林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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<   2015年 08月 ( 33 )   > この月の画像一覧

夏の手帖 中松商店

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2015年8月21日(金)ー30日(日)
13:00-18:00 会期中無休

 銀座 中松商店
〒104-0061 東京都中央区銀座 1-9-8 奥野ビル313号室

***

佐野繁次郎の素描が出展されている。佐野が得意としたパリの街景である。こういうの一点欲しいなあ……


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by sumus2013 | 2015-08-13 19:57 | もよおしいろいろ | Comments(0)

駒井哲郎展

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『第17回オマージュ瀧口修造 駒井哲郎展』(佐谷画廊、一九九七年七月一日〜三一日)図録。『幼年画』を紹介したとき駒井哲郎に触れたから、というわけでもないだろうが、書棚整理中にこんな図録が出てきた。佐谷画廊の図録は洒落た装幀である。デザイナーが誰なのかは明記されていないが、画廊主のこだわりがあるのだろう。

オマージュ瀧口修造とあるように駒井哲郎を引き立てたのは瀧口である。駒井美子のエッセイ「1950年代の瀧口修造と駒井哲郎」に駒井のR夫人宛書簡が引用されており、次のように書かれている。

《12月16日[一九五〇年]瀧口氏が会いに来て、僕の春の作品をもう一度全部見たいといってきたので見せた。瀧口氏はもう可成りの年輩の人で慶応の英文科を出たそうだ。とてもおとなしい人で、にやけていなくて感じのよい人だ。もう頭は白くなりかかっているけれど。詩も書くそうで詩集を出すような時には、是非挿画をたのむとのことでした。それでとにかく、〔白い黒ン坊〕其他を、すいせんしてくれるようにたのんでおきました。》

かなりの年輩と言っているが、瀧口まだ四十七歳。駒井は三十歳。瀧口の詩に駒井の挿画という企画は実現しなかったにしても二人は急速に親しくなる。

《駒井は翌年[一九五四年]3月からパリに留学し、55年に帰国した。あくる年10月、結婚したのだが、結婚式では瀧口先生にお祝辞を頂いた。岡鹿之助先生、堀口大学先生にもお言葉を頂戴したが、三人ともお声が小さくて、マイクもないし、どんなことをおっしゃっていただいたか全然分らなかったのは、今でも残念でならない。仲人をたてない人前結婚式だったから、私はこのお三人をお仲人と思わせていただいている。》

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『銅版画作品集』出版記念会場にて1973年 右から岡鹿之助、瀧口修造、駒井哲郎


久しぶりでこの図録を眺めていると、図版の最後のところに一九六一年の暑中見舞(エッチング)が掲載されているのが目に付いた。フランス語で詩のようなものが書き付けられている。

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     A Monsieur Ooka

La Main

En été ma main
Est foisonnée de cheveux
Lourdie comme la jambe

En été ma main
Ne caresse jamais
Attaque seulement
Ton coeur violemment

    Tetsuro Komaï


大岡信宛である。大意は「夏、わたくしの手は毛むくじゃらになり足のように愚か//夏、わたくしの手は決して愛撫することなく、ただおまえの心を荒々しく攻める」……なかなか。

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by sumus2013 | 2015-08-12 20:50 | 古書日録 | Comments(4)

下鴨納涼古本まつり2015

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午前十時少し過ぎに下鴨神社に着いた。空は翳っており、そう酷く暑くはない。到着早々のぞいた某店の画集コーナーで、画集ではなく額入りのインド民画を発見。ご主人が「これは安いよ〜」と太鼓判を押すので買うことに。大判画集程度の値段だったが、そうは言っても軽い財布、本日の予算は到着後十分ほどで消費してしまった。あとはぶらぶら流して歩いただけ。外国の人たちが目立つ。西洋人も多いが、やはり買っているのは中国の人のようだ。歩くだけとは思いつつ何十万冊もあればどうしても何がしか目にとまる。つい二冊買ってしまった。そろそろ正午、日が照りつけ始め、人も多くなり、埃と熱暑に閉口。まずまずの収穫ということで本日は引き上げる。

