林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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石神井書林在庫速報

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『石神井書林在庫速報』臨時号(石神井書林)が某氏より届いた。少し前になるが同氏より拝借した石神井さんの目録を紹介したことがあった。そこには含まれていなかったもの。

石神井書林古書目録

石神井書林目録その2

《■昨年末発行いたしました小舎近代文学古書目録第6号では、たくさんのご注文を頂戴いたしまして誠にありがとうございました。
■さて、2月28日(金)〜3月5日(水)西武百貨店本店に於きまして「西武古本まつり」が開かれます。石神井書林も参加出品いたします。
■本来、皆様方に「西武古本まつり目録」をお届けすべきなのですが、私どもで確保できました部数が30部と少なく、店頭置きいたします分を除きますとほとんどお送りできないのが実状でございます。
■そこで、私どもの掲載分を抜き刷りいたしまして、蛇足ながら新たに解説など加えました冊子を作成いたしました。

この冊子には発行年が記載されていない。ただ上記「ごあんない」に出ている《小舎近代文学古書目録第6号》は一九八五年十二月発行だからおそらく八六年二月頃に配布されたのではないかと思われる。

ざっと見たところ高額なのは山口誓子『句集激浪』(未刊、一九四四年)、高柳重信『句集蕗子』(一九五〇年)、石田波郷『句集鶴の眼』(一九三九年)、瀧口修造『詩集地球創造説』(一九七二年)、『緒方淳詩集』(大阪フォルム画廊、一九七一年)、更科源蔵『詩集種薯』(北緯五十度社、一九三〇年)、蔵原伸二郎『詩集東洋の満月』(一九三九年)、北園克衛『詩集夏の手紙』(一九二七年)……このあたりが十万円以上二十万円まで。表紙になっている寺山修司の自筆歌稿四百字七枚が十二万。なるほど。

また転居葉書もあった。

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メモによれば一九八七年四月二三日に届いたようだ。住所が石神井町6−8−2から石神井町6−8−3に変っている。《三軒となり》。まだ店舗販売を行っておられた時代である。


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by sumus2013 | 2016-04-13 20:34 | 古書日録 | Comments(0)

こころに効く「名言・名セリフ」

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岡崎武志『読書で見つけたこころに効く「名言・名セリフ」』(光文社知恵の森文庫、二〇一六年四月二〇日、カバーデザイン=長坂勇司)が届いた。もう一冊『ここが私の東京』(扶桑社)も同時に届いたのだが、これはもう少しゆっくり読ませてもらってから紹介する。

中江有理さんの帯、いいなあ(笑)。《ただの名言集ではありません。「読む楽しさを共有する本」です。》まさにその通り。あれこれ拾い読んでいると時間を忘れる。花森安治の言葉も採られていた。

《世界はあなたのためにはない》

う〜ん、これを抜いてくるか、さすが岡崎氏。

《『一銭五厘の旗』(暮しの手帖社)という随筆集に収められている。春に、学校を卒業する若い女性に向けた言葉だが、ずいぶん厳しい。普通なら『世界はあなたのために手を広げて待っている』と、前途ある若者に景気をつけたいところだ。
 しかし花森は、そうしない。ここで三十三歳という若さで死んだ一人の女性編集部員の話をするのだ。林澄子、旧姓藤井澄子は、暮しの手帖社が初めて社員を公募した一九五七年に入社。一番の成績だった。彼女は二年後に結婚し、男女二人の子を産み、産休、育休をとって、そのつど職場に復帰してきた。昭和三十年代、女性は結婚あるいは出産を機に退職し、家庭におさまるのが一般的だった。》

