林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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はっぴーあいらんど祝島通信 Vol.2

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2016年3月9日発行

著者 優子☆
写真 國弘秀人
装幀 林 哲夫
発行 柳原一徳

発行所 みずのわ出版
http://www.mizunowa.com

188×128mm

2009年10月から2011年9月まで2年間(100回)、千葉県のコミュニティFM局で毎週1回、祝島のことや上関原発問題のことを話していた番組「はっぴーあいらんど祝島通信」で放送された内容が収録されている。本文にもカラー写真多数挿入。

祝島ホームページ
http://www.iwaishima.jp


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by sumus2013 | 2016-03-12 17:03 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

日本子供新聞

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『日本子供新聞』第九十六号(日本子供新聞社、一九二八年一二月一日)。月二回発行。編輯印刷兼発行人は小河原志磨、東京市芝区三田綱町一番地。月二回で九十六号なら単純に丸四年間は発行されてきたことになる。しかし国会をはじめめぼしい図書館には収蔵されていないようだ。監修が幸田露伴・野口雨情、顧問が巌谷小波・徳富蘇峰・倉橋惣三……と大きな看板を並べている。

これを手に取ったのは表紙の目次にこうあったからだ。

《絵画 落日を思ふ………ゆめ・たけひさ》

竹久夢二の新(?)資料発見かと思ったのだが、帰宅してビニール袋を開いてみると、何とまあ7頁から14頁までがスッポリ抜け落ちている。しかも夢二の絵はそれら失われた頁のどこかに載っていたようなのだ。これはショックである。ただ、ムッとはしたが、百円だから文句も言えない。

惜しいなあ、惜しいなあとつぶやきながら隅々まで見ていると、ありました、夢二のカット。サインはないが、これはほぼ間違いないだろう。

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他には銀座の十字屋楽器店が広告を出しているのが目にとまる。パテーベビーは一九二二年にフランスのパテ社が発売した9.5mmフィルムの家庭向け映写機。コダックが家庭向けにコダスコープを発売したのが一九二三年だからパテの方が先んじていた。しかもコダスコープは16mmだった。パテーベビーは発売翌年(一九二三)から日本でも輸入販売され始めていた。しかし本格的に普及するのは昭和に入ってから。この広告もその魁の一例であろうか。

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十字屋は楽器の広告も出している。ピコレット、バイオリン、エンホニコン。エンホニコンは《特殊の楓樹材より成る共鳴体を有する専売特許の新楽器》とのこと。『科学画報』大正十四年三月号の紹介のときにも登場していた。

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もうひとつサンエスの広告。万年筆だけでなく「クレィヨン」も製造していたようだ。

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by sumus2013 | 2016-03-11 19:49 | 古書日録 | Comments(0)

棋道

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『棋道』第五巻第二号(日本棋院、一九二八年二月一日)、『棋道』第五巻第三号(日本棋院、一九二八年三月一日)、『棋道』第六巻第二十九号(日本棋院、一九二九年一二月二〇日)。いずれも表紙画は岸田劉生である。

グーグルの囲碁AI「AlphaGo」が世界最強の棋士イ・セドルとの五番勝負第一局を制した(と書いているうちにも勝って二連勝)。最終的な決着はどうなるか分らないが、人間が苦戦を強いられそうである。将棋の世界では一流プロ棋士がコンピュータに破れていることから羽生名人はコンピュータとは対局しないと宣言している、そう聞いたように思う。賢明ではないか。

囲碁も将棋もAIが人間と同じ思考方法をプログラムされるようになってからようやく人間に勝てるようになった。人間が過去の棋譜を勉強して強くなるのと同じやり方だ。この事実はAIにとっては屈辱でしかないだろう。AIに心があれば、そう感じる。感じないなら、やっぱり機械だ。人間と闘う資格はない、というか土俵(盤)が違いすぎる。

しかしもしAIに心が生まれれば結局は人間と同じ戦い方を選ぶだろう。ニュース記事のなかに《AIだからこその打ち手も見せた》という表現があったが、AIなんだからそれは当たり前だ。「AIだからこその手しか打たなかった」ならあっぱれである。それでは勝てないから人間らしい手を選ぶ(選ばされる)。

