林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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聖ヒエロニムス

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『世界版画1 初期木版画』(筑摩書房、一九七八年八月三〇日)。解題はジャン・アデマールと坂本満。昨日の『月刊百科』表紙解説から思い出した一冊。かなり以前から書棚に挿してある。いつ購入したのかハッキリしないが、あれこれ思い巡らすと一九八一年頃だろう。それ以後少なくとも四度は引っ越したにもかかわらず、ずっと所蔵しているのが不思議なくらい。パリ国立図書館所蔵作品だけで構成された版画シリーズ。その第一巻で西洋における最初期の木版画を収録している。太目の単純な線描と渋い色彩(本来は派手だったかもしれないが時とともに渋くなっている)が好きだった。

久しぶりにめくっていると「聖ヒエロニムス」(作者不詳、十五世紀末)に目がとまった。本棚が見える。筆記用具らしきものが置いてある。

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乱雑に見えるが、挿絵などに描かれた当時(十五世紀末から十六世紀)の書斎における本の並べ方はおおよそこのようなものであった。



聖ヒエロニムスはダルマチア(現クロアチア共和国の一部)に三四〇年頃に生れた。キリスト教の神学者。ギリシャ語聖書などからラテン語訳(ウルガータ聖書 Vulgataを完成させたことで知られる。ルネサンス時代には学者のアイドルとして人気絶大となり、荒野で苦行する姿(ダ・ヴィンチに有名な作品がある)あるいはライオンとともに書斎にいる姿で多数描かれた。

携帯用の手のひら『新約聖書』

聖ヒエロニムスが隠遁生活を送りつつヘブライ語を学んだのはシリアの砂漠だった。コンスタンチノポリス(イスタンブル)からローマへおもむき、教皇ダマスス一世に厚遇されて聖書の翻訳にとりかかった。教皇歿後エルサレム、ベツレヘム、エジプトを遍歴し神学研究を深めたという。四〇五年頃ベツレヘムで訳業を完成させ、四二〇年に同地で歿している。……考えてみれば四〜五世紀の当時、学問の最高水準はこの地域に集中していたということである。現在の状況からはちょっと想像するのが難しい。逆に言えば、現在のユーロ圏はその当時は全くの蛮族地帯であったということになる。日本は……応神・仁徳の時代か。


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by sumus2013 | 2016-06-30 20:48 | 古書日録 | Comments(0)

雨障

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『月刊百科』no.350(平凡社、一九九一年一二月一日)を何冊か頂戴した。なつかしい(最近この言葉を使い過ぎか)。ちょうどこの時期『月刊百科』を購読していた。B5判で表紙も楽しく、百科事典の増補という編集内容も気に入っていた。その後A5判になり性格もかなり変ったので購読もいつのまにか止めてしまった。さらに倉庫整理でバックナンバーがたくさんあったのも処分した。ということで「なつかしい」という言葉がつい口をついて出る。

この号の表紙は「ヨーロッパ民衆版画を読む」というシリーズでとくに好きだった。解説は坂本満。フランスのエピナール版画より「フォンテヌブローの別れ」。ナポレオンがエルバ島へ落ちて行く前に親衛隊の兵士たちとの別れを惜しんでいる場面(国定忠次の赤城山だ)。十八世紀末からストラスブールで営業していたジャン・シャルル・ペルランの発行である。

《名彫版師フランソワ・ジョルジャンの作品で、一八二九年から三五年までの間の、彼の彫ったナポレオンもの数十点中の第一作らしい。》(坂本満


他に『月刊百科』で好きだったのは「百科プロムナード」というウンチクを傾けてワンテーマを説明する連載だった。この号は十二月なので「時雨」が取り上げられている。今は梅雨だから、時雨の解説は引用しないが、万葉集にある雨の歌を数え上げたリストが興味深いので紹介しておこう。四季の分類は略して合計数だけ引く。

雨   六三
雨霧 あまぎり  一
雨隠り あまごもり  三
雨障 あまつつみ  四
雨間 あまま  四
雨夜 あまよ  一
小雨 こさめ  七
長雨 ながめ  三
村雨 むらさめ  一
暮立雨 ゆうだちのあめ  二
春雨 はるさめ  一八
時雨 しぐれ  三七

