林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
カテゴリ
全体
古書日録
もよおしいろいろ
おすすめ本棚
画家=林哲夫
装幀=林哲夫
文筆=林哲夫
喫茶店の時代
うどん県あれこれ
雲遅空想美術館
コレクション
おととこゑ
関西の出版社
彷書月刊総目次
未分類
以前の記事
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
お気に入りブログ
NabeQuest(na...
daily-sumus
Madame100gの不...
最新のコメント
古本として流出してくれて..
by sumus2013 at 07:54
先日の、林さんの「神保町..
by 唐澤平吉 at 22:12
そうなんですか! それで..
by sumus2013 at 19:47
遺族からの寄贈本1万冊余..
by 唐澤平吉 at 09:00
個人的に思うのですが、第..
by sumus2013 at 16:32
「わずか数ポイント差の得..
by 牛津 at 15:55
ご来場有り難うございまし..
by sumus2013 at 21:55
久し振りにお会いできて嬉..
by 淀野隆 at 21:24
この聞き取りを残せてよか..
by sumus2013 at 08:10
いやあ、驚きました。肥後..
by 岡崎武志 at 22:53
メモ帳
最新のトラックバック
天才画家ゴッホの生涯と画..
from dezire_photo &..
ルーベンスの故郷、ヨーロ..
from dezire_photo &..
シャガール、ピカソ、マテ..
from dezire_photo &..
ポン=タヴァン派、総合主..
from dezire_photo &..
視聴率に関係なく選んだ2..
from dezire_photo &..
宝石のような輝をもった印..
from dezire_photo &..
ルネサンス美術の巨匠・ピ..
from dezire_photo &..
既成概念から絵画の解放に..
from dezire_photo &..
既成概念から絵画の解放に..
from dezire_photo &..
過去に来日した傑作を回顧..
from dezire_photo &..
検索
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


<   2015年 09月 ( 32 )   > この月の画像一覧

文芸辞典

f0307792_21183227.jpg

『文藝辭典』(創元社、一九二七年九月一〇日九版、初版は一九二五年)。創元社が初めて出版した本。大谷晃一『ある出版人の肖像』(創元社、一九八八年)を参照して見ると次のようにあった(傍点は省略した)。

大谷晃一『ある出版人の肖像 矢部良策と創元社』

《大正の終わりのころ、文学では同人雑誌の黄金時代であった。大阪高校生が多く加わった「辻馬車」が、その中で光彩を放っていた。》《船場や島之内かいわいの、そんな大阪の知的なぼんぼんたちと、矢部良作は接触していた。そういう新時代の雰囲気の中で、良作は出版の旗揚げを企てている。》

ここで大谷は波屋書房の宇崎祥二にも触れて《宇崎はその雰囲気のままに文芸出版に深入りして挫折する。》と書いているが、正確に言えば、宇崎は文芸だけに深入りしていたわけではないし、挫折したわけでもない。雑誌同士のいざこざに巻き込まれ負傷したことがもとで、元来が病弱だったこともあって、若くして歿したのである。出版活動は多岐にわたり着実に成果を残していた。これは訂正しておきたい。

《六月十日、良作は『文芸辞典』をとうとう刊行した。
 外面描写、第八芸術、高踏派、感受性、正反合、耽美主義、ノーベール賞金、ダダイズム、未来派、モノドラマ、裸体美術、……
 こういう新しい用語を解説している。文学だけに限らない。美術、演劇、音楽など芸術すべてに及ぶ。巻末には世界の芸術家略伝の九十ページを添えた。崎山猷逸やその仲間も執筆を分担したが、編纂者は創元社編輯部となっている。ここにはじめて創元社の社名があらわれた。
 創も元も、物事のはじめを意味する。壮大な名である。創はまた創造するに通じる。
 「本の卸しはこっちからあっちへ動かすだけで、その利を稼ぐのやが、僕は本を造り出したいんや」
 日ごろ、良作は口にしている。
 「創世のことか」
 その新社名を聞かされたとき、外次郎はつぶやいた。『旧約聖書』の開巻第一章はこう書き出す。
 「はじめに神は天と地とを創造された」
 熱烈なクリスチャンの彼は悪い気持ちがしなかった。キリスト精神によって良書を、と良作は打ち出す。
 「まア、ばかなことをする。金がかかるのに」
 外次郎は人にこぼしながら、それでも金を出している。
  矢部良策
 この本の奥付で、彼は良作の字を改めてこう名乗った。作という字は田舎じみて野暮ったく思っていた。このとき、彼は新生を策した。数え三十三歳。