彼女は働く女性すべての立場を代表するように懸命に頑張った。

《彼女が入社した十年後、暮しの手帖社の入社試験には、三名の採用に二百名もの応募があったという。》

十年後と言えば『花森安治の編集室』の著者・唐澤平吉さんが試験を受ける四年前である。そんな難関だったわけだ。花森は林澄子の有能さと死を語り、こう書いているという。

《「世界は、あなたの前に、重くて冷たい扉をぴったり閉めている。それを開けるには、じぶんの手で、爪に血をしたたらせて、こじあけるより仕方がないのである。」》

そして岡崎氏は《この言葉は今も有効である》と結ぶ。鮮やかな手並み。

一方、唐澤氏も林澄子のことを取り上げている。唐澤氏はこのエッセイで花森が訴えたかったことは三つあるとする。

《ひとつは、林澄子さんの生き方、しごとへの取り組み方のすばらしさと、その人を失ったことへの深いかなしみでした。
 ふたつめは、暮しの手帖社のしごとの大へんさです。》
《そして三つめは、女性が社会に出て働くことの意味についてでした。》

こう分析して雑誌創刊時代の苦労話を引用し、暮しの手帖社に就業規則がないことを「オトナの常識」だと締めくくる。

《そして就業規則のないしごと場こそ、花森安治にとってリーダーとしてのカリスマ性をぞんぶんに発揮できる、最良のしごと場だったのではないでしょうか。
「ぼくがいったり、やったりすることは、世間よりも十年早いんだ。いや、二十年くらい早いかもしれん。あんまり早すぎて、わかってもらえんことのほうが多い」》

これは花森に対する痛烈な批判ではないか? 唐澤氏はもちろんそんなことはこれっぽっちも書いていない。この常識がなければ『暮しの手帖』というユニークな雑誌は生まれなかったと断言しておられる。ただ、唐澤氏によれば林澄子さんの死因は脳出血だった。今なら遺族に訴えられても仕方がないような働き方だったのかもしれない。

「世界はあなたのためにはない」……非情な名言である。

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by sumus2013 | 2016-04-11 20:46 | おすすめ本棚 | Comments(6)

花森安治の編集室 文庫版

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唐澤平吉『花森安治の編集室 「暮しの手帖」ですごした日々』(文春文庫、二〇一六年四月一〇日、カバーデザイン=大久保明子)読了。単行本はかつて紹介したことがある。

唐澤平吉『花森安治の編集室』(晶文社、一九九七年)

先日紹介した津野氏の花森伝が資料を集めて描いた、花森像の不完全なジグソーパズルのようなものだとすれば(唐澤氏によると花森はジグソーパズルに夢中になったことがあってその普及に貢献したそうだ。伝記に完全は在り得ない)、唐澤氏の本は身近に接した人が描いた花森の優れた似顔絵のように思える。どんなに似ていようとも似顔絵が本人でないことは言うまでもないが、それとは別に似顔絵は描いた作者の素顔も描き出す。その意味で本書は二重に興味深い読物になっている。

どこを取っても花森と唐澤氏はドラムの皮の表裏のように一体となって現れる。打てば響くというのか、打たれたことによって響くという方がいいのかもしれない。

例えば昭和四十六年、唐澤氏は暮しの手帖社の面接試験を受けた。一次試験が作文提出、二次試験が面接。面接に進んだのは三十人ほど。その中から四人が採用された。面接での花森と唐澤氏のやり取りの一部を引用してみる。参考までに唐澤氏は一九四八年生まれ。

