛陽堂をはじめる時に、その資本として、蔵書を売る智慧をつけ、その相談をしたのも、前に書いたやうに、金尾であつた。》(『文学的散歩』)

「築地印刷所の重役」は誤伝、またこのとき亀之助が始めたのは洛陽堂ではなくて千代田印刷所であった。宇野の回想は割合と正確だと思うが、この記述は少々不正確に過ぎる。千代田印刷所の開業は明治四十二年二月二日。そして洛陽堂として山本瀧之助『地方青年団体』を出版したのが同年十二月十日である。すでに述べたように同年同月十五日発行の『夢二画集春の巻』が先に出来上がった。明治四十三年四月一日には『白樺』の発行名義元となり四十三年二月には武者小路実篤『お目出たき人』を刊行……以下の活躍ぶりは本書をごらんいだたきたいが、損をしてでも良書を出す生涯を貫くことになる。

恩地孝四郎は一ファンとして洛陽堂に竹久夢二の住所を尋ねたというが、その夢二の推薦で恩地が手がけた最初の装幀本は洛陽堂から出た西川光二郎『悪人研究』(明治四十四年刊)だった。

《国家社会主義者であつた西川光二郎氏が転進してたしか義勇教悔[誨]師といつたやうなことをやり初めの頃、その経験をかいた本。昔なつかしい洛陽堂刊。四六判五六分厚さの紙装のカバアに面、鬼のやうなのをいろいろかいたのである[。]僕、美術学校入りたて位の時か、夢二全盛時代、夢二君がやつてみないかと云はれて初めて公刊本の表紙といふものをかいたのである。明治末であつたらう。》(恩地孝四郎「装本回顧」)

古書関係でもっとも注目したのは亀之助の弟・哲夫が神田で古書店をやっていたというくだりである。カリフォルニア大学に留学して帰国したのが大正五年秋。

《私は、その当時、麹町平河町に居住して、しばらくの間、洛陽堂の企画、編集に参加しつつあったが、その後、神田神保町の電車通りで、「新生堂」という看板をかかげて、古本屋を開業していた。古本屋という商売には、全く無経験の私であったが、幸い、知人の紹介で、牛込の加藤古本店主人の指導を受けて、この商売について少しずつ勉強しながら、毎日、風呂敷を背負って古本の買い出しに出かけたり、古書の競り市場にもたびたび行ったものである。開店に際し、少しばかりの資本と、自分が在米中買い集めていた、約千冊ほどの洋書と、海外から輸入した、キリスト教や、美術書の古本などを加えて、開業したのである。当時の店の位置は神保町の電車通りで、今の都電停留所専修大学前で、富士見町教会からは、九段下を下れば、直ぐ近くにあったので、植村正久先生は、たびたび店に来られた。また、その当時のキリスト教会知名の先生や、作家、画家なども、この変わりだねの店の顧客であった。作家では、有島武郎、大仏次郎、武者小路実篤、木村荘八氏なども顔なじみの客であった。》(日本キリスト教出版史夜話(8)新生堂とその時代)

亀之助は大正九年に歿したため、哲夫は洛陽堂から完全に退いてキリスト教書の販売と出版に専念するようになった。そこへ関東大震災がふりかかる。商品家財のすべてが焼けてしまった。しかし新生堂古書店が焼け跡で復興するのは早かった。

《神田古本屋町の焼け跡へ真先に古本店を復活させたのは旧洛陽堂の主人の実弟河本哲夫氏で北神保町の新生堂がそれだ焦土の上で第一番に誰が何を買つたか「それは印半纏を着た労働者風の青年で一冊廿銭の古い聖書を買つて行きました九月廿八日のことです」それから一週間位の客は殆どすべてが労働者で一円以下の安い物ばかりが売れた、講談や小説の古雑誌が彼等に喜ばれるであらうといふ予期に反して有島武郎氏訳の「リビングストン伝」内村鑑三氏の地人論や「クリスト信徒の慰め」などが腹掛けの丼に収められた、最近漸く学生が一日二百名位づゝ来るが漁るものは大抵教科書、受験用書、辞書類である主人河本哲夫氏は加州大学の出身で芥川龍之介、宇野浩二の諸文士にも知られ同窓の学友にも篤志者があつてこんどの罹災に深く同情し神戸からは早速バラックの店を建てゝ呉れる仙台からは蔵書三千冊を無条件で送つて呉れるといふ有様で古本屋町第一の先駆をなし得たのもこれら学友の後援があつたからだと氏は敬虔に感謝してゐた》(読売新聞、大正十二年十月十二日)

他にも本書で知った小川菊松『出版興亡五十年』を代筆した中山三郎についてだとか、『白樺』編集中の原稿紛失事件などはきわめて面白い逸話であるし、そうそう柳屋三好米吉も登場する。いずれにせよ『洛陽堂河本亀之助小伝 損をしてでも良書を出す・ある出版人の生涯』が明治から大正にかけての印刷出版業における興亡に新たな光を当てた労作だということは何度でも強調しておく価値はあると思う。

