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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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猛暑お見舞い申し上げます

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by sumus2013 | 2015-07-31 20:03 | 古書日録 | Comments(2)

彩色ある夢の破片

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石野重道『彩色ある夢の破片(かけら)』(書肆盛林堂、二〇一五年七月二七日)が届いた。これまた意想外の豆本仕立てで夢のかけらを透かし眺めることができるとは思ってもみなかった。

《石野重道 『彩色ある夢の破片』》が無事に出来上がりました。

さまよえる古本屋


例えば「モル博士と、その町」より。

《三人の少女が、アメリカンピンクの帽子をきて、白く、ふち取つたセルジアンブルーの上衣に、ネズミの長靴を軽く穿いて、丁度三匹の胡蝶のやうに三つの家からとび出して、三角のひろ地で、踊りながら歌を、空気にまきつゞける、まはりの家々からは、人々がポコン、ポコンと眺めてゐる。その時、ジヨラル・モル博士は、重い書本を抱いてやつて来た、それから曲り角のテイラーに、入つた、ーーさうして、モル博士は、新しい装ひに外に出て 三人の踊り手は、と云つたやうに、頸をかしげてゐたが、コンクリートの上に、三つのネズミの靴が、彫りものゝやうに残されてあるのを見るのであつた、丸い窓の頭もなかつた、さうして博士の新しいまとひは、はげて古くなつてゐるのであつた。

ジヨラル・モル博士は、書斎に様々の書物にとり囲まれて、さうして古びた一書に、異様な目をはらつて、のぞき込んでゐるやうである。しかも数多き此の書斎の書は、何も書いていない白紙である。

タルホよりももっとずっとセルロイドっぽい(ブリキっぽい)情景がたまらん。


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by sumus2013 | 2015-07-28 17:41 | おすすめ本棚 | Comments(0)

カフェー巡礼

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せっかくだから『クロスワード倶楽部』創刊号掲載の鶴巻與多天「カフエー巡禮」の内容を少しばかりメモしておこう【喫茶店の時代】。まずは以前のブログでかつて取り上げたMAVOの溜まり場「鈴蘭」が出て来てビックリ。

《先づ護国寺前のカフエー・鈴蘭が振出しです。この店は異端派マボウの人々で賑やかです。いま、築地小劇場で、奇抜な舞台装置で鼻を高くしてみえる、村山知義御大を初め、所謂、挑発族の画家の方々の気焔で、割りに低い天井が、時々、ビリ〓[繰返し記号]と慄へます。文壇のプロ派の大将小川未明さん、歌人の窪田空穂さんも定連です。でも感じの悪い店ではありません。》

「村山知義の意識的構成主義的第3回展覧会」喫茶店鈴蘭にて

「MAVO」と縁の深い小石川・護国寺前の「カフェー鈴蘭」
http://sumus.exblog.jp/17940119/

《それから、神楽坂に足を向けました。神楽坂の芸術家の寄り集まるカフエーは何と言つても、画家松山省三さんの経営するプランタンが第一です。皆さんも御存知でしよう。麻雀で神楽坂警察署に引つぱられた広津和郎さん、この頃、美しいお嫁さん、然も女流作家で有名な大橋房子さんと楽しいホームを作られた佐々木茂索さん、艶聞豊富な久米正雄先生、その他、文壇の豪い方々の陶酔境です。ですから、これ等の先生達の御顔を、コーヒー一杯で拝観せんとする文学青年で仲々賑やかです。先頃、行きましたら、惜しい事に「プランタン」は廃業になつて、支那料理屋になつてゐました。》

先頃》という表現から神楽坂プランタンの閉店は大正十四年あたりだと見当がつく。

松山省三「河の中の湯滝」

《坂下の「白十字」も学生さん達でいつも一杯です。資生堂の喫茶部は綺麗ですが、余り感じがよくありませんでした。たゞし、いゝ人を連れてコーヒーを飲むには、相応しい所でしよう。ローマンス、チヤーが第一原因ですね。
 「紅屋」の二階へ上がりますと、皆さんも御存知て[ママ]しよう、秋田雨雀さんが、隅の方で、コヒー[ママ]片手に一生懸命で読書してみへました。
 美しいお嬢さん達の金属性の声が、時折り二階から聴へて来ます。女給さんと云つても、未だ少女と言へる娘さん達の微笑が、余けいに紅茶をおしくする様な気がしましたね。ハハ、、、、、。》