父矢部外次郎は書籍取次会社福音社を経営しており、新社屋を建てたばかりだった。

《この『文芸辞典』はまあまあ売れた。五日のうちの六月十五日に再版を出す。二十六日にはじめて朝日新聞の朝刊一面下段に広告した。いい値段なので案じていたが、良策はこれで自信を得た。
 「この精緻なる文芸辞典の現はれたことは、文学界の至大な慶びである……」
 と、読売新聞が紹介する。当時の読売は東京だけの新聞である。それは、東京でも通用することを意味する。
 「どうだ、あの大阪物やないだろう」
 良策は胸を張る思いである。》

再版の日付については疑問もある。本書の奥付では四版まで五日毎に版が重なっている、そんなことあるのだろうか? また読売の賞讃も鵜呑みにしていいのかどうか慎重に考えなければいけない。とは言え、一年少々でこれくらい版を重ねれたとすれば「まあまあ売れた」というにふさわしいかなとは思う。

f0307792_21183406.jpg


[PR]
by sumus2013 | 2015-09-21 22:07 | 古書日録 | Comments(0)

桐一葉

f0307792_20510015.jpg

しばらくぶりで市中へ出て俳句の短冊を求めた。

  すゝしさの覚はしめや桐一葉

署名が読めない……「?雲」。堂雲か。珍しいのは裏面に年号や場所の記述があること。

f0307792_20471335.jpg

 万延元 酉 十月八日

 下地 於 聖源寺芭蕉忌をいとなみ
      鳩居景物ニ貰之

でいいと思うが、ご叱正を。念のため、酉と読んだが、万延元年は酉ではなく申。また、芭蕉の碑があるのは下地(愛知県豊橋市下地町)聖眼寺である。

聖眼寺

芭蕉忌は旧暦十月十二日。万延元年の十月十二日は西暦で言えば一八六〇年一一月二四日にあたる。涼しさの覚え始めというよりも寒さの覚え始めではないだろうか。本年の芭蕉忌も西暦では十一月二十三日になる。桐の葉が落ちるのはこの頃か? もしそうだとすれば一葉が落ちるのを見て秋を知るというのは当らないことになるのでは? 十一月の終りということならもう秋深しと言うべきかと思うが。

歩いて六、七分のところに桐の成木があるので、いつ頃落ちるか観察してみたいと思う(忘れなければ、だが)。

[PR]
by sumus2013 | 2015-09-20 21:26 | 古書日録 | Comments(2)

原色日本壜圖鑑

f0307792_19383934.jpg

びんの本を読んだので手近にあるびんの写真を撮ってみた。これら以外にも何十本かは持っているものの、そう古いびんはない。ということで庄司太一氏の著書をもうひとつ。『原色日本壜圖鑑』第〇巻〜第三巻の四冊合本。第〇巻はかつて紹介したことがある。

f0307792_19563981.jpg

庄司太一『原色日本壜圖鑑 第〇巻【はじめに】』

上記の時点ではまだ第二巻までしか出ていなかったが、平成二十四年十二月に第三巻が刊行されており、そこでは明治三大売薬びん、特に山内資生堂の「神薬」について詳しく説かれている(第三巻は上篇のみ)。著者の言う「明治三大売薬びん」とは守田治兵衛の「寶丹水」、岸田吟香の「精錡水」そして資生堂製「神藥」なのだそうだ。

f0307792_20155923.jpg


《これらの賣藥が後にも觸れるやうにどれもが洋藥の流れを汲むものであり、また當時としては珍しいガラスびんのイラスト入り廣告によつて新聞紙上を賑はしてゐたからなのである。しかもそこに描かれたびんのイラストは、我が國における初期賣藥びんの姿を知る上でも貴重な資料といへるのである。》

f0307792_20160240.jpg

《「神藥」といへば、明治、大正、昭和の長きに亘つて、それも多くの製藥會社によつて全國的に製造販賣されてゐた賣藥であつた。しかもその元祖とでも呼ぶべきものが、「東京本町資生堂」製の萬能藥「神薬」であつたといへるであらう。とはいへ今回の調査では、既に明治五年に「本町資生堂」の全身とも謂ふべき「西洋藥舗會社資生堂」において「神薬」が創製販賣されてゐたといふ證據が見つかつてをり、これについてはまた後に詳しく述べることにしたいと思ふ。》