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by sumus2013 | 2015-08-11 19:36 | 古書日録 | Comments(0)

飯田淳次さん

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古書月報』414号(東京都古書籍商業協同組合、二〇〇六年二月)に「記憶に残る古本屋第十二回/鶉屋書店 飯田淳次さん」という座談会記が載っている。出席者は青木書店、石神井書林、新生堂書店、浅草御蔵前書房の各店主。これは鶉屋書店についてだけでなく戦後の東京の古書業界の変遷を知るうえでも貴重な内容だった。

なかではやはり石神井書林さんの発言が印象に残る。石神井さんは昭和五十五年に独立した。

《私も最初から詩集をやっていましたが、あまり智恵もなく高いものは買えませんから、マイナーなものを買っていたのです。そしたら、店員時代の友愛書房の主人が私を喫茶店に呼んで、「お前平気か。みんながお前のこと頭が変だといってるぞ。ゴミみたいものを高く買っていて、変だと言われているぞ」と言うんです。そのときたまたま喫茶店の席の近くに飯田さんがいらして、「友愛さん、あれでいいんだ。こいつはいいものを買っているよ。だからこいつは頭が変じゃない」と言ってくれました。》

石神井さんはその後初めて作った古書目録を持って飯田を訪ね、こうさとされる。

《最初に言われたことは、今日買った本を明日売るようなことは絶対するな、金がないんだから買い間違いをすることはある、だが、損をしたから明日安く売ってしまおうとしてはいけない、それをとにかく調べなさいと。調べていけばいろいろ覚えられるんだ、だからすぐ売ってはいけない。飯田さんはそのとき、本屋の目録というのは一種の研究発表のようなものなんだ、そういう風に調べたものが一冊の目録になるんだ、最初はこういう目録でいいけれど、研究発表をするような目録を作れるようにならないといけないって。》

近代文学古書目録石神井書林・在庫書目第参号

飯田は昭和五十六年に倒れ闘病を余儀なくされた。昭和五十七年と六十年に在庫処分市を開く。石神井さんはそれを手伝った。

《鶉屋さんはとてもマイナーなものが得意だったなという印象があります。つまり表通りのものだけにくわしいのではなくて、裏通りの本というのですかね、マイナーで有名でない、夭折した詩人で一冊しか残っていないみたいなものをとても大切にされていました。》

つまりゴミの真価を知っていたわけだ。

《飯田さんは二回古書目録を出されています。それにはもう日本の近代詩の主要なところが載っているんですね。逆に言うと日本の近代詩の逸品はあの薄い目録に入ってしまうぐらいの量しかないということです。》

《ダンボール十箱もあれば入る量なんですが、それを一回目の売り立てではあれだけの量にまで広げ、しかもゴミがない。つまり、飯田さんの中に、体系的で緻密な近代詩のすべてがあったということです。今そんなことできる本屋さんはどこにもないでしょうね。》

鶉屋書店の古書目録

肝に銘じたいのは次のくだり。病の飯田を石神井さんは見舞った。

《飯田さんは市場がお好きだったから、少し安心されるかなと思って、「市場は最近あまりいいものが出ません」と言ったら、怒るんですよ。「市場というのは油断していてはいけないところなんだ。昔、市場でちょっと油断したために三木露風の第一詩集『夏姫』を買い逃したことがある。それはあのとき一回きりのチャンスだったんだ。市場で何もありませんなどと、お前の歳で言うようなやつは……」と言って、涙をポロポロと流されるんですね。》

納涼古本まつりも、この気持ちで出かけなくては…。



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by sumus2013 | 2015-08-10 20:26 | 古書日録 | Comments(5)