勝負というのは計算ではない。計算できる局面になれば機械が勝つのは当然。計算できない場面でどう指すか、打つかが問題なのだ。要するにそれは人が毎日直面している「人生」というやっかいなものの本質である。AIも人生(いのち。英語でもフランス語でも同じ単語ですな)を背負えば簡単には人間には勝てなくなるんじゃないか、というのが小生の予測である。どうして? 人間はズルイから。ま、命があれば機械じゃないんだけどね。

とにかく正装して碁盤の前に座って自分で石を扱うようにならなければ、たとえ名人を破ったとしても一人前のAI棋士とは認めない(!)。

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『棋道』第五巻第三号より大正時代の天才少年たち。向かって右より木谷實(十歳)、村島誼紀(十四歳)、橋本宇太郎(十二歳)。髭の男性は関山盛利四段。

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by sumus2013 | 2016-03-10 20:46 | 古書日録 | Comments(2)

鮪と鰯

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時折、むしょうに聴きたくなるCD。高田渡「ごあいさつ」(King Record, ベルウッド名盤コレクション、1999)。元盤は一九七一年六月一日発売。その下の高田渡が表紙になっているのは『勝手にタカダワタル的語録』(入谷コピー文庫、二〇〇五年一〇月)である。

とにかく歌詞がどれもなかなかいいのだ。と思って歌詞カードを繙いてみると、自作の他に谷川俊太郎、ラングストン・ヒューズ、エミリー・ディッキンソン、吉野弘、有馬敲、添田唖蝉坊、衣巻省三(「アイスクリーム」!)そして山之口貘らの名前が並んでいる(なお歌詞カードでは吉野宏、衣巻省二となっているので注意)。彼らの詩に高田渡的曲がつくとやはり高田渡的世界が広がる、当たり前ながら。

歌詞としては有馬敲「値上げ」などもお気に入りだが《僕は他にもたくさんの詩人の方の詩を拝借しているが、これほど共感を覚え、影響を受け、また多くの詩に曲をつけさせてもらった詩人は山之口貘以外にはない》(『勝手にタカダワタル的語録』より)という山之口貘の「鮪と鰯」を久々に聴いてなんだか五十年以上前にもこんな風評被害があったのだと妙に納得というか、哀しくなってしまった。末尾の八行を引用しておく。全文は下記サイトにて。

 鮪は原爆を憎み
 水爆にはまた脅やかされて
 腹立ちまぎれに現代を生きているのだ
 ある日ぼくは食膳をのぞいて
 ビキニの灰をかぶっていると言った
 女房は箸を逆さに持ちかえると
 焦げた鰯のその頭をこづいて
 火鉢の灰だとつぶやいたのだ


ここで山之口貘自身が自作について

《数え立てれば色々の答がなんのために詩を書くかの問いに対して、出没するのであるが、それらの答えで注目すべきことは、誰もが生から詩を切り離しては、答えられないものであるということなのである。
 次の詩は自作であるが、ビキニの灰と箸との結びつけなどから、詩人としてのぼくの作業の一端を紹介することが出来るのではなかろうか。》

と書いているように、生から詩を切り離せないからこそ、現代にも通じるのだ。ビキニという言葉がフクシマに変っただけで。

ひとつ注意しておかなければならないこと、高田渡は原詩通りに歌っていない。都合のいいように細部を(でもないか、かなり)作り替えている。上記引用部分はこのような歌詞になっている。


 鮪は原爆を憎み
 水爆にはまた脅やかされて
 腹立ちまぎれに現代を生きているのだ
 ある日ボクは食膳をのぞいて
 ビキニの灰をかぶっていると
 女房に言うと
 女房は箸を逆さに持ちかえると
 焦げた鰯のその頭をこいて
 火鉢の灰だとそうつぶやいたのだ

 鮪の刺身を
 食いたくなったと
 人間みたいなことを
 旦那も言いはじめた


《大事なのは元の言葉を次の時代に新鮮な形で生かしていけばいいんだよ。》(『勝手にタカダワタル的語録』より)、それはそうなんですけれど……。

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by sumus2013 | 2016-03-09 20:31 | 古書日録 | Comments(0)

