林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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ゆきゆきて

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久々に「ゆきゆきて、神軍」(原一男監督、一九八七年)をた。やっぱり凄い。マイケル・ムーアが「生涯観た映画の中でも最高のドキュメンタリーだ」と語ったとウィキに出ているが、たしかにそのくらいのインパクトがある。ドキュメンタリーというカテゴリーを外しても日本映画ベストテンには入ると思う。

上は冒頭シーン。この建物は主人公の奥崎謙三が経営している自動車修理工場。神戸市兵庫区荒田町にあった。実は神戸に住んでいた頃、この前をよく通っていた。大倉山の図書館へ上がって行く途中にある。初めは右翼団体か何かの基地かと思ったが、ロードス書房の大安さんにこの話をすると「あそこが有名な奥崎の工場ですやん。うちの車はあそこでみてもろてる」と(まだこの映画は観ていなかった、あるいは大安さんに教えられたのかも)。大安さんは奥崎のような人間が好きだった。

この看板で分るように奥崎のエキセントリックなキャラクターがまず強烈。エキセントリックと書いたが、じつはおかしいのは奥崎ではない……ということが映画が進むに連れてはっきりしてくる。挙動のあやしい奥崎が戦友を訪ね歩き、彼らに対して下手にあるいは上手に詰め寄る。相手はどこの町や村にでもいる当たり前の風采の男たちなのだが、奥崎がショックを与えることによって彼らの奥に隠されたものが徐々に暴かれてくる。ドキュメンタリーとは思えないような展開にはハラハラさせられ通しである。

「映画ノート」を調べてみると一九八八年の七月にこの映画を初めて観ている。その後もう一度観たような気もするがそれは記録していない。粗筋を記して《ドキュメンタリーのおもしろさが最高度に発揮されている》とコメントしてある。

「映画ノート」も久しぶりに開いた。たまたまと思うが「ゆきゆきて、神軍」の前後に赤丸(面白いと思ったときに付ける)映画が集中している。わが事ながら三十歳代の前半、けっこう熱心に映画を観ていたのだと改めて感じた。こんな作品。

「ファンタスティック・プラネット」(ルネ・ラルー、1973)
「アメリカの友人」(ヴェンダース、1977)
「小間使いの日記」(ブニュエル、1964)
「ブルジョワジィの秘かな愉しみ」(ブニュエル、1972)
「禁断の惑星」(ウィルコックス、1956)
「僕の村は戦場だった」(タルコフスキー、1962)
「死刑執行人もまた死す」(フリッツ・ラング、1943)
「何がジェーンに起こったか?」(アルドリッチ、1962)

とくに「ファンタスティック・プラネット」と「僕の村は戦場だった」は今もって印象深い。


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by sumus2013 | 2016-03-31 21:29 | 古書日録 | Comments(2)

古本屋写真集

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岡崎武志×古本屋ツアー・イン・ジャパン 古本屋写真集』

刊行記念トークイベント

出演:岡崎武志 小山力也古本屋ツアー・イン・ジャパン)

開催日時:4月17日(日) 17時からスタート(16時30分開場)

場所:コクテイル書房(高円寺)場所は以前と同じです。

杉並区高円寺北3-6-13(北中通り

入場料:1,500円

定員:20名(完全予約制)お早めが安心

予約:盛林堂書房にメール又はFAXにて(電話は不可)

 Eメール:seirindou_syobou-1949@yahoo.co.jp

 FAX:03-6765-6581


『岡崎武志 × 古本屋ツアー・イン・ジャパン 古本屋写真集』刊行のお知らせ


***



野呂邦暢古本屋写真集』はあっという間に売り切れたらしい。この度は岡崎氏と古ツア氏の古本屋写真対決(!?)。スゴい店ばかり。

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岡崎氏と天牛新一郎翁。なんとも素晴らしい写真だ。上段は若き日の善行堂!


