林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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山水の氷とけつゝ

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筆にきいてんか 画遊人・富士正晴」の講演、なんとか終える。ご来場くださった皆様に御礼申し上げます。

準備していた八割りくらいはしゃべれた。悔いが残るのはPCの操作にもたついたこと。想定外だった。というのは日頃使い馴れたMacのマウスと違って図書館のPCはボタン部分が左右に分かれている(Macの方が少数派でしょうが)。この対応にもたついたのである。またプラスチック製のマウスパッドが滑りやすかった。自宅では布を敷いて使っているのでタッチがまったく違って面食らった。敷布くらいは持参すべきだった。またこれは多少予想はしていたが、手許が暗かった。画像映写のために室内を暗くしたためである。トークの原稿を読むのに骨が折れた。小さい手許照明を用意すべきだった。PC画面の明りでいいかと思ったが甘かった。次の機会があるかどうか分らないが、これらは反省点として覚えておきたい。

二時間近くしゃべるとさすがに疲れた。本日は短冊紹介ですませる。

 山水の氷
  とけつゝ日の
      うつる       京香[印=京香』

字はいまいちながら菜の花が爽やか。これも短冊の紙質からしてそう古い物ではない。昭和戦後か。京香については不明。作者は意識していないと思うが、同じようなモチーフの古歌がある。建長八年(一二五六)の百種歌合より。

 今朝みれはいはまにつたふ山水の氷うすれて春はきにけり


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by sumus2013 | 2016-02-21 20:30 | 古書日録 | Comments(4)

画遊人・富士正晴

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当日配布したレジュメ
[※カタツムリのリが抜けてます]



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『紅楼夢』富士正晴挿絵「史大君」


富士正晴記念館特別講演
筆にきいてんか 画遊人・富士正晴
講師:林哲夫

平成28年2月20日(土曜日)
午後2時〜4時(1時30分開場)

茨木市立中央図書館2階多目的室
http://www.city.ibaraki.osaka.jp/shisetsu/kyoikubunka/1317029408300.html


どういうわけか小生が富士正晴の絵について話をすることになった。「筆にきいてんか 画遊人・富士正晴」という題をつけたが、内容としては主に戦前の富士正晴が描いた初期絵画について語る。ここに掲げたのは富士正晴記念館に所蔵される初期絵画の内「弦楽器のある部屋」(一九三三年)と「ホホゴを食う娘」(一九三一年)。戦後の「画遊人」にふさわしい富士正晴の絵とはひと味違った青春の苦悩を暴いたかのような画面はきわめて興味深い。当時の富士の芸術的な暮らし振りなどと対照しつつそれらを眺めてみるつもりである。当然ながらスライド多用しますので、そう退屈はしないと思います。ふるってご参加いただければと思います。

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by sumus2013 | 2016-02-19 21:04 | 文筆=林哲夫 | Comments(4)

雪中叭々鳥図

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詩人・評論家の竹内勝太郎(1894-1935)が富士正晴の師匠だったわけだが、竹内の親しい友人(彼らは「心友」と呼んでいた、親友よりももっと深いつながりがある関係だとか)に昨日の船川未乾と未乾の葬儀委員長を務めた榊原紫峰がいた。

二十歳の富士は昭和八年の十一月から榊原家の家庭教師になり、頻繁に紫峰宅に出入りするようになった。当時の紫峰宅は京都市左京区岡崎町宮の脇にあったそうだが、それは現在の東天王町交差点(丸太町通りと白川通の交わるところ)東南角にある「つる家」の真向かいだったそうだ(真向かいというのは北側?)。

この「左京区岡崎町宮の脇」という住所は島田康寛編年譜によるもの。ただこの地名にはやや疑問が残る。というのは明治二十一年にその辺りは上京区岡崎町となっており(旧・愛宕郡岡崎村)、榊原紫峰がその地へ転居した大正七年に「岡崎」という冠称が廃止された。そして左京区に編入されるのは昭和四年である(以上ウィキ「京都市左京区の町名」参照)。