遊仙窟

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張文成『遊仙窟』(魚返善雄訳、創元文庫、一九五三年一月一五日)。文庫ということでは岩波文庫(漆山又四郎訳注)でも出ているが、古書価は創元文庫に軍配が上がる。四倍くらいか。他にもいろいろな活字本が刊行されている。

《遊仙窟は一千年前の奈良朝人がひつぱりあつて読みふけり、それからは代々大はやりで、伊勢物語や源氏物語など、わが歌物語への影響も相当に深いこととおもわれる》(土岐善麿「序」より)

《日本最古の外国小説は第八世紀のはじめに伝わつたこの「遊仙窟」で、これは中国でも最も古い小説の一つである。かの地では早く亡び、千二百年を経て日本版から再生されたが、そのとき魯迅は「遊仙窟の全文ようやく中華の土地に帰る」といつてよろこんだ。》(まえがき)

というような作品。最古と言っても現存しているのは正安二年(一三〇〇)の写本を転写した康永三年(一三四四)の巻物一軸(京都醍醐寺所蔵)および文和二年(一三五三)に僧賢智の写した真福寺本(名古屋真福寺所蔵)がもっとも古いそうだ。それらを元にした江戸時代の版本が何種かある。

いかにも意味深い重厚長大な小説かというとそんなものではなく、たわいもないエロチック・コメディ。仕事で出張している官吏の男が山奥で道に迷う。崖のてっぺんにある屋敷にたどりつく。すると絶世の美女が迎えてくれる。一夜の宿を求めてあれこれやり取りしていると今度は絶世の美女の姉が現れる。いつの間にか宴会ということになり三人で楽しく詩を交換したり歌ったり踊ったり浮かれ騒ぐ。男は姉妹だけでなく女中にもちょっと脇目をやったりしながら結局は妹とベッドイン。後朝(きぬぎぬ)の別れが待っている。

具体的に三人の掛け合いのさわりを少々引用しておこう。訳文つづいて原文。

《わたしは言つた、
「なさけにめぐりあい、あんず(杏)ることもなし。」
五嫂が言う、
「もうこうなつては、いくじからなし(唐梨)。」
十娘が、
「ちよつと小刀を拝借、梨を割るの。」
そこで、わたしは小刀の歌、
 「にかわと漆もて、
  つか(柄)ねしかたな(刀)るが。
  切さきむざむざと、
  ひねもす皮の中。」
十娘が鞘をよむ、
 「押されて皮ゆるみ、
  こすられ程のよさ。
  抜きすてられたらば、
  から鞘たよりなや。」
五嫂が言つた、
「だんだん深刻になりましたね。」》

《下官曰、
「忽遇深恩、一生有杏。」
五嫂曰、
「當此之時、誰能偲㮈。」
十娘曰、
「暫借少府刀子、割梨。」
下官詠刀子曰、
 「自憐膠漆重、
  相思意不窮。
  可惜尖頭物、
  終日在皮中。」
十娘詠鞘曰、
 「数捺皮応緩、
  頻磨快転多。
  渠今抜出後、
  空鞘欲如何。」
五嫂曰、
「向来漸漸入深也。」》

この後に続く濡場も引用しようと思ったがばかばかしいのでやめておく。しかし詩をやりとりして意志を伝え合うというのはずっと近世末にいたるまで日本における詩歌の主流だったわけだから(雅俗を問わず)『遊仙窟』の果たした役割は計り知れない。

《奈良朝時代の日本では、小説の「遊仙窟」が儒・仏の経典や諸子の書と同等にあつかわれていたようで、この態度は平安朝の「和名類聚抄」においても同様である。経典や正史ばかりを尊重して文芸作品を軽く見るのがそもそも不合理ではあろうが、これはとにかくめずらしい現象といえよう。》(解説)

舶来モノは何でも有難かった時代だったのか……。なお訳者によればタイトルにある「仙」は「チャーミングな女」あるいは「商売女」の意味で「窟」も「宿」と解するのが正しいそうだ。


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by sumus2013 | 2016-03-08 21:14 | 古書日録 | Comments(0)

花咲く乙女たちのかげにII

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高遠弘美訳、プルースト『失われた時を求めて4 第二編「花咲く乙女たちのかげにII」』(光文社古典新訳文庫、二〇一六年一月二〇日)。ひと月半ほどかかって読了。ざっと読み通すことは簡単ながら、ちびりちびりとナイトキャップの楽しみに読んでいた。だから手製のコラージュ・カバーを着けておいた。これなら元カバーが汚れない。