紅屋(紅谷)は菓子店で二階が喫茶室になっていた。野口雨情・中山晋平コンビの流行歌「紅屋の娘」(「東京行進曲」のB面)はこの店がモデルだとされるそうだ。《未だ少女と言へる娘さん達の微笑》が早稲田の学生たちのハートを射止めたか……。

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こう読んでくると鶴巻というペンネームは早稲田鶴巻町から来ているのだろうな、と思う。


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by sumus2013 | 2015-07-27 20:47 | 喫茶店の時代 | Comments(0)

クロスワード倶楽部

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『クロスワード倶楽部』創刊号(東京十字語出版社、一九二六年一月一日)。スムース・トークライブの日、某氏より頂戴した。現在、世界中で流行しているパズルに数独(Sudoku)というのがあって、フランス人もよくやっているようだが、それは日本のニコリ社が一九八四年に発表したものだそうだ。二〇〇五年頃から爆発的に流行している……と知ったかぶりを書いてみたものの、小生はごく最近そういう事情を知った。昔イギリスでクロスワードの雑誌がたくさん出ているを見て驚いたものだが、時代は変るなあ……。

クロスワード・パズルは一九一三年にアメリカで生まれた。本書の「創刊の辞」は以下のように言う。

《今更ら、クロス・ワード・パズルについて贅言するには当らない。世界的流行、疾風迅雷的普及、白熱的熱狂、理想的文化遊戯、高級智的遊戯ーー何とでも云へば、云へる筈である。

《昨大正十四年度は、本邦クロス・ワード・パズルにとつて、誕生の年であつた。が、こゝにクロス・ワード・パズルは第二年目の一進路がなくてはならない。

《これをより広く全国的に我が同胞八千万人の間に一人も洩れなく普及せしめ、徹底せしめんがために、こゝに大正十五年の新年を卜して生れたのが、とりもなほさず本誌、「クロス・ワード倶楽部」である。そこにこそ本誌創刊の趣意なり使命はある筈である。

文中で言うように、大正十四年、『サンデー毎日』誌上に連載されたのが日本で最初の紹介だったようだ。

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《つひ先頃、あの有名な大雑誌『アウト・ルツク』では『クロス・ワードは全世界を征服したーー』と題する社説をかゝげた事がありましたが、全たくクロス・ワードは、文字通り今や全世界を征服しつゝあります。》(青木一政)

《此頃のクロス・ワードの流行は、実に素晴しい勢です。私どもの家では新聞を、朝日、萬朝、読売、報知と、四種類ほど取つておりますが、毎日毎夕、クロス・ワードの出てゐない新聞は、ほとんどありません。又雑誌をみてもさうです。まつたくクロス・ワードの流行は世界的であります。
 私は始め、それを新聞で見ました当時は、何が何だか、さつぱり解りませんでしたが、近頃はどうやら解るやうになりました。それが面白いことには、これを私は一番小さな子供ーーと云つても尋常六年生ですがーーから教はつたのですから面白いじやありませんか。》(中川良)

などと説くクロスワードに関する記事の他、小説(植村久江)、童話(大月四郎)、落語(天津嵐鐘)、新講談(立野慕人)、まんだん(鶴巻与多天)、小話、短歌、俳句、川柳、ものはづけ、などの娯楽読物も一通り揃っている。鶴巻与多天が東京のカフェー紹介を書いているため某氏が本誌をこちらに回してくれたのである【喫茶店の時代】。

出版元の東京十字語出版社で検索しても何も情報がない。発行人の高崎信吉はどうやら愛知時習館出身かと思われる。『純生日本主義運動と協同委員会の本質』(豊橋大衆新聞社、一九三五年)という著書、宮脇良一『回想の高崎信吉』(東海日日新聞社、一九六四年)という書物もある。本誌には浪六『侠骨三人男』の広告が掲げられており、東京十字語出版社代理部が発売所になっているが、どうやら版元というわけではないようだ。これ、けっこうな珍品雑誌かも。深謝。