上の絵は昭和七年作の榊原紫峰「雪中叭々鳥図」。紫峰は動物とくに鳥類を好んで描いた。富士正晴が絵を描くことの基本的な態度を学んだのはその紫峰からであったと思われる。富士の親友だった野間宏は当時の富士を回想してこのように書いている。

《この紫峰の日本画、中国画、洋画、彫刻、装飾、一切を自分のものとして、全生命をあげて画に向かう姿は、その時、彼の眼中に住みついたにちがいない》(「富士正晴の出発」)

野間のいう《彼の眼中に住みついた》はなかなか含蓄のある言い回しだ。

竹内勝太郎は昭和十年に黒部峡谷から転落して死亡、まだ四十一歳だった。富士は竹内の仕事を残すことに生涯をかける。遺稿集を何冊かの単行本にまとめたなかに『詩論』(石書房、一九四三年)があるが、その装幀は富士正晴が手がけている。その表紙がこれ。

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彼の眼中に住みついた》榊原紫峰の「雪中叭々鳥図」が富士流に表現されたものと小生は見たい。「雪中叭々鳥図」を紫峰は何点も描いているのでアトリエで目にした可能性は大いにある。この換骨奪胎こそが富士正晴の真骨頂だろう。そういう観点からすると、ここに描かれている黒い鳥はカラスではなくハッカチョウ(八哥鳥)なのではないだろうか? ま、仮にそうでないとしても紫峰の絵との関連は否定できないように思う。

八哥鳥あるいは叭々鳥(ははちょう)はムクドリ科ハッカチョウ属に分類される鳥で中国大陸南部から台湾、ベトナム、ミャンマー辺りに分布する。西日本、南日本へも飛来し、繁殖した例もあるそうだ。南国の鳥である。そういう意味からすると紫峰の雪中に叭々鳥という設定はどうかなと思わないでもない。

ただ中国では古くから画題として取り上げられているし、中国絵画への追従に終始した江戸絵画にも少なくない作例があるようだ。紫峰はそういう古典に倣ったのだろうかとも思う。叭々鳥についてはもう少し書きたいことがあるが、本日はここまで。

以上の話題も含め、明日のレクチャーでは富士正晴の絵画をあれこれと読み解こうと思っております。ご来場お待ち致しております。



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by sumus2013 | 2016-02-19 20:55 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

未乾の一生

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富士正晴の絵について話をするために榊原紫峰を調べていると船川未乾が登場した。富士正晴『榊原紫峰』(朝日新聞社、一九八五年)に竹内勝太郎と親友だった船川未乾の履歴が載っていたのである。船川については他にあまり情報がないのでここでその要点だけを引用しておく。

上の絵は『PANTHÉON VI』(第一書房、一九二八年四月三日)、船川未乾の特集号より。いずれの図版にも題名はない。

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《船川未乾は本名貞之輔〔貞之助〕、明治十九年〔紫峰より一つ上〕京都市宇治〔京都室町頭〕に旧宮侍の家の〔堂上公卿日野家の家老船川仲(なかつかさ)〕、生まれて間もなく一家をあげて東上。東京太平洋画会に学び、後〔大正三年〕、京都に帰ってからは南禅寺北ノ坊町に居を構えた。》

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・大正四年五月、寺町竹屋町の佐々木文具店楼上で小さな個展を開く(船川貞之輔展覧会)。大正四年、京都大学学生会館にて個展。

・すしやのいづうの娘咲子と結婚。知恩院山内樹昌庵に住む。

・大正五年七月の大阪毎日新聞の「画堂の人」に談話が載る。

・大正六年、ロシヤ行きのために「船川未乾油絵会」を計画したが旅費は調達できなかった。

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・第二回個人展を京都帝大学生集会所で開く。深田康算、朝永三十郎らが後援。このころ同志社大学教授園頼三との交友が始まった。詩画集『自己陶酔』(大正八年)、『蒼空』(大正九年)出る。尾関岩二と知り合う。