びんの実物や諸種の先行著作物はもちろん新聞広告や効能書のちらしまで実によく調べられている。薬品史、広告史、工業史がないまぜになった多面的な描述から明治の側面がくっきりと浮かび上がってくる。労作。

[PR]
by sumus2013 | 2015-09-19 20:44 | おすすめ本棚 | Comments(0)

ボトルブルース

f0307792_18565432.jpg


庄司太一『びんだま飛ばそ』(パルコ出版、一九九七年三月二〇日)および同『平成ボトルブルース』(廣済堂出版、二〇〇一年八月一五日)。びん好きにはたまらない二冊。小生も熱心に集めることはないものの古道具屋などを漁るときにはビンはいちばん気になる(なにしろたいていは安価だから)。庄司氏の場合そんな生易しいレベルではなく全国を発掘(文字通り地面を掘る)して回るというウルトラ級のびん数寄。後者には《自宅の敷地に、五万本に近いびんを収容した私設博物館「ボトルシアター」を開設》とある。書籍五万冊も凄いとは思うけど、想像はできる。ところがこわれものビン五万本を私的に収蔵するというのは想像を超えている。

f0307792_19063828.jpg

『びんだま飛ばそ』で目を奪われたのは「カフェーパウリスタ・コーヒーシロップびん」の頁【喫茶店の時代】。カフェーパウリスタが出していた大正時代のコーヒー・シロップ、昭和初期のフルーツ・シロップのボトル、当時カフェーパウリスタの食卓にあった胡椒やソースのびん、マッチラベル二種の図版が掲載されているのだ。これは初耳(初目)。

《注 コーヒーシロップは、当時銀座・リグレー会社のチウインガムとともに一世を風靡した飲料である。その発明者は宮川孝兼。彼は明治一四年金沢に生まれ、二五年頃に上京、洋食店やミルクホールを営み、コーヒーや紅茶の製造販売も手がけた。昭和三年千駄ヶ谷において享年四八歳で没している。》

f0307792_19141323.jpg


カフェーパウリスタの次に出て登場するのが星製薬。「ホシ人参規那葡萄酒」。このびんはフレデリック・スターン社の強壮トニック酒のビンを模倣したものだった。

f0307792_19140845.jpg

他にもキンカン、カレーパウダー、味の素、目ぐすり、化粧品などなど、なんとも美しく、びんがまるで生き物のように思えてしまう!

『平成ボトルブルース』の方は著者のインテリジェンスが存分に披瀝された、一歩踏み込んだ内容。ボトルコレクションの魅力が読みものとして語られている。こちらも図版は多く楽しめる。何でもビンに見えてしまうコレクター心理も絶妙。

なかで「ボトルブルース」はハッとさせられるブルース論。

《今まではブルースというものを故意に遠ざけてきました。なぜならそこには神様がいないような気がしたからなのです。もしいるとすると、それは悪魔でありましょう。現に憂うつやさびしさを表すブルースという言葉は、一六世紀の古い表現であるブルー・デビィルズ(blue devils)から生まれたものなのです。》

なるほどそうだったのか、と感心した(ブルースの語源に無知だっただけですが)。そして話はこういう風に展開する。

《アメリカの元来の黒人音楽を大きく二つに分けるとしたら、ゴスペルとブルースであるというのは、とても示唆的なことだと思うのです。つまり、神様のいる世界と神様のいない世界。まさに人間の大きな二つのテーマをそのままに示しています。そしてブルースというのは神様不在の世界ということになるのです。》

これについてはそう単純ではないと著者自身も書いておられるが、悪魔は神があってこそ、結局は同じ世界なのではないだろうか? ま、それはともかくとして、さらにこう続くのが著者ならでは。ブルースには救済がない、しかし救済がないといった救済があるのではないだろうか、と逆説的に提示してこう言い切る。

《ブルースには救済されなくてもいいじゃないかといった、そんな雰囲気が漂っているのです。そんなところがどこかびんにも通じる気がするのです。》

……全ての道はびんへ通じる。






[PR]
by sumus2013 | 2015-09-18 19:50 | 喫茶店の時代 | Comments(0)

高見順という時代

f0307792_20494712.jpg

高見順という時代―没後50年―/川端康成と高見順

日本近代文学館から封筒が届いた。コピーを頼んだ覚えもないので何かと思うと上のチラシと館報『日本近代文学館』267号が同封されていた。このところ「昭和八年シリーズ」で高見順の周辺を調べておられる春日井ひとし氏の「「文藝交錯」時代」という論考が掲載されている。春日井氏のご配慮であった。深謝です。