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by sumus2013 | 2015-07-26 21:42 | 古書日録 | Comments(0)

古書の御註文は

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先日、高尾書店の目録を紹介したところ(http://sumus2013.exblog.jp/24247942/)上のような高尾書店とカズオ書店が並ぶ広告のコピーを頂戴した。東大時代の高見順らが始めた雑誌『文藝交錯』創刊号(一九二七年九月)に掲載されているという。

《大阪駅前ビルの高尾も、難波球場跡にあったカズオも、私の記憶では、閉店してその後この屋号ではやっていないように思うのですが、間違いないでしょうか》という質問が同封されてあった。たぶんそれで間違いないと思うが、もし御存知の方がおられればコメントいただきたい。

カズオ書店については谷沢永一『本はこうして選ぶ買う』(東洋経済新報社、二〇〇四年)に次のように書かれている。

《米国[アメリカ]占領軍に接収されたそごう百貨店の出店メンバーに、売場の代償として大阪市が、市営地下鉄御堂筋線難波駅の、改札のある通路用の広い階床[フロア]を臨時の店舗として提供した。百貨店には生涯さっぱり縁のない私であるが、その一角にカズオ書店が出ているため、訪うことが度重なった。カズオ書店の主は伊藤一男。戦前は道頓堀に店を持っていたが、大阪流の借地借家であるから戦災で権利喪失、現在は自宅の堺市上野芝にちなんで、『上野芝だより』と題するA六判折畳み方式の目録を出しつつ、午前一〇時頃には難波店へ顔を出す、という方式の営業を続けている。》

《そして随分親しくなった頃である。伊藤さんの背後の棚に『文章世界』が入荷していた。私がそれを見つめていると、伊藤さんが呼びかけた。谷沢はん、これ、買うときなはれ。明治文学研究に、いちばん役立ちまんねん、あとで、きっと、喜んでくれはりまっせ。私は一議に及ばず購入した。本誌だけの揃いなので、大切な増刊の欠けているのが物足りないが、いずれは手に入るだろう。それより、伊藤さんが私をとことん信用し、私の生長を促す気分であることが殊のほか嬉しかった。》

上の広告では老松町二丁目となっているから、文中の道頓堀の店へ移る以前の住所だろう。そしてさらに難波駅から難波球場跡へ移ったということになる。蛇足ながら難波球場(大阪スタヂアム、大阪球場)は一九五〇年難波駅南口前に完成。南海ホークス、近鉄パールス、大洋松竹ロビンスが本拠地として使用した。一九八六年頃から球場としては使われなくなり二〇〇三年になんばパークスとして生まれ変わった。施設内に古本屋街があったそうだが、敗戦後に作られたという駅通路の古書店が引き移ったのであろうか。

***

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メリーゴーランドで頂戴した冊子。岡本綺堂『鰻に呪われた男』(岡田将樹、二〇一五年五月一七日)と同『穴』(岡田将樹、二〇一五年六月二一日)。前者は昭和六年『オール讀物』初出、後者は大正十四年『写真報知』初出。岡本綺堂はほとんど読んでいないが、その随筆の上手さには舌を巻いた記憶がある。また、『鰻に呪われた男』は何かのアンソロジーで読んだなということが、この冊子を読んでいるうちに思い出された。やや設定が猟奇的というかグロテスクを狙った強引なところもありつつ、なかなかに印象的に描かれている。初読の「穴」の方が面白く感じた。とくに真夜中に何度も穴に落ちるところ、カフカ的な恐怖と言っていいだろう。自分好みの短篇をこのような冊子に編集し、装画も自ら(?)描く、これ以上の道楽はない。

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by sumus2013 | 2015-07-25 20:22 | 古書日録 | Comments(2)

鶴見俊輔さんのこと

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鶴見俊輔さんが亡くなられた。記憶では二度ほどお会いしたことがある。一度目は編集工房ノアの二十周年記念パーティで。そのときはお見かけした、といった程度であるが、二度目は徳正寺での鶴見さんを囲む茶会に参加させていただき、じっくりお話をうかがうことができた。それは拙文によって『季刊銀花』二〇〇六年夏号に「矩庵茶会記」として掲載された。

記事ヴァージョンでは紙数の都合で省略せざるを得なかったが、初稿の段階では鶴見さんのたいへん貴重な回顧談が記録されている。じつに魅力的な話し振りだった。以下に省略された部分を含む文章を掲載しておく。鶴見さんは矩庵(徳正寺内にある樹上の茶室、藤森照信設計)の茶室開きのときには茶室内に上がられなかった。それが心残りだとおっしゃっておられた。


ここは彼岸か?