「最初から関西大学を志望していたの」
「いや、京大を二回受けたんですが、京大のほうでは来るにはおよばずということで」
「行かんでよかった。京大なんか行ってもろくなことないよ」
「そうですか」
「そうだよ。それにしてもきみは趣味が多いな。音楽はジャズ、それとも」
「クラシックです」
「喫茶店で聞いていた」
「いや、あの雰囲気は好きじゃないんです。アパートで聞いてました」
「アパートはどんな部屋」
「四帖半と三帖の部屋に台所がついていました」
「へえ、そりゃきみ、大名じゃないか」
「映画でいちばん印象にのこっているのはなに」
「うーん、『俺たちに明日はない』ですね」
『俺たちに明日はない』か、どうして
「あの映画から、アメリカ映画が変ったと思いましたけど。あとは……」
「うん、亜流だな。ところできみは趣味に読書をあげてないけど、本なんか読まないの」
「学生にとって、読書が趣味といえるかどうか」
「そうか、学生が本を読むのが趣味ではおかしいな。それで好きな作家は」
「北村透谷……」
「アッハッハ、こりゃまた古いなあ。透谷のどこがいい」
「……文体でしょうか」
「うん、透谷はハイカラだね。もうちょっと新しいひとでは」
「キタ、キタ……北杜夫さん」
「ほう、どうして」
「おかしなこともいっぱい書いていますが、小説はマトモでしょう」
「そうね、ほかには」
「柴田翔さんなんかも」
「アッハッハ、明日がなくても『されどわれらが日々ーー』というわけだな」
「ま、そういうわけでも……」

なかなかの臨場感。花森の独断が垣間見えるし、あからさまに食い違う世代感覚が面白い。しかも、ちゃんとオチまでついている。

この後、無事めでたく入社の運びとなるのだが、いざ入社してみると、そこは入社前に想像していたものとは全く違っており《自分の想像がいかに貧しいものか、現実によってしたたか味わうことになりました》、ということでその顛末はぜひ本書でお読みいただきたい。どうして『暮しの手帖』があれほどユニークだったのか、それがはっきり理解できる。

昨年来、富士正晴についていろいろ調べたり考えたりしていたので、そういう観点からもこの評伝(ではないか)は参考になった。富士と花森は神戸三中に同時期に在学していた(花森が二歳上)。その二人に共通することが少なくとも二つある。ひとつは二人がともにきわめてユニークな雑誌を創刊したこと、そしてそれが今日までどちらも発行を続けていること。

もうひとつは慰安婦について。本書によれば花森は《明日死ぬかもしれないというときにでも、ぜったいに慰安婦を抱きにいかなかった男たちがいた》ということをひんぱんに、いささか強調しすぎるくらい語って聞かせ、男女の関係については潔癖だった。富士正晴は戦争に行くとき絶対に人を殺さない、そして強姦はしないと誓ってその通り実行したらしい(よく実行できたものだ)。

二人が似ている、とは思わない。しかし人並みはずれて分裂的なところと偏執的なところを持ち合わせているように見えるところに通底するものがあったという気がしないでもない。



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by sumus2013 | 2016-04-10 21:56 | おすすめ本棚 | Comments(4)

無花果観桜会2016

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毎年恒例のいちじく観桜会が高津宮で催された。今回は十時梅厓(ととき・ばいがい、寛延二1749〜享和四1804)の特別展示室が設けられ、真贋の基準がはっきりしないこの書家・画家の実像に迫ろうという企てが行われた。木村蒹葭堂の周辺人物として梅厓を研究されておられる橋爪節也さんが梅厓についてレクチャーをしてくださった。正直、絵にはあまり感心しなかった(実際、濫作の時期があって雑な絵も多い。ただし絵心は感じさせる)。字の方がはるかに年季が入っている。

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お元気な姿を見せて下さった肥田皓三先生(八十六になられるとか!)に梅厓の手になる陶淵明詩の折本を説明する橋爪氏(左)。これが間違いなく梅厓の真筆と考えていいもので、基準作になるという。署名と印がまず注目に価する。

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梅厓の画帳のとなりになぜか町田康『バイ貝』が!(橋爪氏のおやじギャグ)。下の軸も橋爪氏蔵品。他にも多数出ていたが掲載は控える。

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梅厓の他には一般もちよりイチジク(一軸)部屋もあり、そちらに小生は昨日の小西来山などを持参した。こちらもいつにも増して佳作が多かったように思う。なかでちょっと驚かされたのは、P・Bさん持参の矢野橋邨作の娘の絵(下は部分)。ふつうに知られている橋邨の作風とはまるで異なる大正リアリズムだ。何かの記念にポートレートとして制作されたものだろうか?