『昭和八年の中島敦 昭和八年・文学者のいる風景 その1』

f0307792_20494913.jpg

春日井氏の論考を好みにしたがって部分的に紹介しておく。

《高見順の没後五十年を記念して開催される高見順展に、「文藝交錯」が昭和二年九月の創刊号から、終刊号となった翌年一月の四号まで、揃って展示されます。この雑誌について、私家版で出した拙稿『昭和八年の高見順 上』(平成二十六年 掌珠山房)で簡略に触れましたが、この機会に改めて紹介させていただきます。》

高見は学生時代から作家デビューまで八誌とも九誌とも言われる雑誌の創刊に関わった。その二番目が東大入学間もなく創刊された「文藝交錯」だそうだ。浦和高校出身の川田正道と半田祐一が誘った。

《川田の作品が上司小剣から褒められ上々の滑り出しと思えたのですが、その川田が十一月、富士山麓の温泉宿で情死しました。相手は大学赤門前のカフェ松田のマダムの娘。この店はレストランとしても営業していたのか、創刊号から三号までの裏表紙には〈西洋御料理 松田川〉として広告が掲載されています。古い雑誌を手にする愉しみの一つは、作品以外の記事や広告を見ることです。》

《古本屋の広告は、発売所を引き受けてくれた南神保町の地平社書房が本文途中に三ページの目録広告、巻末には白山下の素人社が二ページの目録を掲載している他、地方の古本屋が名刺広告を出しています。同人たちが高校時代に縁のあった店に頼みこんだのでしょう。表紙裏には大阪の高尾書店とカズオ書店が並んでいます。》

そうだった、この広告をすでに頂戴していた。広告や雑報こそ雑誌の醍醐味である、まったく同感。

高尾書店とカズオ書店が並ぶ広告

[PR]
by sumus2013 | 2015-09-17 21:24 | もよおしいろいろ | Comments(0)

害虫防除

f0307792_19435139.jpg

ロボットじみていてニヤリとしてしまうこの写真。何をしているのかというと……

f0307792_19451736.jpg


土壌消毒であった。上原敬二・加藤常吉『庭園植物の害虫防除』(成美堂書店、一九三九年五月二〇日)より「土壌消毒(クロールピクリン)」。

《クロールピクリンは無色液状で揮発し易く強烈な刺戟性を有する。引火性はなく空気より重い。
 其の瓦斯に触るれば涙を催し、吸入する時は咳を頻発する。本剤が害虫駆除に使用され始めたのは我が国に於ては大正九年以降の事である。強烈な殺虫、殺菌力を有し、貯穀害虫の駆除及土壌消毒に用ひられる。》

劇薬である。なるほど防毒マスク着用もうなずける。今日でも同じような使い方をされているし、また、この農薬を用いた殺人事件さえ起こっているようだ。

クロルピクリン (chloropicrin) は化学式 Cl3CNO2 で表される、メタンの水素3個が塩素に、1個がニトロ基に置き換わった構造を持つ有機化合物。日本では農薬登録されている。別名として クロロピクリン、塩化ピクリン とも。IUPAC名は トリクロロニトロメタン (trichloronitromethane)。》(ウィキ)

読者の方より御教示いただいた。第一次大戦においてドイツ軍が新種の毒ガスとして実戦に用いていたそうだ(「クロロピクリンの毒性」江見富士也、『科学知識』昭和十一年三月号)。

クロロピクリンは戦時に毒瓦斯として使用する許りではなく、最近では平時の用途として穀倉庫の駆鼠除虫、兵舎貨物の消毒等にも使用せられる様になり、平和時に於ても堂々と製造されつゝある禁制品毒瓦斯の一種となつた。

人も害虫の一種である……か。

f0307792_19563537.jpg


f0307792_19563839.jpg


成美堂書店については下記で少しだけ触れた。

尾関正求『再版数学三千題巻之中

今日たまたま張岱『陶庵夢憶』(松枝茂夫訳、岩波文庫、一九九一年三刷)が読みたくなって、開いてみると「金乳生の草花」という文章が目に留まった。そこには明代の害虫駆除の方法が書かれているのでこの『庭園植物の害虫防除』を思い出したというわけである。昔の人はこんなに苦労していた。

