林哲夫の文画な日々2
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書物趣味

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『書物趣味』第一巻第二号(ブックドム社、一九三二年一〇月一〇日)。ブックドム社の住所は東京市本郷区駒込坂下町一四四、編集兼発行人は庄司淺水。庄司さんは一九〇三年生れだから二十九ということか。執筆者は川瀬一馬、木村荘八、反町茂雄、他。

一誠堂から独立したばかりの反町は「古本屋業の本質検討」と題して古本業界の経営形態を数字を使って分析している。当時、古本屋は儲かるというのが一般常識だったようだ。それに対して反論しているのである。細かいところは省いて数字だけ引用しておく。

《之れ等を全部積算した一年中の全国の古本屋の総取引高は大体三百五十万円から五百万円までであると推定して大過がない。》

《以上を合計すると出版屋は年取引高は五千四五百万円乃至六千三百万円であり、新本屋の総売上は六千五百万円乃至七千五百万円と云ふ事になるのである。
 かうして書籍取扱業の三種類たる出版業・新本小売業・古本業を比較して見ると古本屋は出版屋、新本屋の各十五分の一乃至二十分の一の売り上げしかあげ得ないと云ふ事がハツキリして来る。》

これは今から見れば、当時の古本業界が占める割合はかなり大きかったと言える数字かもしれない。反町の結論は、最低の程度で口を糊するなら古本屋は比較的簡単にできる商売だが、金儲けや立身を目指すなら他業種へ行け、ということになる。

《此処には、一種の鈍重とも見える堅実味、潰れる程損をする事などは殆ど絶対にない無双のねばり強さ、埃りだらけのくすんだ面白味、細い乍ら一筋の知識的な光を含んだ興味、味はへば味ふ程深く濃く且甘い古書の魅惑がある。それが古本屋のよいところの全部だから。》

何が人をして……の答えがここにあるのかも。


たしかこれにと思って某氏より頂戴していた(店から送られたではない、もちろん)『雄松堂書店稀覯書目録』No.383(二〇一五年)を引っぱり出してみると、やはりダヴス・プレスの本が掲載されていた。『欽定英訳聖書 The English Bible』全五巻、限定五百、一九〇三〜〇五年。


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《ダヴス・プレスは1900年に製本家コブデン=サンダーソン(T.J. Cobden Sanderson, 1840-1922)と彫版師・印刷者エマリ・ウォーカー(Emery Walker, 1852-1933)によって設立されました。彼らは、15世紀の印刷家ニコラ・ジェンソン(Nicholas Jenson)の活字の影響を受け、シンプルで美しい活字を作り上げました。(活字のデザインの重要な部分はウォーカーが担当していました。)

しかし、後に二人の関係が悪化すると、コブデン=サンダーソンは、他人が使用できないように、テムズ川に活字一式を投げ込んでしまったということです。(参考文献:アラン・G・トマス/小野悦子訳『美しい書物の話」晶文社、1997)この活字が2015年、テムズ川から発見され、話題となりました。》(解説より)

そうだった、今はなき松本八郎さんからこの活字を投げ込んだ話を聞いたような気がする。それにしても理想とは、かくももろく崩れ去るものなのか……

英国 BBC News, テムズ川河床から<Doves Type>を発掘と報じた。

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by sumus2013 | 2016-06-20 21:17 | 古書日録 | Comments(0)

おとうさん

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『おとうさん』日本童詩研究会・きりん編集部編(理論社、一九六二年八月)。これも某店の均一にて。『きりん』に寄せられた文集や投稿から竹中郁、坂本遼らが選んで発表されたものを星芳郎が「おとうさん」と「おかあさん」に編集し直した。その「おとうさん」の巻。いくつか引用してみる。いずれも全文。


  し 
            一年 ふちうち じゅんいちろう(広島県)

しししししし
しししししし
しをかくのがきらい
しししし
これでもしですか
おとうちゃん
         



  あるいてこい
            一年 うらかわ ゆりこ(貝塚市)

うちのおとうちゃんは、
しんぶんよむとき
「しんぶん、あるいてこい。」
といいます。

たばこのむとき
「たばこ、あるいてこい。」
といいます。

そしたら
おかあちゃんが、とりにいきます。




  あし
            二年 内田信也(京都市)