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毎度ながらたいへん勉強になりました。

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by sumus2013 | 2016-04-09 21:39 | もよおしいろいろ | Comments(0)

けられとてちん

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こんな戯画を買った。「來山戯記」と落款がある。小西来山ということであったが、さてどうだろう。印はふたつ、「窓者?」「來山」。


  堂らち袮ハ
   可ゝれとて
      ちん
  三味線のわか
   はち飛九を
  なてすや
    ありけん 


酒席のナンセスを即興で描いたとも思われるからあまり文言を穿鑿しても意味はないのかもとは思ったが、念のため検索してみると、これには本歌があった。花山僧正遍昭の一首(後撰集1240)

 たらちめはかかれとてしもむばたまの我が黒髪をなでずやありけむ

 【通釈】母は、まさかこのようなことになると思って、幼い私の黒髪を撫でたのではなかったろう。(千人万首「遍昭」

来山は三味線が頭にコツンと当ったのをとらえて当即妙に遍昭の歌をパロッた。なかなかよくできている。これがもし小西来山(承応三1654〜享保元1716)なら伴嵩蹊『近世畸人伝』にも取り上げられている奇行の俳人。以下全文(岩波文庫、一九八七年版、旧漢字は改めた)。

来山は小西氏、十万堂といふ。俳諧師にて、浪華の南今宮村に幽栖す。為人曠達不拘、ひとへに酒を好む。ある夜酔いてあやしきさま にて道を行けるを、邏卒[めつけ]みとがめて捉へ獄にこめけれども、自名所をいはず。二三日を経て帰らざれば、門人等こゝかしこたづねもとめて、官も訴しにより、故なく出されたり。さて人々いかに苦しかりけむ、とどぶらへば、いな自炊の煩らひなくてのどかなりし、といへり。又あるとしの大つごもりに、門人よりあすの雑煮の具を調じて贈りたれば、此比は酒をのみ呑て食に乏し。是よきものなり、とて、やがて煮て喰て、

   我春は宵にしまふてのけにけり。

と口号たり。妻もなかりし旨は、女人形の記といふ文章にてしらる。其中、湯を呑ぬは心うけれど、さかしげにもの喰ぬはよしといひ、また舅は何処[いづこ]の土工ぞや。あら、うつゝなのいもせ物語や、と筆をとゞめて、

   折ことも高ねのはなやみた計

といへるもをかし。すべて文章は上手にて、数篇書きあつめたるを、昔ある人より得たるが、ほどなく貸うしなひて惜くおぼゆ。発句どもは人口に膾炙するが多き中、箏の絵賛を、禿[ちぎれ]筆してかけるを見しと人のかたれるに、その物を育んとて、其物を損ふ、と詞書して、

   竹の子を竹にせんとて竹の垣

といへるなど、行状にくらべておもへば、老荘者にして、俳諧に息する人にはあらざりけらし。さればこそ、其辞世も、

   来山はうまれた咎で死ぬる也それでうらみも何もかもなし

といへりとなん。

レアリストでありニヒリスト。《俳諧に息する人にはあらざりけらしと嵩蹊は評するが、それはどうなのだろう。俳諧にはこのタケノコ弁証法が欠かせないのではないだろうか。


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by sumus2013 | 2016-04-08 21:36 | 雲遅空想美術館 | Comments(3)

ディランその他

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『雲遊天下』123号(ビレッジプレス、二〇一六年三月三一日)。

雲遊天下123 特集◎2016年に思うこと

巻頭が甲斐扶佐義「「ほんやら洞」とは、何だったのか?」。それだけではなく友部正人「[ぼくの歌の旅、君の歌の旅]大阪へやってきた」には「ディラン」という喫茶店も登場している。友部は神戸の片桐ユズルを訪ね、大阪の「ディラン」という店へ行けと言われた。一九六〇年代が終りかけていたころ。