LEONARDO

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書棚整理中になつかしきルートヴィッヒ・ゴールドシャイダー『レオナルド LEONARDO PAINTINGS AND DRAWINGS』(PHAIDON PRESS, 1969)を見つけた。なつかしき、というのは一九七八年頃に阿佐ヶ谷駅北口すぐの千章堂で購入したものだとはっきり覚えているからだ。北口のアーケードを入ってすぐ、当時はまだ静かな、というか、ややうらぶれた感じが漂っていたように思う。現在はまったく変ってしまっているようだが。この画集がいくらだったか…とにかくシンとした店内で店主の目を気にしながらかなり長い間躊躇した末に買ったのだからそれなりに高価だったのだろう。とはいえそう珍しい本でもなく、ただただ貧乏だったのである。

ゴールドシャイダー(Ludwig Goldscheider, 1896 – 1973)はウィーン生まれ。出版人、歴史家、詩人、翻訳家。一九二三年にパイドン・ヴェルラグ(Phaidon Verlag)をベラ・ホロヴィッツ(Béla Horovitz)らとともに設立し、高級な美術書、建築書を出版することでヨーロッパ中に知られていた。一九三八年、オーストリアにナチの影響が及ぶに至ってイギリスへ移住。新たにファイドン・プレス(Phaidon Press)を興しゴンブリッジ『芸術の物語 The Story of Art』をはじめとする多数の美術書を刊行した。以後三十五年間にわたってゴールドシャイダーは著者、編集者、デザイナーとしてファイドン・プレスとともに歩んだのである。(英文ウィキによる)

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本書はレオナルド作とみなされる作品(素描、彫刻を含む)を網羅して掲載している。ヴァザーリをはじめとする主要な評伝も収められている。

《秩序だった伝記と作品図版の註釈は読者に対してレオナルドに関する論争の迷路を通り抜ける道を教えるだろう、もし読者がなるだけ遠くまできわめたいという情熱と好奇心をもっているなら。実際のところ、図版、ヴァザーリによる伝記やその他の伝記的な記述は誰にでも本書によって自分自身のレオナルドについての本を書き上げることを可能にする。》(序文)

というくらいアール・アバウト・レオナルドの情報が詰まった一冊。このくだりを真に受けて小生も当時、レオナルドについての論考のようなものをこの画集と二、三の和書を参考にして執筆したような記憶がある。杉浦明平訳『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』(岩波文庫)も読んだが、どんなものだったか。現在では手稿の完全な解読が進んでいるようだからまた違った解釈ができるかもしれない。レオナルドに関する新しいエビデンスはそうそう現れないにしても今日ではエビデンスの掘り下げ方は微に入り細にわたっている。例えば「岩窟の聖母 Madonnna of the Rocks」の下に別の絵が隠れていたことが赤外線検査で発見されるとか、そういうレベルらしい。

《本書の初版は第二次世界大戦の始まった頃に準備され、一九四三年に出版された。それは本書よりもやや大きな判だった。次の刊行において判型は変わったが、図版のサイズは同じであった。図の選択も二十五年間に版を重ねるごとに少しずつ変更された。本書はおそらく最終的な決定版となるであろう。》(序文)

編輯内容や図版のチョイスはさすがに自負するだけのことはあるが、昨今のみょうにクリアーなデジタル印刷からすれば図版はやぼったく見劣りする。ただしカラーのグラビア印刷らしい独特の味わいは捨てがたく、結局のところ「何とも懐かしい」という感想をつい洩らしてしまう。

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by sumus2013 | 2015-08-09 21:22 | 古書日録 | Comments(0)