おとうさんは
ぼくの
おなかの上に
あしを
のせてねる
ぼくが
おこると
うるさいって
おこる
ぼくがおとうさんの
あしこそばすと
こそばいと
おこる
ほんだら
あしおろし




  口ぶえ
            五年 万代陽子(京都市)

すった たばこを
下において
ためいきを
ついた父。
ひざを なで回す。
それが、
父のくせなのだ。
父の口びるから
歌ごえが、
かすれた
音のない口ぶえ。
父はもう
口ぶえが
ふかれないのかな。




  テレビ
            五年 林真千子(神戸市)

私は テレビがほしい。
でも お金がない。
ゲップだったら 買えるだろうか。
父の月給少ないし
ゲップ〓一ケ月、三千円やし
やっぱり 買えない。

きのう、父が
「買おうか どないしょう」といった。
「お金のことも 心配やからなあ」といった。
「テレビ買わんと 電気ガマ買おう。」といった。
その時 なみだが出てきた。
上を むいていた。
父に みつかってしまった。
「そんなにテレビがほしいんか。」といった。
みんなが 学校で テレビの話をするとき
話にのれない。
『あーあ、テレビなんてなかったらいいのに』




  父父父父
            六年 森松真一郎(大阪市)

やきゅうしてかえってきたら
「このごろべんきょうせえへんな、
はよしなさい」
ーーほんまにしようがないやっちゃーー
おしっこしにおりてきたら
「はよせえ!」
ーーいまごろの子はだらけとるーー
水のみにいったら
「まだせえへんのか!」
ーーほんまにせいへんやっちゃ
どつきこましたろかーー

ことばでいいつける父
心がうごいて目でしかりつける父
テレビのやきゅうから目がはなれた父
ほほぼねがさがってめじりにしわができた父


……ふちうち君の「し」は凄い。一年生は天才だ。五年、六年となると、詩の骨骼というものを理解している。ランボーが「金利生活者になるんだ」を書いた年齢だから当然とも言えるわけだが、ランボーの作文も「おとうさん」に加えてもいいかもしれない、などとふと思った。


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by sumus2013 | 2016-06-19 20:40 | 古書日録 | Comments(2)

木靴 17

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『木靴』17号(木靴の会、一九六五年四月一日)石井立特集号を頂戴した。これは嬉しい!

《偶々、本日の高円寺展覧会で入手しました。何かの巡りあわせでしょう(けっこうよくある? 巡りあわせですが)。》

というメモが挟んであったが、たしかに本は本を呼ぶ。

「できるかぎりよき本 石井立の仕事と戦後の文学」

石井立のポートレートが掲載されていたのが特に嬉しい。やはり風貌は人ナリ。

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石井立の追悼号を今度木靴で出すことについて何人かの作家の方にも執筆をお願いしてみた。井伏鱒二さんにもお願いしてみて、心よい御返事をいただいたが、戴いた御返事のなかに「石井君は、うちに来ても、口はほとんど利かず、ニコ[繰返し記号]しているばかりだから」と、いうのがあった。僕はそんな返事を読んで、石井さんのニコ[繰返し記号]顔がそのまま泛ぶ気持がしたが、六人ばかりで小山さんのお宅に集り記念写真を撮った時がちょうどそうであったのだ。写真器は石井さんが持ってこられて、表の路次の柴垣を背景にして、シャッターは小山さんの奥さんにお願いした。その頃はまだ小山さんが、吉祥寺におられた頃で、奥さんも生きておられた。陽のあるうちに撮ろうというので、僕達はドヤ[繰返し記号]と階下に下りて表へ出たが、シャッターを押すだけなのを、奥さんはなんだかビク[繰返し記号]なさったものだった。写真の話はそれだけであるが、みんなで写真を撮すというのに、石井さんはどういうわけか子供みたいに無邪気なお顔でニコ[繰返し記号]しておられたのである。出来上がったその時の写真は、一枚づつ、僕等もあとで頂戴したが、シャッターをお切りになった小山さんの奥さんと、それに今度は石井さんとお二人までも、もう亡くなられてしまったことは、なんとも無念なことである。》(古賀信夫「石井さんと木靴」)

残念ながら本誌に井伏鱒二の文章は収められていない。そしてまた

《三月六日、小山さんも石井さんの後を追うようになくなられた。遂にこの追悼号に小山さんの文章を見ることは出来なかった。》(編集後記)