《大阪にぼくは「ディラン」というたまり場を見つけた。カウンターで一日コーヒーを飲んでいれば、店にやってくるいろんな人に会えた。みんな「ディラン」の大塚まさじやヨーコさんに会いに来たのだ。音楽を聞き、おしゃべりをして、忙しそうに仕事に立ち去って行く人もいた。そこでのんびりしているのはぼくぐらいなもので、あの頃街中が暇そうに見えたけど、みんなきっと働いていたのだ。》

《「ディラン」は難波の二十六号線沿いにあった。都会の真ん中なのにあたりは荒涼とした雰囲気があって、用もなくブラブラしているだけのぼくはよくやくざのような人から仕事をしないかと誘われた。》

《だから寝る場所も人の家。たいていは「ディラン」のすぐ裏に住んでいた大塚まさじのアパートだったけど、他にも何人か頼めば泊めてくれる人がいた。》

《あの「ディラン」の小さなドアからあふれるようにして出て行ったフォークシンガーたち、ロックミュージシャンたちを思えば、あの頃の難波はまさに大阪のグリニッチ・ビレッジだったのかもしれない。》

他には大川渉さんが「詰むや詰まざるや」という将棋小説(?)を連載しておられる。今回は二回目、さて次はどうなるだろう。


***


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『gui』107号(田村デザイン事務所、二〇一六年四月一日)。奥成達追悼号。ジョン・ソルト「追悼は、ため息製造吃逆マシーンーー奥成達を想う」より。

《達は「最高」と「最悪」ということばをよく使った。北園克衛などにはぞっこんで、よく北園たちの作品を「最高だよ」と言っていた。》

《奥成達は生涯フリーのジャーナリストで、締め切りは必ず守る人だった。物書きのスランプなど自分には絶えられなかったのだ。てんやわんやの毎日にもかかわらず、彼は頼りになる人だった。彼はお金にきれいだったし、空約束は決してしない信頼できる人だった。だが、彼はこのストイックな自己統制のことをあっさりと「マナーだよ」と言ってのけた。》



***


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四月の二日と三日、高知の五台山(牧野植物園のある、小学生のときに修学旅行で訪れた!)の展望台で「古本まつり」が開催されたそうだ。約八店が参加したと報告してくださった方から昨年できたという『高知古書籍商組合ふるほんやMap』(二〇一五年三月現在)を頂戴した。十一店舗掲載、うち二つは店舗なし。徳島や讃岐の例も以前紹介したが、それからすると高知は古本県と言っていいようだ。


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by sumus2013 | 2016-04-07 20:44 | 喫茶店の時代 | Comments(2)

喫煙は殺す

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パリの路上で拾って帰ったマルボロの空き箱。「Fumer tue 喫煙は殺す」と大書されているのがスゴイと思ったから。今調べてみるとEUでは《たばこの箱の前面の30%、背面の40%を警告に当てなければならない》(ウィキ「たばこ警告表示」)と決められているそうだから当たり前の話だった。

裏面は「Fumer peut diminuer l'afflux sanguin et provoque I'impuissance 喫煙は血行を鈍らせ、インポテンツを引き起こす」と写真入で表明している。死と不能、このふたつの危機に直面してもそれでも吸いたいなら吸えばいい……ということか。

小生は中学一年生のときから禁煙している。運動部の先輩にすすめられ一口吸った。あまりにひどい味だったのでそれ以来吸っていないのである。


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by sumus2013 | 2016-04-06 18:11 | 古書日録 | Comments(4)

ヨーグルトおばさん

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堀江敏幸『その姿の消し方』はフランスの古絵葉書に記されていた「詩」とその作者について書かれた物語である。小生も最近は古絵葉書を漁ることに愉しみを見出しているので(主人公が絵葉書を探すシーンはとくに興味深く読んだ。以前は絵葉書を繰るのがかったるいと思ってチラッとしか見なかったのだが、最近は絵葉書の愉しみに目覚めたのだ。何しろ安い、0.5ユーロから買える。