《「梅雨」「五月雨」や「秋雨」のないもの、意外です。歌意の検討をぬきにいえば、雨六三のうち夏一〇、秋九と多いのは、二つの雨季を反映するのでしょうか。また「長雨」には、「卯の花を腐[くた]す霖雨[ながめ]」(四二一七歌)、「秋萩を散らす長雨」(二二六二歌)と詠む歌があります。「雨隠り」「雨障」(雨障[あまざわり]とも)は雨に振りこめられ家にいること、「雨間」は「晴間」と同意といわれ、雨季に適した言葉です。
 「村雨」「暮立雨」は通り雨、にわか雨です。
   暮立[ゆふだち]の雨ふるごとに春日野の尾花が上の白露思ほゆ
                          (二一六九)
のように、夕立の本来は夕方に雨・風・波などがにわかに生じることです(夏とはかぎらない)。「春雨」が多いのは、降るごとに芽吹きの進む季節への思いが強いからでしょうか。》(五十嵐謙吉)

というような具合である。おや、万葉時代に「梅雨」はなかった……?

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by sumus2013 | 2016-06-29 21:41 | 古書日録 | Comments(0)

国立西洋美術館展覧会総覧 1960-2009

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『国立西洋美術館展覧会総覧 1960-2009』(淡交社、二〇〇九年九月一一日)を借覧。この本は開館五十周年を記念して刊行され、同館で開催された展覧会、出品作についての情報が細かく記録されている。同館に保存されている全カタログから基礎データを入力し検索できるようにした労作である。

コルビジェ?

先日はセザンヌ展(一九七四年三月三〇日〜五月一九日)が小生における最初の西洋美術館体験ではないか、記憶があいまいだと書いた。本書の「展覧会一覧」をゆっくり眺めてみたのだが、どうも最初ではないような気がする。ただそれ以前と言うと、上京してセザンヌ展が始まるまで(あるいは高校時代の修学旅行か? 東京だったことは間違いなく、工芸高校なので美術館も行ったような気もしないでもないが、どうもはっきりしない。宿は上野辺りだったと思う。日光東照宮へ行ったのは覚えている)ということになる。

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もし上京後だとしたら、初めて見たのは常設展示(松方コレクション)であろう。常設で好きだったのはこの作品、ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ「貧しき農夫」。この画像はその当時買った絵葉書(今も手許にある)からスキャンしたもの。うらさびしい絵なのだが、みょうに引きつけられた。

セザンヌ展のあと四月から六月にかけてモナ・リザ展があった。行列が嫌いなので見なかった。九月から十一月に「ヨーロッパ絵画名作展:ドイツ民主共和国ドレスデン国立美術館所蔵」が開催され、そこでフェルメールにシビレタ。「窓辺で手紙を読む娘」(現在は娘から「女」に成長)。

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このおよそ二年後、アムステルダムで「牛乳を注ぐ女」他(王立美術館にフェルメールだけの小部屋があった)、ウィーンで「アトリエ」も間近に見ることになるのだが、そのときよりもこの娘の方が印象は強烈だった。フェルメールのなかでも最も濃密な描写がうかがえる傑作だと思う。

七五年にはヨーロッパ素描名作展、ホドラー展、英国の肖像画展、全米美術館収集世界名作展、七六年にはヴァン・ゴッホ展、七七年にはエルミタージュ美術館展、ルネッサンス装飾美術展、七八年のボストン美術館展、七九年のヨーロッパ巨匠素描展などそれぞれ断片的ながら記憶にはっきり残る展覧会ばかり。こうやって振り返ってみると西洋美術館にはお世話になっている。ありがとうNMWA。

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by sumus2013 | 2016-06-28 21:12 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

明治演説史

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『切抜帳』と題箋のある和綴じ本。開いてみると文字通り新聞の切抜きがいろいろと貼付けてある。ただし新聞の名と掲載年月日が記されていない。切り抜きで大事なのは紙誌名と掲載年月日である。切り抜いている本人は分っているつもりでも時間が経てばそんなことはきれいさっぱり忘れてしまう。利用価値も半減以下になる。ぜひメモしておくようにお勧めする。