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パリの古本屋で「不明」となっているが、聞いてくれればよかったのに(笑)。サンジャック通57のヴィーニュ書店(Librairie Vignes)。クリュニィ美術館、パリ第三大学(ソルボンヌ)のすぐそば。『ちくま』の表紙にもここを画かせてもらった。



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古ツア氏の写真はさすがスタイリッシュである。夜の古本屋が多いのも特徴的。昼の顔、夜の顔……いいね。

巻末には二人の対談あり。結語はこんなことに。

古ツア でもこれだけ集めると、やぱぱりぐっと来ますね。
岡崎 全部個性的やね。
古ツア ちょっと変態的かもしれないけど、古本屋さんて非常にフォトジェニックだと思うんですよ。
岡崎 絵になるよね。そう思うのは僕たちだけか(笑)。
古ツア 実際この写真集より、ブックカフェ写真集を出せば、そっちの方が売れそうな気が(笑)。
岡崎 でも、独特の脱力感があって、気持ちをなごませるんだけどね。この写真集がきっかけで、全国から撮りだめた古本屋写真が集まってくるといいな。
古ツア そうなると、読者による『古本屋写真集』が、いつかできそうですね。》

そうそう、以前の daily-sumus では「あちこち古本ツアー」というカテゴリーを設けていた。考えてみればすでに消えてしまった古書店も少なくない。思いの外、変遷の激しい業界なのかもしれない。

あちこち古本ツアー

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by sumus2013 | 2016-03-31 08:40 | おすすめ本棚 | Comments(2)

桜伐る馬鹿?

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桜もそろそろ開花をはじめている。もう少し早く掲げようと思いつつ今日になってしまった。石川晃山(1821 文政四〜1870 明治二)の短冊。晃山は下野出身、谷文晁に学び備中倉敷に住んだ。宋元の画法を尊重したという。この絵も写生を基にきっちり描かれている。おそらく写生のために枝を折り採ってきたのかもしれない。

ことわざに「桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿」というが、実はソメイヨシノはウィルスによる病気に弱いそうで、罹患した枝は切り落として切口の消毒をしなければならないため(そうすると長持ちする)、ソメイヨシノが全盛の今日では「桜伐る馬鹿」とばかりは言えない、とあるブログに書かれていた。

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by sumus2013 | 2016-03-30 21:13 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

出京する文学

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『伊藤整作品集 V』(河出書房、一九五三年一月三〇日、装幀=花森安治)。花森安治の装幀のなかでも好きな装幀のひとつ。戦前のバウハウスあたりからの影響を感じさせつつも花森の持味をよく出している。これ以前にも四角形を使った装幀にはこんなものがあった。

『歴史日本』第一巻第五号

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伊藤整を今さら読むつもりはなかったのだが、とにかく適当にパサリと開いてみた。すると《伊藤家の屋敷は約千坪ぐらいの広さである》という文章が目にとまって、おや、と思い続きを読んでみるとこんなことが書いてあった。

《その広大は屋敷が、実は広大でも何でもないことを証明しよう。》

《日本人の約八割は農業に従事していて、その農民のうち八割は四五人の家族がやつと生活できる最低限の土地を所有している。その最も小さな農地の標準は三段歩、即ち千坪であり、三分の二エーカーである。》

なるほど、たしかにそういう時代だったのだ。近代史における農民的思考を軽視できないわけである。それはともかく伊藤は第二次世界大戦中に都心に住んで食糧難に苦しんだ。『得能五郎の生活と意見』などの印税を専ら貯蓄し謹厳節約につとめ戦禍に追われて田舎へ避難する直前に心がけよく三段歩の雑木林を《関東平野の西の端》に手に入れたのだそうだ。

ここで伊藤は津島修治、井伏鱒二、徳廣巌城、外村繁、尾崎一雄、亀井勝一ら富豪の家に生まれた作家たちを数え上げた後、こう続ける。

《僅かに伊藤氏の勤倹貯蓄生活に比較される美談は、小田原から箱根までテンビンで魚を行商する間に貯金し、その金でもつて小田原の海岸に二畳間の独立家屋を建築した川崎家の二男坊の勤勉努力主義による立身出世美談のみであろうか。》

とここを読んで、届いたばかりの『scripta』no.39(紀伊國屋書店、二〇一六年四月一日)を引き寄せた。そこに連載されている平出隆「私のティーアガルテン行 第19回 物置小屋を世界へ」に川崎長太郎の小屋が出ていたのである。こんな偶然もある。