 夕刻になり、客がそろそろと集まってくる。晶文社を退いたばかりの編集者中川六平氏と週刊誌記者のF氏、編集出版組織体アセテートの中谷礼仁氏、北浦さん、前田君。やはり筆者と同じ雑誌をやっている山本善行氏。扉野君に近代ナリコさん。皆でしばらく雑談しているところへ鶴見さんがいらっしゃった。鶴見さんは八十四歳になられるというが、いたってお元気そうだ。寄付に入って来られるなり

「一度、あそこに上がってから死にたいと思ってね」

 と人々を笑わせる。冗談めかしてはおられたが、茶室開きの心残りを晴らそうという気迫が察せられた。

 茶席の用意が整い、客たちは住職に促されて庵へ向かう。一席目。鶴見さんがまずそろりそろりと梯子を上る。七段ほどではあるが、ほとんど地面から垂直に立て掛けられているので若い者でも気は抜けない。正客の鶴見さんが奥の隅、横へ横山貞子女史、筆者、そこから縦に中谷、山本、F氏の六人がL字に並ぶ。開け放った窓の傍らに住職が座を占める。この窓にはガラス張りの引き戸が入っており、茶室としては異例な大きさである。

 床、壁、天井、すべて漆喰で白く塗り固められた室内は窓からの光を受けて微妙な陰影を見せる。正面には秋野不矩のデッサンが住職手製の額縁に収められて掛かっている。不矩さんの故郷静岡県天竜市には、やはり藤森氏設計になる秋野不矩美術館が建っているが、この開館(一九九八年)に合わせて長さ十二メートルにも及ぶ大作「オリッサの寺院」が制作された。そのためのエスキースであろう。赤褐色の堂塔が漆喰に映えている。

 天井中央に取り付けられた銅の円盤ひとつ。内側に照明器具が隠され、ちょうど日蝕を振り仰ぐような効果が演出されている。窓近くに炉のための丸い穴が切ってあるが、煎茶道は「随所に茶を煮る」がモットー、炉は無用ということで、水盤が置かれ小手毬などが生けられていた。二畳半という制約から煎茶のしつらえも座右飾と手前座を折衷してコンパクトにまとめてある。炉敷はザイールの草ビロード。茶壷は住職が銅管から打ち延べて作り上げた自慢の作。錫の建水も茶托も自作である。しかもすべてが正五角形を基調としている。

「六角形は簡単やけど、五角形は難しいんよ、ふふふ」

 妙にうれしそうな住職の言葉を聞きながら、ふと、にじり上がり口を見ると、やっぱり五角形に抉り空けられていた。天井の照明が太陽ならば、道具は星星ということだろうか。

「ほんまは炉で沸かさな、師匠に怒られるのやけど、不肖の弟子やさかい、今日はこれ」

 背後から魔法瓶を取り出す住職。一座に苦笑がもれる。

 鶴見さんが窓から庭を見遣りながらこうおっしゃった。

「上がってみると、ぜんぜんキッチュじゃないね。死者の世界から生きている人を見ているみたいだ」

 なんと鮮やかな感想だろう。先に述べたように、つまるところ矩庵は樹木である。例えば、インドネシアのトラジャでは小さな子供が死ぬと樹木の幹に穴を空けてそこに葬るというし、北米のモーチュアリー・トーテムポールには死灰を入れる穴がある。また一方で『南柯太守伝』の淳于〓は槐の木のうろに潜り込んで一生を夢に見、『呂氏春秋』の伊尹は桑の木から生まれた。あるいは、かぐや姫伝説と割竹形木棺の関係を持ち出してもいい。樹木の幹というのは生を育む母胎であり、同時に死者を受け入れる冥界でもあった。筆者はつねづねそういうようなことを漠然と考えるともなく考えていた。しかし、その考えと矩庵はまるで結びつかなかった。脱帽である。また藤森氏は先の『人類と建築の歴史』なかで「建築の外観は精神に働き、内部は感情に働くのである」とも書いておられるが、鶴見さんの卓見はこの文章を裏書きした恰好になっている。