・大正十一年、京都商業会議所にて個展。

・大正十一年咲子夫人と渡仏。アンドレ・ロートに学び、ピカソ、ブラック、ブラマンク、ビッシェール、ジムミー等と交遊。ブラックの影響を強く受けて大正十二年に帰国。以後静物画に専念した。鹿ヶ谷法然院の西にアトリエを建てる。

・昭和二年、東京丸善にて個展。第一書房主・長谷川巳之吉の知遇を得る。

・昭和三年、大阪丸善にて個展。

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・装幀では、尾関岩二『お話しのなる樹』(創元社、一九二七年)、園頼三『怪奇美の誕生』(創元社、一九二七年)、関口次郎『からす』(創元社、一九二七年)、竹内勝太郎『室内』(創元社、一九二八年)など。

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・フランスから将来したエッチング機械による創作版画に新機軸を生み、尾関岩二との協同による『イソップ画集』百枚を企画したが、数枚を制作しただけで宿病のために斃れた。

・昭和五年四月九日午後七時死亡。十二日、自宅画室にて告別式、花山火葬場にて火葬。葬儀は榊原紫峰を葬儀委員長として盛大に営まれ戒名「龍光院未乾昭道居士」として百万遍墓地の一角に納められた。

・船川の作品は矢部良策。伊藤長造、伊藤熊三、薄田泣菫らが所蔵。北白川宮家に大作が買い上げられた。

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以上は昭和四十一年、未乾の墓を京都市左京区百万遍養源院に建立するための趣意書および竹内勝太郎の書いた未乾論「静物讃」などから富士がまとめたものをさらに短く引用した。

竹内勝太郎は未乾の歿後、その遺言に従って回顧展の開催と画集の発行を企てたが、いずれも実現しなかった。それについて富士はこのように書いている。

《ここまで読んでくれば、未乾には彼の画業を大いに認めている学者、文学者、出版者、その他の本気の知人友人が多く、その画集出版や画展が行われることも時日の問題にすぎぬと思われて当然である。しかし、これらの好条件と思われることが揃っているにもかかわらず、彼の死後現在まで(一九三〇〜一九八四)五十四年たつというのに、遂に画集は出ず、回顧展も一回も行われずにきた。》

《どうも未乾を知っている人で今生きている人は第一書房の長谷川巳之吉、英文学者寿岳文章の二方ぐらいしかわたしには思い当たらない。関口次郎[戯曲家、朝日新聞記者]もすでにいないわけで、未乾の画集、回顧展が不発に終っている理由が疑問であるという外ない。》

《未乾未亡人が友人らを疑って、作品をかくしてしまい、行方をくらましたのだという噂、未乾の家を売ってしまうためにうろうろしていたという港井清七朗[未乾の甥]の手紙、実は獅子文六と同棲していたのだが、まだ公にするわけにはゆかぬがねという関口次郎よりの手紙。とにかく、墓の除幕式の時の未亡人は坂崎咲子であったという。芸術まで葬ったか。》

もうこうなったら後は星野画廊さんのような人を待つしかないか……

船川未乾「南仏風景」


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by sumus2013 | 2016-02-18 20:24 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

春は来る

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古本の紙くずのなかに文明堂の包装紙がまぎれていた。かなりボロボロだが、そう古いわけでもなさそう。右手に刷ってあるのは西条八十の詩。

 鶴の枕の旅の日を
 なつかしみつゝそゞろ喰む
 文明堂のかすてらの
 甘きうれひに春は来る

絵はおなじみの図柄で現在もこれと同じもの、あるいはもっとカラフルなものが使われている。伊東深水の「伴天連主従図」。桃山時代の南蛮屏風から引用している。落款は《此君汀深水[深]》、深川の生まれにちなむのだろう。

「宮内庁御用達(文)文明堂」と左端に。文明堂の東京店(文明堂東京)は大正十一年創立、同十四年に宮内省御用達になっている。宮内省が戦後、宮内府を経て宮内庁になるのが昭和二十四年だから少なくともそれ以降の包装紙である。

カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂

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by sumus2013 | 2016-02-17 20:43 | 古書日録 | Comments(0)

