林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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風信第一号

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『風信』第一号(風信の会、一九八八年七月一日、表紙絵=ハインリッヒ・フォーゲラー)および第三号(一九九一年九月一五日)を某氏より頂戴した。深謝です。発行人は山田俊幸。第一号の巻末に

《風の運ぶ便りを出しはじめて、二十年もたってしまった。その間、雑誌、単行本を含めて、ささやかな歩みではあるが、時代を共有している友人たちへ風を送り続けようと思ってきた。しかし、今また、『風信』を続刊することになったのは、私が動きはじめたのではない。仲間の中に新たな風が動きはじめたのである。》(山田)

とあり、また

《神保町に通い始めてまだ数年。いつのまにか「風信の会」の一員になってしまっていた。毎週末古書会館の周辺に集り情報交換に明け暮れていたが、このさい雑誌を出そうということになった。産声をあげたときからこの道を歩み出したに違いない、天性の仕掛人山田さんの呼びかけには抗いがたいものがある。》(城眞一)

とも。そして

《この号は『風信』の通巻としては第十一号にあたる。風信の会で八冊、風信社で二期一冊、三期一冊という刊行次第である。今度はまた風信の会となって、第一冊目の刊行となる。》(無記名)

と補足されている。目次頁は以下の通り。

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岩切信一郎氏の井上凡骨やフォーゲラーについての論考はいつもながら参考になる。三号の内容は明日紹介するが、そこには以前紹介した『古本河岸から』への言及もあった。

古本河岸から

『風信』第二号はメリヨン特集、一九八九年六月に刊行。定価一〇〇〇円。その目次が三号のカバーに第一号の目次とともに記載されていた。これは手許にないのが残念……魅力的な内容である。

風景のなかの聖痕[ステイグマ](対談=柄澤齊・気谷誠)
※シャルル・メリヨン詩抄(栗山正光訳)
※シャルル・メリヨンの肖像(フィリップ・ビュルティ、河野和子訳)
※セーヌに墜ちたイカロスーー「両替橋」覚書(気谷誠)
※主要参考文献解題
※シャルル・メリヨン年譜
※パピエ・ヴェルダートル(大家利夫)
※メイヨンであった頃(岩切信一郎)

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by sumus2013 | 2016-01-20 20:59 | 古書日録 | Comments(0)

大阪府庁舎競技図案集

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『大阪府庁舎府会議事堂新築設計競技図案集』(華城会、一九二三年一一月一日三版、初版は一九二三年一月二五日)。近年、移転問題でかまびすしかった大阪府庁舎。これは大正十五年に竣工した第三代目の庁舎(現在の本館)のための設計コンペ、上位入賞の図案集。それぞれの案について透視図、正面図、側面図及背面図、断面図、平面図、詳細図がフォルダー形式(つまり綴じていない状態)で収録されている。貴重な記録だ。ここではパース(透視図)のみ紹介しておく。

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一等当選図案:東京 平林金吾 岡本馨
平林は他に名古屋市役所本庁舎朝鮮貯蓄銀行本店、東京都立大森高等学校校舎、東京都立西高等学校校舎などを設計した。

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竣工当時の写真(こちらはネット上より)。左右に並ぶ窓、設計案よりタテ一列ずつ(都合二列)多い。


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二等:東京 笹倉梅太郎
下元連設計の旧総理大臣官邸(現首相公邸)の図面を製作しレリーフなどの意匠を担当した。

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三等一席:大阪 加藤善吉


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三等二席:大阪 橋本舜介
日清生命保険本社(1917年)原案。

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選外一席:東京 平林金吾 岡本馨


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選外二席:東京 前田健二郎

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選外三席:東京 平野喜八郎


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選外四席:東京 高橋貞太郎

なお大阪府庁舎設計懸賞競技の賞金は八千円だったそうだ。

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by sumus2013 | 2016-01-19 19:56 | 古書日録 | Comments(2)

ソファーと人間椅子

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クレビヨン・フィス『ソファー』(伊吹武彦訳、世界文学社、装幀=庫田叕)を均一で拾った。惜しいことに奥付がない。破られた形跡もないので落丁だろう。初版は昭和二十四年二月で再版も出ている。

