林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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孤島の鬼

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江戸川乱歩『孤島の鬼』(書肆盛林堂、二〇一六年二月二七日)

久々に江戸川乱歩を堪能した。エロ・グロ・ナンセスとはよく言ったもので昭和が始まったばかりの何とも混沌としたキマエラのような時代にこのようなキメラ小説をものした乱歩の才能を讃えずにはいられない。こんな小説をよくも発表できたものだ(発表どころか戦前に四度=四社から単行本化されている)。

美男美女の恋愛が発端。語り手の愛した女性が心臓ひと突きに殺害される。密室殺人。その捜査を依頼した探偵が海岸で殺される。衆人環視のなか。シチュエーションの対照が妙である。しかしこれはほんのプロローグ……謎を追い続けるうちに主人公たちは思いもかけない地獄図絵をのぞくことになる。通奏低音となっている同性愛のスパイスも利いている。まさにシメール、そしてシメリック(まぼろしの)な悪夢である。

それでいながら作中で語られるおぞましい描写がなぜか現代日本の世相にピッタリと符合しているのに気づいて愕然とする。このネタはついこの間報道されていた幼児虐待ではないか……この意味ではシメリックどころかリアルすぎる発想。やや強引なところ、論理的な補強が弱い部分のなきにしもあらずながらインディジョーンズのようなラストまで息をつかせない。傑作というのとは少し違うかもしれないが、なりふり構わぬ乱歩の力技と言えよう。

本書は《何も足さない何も引かないテキストを得るため》(善渡爾宗衛)に初出雑誌『朝日』(博文館、一九二九年)に最も近い『孤島の鬼』(改造社、一九三〇年)を底本とし旧字旧かな総ルビを採用。これも自ずから異端の雰囲気を高める。今年これまでに読んだ小説ではインパクトNo.1だ。

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by sumus2013 | 2016-02-29 20:14 | おすすめ本棚 | Comments(0)

梅さくと

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 梅さく登(と)
   見れ盤(は)  みらるゝ
            山可(か)つら
                   花朝女


生田花朝女の短冊。白い地模様も自筆であろう。山桂とはこんな感じらしい。


伊丹市の柿衞文庫で「俳画のたのしみ 明治・大正・昭和編」展を見た。二階展示室の現代俳句協会のショーケースに花朝女の短冊が飾ってあったので、うれしくなって小生所蔵の作品を取り上げてみた。花朝女は明治二十二年(一八八九)大阪生まれ。父は生田南水。俳句は父から学んだそうだ。絵は菅楯彦と北野恒富に師事し帝展において女性で初の特選をとったことで注目を集めた(一九二六年)。一九七八年歿。

井上木蛇(它)が三点出ていた。「寒山図」が気に入った。もっと作品を見てみたい作家である。

月斗・木它「杜若雨中の落日」

他には小川芋銭が字も絵もよかった。欲しいが、芋銭は人気が高いので残念ながら無理そうだ。高いと言えば、夏目漱石の句自画賛(朝顔に)、山に松図の短冊(びっしり描き込んである)、そしてきわめつけ、愚陀仏と署名した松山時代の句短冊(見つゝ行け)は高そうだった。


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by sumus2013 | 2016-02-28 20:28 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

神田讃歌

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谷川俊太郎『日々の地図』(集英社、一九八三年三月二〇日三刷、装幀=菊地信義、カバー・本文写真=谷川俊太郎)より「神田讃歌」の前半(初出『朝日新聞』一九八一年三月)。


 その街で靴を買ったことがあって
 その靴でサン・フランシスコの坂を上った
 その街で栗の菓子を食べたことがあって
 その香りが秋のくるたびによみがえる

 ただ一冊の書物をもとめて
 長い午後を夕暮へと歩む街
 行き交う無数のひとびとの暮らしを
 一行の真理とひきかえにしようと夢見る街

 その街で弁護士志望の娘と会って
 その娘はいつのまにか詩を書き始めていた
 その街で無精ひげをはやした編集者と話して
 その男の名は伝説になった

 産声に始まって念仏に終る声の流れ
 白い畠に黒い種子を播く活字の列
 私たちの豊かな言葉の春夏秋冬が
 この街の季節をつくっている



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by sumus2013 | 2016-02-27 19:43 | 古書日録 | Comments(0)