ということである。


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さらに文学以外の一面も「回想」のいくつかには見ることができる。

《彼は、反動的な政治権力に対して言論の自由を守るべく、一九五二年、破防法案の国会提出や血のメーデーを機に、編集者の連帯を呼びかけました。水曜会は、彼自身発起し、中心的メンバーとして活躍した、その会でした。》(無記名「故人の生涯」)

《ちょうど、そのころ、わたくしたち筑摩書房に労働組合が生れました。あなたは、その創立準備委員会の委員長として、組合設立の全責任をおって立たれました。
 編集者の自律、出版労働者の自立、自らの力を自らのものに闘いとること、そのためにあなたは闘ってこられました。これが、もう一つの、あなたの闘いでした。》(吉倉伸「回想」)

今もまた石井立のような編集者が求められる時期なのではないか?

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by sumus2013 | 2016-06-18 21:39 | 古書日録 | Comments(0)

飛鳥寺

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所用あって奈良県の明日香村へ。近鉄・橿原神宮前駅(日本中どこにでも見られる地方都市の顔つき)から車が市街地を抜けて明日香村へ入るやいなや、水を湛えて鏡のように光る水田が広がって眩しいくらい。こんな田園風景、小生の田舎でももう残っていないような気がする。街並も瓦屋根、白壁(そして奈良特有だという黒壁)板壁の懐かしき風景を保っているようだ。

案内されて飛鳥寺へ。初めての訪問。図版などでは見知っている印象的な風貌の飛鳥大仏を拝む。

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本堂には初老のガイドさんがおり、飛鳥寺や大仏について独特の口調で説明してくれた。庭へ出ると小学六年生の女子が八人ほど観光案内のバイトいや課外授業(?)をやっていた。四人一組で順番に口上を述べる。しばらく立ち止まって聞き入ってしまった。以下は手渡された手書きパンフレットより。

《飛鳥寺は、日本最古の寺です。
 飛鳥寺は、887年と1196年の落雷のため、火災にあい本堂が焼失しましたが、江戸時代に再建されました。
 飛鳥大仏もほ修されましたが、顔の1部と左目、右手中央の指3本だけは、当時のまま残っています。
 飛鳥寺は昔は今の20倍の広さがあったといわれています。》

《飛鳥大仏は、今1408才です。東大寺の大仏より150才年上です。1420〜30年にかけて造られました[?]。
 飛鳥大仏は少しほほえんでいるのは、アルカイックスマイルといいます。
 飛鳥大仏は、中華人民共和国をモデルに造られました。》

飛鳥時代に”中華人民共和国”はまだなかったと思うのだが……。寺の西側には蘇我入鹿の首塚がある。


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《入鹿の首塚は、飛鳥寺の境内を西にぬけたところにたっています。
 入鹿の首塚は、岡にある板蓋宮で、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿をたおし、その蘇我入鹿の首が飛んで転がってきたといわれる場所です。

板蓋宮があった場所は首塚から南の方角に遠望できる。数キロはあろうかと思われるが、飛んできたんだったら相当な執念だ。塚の向いの小高い丘(甘樫丘)には蘇我氏の邸宅があったそうである(二〇〇七年、遺構が発掘された)。


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藤原時代の木造阿弥陀如来像。この仏像が無造作に堂内に置かれてあることに感激した。


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by sumus2013 | 2016-06-17 20:56 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

花と葉

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T.J.コブデン=サンダスン、ダヴス製本工房作、総緑色モロッコ革特別装『花と葉』(一八九六年刊)。断るまでもないが、これは『季刊銀花』第五十七号(文化出版局、一九八四年三月三〇日)から取った図版である。この『季刊銀花』は不思議なことに昨日、某書店の百円均一に出ていて、捨てておけない感じがして求めたもの。そのときにはコブデン=サンダスンの本が載っているとは思わなかった。今日気づいたのだ。記事は庄司浅水「美しい本とモリス」。庄司さんとの因縁は以前少しだけ書いておいたので参照されたし。

庄司浅水『美しい本の話』(南柯書局、一九八三年)

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《この本はケルムスコット・プレス本としては後期に属する。中型四つ折り判(二十三・五センチ)、本文四十七ページ、トロイ体活字使用、黒・赤二色刷り、手漉き紙刷り三百部、ヴェラム刷り十部、装幀は背麻布平ラシャ紙貼り厚表紙装で一般に売り出されたが、本書はコブデン=サンダーソンのデザインで、彼の主宰するダヴス製本工房の手になる。》