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by sumus2013 | 2016-06-08 21:12 | おすすめ本棚 | Comments(0)

損をしてでも良書を出す

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田中英夫『洛陽堂河本亀之助小伝 損をしてでも良書を出す・ある出版人の生涯』(燃焼社、二〇一六四月一五日二刷)読了。六三六頁の大著である。読み通すのはさすがにホネだったが、洛陽堂という素晴らしい出版社の事蹟を知る事ができたのは何よりの収穫だった。

洛陽堂はどう素晴らしいのか? 明治四十二年、竹久夢二『夢二画集春の巻』から出版業をスタートさせ(奥付刊行日では山本瀧之助『地方青年団体』が先んじるが、どうやら本が先にできたのは夢二画集だった)、雑誌『白樺』の版元を一時引き受け、なんと恩地孝四郎、田中恭吉、藤森静雄の『月映(つくはえ)』も出版していたのである。

郷里広島県の『沼隈郡誌』によれば河本(こうもと)亀之助はこういう人物だった。

《河本亀之助 慶応三年十月二十一日今津村に生る。幼にして同村大成館に学びしが、在学中学多いに進み小学校助教となり今津・松永・高須等に教鞭を執る。後今津郵便局の事務員たりしが、明治二十四年如月二十七日奮然として東都に出づ。上京当初は牛乳配達、新聞売子等の苦役をなせしが、国光社印刷所の設置せらるゝや入りて雇となり精励怠らざりしを以て年と共に要職に挙げらる。明治四十一年故ありて退社、翌四十二年千代田印刷所を創設せしが同年末洛陽堂と命名して出版業を始め今日の大を致す。大正九年十二月十二日日本赤十字病院に逝く。享年五十四。》(「はじめに」より)

亀之助の生涯にわたって関わるのが江戸福山藩邸に生まれた高島平三郎。二歳年長の高島は小学校卒にして心理学児童学者として立ち、そのときどきで亀之助を導いたという。その亀之助の生涯をさまざまな人々が書き残した文章や日記などから丹念に拾い集めたのが本書であって、その作業の手間を考えるだけで頭が下がる(著者にとってはむろん手間ではなく悦楽なのだろうが)。とくに高島平三郎、永井潜、山本瀧之助、竹久夢二、恩地孝四郎、武者小路実篤、天野藤男、木村荘八、加藤一夫、吉屋信子らは亀之助に関するまとまった記述を残しており、出版のジレンマというようなものをそれらから感じ取ることができるように思う。

亀之助の前半生は著者の言葉によれば次のようなことである。

《幕閣を輩出した藩領に生まれ、薩長など雄藩による新政府がすすめた学制にそむくように父は私塾に学ばせてそれが最終学歴となり、親が望まぬキリスト教を信仰しながら永く勤めたのが敬神尊王家が経営する国光社印刷部だった。》(「おわりに」より)

キリスト教信仰は重要なキーワード。そして出版業者としてはこういう人物だった。

《彼は敢て大家や名望家の門に走らず、若き思想家達で、真面目な人でさへあれば、何んでも引受けて出版してやりたいと云ふ義侠心に富んだ人であつた。彼は常に良書を刊行して世道人心を裨益したいと云ふことを、終生の使命だと感じてゐる人であつた。》(帆足理一郎)

《嘗て予に謂つて曰く、
書肆自身も趣味を以て出版物に対せざるべからず、只売れさへすればよいといふならば、市中の玩具屋と何ら択ぶ所なきなり。それでは真の出版業者ならず固より出版業者とて利益を度外とすることは出来ず。さればとて予は俗悪なるものを刊行して利益を贏[か]ち得んと希ひしことあらず。》(天野藤男)

その具体例が『月映』ということになる。

《そして月映公刊のだんとりになる「まあ三十円位の損ですからやりませふ」と今は故人洛陽堂主が、興味を以て出版してくれたのだつた。》(恩地孝四郎)

著者の田中氏はこの三十円についてこう説明してくれている。

《色刷と本文の頁数によって紙代印刷代を計算し、宣伝、取次など諸経費を加えて定価をはじくところまでしなければ、三十円位の損という返事はできない。部数は二百、予価は三十銭、売り切ったとして総額は六十円になる。諸紙誌に見本誌を送って紹介をもとめる宣伝をふくめた制作実費を、この半分の三十円と考えれば、ほとんど売れない想定にもとづく。》

《亀之助はそれらすべてをのみこんで、一年ならば毎輯三十円、一年十二輯分総計三百六十円の損、そう腹をくくってひき受けたのだと推察する。》

三十円を仮にざっと今の十万円程度と考えると、これは簡単にオーケーできる金額ではなかろう。若き芸術家たちに対する同情のなみなみならないことを感じる。まさに「損をしてでも良書を出す」河本亀之助、凄い男だ。