出版編輯事典 上

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清光館編輯部編『出版編輯事典 上巻』(清光館書房、一九三四年一月二五日)。出版人は瀧井清。清光館書房としてはほとんど出版物は見当たらないが、清光社という名前で江島其磧『通俗諸分床軍談』(一九三二年)などいくつか見つかる。序文を中山久四郎、坂本栄吉、高橋秀三が書いている。中山は文学博士の肩書きだが、調べると東京文理科大の教授で東洋史学者。坂本栄吉の肩書きはなく末尾に《改良日本字会に於いて》とだけ。教育関係の人物のようだ。高橋秀三は《東京装幀社/片山製本工場主》。高橋の序の全文。

《過般清光館編輯部の西田氏が「出版編輯事典」中の製本術の原稿を持参せられ専門的に眼を通してくれとのお話がありましたので拝見致しました處系統的に非常によく書かれてあり能く欧米先進国の専門書をよく渉猟せられてあるのに感服致しました。主にジョン・プレガー著の製本術に依られた様に拝見しましたので所謂出版製本に関する範囲に於て削除し或は補足し更に又小生の製本技術方面の専門的立場から殊に我邦のみに慣習的に特異的に行はれてゐる技術を考慮して加筆致しました。従来のものは殆ど欧米の製本術その儘の紹介であり事実上我邦の製本術とは可なりの懸隔があるので特に「日本の製本術」として大略を説明した心算であります、この点小生に於て汎ゆる責任を負ふべきであり、我邦出版製本術に関する一般は本書で略々尽されてゐると信じます。》

高橋はこの後『実用製本技術読本』(製本社出版部、一九三六年)を著すことになるが、あるいは本書の執筆と関係があるのかもしれない(ないかもしれない)。

たしかにこの上巻だけを見てもまとまりのあるかなり詳しい叙述になっており、印刷および製本術を概観するにはもってこいの内容だと思う。ただ、これが実用の参考になるとは考えにくい。編集者が知っておくべき基礎知識といったようなところであろう。

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号数でなくポイント活字の表が載っている。

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印刷見本のページ。ほとんどは外国の図版を流用しているのではないかと思えるものである。

参考までに目次の大見出しだけを拾っておく。

上巻・出版印刷篇

総説 印刷術発達の沿革
第一章 活版印刷
 第一節 活字と罫線
 第二節 組版
 第三節 鉛版及紙型
 第四節 活版印刷法
 第五節 活版印刷機
第二章 平版及オフセット印刷
 第一節 石版製版印刷
 第二節 再転写製版
 第三節 プロセス平版
 第四節 平版印刷法
 第五節 彫刻凹版の製版印刷
第三章 写真応用製版印刷
 第一節 亜鉛凸版
 第二節 網版
 第三節 三色版
 第四節 写真版及三色版の印刷法
 第五節 グラビヤ製版印刷
 第六節 コロタイプ製版印刷
 第七節 特殊印刷
第四章 製本術
 第一節 製本工程
 第二節 小口装飾
 第三節 製本材料及材料良否の見分け方
 

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by sumus2013 | 2016-02-16 20:47 | 古書日録 | Comments(2)

鶴見俊輔、富士正晴展

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「鶴見俊輔、富士正晴」展 
平成28年2月1日〜3月30日

富士正晴記念館


富士正晴記念館は今月末まで設備改修のため休館中だが、来月から上記展示をスタートさせる。案内のチラシが届いた。鶴見俊輔追悼展と言ってもいいだろう。富士正晴と鶴見俊輔の交流が残された資料から細やかに描き出される展示になるようだ。

大きく分けてまず『思想の科学』と富士との交わり。次に『VIKING』と鶴見との関わり。そしてエトセトラ……富士正晴がちくま日本文学全集に入ったことについての鶴見の尽力、富士「東京漫遊記」と鶴見、鶴見の愛する富士の詩、小説。二人にとっての老年文学。中尾さんならではの目配りが感じられる内容である。

鶴見俊輔さんのこと

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上記二点の富士の絵は『富士正晴画遊録』(フィルムアート社、一九八四年)より。鶴見俊輔愛蔵の作品。下の絵は「変竹林屏風」の一部。同書に鶴見は「コーヒー店から三五年」というエッセイを寄せている。