世界文学社についてはかつてまとめた記事があるので参照していただきたい。

クレビヨン・フィスについては伊吹の「訳者後記」を引いておく。

《クレビヨンの名は、詳しくいへばクロード・プロスペール・ジョリオ・ド・クレビヨン Claude-Prosper Jolyot de Crébillon 普通にはクレビヨン・フィス(息子クレビヨン)Crébillon fils と呼ばれてゐる。といふのは、父のクレビヨンもーー今はほとんど忘れられたがーー十八世紀のはじめに沢山の悲劇を書いて名声のあった作家なので、それと区別するための俗称なのである。ちやうど『三銃士』を書いたデュマに対し、『椿姫』を書いたその子のことを、デュマ・フィスといふのとおなじである。

クレビヨンは一七〇七年にパリで生まれ、一七七七年にパリで死んだ。エスイタ派の宗教学校に学び、入門をすすめられたが、それを拒んで社交界に入り、劇場やサロンに出入して、十八世紀の頽廃的空気を十二分に呼吸した。性格は実直謹厳であつたが、作品は当時の趣味にかなつた好色物で、ルイ大王の愛妾ポンパドゥール夫人の進言により流刑に処せられたことさへある。しかし数年後にはまた宮廷に返り咲いて、役柄もあらうに出版検閲官となり(父クレビヨンもさうであつた)、他人の作品の風俗壊乱を取締つたのであるから面白い。》

《ここに訳した『ソファー』は、クレビヨンの作品でも最も有名であり、出版当時はフランスのみならずイギリス、スペインなどでもひろく読まれた。》

《クレビヨンの全作品は一七七九年、全七巻にまとめてロンドンから出版された。私はこの珍しい十八世紀本によつてこれを訳した。》

『ソファー』は『千一夜物語』に登場する王様シャー・リアルの孫シャー・バハムの退屈しのぎのため廷臣のアマンゼイが不思議な体験を語るという形をとっている。アマンゼイは輪廻転生を信じるバラモン教徒であり、彼はバラモン神の刑罰によって前世の自分はソファーだったと語り出す。しかも都合のいいことにあちらのソファーからこちらのソファーへと思いのままに移動できるのだと。自らの魂が宿ったそのソファーの上で繰り広げられた男女の営みをアマンゼイはサルタンに語って聞かせる。

こういう種類の小説を英国では「モノ語り」(it-narratives)と呼ぶそうで、十八世紀の後半に大流行したのだそうだが、そのそもそものきっかけが『ソファー』やドニ・ディドロの『お喋りな宝石』にあったと言われているそうだ。

「1751年の「紙の戦争」とモノ語りの増殖」内田勝

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本文からさわりを少々、

《前をほとんど開けた軽羅ただ一枚が、やがてゼイニスの装いとなりました。そして姫はぐつたりと私のうへに身を投げました。ああ、私はいかに夢中に姫を迎へたことでござりませう。》

《私が熱情をこめてゼイニスに想ひを馳せてをりますとき、ゼイニスは、からだを動かし、寝返りを打ちました。ゼイニスの取つた姿勢は、私には何より好都合でありますゆゑ、私は心乱れながらもそれを利用しようと考へました。ゼイニスは横向きに寝てをりました。頭はソファーのうへの一つのクッションに傾き、口がそれとすれすれになつてをります。私はバラモンの厳しい掟にも拘りませず、欲望のはげしさを少しは満足させることが許されてゐました。私の霊魂はそのクッションのうへ、ゼイニスの唇の間近に乗り移り、やつとのことで、その唇にぴつたり寄りそふことが出来ました。》

……これは、ひょっとして、あの江戸川乱歩の「人間椅子」ではないか? 状況設定は全く違えども椅子に同化して美女と接する愉悦を得るという眼目のアイデアは同じである。「人間椅子」は『苦楽』大正十四年九月号が初出だそうだからむろん邦訳はなかっただろうが、上記のように英国では有名な作品だったから英文では読めたはず。もちろん言うまでもなく小説としては比較にならないくらい「人間椅子」の方が面白い。ただそうだとすれば退屈な作品から秀逸な物語を再構築する方法、江戸川乱歩の創作のメカニズムを考察する上で『ソファー』はそれなりに重要な作品なのかもしれないと思う。