 住職は当然ながら慣れた手つきで茶瓶に玉露を入れポットの湯を注ぐ。一文字盆に並べられた茶碗は陶芸家秋野等の作である。それぞれに「天上大風」と染付けられている。良寛が子供の凧に書き与えた四文字。そこへ丁寧に茶を注ぐ。最後の一滴まで惜しむように絞り切る。茶碗を茶托に移し手で渡してゆく。軽やかな香りが鼻を打つ。そっと含む。芳醇な爽快さが口中に満ちる。

 茶菓子を盛った佐波理(さはり、銅と錫の合金)の鉢が回される。漉し餡の蕨餅。懐紙の持ち合わせもなく直に手でつまんでいただく。甘さも控えめな逸品だ。指先の感触がなんとも言えず良い。鶴見さんからも「ほお」という嘆声がもれた。どこの品だろう?

「知らはらへんと思うけど、うちの檀家さんで松寿軒というお店ですわ」

 松寿軒は建仁寺のそば、弓矢町にある。祇園も近い。

 二碗目を喫する。一椀目の密度は失われているものの、かえって清涼感は増している。

 さらに三椀目。

「白湯です」

 旨味がほとんど出切った茶を白湯と呼ぶらしい。楷行草の三碗。最後をさっぱりと濯ぐことによって一碗目の旨味が際立った。

 入室とは逆の順に梯子を降りる。鶴見さんは寄付の応接間に戻り、肘掛け椅子に腰を落ち着けながら、にこやかにこうおっしゃった。

「いやあ、生涯の大事を成しとげた」



学びほぐす

 われわれが茶を喫している間に座敷には宴席が設けられていた。二席目も終わり、皆が座敷に集まって乾杯が行われた。胡麻豆腐、湯葉、粽寿司、鮒寿司など京都ならではの珍味佳肴に舌鼓を打ったのであるが、それらはすべて省略して、鶴見さんの叡智にあふれるとっておきの談話をひとつだけ記録しておこう。

 鶴見さんは十六歳のとき、一九三八年、ハーバード大学に入学した。今でも、一年生の夏休みに完成したばかりのMOMA(ニューヨーク近代美術館)で見たエルンスト・バルラッハの彫刻が忘れられないという。ちょうどこのとき京都の近代美術館でバルラッハ展が開催されていた。

「ものすごく感心したんですがね、記憶って残るもんですね。はっきり残ってますよ。それからもう七十年近くたって、それが京都に来てんだから、私の目もまんざらじゃなかった」

 ハーバードの夏休みは三ヶ月あったという。住職が「アルバイトはなさらなかったんですか?」と問うた。

「私は二年生のときは図書館の本運びをやった。本運びをやってるときにヘレン・ケラーがやってきたんですよ、ね。ヘレン・ケラーは周りにいる人をね、どういう人かって訊くんですよ。私の前に来たら、私はハーバード大学の学生ですと答えた。そしたらヘレン・ケラーは、私はハーバード大学の隣のラドクリフに行きました、そこで私はたくさんのものを学びました、しかしその後、私はたくさんのものを、アンラーン、なんてのかな? ラーン、学ぶってことの逆ですね、つまり、学びほぐしました、そういうふうに言いました。“ I learned many things, but after that I unlearned many things”うまいこと言うんですよね」

 横山貞子女史が言葉をはさむ。

「アンラーンして良かったと彼女は思ってるわけね」

「そうそう。私にある影響を与えましたね。私は十年前から、自分がもうろくしてきたと思って、それからもうろく帳って帳面をつけてんです。全部のことを、もうろくによってほぐしていって、アンラーンして、何か形が残るから、それを書く。だから、もうろくし始めたなと思ってからもう十年経った。それは考えてみると、ヘレン・ケラーの影響かもしれないね」