しかもこの本はコブデン=サンダーソンが署名入りで、アニィ夫人に贈ったもの。コブデン=サンダーソンの長文の書込みがあり、アニィ夫人の蔵書票(「本書はA.C=Sとその友のもの」が貼ってある。

そしてさらにダーウィンの三男の旧蔵書であり彼の書込みもすこぶる多いとか。もちろん庄司さんの所蔵になる逸品。

《私はこのほか、バーン=ジョーンズの肉筆書簡はじめ、彼の挿絵の入った『愛は十分』(一八九八年刊)、『サア・イザンプレイス』(一八九七年刊)、エメリ・ウォーカー夫妻の署名入り献呈本『手と魂』(一八九五年刊)、総モロッコ革装に改装された『クリストファ王子と美女ゴルディリンド』二巻(一八九五年刊)などを所蔵している。若い頃、せめてケルムスコット・プレス版の原葉一葉だけでも手に入れたいと思ったこともあるが、いつのまにかこれだけのものが蒐まった。もっとも、このためには清水の舞台を二、三度飛び降りる破目に陥ったこともあり、その後遺症はなかなか回復しない。可憐。呵々。

庄司さん、お得意の自慢話になっているのが懐かしく微笑ましい(年賀状などにも昨年は何を買いましたと書き連ねてあったと記憶している)。しかし、それにしても何が人をしてそこまでさせるのだろう……

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by sumus2013 | 2016-06-16 20:46 | 古書日録 | Comments(0)

この世界を見よ

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T.J.コブデン=サンダスン『この世界を見よ』(生田耕作訳、アスタルテ書房、一九八七年二月)の校正刷りである。ちょうど五年ほど前にアスタルテ主人より「片付けしてたらこんなの出てきました。いりますか?」と言われて有難く頂戴した。これはボツになった校正紙。生田氏がこの版面が気に入らず、刷り直したんだそうだ。和紙(?)かと思われるざっくりした紙に印刷してあるため、どうしても印字が鮮明にならない(印刷は株式会社写真化学)。コブデン=サンダスンの本だからこれじゃたしかにマズいかもしれない。「工芸の理想」と「美しい書物」の二篇が収められている。

『この世界を見よ』の初版本(ネット上より借用)。

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『Ecce Mundus: Industrial Ideals and the Book Beautiful』
Hammersmith Publishing Society, London, 1902


《全体としての美しい書物

 結論として言えることは、よしんば「美しい書物」が、その書き文字、或は印刷文字、或は挿絵のちからによって美しいものになり得るとしても、それはまた、一つの綜合的全体、すなわち完全な「美しい書物」を作り出すために、これらすべての要素が一致協力することによっても、美しいもの、より一層美しいものになり得るであろう。そこでは最も重要なものとして、書物によって伝えられるべき思想内容がまず最初に来る。次にはそれに仕えるようなかたちで、思想内容を愛すればこそそれ自体も美しくありたいと懸命に努める手書きの或は印刷された頁、飾られた或は飾りのための文字、本文の間にはさまれた絵、そして最後に、全体をがっちり支え、ここでもまた愛あればこそ思想内容と調子を合わせて美しいものとなる製本装幀が来る。
 かくの如きものが最高に「美しい書物」、すなわち「理想の書物」であって、一つのみごとな夢、美しいくさぐさのものが最終的にそこで一つに融け合う限りなく美しいものの象徴である。
 「美しい書物」とは、従って、一つの全体として考えるべきであり、いずれか一つの「技術」がその服務条件によって定められた限界以上に自己を主張することは、「大逆罪」と見做さなければならない。かかる限界の中でそれぞれの「技術」が果たすべき適当な務めは、あきらかに一つの「非自己」である何物かを創り出すために、同様の条件で雇われている、他のすべての「技術」と力を合わせて働くことである。「美しい書物」の全体性、均整、調和、無理のない美しさは、そのとき、われわれ自身と全世界とから成立つ生命全体の、無理のない全体性、均整、調和、そして美しさと原理において一つに重なるであろう、すなわち互に相競うもろもろの力の間にあって、毅然たる自己の面目を保ち、日々の彩飾された頁の上に、生命の言葉を以て、幾世紀にも亘る書冊を書きしるし、無窮の時間と空間とを貫いて、すべての生命と、すべての美しい即ち気高い書物の原型である、その驚異的な物語の十分な展開を目指して韻律正しく前進する、複雑にして素晴らしい全体と、一つになるのである。》(美しい書物)