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by sumus2013 | 2016-01-18 20:37 | 古書日録 | Comments(0)

筑摩書房の本の装幀の魅力

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『常念とれんげ』第34号(臼井吉見文学館「友の会」、二〇一五年一一月一日)および第35号(同、二〇一六年一月一日)に臼田捷治氏による「筑摩書房の本の装幀の魅力」上下が掲載された。(下)の方に古田晁記念館を訪問したときの話題が出ていて興味を持った。

《[塩尻市立]図書館では筑摩書房刊の各種全集の架蔵がひときわ充実していることに簡単したが、もうひとつうれしいサプライズが。古田晁のお孫さんで神戸市在住の淳さんが、筑摩創業初期に青山[二郎]が装幀した本を一括して寄贈してくれていて、私たちは段ボール箱に入ったままの状態のそれを拝見できたのである。陶器の絵肌を連想させる秀麗な意匠があしらわれているのが青山装幀の持ち味。思いがけない眼福にあずからせていただいた。》

『筑摩書房の装幀』にも何冊か青山本を入れたのだが本格的な『青山二郎装幀集成』も作ってみたいもののひとつだ。



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by sumus2013 | 2016-01-17 17:52 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

ガロ-アックス-長井勝一

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徳正寺での「ガロ - アックス - 長井勝一」展 長井勝一 没後20年企画トークを面白く拝聴。第一部は呉智英、林静一、南伸坊の三氏と青林工藝舎の手塚能里子さんが登壇。水木しげる追悼ということでまず呉氏がひとしきり水木漫画について語る。呉氏は一時期水木にネタを提供するスタッフの一人だったこと。そのなかで手帳に名前を書くとその人間が死ぬというアイデアがあって水木漫画に採用されているが、これはまさに「デスノート」であると。鬼太郎と出雲神話の関連性について、そしてきわめつけは水木しげるは妖怪などこれっぽっちも信じていなかった、という暴露(爆笑)。

林氏は東映動画のアニメーターだった、仲間(百人ほどいたそうだが)の一人が『ガロ』を面白いと持って来て漫画にもこういう大人向けのものがあるんだと知って投稿した。最初の作品はボツだった。理由は長過ぎる。八頁にまとめてと長井さんに言われた。南氏は中学生で『ガロ』を知り、やはりそれまでの漫画とは違うと皆が感じ取った。東京工芸高校時代にはまわし読みしていた。回し読みしていたから潜在読者はかなりいたはず。と、呉氏より異論が。そんなに読者はいなかったよ。でも長井さんはマンションに住んで自家用車を買いましたよ。ただしパブリカ(トヨタの大衆車)だけど(笑)。一九七〇年頃が絶頂だった。それでも三万部くらいでしょ。他には水木のバック書き込みの謎について。長井勝一の晩年のモテぶりについてなど。

第二部は手塚さんが古泉智浩氏と島田虎之介氏にガロ、アックスとの関わりを含め漫画に関するあれこれを質問する。古泉さん、新潟在住。里親漫画がヒットしている。「死んだ目をした少年」は映画化。祖父が亀田製菓の創業者だそうで、これからその伝記漫画を書こうと思っている。島田氏は中国での漫画フェアーに呼ばれているということで、青林工藝舎も中国進出が期待される。海外の漫画イベントに参加すると青林工藝舎には日本と同じ雰囲気のオタクたちが列をなすのが不思議である。などなど。

第三部は一、二部の出演者に加えてひさうちみちお氏と客席から編集者の赤田祐一氏が飛び入りで。京都在住のひさうち氏の近況から始まって、老人問題、原稿料問題、ネットと出版の違い、青林工藝舎のペットなど、ほとんど井戸端会議状態だったが、それはそれでたいへん面白かった。



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by sumus2013 | 2016-01-16 21:04 | もよおしいろいろ | Comments(4)