それにしても、毎度感じることだが、この話をここまで引き延ばせる饒舌さ(というのとも少し違うが、基本的には饒舌体と言っていいだろう)には舌を巻く。

海岸のリゾート地へ保養に来た主人公の青年「私」が堤防を散歩する美少女たちを見かけ、知り合いになりたくてやきもきし、やっと友達付き合いができるようになり、そのなかのとびっきりの美少女と仲良くなって彼女から「ジュ・ヴ・ゼム・ビアン Je vous aime bien」とメモをもらうくらいに接近する……筋だけならばほぼこのくらいの話である。この後にちょっとした山場らしい展開はあるが、それは内緒ということで。

主人公とともにリゾート地における貴族やブルジョアなど、また特にこの巻では使用人やホテルなどの従業員らとの関係も前半ではかなり言及されているため、その時代状況を青年の鋭敏すぎる感性で捉えた彼等の織りなす時空を超えた世界にどっぷりと浸れる。小さなピースが組み合わされて大きな世界が描き出されているジグソーパズルのようにひとつひとつの些細な描写がだんだんと意味を持って来るところがプルーストの非凡な構想力であり着眼であろう。むろん文章の巧みさもある。

わざとフランス語で引用した上の「Je vous aime bien」の意味はちょっと注意しておく必要がある。高遠氏の解説を示しておこう。

《原文は、Je vous aime bien。「愛している」「好きである」という動詞の aimer について若干説明しておきたい。まずは英語の you にあたる vous だが、丁寧表現の一種であり、親しければ te(t')となる。まずはこの代名詞だけでも日本語の「愛してる」とは違うことはわかるが、さらに忘れてならないのは、bien という副詞である。英語の well などに相応する単語ということもあって、「好きよ」としている訳もあるが、じつは単に aimer を使うより意味が弱くなる。つまり、この原文は「愛してる」とは違って「あなた、感じがいいわね」「あなたのこと、嫌いじゃないわ」というニュアンスが強まるので、そこを押さえておかないと、この先の展開を理解する際にも影響が出るかも知れない。》(訳註495)

ということで「あなたのこと、嫌いじゃないわ」と訳されている。これはフランス語と少し深く付き合うとすぐ分るニュアンスながら本巻ではキーポイントなのである。それは読んで行くとはっきり分るように設計されている。そのあたりの巧みさには推理小説の伏線のような趣さえある。『失われた時を求めて3』の感想で「ギリギリの感じ」と書いたのはこんなテクニックに対する微妙さも含めてのこと。

本書のタイトル「花咲く乙女たちのかげに」にもそういう感じがつきまとう。本書巻末の詳細な「読書ガイド」で高遠氏は次のようなエピソードを引いておられる。

《一九〇八年にカブールで親しくなったマルセル・プラントヴィーニュ(Marcel Plantevigne)が『マルセル・プルーストとともに』(ニゼ書店。一九六六年)で書いているところによれば、プルーストからこのタイトルを聞いた際プラントヴィーニュは「お針子たちの読む大衆小説(roman feuilleton pour midinettes)みたいですね」という感想をプルーストに伝えたという。》

そういうことなのだ。もちろんお針子ならすぐに投げ出してしまうだろうが、敢えてそんな一見軽薄なタイトルを選ぶのがプルーストなのではないか(「失われた時を求めて」も同様だ)。ただしタイトルの含む真の意味について訳者はさすがに鋭い読みを披露しておられる。そういうふうに説明されるとなるほどそんな深い意味がこめられているのかと納得させられてしまった。

納得ということでは、上記の訳註495 という数字でも分るように(本巻には543までの訳註がある)懇切丁寧な解説がページ毎に施されており(巻末ではなく。フランスのペーパーバックは同じような註の付け方をしている)、とくに図版による実例が多く提示されているため、小説世界が眼前に展開しているかのように錯覚する大きな助けになることは間違いないと思う。

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by sumus2013 | 2016-03-07 21:15 | おすすめ本棚 | Comments(4)

PITMAN'S SHORTHAND

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『BUSINESS CORRESPONDENCE IN SHORTHAND & KEY』(SIR ISAAC PITMAN & SONS, LTD.)、発行年が記されていないが、扉に二十世紀版とあるので一九〇一年頃のものだろうか。もちろん均一本だが、調べてみると英米ではそこそこの値段が付いていた。ショートハンドは速記。

 
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速記(SHORTHAND)が前半、後半はその英文(KEY)が記載されている。例えばこの3番は以下の通り.