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平出氏によれば

《戦前から戦後にかけての二十年、川崎長太郎は故郷小田原の海辺の物置小屋に住み、小説を書きつづけた。弟に譲った実家の魚商がもつ、漁具を納めるためのトタン板囲いの掘立小屋だった。東京での小説家としての生活を諦めながらの、それは一筋の道を貫こうという「背水の陣」であった。自筆年譜によれば一九三八年七月、「永住の覚悟で小田原へ引揚げ、物置小屋へ以後に十年起伏する身の上となる」。》

だそうである。伊藤整のいい加減な記述ぶりはいただけないとしても両者における「東京」から離れることの意味については考えさせられる。岡崎氏の「上京する文學」にならえば「出京する文学」とでも言えようか。



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by sumus2013 | 2016-03-29 21:09 | 古書日録 | Comments(0)

蝸牛考

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まだ少し気が早いが笹に蝸牛の木版画色紙をご覧いただく。竹内栖鳳の原画。栖鳳は此の手の木版画による色紙や葉書を多数版行している。なんとも才気あふれる筆致だ。

この色紙を買って、もう一軒古本屋をのぞいたら下の一冊が目に付いた。またまた友引であった。

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柳田国男『蝸牛考』(創元選書、創元社、一九四三年二月二五日)。刀江書院(一九三〇年)が初版。その後、創元選書に入り、岩波文庫そして『定本柳田國男集』(筑摩書房)と出ている。少し読み始めてみるとやはり興味深いことこの上ない。

《都府と田舎とを問はず、言葉は一様にもう昔のまゝでない。異称の発見にせよ、音韻の分化にせよ、新たなる生活の必要があればこそ、新語は世の中に現れて出たのである。人心のおのづからな之に向ふのは、必ずしも無用の物ずきと評することが出来ない。私たちの想像では個々の物いひにもやはり摩滅消耗があり、又一種の使用期限の如きものがあつた。》

蝸牛の呼び名はざっとデンデンムシ(デデムシ)系とマイマイ系とカタツブリ系そしてナメクジ系(蝸牛とナメクジを区別しない)というふうに大別できるようだ。それぞれに使われる地域や語形変化が限りなく多様であって詳細は本書をひともといていただくに如くはないが、デ系は出る(角を出す)ことからマイマイは渦巻きから来ているそうだ。

鋭い着眼だと思ったのはカタツムリのツブリ・ツブロに関する考察。その説明のおおまかなラインだけ追ってみる。まずは円という漢字が入って来たときにそれをツブロに当てたが、その「円い物」には一定の約束があり、頭のことをオツムリ、瓢箪をツブル、ツボケ、土器をツボと呼ぶことに関係している。

《蓋し轆轤といふものゝ使用をまだ知らなかつた時代の人が、土器をツブラにする術は渦巻より他に無かつた。即ちツブラといふのは単に蝸牛の貝の如く円い物といふだけで無く、同時に又粘土の太い緒をぐる[ぐる]と巻き上げること、恰もかの虫の貝の構造の如くにしなければならなかつたのである。ツボといふ語がもとツブラといふ語と一つであつたことは、現に地中から出て来る一片の壷のかけを、検査して見ただけでもわかることであるが、この上代の製作技術の、今日まで其儘に保存せられて居るのがツグラであつた。》

ツグラは藁を螺旋状に巻いて作る幼児を入れておくベビーベッドのようなもの。さらに蛇がトグロを巻くことをツグラ、ツグラカクなどと言う地方があるようにそれはツクネル・ツクナルからワダカマル・ウヅクマルへと展開していった。

また蛇がトグロを巻くことをサラを巻くということもある。頭の旋毛もサラ(河童の皿に同じ)と言うが、それは壷とともに皿もまた同じ製法だったことに原因する。アグラカクも足を以てツグラを作ることであった。また巻貝をツブラ、ツブ、ツビ(都比)と呼ぶ地方もある。ツボ焼もここからきている……とこのツブの連鎖はとどまるところを知らぬ勢いである。

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創元選書の装幀は青山二郎。表紙にはオランダのタイルに似た柄が用いられている。


