林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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呪われた本

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田中栞『書肆ユリイカの本』(青土社、二〇〇九年)によれば『心象風景』にはジャケットがあったそうだ。神奈川近代文学館所蔵本についてのくだりにこうある。

《『心象風景』は所蔵する三冊のうち一冊だけにジャケットがあるが、これは和紙に木版刷りと思われるもので、かなり傷んではいるもののよくぞ残っていたと感嘆せずにはいられない》

さらに「牧野信一『心象風景』の謎」という項目もあっておおよそ以下のような事実が記されている。

伊達得夫『詩人たち』のなかに「呪われた本」という一文がある。『心象風景』を宇野浩二の検印紙をつけて二千部発行し配本をすませた翌日、伊達は「一二三頁の裏が一三四頁になっている」のに気づいた。配本したばかりの本を取次店から回収して印刷屋に印刷のやり直しをさせた。しかし訂正後の配本は思うようにできず、残った一千部を印刷所に預けていたところ、一週間後に印刷所が火事になった。本は全部焼失した。

田中さんは国立国会図書館と神奈川近代文学館にある四冊の『心象風景』を調査する。国会の一冊は発行日に訂正があった。カナブンの三冊には訂正貼り込みはなし。上記印刷ミスについては四冊とも差し替えた様子は見られない。印刷し直したなら『心象風景』の場合少なくとも誤植のある頁も含め四頁分を取り替える必要がある。

昨日紹介した小生架蔵本は宇野浩二の検印紙あり、一二三頁の裏は一二四頁である。抜き取り訂正の痕跡はない。

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その後田中さんも古書店で『心象風景』を入手した。ところがその本では二一七頁から二二〇頁までの四頁が貼り込みされていた。改めて上記四冊も調べた所、同じように二一七頁から二二〇頁までの四頁を差し替えた痕跡があった……

その理由は小生架蔵本で明らかである。220とあるべきノンブルが120となっているのだ。けっこうややこしい。とにかくこの本には幾つかのヴァリアントが考えられるということになる。

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もう一点、国会にある発行日貼り直しの奥付が田中さんの本の図版に出ているが、これもまたちょっと面白い。

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「6」月であったところを「9」月に訂正しているわけだが、よく見るとこの「9」はどうやら逆立ちした「6」なのではないか? 9だけを別に印刷したのではなく既存の6を切り取って逆さまに貼り直したようにも思える。う〜ん、これもまた謎である。

たしかに伊達が「呪われた本」と呼んだ気持ちがよく判るような気がする。

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by sumus2013 | 2016-02-11 19:42 | 古書日録 | Comments(0)

心象風景

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牧野信一『心象風景』(書肆ユリイカ、一九四八年六月一五日)。かなり久しぶりに書肆ユリイカ本を求めた。状態が悪いわりにはそこそこいい値段だった。背のフクロウ(いやミミズクか)は以前似た図案を紹介したことがある。

コキンメフクロウ

牧野の小説八編と『文学的自叙伝』が収められ、宇野浩二の解説が付されている。そこで宇野が表題作の「心象風景」を《牧野の全作品のうちでももつとも長い小説であるうへに、もつともすぐれた小説の一つである。》と書いているので読んでみたが、さほどのものとは思えなかった。ただ牧野ならではの不思議な味わいは感じられた。

主人公が彫刻家・岡のモデルとしてアトリエに通う話。その彫刻が紆余曲折を経て完成するまでのドタバタを個性的な登場人物たちをからめて描いている(全員実在のモデルがいるそうだ)。牧野らしいシーンをひとつ引用してみる。