《古物市に出くわすたびに絵はがき屋を探し、該当県の箱を漁ってみる。手ぶらで帰らず、店番の人にこういうものがあったら連絡をくれと頼んでおく。それを半年以上重ねたある日のこと、ロワール地方の店から、お望みの品らしき一枚が入荷したので購入を希望するかどうか知らせてほしいとの封書が送られてきた。》

《私は古物市のスタンドだけでなく専門店にも足を伸ばして、アンドレ・Lの詩と「彼の家」の絵はがきを探し求めた。》

《ところが、二枚目のはがきを買ってから一年半後、私はもう一枚、アンドレ・Lの言葉を、今度は露店ではなく、入場料を取る大きな古物市の店で手に入れたのである。二度目の奇跡はもう奇跡ではなくなる。驚きよりも喜びが勝った。

ひょんなことから「私」は市場でピランデッロの演劇ポスターを買った。そのとき隣に店を出していた絵葉書屋のおばさんからも声をかけられた。このおばさんがいい。

《視野の左手に流れた横並びの木箱、そして図書カードみたいに分類されたはがきの塊の色ですぐにわかる。ここだよと、おばさんは私を見ながらすでに指をさしている。役者さんの絵はがきはここ、映画のポスターを縮めたやつはここ。申し訳ないけれど、とくに演劇に興味があるわけではないんです、たまたま芝居のポスターを買っただけで、と私は正直に告白した。じゃあ、なにに興味があるんだい。彼女は目を見開いてこちらを見る。フランス西南部の地名を口にすると、おばさんはなんだい、声を掛けてみただけなのに、ちゃんと探しものがあるとはねと言い、黄色いインデックスが飛び出ている箱のひとつをさっと流してよこした。》

うん、うん、こんな感じである。

《ひととおり見終えたとき、正面でかちゃかちゃなにかをかき混ぜる音がするので顔をあげると、おばさんが小さなダノンのヨーグルトを食べていた。固形物ではないのにちゃんと噛んでいるところが、なぜか私の心をゆさぶった。昼を食べてないからね、二日酔いだし、あたしにはこれでじゅうぶんだ、とスプーンを口から抜いて彼女は言う。》

アンドレ・Lの絵葉書を見つけてからほぼ十年ぶりにパリにやってきたとき「私」は別の市場でもう一度このおばさんに出会う。

《フランス西南部のはがきはありますか。すると、あのときとおなじ表情で、おばさんはヨーグルトを食べながら、そこ、と口から出したばかりのスプーンの先を隅の一箱に向けた。そして自分では取り出さずに、好きに探しておくれとつづけた。声が以前より小さくなっている。》

前のときもこのときも「私」は鯨の絵葉書を買う。どちらも変らず二ユーロだった。

《二ユーロ差し出すと、スプーンを口にくわえて自由になった右の掌で彼女はそれを受け取り、腰の辺りに巻いた鯨みたいな形の黒いポシェットの底に、かちゃりと落とした。》

上の並べた絵葉書はパリで買ったもの。下はごく最近京都で買ったもの。

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よくよく見ると、微細な印刷に手彩色である。消印が読みにくいが「04」とあるので一九〇四年であろうか。この一枚、二ユーロよりは少々安かった。


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by sumus2013 | 2016-04-05 21:24 | 古書日録 | Comments(0)

花森安治伝 文庫版

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津野海太郎『花森安治伝 日本の暮しをかえた男』(新潮文庫、二〇一六年三月一日、カバー装幀=平野甲賀、カバー装画=花森安治)を頂戴した。元本についてはすでに紹介している。