永島さんの葉書

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明16日、徳正寺で「ガロ - アックス - 長井勝一」展 長井勝一 没後20年企画のトークショーが開催される。ガロというと、永島慎二さんを思い出す。もう亡くなられて十年と半年が過ぎてしまった。健在なら七十七歳余になられるはず。武蔵野美術大学の後輩が永島さんと同じ学校で教えていて将棋好きという共通点から紹介されたのがそもそもだったと思う。阿佐ヶ谷駅前のお宅にもお邪魔したし奈良のムサビ寮で将棋大会をご一緒したこともある。神戸の震災の少し後にはふゅーじょんぷろだくとの才谷氏とともに長田にあった拙宅に見舞いに来てくださった。長田界隈の惨状にひどくショックを受けておられた。そんななかで一九八九年頃から亡くなられる少し前まで折に触れて葉書やお手紙を頂戴した。筆まめな方だったのでそこそこの数になっている。宝物である。永島さんがお元気ならガロの話、聞かせていただけるのだが……


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珈琲共和国

ざ・ぱいぷ

書影でたどる関西の出版100 検印紙

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by sumus2013 | 2016-01-15 20:33 | 古書日録 | Comments(6)

荒魂

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石川淳『荒魂』(新潮社、一九六四年七月二五日、装幀=齋藤義重)。斎藤義重の装幀というところに惹かれた一冊。現代美術の作家として孤高の存在のようにも思える斎藤義重だが装幀はいくつも手がけている。以前のブログで一冊紹介した。

クロッスマン編『神は躓く』(青渓書院、一九五〇年)

カナブンの装幀者検索によれば以下のタイトルがある。

1. 愛のごとく 山川方夫著 新潮社 1965.3.30
2. お早く御乗車ねがいます 阿川弘之著 中央公論社 1958.7.29
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3. お早く御乗車ねがいます 阿川弘之著 中央公論社 1958.8.20再版
4. 杞憂夢 坂上弘著 講談社 1984.6.20
5. スフィンクス 堀田善衞著 毎日新聞社 1965.5.20
6. トーマス・マン 辻邦生著 岩波書店 1983.1.24 20世紀思想家文庫 1
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7. 花田清輝 高橋英夫著 岩波書店 1985.10.18 20世紀思想家文庫 16
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8. 幼兒狩り 河野多惠子著 新潮社 1962.8.30
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斎藤についてはあまり詳しくないため手頃な年譜はないかと探してみたらこんなファンサイトがあった。

斎藤義重 年譜と注釈

こちらの年譜を読んでいて面白い記述を発見!

《1929(25):ドイツから帰国したばかりの某氏が小石川の喫茶店に展示された立体作品に興味を示して、知り合いになる。この某氏の家でヨーロッパ前衛美術の画集・雑誌等を見て、構成主義やダダイズムに魅せられる。注ー8》

ここで言う《小石川の喫茶店》はおそらく「カフェー鈴蘭」で間違いないだろう。この喫茶店についても少しだけ言及したことがある。

『詩囚』

某氏が誰だか分らない。

《「分かっていることは京都大学で哲学を専攻していて中退してドイツへでかけたということだけは記憶にあるが、とにかく美術の専門家ではなかったのでね」》

とのこと。昭和四年頃に帰朝した京大哲学中退の人物で《本郷の肴町あたりを入ったところで、ホラ、外国から帰ったところで、おばさんか誰かのところに厄介になっていた》とは……誰でしょう。また年譜の昭和八年には

《この頃、機械の構造を記述し、そこに多少の身辺雑記を盛り込んだ物語性の無い文章を制作し、武田麟太郎の評価を得る。/後に、彼の主宰する『人民文庫』の挿絵・装丁を手がける。》

とあるので早く人民文庫の装幀もしていたことになる(人民文庫の書影は上記年譜参照)。

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by sumus2013 | 2016-01-14 20:21 | 喫茶店の時代 | Comments(0)

ビュラン版画家協会

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『SOCIETE DES ARTISTES GRAVEURS AU BURIN』(1905)、ジョルジュ・ブラッサンス公園での見つけもの。「版画家協会」と分りやすくしておいたが「ビュランによる芸術彫版師協会」。ビュラン(burin)は銅版画用の彫刻刀のこと。
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アルティスト(芸術家の)という形容は職人の(アルティザナル)と区別して言うようだ。本文の最初の頁に沿革が記されており、それによれば一八八二年に版画の名匠だったフランソワ・ファイヤール(不詳)がジュール・ジャケ(Jules Jacquet, 1841-1913)、シャルル・ワルトネ(Charles Albert Waltner, 1846-1925)、アシール・ジャケ(Achille Jacquet, 1846-1908)らの版画家たちとともに創設した。少し検索したが、この団体名そのものがヒットせず、以後の展開については不明である。