《私は、敬意に値する岡の作品が、不幸にも「私の像」であるがために、ゆくゆくどんなに私の為に酷い扱ひを蒙り、稍々もすれば気狂ひのやうになつて擲つたり蹴つたりされるだらう。そしてどんなに邪魔物扱ひされることであらう! 私は近頃さう云ふ類ひの夢に脅かされてゐた。けふの明け方などは、真実にこんな夢をみた。その胸像が手もあり脚もある等身の立像になつて、私と格闘した。闇の中を、私は逸散に逃げてゐた。「彼」は待て待て! と叫んで追ひかけて来た。私は逃げるのも業腹だと気づいて、立ち直るや満身の力を込めた右腕で唸りをはらんだ半円を切ると奴の横面に稲妻のやうなパンチを喰はせた。するとまあ私の腕は肩の付け根からポキリと折れた。ところがさつぱり痛くもないので今度は左腕で素早く敵の頤を目がけて牛殺しのアッパーカットを喰はすと、その腕も亦同じやうに肩から脱けて見当たらぬところへ飛んでしまつた。私はあわてて奴の腹を蹴るとそれもバッタの脚のやうにたわいもなく脱落した。私はこいつはしくじつた、たうとう傘の化物になつてしまつた! と呟きながら一本脚で逃げ出さうとすると、奴は両腕で私の脚を掴むや有無なくぽきりと折つてしまつた。そして今度は奴が私の頭を石のやうな拳でぐわんと殴つたかと思ふと同時に、彼がキャッ! といふ悲鳴を挙げたのである。見ると、いつの間にか殴つた奴が当の生きた私で、その瞬間まで私自身であつた私は、青銅の胸像に変つて、私の脚もとにごろりと転げてゐた。》

自我の分裂、そして闘争。手塚治虫のマンガにも同じようなテーマがあったが、とにかく昭和初期の漫画的な(オノマトペの多用!)小説の代表例としてもいいような気がする。

牧雅雄作「牧野信一氏の像」



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by sumus2013 | 2016-02-10 22:20 | 古書日録 | Comments(0)

太宰治の借金

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小山清編『太宰治の手紙』(河出新書、一九五四年一一月一〇日二刷、装幀=庫田叕)。押入の段ボール箱を開けて少しばかり本を整理した。そのときすっかり忘れていたこの本が現れた。淀野隆三の日記を読んでいた時期に淀野資料として求めたもの。太宰治が淀野に宛てた四通の手紙が収録されている。

いずれも昭和十一年四月に千葉県船橋町五日市本宿千九百二十八番地から京都市伏見区大手筋の淀野に宛てて発せられている。淀野は東京を引き上げて家業の鉄材商を引き継いでいた。小山清の註によればパビナール中毒が進んでいた太宰は一日四十筒も注射するパビナールの代金に窮していた。ほとんどの友人に借金を申し込んだという。その典型がこれら四通である。

《唐突で、冷汗したたる思ひでございますが、二十円、今月中にお貸し下さいまし。
 多くは語りません。生きて行くために、是非とも必要なので、ございます。
 五月中には、必ず必ず、お返し申します。五月には、かなり、お金がはいるのです。
 私を信じて下さい。
 拒絶しないで下さい。
 一日はやければ、はやいほど、助かります。
 心からおねがひ申します。
 別封にて、ヴァレリイのゲェテ論、お送りいたしました。
 私の「晩年」も、来月早々、できる筈です。できあがり次第、お送りいたします。しやれた本になりさうで、ございます。》(四月十七日付)

《謹啓 
 私の、いのちのために、おねがひしたので、ございます。
 誓ひます、生涯に、いちどのおねがひです。
 幾夜懊悩のあげくの果、おねがひしたのです。
 来月は、新潮と文藝春秋に書きます。
 苦しさも、今月だけと存じます、他の友人も、くるしく、貴兄もらくでないことを存じて居りますが、何卒、一命たすけて下さい。》(四月二十三日付)

《謹啓
 こんなに、たびたび、お手紙さしあげ、羞恥のために、死ぬる思ひでございます。何卒、おねがひ申します。他に手段ございませぬゆゑ、せつぱつまつての、おねがひでございます。たのみます。まことに、生涯にいちどでございます。》(四月二十六日付)

《淀野さん

 このたびは、たいへんありがとう。かならずお報い申します。私は、信じられて[五文字傍点]、うれしくてなりません。けふのこのよろこびを語る言葉なし。私は誇るべき友を持つた。天にも昇る気持ちです。私の貴兄に対する誠実を了解していただけで[ママ]、バンザイが、ついのどまで、来るのです。》