戦後障害者福祉における「相談支援」の形成過程研究

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戦後障害者福祉における「相談支援」の形成過程研究
実践の継承と転換に焦点をあてて

2016年3月30日発行

著者 中野敏子
装幀 林 哲夫

発行所 高菅出版
http://www.takasuga.co.jp

210×148mm



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by sumus2013 | 2016-02-27 19:31 | 装幀=林哲夫 | Comments(2)

女性に関する十二章

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伊藤整『女性に関する十二章』(中央公論社、一九五四年九月一〇日四十九版)。カバーが花森安治。初版だと書いてあったので求めたところ四十九版だった。それはないでしょう、とは思ったが、返品するのもシャクなので仕方なく読んでみることにした。

今読むと何が言いたいのかよく分らないところもある。自慢たらたらなところも、戦中のうっぷんを晴らしているような感じもある。当時の世相を見るという意味では参考になる。

例えば、昨日の報道ステーションで特集していた日本国憲法の第九条は誰が発案者かという問題について。時の総理大臣・幣原喜重郎がマッカーサーに提案した(一九四六年一月)ということが音声記録とアメリカ側の文書によって証明されていた。戦争放棄と幣原の口から聞いてマッカーサーは驚いたそうだ。この件について伊藤整はこう書いている。

《伊藤整家において戦前から内緒で実現していたような種類の女権拡張または女性崇拝的な新秩序を日本国にもたらし、日本の女性の力で日本男子どものアラギモを取りひしがしめ、再び日本男性がアメリカやイギリスの男性を脅かすような、勇気や武器を決して持てなくしてやろう、と決意して、そのとおり実践したのが、かの連合国総司令官であったマッカーサア君でありました。》

事情通らしく思える伊藤整でも平和主義はマッカーサーの意向だったという誤解を避けることは出来なかったようだ。その後の憲法草案ではスッタモンダが起こったわけだから部外者のインテリたちは大体誰もがそういう認識だったのかもしれない。さらにつづけてその後の展開をこう説明する。

《しかしマッカーサア君はアメリカの男性の安泰を願うあまり、少しやりすぎたようであります。氏が解任される少し前に、朝鮮の戦争が起きました。アメリカの青年が主としてその戦いを戦いました。そしてあるものは傷つき、あるものは死にました。これは第三次世界大戦の始まりであるとか、近いうちに原子爆弾の戦争が始まるなどという流言が飛びました。その頃から氏は、日本男子に再び多少の勇気を持たせ、彼等を再び武装させ、アジアにおいてアジア人を戦わせることが、アメリカ人の安泰により多く資するユエンである、と考えるにいたったようであります。》

マッカーサーが現人神に取って代わっていたのか……と思えてしまう。さらに話はマッカーサーが七人目の妻を持つことへ移って行くが、あまり馬鹿馬鹿しいので(大真面目なことほど馬鹿馬鹿しく見えるのかもしれないが)引用は控える。

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by sumus2013 | 2016-02-26 20:45 | 古書日録 | Comments(5)

画人蕪村

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河東碧梧桐『画人蕪村』(一九三〇年六月一〇日三版、中央美術社)が格安で出ていたので買ってしまう。題字はむろん碧梧桐。先日の展示会を見て以来なんとか碧梧桐に関するものをと思っていたが、手始めはこのくらいの古本から。

本書には与謝蕪村ついての詳細な論考あり、青年蕪村が主人公の小説あり、蕪村作品を入手した経緯をつづる随筆あり、と碧梧桐思うがままの編集。著者の蕪村に対する執着がよく伝わってくる内容である。蕪村研究書としても早い時期のもののようで『与謝蕪村 翔けめぐる創意』展図録(MIHO MUSEUM、二〇〇八年)に掲載される参考文献リスト(刊行年順)ではトップに置かれている。

ここでは与謝蕪村の讃岐時代に関するところだけを紹介しておく。蕪村は明和三年(一七六六、数え歳五十一)春第一回の渡讃をした(望月宗[ママ、宋]屋追善集『香世界』)。同年冬から翌四年春へかけて二度目の讃岐滞在(望月武然の歳旦帖『春慶引』および『香世界』)。一旦京に戻り、明和五年春ふたたび出遊した。これが三度目。ただしMIHOの図録の年譜では明和三年秋讃岐地方へ赴くとあり、四年に宋屋一周忌のために京都に戻って、ふたたび讃岐へ。五年四月帰京としている。