《戦争が終ってまだそれほどたっていないころ、昭和二四年だったと思うが、京大のそばの進々堂コーヒー店であった。富士さんは河野健二氏とつれだっていて、河野さんから紹介された。
 それから三五年。年のはじめにもらう年賀状がたのしみだった。わずかの数の字が書いてあるだけだが、晴朗の感じがある。
 年賀状に画がかいてあることもあった。画もおもしろいので、「思想の科学」に画をたのんだことがある。》

屏風の絵は荘子からとられているそうだ。

《一望の下に人間の歴史を見わたすことができる。見わたすだけでなく、「私」がそれをどう生きるかもえがかれている。
 自分が死ぬ時に枕もとにおくつもりのびょうぶを、この絵をはってつくった。
 こんなふうに富士さんは、私のくらしに影響をあたえる画家である。》

実際、亡くなられたときにこの屏風が置かれていたのだろうか……




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by sumus2013 | 2016-02-15 21:12 | もよおしいろいろ | Comments(0)

表紙の音楽史

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龜鳴屋さんの美しい書物が届いた。金澤攝『表紙の音楽史 楽譜の密林を拓く 近代フランス篇 1860-1909年生まれの作曲家たち』(龜鳴屋、二〇一五年一一月二七日)および資料集(手前)。

1860年から50年間に生まれた近代フランスの作曲家231人。その楽譜の表紙デザインを通して、ある特定の時代や風土が働きかけた創造の軌跡を、歴史的・総括的に一望する空前の企て。楽譜の密林の探索者は、音楽史、デザイン史に新たな地平を拓いてみせる。


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このジャケットが素晴らしい。湯川書房にもそういう堅めの折りジャケットを本体に被せた装幀があるが、それとは少し違って本体の表紙をあえて省略してある。だから背の糸かがりが露出しているのだ。ふつうは表紙に張り付ける(張り付けない場合もある)見返し紙をかなり厚めにして表紙の代用としている。色調といい触感といい、何ともいい感じだ。


本文用紙はモンテシオンというややざっくりした手触りの紙。ザラッとした紙はインクを吸うので刷りにくい。しかしながらさすが山田写真製版所のたくみな技術で美しく刷り上がっている。

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作曲者にたいする著者の短いコメント、これがパリで培った(?)ピリッと辛みの効いたエスプリに溢れている。たとえばエリック・サティ。

《サティの美学とは何か。練習しなくても弾ける重宝なレパートリーとして、ピアニストの人気は高い。それは人為的な所作からの解放、原始への回帰、といったところを意味していると思われる。サティの問題提起は、芸術は本来遊びであるという原点を示した点で、大きな意義を持つ。その思想は前衛の旗手、ジョン・ケージにも引き継がれた。》

フランス近代おける装幀の歴史を通覧する場合に「楽譜」というジャンルを軽視できないことを本書は教えてくれた。デザイン・ソースとしても使い出は十分ありそうだ。

『資料集』は著者の手書きをそのまま印刷に付したもの。その緻密さに驚かされる。

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by sumus2013 | 2016-02-14 21:20 | おととこゑ | Comments(0)

銅脈先生狂詩

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昨日の尚学堂さんではこのマクリを一枚買った。

 十方諸仏腹脹日
 一切衆生揉時気

  七月十四日 □詩中句
        [銅脈之章][太平館]

裏面に「銅脈先生」とある。畠中観斎の狂詩か。以前取り上げたことがある。讃岐生まれの詩人。京に住まいした。

銅脈先生『太平樂府』

浅学にして詩の意味はよく判らない。十方諸仏は『法華経』にあり、一切衆生は「一切衆生悉有仏性」(涅槃経)などと耳になじんだ言葉である。腹脹日は「はらふくるゝひ」でいいだろう。揉時気の揉にはいろいろな意味がある。「もむ」「やわらかくする」の他に「もつれる、みだれる」「曲げる」など。仏教批判でもあろうか……とヘタな考え休むに似たり。銅脈先生を調べておられる方より御教示をいただいた。