《H. James.
Dear Sir,ーIn reply to yours of 4th inst., our price for wiring 13 lights, as shown in your letter, and manipulated by a suitable number of switches, |would be £15 5s.(nineteen pounds, five shillings). Work is coming in now so fast that our men are working overtime. We should do your premises at times most convenient to you, | and could make a start next week.ーYours faithfully, 》

神戸の川瀬書店多聞通二丁目支店のレッテルあり。



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by sumus2013 | 2016-03-06 20:35 | 古書日録 | Comments(0)

関屋敏子

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菅野俊之氏より『福島民報』の連載記事「ふくしま人196〜200 関屋敏子」を頂戴した。関屋敏子と言えば竹久夢二が作詞した「宵待草」の歌唱で知られるが、それ以上の知識はなかったのでたいへん興味深く読ませてもらった。

宵待草 関屋敏子

明治三十七年三月十二日東京小石川区生まれ。父は福島県二本松出身の関屋祐之介。二本松藩医の家に生まれたため医師をめざしてドイツ留学までしたが、一転、日本郵船に入社、実業家として成功したそうだ。

敏子の母愛子は明治政府の外交軍事顧問だったル・ジャンドル(Charles William[Guillaum]Joseph Émile Le Gendre)と松平春嶽(第十六代越前福井藩主)が腰元に生ませた池田絲(絲の母が自害したため家臣の池田兵衛に預けられた)との間にできた子。池田家が貧窮したため絲は芸者になっていたが大隈重信らからル・ジャンドルの妻(米国に本妻があった)になるよう説得されたそうで、長男の録太郎は十五代目市村羽左衛門(敏子の伯父)となり、孫の敏子は世界的な声楽家となった(母に関する情報はウィキより)。

ル・ジャンドル(ルジャンドルとも)の父は彫刻家(Jean-François Legendre-Héral)でリヨンの素描学校の教師だった(フランス語のWikipediaによる)。フランス各地に新古典派風の写実的な人物像などを残している。リヨンのサン・ピエール公園に息子(すなわち敏子の祖父)をモデルとした少年ジョットー像(画家の Giotto)が設置され今も見られるようだ。

Statues dans le jardin Saint-Pierre à Lyon

ル・ジャンドルはアメリカ人の娘と結婚して渡米、帰化した。アーティストの息子だったにもかかわらず戦争が大好きな人物だったようで南北戦争に志願。頤と首、鼻と左目を撃たれながらも生き延びたという猛者。その後米国領事となり厦門(アモイ)に着任、中国政府との折衝に当った。帰国の途中日本に立ち寄り台湾問題の武力解決を政府に勧めたことがきっかけで米国領事を辞して明治政府の軍事顧問となった。その結果、絲を日本人妻とすることになり、ひいては敏子も生まれたわけである。

敏子は三浦環やイタリア人テノールのサルコリーにレッスンを受け、東京女子師範学校から東京音楽学校へと進む。しかしドイツ系音楽教育になじめず一年で退学。大正十四年に初のリサイタルを開いた。東京放送局から敏子のアリアが放送され広く名前を知られるようになる。昭和二年から三年にかけて父とイタリアへ。ミラノやボローニャで学んだ後、ミラノ・スカラ座のオーディションに合格、ヨーロッパ各地の舞台に立ちSPレコードも吹き込んだ……さらに活躍は続くが、それは菅野氏の記事で読んでいただきたい。昭和初期における絶頂を過ぎると悲惨な最期が待っていた。

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by sumus2013 | 2016-03-05 21:07 | おすすめ本棚 | Comments(0)

篠小竹草稿

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「篠小竹草稿」とメモのあるマクリを入手した。A4くらいの大きさ。清書のための下書きであろうか。わりと読みやすいので以下の通りでいいと思うが、間違っていたら御教示を。