ゴシック体部分は本書の通り。「非自己」と「全体」というのも、いわゆる中世主義、「独創」と「新しさ」を追い求める近代に対するアンチテーゼである。それにしても「美しい」が頻出する。何をして「美しい」というのか、それが先ず問題である。それはコブデン=サンダスンの作った書物を眺めてみるにしくはないだろう。



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アスタルテ主人と酒杯を傾けたのは亡くなるおよそ半年前だ。店にはしょっちゅう通っていても二人で飲んだのは二度目だった。牡蠣と鰻が好物で大根(とカイワレ大根)が苦手だと聞いた。もう一度くらい一緒に飲みたかったなあ。

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by sumus2013 | 2016-06-15 21:15 | 古書日録 | Comments(0)

フランスの画家たち

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岡鹿之助『フランスの画家たち』(中央公論美術出版、一九六八年七月二五日、限定千七百部の内本書其の五一五番)。裸本。みつづみ書房にて。カバー、化粧箱、外箱もあるようだ。これは単純に読んでみたかったので裸本で十分。昭和二十四年に旧版が中央公論から出ている。その内容に手を加えて刊行されたのが本書で、さらに一九八四年にも再版された。

岡鹿之助がパリに渡ったのは一九二五年二月。滞在中に出会ったフランスの画家たち、岡の愛する画家たち、そして藤田嗣治について回想を交えながら描いている。藤田については二篇のエッセイ「ドランブル時代の藤田嗣治」と「藤田嗣治さん追悼」が収められており、どちらにも藤田の使っていたアトリエを岡が引き継いだことが書かれている。ただそこにちょっと気になる齟齬があるのだ。

《パリ到着早々、私は日本で聞いていたモンパルナス裏のドランブル通り五番地に藤田嗣治さんを訪ねた。だが、藤田さんは数日前にアンリ・マルタン通りに引移ったという。
 私は更にマルタン通りに藤田さんを追ったのであるが、このマルタン通りは、上流の人々の住宅区域で、ドランブル通りの貧乏くさい風景とはがらりと変って立派だった。数日前まで藤田さんが住まっていたドランブル五番地の画室にやがて私が住むことになるのであるが、ここは十数世帯で一つの便所を共用するようなひどいアパートであった。》(ドランブル時代の藤田嗣治)

と岡はこのように書いているのだが藤田嗣治展図録(NHK、二〇〇六年)の年譜(尾崎正明編)では藤田がアンリ・マルタン街に移ったのは一九二四年とされている(『ユキの回想』より)。今のドランブル街はそんなに貧乏人が住むような地域ではないものの直ぐ近くに歓楽街が広がっているのは変らない。ひとつの建物(アパルトマン)にトイレが一つというのも昔はそう珍しいことではなかったらしい。

岡はここで藤田の貧乏時代をすべてドランブル時代としているように思われるが、年譜によれば渡欧した一九一三年から一九一七年にドランブル街に住み着くまでの方が身辺落着かない摸索時代だったようだ。一七年にはフェルナンド・バレーと結婚しているし画廊で発表できるようにもなっている。

《藤田「私は貧乏時代からの延長、苦闘時代のドランブル街にあるガレージを画室代用にしていた。それを岡君にゆずってあげたのだね。大工の仕事台の大きなのをテーブル代りにしていたね。」
岡「それにもう一つ忘れることのできないのは、藤田さんがあの『わが画室』に描かれた戸棚ね。あれが置いてありました。」
藤田「あれはブルターニュのパン入れの古い戸棚です。それもそっくり譲った。」》(ドランブル時代の藤田嗣治)

ここで言及されている『わが画室』はこの絵だろう。


上の会話だと藤田から直接譲り受けたような話になっている。ところが追悼文では少しニュアンスが違う。

《このアトリエに藤田さんをたずねたが会えなかった。ほかにこれといってたよる人のいないパリだったので、いっしょに行った友人と共にホテル住いをしながらアトリエを捜していた。当時世界各国からパリを目ざして画学生が集まっていたので、アトリエを見つけるのはなかなかむずかしかった(パリの町には、貸アトリエがいくらもある)。だが、モンパルナスのキャフェで出会ったフランスの女性画家がよいアトリエがあるから紹介するという。そこではいったのがこのアトリエなのである。その婦人は藤田さんといっしょにいたのだが、三、四日前に藤田さんが出て行ってしまったという。たよる藤田さんに会えないうちに藤田さんがいたアトリエが使えるのもなにかの縁だろうと思って、私はそのアトリエに落ち着くことにきめた。》(藤田嗣治さん追悼)