《翌五年丸亀妙法寺に滞留してゐたやうである。讃岐は丸亀以外主として高松、琴平の知人の許に寄食してゐた。左様に頻繁に往来してゐたにも関らず、其の遺作は可なりに纏つてゐる。》

どうして讃岐へ渡ったのかという疑問に対して碧梧桐は次のように推測している。

望月武然は望月宋屋の弟子であった。武然には讃岐琴平に弟子がいた。宋屋と蕪村はともに巴人の弟子であった。武然を通じて讃岐の俳人(暮牛、文路、鯉人、柱山)たちと知り合った。

琴平には琴平七軒という富家があり、いずれもかつて菩提寺は丸亀妙法寺だったという。そのなかの菅氏に暮牛が、荒川氏に文路がつながるのだと古老から聞き取っている。蕪村が滞在した高松の三倉屋も彼らの縁故であろうという。また《西讃に客して東讃の懶仙翁に申おくる》と前書きのある俳句が発見されているところから東讃へも足を伸ばしたかと思われる。

  東へもむく磁石あり蝸牛

ただ望月宋屋が巴人の弟子だったのかどうか、今ここでははっきりさせることができない。下記サイトでは望月宗屋を巴人門とし『香世界』の望月宋屋は原松門としてある。

江戸時代俳人一覧

MIHO図録では宋屋が早く結城や江戸に滞在していた蕪村(まだ三十歳の頃)を訪ねたとしているから若い頃からの知り合いだったのだろうし一周忌にわざわざ帰京していることからしてかなり親しい間柄だった。

もう一つ、ひとしお興味深いのは碧梧桐の掘り出し話。

《琴平の荒川翁の懐旧談によると、琴平の栗屋といふ旧家で、五月節句の三反幟(三丈の反物二つを合せた幟)に、朱で鍾馗を書いたのが蕪村だといふことだつた。正面きつて立つた素晴らしい鍾馗だつた。後に森寛斎が来た時、伊勢屋といふのが、又た三反幟に朱で鍾馗をかいてもらつた。一時琴平での二本の名物幟であつたが、後に蕪村のは日覆になり、寛斎のは火燵蒲団の裏になつてゐた、といふ。》

まだこんな思い出が語られるような時代だったが、ある日、高松の高瀬屋こと厨司某が碧梧桐を訪ねて来た。昂奮した手つきで新聞に巻いたものを開いて見せた。

《何といふ精彩な筆なのだ。筆数も少い紙本の墨画ーー顔面其他に僅かに着色をして居るがーーではあるが、単に一時の即興でなぐりつけたものでなくて、十分な用意と、余裕のある準備をもつてかゝつた、言はゞ謹厳な作なのだ。》

《私はもう人の囁くのを待たないで、自分で自分に叫んだ。蕪村! 蕪村! 蕪村稀代の大作!》

それは「寒山拾得」を描いた横長の秀作で、それまで全く世間から忘却されていたものだという。

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《出所としてわかつてゐる唯一の事実は、高松から東にあたる某寺に保存されてゐた、といふだけである。昨夕何らの予告もなしに、真に突然に売りに来たのであつた。
 衝立か、壁紙にでも貼りつけてあつたのを、めくつて久しくしまひこんでおいた証拠には、横に二筋、縦に一筋、著るしい折目がついてゐる。》

《其後京都の表具屋に一見せしめた時、其の裏打ちをした厚紙なり、其の古びさから言つて、裏打ちしたのも、既に六七十年経つてゐると言つた。折目は裏打をしない前につけたのであるから、少なくも百年前後、どこか筐底に押し籠められてゐたと想像すべきである。》

またその数ヶ月前、播州龍野の知人宅で蕪村に関する蔵幅を見せてもらっていたとき久しく掛けっぱなしの煤けた小額面が蕪村の讃岐出立をするときの手紙だということに気づいて驚喜していた。