淀野は三好達治にも尽したし、梶井基次郎に対しても親身な献身をした。他にも多くの文学者を助けていた、あるいは当てにされていた。太宰に二十円(今の金高なら十万円足らずか?)くらい貸しても四通の手紙(しかも借金申し入れの文章としては傑作中の傑作)をもらえばつまらぬ抵当よりも価値はたしかであろう。

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「烏城閣/古本売買/黒崎書店/阪和南田辺駅西入」のレッテル付き。黒崎書店については下記サイトが詳しい。そこに四種のレッテルが掲載されているが、このレッテルはそれらとはデザインが異なる。

古本買取センターの歩み

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by sumus2013 | 2016-02-09 21:04 | 古書日録 | Comments(0)

春の流行

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「昭和三年 春の流行」(銀座松坂屋)。封筒状になっているパンフレット。封を開くと中に何枚かの新作和装のカラー図版が収められている。五枚残っているが、ノンブルは9まである。少なくとも9枚以上あった。この宛先の住所は「本郷区弓町」。封を開くと……こんなかんじ。

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もう一冊、大判の『昭和三年 春の流行』ポートフォリオもある。こちらは18枚の厚紙に贅を凝らした特殊印刷(木版画のような質感のものもある)の図案を貼付けたものと、木版画の青い和服の女性像一枚が入っている。作者の名前入りのリスト一枚。草葉忠雄、稲垣稔次郎、春日井秀雄、中島須貞麿、内山正夫、佐橋岩次郎、千代宗太郎、福永俊吉。これらのなかで著名なのは人間国宝になる稲垣稔次郎であろう。福永俊吉は後に京都工芸繊維大学教授。

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《流行は冬から引続いて、青の系統が力強く、春には季節に相応しいコバルト(納戸色)が中心として活躍し之と対照の必要上アップリコット(あんず色)も相当用ひられることゝ思はれます。当店では此の二色の系統を標準に提示いたします。》

《なほ別葉、人物着色図は試みに此の標準の二色の系統で全装を纏めたものであります。》

昭和三年春の松坂屋コレクションではコバルトとアップリコットをシーズンの流行色と決めていたわけだ。だから封筒の色も、また大判の方の帙の色もこれら二色が使われているのだろう。女性の服装としては和服がまだ当たり前だった昭和三年ならば流行色は着物や和装小物に焦点が当っていて当然である。松坂屋だけでなく他の呉服商も同じようなことをしていたのだろうか。実際、本当にこの二色が流行したという証拠のようなものがあればいっそう面白いと思う(例えば、小説の描写とか詩歌の句とか)。

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by sumus2013 | 2016-02-08 21:58 | 古書日録 | Comments(0)

北京彷徨

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2016年2月8日発行

著者 山田晃三
装幀 林 哲夫
発行 柳原一徳

発行所 みずのわ出版
http://www.mizunowa.com

188×128mm

用紙
カバー ヴァンヌーボV ホワイト 四六判Y目130kg
表 紙 MTA+ -FS 四六判Y目135kg
見 返 NTラシャ びゃくろく 四六判Y目100kg
本 文 淡クリーム琥珀 四六判Y目72kg 

著者は一九六九年神戸生まれ。京都外国語大学中国学科を出て北京師範大学大学院で修士および博士課程を修了。現在、北京大学外国人専家(日本語)。終章に次のようにある。

《帰国すると「中国人は反日なのか、親日なのか」とよく尋ねられる。反日がいれば親日もいるとしか答えようがない。尖閣国有化反対デモが中国全土で勃発したからといって、全ての中国人が日本を憎んでいたわけではないし、中国政府が日本を痛烈に非難したからといって、対日関係の悪化を望んでいるとは限らない。反日か親日か、単純化して理解しようとすると中国は益々わからなくなる。》