津野海太郎『花森安治伝 日本の暮しをかえた男』

このときには詳しく触れなかった佐野繁次郎と花森の出会いについて津野氏の見解を引用しておこう。これには三つの説がある。世田谷文学館『花森安治と「暮しの手帖」展』図録の年譜によって学生時代の昭和十年とする説。佐野のところに押しかけたのが十年で働いたのは昭和十一年だという酒井寛説(『花森安治の仕事』)。そして田所太郎『出版の先駆者』に書かれている昭和十二年説。

花森が大学を卒業した昭和十二年の初め頃、親友の田所太郎からこう言われた。

《「自宅に来ていた友人から、佐野繁次郎がパピリオにいるから会って就職を頼んだらどうか、といわれ、『そうか。』といって、そう言われたその日に麻布四ノ橋のパピリオ本舗へのこのこ出かけてゆき、初対面の佐野に会い、あなたの宣伝部ではたらきたい、といったら、佐野は『いいだろう。』と、たった一言、そう言ったというのである」
 そのあと緊張のあまり蒼ざめた顔をして箪笥町の借家に戻ってきた花森は、待っていた友人に「おい、まとまったぞ」と告げ、つづけてこういった。
「こんばんは神楽坂で一本つけるか」
 なかなかの臨場感ではないか。こうした親密な語り口からしても、第三者めかして書いてはいるが、この「友人」が田所本人だった可能性はきわめて高いと考えていい。》

津野氏は、花森が山内ももよと結婚したのが昭和十年十月で婚姻届が十一年十二月、というところから、子供が十二年の春に生まれることが分って花森は安定した収入を確保しておかなければならないと就職する覚悟を決めたのだろうと推測する。そして田所の忠告に従って伊東胡蝶園に佐野繁次郎を訪ねた。田所の文に「初対面」とあるのは勘違いだそうだ。

《また、その場で採用ときまったのは、なにも佐野がいい加減な人物だったからではなく、おそらく通常の学生レベルをはるかにこえた花森の「たいへんな男」(武田麟太郎)ぶりを敏感に見てとったせいだったのだろう。この若い男には力がある、というつよい印象があったのだ。》

花森が編輯制作した『帝国大学新聞』をひと目見れば花森の力量は明瞭であろう。また津野氏は佐野の渡仏についてこう書いておられて、なるほどなと思わされた。

《佐野は三七年八月に渡仏し、二つの美術学校にかよって、かねて敬愛する画家、アンリ・マティスに師事している。このままではただの成功した広告美術家として終わってしまいかねないというおそれと、もうひとつ、九年まえにパリで死んだ佐伯祐三の弔い合戦といった意識もあったのだろう。あとのことは若い花森にまかせて、という気持ちもあったにちがいない。》

佐野は《ただの成功した広告美術家として終わってしまいかねない》というような危懼は決して抱かないと小生は思うが、それはともかくとして花森がパピリオ入って来て「後は任せた」と考えて渡仏した、これは大いに可能性がある。

まだ全部は再読していないけれど、いやあ、やっぱりよく書けた評伝だ。


そうそう、こういう記事も出ました。

NHK朝ドラ「とと姉ちゃん」のモデルとは?
「暮しの手帖」元編集部員 唐澤平吉



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by sumus2013 | 2016-04-04 20:58 | おすすめ本棚 | Comments(4)

その姿の消し方

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堀江敏幸『その姿の消し方』(新潮社、二〇一六年一月三〇日、装幀=新潮社装幀室)読了。堀江氏の作品はかなり前に一度紹介したことがある。そのころ何作か次々に読んだのだ。

堀江敏幸『おばらばん』(青土社、一九九八年)

今回は某氏の勧めもあって久しぶりの堀江本。プルーストの後のナイトキャップとして読んでいた。始まり方がいい。グッと引き込まれる。

《フランス西南部の内陸寄りにあるM市を私が訪れたのは、留学生の頃に古物市で偶然入手した、一枚の古い絵はがきがきっかけだった。

《古物の世界では、詳細不明がひとつの価値になることもある。ただし、求める者がいての話だ。どんな稀少でも、それを欲する人間がいなければモノはモノとして成り立たない。幸いにも蒐集家と呼ばれる人種はいたるところにいて、もちろん絵はがきの分野にもいた。》