ただ一点だけ《一四、七、二六 東朝》と書かれている記事があった。それは三宅雪嶺「明治文学史の側面観 『思ひ出す人々』を読んで」。「一四」が大正であることは『思ひ出す人々』の刊行年から知れる。

他には滝本誠一「世に出んとする佐藤信淵全集」、馬場孤蝶「「思ひ出す人々」に感服す」、「ライブラリアンの手帳(二)」、「豆腐ばかりで育った不思議な女 それが為め母と養子に…虐げられて家出」、篠山立男「金の御殿」「西郷南洲のこと」「小泉八雲」「エレキテル」「和尚と小僧」、佐佐木信綱「長慶天皇御在位確認の史料について」、林若樹「古紙雑談」、狩野亨吉「埋もれた革命的思想家安藤昌益の『自然真営道』」、そしてメインは廃姓外骨「明治演説史」(第一回のタイトルは「日本|明治 演説史」)である。これが目に付いたので買い求めた。

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幸い宮武外骨『明治演説史』(有限社、一九二六年四月三日)はデジタルライブラリーで閲覧することができる。その序文に

『帝国大学新聞』の記者より何か書いて呉れと頼まれたのに因るのである、それで大正十四年十月五日発行の同新聞第百三十六号より今年二月一日発行の第百五十二号までの紙上へ十四回に渉つて連載したのである。然しそれは簡単圧搾の叙述であつて省略した所が多く、本書の十分の一にも足りない内容であつた

としてあって上の切抜きが『帝国大学新聞』だということが判明した。ただ貼付けられているのは全十四回のうちの一〜五、十二〜十四の八回のみである。

第二回、その「演説といふ語」がなかなか痛烈。「演説」という語については、明治七年夏、福沢諭吉が「スピーチユ」と「デベート」をそれぞれ「演説」と「討論」と訳してその大概を小冊子にして社中に配り、明治八年慶應義塾内に初めて演説館を新築し演説討論演習用に供したと書いている(『交詢雑誌』三百二十四号)、そしてまた『福沢全集緒言』に出ている自記にこうある。

《原語のスピーチユに当るべき訳字を得ず、此時不図思付きたるは、余が旧藩中津にて藩士が藩庁に呈出する書面を演舌書と云ふ例の事である、社友と謀り舌の字は余り俗なり同音の説の字に改めんとて演説の二字を得てスピーチユの原語を訳したり》

これに対して外骨は容赦ない反駁を加える。

《これはコケおどしの瞞着でなくば諭吉先生の浅識無学によるのである、演説といふ語は我国に古くから行はれて居た、舌でない演説書の例は中津藩ばかりでなく、幕府の『公裁秘録』などの類には
 文化十三年子年
    演説書  松平和泉守
 駿州(中略)依之及演説候
など云ふ例は数十ある》

《演説の二字をスピーチの義に使はれた例もある、『古事談』の巻三に最勝八講の事を記して「権少僧都澄憲ハ講師ヲ勤仕シ、第二日ノ夕座に[ママ]当リテ演説玉ヲ吐ク」とある、これは『金剛経』に「受持ノ読誦、人ノ為メニ演説ス」などあるに拠つたのであらう 自称の学商福沢諭吉先生は味噌屋をも兼ねて居たらしい

味噌屋」というのはむろん「手前味噌」のこころであろう。

四つ目綴じのこの本、じつは吉田弥平編『中学国文教科書巻五』(光風館書店、一九一五年一月五日修正十版)だった。

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切抜きが貼付けられているのは全体の三分の一程度。後はきれいな本文のまま。参考までに大正四年の国文教科書には誰の文章が取り上げられていたか。高山樗牛、夏目漱石、島崎藤村、島村速雄(海軍大将)、徳富蘆花、新井白石、山路愛山、黒板勝美、中邨秋香(国学者)、遅塚麗水(文章家)、幸田露伴、山県有朋、勝海舟、矢野龍渓……である。

