林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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浮田要三の仕事展

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7月28日〜8月23日

大阪府立江之子島文化芸術創造センター
http://www.enokojima-art.jp/e/


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江之子島へ。「浮田要三の仕事展」。明日までということでギリギリになってしまったが、見られて良かった。素晴らしく気持ちの良い展示だった。強烈なキャラクターが揃っている具体のメンバーとしては目立たない存在だったかもしれない。作風も奇をてらうようなところは全くなく、その分どこかで見たような造形にはなっているものの、それはそれで浮田氏の個性として消化されている。材質としてもキャンバスに油絵具が基本になっており、その意味でもオーソドックスな仕事。目先をくらまそうとしていない分だけ浮田氏の人間性というものがストレートに出ているとも言えよう。八十歳代の作品もあった。まったく年齢を感じさせない。いい作家である。

浮田氏には生前一度だけお会いしたことがある。そのときの様子はすでにブログに書いた。

『ボマルツォのどんぐり』出版記念会


また大阪福島のラッズギャラリーでは浮田要三遺作展が始まった。

浮田要三遺作展
2015年9月22日〜29日
ラッズギャラリー

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by sumus2013 | 2015-08-22 19:42 | もよおしいろいろ | Comments(2)

漱石詩注

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吉川幸次郎『漱石詩注』(岩波文庫、二〇〇二年)読了。戯れに漱石詩を墨書して読書用のカバーとしてみた。

漱石の漢詩、内容はたいして難しくはないけれど(小説と同じく表面はともかく底流は重く暗く息苦しい)文字遣いはやたら難しい。どうも五山あたりの漢詩群が漱石にとってひとつの目標になっていたらしく、室町時代に日本にやって来た中国人僧たち、およびそれらを直接模倣した日本人僧侶らの前衛性、抽象性に近いものを見る。ただ、本書は漱石の漢詩を読む本ではない。吉川の註を読むべき書である。吉川の漱石詩に対する感想は以下のようである。

《いわゆる日本漢文、日本漢詩では、断じてない。のちに述べるように、中国人で先生の詩を激賞するものがあるのは、何よりもそれを語る。》

《その正確さは、同時の職業的な漢詩漢文家のあるものよりも、むしろ上にあるとさえ見うける。ただその詩の語彙が、同時の職業的な漢詩人ほどに華麗でないのは、やむを得ぬことであった。また漢詩の成立に不可欠の要素である典故、classical allusion, その使用も、非専門家の限界をこえない。それらの点で、結局は素人の漢詩であるという要素をもつ。》

華麗でない」のは意図的であったろうと思う。典故についても一般的なものは極力避けているのではないか。これに続いて吉川は漱石の創作における漢詩の重要性(真剣に作詩したこと)およびその漢語の詩として、とりわけ思索者の詩としてすぐれていることを漱石詩の重要性として特筆する。そして五山の詩に触れる。

《もし過去の日本人の漢詩のうち、やや例外となるものを求めれば、足利時代、五山の僧徒の詩であろう。上引の池辺三山あての書簡が、国分青崖から借りてほしい書籍について、更に語をつぎ、「然らずば義堂絶海などの集、もし御あきならば拝借願度と存候」といっているのは、興味あることである。義堂周信、絶海中津、ともにいわゆる五山文学の秀才であり、やがて絶海中津の「蕉堅稿」は、先生の愛読書となって、「机上の蕉堅稿」の句を生む(一七五頁)。またもし江戸時代における例外を求めるならば、先生の書法に影響を与えたとおぼしい良寛上人の詩が、その一つかと、思われる。

漱石が良寛の書法を真似ていたとはこれまで考えたことがなかった。漱石の絵の師匠である津田青楓はまさに良寛もどきの字を書いているからその辺りからの影響もあったのだろうか。確かに、そう言われてみると良寛もどきの筆致も見えるが、あまりにすっきりし過ぎているようだ。漱石と良寛ではまったく違う(というか良寛みたいない人間、そうはいない)。だからこそ憧れたのかもしれないが(単に良寛文字の流行だったとも思える)。