《菊虎[きくすい]を捕え、地虫[でむし]を殺し、花の根、葉の裏、千百本からの草木といえども、一日に必ず一度は見廻る。頭に瘤をつくるのは火蟻[ひあり]であり、枝を枯らすのは黒蚰[げじげじ]であり、根を痛めるのは蚯蚓[みみず]・蜒蝣[なめくじ]であり、葉を食い荒らすのは象幹[ぞうかん]・毛蝟[けむし]である。火蟻は〓[さめ]の軟骨と鼈甲をそばに置き、引き出してこれを棄てる。黒蚰は箸の先を麻で包んだやつでこれをせせり出す。蜒蝣は夜中に灯を持って行って殺してしまう。蚯蚓は川水に石灰水を混ぜたもので溶かしてしまう。毛蝟は馬糞の汁で殺す象幹虫は針金の先を磨いだやつを穴に突込んで捜し出す。こうした仕事をみな必ず自分でやり、氷のために手がひび割れても、太陽のために額が焦げても顧みないのである。

ほんとうの自然農法である。


[PR]
by sumus2013 | 2015-09-16 19:59 | 古書日録 | Comments(0)

誠光社

誠光社店長ブログ

噂の書店オープン間近!

[PR]
by sumus2013 | 2015-09-16 08:08 | もよおしいろいろ | Comments(0)

悼む

f0307792_20531703.jpg


『シグナレス』第貳拾号(蒼幻舎、二〇一五年八月三一日、表紙・デザイン=irori)を頂戴した。スタイリッシュな書物、映画、音楽などに関する雑誌である。サイトで内容および配布場所を確認していただきたいが、京都で発行されているようだ。記事、写真、イラスト、レイアウトすべてにおいてこだわり度が高い。

SIGNALESS

f0307792_20532351.jpg
松本完治氏が「アスタルテ書房店主・佐々木一彌氏を悼む」という一文を寄せておられる。

《一九八七年に奢灞都館が神戸から京都に移転したのを機に、生田耕作氏がたびたびアスタルテ書房にやって来られるようになると、店内は生田氏の存在感によって、華やいだ文芸サロンと化したものだった。七時の閉店後に、生田氏や佐々木氏らとご一緒に、幾度、先斗町の「安達」など、花街のお店へ繰り出したことだろう。生田氏を中心に、その酒席は文学・芸術の談論風発、たびたび深更に及んだものだった。

生田氏と佐々木氏の蜜月時代の華やかさがしのばれる。

***

『大和通信』第百一号(海坊主社、二〇一五年九月二〇日)も頂戴した。中尾務さんが「庄内さん」という追悼文を寄せておられる。

《七月七日、庄内斉、没。
 膀胱ガンで二年余闘病。享年六十七歳。このくらいの没年齢には、ちょっととまどわされる。》

《〈映画と音楽が大好きな夫でした〉
 これが喪主・庄内千世さんの一行だけの挨拶文。
 たしかに庄内さんは、映画とジャズにめっぽうくわしく、その方面で彼をしたう後輩も多かったが、こちらは庄内さんのあとひとつの趣味、古書という面で教えを受けた。
 庄内さんは、ちょうど十年前、天神橋筋六丁目にブックカフェ&バー・ワイルドバンチをオープン。あつかう書籍は、庄内さんが長年にわたって集めた古書のみ。
 庄内さんの古書歴は、六十年代半ば、旭高校時代にはじまる。高校に近い千林の古書店から蒐集の範囲をひろげた。同志社にすすむと、古本屋のほかに映画館とジャズ喫茶が経めぐり先となり、京阪神三都をまたに忙しい学外生活をおくることになる。》

自主上映組織「シネマ自由区(フリーク)」設立(一九七四年)、映画館勤務、経理マンを経て、増え続ける古書をかかえた結果ワイルドバンチ開店にいたる。

《ワイルドバンチで入手したもので忘れられないのは、田中小実昌の『かぶりつき人生』『かぶりつきバカ』の二冊。『人生』は、小実昌著作(翻訳を除く)の第一冊目。『バカ』は、第三冊目。新書サイズのこのレアな二冊をガラスケースに見たときは、ほんと驚いた。あとで聞くと庄内さんは二冊とも売る気はなかったそうだが、狂喜乱舞のこちらは庄内さんのそんな内面を忖度することなく値をつけてもらったというわけだ。》

小生、ワイルドバンチには行きそびれた。みずのわ出版の本も扱ってくれたし、たしかお便りを頂戴したこともある。どうもブックカフェ&バーというのが苦手だったからなのだが、中尾さんの文章を読んで後悔を募らせている。ぜひとも出かけておくべき店だった。


[PR]
by sumus2013 | 2015-09-15 21:50 | おすすめ本棚 | Comments(0)