現在も存続する「フランス版画家協会」(Société des peintres-graveurs français)は少し遅れて一八九一年に設立されている。こちらは画家であり版画も手がけるブラックモン(Félix Bracquemond, 1833-1914)が提唱しメアリー・キャサット、カミーユ・ピサロ、ロダンら有名な作家たちも会員として名を連ねていた。

そういうことは今調べて分ったこと。買ったときには(言うまでもなくたいした金額ではなかったが)表紙の画がそれこそビュランによる銅版刷りだから貴重ではないかと思ったにすぎない。サインは「J.Patricot」

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内容は沿革の他に会長他役職名、協賛者、名誉会員、会員、物故会員などの名簿である。この時点での名誉会長は二人居り、レオポルド・フラマン(Léopold Flameng, 1831-1911)と創設者の一人であるアシール・ジャケ(Achille Jacquet, 1846-1908)、会長はアベル・ミニョン(Abel Mignon, 1861-1936)。協賛会員にはベルギー王レオポルド二世やロチルド(ロスチャイルド)男爵の名前も見える。

会長のミニョン氏は著名な版画家であったが、同時に数多くのフランスの切手の図柄を彫刻しており、他にもダホメ、ガイアナ、マダガスカル、モロッコ、セネガル、チェコ共和国などの切手も手がけていることで知られるという。まあ、どちらかと言えばアルチザナルな版画家たちの協会のようにも思えるのであった。

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by sumus2013 | 2016-01-13 20:45 | 古書日録 | Comments(0)

生花口訣抄

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『不許他見生花口訣抄 仁』の写本。序に《万延二酉年(一八六一)二月 古流家元 松盛斎法眼理恩》とある。生け花の秘伝書。五巻(仁・義・礼・智・信)のうちの「仁」の巻。古流については下記サイトなど参照されたい。

華道流派 古流

古流松應会とは?

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テキストなどについては無知のためノーコメンということで。理恩には『古流生花松乃志津玖』(嘉永六=一八五三年)という著書もあるようだが、この写本の元本がどういうものかははっきりしない。昭和二年には山本理薫編『古流生花口訣抄』が刊行されている。タイトルからして内容が気になる(国会図書館でのデジタル閲覧館内のみ)。いずれにせよ雁皮紙のようなごく薄い和紙に筆写されているところからして元本を丹念にトレースしたらしいことが想像できる。それら筆写した本文を綴じる際に図や文字が透けないように中間にやや厚い紙を挟んでいる。その芯紙が洋風な紙なのでこの写本の成立は仮に明治だとしてもかなり後かもしれない。

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by sumus2013 | 2016-01-12 20:02 | 古書日録 | Comments(0)

ブーローという職業

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ジャック・ドラリュ『死刑執行人という職業』(JACQUES DELARUE『LE MÉTIER DE BOURREAU』Fayar, 1979)、これは昨年の一月頃から読み出して多少時間はかかったが面白く読了。いずれ紹介しようと思いながら果たしていなかった一冊。ジャック・ドラリュ(1919-2014)はレジスタンスの闘士、元警官で歴史家。本書は邦訳されていないようだが別の著書『ゲシュタポ・狂気の歴史』は講談社学術文庫他で読める。

フランスにおける死刑執行人の系譜、待遇、社会的地位などを丹念に追った労作である。例によってアンダーラインを引いたところだけかいつまんで紹介しておく。

著者は死刑執行人(bourreau ブーロー)の起源については不明としている。ギリシャ時代には今日われわれが考えるようなブーローはいなかった。ローマ時代には処刑は警士(licteur)が行った。ヘブライでは刑罰は犠牲者の親族または集まった民衆、あるいは首長によって指名された人物によって執行された。中世ヨーロッパでは処刑は村の有力者が兵士に執行させたかあるいは有力者自身によって行われた。