《「はやく明治三十二年の「無題」に、「眼には識る東西の字、心には抱く古今の憂い」というように(八四頁)、強力な「二本足の学者」であり思索者であることが、その漢語の詩を、甚だ充実したものとした。つまり先生の漢詩は、局部的には職業詩人に比して素人であったけれども、もっとも大きな点では、かえってくろうとであった。》

《先生の漢詩は立派である。しかしその漢文が、もしずっと書きつづけられていたならば、一そう立派であったであろう。二十三歳の作「木屑録」は、房総旅行の記録であるが、日本人離れのした正確な漢語の措辞と、強烈な描写の意想が、写し難き景を、目前に在るがごとくに、写している。》《このすぐれた漢文、おそらくは明治時代の漢文としてもっともすぐれたものの一つを、この書物に収めることができなかったのは、残念である。》

玄人か素人かにこだわるね。それにしてもちょっと褒め過ぎという気もしないではない。明日以降、もう少し吉川の註について考えてみる。




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by sumus2013 | 2015-08-21 21:25 | 古書日録 | Comments(2)

二枚の写真

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葉書ほどの大きさ(16.5×10.7mm)の台紙に張られた明治の写真を二点入手した。一枚は大きな川で小舟に立ち棹を差す男。裏面は桜花の絵入り装飾とともに次の文言が印刷されている。

BICHITSU
Shashin
Hanbai
東京本郷龍岡町三六
廣福堂
写真ハ、貴顕紳士、其他、三都美人、俳優、諸芸人、付属品ハ、写真建、写真帖 額面大小各種、画ハ、油画、絹画 チヨーク画

非常に興味深い。《BICHITSU》は「美術」だろうが、この綴りは「ビチツ」? 本郷龍岡町は現在の本郷〜湯島。当時は写真店で《油画、絹画、チヨーク画》も販売していたのだった(おそらく洋画を販売する専門の画廊というものはまだ存在していなかった?)。洋画家と写真家を兼ねていた横山松三郎らが活躍した明治初期からの伝統を感じさせる。

もう一枚はこちら。今尾景年作の「泰西孔雀図」の複写。同じ題名の作品が『名家美術画帖』(太平泰三、一九〇〇年)に掲載されているので、あるいは同じ作品かもしれない(同書は国会図書館デジタルコレクションながら閲覧は館内のみ)。それならば明治三十二年頃作ということになる。

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京都市新京極通三条下ル
写真師
岡崎一直製

岡崎は京都の写真師としてはひとかどの人物だった。明治二十七年には成井頼佐らとともに同業者十数名で「四季会」(後「二李会」)を組織した。明治三十五年に北野天満宮千年祭に際して宮司吉見資胤が作製した『北野天神縁起』(絵巻の複製)を撮影している。絵画の複製を得意としていたのだろう。また大正六年発行の桑田正三郎『月の鏡』(全国写真師列伝)には現存写真師を扱った第二部に登場している。




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by sumus2013 | 2015-08-20 21:06 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

タリスマン

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サー・ウォルター・スコット『ザ・タリスマン(護符)』(FRANKLIN SQUARE LIBRARY No.78, HARPAR & BROTHERS, October 3, 1879)こちらも整理中のみっけもの。むかしむかし、東京の古書会館が工事中だったとき竹橋近くのビルで即売会が開催された。そのときにアルカディア書房の棚で求めた。ボロボロなので安かった。組版の参考になるかなと思って購入したのだと思う。本文組みはこのようなタテ三割で、新聞紙のようである。寸法はおおよそタテ28センチ、ヨコ21センチ。ほぼA4判。