明日ももう少しこの本から引用したい。

燃焼社

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by sumus2013 | 2016-06-07 20:57 | おすすめ本棚 | Comments(0)

スキャンダル

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浅川マキ「スキャンダル 京大西部講堂1982」(pignose redord, 2011)を聴く。浅川マキのファンではないのでこれをどう評価したらいいのか迷う。バックバンドは凄い。近藤等則、本多俊之、渋谷毅、飛田一男、川端民生、つのだひろ。とくに近藤等則がミンガスのように吹きまくっているのが耳に残る。CD一枚に収まる所を二枚に分けてある。こだわりがあるのだろうと思うのだが、一枚に収めてもらった方がありがたいな。

浅川マキ スキャンダル 京大西部講堂 1982

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ジャケットのデザインがいい。クレジットは「Design by Jeff」とあるだけ。ジェフ?

京大西部講堂と言えば、初めて京都に住んだ頃(三十五年ほど前のこと)、百万遍へ車で来たときにはそっとここの前庭に停めさせてもらった。もちろん無断で。その時期のイメージがずっとあるのだが最近は足を運んでいないのでどうなっているのか知らない。まだ建物は健在のようだけれど。

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by sumus2013 | 2016-06-06 20:59 | 古書日録 | Comments(0)

魚藍

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吉岡実『魚藍』(深夜叢書社、一九七三年八月二八日、装幀=橋本真理、限定八百部)を頂戴した。深謝です。吉岡による「後書」にいわく

《神田の珈琲ハウスで、私は斎藤慎爾と会った。二、三回目であったが、独りで深夜叢書社をやっているこの青年(彼のみでなくそのような人たち)に、私はいつも畏敬の念を持っている。長い雑談のあと、《魚藍》を出版したいといわれ、私は当惑した。
 いまさら一冊の本にするようなものではないと思ったからだ。しかし彼は執心し、そして同席していた橋本真理が装幀・造本を引受け、二人で美しい本をつくるからと云った。「すきなようにしてくれ」ーー私はすこしもタッチしないことにした。だから、これは二人がつくってくれたものである。》

『魚藍』については「吉岡実書誌」(小林一郎編)を参照するにしくはない。

吉岡実書誌(小林一郎編)

元本は一九五九年に吉岡の結婚式の引き出物として七十部だけ製作されたそうだ。斎藤青年の目の着けどころがいい。ただ本としてはノド開きの悪さも含め上出来とは言えない。

本書に収められている吉岡のエッセイ「救済を願う時ーーわが十代の歌集《魚藍》ーー」(初出『短歌研究』一九五九年八月号)はたいへん面白い内容である。吉岡は随筆家としてもすぐれている。

《一読して誰の影響をうけてたかは、すくなくとも短歌の好きな人にはわかるであろう。このなかのほとんどが、北原白秋の《花樫》(桐の花・雲母集・雀の卵・葛飾閑吟集などから抄したもの)、やや違うがその頃、愛読した《佐藤春夫詩抄》の抒情が色濃く現われているから。私が白秋の歌集になじんだのも、ひとつの偶然にすぎない。私の家の二階に筆耕をしながら孤独な生活をたのしんでいた盛岡生れの長髪の青年がいた。食うや食わずでいるのを見かねて、母が食物などを持って行くと、きまって不気嫌[ママ]になった。少年の私としか話をしない狷介の人、のちにすぐれた書家となった佐藤春陵氏である。あるとき、彼がゴリキイの「どん底」を熱っぽい口調でよんでくれた。私にはいまでもその夜のことが、はっきり思い出される。私が文学へのあこがれを深めたのは、この時からはじまったのだから。その彼が幾冊かの改造文庫をくれた。白秋、牧水、夕暮、啄木の歌集である。私は与えられたものを当然のように受入れてよみはじめ、模倣しながら短歌をつくりだした。極端に美意識のつよい私は、誰よりも《桐の花》の歌人白秋へ傾倒した。》

佐藤春陵(樹光)についてはよく分らないが、興味を惹かれる人物である。

《昭和十六年の夏、私は出征することになった。リルケの《ロダン》と万葉集と《花樫》がとぼしい私の持物だ。満州へやられた。遺書のつもりで、それまでに書いた詩篇三十三を《液体》一巻に編んだ。幸い遺書にならず、戦後、《静物》、《僧侶》を刊行できる幸運にめぐまれた。》

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この本にはリブロの書皮がかかっていた。



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by sumus2013 | 2016-06-05 20:39 | 古書日録 | Comments(2)