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by sumus2013 | 2016-03-28 21:29 | 古書日録 | Comments(0)

榛地和装本 終篇

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藤田三男『榛地和装本 終篇』(ウェッジ、二〇一〇年三月二五日)を頂戴した。その少し前に『榛地和装本展』(東京堂書店、二〇一四年一〇月一〇日)の図録を別の方より頂戴していたので、本が本を呼ぶという事例がまたひとつ増えた。

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榛地和(しんち・かず)という装幀者については前著『榛地和装本』(河出書房新社、一九九八年)で初めて知ったわけだが(と言っても小生は架蔵しないが)、当時はこの本の噂でもちきりだった。

榛地和は知らなくてもその本の姿は知っている。三島由紀夫『サド侯爵夫人』、足立巻一『やちまた』、『コレクション・都市モダニズム詩誌』そして『保昌正夫一巻本選集』。編集者の余技という雰囲気は全くなく専門のデザナーの仕事と等価である。

保昌正夫の名が出たから書くと、本書には「「東京」の人 追悼・保昌正夫」という一文が収められている(初出は『槻の木』二〇〇三年四月号)。藤田氏は早稲田高等学院の生徒として保昌先生に出会った。保昌先生と同僚の浅見淵、都筑省吾は文学的盟友であった。

《学院から移られた武蔵野美術大学での教え子の話によれば、保昌さんは学園闘争の最中にも、きっちりと講壇に立ち、高橋和巳の「悲の器」から「わが解体」に話が及ぶと、声を詰まらせ涙を流しながら講義を続けた、という。

小生が保昌先生の授業を受けたのはこういう時代から七、八年も後のことである。涙は流されることはなかったが、その語り口は今もって忘れられないくらい独特な調子があった。田舎者の小生はこんな高座(講座)は聞いたことがなかった。

保昌さんは、徹頭徹尾よくも悪しくも「東京」の人であって、地方人(田舎者)の膨張指向、新奇なるものへの希求を嫌った人であった。保昌さんがもっとも嫌ったのは「弁[わきま]えのない」(田舎者流)ということで、日常よくこの言葉を使った。○○は弁えのない男(女)という科白は、保昌さんの最高の侮辱であり、拒否の姿勢であった。

保昌さんには人の先頭を切って暴走すること、人を押しのけることは、結局時勢に対して媚を売ることに他ならない、という確固たる信念があり、しかし攻めこまれたときは、自説は絶対に枉げない、妥協しないというガンコさ、くせ[二文字傍点]のある人でもあった。

そう言う意味で保昌先生が鑽仰したのは浅見淵、岩本素白、山内義雄の三人だったという。ここで藤田氏は山内義雄に関する逸話を披露しておられる。河出書房新社が『日夏耿之介全集』を刊行することになり監修者を矢野峰人、山内義雄、吉田健一の三人に依頼した。ところが山内義雄には断られた。

《「小生の日夏氏への敬仰と長年にわたる友情は別として、その全集監修者として名をつらねること、これはいささか僭越の思を禁じ得ず……文藝史家として第一級の矢野禾積、吉田精一氏をもって足れりとすべく単に友情につながる小生などの出る筋合でもないやうに思はれます」》

こういう手紙をもらって困った藤田氏は齋藤礒雄を訪ねて相談した。齋藤は山内の手紙を一読、「ともかく山内さんに君がお目にかかって、監修者の名前を、ゆっくり、はっきりと申上げてみなさい」とアドヴァイスしてくれた。

その指示通り藤田氏は山内を訪ね、煙草の灰だらけの書斎で監修者の名前をゆっくり、はっきりと告げたところ《ちょっと照れくさそうに、お引き受けしましょう、と言われた》。

藤田氏はこの顛末保昌さんに報告した。

《ほんとうにうれしそうに、感じ入った風に「山内さんだなあ、すごいなあ」と言い、一転顔を引き締めて、「あの方(もう一人の監修者)は弁えのない人、ダメよ、ダメよその人は」と吃りがちに保昌さんは言った。

いやあ、面白い! もう一人の監修者も東京人ですけどね。ま、実のところ東京であろうとなかろうとそれはどうでもいいのだ。「野暮は嫌い」に尽きるのだろう。文中「吃りがち」とあって保昌先生の口吻が甦ってきた。