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by sumus2013 | 2016-06-27 20:59 | 古書日録 | Comments(0)

佐伯矩自筆日記のことなど

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東京の南部古書会館で最近開催された「本の散歩展」と「五反田古書展」の目録、および『古書月報』476号(東京古書籍商業協同組合、二〇一六年六月)を頂戴した。注目すべきは『古書月報』に掲載された日録式のエッセイ、月の輪書林・高橋徹「『佐伯矩自筆日記』のことなど」である。

《4月某日
『佐伯矩[ただす]自筆日記1947』を読む。朝食前の一時間半を「解読」にあて、早や二ヶ月。ペン書きの1950年日記、毛筆の1946年日記と順調に読んで来たが、この1947年日記は鉛筆書き、文字が薄く、しかも近年とみに老眼が進み、棟方志功ばりに日記に眼をくっつけなければ読めず、遅々として進まない。
 でも内容は面白く、70年前のその現場に佐伯矩と一緒に立っているような臨場感がある。
 佐伯矩(1876〜1959)は、「栄養」という言葉をつくった男で、「栄養学の父」とも称される人。この時、71歳。
 今日は、こんなところを書き写した。

昭和22年12月18日(木曜)
朝8時半出発。三菱ビルにハウ大佐(日本の栄養行政に力を尽した軍政官。敗戦後の日本で、ハウ大佐ほど日本人の栄養問題に熱中した人はいないと今なお言いつたえられる人格者。昭和21年2月9日着任)を待つ。在らず。オダネル女史(小柄で美貌の大尉。GHQ栄養担当官)あり。ハウ大佐を問答せ、荷造り中(米国への帰国準備)の氏を帝国ホテルへ往訪。10時から12時迄最後の談話を交換す。横須賀より出発すと。氏はかなり十分日本の事情を理解せり。》

……と興味深い抄録は続くが、最後にこう書かれている。

《この佐伯矩自筆戦後日記だけで自家目録はつくれないだろうか? 今まであつかってきた自筆日記の中でも一、二をあらそう資料性の高さに加えて気品がある。生涯に一度、一点のみで目録をつくりたいと願ってきた。24年前今は亡き玉英堂・斎藤孝夫さんがつくった一冊を手にしてからずっと。

《後ほんの少しの勇気があれば、一点勝負が出来る気がする。でもそのちょっとの勇気が難しく、一番の勘所だ。
 佐伯矩博士、お時間下さい。

一点目録! いつになるか分らないにしても、とにかく楽しみだ。


月の輪書林古書目録十七 宙ぶらりんがすきだ 特集・ぼくの青山光二

月の輪書林古書目録16 太宰治伝

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by sumus2013 | 2016-06-26 20:02 | 古書日録 | Comments(0)

品川力文庫目録1

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『日本近代文学館所蔵資料目録17 品川力文庫目録 I 特別資料編』(日本近代文学館、一九八七年五月三〇日)。品川力については下記に略述したことがある。

「本の配達人 品川力とその弟妹」展

日本近代文学館所蔵資料については下記を参照。

所蔵資料目録 - 日本近代文学館

文庫・コレクション一覧 - 日本近代文学館

日本近代文学館そのものの成り立ちについてはこの講演レジュメが分りやすい。

「日本近代文学館が設立された頃の話:今から半世紀くらい前に文学資料の未来を考えていた人々がその頃にいったい何をしていたのか」


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《品川さんの名が、書物について最もくわしい古書店主としてよく知られていたのは、昭和14年(1939)にペリカン書房を始められ、以後、戦中から戦後へかけて多くの文学者・学者が、文献資料の収集で品川さんに助けられたからだった。同時に品川さんは内村鑑三、ポー、ホイットマン文献の収集に関しても一級の仕事をされ、立派な書誌をまとめられた。
 昭和38年(1963)、近代文学館の設立を記念する「近代文学史展」を開いた頃から、品川さんは文学館に非常にしばしば御自分で雑誌・図書・原稿書簡その他の貴重な資料を運んで下さり、関係者を感激させ、ふるいたたせた。ほとんど毎週のように、上野の文庫へ、駒場の館へ届けてくださった。それがすでに1210回をこえた。これは驚異的なことで、先年、創立20周年のさい、ささやかな感謝の記念品を贈らせていただいたが、そんなことではとても私たちの気持ちは表わすことができず、却って汗顔の思いだった。品川さんはそういうことは我関せずで、相もかわらず館の資料の弱い部分、館に欠けていて無いものを、せっせと埋めて下さっている。この場をかりて、改めてお礼を申上げる。(1987年4月)》(小田切進「品川力文庫目録に寄せて」)