《……今明日斗之讃州と存候得は山川雲物共にはれを催す事に御座候……》

そしてそこへ「寒山拾得」の出現である。

《蕪村の霊感も余りに迷信的な言ひ分であるが、偶然なこの二つの奇縁は、更に第三の奇縁を生むのでないかの予感をも持たしめる。》

古本は古本を呼ぶ、古画もまた古画を呼ぶのだろうか。


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by sumus2013 | 2016-02-25 21:01 | うどん県あれこれ | Comments(0)

晩秋飛鴉図屏風

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先日、叭々鳥についてもう少し書きたいと書いたが、それはこの絵について。与謝蕪村「晩秋飛鴉図屏風」(上は部分図、下が全図)。『与謝蕪村 翔けめぐる創意』展図録(MIHO MUSEUM、二〇〇八年)より。これは本当に「鴉」なのだろうか? 図録解説を読んでもこの画題がどこからきているのかは記されておらず、むろん画中にも書き込まれていない。裏書きとか文献とか伝承とか何か根拠があるはずだろうが、さて。

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この黒い鳥は「叭々鳥」ではないのか? カラスにしてはくちばしが貧弱すぎるように思うのが第一の理由。冠毛もある(ただし蕪村はカラスにもこの冠毛を描く癖があるが)羽根全体が黒いところはカラスである。しかし古画で真黒に描かれた叭々鳥図を見たことがある。真黒だから叭々鳥ではない、とも言えない。

例えば狩野尚信「叭々鳥猿猴図屏風」(出光美術館蔵)のような先行作品からヒントを得た構図なのではないか、と考えてもさほど的外れではないかもしれない。

蕪村は「枯木叭々鳥図」という作品も描いている(下図、部分)。時代がへだたっているため「晩秋飛鴉図屏風」とはタッチがまったく違うが、こちらはちゃんと白あるいはグレーの羽根を描いている。しかし全体の描き方の感じからすると、ひょっとして蕪村は叭々鳥を実際に目にしたことがなかったのではないかと思えてしまう(江戸時代には日本でも叭々鳥を飼育することが流行したとも言うが?)。まさかカラスを見たことがないとは考えられないけれども。どちらにしても蕪村が描くのはたいていイマジネールな風景や人物ばかりである。現実のモデルがないと描けないというような性格の絵師ではない。他にも蕪村には「棕櫚ニ叭叭鳥図」(慈照寺)もある。


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そして蕪村のカラスと言えば「鴉図」(北村美術館蔵、下図、部分)にきわまる。なんとも人間臭い二羽のカラス。

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このカラスをじっくり見ておきたい。そして「晩秋飛鴉図屏風」に目を戻してみよう。……やっぱりカラスじゃないでしょう。


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by sumus2013 | 2016-02-24 20:27 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

たばこ娘

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『オール読物』昭和二十二年二三月合併号(文藝春秋新社、一九四七年三月一日、表紙画=岩田専太郎)。これは目次頁に佐野繁次郎の絵が使われている。佐野資料箱のなかを少し片付けようと思って引っ掻き回しているときに見つけて久しぶりで頁を繰っていたのだが「あれまあ、この小説が載ってたか!」と驚いた。

それは源氏鶏太の「たばこ娘」。いつだったか、かなり前になるが、誰か信頼すべき評論家かあるいは小説家だったか、源氏鶏太は「たばこ娘」がいちばんいいというようなことを書いていたのを読んだことがある。それ以来機会があればぜひ読んでみたいと思っていた。思っているだけで二十年くらいは過ぎ去った。灯台下暗し。もう何年も前からこの箱のなかで眠っていたわけである。

挿絵が茂田井武というのも嬉しい。さすが文藝春秋社というべきか、他にも鈴木信太郎、清水崑、三芳悌吉、清水三重三、林唯一、横山泰三、宮田重雄、高澤圭一等、挿絵陣がなかなかのもの。

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大阪の梅田駅あたりで闇の煙草を売っている娘ツユ。彼女から毎日のように煙草を買う「兄さん」。登場人物はほぼこの二人だけ。語りは「兄さん」の独白体。源氏鶏太(田中富雄)は富山出身だが昭和五年から大阪の住友本社に務めていた。その頃重役だった川田順は源氏が小説を書くことを応援してくれたそうだ。