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by sumus2013 | 2016-03-27 20:26 | 古書日録 | Comments(0)

爐邊坐煖

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篠崎三島(応道)の漢詩マクリを入手した。

(印=中聖人)
 爐邊坐煖見蘆灰
 尺簡時迎雲物来
 為是回人供茗酒
 江橋南度訪寒梅

  長屋夜回諸君飲
  濱田詞兄
       応道[印=篠氏応道][印=応道印]


篠崎三島(1737-1813)は先日紹介した篠崎小竹の養父。大阪の人。名は応道、字は安道、通称長兵衛。商家を継ぎながら片山北海、菅甘谷に徂徠学を学び、四十にして家塾梅花社を開いたという。

ところで小竹は《大塩平八郎とも養父・三島に初読を習った弟子である関係で交流があった》とウィキ(篠崎小竹)にあるのだが、幸田成友『大塩平八郎』(中公文庫、一九七七年)を開いてみると中斎(大塩平八郎)の研学についてはこう書かれている。

《中斎の当初の師は何人であるか。越智高洲である、篠崎三島(小竹の父)である、いや鈴木撫泉であるというが、いずれも確証はない。》

このくだりが面白くてもう少し読んで行くと中斎の蔵書について次のようにあった。大塩家は大人数の所帯で決して暮らし向きは楽ではなかったらしい。

《懇意の書林河内屋吉兵衛が持参した石刻の顔真卿の一軸を買いたくありながら金子の才覚がつかず、大小を質物にして得た金二両をまず差し出すにつき、残金は来春まで待ってくれよという吉兵衛宛の手紙は、よくこの間の事情を明らかにするものと思う。》

《それから挙兵前に所有の書籍を鬻[ひさ]いで貧民に壱朱宛を施し、その金額総計六百両に上ったといえば、多数の蔵書があったわけであるが、その大部分は兵庫西出町の家持柴屋長太夫が金を出したものらしく、天保三年同人入門以来同八年正月に至るまでに、書籍代として金二百両銀十二貫六百目余を貢いだとある。》

顔真卿の一軸が単純に高額だったのかなと思わなくもないが奉行組与力の家がそう豊かでなかったとしても不思議ではなかろう。

また小竹は大塩平八郎が乱を起こした後で坂本鉉之助に向かってこう言ったそうだ。

中斎の学問筋は己が心より思ひ付くことを皆良より出ずると思い、次第に驕慢に傾いたは、丁度某富商が茶道に耽り、だんだん高価な茶器を求め、名物の茶碗一箇を抱いてついにその家を滅ぼしたようなものだ

これを聞いて坂本鉉之助は中斎の頭を押さえようとしなかったあなたにも責任があるんじゃないですかと返したということである。これは現在のわれわれもよくよく心しておかなければならないことではないか。




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by sumus2013 | 2016-03-26 21:37 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

一頁のなかの劇場

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『一頁のなかの劇場 「日本古書通信」誌上映画文献資料目録全一〇七回集成』(稲垣書店、二〇一五年一二月一八日、非売品)をある方より頂戴した。映画文献にはほとんど興味がないので稲垣書店に何かを注文したことはないが(非売の本書は顧客および同業者に献本されたそうで注文二回以上の顧客名簿まで掲載されている!)、しかしそんな小生でもこの記録の厚みには驚愕するしかない。

おととしより丸二年もかけ、客に売るための仕事は一切せず、市で不良在庫を売っては喰いつなぎながら、回収するつもりのない金を百万も叩き、売るつもりもないこんな本を出すなんて、オレってつくづくバカじゃなかろうかと思った。
 それでも、これで、この三十有余年、店売りだけでは立ち行かなくなった当店の、土台を支え続けてくれた目録販売の全容が、結果的にせよ、明らかとなった。
 ほかの多くの同業方のように、自前の目録ひとつ出せなかった私だが、「稲垣書店目録21のなぜ」の中でも書いたことだが、これを一冊の自家目録ととらえれば、三十年もかかってしまったが、これが最初にして最後の、「稲垣書店古書目録」と言えるのかもしれない。》(附記)