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『護符』(一八二五年に十字軍物語 Tales of the crusaders 第二話として出版されたのが初出)は第三次十字軍におけるイギリスのリチャード獅子心王とシリア王サラディーンの戦いを史実に基づきながら騎士道エンタテインメントとして描いている。スコットはエジンバラ出身、当時のベストセラー作家・詩人で現在でも人気があるようだが、タリスマンにおいては当時のヨーロッパ列強の中東への関心を十字軍に置き換えたところがミソであろう。本書巻末「THE WAVERLEY NOVELS」の広告にはスコットの似顔絵と紋章まで印刷されている。

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ハーパー・アンド・ブラザーズ社はジェイムズとジョンのハーパー兄弟が一八一七年に創業(J. & J. Harper)。一八三三年に社名を「Harper & Brothers」に変更し、五〇年に『Harper's New Monthly Magazine』、五七年に『Harper's Weekly』、六七年に『Harper's Bazar』そして七九年に『Harper's Young People』などを創刊した。

FRANKLIN SQUARE LIBRARYというシリーズは一八七八年にスタート。一八九三年終刊までに七五八冊を刊行したそうだ。『タリスマン』はたったの十五セント。ダイム(十セント)ノヴェルにはかなわないにしても大手出版社としては頑張った値段設定だろう。例によってハーパー社も海賊版には相当手を焼いたらしいが、ただ当時としては海賊版対策に力を注いで成功していたという(詳しくは Christine Bold『The Oxford History of Popular Print Culture』Oxford University Press, 2011)。

ダイム・ノヴェル

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by sumus2013 | 2015-08-19 20:10 | 古書日録 | Comments(0)

吉村昭資料集2

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『吉村昭資料集2』刊行

《著作年表 昭和22年から平成26年までの、67年間の創作・随筆・対談等の、全て の活字媒体を、年代別に抽出、表示。初出一覧 約300におよぶ発表媒体を分類・区分表示。巻末に索引あり。著作年表を時間軸(縦軸)とするならば、初出一覧は空間軸(横軸)として、全ての著作をピンポイントで把握できます。『吉村昭資料集1』と併用していただければ、ズバリ吉村昭作品の概要を理解できます。

平成27年8月1日、初版発行 
桑原文明編、吉村昭研究会発行
A5版、183ページ、定価¥1500(送料とも)》

***

本おや古本市
2015年9月11日(金)〜20日(日)
本は人生のおやつです!!

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京都2015レコードマップ
京都レコード祭り・公式ブログ

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by sumus2013 | 2015-08-18 20:45 | おすすめ本棚 | Comments(0)

心月輪

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心月輪(しんがちりん)の拓本を見つけた。良寛書と署名がある。オリジナル(下図)は新潟の分水町牧が花の解良(けら)家に伝わる有名な鍋蓋。このナベブタにまつわる逸話はいろいろあるようだが、いずれもにわかには信じ難い。だいたいがナベブタかどうかも分らないし。
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オリジナルは木目のはっきりした木に彫られているのに対して、上の拓本はくっきりと刷り取られているわりには木目が現れていない。左右に走る割れ目の痕跡も見えないし、オリジナルからの拓本でないようだ。オリジナルを模した石彫か何かから取ったものなのかもしれない。

心月輪というのは密教の修法だという。

密教の金剛界法の修法のとき,行者はみずからの肉団心 (心臓) を円明無垢の月輪であると観じること。清らかに輝く満月は浄菩提心のたとえであるから,観念のなかで満月の姿が完成したとき,自己の菩提心も清浄になり仏の悟りの本体と同一になる。》(コトバンク)

良寛は曹洞宗のはずだが、まあ自由人でもあったから密教に通じていても不思議ではないし、月というのは夜の闇が深かった時代の人々にとってはやはり特別な存在、象徴であったろう。

『良寛詩集』(岩波文庫、一九三九年版)に月の文字を探してみた。数多くあるが、心月輪にやや近いのはこちらか。モチーフは大智度論に出ているそうだ。


 因指見其身
 因身弁其指
 此月與此指
 非同復非異
 将欲誘初機
 仮説箇譬子
 如実識得了
 無月復無指


しかしながら良寛らしいのは晩年作と思われる次の作品。


 雨晴雲晴気復晴
 心清遍界物皆清
 捐身棄世為間者
 初月與花送餘生


雨も晴れ、雲も晴れ、気も晴れて、心も清くてすべての物が清い。自分は身を捨て世を捨て間(閑)者となって初めて月と花とに余生を送る。


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by sumus2013 | 2015-08-17 21:31 | 古書日録 | Comments(0)