 中秋松陰亭憶故子成

 良宵賞月倚松陰
 江面煙消潮稍深
 此水洋々通洛北
 弾琴其奈失知音

子成は頼山陽の字(あざな)。これは頼山陽を追憶しての作であろう。山陽が歿したのは天保三年九月二十三日(一八三二年一〇月一六日)。享年五十三。その六日前、九月十七日に篠崎小竹は山陽の病床を見舞っていた。木崎好尚『家庭の頼山陽』(金港堂書籍、一九〇五年)によれば以下の通り。

《十七日、老篠崎小竹は、大阪より来り訪ひぬ。是より先、小竹『山陽詩鈔序』を撰するや、山陽は大に喜びて、これを細評し、さていふ『此愁霖〓[リッシンベンに音]々、病床無聊殊甚、及得此快篇、不覚起坐、忘大疾之在其身也、…………》

山陽は小竹を喜び迎え、その新著の序文を書く事を約束し、そして絶筆となる詩「喜小竹来問疾」を作った。

 喜聞吾友声
 力疾咲相迎
 筐裡出新著
 病来成課程
 丈夫知已在
 生死向前行
 有酒君姑住
 休嫌不共觥

酒はあるからゆっくりしていってくれ、一緒に杯を挙げられないけど気を悪くしてくれるな……という最後の二行が好きだ。

で、この漢詩マクリに戻ると、中秋とあるのは山陽の一周忌ででもあろうか? 松陰亭は山陽の弟子だった後藤松陰の居所ということかもしれない。松陰は小竹の娘をめとっていた。

先日の銅脈先生狂詩につづいてうれしい見つけもの。


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by sumus2013 | 2016-03-04 20:45 | 古書日録 | Comments(0)

カサットの読む人

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『MARY CASSATT』(Flammarion, 1989)。これはフランス語の本だが日本で買った(ブです)。メアリー・カサットは一八四四年生まれ。日本の年号で言えば弘化元年。「あさがきた」のモデル広岡浅子が生まれたのが嘉永二年(一八四九)だから五つ年上ということになる。浅子と同様に株取引や銀行を業とするアッパーミドル・クラスの家に育っているが、進取の気性の女性としてそれ相当な苦労をしたようだ。

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「音楽の催し」1874


カサットの仕事をざっと眺めるとその画風には印象派前夜から印象派そしてより装飾的なナビ派へと移っていく時代の流れがそのまま反映しているように思われる。

版画の仕事は一八九〇年に始めたようだが、そのきっかけは同年エコール・デ・ボザールで開催された浮世絵展(exposition d'estamps japonaise)をドガと連れ立って見に行ったことだったらしい。カサットはドガの友人であり弟子であった。

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「本を読む女性」1878


それはゴッホが浮世絵を買ったことでも知られる「ビングの店 La Maison Bing」のサミュエル・ビングが企画した展覧会だった。

《ビングが1890年に開催したエコール・デ・ボザールでの展覧会で浮世絵を見た美術愛好家のレイモン・ケクランは、その衝撃を「何という驚きだったろう。2時間にわたって私は、その鮮やかな色彩に熱狂していた。花魁、母親の姿、風景、役者、すべてに見とれた。展覧会で売られているカタログと参考書を鞄の中に詰めこみ、その夜私はむさぼるように読んだ」と記した。また、同展覧会の組織委員の一人だったエドモン・ド・ゴンクールの友人ジェルベール夫人のもとで働いていたマドレーヌ・ヴィオネも浮世絵に衝撃を受け、浮世絵の収集を始めた。ヴィオネは後に、“バイアス・カット”という画期的な裁断法を発見するが、このアイデアを組み立てていく際の土台になった一つが着物の直線的な裁断であった》(ウィキ「サミュエル・ビング」)

カサットも同じように昂奮して刺戟を受けたに違いない。油彩画やパステルで親子像や家庭の情景を数多く描いているわけだが、穏やかなそれらの作品も悪くはないにしても、独自性という意味では浮世絵にインスパイアされた版画作品群がもっとも輝いているように思う。

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「物思わしげに本を読む女性」1894


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by sumus2013 | 2016-03-03 21:19 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)