《中国は政府と民衆が互に相手の様子をうかがいながら揺れ動いている。ほんの二、三年前に見聞きしたことで今の中国は語れないし、日中関係が振り子のごとく揺れ動いたのも、こうした国内事情を踏まえて考えなければならない。》

《国が揺れ動けば人々の心も揺れ動く。中国で暮らしていると何が正しいのかわからなくなるときがある。》

その四半世紀にわたる中国の動揺をテーマごとに体験を通して詳細・簡便にまとめてあるのが本書。日本の報道では伝えられなかったことばかりで「なるほど、中国ではそうとらえられていたのか!」と驚かされることしばしばである。とにかく一筋縄ではいかない国だ。著者苦心の結晶、巻末年表「日中関係略年譜2005-2015」(日本が魚釣島を国有化すると発表してから深圳の土砂崩れまで)を通覧するだけでも日中関係が事件の連続だったことが分る。そこをきっちり押さえた本書の価値はきわめて高い。このカオスのなかから未来へ向けての何らかのパターンを引き出せるかもしれない、などと思ったりする。

山田写真製版所の担当の方のアドヴァイスでカバーのヴァンヌーボVにはコーティングを施さなかった。それが良かった。いい手触りである。

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by sumus2013 | 2016-02-07 20:41 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

友愛結婚

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リンゼイ『友愛結婚』(原田實訳、中央公論社、一九三〇年二月五日)。とにもかくにも表紙の鮮烈さに惹かれて購入。この時代ならではの構成主義的なデザインだが、なかなか繊細なところも見せている。函も表紙も背以外は同じ図柄である。

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《著者のリンゼイは、アメリカ合衆国コロラド州デンヴァー市の少年及び家庭裁判所の、人間性に理解深い名判事として、内外に知られた、現時の世界的チヤムピオンの一人である。》(訳者の言葉)

訳者・原田実は雑誌『教育時論』編集長。戦後は早稲田大学教授、図書館長を務めた。序によれば《友愛結婚(コンパニオネート・マリツヂ)とは、法律化された産児制限と子供の無い場合に於ける相互承認に拠る離婚の権利とを含む合法的結婚である。通例は手切れ金等の支払ひを含まぬ。》だそうである。

装幀者が誰なのか明記されていない。扉の絵を見ていると、おや! サインがあるじゃないか。

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「ay」であろうか。山名文夫…? たしかにそう考えてもいいような気がしてきた。






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by sumus2013 | 2016-02-06 20:49 | 古書日録 | Comments(0)

田端抄

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矢部登さんより『田端抄』(龜鳴屋、二〇一六年二月一日)を頂戴した。しかも龜鳴屋版である。これまで紹介してきた『田端抄』が一冊にまとまった。上品な質感と色合いにうっとりする。

龜鳴屋

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しおりも洒落ている。服部滋さんの文が収められる。

《保昌正夫を師とあおぐ矢部登もまた「知られざる人」の境涯に立つ素白の眷属のひとりであるといえば、かれはあの柔和な顔に少年のような含羞を浮かべるにちがいない。》(田端雑感ーー矢部登「田端抄其肆」を読む)

本文の後に小幡英典写真による「矢部登さんと『田端抄』を歩く」が四十頁ほど展開されているのも龜鳴屋さんらしい配慮だろう。モノクロームの写真をゆっくりと頁を繰りながら眺めていると矢部さんの辿る足取りまで見えるようである。

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この写真のキャプション《「散歩のみちすがら、ときおり、高台通りにある古本屋のまえをとおる。二十代のころ、たそがれどきになると、妙にさみしくなって、高台の古本屋へゆくことがあった」。そのなつかしい町の古本屋も、数年前に店じまいをした。》