《たばこ娘とは、ツユに私がつけた名である。ツユは道で闇煙草を売つてゐる女だつた。年は十八歳だといふが、しまり肉の小柄、ひと口に云へば、狆を想像させる、複雑で見飽きのしない顔をしてゐる。》

《私はツユの煙草に対しては、いつの頃からか十五円払ふことにしてゐる。外の女はピースが十七円、コロナが十八円で売ってゐるときでも、十五円しか払はない。ツユも私にだけは、そんな闇の協定値の違反を黙認してくれる。》

《いつたい私は煙草をのみ過ぎるやうだ。昔は日に七八十本から百本は吸った。昔のバットは実にうまかつた。あれにくらべて、今のピースやコロナが高級煙草なんて、ちやんちやらおかしい。朝起きると寝床の中で先づ三本、顔を洗つて二本、それから際限もなく、私の煙草生活がはじまる。》

《私は預金が封鎖になるとき、一番これからの煙草が心配になつた。あるだけの金で光を二百個買つた。私は二百個の煙草を机の上に並べて快心の笑みを洩らしたものだ。然し、その煙草は一ケ月とはもたなかつた。》

月給日前には煙草が買えなくてイライラする。そんなときツユが一箱恵んでくれる。吃驚したがありがたくもらって続けざまに貪り吸った。《私はふつとツユの表情のなかに、成熟した女を感じた。》

ところがしばらくツユが姿を見せなくなった。

《『どうしてゐたんだ。』
『あの日、うつかりして、警察へ連れていかれた。』
『ぼやッとしてるなア。』
 私にやつつけられると、いつものツユならすぐ悪態をついてくるところを、今日は怨めしげに私を見上げてゐる。
『ふた晩とめられた。かなはんわ。そいで、暫くやめよう思ふたけど、うちがゐてへんと、兄さん、煙草に困るやらう思ふて、またけふから出て来た。』
『うん、不便だつた。今日は十個だ。』
『十個も?』
 ツユは吃驚した顔になつた。私はにやりとわらつて
『今日は貧乏人とは、いさゝか違ふんだ。』
『嫌やわ。二個なら売つたげる。』
『どうしてだ。』
『十個もいつぺんに買ふたら、兄さん、無茶のみするにきまつとる。それよりなア、うちやつぱし、兄さんから毎日買ふてほしい。』
 終りの方が真面目な口調になつた。
『それなら五個』
『いや。二個。』
『ぢやア、三個。』
『うゝん、二個。』
『こいつ、強情ッぱり。』
『兄さんこそ、強情ッぱりや。』》

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《煙草の良悪は、その灰と火の色を見れば、凡そその見当はつく。光やピースの灰の色はまだいゝけれども、コロナの灰の色の黒さは、煙草の夢を一瞬に崩してくれる。たとえばスリー・キャッスルの灰の色の白さと、あのぼうつと夢を見てゐるやうなやはらかな火の色のよさはどうだ。》

《紙くさい日本の煙草、そしてときには二三回吸ふと、もうニコチンが、手許まで紙にしみでゝくる。私は思ふのだが、昔のチエリイとまではゆかなくとも、せめてバット程度の煙草が早く日本にも出来ないものか。》

「私」は思いがけずツユから手紙をもらう。日曜の朝九時に阪急で待っています、どこかへ行きましょうという。たばこを持っていってあげます。その手紙をもらって「私」はこんなことを考える。

《配給ののぞみの手巻煙草を吹かしながら、かつてツユをこの煙草のやうな女だとたとへたことを思ひだしてゐた。火は薄い灰をかぶつて暗闇の中で仄かに光つてゐる。思へばツユは私の人生のなかで、はじめて一点の灯を点じてくれた女である。私はその灯を見つめてゐるうちに、何か急にツユがいとしいものに思へてきた。それは舶来煙草の如くツンと取澄ました美しさはなくとも、またピースやコロナの如く、見てくれの綺麗さはなくとも、のぞみを想はせる地味な世話女房のあたたかさをたゝへてゐる。》