書影の森;書評集

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*臼田氏より書評記事コピーを頂戴した。

『出版ニュース』二〇一五年八月上旬号。桂川潤「装丁|『書影の森』(みずのわ出版)について」。《五月下旬、刊行を記念して、臼田さん、筑摩の名編集者として知られた松田哲夫さん、装丁家の多田進さんの三人によるトークライブが開かれた。ここしばらく「紙の本」を巡る著作を精力的に上梓されている臼田さんは「いま紙の本についてきっちり記録しておかないと、本づくりの心と技が忘れ去れてします」という強い危機感を抱かれているようだ。》《筑摩装丁では、表面的なデザイン技法ではなく、本をまるごと編んでいく力が求められた。多田さんが「筑摩には文字を読むだけではないすぐれた編集者がたくさんいた。それに尽きる」と語っていたのが印象的だった。》


『東京人』二〇一五年九月号「今月の東京本」コーナーにて。《社内装幀の歴史からはじまり、幾多のデザイナー、編集者らの紹介をとおして、筑摩装幀の豊かな系譜を展望する》。

そして臼田さんが『東京人』に執筆された「活版印刷よ、永遠なれ!」。《紙の束からなり、モノとしての魅力をたたえる書物の吸引力は装丁に大きく依存している。電子書籍にない魅力であり、装丁家に求められる責任はますます増している。》



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*長野県の地域新聞『市民タイムス』(六月一三日)に紹介していただきました。


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*『書影の森』の書評がいつくか届いた。まず臼田さんの郷里、そして筑摩書房創業者の地元でもある信濃毎日新聞(二〇一五年六月四日)。「「筑摩らしさ」装丁の魅力 佐久出身臼田捷治さん「書影の森ー筑摩書房の装幀」刊行」としてカラーで五段にわたって紹介されている。『マラルメ全集』の写真は迫力あり。


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*六月七日の東京新聞、読書欄。『安曇野』のカラー写真入り。


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*そして六月七日の読売新聞。上の写真左のファクス紙がそれだが、別に某氏がメール添付で送ってくださった。感謝です。評者は平松洋子さん。


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*既報五月二十一日の日経新聞「文化往来」も送ってくださった方があるので紹介しておく。五月三十一日の朝日新聞にも紹介されている。『サンデー毎日』では岡崎氏が取り上げてくれた。深謝。


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*六月五日付『週刊読書人』にも。


*白水社『パブリッシャーズ・レビュー』の「愛書狂」でも取り上げていただいています。


*『本の雑誌』七月号、日下潤一「装丁・がんこ堂」にて取り上げていただきました。最初の方にある《『佐野繁次郎装幀集成』 は私のバイブルだ》はうれしい言葉。『書影の森』についてはなかなか厳しい発言も出ているが、《なぜこの本をつくるのが筑摩書房ではないのだろうか》は誰しも思うところではないだろうか。



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by sumus2013 | 2015-08-08 19:31 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

幼年画

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原民喜「夏の花」は新潮文庫(『夏の花・心願の国』)で読んだ。やはり暑い夏だったと思う。その後、晶文社版『夏の花』(一九七〇)と出会い、その駒井哲郎による美しい装幀に魅了されてずっと棚に挿していた。駒井はモノタイプという技法で色彩豊かな版画作品をいくつか作っているが、そのなかの一種で函が飾られている。緑の画面にうすい黄色の花が浮かぶ図である。

本日届いた原民喜『幼年画』(サウダージ・ブックス、二〇一五年八月五日)、解説で田中美穂さん(蟲文庫さん)がやはりこの晶文社版『夏の花』に魅せられて原民喜を再発見したことを記しておられる。

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《読み直すきっかけになったのは、一九七〇年に出された晶文社版『夏の花』だった。駒井哲郎による函入りの装幀にひかれ古本屋で手に取った。それまで持っていた、いわゆる原爆小説のイメージとはまったく違う、静かで美しい佇まいにいくらか驚きもして、興味をひかれたのだ。》

さらにこの本には続きがあった。

《ところで、その本は事情があって一度手放したのだが、数年前、旅先の古書店で函の欠けた状態のものを見つけて買い求めた。水色のクロス装がなつかしかった。そして不思議なことに、しばらくして、自分の店のお客さんから「これ、中身ないんだけど、捨てるのも惜しくて」と遠慮がちに差し出されたのは、まさにあの『夏の花』の函だった。》