調べたところ、銅脈先生の詩は、最後の狂詩集『太平遺響二編』に「七月十四日」として載っているものでした。送り仮名も付されているので、それに従って読むと、

十方ノ諸仏 腹ノ脹ルルノ日
一切ノ衆生 気ノ揉メル時

浅学ゆえ不確かながら、盂蘭盆会にでも関係していると想像されます。
なお同書には「餓鬼宴」という五言絶句も入っています。

なるほど七月十四日という日付に注目しなければならなかったわけだ。仏たちがお供え物で腹がふくれる時に衆生は餓鬼道へ堕ちた亡き縁者のことを心配して気を揉むということになるのだろう。狂詩はこうでなくちゃいけません。




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by sumus2013 | 2016-02-13 22:00 | うどん県あれこれ | Comments(0)

ストレート・アヘッド

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「古書会館de古本まつり」初日。今年は少し遅く十一時頃に出かけたため満員御礼もいいところ。十二時前くらいには一段落して見やすくなったが、ピーク時には本を見るのにも往生した(会場が狭く、よって通路も狭い)。紙もの資料類がかなり出品されていて見応えはあった。ただしこれは箱の前にいる人一人だけしかチェックできない。箱は横一列にならんでいるから空いているところに取付ければいいのだが、満員状態ではそれもままならない。誰かが見終るまで待つタイミングがなかなか難しいのだ。

今年はとりたてて報告するような収穫なし。ちょっと寂しい。迷った品物はいくつもあったのだが、心が狭くなっているため(消費マインドが冷えているため)買い切れなかった。古書会館を出てそのまま東行。ヨゾラ舎へ。

ヨゾラ舎

LP箱(安い箱の方。レア物の箱はほんとにレアな品が満載 !?)のなかからジャケットを見て選り出したのがアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ「ストレート・アヘッド」(Concord Jazz,Inc. 1981 東芝EMI)の見本盤。プレーヤーで試聴させてくれるというので聴かせてもらった。一曲目「フォーリング・イン・ラヴ・ウィズ・ラヴ」にグッと引き込まれる。ただし、あとは店主とのおしゃべりでBGMになってしまったが、レコード盤の音というのはやはりいいもんだ。もち買わせてもらう。300円也。試聴がクセになりそう。

《アート・ブレイキーは一見野性的な風貌を持ち、力強いドラミングで売ってきた人ではあるが、ソロイストのプレイを実によく聴いていて、シンパセティックにバックから煽る。ピアノとフォルテの使い方もこまかい。その意味で彼は野性的なドラマーではない。むしろ繊細な神経の持ち主であり、バンドメンの才能をフルに発揮させようとする。過去にもクリフォード・ブラウン、リー・モーガン、フレディ・ハバートなど、傑出したトランペッターを世に紹介したブレイキーではあるが、還暦を迎えて発見したウィントン・マルサリスは、この大ベテラン・リーダーを10年若返らせる作用を果たしたように思えるのである。》(解説・由井正一)

ウィントン・マルサリスがアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズに加入したのは一九八〇年、十八歳少々のときだというから天才少年だったわけだ。一九六一年生まれなんだから驚いてしまう。翌年八一年には六月に「ストレート・アヘッド」を録音し、七月にハービー・ハンコック(当時四十歳)らとともに来日(「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」)、さらにバンドリーダーとして独立して人気沸騰したそうだ(二十歳前)。

他には小西昌幸氏がやっておられた初期の『ハードスタッフ』を何冊か見せてもらった。これは手書き版下(おどろくべき密度!)を印刷した熱気あふれる雑誌ぶりにちょっと驚く。店主が高校時代から購読してたものだとか。たしか12号は小西氏より頂戴していたのを思い出したが10号あたりまでが手作りっぽくまさにハードな感じだ。これはそこそこの値段ながらその価値は十二分にある。

ハードスタッフ

寺町を下って尚学堂書店のぞく。さらに南下し食料品など買って帰る。


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by sumus2013 | 2016-02-12 20:53 | おととこゑ | Comments(0)