古本屋と言えば巻末の「覚書」に田村治芳さんが登場している。二〇一二年六月「田端抄其弐」からの引用。

《せんだって、ようやく書庫の奥にその本をみつけた。『植草甚一自伝』『植草甚一日記』の二冊で、大正時代、植草少年が人形町の縁日で食べたぶどう餅から、駒込の菓子舗中里のぶどう餅について書いている。「ぼくの東京案内」もあって、頁を繰ると、「神保町の進省堂だったか、『ナタで割っちゃおう』と主人がいった。「ナタで割るって?」と訊きかえすと『半額ですよ』といい、古本屋の合言葉かどうか知らないが、こっちでは喜んだ」というところで、七痴庵田村治芳さんを思いだす。三年ほどまえ、書肆なたや〔筆者の private press〕という屋号をおもしろがられて、古本屋の隠語、ナタで割るについて、ナタの絵入の手紙をいただいたことがあったから。
 古書なたや、そんな古本屋がいいねえ。植草甚一は、ぶらり書店、三歩屋だったっけ。》

そんな古本屋がいい。





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by sumus2013 | 2016-02-05 20:07 | おすすめ本棚 | Comments(0)

古い国からの新しい手紙

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ヘレン・K・ニールセン『古い國からの新しい手紙』(松本千恵子訳、暮しの手帖社、一九五五年二月二五日、装本=花森安治)。必要あって某氏というかご隠居さんからお借りした一冊。この本についての説明はご隠居さんにお任せする。

ご隠居のブログ

『暮しの手帖』に昭和二十五年から二年間連載された記事をまとめたもの。注目はパリの古本河岸の写真。実存主義華やかなりしころである。

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ヘレンの定宿はグランゾーギュスタン河岸にあった《ミディ・ホテル》でここのマダムとすっかり親しくなった。ノートルダム寺院が真向いに見えると書かれているが、グランゾーギュスタン河岸はサンミッシェル広場から西へ伸びているので、この表現は正確ではない。グランゾーギュスタン河岸が東(すなわち上流)へ向かって連続するモントベロ河岸だろうと思う。いずれにせよパリの真ん真中、ホテルも多く集まっている。ただ《ミディ・ホテル》は現存しないようだ。

《河岸の陽あたりには古本屋が並んでいます。傍の小さい椅子には、老爺や老婆が上衣を着たのや、ガウンをひつかけたのや、シャツ姿や、とりどりの服装で、麦わら帽や、ベレーをかぶつて、傘や日除けの下に腰を下しています。お喋りをしたり、いい合つたり、編物をしたり、何かかいたり、店の前をぶらぶらしながら道ゆく人を眺めたり、観光客と取引したり、何か珍しい、すばらしい品物を掘り出そうと勿体ぶつて探しているお得意客のお相手をしたりという具合です。色あせた金文字で題名が入つている可愛い装幀で、ごくさらつと組んであるものや、あかぬけした挿絵が入つていたりする古書、革や羊皮や紙表紙の、モリエールからアナトール・フランスに至る古典や、セロファン装の現代文学、サルトルやアヌイやジロードウのものなど、実に貴重なものから、単なる紙屑のようなものまで、おびただしい数の本の山です。永いこと探しあぐねていた本が、或る日、ひよつこり、ここでみつかるかも知れないのです。
 ここは本ばかりでなく、古い地図や、絵や、版画や木彫等もあります。花や鳥、ナポレオン時代の宮廷美人図、猟犬と共に緑の野を馳る赤い服の猟人たち、白雪の中の赤い寺、さては京都のゲイシャやカブキ芝居の絵なども……》

《ルシアンは本の他に骨董品も商つています。彼は商売が大好きで、雪が降つても、雨が降つても、陽が照つても、ただ小さな木の椅子に坐つているのが好きなのです。河岸だけが彼の人生で、それがなければ生きていられないのでしよう。箱やいれものの中には珍しいもの、古い陶器やブロンズや、石器や宝石その他のものが一杯つまつていて、たくさんのがらくたの中には、すばらしいものもあるのです。》