日曜日の朝、「私」は煙草欲しさもあって阪急の前で煙草を吹かしながらツユを待った。しかし二時間待ってもツユは姿を現さない……。

というくらいで粗筋の紹介はやめておく。

「編輯室にて」にこんなことが書かれている。編輯人は車谷弘。

《アメリカ映画をみずして、現代文化を語る事は出来ない今日、日本の小説も貧寒な私小説だけであつては、どし[繰返記号]大衆の嗜好におき去りをくつてしまふでありませう。もつと小説の取材範囲は拡大され、小説の種類も、多くならねばなりません。》

《従つて、新人作家の推薦にも、大いに力をつくしたいと思つてをります。本号には源氏鶏太氏の「たばこ娘」を紹介いたしました。軽妙な筆致の中に仄かなペーソスが漂つてゐて、なか[繰返記号]面白い作品です。》



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by sumus2013 | 2016-02-23 21:02 | 古書日録 | Comments(0)

宮本常一の風景をあるく 周防大島久賀・橘・大島

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宮本常一の風景をあるく 周防大島久賀・橘・大島
2016年2月29日発行

編者 周防大島文化交流センター
写真 宮本常一
監修 森本孝
装幀 林 哲夫

発行所 みずのわ出版
http://www.mizunowa.com
210×148mm

【既刊】宮本常一の風景をあるく 周防大島東和
http://sumus2013.exblog.jp/23350368/

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by sumus2013 | 2016-02-23 16:59 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

ハーヴェスト

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ニール・ヤングのCD「ハーヴェスト」(WARNER MUSIC JAPAN, 1990)。ヨゾラ舎で「ストレート・アヘッド」といっしょに買ったもの。このところほぼ毎日聴いている。こんなアルバムだったかなあ……と昔を思い出しながら。

高校生の頃、よく立ち読みをした新刊書店(宮脇書店の丸亀町店、当時はそれほどでもなかったが、今は讃岐のいたるところに、町ごとに店を展開している。たしか京都にも支店があったはず)、その目の前がタマルというレコードショプだった。常盤街に本店があったらしいが知らない。老舗のレコード店で一時期はかなり派手に展開していた。二〇〇七年に自己破産申請し二〇一一年には完全消滅した(とウィキにある)。

小生がときどきのぞいていたのは一九七一、七二年あたりだ。といってもレコードを買った記憶は無い。音楽好きの同級生のお供をするていどだった。そんなある日、店頭の新譜LPの陳列台にこの「ハーヴェスト」が並んでいた、と断言したいのだが、記憶は定かではない。とにかくニール・ヤングのLPだった。あるいはニール・ヤングが何種類もあったのかもしれない。「ニール・ヤング」(一九六九)、「アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ」(一九七〇)だとか。「これ、欲しいなあ」と心底思った。そのときのタマルレコードの店頭の様子が今でも頭の片隅に映像として張り付いて離れない。

それから十何年もが過ぎ去って、タマルの地下に「ぷくぷく」という古書チェーン店ができた。タマルの正面入口に向かって右手に隣接する急な階段を降りていく。ここは帰省の度に立ち寄ったのでよく覚えている。とりあえず本がびっしり天井まで積み上げられていた。残念ながらそう珍しいものを買ったという記憶はない。それでもちょっとだけ珍しいくらいの本は何冊か手に入れることができた。ブックオフが高松に展開する少し前からだったと思うが、量がたくさんあったのでとにかく足を運ぶようにしていた。

ある日、古本を見たついでに久しぶりにレコード店へ入った。高校生のころ以来だったかもしれない。まったく様子は一変して当たり前ながらCDショップになっていた(レコード盤も売ってはいたと思うが)。そこであれこれCDを物色してるときに手にした一枚、それが珍しくピンとくる感じがあって買ってみたのがエンヤの「ウォーターマーク」(一九八八)だった。これまで体験したことのないようなサウンドだった。その後すぐにいたたるところで耳にするようになり大ヒット作品となった。そういう意味でも思い出深い店である。

「ハーヴェスト」に戻ると、全体としてはやや弱いし、やはりオーケストラのバックはいただけない(発表当時から非難されたようだが)。それでも「ハート・オブ・ゴールド」のイントロが鳴り出すと心がときめく。まるで高校時代に戻ったかのように。

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by sumus2013 | 2016-02-22 21:38 | おととこゑ | Comments(2)