徒然草

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「徒然草」と題された草稿。某書店の均一台にて。本文八丁(十六頁)に表紙が付けてある。戯文と狂詩から成っている。

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読めないところはお教え願うとして(御教示いただきました)いちおう冒頭の一頁少々を読んでおく。いきなり書物蒐集について。

一 昔大家の主君志よ志[濁点]やくを吟味して類を集免悉く後の為にはされたれ共後に見る人のなけれハ皆虫の巣と成ぬ越を思ひ見るに半二先生の書籍に心を定し後学の為にのこすと云へ共人心同しからされハ終[ルビ=ツイ]にハ諸虫のすみかとならん嗚呼かなしいかな人の心の不同哉
返答 
一 薄学不才の我等かく申せハちんぷんかんらしく思ハれけれと一寸口をへしあけて申さハ後に見る人のあろとなかろと虫にくわそと火に入と其身ハ正しきを得て死せハ可なり恐らくハ是人たるもの後世子孫のためを思ひ書籍を集め富家の一助ともせんと思ふハ人たるの道なるへし爰を以て思ひ見れハ被温公とか云へる人の勧学の歌にも子を養て教へざるハ父のあやまちなり訓導のいつくしからざるハ師の惰れるなり父教師いつくしんじて学問なる事なきハ子の罪なりとやらんいへりさあれハ人の父たる者書物を集めて子孫の為に一助[改ページ]とも致たき事かと思ひはべる

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戯文から狂詩へ移るところに天保十一子歳三月ヨリ》とある。一八四〇年。ペンネームは阿北斎、兌楽斎、木六斎、典穀斎と四人確認できる。以前紹介した銅脈先生の後継者たちであったかもしれない。

銅脈先生『太平樂府』

遊女などのモチーフが多いが、なかに改革篇と題する長詩もあった。

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冒頭に仁政だとか二百年来奏太平だとか言い出すので頌歌かと思いきや、徐々に政道批判に展開していく。《今度御改革》というのは水野忠邦を中心に天保十二年から始まった「天保の改革」を指すのであろう。徳川幕府は崖っぷちまで来ていた。改革によって不景気風が吹いたことがこの狂詩には軽妙如実に示されている……とすれば、こんな草稿がお上の目にとまったらただごとでは済まなかったかもしれない。それでも敢えて鬱憤ばらしをしていた。町衆(?)の諧謔精神も軽視できない。

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by sumus2013 | 2015-08-16 21:45 | 古書日録 | Comments(0)

THE SIDEWINDER

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市中に所用があって出かけた。ついでにレティシア書房の「夏の一箱古本市」をのぞく。いろいろ欲しい本が並んでいたが、ぐっと我慢する。御存知のように今本棚整理中なのです(それでものぞくだけはのぞく)。結局、ブルーノート・コレクターズ・エディションの「THE SIDEWINDER/LEE MORGAN」(1999, Blue Note Records)を求めた。紙ジャケのデザインにも惹かれたし、何より、しばらくぶりにCDプレーヤーを買ったから何か新しい一枚が欲しかったのだ。ここ何年もCDコンポはラジオとしてしか機能していなかった。新しくやって来たのはソニーのマルチコネクトコンポCMT-X3CD。ご覧のように四角いだけのさっぱりしたデザインが気に入った。お値段もお手頃。身近に置いて聞くのでこのくらいの出力でよろしい(10W×10W)。