 ゆっくり的確に語る鶴見さん。もうろくからはほど遠い。

「ヘレン・ケラーが日本の音楽を蓄音機で聞くんだよね」

「聞けないじゃない」

「そうするとね、ヘレン・ケラーは耳が聞こえないでしょ。蓄音機にこうやって手を当ててね、振動から何か別のものを復元しようとするんです。そのときにかけたのがね、『春の海』ですよ」

「お琴の?」

「そう、私がアルバイトしていたのはジャパン・ライブラリーってとこですからね。指の振動によって復元するんですよね、それは驚きましたね。それが私のヘレン・ケラーとの対話ですけど、私がハーバードの学生だってとこから、スッとそこまで行くんですよ、すごい人だと思ったですね」


九年前のことで、ここに集っていた人達にもそれぞれなりの変化があった。小生の隣に席を占めていた中川六平さんが真面目な顔をして「俺、鶴見さん、苦手なんだよな」と小声でもらしたのが、なつかしく思い返される。心より御冥福をお祈りしたい。


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by sumus2013 | 2015-07-24 17:47 | 文筆=林哲夫 | Comments(4)

書紀

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平出隆編集の詩誌『書紀』(書紀書林)を三冊入手した。第七号(対話片24|稲川方人+平出隆)と第八号(水の城|金井美子)が一九八〇年一一月一〇日発行、第九号(「ガランドウ」からの手紙|渋沢孝輔)が一九八〇年一一月二〇日発行。六号の発行は一九七八年一一月と本文中にあるから二年間のブランクがあって後、三冊まとめて発行されたということになるようだ。

キトラ文庫目録『莢』第九号に載っていたので注文したもの。『莢』第六号には小生も寄稿させてもらったが、この号には扉野良人氏が『浮田要三の仕事』について書いている

浮田要三の仕事


『書紀』は造本が菊地信義。白い上質紙の封筒入。封を開くとゴム印(?)による号数表示が見える。

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本文用紙は紫がかったうす茶色のボール紙。A4サイズを二つ折り。七号は七枚(二八頁)、八号と九号は八枚(三二頁)。綴じずに折り目を紐でくくる。

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紐の端、しばったところを鑞で留めている。本文印刷はタイプ印刷のように見える。表面の粗い紙なので印字がかすれたり、滲んだり、あるいは文字が消えたりしているが、それが景色になっているのがさすが。レイアウトもほぼ完璧。
菊地信義の前衛精神が発揮された秀作と言えよう。

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by sumus2013 | 2015-07-23 20:14 | 古書日録 | Comments(0)

やっぱり、本 終了

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昨日、午後五時にて「やっぱり、本」展終了しました。初日のスムーストークライブを含め、期間中、祇園祭の賑わいはもちろん、颱風・大雨で交通が麻痺するなど、六十の節目にふさわしくも印象深い展覧会となりました。ご来場いただいた皆様、ご協力くださった皆様、そして何より拙作、古書など、お買い上げくださった皆様に深く感謝いたします。




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by sumus2013 | 2015-07-23 09:32 | 画家=林哲夫 | Comments(2)

リヨンの古書店

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Makino さんより頂戴したリヨンの古書店「Librairie CADENCE カダンス書店」の絵葉書。

《リヨン旧市街にある小さな古書店です。精神世界本に特化した、一風変わった本屋。周りは観光客がうろついている観光スポットですが、店内は地元のおタクらしき客でいっぱいでした。》

とのこと。

Librairie CADENCE ; EKLECTIC-LIBRAIRIE.COM

Facebook ; Librairie CADENCE

その他「リヨン印刷所巡り」のパンフ、印刷博物館の栞、同博物館で開催された「印刷人の庭」展ちらしも同封されていた。これは楽しい、いただきもの。深謝です。

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「印刷人の庭」展はリヨンで印刷された数々のボタニカル書を集めた展示のようだ。primeur には「初物」という意味(とくにワイン)があるので、imprimeur(印刷人)にひっかけているのだろう。

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by sumus2013 | 2015-07-22 09:56 | 古書日録 | Comments(0)

やっぱり、本

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by sumus2013 | 2015-07-21 20:48 | 画家=林哲夫 | Comments(0)