《それからピエール! 何時も飛び切り上等の御機嫌! 大声で笑つたり、喋つたり、にこにこしたり、笑談を言つたり誰にでも光を投げかける河岸の「太陽」。》

《ピエールは棚から本を一冊とり出しました。それはビクトル・ユゴーが巴里のことをかいた古い版なのです。私たちは日なたに佇んで、注意深く頁を繰つてゆきました。ピエールが指さした文章は「……まこと巴里を眼のあたりに見たる婦人は眼くるめくを覚えて……」
 彼は大声で笑い、まつ白な歯をみせて少年のようにからかうのです。
 私は本でその頬をたたいて、「ピエール、きつと春だからよ」と言つてやりました。》

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by sumus2013 | 2016-02-04 20:57 | 古書日録 | Comments(0)

おたふくの豆まき

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久しぶりで覗いた尚学堂書店で求めた豆まきの色紙。状態は良くないが、絵は手慣れた筆致だ。「昭和庚午(かのえうま)春」というのは昭和五年。署名は「環山写之」、印は「環山」。ざっと検索した限りでは村瀬環山か。明治十五年生、森寛斎に師事、円山派の絵師。京に住んでいた。

緋色の着物に松の模様の打ち掛け、めでためでたというところ。顔立ちからして「おたふく」であろう。お多福というのは「おかめ」の面のことだそうだ。狂言では「乙御前(おとごぜ)」「乙(おと)」と呼ぶ。「おと」は弟あるいは妹のこと、または末子。「おたふく」の「おた」は「おと」の訛とも。

なお尚学堂書店のご主人は今年の初めに亡くなられたそうだ。ご冥福をお祈りしたい。夫人とお嬢さんが営業を続けて行かれるという。ひと安心である。

交遊録

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by sumus2013 | 2016-02-03 20:52 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

一年後のシャルリ

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パリから京都観光に来た古本屋さんがお土産にと『CHARLIE HEBDO』の事件後一周年記念号を持参してくれた。ニュースでは聞いていたが、さすがにそう簡単には手に入らないかと思っていたので、しゃれたお土産だなと感心した。

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昨日たまたま見たTVの番組でフランスの学者エマニュエル・トッドがシャルリの事件について話していた。自著『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』(堀茂樹訳、文春新書、二〇一六年)の販促(?)に来日しているのだろう。そこで彼は『シャルリ・エブド』は質の悪い小さな新聞でフランスでは少数派のイスラム教徒を笑い者にして人種差別をあおっていた、みんなが「ジュスイ・シャルリ(わたしはシャルリ)」と言ったのには嘘(マンソーンジュ)がある、というような極端な意見を吐いていた。原著の初めには"la France a vécu en janvier 2015 un moment d'hystérie"とあるそうだ。

トッドはソ連崩壊やアメリカ帝国の衰弱を予見したことで名を成した。フランスではそういう突飛な考えを捻り出す人間がしばしば登場するが、そういった一筋縄ではくくれない複雑さがフランス人にはある(トッドも別の著書でそう論じているようだ)。たしかに「ジュスイ・シャルリ」一色だった昨年の今頃はちょっとヒステリックだったというのも頷けないわけではない。テロは文明の衝突なのではなく国内問題である、国内の不平等が要因となっており、反テロで団結するのは、為政者の失政をごまかすために利用されるだけであるとも言っていた。そして移民問題によるヨーロッパの分散をほのめかした(ユーロは残るが、という留保つきで)。この書物(『Qui est Charlie ? : Sociologie d'une crise religieuse』(Seuil,‎ 2015)、フランスではかなり物議をかもしたようだ。

日本については、もっと移民を受け入れなければいけない、完璧主義でなくカオスが必要だというようなことを述べた。昨日ここで取り上げた七福神はほとんど外国の神様だということや国技である相撲の優勝者に十年間日本人がいなかったことをトッドは知らないのだろうか。いや、日本の核武装を提案したほどのトッドだから(これは冷戦下に似たような論理を昔フランス人の知人から聞かされた、すなわち米ソ以外の第三極が必要だという理屈、に似ていると思った)、そんなヒーローばかりじゃなくて悪の要素も受け入れろと言いたいのだろうと思う。

以上記憶で書いたので正確な要約ではないことをお断りしておきます。


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by sumus2013 | 2016-02-02 21:36 | 古書日録 | Comments(0)