《そのとき私が必要としていたのはまったくべつの主題だったのだが、奇妙な建物のたたずまいに惹かれて、言い値で買った。
 ところが家に戻って眺めているうち、私の目はその建物の写真ではなく、裏側の通信欄の、几帳面な、しかしすらすらとは判読できない筆記体で書かれた文面のほうに吸い寄せられていったのである。そこには親密な言葉のやりとりではなく、ひどく抽象度の高い言葉の塊が、ぴったり十行に収まる詩篇のような形式で記されていた。差出人はアンドレ・L。住所はない。名宛人は、北仏の工業都市に住む、ナタリー・ドゥパルドンという名の女性である。消印は一九三八年六月一五日だったから、手に入れた時点でもう半世紀以上の時間が経っていたことになる。》

ここから「私」の「アンドレ・L」探しが始まる。古本者としては読みどころである。なんと絵葉書に書かれた詩の作者の正体を探し当てる。肖像写真も見つかり、ついには本人を知っていたという人物に会い、その周辺の人たちと親しくなるまでに進展する。肖像写真を見つけてくれた古本屋とのやり取りがじつにいいなあ……フランス人の描き方はさすがにうまい。ただ詩の解釈に拘泥するあたりになってくると読み心地が鈍ってしまうのは単に詩心がこちらにないせいか。

なかに少し調子の違った物語「始めなかったことを終えること」が挿入されていて、これがたいへん良かった。留学生時代に通った古書店が閉店する話。面白い(要するに古物か古本が出てくればよろしい!)。

《他のどんな店にも置かれていない現代小説がそこでは著者名のアルファベット順に整理され、背表紙を見るだけでも勉強になったのだが、とくに昂奮したのは古い地下貯蔵庫に積まれていた値付け前の文芸書の山だった。ところがその懐かしい店の飾り窓に、真赤な文字で大きく閉店セール書かれた貼り紙が出ていたのである。あわてて中に入ってみると、地下に降りる階段は封鎖され、通りに面した一階の、すかすかに間引かれた棚には、読むというより見せるための豪華なアルバムしか残っていなかった。》

この店には特別な思い入れがあった。湾岸戦争の時期に留学していた「私」は翻訳のアルバイトで日本の原子力発電所から出た使用済み核燃料に関する書類を仏訳する仕事をした。文中には明示されてはいないが、それは例のアレバ社の仕事だったようだ。

《要するに、このアルバイトで得た印象のあまりよくない報酬を、私は先の古本屋でただちに「洗った」のである。ふだんは手を出さない価格のものまで目を引いたタイトルはどんどん抜き取り、二巡三巡して築いた本の山を抱えて狭い階段を往復し、レジのおばさんに預けると、彼女は驚きも呆れもせず、いつものとおりに合計金額を算出した。ぜんぶで百十二冊。これが一度の購入冊数の最高記録となった。そのとき棚からごっそり抜いたジャン・ケロールの本のいくつかはいまも手もとにある。》

無名の作家に対する眼差し。自分だけが知っている作家を持ちたいという欲望は文学数寄なら誰でも覚えるものだろう。そういう堀江氏の態度は以前から変らないと思うが、今回はマイナーもマイナー、著書がないというような無名レベルではなく詩人かどうかさえも分らない書き手に迫る。職業は会計検査官だそうだ。その意味では本書は小説やエッセイというよりも究極の文芸評論だということもできるかもしれないし、あるいはもしこれらがすべて虚構だったなら、それはそれで小説として成功したと考えてもいいのかもしれない。

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by sumus2013 | 2016-04-03 21:12 | おすすめ本棚 | Comments(1)