小島信夫集

f0307792_19424594.jpg


「新鋭文学叢書3小島信夫集』(筑摩書房、一九六一年一月一五日)。書影の森 筑摩書房の装幀1940-2014』には選ばれていないが、なかなか凝った本である。装幀は原弘・白井正治。

f0307792_19490998.jpg
天地木口が黒塗り。表紙は厚め(一ミリ)の板紙に上質紙(今の見本帳から似たものを探すと「あらじま」に近い)の表紙を貼付け、同じ紙の色違いを見返しに使っている。ハードカバーの厚みをそのままソフトカバーに持たせたアイデアだが、背も厚いのでしなりが悪い。ただその割にはノドの開きはまずまず。箱と表紙を同じデザイン(色違い)にしたのもちょっとした工夫である。

f0307792_20004277.jpg
別丁扉はアート紙にモノクロ。このベタの白黒コントラストは一九六〇年代らしい雰囲気。つづいて口絵写真で著者近影。目次が一頁、このレイアウトは今見ると新鮮。活字の大きさが数字以外は全て同じというのも目新しい。

f0307792_20045902.jpg


f0307792_20072624.jpg
当然、奥付もそれなりに凝っており、検印紙をまだ使っているのにもオヤと思う。

f0307792_20085313.jpg
荻窪・岩森書店のレッテル付き。

かなり久しぶりに小島信夫を読み返した。やはり「小銃」がいい。ちょっと作り過ぎのところもあるが。以下の文章は「星」から。

《終戦になったとき、猪間大尉は、戦争は終るわけはないと云いました。大尉一人でも攻めて行く勢いだったからです。いや大尉が行けば当番の僕は、どうしても行かずにおられるでしょう。しかし大尉はその後、自決することにしたといいました。そのうち彼は共産軍に入るからお前も行かないかと誘いました。共産軍に入ると三階級はとんで、大尉は大佐になり、僕も下士官ぐらいにはなれるというのです。》

《僕が英語の仕事をするようになったのは猪間大尉がどなりつけるようにこう云ったからなのです。
「お前は今日から英語を思い出せ。いいか、どんな事があっても思い出すのだぞ。そのつもりになれば人間なんでも出来る」
「どうしたら思い出せるでしょうか」
 僕にアメリカのことを忘れよ、と日夜精神訓練を行ったのは猪間大尉本人ではありませんか。つい先日まで攻撃をもくろみ、自決だと云い、現在は逃亡を企てかねない猪間大尉の口から出た言葉なのです。

《僕は猪間大尉と相談して(いや彼が日本語の教材を作ったのですが)次のような内容の英語をプリントしました。
 曜日、月の名、階級名、部隊名、兵器名
 貴官はアメリカ軍人ですね。自分は日本陸軍大尉猪間伍六であります。
 それは間違っています。信じられません。
 それはどこから聞きましたか。
 ようこそ。御用件は何でありますか。
 どういたしまして。
 我が軍は勇敢でした。貴軍もそうでした。皆自分が悪いのです。
 罪のあるのは某々です。
 部隊は×所に×万残留しています。
 糧秣はあります。ありません。
 酒をたしなみますか。
 捕虜はどのように取り扱われますか。
 自分は戦犯になる筈はありません。》

おお、日米会話手帳の大ヒットはすでに予見されていたということだ! 

『日米會話手帳』(科学教材社、一九四五年)

それにしてもサイテーだな。このサイテーが戦後日本を作ったということになる。危ういのももっともだ。

[PR]
by sumus2013 | 2015-09-14 20:37 | 古書日録 | Comments(0)

拳山樵謹画

f0307792_19484309.jpg

肖像画の軸を求めた。髷を切っているので明治初め頃のものか? 賛や説明文は何もなく、署名は拳山樵謹画、印は「木洗和印」と「子龍」である。画風は川原慶賀あたりの和様折衷派に似ていなくもない。手には洋装本、白いシャツを身につけ革靴を履いている。椅子も洋風である。紋付の紋は丸に十五枚笹。この紋の代表は今川氏の庶流で徳川家康に転じた旗本高林家らしい。

f0307792_19533147.jpg


f0307792_19533518.jpg


f0307792_19533940.jpg

f0307792_19534241.jpg


f0307792_19534535.jpg

筆致はプロフェッショナルではないように思える。しかしそれはそれなりに描き馴れている。色使いや線描に作者の優しさが宿っているようだ。言うまでもないが、捨て値なのだ、こういう軸は。それも有難くうれしい。


[PR]
by sumus2013 | 2015-09-13 19:54 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)