《品川力氏は昭和38年以来、寄贈を続けてくださり、62年4月現在、本文庫の総点数は19,157点に達した。今回はこのうち、特別資料1,082点(原稿5点、書簡1,055通、その他の資料22点)を目録 I とし、氏収集のポー、ホイットマン文献を含む図書7,962冊、雑誌10,113冊については、II 以降に譲った。》(解題)

最終的に寄贈点数は26,801点になった。いまだ「II」は発行されていないようだ。

書簡類をざっと眺めていて、興味をもったのは、江原小弥太と品川豊治(力の父)連名の力宛はがき、江原の豊治宛書簡。他に富士正晴、白崎礼三、杉山平一のはがきなどもある。……で思い出したが杉山平一さん宛のこういう特別資料はいったいどうなったのだろう。貴重なものが多いはずだが。


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by sumus2013 | 2016-06-25 20:20 | 古書日録 | Comments(0)

夷隅郡

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古写真。そこそこイケメンの青年二人が芸もなく椅子に座っている。どうしてこんな写真を撮ったのだろうか? 時代はおそらく明治後半だろう。裏面はこうなっている。

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 中魚落郷沼君

 千葉県夷隅郡中根村
     小高文助君


中魚落村が大原町になったのは明治三十二年(一八九九)だそうだから単純に考えてそれ以前に撮影されたと思われる。

夷隅郡とは、千葉県の南東部にある郡である。

和服の青年は地下足袋のようなものを履いている。デジャヴュの感じがあるなと思ったら、以前のブログでこんな記事を書いていた。

号外配りの出で立ち

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by sumus2013 | 2016-06-24 20:40 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

頓智

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『頓智』創刊号(一九九五年一〇月一日)から七号(一九九六年四月一日)までをまとめて頂戴した。その時期の『ちくま』もバラでいただいたので懐かしく眺めていた。『頓智』も『ちくま』もその当時は毎月読んでいたのだが、『頓智』はどうもテイストが合わないような感じになって四号くらいで買うのを止め、その後古本で何冊か買い足したものの、結局は手放してしまった(『ちくま』は購読を続けた)。

十号で廃刊。赤字が六千万円になったところで早めに見切りをつけたそうだ。今、改めて眺めても、印象は当時とさほど変らない。ごった煮である。まず創刊号以下の表紙が? 篠山紀信のブツ撮り。贅沢というか無駄では。本文のレイアウトもごちゃごちゃしていて統一感がない。むろん、雑誌の雑を狙ったのだろう、それはよく分る。力みすぎて空振りか。執筆陣にもあまり新味はない。クラフトエヴィング商會のページだけがパリッとしており、どうして彼らに全てのアートディレクションを任せなかったのか不思議なくらい。「日本の古本屋」で調べても、二十年経っているのにそうは高くなっていない(とくに揃いは安い)。発行部数としては65,000が最多だったというから、値が上がるにはもう二、三十年かかるのかもしれない。

『頓智』の小型の内容見本(二つ折を展開)。

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以下『ちくま』に掲載された『頓智』の広告を並べてみる。

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95年7月号


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95年8月号


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95年9月号


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95年10月号


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95年11月号


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95年12月号


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96年3月号


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96年4月号


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96年5月号


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96年6月号



『ちくま』一九九六年七月号の「編集室から」には以下のように記されている。

《*今手許にある業界誌によると、昨年の雑誌創刊は二〇〇誌を越え、休刊は一五〇誌に近い数字になり、今年は各々もっと増えるだろうと伝えています。その創・休刊の流れの激しさにびっくりしますが、当社の雑誌もその流れの中に呑み込まれました。昨年9月創刊した「頓智」が、残念ながらこの6月刊行の10号をもって休刊となりました。