旅先の古書店は善行堂だそうである。

「幼年画」は、原爆以前に書かれた初期の作品集で、これまで全集にしか収められていなかった。タイトルのとおり、おそらくは誰しもが持っていたはずの「幼き日」の記憶が、春から夏にかけての瀬戸内海のやわらかな風土とともに、せつなく美しく描かれている。

《「幼年画」はこれが初の単行本化となる。拾遺作品として、「幼年画」のほぼすべての作品に登場する「雄二」が主人公の「潮干狩」を加えた。昭和一四年に発表されており、これらの作品とは同時期のものである。

ということで、美しくも幻想的な作品群である。どう美しく幻想的なのかは、読んで頂く他ないが、明治末から大正初期頃の風景が、人々が、泣き虫の雄二が、色も鮮やか、眼前に浮かび上がってくる。闇の深さや土の匂いまで。映画的であることと関連してシュルレアリスムからの影響も考えていいかもしれない。珠玉という言葉がこれ以上似合う作品群はそうはないだろう。この夏、イチオシ!

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by sumus2013 | 2015-08-07 21:07 | おすすめ本棚 | Comments(0)

帝国軍隊に於ける学習・序

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暑いなかで富士正晴を読んでいる。富士の戦争ものはほとんど読んでいなかったので暑気払いのつもりで。戦記文学に往々見られる自己正当化がきわめて貧弱であり、あまりに自らを下等の兵隊と定義することが極端なため、かえって疑わしいほどである。

富士の筆は日本の兵隊たち個人についてとともに、特別な愛情をもって中国庶民を生き生きと描き出す。苦力(クーリー、徴発農民)と呼ばれる荷運びや雑役を行う地元の人々、老人や少年、女。盗賊団同様の帝国陸軍に散々にこきつかわれる素朴な(そしてしたたかな)人々だ。明らかに彼らの方が日本兵よりスケールが大きく描かれている。この視点こそが富士の真骨頂であろう。

それにしても富士の所属した陸軍は現代で言えば例のイスラム国とほとんど変らなかった。

《わらわれは何時も人さらいであった訳ではない。けれど、米や弾薬や日用品を運搬する手が足りない時には、遠慮もなく行きずりの人や、谷間に逃れてかくれている人を徴発した。われわれ自身が将来に計画をもち、せっせと働いているところを国家に遠慮もなく徴発された覚えのあるものであり、そのために現在こうして言葉も判らぬ大陸に渡り、そんな仕事をやりたいと露思わない殺人強盗強姦空巣放火家こぼちの職業につかされているのであって見れば、他人がわれわれにさらわれることなどに全然何の印象も反省もないのも当然のことと言えるだろう。すべてはなれ[二字傍点]である。習慣というものは反省など入りこむすきはないものだ。》(素直な奴)

富士の戦争小説(本当の意味での小説ではないかもしれない、「野火」などと較べるとそう思ってしまう。これは富士の文学的な性質の問題であろう)を読んでいると、どうしても洲之内徹の戦争小説を思い出さないわけにはいかなかった。むろんそれはこれまで小生がいちばん熱心に読んだのが洲之内の戦争小説群だからである。富士が洲之内徹を読んだらどうかな、きっと面白がるのではないかな、などと思いながら読み進めていると、まさにピッタリな言及があった

《最近、現代書房から出た洲之内徹の『棗の木の下』という戦争小説を読んだ。洲之内徹はわたしのような平凡な一兵卒としてでなく、兵団の上級司令部である第一軍司令部の佐官待遇の軍属であり、対共調査班の班長であり、その司令部のあった山西省太原で、司令部の外の街のなかに公館を持ち、主として元中共兵の俘虜である班員たちと一緒に、そこで起居していたという特殊な戦争参加者なのであった。そうした中共兵の俘虜を使っての特務工作の戦争小説であり、いわば私小説的なと、けなされそうな面もあるのだろうが、この複雑できめ細かい良心的な転向者の班長の小説は実に面白かった。》(戦争小説ーー私の場合)