その婦人は藤田さんといっしょにいた」と言うのだからフェルナンド・バレーのことである。年譜によれば、一九二四年、

フェルナンド・バレーと別居しリュシー・バドゥー(ユキ)と16区のアンリ・マルタン街17番地に住む。

三、四日前に藤田さんが出て行ってしまった」という岡の記憶するフェルナンドの言葉が意味深長ではないか。これだと藤田から譲ってもらったどころか、藤田と直接会う前にアトリエを借りていたことになる。下の絵は岡が借りたドランブル街の部屋にやってきた藤田が一時間ほどで描き上げた絵だそうだ。


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藤田のなかでも好きな作品のひとつ。どうして藤田がいきなり昔のアトリエを描く気になったのか、その気持ちがフェルナンドと結びつけてみるとなんとなく分るような気がするのである。

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by sumus2013 | 2016-06-14 22:01 | 古書日録 | Comments(0)

黄昏の調べ

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大久保賢『黄昏の調べ 現代音楽の行方』(春秋社、二〇一六年五月二〇日)読了。音楽ネタがつづくが、ある方より「すごく面白かったので読んでみてください」と言われた一冊。西欧クラシック音楽の流れの中に生じたいわゆる「現代音楽」という竜巻のような現象をその発生から衰退にいたるまで、そして今日的在り方を説いた内容である。とくに現代音楽の発生と定義についてはたいへん参考になった。

歴史書というよりもエッセイのおもむきが強く、文体にも主張にも曖昧さがなくて分りやすい読み物に仕上がっていると思う(楽譜の分析だけはちょっと素人には……)。さまざまな作品と社会との関係、近代以降のオリジナリティ信仰についてなどはほぼそのまま美術の世界に通じるもので、著者が抱くにいたった論理もよく理解できる。作曲家と演奏者の関係を論じた部分も注目である。そのような著書の結論だけを部分的に引用するのもどうかとは思うのだが、著者の主張のかなめは以下のようなことである。

《クラシック音楽は人間が長い時間をかけて築き上げてきた文化財であり、そこにはさまざまな智恵や経験が刻印されている(中には悪知恵や悪しき経験も少なからず含まれてはいるが……)。そして、あるものをなくしてしまうのは簡単だが、再び作り出すのはまことに難しい。それゆえ、まだそれがたとえ少しでも「使える」状態にあり、そこから何らかの積極的な可能性があるのならば、利用しない手はなかろう。》

《肝心なのは異なる世界観・価値観を宿したもの(物・者)がお互いに排斥しあわずに(必要があれば何らかの交渉を持ちつつ、また、その必要がなければ少なくとも他者の存在を認めつつ)並存しうることであり、その中で人がそれぞれに己に合った生き方を選び取れて、充実させられる可能性が開かれていることだ。そして、クラシック音楽(現代音楽)もまた、そうした可能性を開く場となりうるはずだ。》

日本国憲法前文のようなまっとうな意見である。そしてその思想に基づきつつ「現代音楽」についてこう提言する。

《それが使われる以前に顧みられないようなものを作曲家はつくるべきではない、ということだ。》

《つまり、たとえ何かしら「真理」が刻印されていたとしても受け手のことをほとんど顧みないような音楽を書き、やがて現れるはずの真の理解者とやらに向けた「瓶入の手紙」(20)などにするのではなく、眼前の人たちに向けてボールを投げかけ、その結果に向き合うことが大切なのだ、と。そして、その探究の中でかつての「ほとんど誰も聴かない現代音楽」は、本当の意味で時代を共にする人々にふさわしい「現代の音楽」へと姿を変えていくに違いない。》

(20)はテーオドール・W・アドルノ『新音楽の哲学』に出ている言葉だそうだ。本書に通底する実利を重視する考え方はプラグマティズムと言っていいのだろう。小生自身は「瓶入の手紙」を書いたり探したりするのが嬉しいタイプなのだが、著者の主張ももっともだ、とも思う。売れる絵も描かなければならないということである。