フランスの大都市においては十三、十四世紀頃にはすでにブーローが存在していた。パリではシャトレ広場(現在のオテル・ド・ヴィル広場=パリ市庁舎の前)でパリ市長によって裁判や処刑が行われていた。国王や大都市だけでなく大貴族や中位の権力者たちも私的にブーローを雇うようになっていった。

絞首台(gibet)を、普通の貴族は一つあるいは二つしか持てなかったが、男爵となれば四つ、伯爵は六つ、公爵は八つ持てた。国王は望むだけいつくでも。パリのモンフォーコンには十二あった。それらは非常に背が高く、横木が二段になっており、巨大な四辺形をなしていた。たいてい五十から六十体の屍が吊るされており、かなり離れたところまで異臭が届いた。モンフォーコンの丘をドイツへ向かって歩く旅人たちはその「眺め」と「臭気」という二重の警告を感じた。

初期においては肉屋(boucher)がブーローを兼ねており、しばしばブーレル(bourel)と呼ばれている。十五世紀、パリでもっとも有名なブーローはメストル・カプリューシュ(Maistre Capeluche)だったが、彼も牢獄と裁判所のすぐそばにあった大きな肉屋の屠殺人であった。

ブーローは大衆から蔑まれ、さまざまな綽名がつけられた。そのなかに「腕砕きのシャルロ Charlot-casse-bras」というのがあるが「シャルロ」という呼び名はその名前が代々シャルル(Charles)だった有名な死刑執行人サンソン(Sanson)一族からきている。一九五〇年代においてさえギロチンの隠語のなかに「シャルロの計量台 bascule à Carlot」というのがあった。実際には一七九五年以降、死刑執行人の主任(exécuteur en chef)にシャルルという名前をもつ人物は一人もいなかったにもかかわらず。

本書ではその「シャルロ」ことサンソン一族の家系が丹念にたどられていて驚かざるを得ない。一六八八年、ルイ十四世治下のパリでブーローになり、革命時代もその職を着実に受け継いで一八四七年までサンソン一族が長子相続をきっちり守りつつ百五十九年間にわたって処刑を続けてきたのである。さしずめイギリスならジャック・ケッチャム、日本なら山田浅右衛門というところか。……と書いて、例の「シャルリ・エブド」が頭に浮かんだ。「シャルリ」は喜劇王チャーリー・チャップリン(フランスではシャルロと呼ばれた)を連想させつつ、死刑執行人シャルロにも通じている? 

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もうひとつギロチンについて付け加える。フランスでギロチンを使った初めての処刑は一七九二年八月二一日に行われた。そもそもギロチンは著名な医師であったギロチン博士によって提唱されたため「ギロチンの娘」などと呼ばれるようになり、ついにはギロチンとして定着してしまったらしい。ギロチン博士は一七八九年の国民議会で演説し《簡単なメカニズムによって》死刑囚の首を斬ることを提案した。《皆様、小生の機械によって、一瞬のうちに、わずかな苦もなく、その首を刎ねてみせましょう》。議会にはドッと笑いが上がったそうだ。なおギロチンに類する斬首刑具はギロチン博士が初めて考案したわけではなく、古くペルシャに現れたとも言われており、スコットランドには十四世紀頃から存在していた。

こういう歴史書はあまり読まないので知らない単語ばかりで読み進めるのに骨が折れた。新しい単語を覚えられるという効用ももちろんある(覚えた端から忘れてしまうが)。例えばこんな単語。挿絵は本書および『ジャック・カロ版画展』(伊丹市美術館、二〇〇五年)図録より。

ビュシェー bûcher 火あぶりの刑にする
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ルエー rouer 刑車にかける
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デカピテ décapiter 首を斬る

シュプリース supplice 拷問

エシャフォー échafaud 死刑台
(映画「死刑台のエレベーター」の原題は「Ascenseur pour l'échafaud」)

ジベ gibet 絞首台(大掛かりな)

ポタンス potence 絞首台

パンデゾン pendaison 絞首刑
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ビヨ billot 首切り台

ピロリ piroli 晒し台
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by sumus2013 | 2016-01-11 21:00 | 古書日録 | Comments(0)