《雑誌を持ちたいという長年の課題を追求してきた末、経営安定に寄与できる可能性をもつ雑誌として「頓智」を出発させました。当初は実売でかつての「展望」をこえる期待以上の部数6万5千部を売り上げたのですが、2号以降、これもまた私どもの予想をはるかにこえる勢いで急落し、存続させるために必要な最低目標をも大きく割り込み、それを短い期間で盛り返す見通しは残念ながら持てませんでした。》

《雑誌の中身についても、さまざまな方から応援をいただく一方、厳しい批判をいただきましたが、発刊直前の盛り上がりと発刊後の減少は、新雑誌の一つのパターンであるにせよ、今回の急落の原因のひとつは、筑摩書房の雑誌として期待し創刊号を手にされた多くの方々にとって、雑誌のコンセプトが十分満足できるものでなかったことを示していると、率直に認めざるをえません。》

執筆者は当時の『ちくま』編集長である柏原成光。筑摩の読者はもっと「文学」を期待していたのかもしれない……よく分らないけれど。



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by sumus2013 | 2016-06-23 21:15 | 古書日録 | Comments(0)

明治のコーヒー店

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【『喫茶店の時代』正誤・増補 004 明治のコーヒー店

28頁脚注[5]に追加。上図も。

《コーヒーの広告が初めて登場したのは『萬国新聞』第一五号(一八六九年)横浜のエドワルズ氏が「生珈琲幵焼珈琲」の販売を報せたものとされる(岡田睦子「珈琲というメディア」『珈琲王国』第四八号、珈琲文化研究会、二〇〇二年一二月三〇日)。》

生珈琲には「きこをへい」、焼珈琲には「やきこをへい」とルビがある。

29頁最終行  ×明治十年末  ○明治十一年

30頁脚注[11] ×林杖二  ○林丈二

32頁最終行《コーヒー三銭は可否茶館の倍額である。》につづけて以下の文章を挿入。

《参考までに明治二十年代東京市中、芝、牛込あたりの商賈職工たちを顧客とする飯屋では一人前平均八、九銭より十銭くらいの勘定だった。[脚注]松原岩五郎『最暗黒の東京』岩波文庫、一九九九年版、一一一頁。》



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by sumus2013 | 2016-06-22 21:25 | 喫茶店の時代 | Comments(0)

高田渡1971 / TOKYO '70s

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佐治嘉隆『高田渡 1971 / TOKYO '70s』(佐治嘉隆、二〇一六年三月三〇日)。古本屋百年で三月末〜四月に開催された同名展覧会の図録らしい。装幀・印刷・製本も著者。

佐治嘉隆写真展『高田渡 1971 / TOKYO 70’s』

佐治嘉隆の●芭璃-BALI-の日々 ●日々の写真 ●ものlogue

写真展初日 / Snapshot -吉祥寺-

写真展最終日

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どれもいい写真だが、やっぱり、これ、高田渡が古本屋(?)で立ち読みしている図。奥の額は「耽読……」とだけ読めるが、お心当たりの方は是非御一報を。

もう一冊、似た感じの写真集を紹介する。今井雅洋『VEST POCKET KODAK』(二〇一五年)。高田渡の方はやや粗目のインクジェットだが、こちらは堅牢なコート紙を用いてもっと写真に近い仕上がりになっている。体裁も綴じずに挟み込むだけにしたところがナイス。

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作品も写真というより写真という媒体を使ったアートを目指しているようだ。コンテンポラリーとノスタルジーが同居しているような雰囲気が魅力。好きな作家である。

今井雅洋のアルテ・ガレッキ

今井雅洋 Photo Art 展

今井雅洋 Photo Art [debris](記憶ノ總体トシテノ)


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by sumus2013 | 2016-06-21 20:39 | おすすめ本棚 | Comments(0)