洲之内の戦争小説をここまで褒めちぎっている文章は初めて読んだ。たしかに富士が関心するような面もあるかもしれない。しかし洲之内の小説の本質は芥川賞候補になったとき審査員の宇野浩二が切って捨てた言葉「自分ひとりを大事にしすぎる」……これに尽きると思う。逆に言えば、富士にはこれが無さ過ぎる。小説というのは結局そこに極まるのではないか。過ぎたるは及ばざるがごとし、とはけだし名言なり。





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by sumus2013 | 2015-08-06 20:20 | 古書日録 | Comments(6)

葡語自由自在

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本日も暑い。整理進まず。他事もある。そんななかこんな本を見付けた。ずっと紹介しようと思いつつどこかへ仕舞い込んで行方不明になっていた一冊。『葡語自由自在』(葡語研究会、一九一七年七月一五日)。葡語研究会の住所は聖市エルネスト デ カストロ街一八、発行兼印刷者は金子保三郎。金子はリオの農業道場出身で一九一六年に輪湖俊午郎とともに日伯新聞を創刊している(一九一九年に三浦鑿が買収)。

日本からブラジルへの移民は一九〇八年に始まり、一九四二年から戦争のため中断していたが、五二年再開、九四年に国が関わる移民が終了するまで約二十六万人が日本からブラジルへ移住した。二〇〇八年の百周年の時点でブラジルには百五十万人の日系人が住んでおり、六世まで誕生した。また日本の日系ブラジル人は約三十一万人、日本から移民した人数をすでに五万人も超えている。

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緒言にいわく

《言語の上より言へば日本人程此国に於て不利益な地位にあるものはない。しかも吾人はなにか或る事をせねばならぬ小なり大なり成功せねばならぬ而て成功の初めは言葉である成功の終りも言葉である。研究の必用は茲に生ずる而て何れの場所でも何れの時でも研究の出来るのは実に語学の特色である。要は本人の心掛け一つである而て本書はポルトガル語の研究を刺戟すると同時に必用なる基本観念を吹き込み実用と興味を与へて読者をしてやむにやまれぬ様に仕向けたいのである》

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内容はアー、ベー、セーから始まって文法、単語、そしてすぐに使えるシチュエーションでの会話集という構成になっており、やや荒っぽい印刷だが、公式移民開始から八〜九年の時点では必需の一冊になっていたかもしれない(あるいは類書が多数あったか?)。

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by sumus2013 | 2015-08-05 20:23 | 古書日録 | Comments(0)

チューリッヒ年代記

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本棚を整理しているといいながらも、何も買っていないわけではない。最近届いたのがこの『TZARA chronique zurichoise 1915-1919』(Crisnée, Editions Yellow Now, 1979)。一九二〇年に発行された『ダダ年鑑』(DADA ALMANACH IM AUFTRAG DES ZENTRALAMTS DER DEUTSCHEN DADA-BEWEGUNG)からトリスタン・ツァラが執筆した『チューリッヒ年代記 1915-1919』だけを抜き出して復刊した三十頁ほどの小冊子。解説文にわく、

《それはチューリッヒだった、ツァラの最初期の著作が現れ、キャバレー・ヴォルテールの夜会で擬音音楽、同時ポエム、黒人の歌が朗唱されたのは。同時にアナーキストの印刷者ホイベルガー Heuberger の協力による雑誌『ダダ』も登場した。》

本家の『ダダ年鑑』はこちら。Abebooks に出ているが、さすがになあ……のお値段だ。

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by sumus2013 | 2015-08-04 21:00 | 古書日録 | Comments(0)