「THE SIDEWINDER」は一九六三年にリリースされブルーノート・レーベルでは記録的な大ヒットとなったそうだ(ビルボード・チャート25位)。今聞くと、どうしてこれがそんなヒットするのかよく分らない。8ビートでジャズ・ロック調だったためとウィキに説明があるが、そうなのか? たしかにジャズを越境する感じはある(音楽は素人なのでうまく説明できないが)。SIDEWINDERはヨコバイガラガラヘビのことだが、むろん一九五八年に実戦で初めて撃墜を記録した空対空ミサイルAIM-9のニックネームも連想させる。赤外線感知で追尾する眈々として油断のならない雰囲気がこのアルバムにもあるようだ。

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by sumus2013 | 2015-08-15 21:34 | 古書日録 | Comments(0)

ミステリアス文庫新刊

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盛林堂ミステリアス文庫の新刊二点が届いた。右が谷弘児『探偵陰溝蠅兒シリーズ 零 地獄のドンファン』、左がグザヴィエ・フォルヌレ・富岡宏資訳『草の中のダイヤモンド』。毎回意表を衝かれるが、今回も驚かされた。『地獄のドンファン』巻頭には「悪の華〔献詞〕」デオドール・アグリッパ・ドーヴィニェ『悲愴曲』第二の書よりが置かれており、それは何と高遠弘美訳である。巻末、善渡爾宗衛氏の「だは、蛇足のだ。」によれば《新訳でお願いすることにした》とある。

盛林堂ミステリアス文庫

花咲く乙女たちのかげに I(高遠弘美訳)

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by sumus2013 | 2015-08-14 20:18 | おすすめ本棚 | Comments(0)

夜想

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式場隆三郎『夜想』(大元社、一九四六年七月一〇日、装幀=鈴木繁男)。下鴨で装幀に惹かれて購入。鈴木繁男という名前に覚えがなかったので興味を持った。調べてみると柳宗悦に内弟子として入門した漆芸家で『工藝』の漆による意匠を手がけたりしている。式場と親しくても不思議ではない。

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もうひとつ「咢堂と語る」につぎのようなくだりがあったのをフト認めて買う気になった。昭和二十一年二月、式場は米海軍大尉O・Cや写真家の坂本万七らと熱海の尾崎咢堂を訪ねた。そのときの尾崎の会話が記録されている。O・Cは旧蔵者の書き込みによるとオーテス・ケーリである。祖父が同志社の神学教授で、父親も北海道や神戸で教鞭を執った親日家。ドナルド・キーンと同級生だという。このとき尾崎は自らの議員生活をふりかえっていきなりこう切り出す。

《五十幾年の議員生活といつても、これは失敗の歴史でして、始終虐められて敗北ばかりしてゐました。それでも藩閥を倒しました。むろん先輩その他の助けによることですが……。薩摩と長州といふものを完全に征伐しました。私はその陣頭に立つて一生懸命に働きました。これが一番の私の手柄です。海軍は薩摩人、陸軍は長州人でなければ上の方になれないといふのが、あの明治初年からの日本の情勢でした。ですから明治の末までは、元帥などいふとみな薩摩と長州の人ばかりで他の国のものは決してなれなかつた。》

《それを打破つて、日本人であれば誰でも元帥になれる。つまり元帥を薩摩、長州の手から離してひろく日本のものにした。これを私どもは大層得意にしてゐました。しかし、かうして陸軍と海軍は薩摩と長州の手を離れて日本のものになつたとはいへ、日本の人民のものにはならなかつた。日本全体が薩摩長州の残した形に入つてゐて、それが今日の戦争にまきこまれたのだと思ひます。》

不思議なこともあるもので、この日の夜にどこかのえらい人が長州閥の継続を自慢げに語ったというニュースを見た。尾崎はこの後、日露戦争での勝利が日本人をのぼせさせて狂人にした、それが第二次大戦へ入った原因だと分析しているが、雑駁すぎて論の体はなしていないにしても、これは小生がこれまで何度か書いて来たことと同じである。

それにしても長州閥の永続とは……またまた戦争への道を歩むということを意味しているのか。

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by sumus2013 | 2015-08-13 21:04 | 古書日録 | Comments(0)