悠々自適

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『アサヒグラフ』第二十二巻第十六号(朝日新聞社、一九三四年四月一八日)。表紙は「春風に乗つて 千葉陸軍気球隊にて」。本文中にも見開きで特集が組まれている。その説明文より

《軍用気球としては最大のもので全容積は九五〇立法米、最大直径八米、長さ三一米、気嚢はゴムびきの特製木綿で一個の製作費は約一万五千円、一ヶ月一回ガスを取り換へるが、その費用が三四百円見当である》

《高度計によると六百三十米だ。こゝまで昇ると双眼鏡でも人間の姿は見えない。自動車がやっとゴマ粒みたいだ。》《地上から湧きあがるあらゆる雑音も、こゝまでは追いかけて来ないのであらう。シーンとしたきりで、一切の音響が完全に消え去ると、全くおかしな気持のするものである。》


「悠々自適」という見開きページもある。「悠々自適」に似つかわしいスナップを街頭から拾っている。読書する靴磨き、小僧たちの井戸端会議、疾走するトラックの荷台に乗る男たち、「芝生に入らぬこと」の看板とその芝生で寝そべっている男、ビルディングの鉄骨のてっぺんに立つ男、東横線の乗り場でバスを待つ少女。そして一服する研ぎ屋が下の写真。制服の男性は乗合自動車の信号手だそうだ。むろん後ろに「古本」の看板が出ているから取り上げたわけである。場所が特定できればいいだが……。(甲州街道から新宿駅方面を見遣った辺りでは? というご意見をいただいた)

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もう一枚、目を射られた写真がある。それはこちら。なんだかスゴい。

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《江口と宮の近代舞踊
 滞独三年、近代舞踊を研究して来た江口隆哉(右)と宮操子(左)の帰朝第一回公演が去月末、朝日講堂で開かれたが、写真はその一つの「習作」で美しい線と形とそして力の交錯は、新鋭近代舞踊の感覚と幻想を描き出した》

江口隆哉生誕100年祭


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米国漫画「おやぢ教育」連載中。昭和九年だとまだのんきなようだが、この三月には満州国で帝政が実施され(そう言えば本誌でも「春ひらく満州国風景」写真が見開きで展開されている)、武藤山治が暗殺され、帝国人絹疑獄事件で内閣総辞職。きなくさい暗雲がたちこめ始めている。

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パリの洪水 一九一〇年

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by sumus2013 | 2016-06-04 20:13 | 古書日録 | Comments(0)

盛林堂ミステリアス文庫三周年記念展

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6月4・5日の西荻茶散歩の盛林堂のイベント『盛林堂ミステリアス文庫 三周年記念展』にて、開催記念冊子『盛林堂の謎めいた本棚 書肆盛林堂出版三周年記念』を無料配布いたします。 刊行書籍目録、寄稿エッセイ、使用原画をまとめた86頁の冊子になります。


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by sumus2013 | 2016-06-03 21:09 | もよおしいろいろ | Comments(0)

港町

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絵葉書を久しぶりに買った。ご覧のように上部が傷んでいるので安かった。どこの港町かな? と一瞬考えたが、中央に見覚えのある建物、さらには洋館らしき住宅が立ち並ぶこの街は……

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もちろん神戸である。見覚えのある建物は現在の兵庫県公館(旧・兵庫県本庁舎、明治三十五年建設)、その向かって左、煉瓦建の塔をもつのは神戸栄光教会。一九二三年に建てられ一九九五年の震災で崩壊したが、現在は再建されている。いつ頃の写真だろうか、昭和初期であろうか。

切手面には以下のようにしたためられている。封書で出されたもののようだ。

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出発の際は御見送り有難う。又忙しさにまぎれて色々と失礼の段御容赦の程。無事神戸到着相変らずやつております。
昨今急に暑くなりました。皆んな暑い[繰返記号]とコボしてゐる。今週はバカに日が早く立ってもう土曜日になつた。今日は一時半頃退けるのでそれから宝塚の倶楽部へ遊びに行く積り。これでもテニスを始めるんだ。モチ硬球でね。
表の写真大したものではないが神戸の目抜の場所。×印が公主さ。市の北側の諏訪山といふのかと[ら]撮ったもの。
では何れまた。 失敬。 神戸の公主で
                    勇次
 十四日午後一時


文中「公主」と読んだが、どうだろう?【「正金」ではないかというご意見をいただいた。たしかにそう読めるし意味も通る。ただ旧横浜正金銀行の神戸支店は現在神戸市立博物館となっており絵葉書に示された場所とはどうやら違うようだが……出張所があったのかも

宝塚の倶楽部》は「宝塚倶楽部」のことだろう。大正十五年に宝塚ホテル内に誕生した。将棋、囲碁、庭球、射的などを楽しめる施設を備えていた。まだまだのんきな気分があふれている文面だ。

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by sumus2013 | 2016-06-03 21:05 | 古書日録 | Comments(2)