本書には目録再掲部分に続いて『日本古書通信』に発表されたエッセイとインタビュー記事が再録され、新稿の「稲垣書店古書目録21のなぜ」が付されており、これがまた読み始めると止められない面白さだ。並の古書店主のエッセイには決してうかがえない売り上げや利益に関する数字の披露(暴露か)がじつにエキサイティング。古本屋になりたい人が読んでおくべき(いや読まないほうがいいかもしれない)名言がちりばめられている。

三百万で仕入れたのが八百万なら悪くないじゃないかと思われるかもしれないが、十年もの長きにわたりこれだけの手間暇をかけ、あらんかぎりの専門知識を総動員して励んだこちらとしては正直割に合わなかったとの思いが強い。少なくとも三倍にはしたかった。》(八箱三百万円ナリの映画スチール)

とまれ古本屋として金を儲けようとするなら、なにより手間暇を惜しんではいけないということ、金のない人間が金を生むにはそれしかないということを、私は氏よりイヤッていうほど学んだ。》(みすみす逃した大映放出大口資料)

それよりなにより、私はこの一件を通して、この商売先立つものは金なんだということを、イヤッていうほど思い知らされた。どんなに物を知っていようと好きであろうと、いくらこれを扱うには自分が一番ふさわしいなどと自負していようと、先立つものがなければ手中にできぬ。》(止値一千百万円の衣笠貞之助資料)

こんなくやしい思いを二度とせぬためにも、私は生まれて初めて蓄財ということを意識しはじめた。もともとケチではあっても金には恬淡としていた私だったが、これ以降はいった金は極力使わず、家も直さず物も買わず旅にも出ず、たまかに暮らしてはひたすらいつか来るだろう日のための、仕入れ資金の温存に相つとめた。おかげで十年たたずして、一千百万円の資料なら買えるほどの貯えはできた。人並みに子ももうけず、女房を働かせ、身内の家にはいりこんで家賃も払わなけりゃ当り前だよと先代に皮肉られながらも、さらに十年を経ずして、もう一つ買えるようにもなった。》(止値一千百万円の衣笠貞之助資料)

大人になるというのは「先立つものは金なんだ」ということに気づくことではないかと小生は常々思っている。まさに人格におけるアイデンティティの発見ようなもので、この世の中どこで何をしても「先立つものは金なんだ」。大人なら誰でも分っている。しかしその高い(あるいは低い?)ハードルをやすやすと乗り越えられる者はそう多くない。気づいてすぐに手間暇惜しまず蓄財にかかれるのはひょっとして大人ではない? ヴィジョナリーではないか。ま、それはともかく、かたくななまでに清々しい古書目録の記録である。



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by sumus2013 | 2016-03-24 20:54 | 古書日録 | Comments(0)

河口から

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季村敏夫さんより個人誌『河口から I』(二〇一六年三月四日)が届いた。『膝で歩く』を頂戴して以来のことだから一年八ヶ月ぶりの便り(…と思いますが)。

季村敏夫『膝で歩く』(書肆山田、二〇一四年)

タフな時間とそこからの恢復、この十二頁の冊子(A4三枚二つ折)はドクドクと鼓動する。私信ふうな短い六つの散文、詩「河明り」とその註釈から成る。詩の後半部分を引く。

 ながれの淀んだところ
 汚れた袋がたどりついていた
 中身は猿の死骸ではあるまいが
 そんなことを妄想するのは滑稽
 悲惨というべきか

 ーーやがて五月の風に襲われると
  みどりの獰猛さに犯され
  わたしの実体は喰いつくされました

 身もこころも 自然に喰いこむ
 一個の悲鳴を聴きとったが
 ねじりきれるもの
 なにひとつ
 なにもなく
 しぐれひと粒
 とり逃してしまった


限定十五部ということが明記されてはいるが《興味を持たれた方ご一報下さい。後ほどお送り致します》ともあるので増刷(?)も。お問い合わせは下記へ。
kioku-tk(アットマーク)kxa.biglobe.ne.jp