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by sumus2013 | 2016-06-13 21:05 | おととこゑ | Comments(0)

三月の水

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ジョアン・ジルベルト「三月の水」(POLIDOR K.K., 1998)をヨゾラ舎にて。どうしてこんなCDを買ったかというと、少し前に『コモ・レ・バ?』Vol.27(CONEX ECO-Friends、二〇一六年四月一日)の特集「岩谷時子の作法」を興味深く読んでいて岩谷がわれわれの青少年時代をいかに豊かに彩った作詞家だったかがよく分ったのだが、そのなかに佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」(一九六九年)のジャケット写真が出ていた。それを見て、佐良直美といえば「私の好きなもの」が好きだったなあと思い出したのである。

「私の好きなもの」は和ボサの名曲と言われているらしいが(歌詞もいきなり《ボサノバのリズム》から始まる)、小学校六年だった小生はこの単語を並べていくだけの作詞法にいたく感心してしまった。好きなものを並べて、最後にあなたが一番好きを繰り返す。こしゃくな、と小学生が思ったかどうか忘れたが、うまいもんだと感じたのは事実。

私の好きなもの (1967年12月5日) 
作詞:永六輔/作曲:いずみたく/編曲:いずみたく

ただし、それ以来特段にボサノヴァに興味は湧かず、眠たいジャンルだなと思いつつどちかと言えば敬遠していたわけだが、この単語を並べる作詞の秀逸さというのはずっと頭の片隅にあった。そうしてつい最近(というのも情けない話ではあるが)アントニオ・カルロス・ジョビン作の「三月の雨」にがまさにそういう歌詞だということを知った。ジョビンは「三月の雨」(Águas de Março「三月の水」とも)を一九七二年に作った。翌年ソロで、そして七四年にはエリス・レジーナ(ヘジーナ)とのデユエットで発表した。それが大ヒット。ボサノヴァの代表的な作品となった。たしかにエリスの声がなんとも素晴らしい。

TOM JOBIM & ELIS REGINA - AGUAS DE MARÇO

「三月の雨」は家を建てる過程をモチーフにしたものだそうだ。そのつもりで読んで行くと森の外れで工事をしている様子が、そしてなかなか仕事が進まない様子がそれとなく伝わって来るように仕組まれている。《あなたが一番好き》という歌詞はないにしてもそういう状況を連想させる歌詞はある。永六輔の方が先んじているわけだからジョビンが真似した、まさか。何かヒントになる先行作品があったのかもしれないが【「マイ・フェヴァリット・シングス」だというご指摘をいただいた。まさに!タイトルそのものではないですか。どうして気づかなかったのだろう。深謝です。なおジョビンはオラーヴォ・ビラッキからインスパイアされたらしい】、永はこの作詞については何も記憶していないと述べている(『上を向いて歌おう:昭和歌謡の自分史』)。

Aguas de Março(邦題 3月の雨)対訳

ジョアン・ジルベルトの「三月の水」はメキシコ・アメリカ漂流時代の一九七三年に制作された。《アストラッドとも別れ、長い不遇時代を迎えてしまう。その間に吹き込まれたのが「イン・メヒコ/彼女はカリオカ」とこのアルバムというわけだ》(板橋純)。そのせいでもないだろうが冒頭に収められた「三月の水」がみょうにさびしい感じに仕上がっている。

そうそう、ブラジルの「三月の雨」はどしゃぶりだとか。


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by sumus2013 | 2016-06-12 20:46 | おととこゑ | Comments(2)

花森安治装釘集成いよいよ

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着手からおよそ五年。ようやくにして、唐澤平吉さんのコレクションを基にした『花森安治装釘集成』(みずのわ出版)の形が見えてきた。B5判300頁、図版は千点におよぶ……と言っても、頁数、図版数ともにまだ完全に確定したわけではないが、おおよそのところは目星がついた。ただ、まだいろいろと追加していかなければならないデータなどもあってひと山ふた山越えねばならない。これから詰めの作業が続く。「とと姉ちゃん」が終るまでに刊行にこぎつけられればベストなのだけれど、さて、ガンバリましょう。

花森安治の装釘世界

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by sumus2013 | 2016-06-11 19:58 | 装幀=林哲夫 | Comments(2)