***

他にもいろいろ頂戴している。

BOOK5 vol.20
特集 夕タンといっしょに本をつくろう


『瀬戸内作文連盟』vol.16(二〇一六年三月二〇日)
瀬戸内作文連盟事務局=香川県高松市西宝町二丁目一〇番地二・一三号


シグナレス 第貳拾壹号(二〇一六年一月三一日)
特集 食マンガ お品書き


吉村昭資料集1・増補改訂新版 創作解題・著書一覧


紙魚 N0.64(二〇一六年二月一〇日)
一九三二年新潟県詩集・詩誌発行目録抄、他
書物屋 新潟市中央区本馬越1-16-12


ガーネット vol.78

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by sumus2013 | 2016-03-23 21:29 | おすすめ本棚 | Comments(0)

イメージとしての唯一者

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大月健『イメージとしての唯一者』(白地社、二〇一六年四月一七日)が出来上がった。亡くなって早二年になろうとしているのである。

大月健さんのことなど

本書には「辻潤覚え書き」「更科源蔵論・詩集『種薯』の世界」「虚無思想雑誌探訪」「尾形亀之助・異稿をめぐって」「イメージとしての唯一者」の五つの論考が収められ、巻末には大月さんの略年譜が編まれている。ネット上においてはまだ他に誰も引用していないようなのでここに主要な事項だけを抜いておく。執筆文献はごく一部のみ採録した。

一九四九年
二月十一日、岡山県上房郡賀陽町納地(現・加賀郡吉備中央町)に生まれる。

一九六七年 
県立賀陽高等学校卒業。

一九六八年
五月、小説「契り」(私家版)
京都、大谷大学での司書講習を受講する。

一九六九年
京都大学農学部図書室に、臨時職員として採用される。

一九七〇年
京都大学農学部に本採用となる。

一九七二年
八月、篠原静代と結婚、左京区一乗寺に住む。

一九七四年
「辻潤覚え書き」を『コンミューン今再び』(のちに『而シテ』と改題)創刊号に発表。

一九八一年
『而シテ』十一号で寺島珠雄と対談。
十二月、『虚無思想研究』創刊。

一九八二年
「唯一者辻潤」を『辻潤全集』別巻(五月書房)に執筆。

一九九〇年
「日本のダダ」を『思想の科学』十月号に発表。

一九九一年
「無能の人」を『ガロ』に発表。

一九九六年
四月、ダダイスト辻潤展。

一九九七年
四月、個人誌『唯一者』を創刊。

二〇〇四年
『日本アナキズム運動人名事典』(ぱる出版)に執筆。

二〇〇六年
「橋本傳左衛門と満州国関係資料」を『社会システム研究』十三号に掲載。

二〇〇九年
「『京大俳句』復刊に向けて」を『京大俳句』復刊準備号に執筆。

二〇一二年
七月、体調不良を訴える。
八月、食道ガンで余命一年の告知を受ける。

二〇一四年
四月、ホスピスに入院。
五月十七日、九時五十一分、永眠。

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虚無思想雑誌探訪」は日本における虚無思想の歴史が概観され具体的個別的な紹介もなされている有益かつ長大な論文。その末尾にこのようにあるのが目に付いた。

《「労働することで人間は自由になり、労働の対象のなかで人間は自由に自己を現実化する」とはマルクスの言葉である。人間の本質を労働に見出そうとする。大沢正道が着目したのは彼ではない。フリードリッヒ・シラーである。彼は「人間はまったく文字通り人間であるときだけ遊んでいるので、彼が遊んでいるところでだけ彼は真の人間なのです」と云っている。》

《"個"は余白の世界を埋める遊戯においてはじめて発現することが可能となる。自由クラブの時代に"個"を主張した彼は、志向する全体革命のなかで"個"の救抜を遊戯の復権によって果たそうと試みるのである。》(大沢正道とジェームズ・G・ヒュネカー)

そしてこの論文は次の一文で締めくくられる。

《権力と反権力と云う政治力学はどこまでころんでも無権力状態に到達することはない。ヒュネカーの創造力は容易にそれを果たすのである。芸術によって、彼は政治を無化することを志向する。》


大月健「イメージとしての唯一者」 三月書房のブログのようなもの

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by sumus2013 | 2016-03-22 20:46 | おすすめ本棚 | Comments(0)